ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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「……改造?」

 

 聞こえてきた不穏な響きのワードに、思わずランスは鸚鵡返しに呟く。

 

「そうよ、改造。前にも一度教えたはずだけどね、私には他人の眠らせるこの体質の他にもう一つ別の能力があるの。……それが他人の見ている夢を操作する能力」

 

 身体から甘いフェロモンを放ち、あらゆる生物を眠らせる魔人ワーグ。

 その睡眠体質の他にもう一つ、彼女がその身に秘める稀有な才能──それが「夢操作」の才能。

 その名の通り、他人が見ている夢を操作する事が出来る能力なのだが、その能力の影響は単に夢の内容を作為的に変更するだけには留まらない。

 

「私の夢操作能力を使えば、見せる夢の内容によっては相手の記憶を改竄する事が出来る。そして相手の精神性まで……性格や考え方なんかも変える事が出来てしまう」

 

 夢の操作に伴う記憶の改竄、精神の操作。

 これまでホーネット派として戦っていたのに、一夜経つとケイブリス派の兵となっている。命を懸けて戦うべき陣営、その忠誠心の先まで容易に変えてしまえるとあっては戦争などしようも無い。

 それは睡魔以上に凶悪な、魔人ワーグがこの魔物界で恐れられている本当の理由である。

 

「ランス、あなたが今手を焼いているのは私の眠りの能力でしょう?」

「まぁ、そうだな」

「だったら私が持つもう一つの能力、夢操作能力を試すのもアリかなって。魔人ワーグの能力によって施した改造であれば、同じ魔人ワーグの眠気にだって通用すると思わない?」

 

 他人の尊厳を土足で踏み荒らすようなこの能力について、ワーグ自身も強く忌避している。

 しかし今回彼女はあえてそれを使うという提案を自らしてみせた。そうと告げた所でこの男なら、ランスなら今更自分の事を嫌いになったり怖がったりはしないだろう、そう思っての提案で。

 

「……なるほど。お前の能力に対抗するならお前の能力ってのは確かにその通りかもしれんな」

 

 そして案の定、夢操作能力の詳細を聞いてもランスに気にした様子は無かった。

 魔人ワーグは他人の記憶や人格を弄る事が出来るらしい。しかしてそれが何だと言うのか。そんな事よりも大事なのはセックスだ。それがランスという男の思考である。

 

「本当はこんな方法試したくないんだけどね、今回ばかりは特別よ。勿論終わったら全部元通りに戻すからそこは安心してちょうだい」

「けどワーグよ。俺様の事を改造するっつっても、具体的にはどんな感じに改造するのだ?」

「そうねぇ……」

 

 ワーグは思案げに俯く。今回の改造目的はランスを睡魔に打ち勝てるような人間にする事。自分の睡眠体質に負けないような存在となって貰う事。

 一口に改造といっても体の構造などを無制限に弄れる訳では無く、あくまで頭の中のみの話。さて何処をどのように改造するべきだろうか。

 

「……私の眠気に負けない為には……やっぱり我慢強い人間にならないとダメだと思う」

「我慢か。まーそりゃそうだけど、けど俺様は今でもかなり我慢強い男だと思うのだが」

「それじゃまだ足りないわ。もっと我慢強く……世界一我慢強いぐらいにならないと。あなたが挑むのはただの眠気じゃなくて魔人の能力なんだから」

「……ふむ、分かった。んじゃとりあえずそんな感じで、俺様を我慢強い人間に改造してくれ」

 

 こうして第一の改造プランは決まった。

 とはいえ自己の性格、自己の精神性に変化を及ぼす改造をランスは涼しい顔で注文してきて。

 

「うん。けど……ねぇランス、本当に改造しちゃってもいいの?」

 

 そのあまりの軽い調子に、それを提案した張本人たるワーグの方が少し気後れしてきてしまう。

 

「私の夢操作で我慢強い性格になるって事はね、自分が今とは違う別人になるって事なのよ? 怖いとは思わないの?」

「別に怖くない。そんな事より俺様はお前とセックスがしたい」

「っ、……分かったわ。それじゃあ早速だけどそこのベッドに横になって」

「うむ」

 

 頷いたランスはベッドに上がって仰向けとなる。

 すると直後にワーグの手がすっと伸びてきて、そのまま顔の上に乗せられる。

 

