LP8年4月前半
第二次魔人戦争。
それはLP7年9月。
突如大勢の魔物兵が人間世界への侵攻を始めた事により、この戦争は始まった。
そしてLP8年4月。
人類圏を統べる世界総統、ランスという男を中心とした魔人討伐隊の活躍により、魔軍の総大将である魔人ケイブリスが討たれた事でこの戦争は集結を迎えた。
人類は勝利した。
魔の脅威から平和を勝ち取ったのである。
敵の本拠地で最後の戦いを終えると、ランス達はその後すぐに人間界へと凱旋した。
そして今日、ランスの居城たるランス城では人類の勝利と恒久な平和を大いに祝し、共に戦った仲間達や各国の要人を集めた大規模な祝勝会が開かれる事となっていた。
しかし祝勝会開始から数時間後、その城内は未曾有の混乱に包まれていた。
ランスの奴隷として所持している女性、シィル・プライン。
常に主人のそばに居る彼女の身に悲劇が襲った。突如パーティ会場にやって来たバード・リスフィという名の男の手により、シィルは殺害されてしまったのである。
人類の勝利を祝う祝宴の中、誰もが予期し得なかった事態。呼ばれていない筈の、ここにいる筈の無い男の手によって彼女は殺されてしまった。
皆が衝撃を受ける中、事態はそれだけに収まらず、畳み掛けるようにもう一つの事件が起こる。
今まで魔王への覚醒を拒み続けてきた未覚醒の魔王、来水美樹。
しかし魔王の力を抑える事に限界が来てしまったのか、彼女はこの日遂に世界を支配する魔王へと覚醒しようとしていた。
人類は勝利を祝うはずの夜。それはこの二つの騒動が起きた事で台無しとなってしまった。
今の城内はシィルの死に嘆き悲しむ者、襲撃犯を追走する者、美樹の魔王への覚醒の対処に追われる者や、今起きている事態が理解出来ずに喚き騒ぐ者など、とても収拾が付かぬ程の混乱が起きていて。
そんな中、誰かが呟く。
「……あれ、そういえば総統は……?」
この城の城主たる男、ランスはいつの間にかパーティ会場から姿を消していた。
◇ ◇ ◇
混乱状態にあるランス城のとある一室。
城内で起きている騒動なとつゆ知らず、静かな室内ですやすやと寝入っている者が居た。
クリーム色の長髪をリボンで二つに纏めた髪型の幼女、聖女の子モンスター、セラクロラス。
極めてマイペースな性格をしている彼女は祝宴にも然程興味が無いのか、先程からずっと部屋のベッドで安らかに眠っている最中で。
そして、そんな彼女の目の前にランスは居た。
「おい」
「すぴー、すぴー」
「おいセラクロラス、起きろ」
「んー……」
肩を乱暴に揺さぶられる感覚に覚醒を促され、セラクロラスは目を擦りながら片目を開く。
「むにゅ……あ、ランスだ、どしたの?」
「お前、確か時を司る聖女の子モンスターだよな。少し事情があって過去に戻る必要がある。今すぐ俺様を過去に送れ」
その突然の要求。それはのんびり屋さんの彼女といえどもさすがに驚く話だったのか、セラクロラスは普段通りの眠そうな目を少し広げてその顔をじっと見つめる。
「……ん~。ランス、なんか感じ、違う?」
「んな事は聞いとらん。出来るか出来ないか、どっちか答えろ」
「できなくはない。けど、一旦過去にいったらたぶん帰ってはこれないよ?」
「それで構わん、出来るならやれ」
一旦過去に戻った場合、もう二度とここには戻れない。
それは相当なリスクを伴う事である筈なのだが、しかしその男はなんら躊躇を挟まない。
「……本当に良いの?」
「いいから早くしろ」
「……わかった」
セラクロラスは少し躊躇していたものの、ランスの有無を云わせぬ迫力に圧され、やがて右手を上げて掛け声一つ、時を司る聖女の子モンスターとして与えられているその力を行使した。
「てやぷー」
そしてランスがふと気付いた時には、目の前にはぼんやりとした光だけがあった。
(……おお?)