「夢操作能力は相手が眠ってくれないと使えないからね。一旦眠ってちょうだい」

「おぉ、甘い匂いが……ねむ……ぐがー、すぴー」

 

 その手のひらから伝う強烈な眠気に誘われ、ランスはものの数秒で夢の世界へと旅立った。

 

「さてと……」

 

 そしてワーグはその能力を行使した。

 夢操作LV2の才能、他者の記憶や精神を思い通りに改竄する忌まわしき能力を。

 

「………………」

 

 その能力を行使した。

 

「……う」

 

 その能力を行使しようとして。

 

 

「……はぁ、ちょっと待って……」

 

 しかし一旦その手をランスから離す。

 

「……どうしよ……緊張するわね……」

 

 そして自らの胸元をぎゅっと押さえる。

 

 これからランスに行う夢の操作。それ自体はもう割り切った。

 本当は友達にそんな真似はしたくないけど、向こうから望まれてしまってはしょうがない。それに改造といってもあくまで一時的な処置、後で元通りの性格に戻せば影響は無いはず。

 だから問題はその後。この改造を行った場合、その後に待ち構える事と言えば……。

 

 と、そんな感じでワーグがまごついていると。

 飼い主の様子が気になったのか、ラッシーがふよふよと近付いてきた。

 

「どうしようどうしようっ! だってだって、この改造が成功したら、そうなったら私……!」

「ちょっとラッシー! 勝手に触れてくるのは止めてってば!」

「ねぇラッシーどうしよう! 私はどうしたらいいの!? ドキドキが収まらないよー!」

「だからぁ! そんな事思ってないから!」

 

 ワーグは慌ててラッシーと距離を取るが、それでもラッシーはしきりに纏わり付いてくる。

 こちらの本心を好き勝手代弁してくる夢イルカ、このペットと付き合うにはとにかく自分の心を平常心に保つ必要がある。

 

「……すぅー、ふぅ」

 

 故にワーグは一度大きく深呼吸。ドキドキする心をどうにか落ち着かせる。

 

「……もう大丈夫よ。ありがとねラッシー、私の事を心配してくれたんでしょう?」

「そうそう、ワーグが心配なんだよー。本当に夢操作なんてしちゃっていいのかー?」

「大丈夫よ。これっきりならともかく、後でランスの事はちゃんと元通りに戻すんだから」

「そういう事じゃなくってさー、この改造が狙い通り成功しちゃったら……ワーグはランスとセックスするって事になるんだぜー?」

「……う、分かってるわよ……」

 

 言葉と本心による見事な一人芝居をしながら、ワーグが考えてしまうのはやっぱりその事。

 いつの間にかというべきか、気付いたらこうしてランスに協力する流れとなっていたのだが、そもそも自分はランスとセックスがしたいなとど言った覚えも無い訳で。

 

「……駄目だわ。その事を考えたらまたドキドキしてきちゃった……」

「嫌なら止めたって良いんだぜ? そもそもワーグが協力するような事じゃないんだしさー」

「それはそうだけど……でも……」

 

 協力するような事では無いけれど、協力したくないかと言われるとそれは難しいもので。

 ワーグはラッシーから離れると、ベッドの方へその視線を向ける。

 

「ぐがー、ぐがー」

 

 そこには自分の気持ちなど何ら知らず、心地良さそうに眠る人間の男。

 

「……のんきなものね。寝ている間に自分の精神性が変えられてしまうっていうのに……」

「ぐがー、ぐがー」

「………………」

 

 何となくワーグはその顔へと手を伸ばし、ランスの頬に触れてみる。

 そうして何度か撫でてみるが、その程度で目を覚ますような浅い眠りでは無く。

 

「………………」

 

 ならばとさらに近付いて。

 それは互いの呼吸が、安らかな寝息と熱めの吐息が触れる程の距離。

 

「…………ん」

 

 そしてその頬に口付ける。

 

 こうして眠っている時だったら。それなら自分とランスだって唇と頬で触れ合う事が出来る。

 けれどそれはあくまで眠っている間だけ。出来れば彼が起きている時にこうして欲しい。

 そう思ってしまう事だけは、そう願ってしまう事だけは抑えられない。それだけはワーグの偽りなき本心、どうしようも無い気持ち。

 

「……そうよ。私はそれだけなのに……それなのにランスが……」

 

 自分はそれだけで満足なのに。しかし彼の方はそれだけで満足してくれそうに無い。

 そう、だからこれは仕方無い事。別にセックスをしたい訳ではないけれど、それでも起きている彼と触れ合う為にはこうするしかないのだから。

 

「……さてと」

 

 ワーグはそんな言い訳を心にしながら、その身に秘める才能──夢操作能力を行使した。

 

 

 

 

 

 

 そして、小一時間後。

 

「おはよう、ランス」

「むぐ……おぉワーグ、ふわぁ……よく寝た」

 

 ランスは目をこしこし擦りながら、むっくりとその上半身を起こす。

 

「……あれ、さっきまで何やってたんだっけ?」

「私の夢操作能力を試していたんでしょう?」

「おぉ、そうだそうだ」

 

 そしてポンと手を打った後、肩を回してみたりと自分の身体の調子を確認し始める。

 そこには寝起き特有の気だるさはあれど、他には何ら変わった点など無いように思えた。

 

「……で? ちゃんと改造は出来たのか? 何も変わってないような気がするのだが」

「さぁ、どうかしらね。ならちょっとテストをしてみるけど……」

 

 ワーグはこほん、と咳払いをして。

 

「ランス、あなたが好きな事と言えばなに?」

「そりゃもちろんセックス!」

「けどそれよりも好きな事は!?」

「我慢する事!」

「ぃよし……完璧だわ……!」

 

 その点に何一つ疑問を抱く事すら無く、ランスは当たり前のようにそう答えた。

 こうしてセックスよりも我慢が大好き、世界一の我慢人間ランスが出来上がった。

 

「……ん? 今ので何が分かったのだ? 俺様は世界で一番我慢する事が好きな男、んなの確認するまでなく当然だろうに」

「そうね。今のあなたにとってはそれが当然、改造されたなんて自覚は無いかもね。けれど確かに改造は成功しているわ。だから……」

 

 するとワーグは頬を赤らめ、急にもじもじとした様子になって。

 ランスの改造は完了した。となると二人が次にするする事と言えば一つ。

 

「その……ランス、あの……」

「おう」

「それじゃ……えっちな事……試して……みる?」

「試してみるー!!」

 

 それは今の彼にとって世界で二番目に好きな事。

 ランスはワーグの事をひょいと持ち上げ、自分の膝の上にすとんと下ろす。

 

「よっしゃ、ではいくぞワーグ! いざ勝負!」

「……んっ」

 

 そのまま両手を前側に回し、ワーグの胸を服の上から優しく撫で回す。

 しかし目の前には彼女のクリーム色の髪、そこからふわりと漂う甘い匂いと強烈な眠気。

 

「くお、ね、眠い……!」

「ランス! 我慢よ、我慢するの! 我慢はあなたが何よりも得意な事でしょう!?」

「そ、そうだ……俺様は世界一我慢強い男……! この程度、この程度の眠気で……!」

 

 今は間近に迫るセックスよりもむしろ、この眠気に耐える事の方が望む所。

 ランスは唇をぐっと噛み締め、頭を鈍器で殴られるような衝撃に必死で耐える。

 

「ぐぐぐぅぅ~……、い、イケるぞぉ……、わ~ぐ~……セックスするぞぉ~……!」

「う、うん……」

「俺様、は……世界一、我慢強い、男……!」

 

 これ程に魔人ワーグと接近して、これ程に起きていられるというのは驚異的な記録。夢操作による改造の効果は如実に表れている。

 とはいえそれでも。世界一我慢強くなったとは言ってもあくまでそれだけ。彼自身のレベルが上がった訳でも、睡眠に対して特別な耐性が身に付いたという訳でも無く。

 

「我慢……我慢……俺様は……我慢強い子…………ふにゃああん……!」

 

 やがて情けない声を出したかと思えば、ランスは眠りに落ちてしまった。

 

「……まぁ、この眠気が我慢して耐えられるようなものだったとしたら、この魔物界で私がこんなにも恐れられてはいないわよね」

 

 半ば分かっていた事とはいえ、深い徒労感に襲われたワーグは、はぁ、と息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 そして、また小一時間後。

 