思わず周りを見渡そうとしてみるが、しかし首が動かない。
というか首だけではなく目も動かせず、そもそも体の感覚が何も無い。ただ視界の先が薄く光っているような感覚だけがあった。
(……なんだこれ)
(これはなんでもないよ。今ランスを過去に戻している途中だから)
ただ頭の中で思った事に対して、何処か遠くから響くようにセラクロラスの返事が聞こえる。
(おぉ、セラクロラスか。何か変な感じがするぞ)
(今ランスは意識だけだから。もうすこし待って)
(意識だけ?)
(うん。ランスが過去に戻るのは意識だけ。だってその方が楽だし)
(そか、まぁなんでもいいや)
ランスにとってはよく分からない話だったが、どうやらセラクロラスにとってはその方が楽であるらしい。
今の彼にとっては過去に戻る事だけが大事で、戻れるのならその他の事はどうでもよかった。
(そういえばランス、過去のどの地点に戻るの?)
(ん? ……そういやぁその事は何も考えて無かったな。ちょっと待て、今考える)
(ん~……この辺かな?)
(あ、おい)
ランスが考えるよりも先に彼女はとっとと決めてしまったらしく、目の前で光っていた薄い光がどんどんと強い色を帯びてくる。それに伴って徐々に身体の感覚も戻り始める。
(そうだランス。過去に戻ってもその後の時の流れが同じかどうかは分からないから。ランスが知っている時の流れと同じようになるとは限らないからそれだけは気を付けてね)
(……そりゃそうだ。同じようになっては困る)
(……そっか。……じゃ、がんばってね)
そして、意識が覚醒した。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと目を開ける。まず目に入ったのは見慣れた天井だった。
「……ぬ」
どうやらここはランス城の自分の部屋。普段使いのベッドの上でランスは仰向けになっていた。
それは何事も無い普通の日の朝、普段通りに目が覚めたかのようで、
(……ううむ。ここは過去……なのか?)
ランスは身体を起こして周囲を見渡す。視界に入るのは過去に戻ってきたらしき自分の部屋。
記憶にある自室の姿と細部が微妙に異なるような、しかし同じと言えば同じようにも見えて。
(……分からん。何も変わっていないような気もするぞ)
未だぼんやりとする頭をぽりぽり掻きながら、ランスは難しい顔で首を傾げる。
女の子に関わる事なら滅多に忘れる事の無い彼の脳だが、それ以外の事についてはあまり記憶力が良い方では無い為、部屋の様子を眺めただけでは時間の流れを遡った実感が湧いてこなかった。
(……そもそもセラクロラスのやつ、結局いつの時に俺様の事を送ったのだ? まさかまだあいつが氷の中なんて事はねーだろうな。……て、そうだ、シィルは)
ここが過去ならば、まだ彼女は生きているはず。
そう思い出して慌てて探しに行こうとしたまさにその時、そのドアがすっと開かれた。
「おはようございます、ランス様……て、もう起きていましたか、今日は早起きですね」
「………………」
それは先程死んだばかりの相手、その様をランスが眼前で目撃する事になってしまった相手。
シィル・プラインがその部屋に入ってくる。彼女はいつも通りに朝の挨拶をしたが、ランスはそれに応じる言葉が中々喉から出てこなかった。
「……ランス様?」
「……が、う。お前、シィルだよな?」
「はい、シィルですけど……。ランス様、どうかしましたか?」
その姿に動揺するランスをよそに、シィルは何事も無かったかの様に平然としている。
事実、ここにいる彼女の認識では何も起こっていない為、それは当然の事で。
「………………」
「……ランス様?」
そんなシィルのきょとんとした顔を、しばらく呆けた様に眺めていたランスだったが。
(……この)
次第に胸の内には怒りが湧き上がってきて。
ランスはがばっとベッドから跳ね起きると、そのふわふわとした髪の中に両手を突っ込んだ。
「……この、このアホ奴隷がーーー!!!」
「ひゃあ! な、なんですかランス様ー!」
「うるさーい!! 奴隷の分際で、何度も何度もご主人様に面倒を掛けさせやがってー!!!」
「うわーん、よく分からないけどごめんなさいー!」
苛立ちのままに吠え、ランスは何度も何度もピンク色のもこもこ髪をもみくちゃにした。