「くそー、駄目だったか……」

 

 先程その身体に施された改造、普段よりも遥かに我慢強かった性格は元通りに直されて。

 目覚めたランスは不満げに口元を歪めながら、まだ眠気の残る頭をぽりぽりと掻く。

 

「あれだけ我慢強くなった俺様だったら、絶対にイケると思ったのだが」

「そうね。さっきのランス、我慢する事が世界一好きだーとか言ってたわよ」

「……言っとったな、そんな事。今こうして考えると信じられんようなセリフだが、あの時はそれが当たり前だとしか思わんかったぞ」

 

 どれ程に記憶や思考を操作されたとしても、当の本人はそれをおかしいとすら認識出来ない。

 魔人ワーグの有する夢操作能力、聞きしに勝る凶悪な能力である。

 

「けどスゴいなこれは。これならイケるような気がしてきた。よし、次の方法を試すぞ」

 

 しかしこれ程に凶悪な能力ならば、同じく凶悪な睡魔の壁だって打ち破れるかもしれない。

 そこに可能性を見出したランスは次なる改造プランを考えてみる。

 

「次はどうしようかしらね。性格を変えても駄目だったとなると、もっと別の所を……」

「……ふむ。なぁワーグ、お前の能力ってのは俺様の記憶を変えちまう事が出来るんだよな?」

「えぇ、そうだけど」

「よし。なら次はあれだ、禁欲だ」

 

 そうして思い付いた次なる一手。

 それは禁欲。自らの欲望を断って生きる事。

 

「禁欲?」

「そうだ。ほれ、前に俺様が禁欲をしてからお前に挑んだ事があったろ?」

「それって……もしかして初めて会った時?」

「そうそう、それだ」

「……あぁ、あの時は確か……」

 

 言われてワーグもその時の事を思い出す。

 それはランスと初めて出会った大事な思い出、けれどもあんまり思い返したくない思い出。

 

「正直言うと禁欲していた時の事はサッパリ覚えとらんのだが、聞く所によるとなんかスゴい事になってたらしいな」

「えぇ、そうね。ていうかスゴいなんてものじゃないわ。あの時のランスは本当に獣じみていて……けどそう言えば確かに、あの時のランスは随分長い事ラッシーと戦っていられたわね」

「だろう? だからまたあの時のような禁欲状態になりたいのだ。いや、今度はあの時以上だ、今度は禁欲を一ヶ月……いっそ一年間は禁欲をしているという設定にしてくれ」

 

 現実のランスが一年間禁欲をしようものなら、一ヶ月も持たずに間違いなく暴発してしまう。

 だがワーグの夢操作能力による改造ならば。実際に一年間の禁欲などせずとも『自分は一年間にも及ぶ禁欲をしている』とランス自身が認識するようにその記憶を改竄してしまえば。

 

「なるほど……悪くないかもね、それ」

 

 あの時以上となる地獄の禁欲。あの時以上となるセックスへの強い欲求。

 その渇望、その途轍もないエネルギーは睡魔の壁を突破しうるものとなるに違いない。

 

「決まったな。ならワーグ、早速頼む」

「うん」

 

 ランスは再びベッドに横になる。

 するとすぐにワーグの手がその顔に乗せられて。

 

「……ぐがー、すぴー」

 

 そうして夢の世界に旅立った後、再び魔人ワーグによる夢操作能力が行使された。

 

 

 

 

 

 

 そして、またまた小一時間後。

 

「……!?」

 

 一年間にも及ぶ禁欲を見事達成した男、ランスがハッと目を覚ました。

 すると跳ね起きるように身体を起こす。そしてその血走った目を、視点の合わないその瞳孔を彷徨わせ、即座にそれを発見した。

 

「おはよう、ラン、す……?」

「──────!!!!!」

「きゃあっ!」

 

 一年間も抑え込まれてきた衝動、その封が弾けるのはほんの一瞬の事。

 女の姿を視界に捉えた途端、ランスは発音不可能な叫びを上げながら襲い掛かった。

 

「ちょ、ちょっとランス!?」

「──────!!!???」

 

 それは脱がすと言うより、力の限りに引き千切るような勢いで。

 ランスはワーグの衣服をビリビリと破きながら裸に剥いていく。その様は飢えた獣の如し。

 

「ふ、服ぐらい自分で脱ぐから……!」

「──────!?!?!?」

「あ、でもスゴい……裸の私を前にしても全然眠そうになっていないわ……!」

 

 さすがに一年間も禁欲した直後となると、どれ程に強烈な睡魔だろうと気にならないのか。

 今のランスとならば性交だって可能かも、いや間違い無く出来るだろうとワーグは感じた。

 

 なのだが。

 

「けれど無理! こんなランスと、こんなのとするなんて絶対むりー!」

 

 迫るケダモノ。これはもはやランスでは無い。こんなのは自分の大切な友達では無い。

 これにレイプされるのが自分の初めてだなんてあまりにもツラい。初体験を前にしたドキドキ感など無く、ただただ恐怖しか無かった。

 

「ラッシー、ラッシー! 助けてー!!」

「──────!??!??」

「きゃー!! 怖い怖い怖い! 助けて、ねぇラッシー! ラッシーってばー!!」

 

 半泣きになりながらペットの名を叫ぶワーグ。

 その後、夢イルカの奮戦のおかげもあって彼女の純潔はどうにか守られた。

 

 

 

 

 

 

 そして、また小一時間後。

 

「……んで、結局どうだったのだ?」

 

 元通りの記憶に戻されて目を覚ましたランス。

 だがやっぱり禁欲時の記憶は無いのか、その首を傾げながら問い掛ける。

 

「えっと……やっぱり駄目だったわね」

 

 そのすぐ隣、ボロボロになった衣服を着替えたワーグは何とも言えない表情で答える。

 

「そうか、禁欲でも駄目だったか……」

「……うん」

「ただ仮にイケてたとしてもだ、記憶が無いんじゃお前を抱いた気分にならんな」

「そうね、本当にその通りだわ。もう禁欲を試すのは絶対に止めましょう、絶対に」

「うむ。けどこうなるとお次はどうっすかな……」

 

 我慢強くなっても駄目。禁欲してみても駄目。

 さすがに魔人ワーグの睡眠体質は手強く、生半可な方法では突破する事など出来ない。

 

「次は……逆に何日も寝てない設定にするとか……いや、それじゃ意味ね-か」

「……こうなったらもういっその事……ランスをこれまでの人生で一度も眠った事の無い人間に……いえ、そもそも睡眠という脳の機能を持たないような人間にしてしまうしか……」

 

 そうして提示された究極的な改造プラン。

 それはもう眠らない人間になってしまう事。

 

「……睡眠という脳の機能を持たない人間? なんかスゴい改造だな、そんな事まで出来るのか」

「……ううん、自分から言っておいて何だけど出来るかどうかは分からない」

 

 ワーグは神妙な表情で首を左右に振る。

 彼女の能力は夢を操作する事。あくまでそれだけが能力の本体であり、記憶の改竄や性格の変更などはその副次的効果に当たる。

 対象が見ている夢を操作する事によって脳の機能までをも改変してしまえるか、それは当のワーグですらも分からない領域の話で。

 

「私はこの能力の事が本当に嫌いだから、これまで滅多に使用してこなかったの。だからこの能力によって何処までの改造が出来るか、確実な事を言うには実際に試してみないと……でも……」

「ふむ、では実際に試してみようじゃないか。早速頼むぞ、ワーグよ」

 

 するとランスは三度ベッドに身体を寝かせる。

 だが今度はワーグの手が伸びてくる事は無く、その代わりに聞こえたのは彼女の焦った声。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、こんな大事な事をそんな簡単に決めないで」

「何でだよ。やってみなきゃ分からねーならやってみるしかねーだろ」

「……ランス。あなたは自分がどういう改造を受けるのか、その意味を理解していないようね」

「なに? そりゃどういう意味だ」

 

 当然そんな意味など理解しておらず、身体を起こしてそう尋ねるランスの一方。

 その意味を理解しているワーグは真剣な表情で──本当に真剣な表情で答える。

 

「いい? もし仮にこの改造が成功した場合……ランスは眠らない人間となるのよ」

「あぁそうだ、何か問題があるのか? 眠らない人間になっちまえば間違い無しだ、いよいよお前とセックスが出来るではないか」

「……かもしれないわね。けれど、その行為が終わった後……あなたはどうするの?」

「どうするって?」

「だってその時のあなたはもう眠る事が出来ない人間になっているのよ? そして眠っていない相手には私の夢操作能力を使う事が出来ない……この意味が本当に分からない?」

「……あー。つー事は……そうなるともう元には戻せないって事か」

 

 つまり今回の改造だけは不可逆。仮に成功したらそれが最後、二度と元の状態には戻れない。

 脳の機能を改変して睡眠という行為を出来なくしてしまう以上、必然的にそうなってしまう。夢を見ない相手には夢操作能力は使えないのだ。

 

「……ランス、やっぱりこの改造に手を出すのだけは止めましょう。二度と眠られなくなってしまうなんてさすがに度が過ぎているわ」

 

 睡眠とは人間にとっての三大欲求の一つ。一時の性欲の発散の為にと、今後の人生全ての睡眠欲を捨ててしまうのは割に合わなすぎる。

 ワーグの忠告はそう考えての事、誰よりも大切な友達の事を考えての言葉だったのだが。 

 

「……んー、まぁそれでもいいや。とにかく試してくれ」

 

 ランスは本当に呆気なくそう告げた。

 

「ちょっとランスっ! もっと真剣に考えて──」

「考えたっつの。お前の言いたい事は分かるぞ、確かにこの先二度と眠れないっつーのはちとツラいかもな。ポカポカ天気の中で昼寝をするのは気持ちいいし、それこそセックスし終わった後なんてのはそのままぐっすり眠るのが最高だしな」

「だったら……!」

「けどな。俺様はそんな事よりもお前を抱きたい。その為なら別に眠れなくなっても構わん」

「……な」

 

 その並々ならぬ覚悟にワーグは絶句してしまう。

 ただエロい事がしたい。その男の頭にあるのはそれだけの低俗な思考。

 だがその為ならば今後の人生全ての睡眠をも捨ててしまえる覚悟。それはただエロいだけの人間に持てるような覚悟では無く。

 

「ランス、あなたはそこまで……そんなに、そんなに私と……エッチな事がしたいの?」

「したい。どーしてもしたい」

「……もう二度と眠れないのよ。本当にそうなっても良いの?」

「あぁいいぞ。つーかそうなったら夜通しセックス出来てむしろラッキーかもな、がははは!」

 

 そして遂には明るく笑い飛ばしてしまう程で。

 

「……そう。分かったわ」

 

 その心意気を、自分との性交に懸ける桁外れの熱意を知ったワーグは頷くしかなかった。

 

「けれどさっきも言ったけど、この改造が出来るかどうかはまだ分からないから。もし駄目だったとしても文句は言わないでよね」

「大丈夫だ、お前なら出来るから自信を持て」

「……そうね。じゃあランス、横になって」

「おう」

 

 ランスは身体を寝かせて三度ベッドに横になる。

 

「うし、んじゃ頼むな」

「……何だか気軽なものね。これが人生最後の睡眠になるかもしれないのよ? もっとちゃんと味わった方がいいと思うけど」

「ふふん、人生最後の睡眠よりもな、起きた後にお前とセックスする事の方が楽しみなのだよ。さぁワーグ、とっとと寝かせてくれ」

「……うん」

 

 そして彼女の手が伸びてくる。

 そこから香る甘い匂い、漂ってくる強烈な眠気にその瞼はすぐに重くなってきて。

 

「……おやすみ、ランス……」

「……ぐがー、すぴー」

 

 耳元で聞こえた優しい声を最後に、ランスは呆気なく眠りに落ちた。

 

 

「さて……と」

 

 そうして魔人ワーグは夢操作能力を行使する。

 

「………………」

 

 けれどもその手は小さく震えていて。

 

「…………っ」

 

 遂にはぎゅっと目を瞑って。

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 そして、小一時間が経った後。

 

「……あー、今日はよう寝たな、ほんとに」

 

 目覚めたランスはむくりとその身体を起こす。

 

「……おはよう、ランス」

「おぉワーグ、改造は出来たのか?」

 

 脳の機能を改変する改造は成功したのか。自分は遂にこの魔人を抱ける男になったのか。ランスがその目に期待を込めながら尋ねてみると、

 

「……ううん。ごめん、出来なかった」

 

 ワーグは悲しそうな表情で首を横に振った。

 

「ぬ、出来なかっただと?」

「……うん」

「……そうか。やっぱそんな大それた改造は出来ないのか。となると他の方法は……」

「……違う、そうじゃないの」

 

 再度、その顔を力無く揺すって。

 

「そうじゃなくて……試す事が出来なかったの」

「なんだと?」

「……だって、もしこの改造が成功しちゃったらと思うと……怖くて……」

 

 それはもしかしたら可能だったかもしれない。

 ランスの脳から睡眠という機能を外し、自分の睡眠体質に勝てる存在に出来たかもしれない。

 だが今のワーグにはそれを試す事さえ、その可能性を覗き見る事すらも出来なかった。

 

「おい、試す事が出来なかったとはなんだ。今まではちゃんと出来ていただろう」

 

 これでは自分が何の為に眠ったのか分からない。

 ランスはムッとした視線を投げるが、それでもワーグは辛そうな表情をするばかりで。

 

「……だって今回は今までと違う。あなたがもう眠れなくなっちゃうじゃない。そんな事……」

「あのなぁワーグ、当の本人が構わねーっつってんだからお前が気にするような事じゃねーだろ」

「……それでも無理。私には出来ない」

「出来ないじゃない、やれ。とりあえず俺様はもっかい寝るから──」

 

 次はちゃんとやれよ。

 と、そう呟きかけた声を遮るように。

 

「出来ないっ!」

 

 ワーグの感極まったような叫びが響いた。

 

「そんな事出来ない! ランスがもう二度と眠れなくなってしまう夢操作なんて、そんなの私に出来る訳がないでしょう!?」

「……どうしてもそうして欲しいって、この俺自身がこれだけ頼んでもか」

「そうよ! どんなに頼まれたって出来ないっ! だって、そんなの……そんな……」

 

 そして遂にはその思いが、堪えきれない感情が心の中から溢れてしまったのか。

 

「……どうして、どうしてそんな、そんな意地悪な事言うのよ……」

「お、おい、ワーグ……」

 

 動揺するランスの目の先、ワーグの頬をすっと伝う涙。

 それは一筋流れた後、堰を切ったようにぽろぽろと溢れ出す。

 

「そんな事……あなたにそんな事、わたしに出来る訳ないじゃない……」

 

 それは初めて出来た友達。自分の睡眠体質や夢操作の事を知ってもそばに居てくれる得難き人。

 自分を抱きたいという望み、そんな恥ずかしい望みを叶えてあげたいとまで思う人なのに。いや、そんな人だからこそ、甚大な悪影響を及ぼす夢操作を行う事など出来るはずが無くて。

 

「わた、わたしだってっ! ……わたしだって……ランスと触れ合いたいのに……」

「え……」

「けど、そんな事出来るわけない……だって、大切な人なのに……そんなの……」

「………………」

 

 その胸の奥から出た本音。その痛切な言葉にランスも言葉を失う。

 そう望んでいるのは自分の方だけだと思っていたのだが、けれどもそれは違った。

 程度の差こそあれ、触れ合いたいと思う気持ちはお互いにあるもの。ワーグの方も初めて出来た友達の事を強く想って、今よりももっと深い仲になりたいと望んでいた。

 

「……ぐすっ、ひっく……」

 

 今もランスの前にはその魔人が、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくるワーグが居る。

 好きな人に対して夢操作を行う事も、好きな人と触れ合う事も出来ない魔人が。

 

「ぬ、ぬぬぬ……!」

 

 それは未だ自分が抱いた事の無い相手。今自分が一番抱きたいと思っている相手。

 そして相手もそれを望んでいる。それなのに自身の体質が邪魔をして触れ合う事が出来ず、こうしてその瞳から涙を流している。

 ランスにとって、これ以上に見たくない女性の涙などは無い。

 

「だーもうっ!」

 

 もはやどうしていいか分からず、勢いのままにその華奢な身体を抱き締めた。

 

「らん、す……」

「……く、ぬぅ……!」

 

 だがそうするとすぐに伝わってくる甘い香り。

 脳の奥を強烈に揺らし、あらゆる生物を拒絶する圧倒的な眠気。

 

「ぐ、にに、に……!」

 

 力の限りを振り絞って堪らえてみても、どうしても瞼が落ちてきてしまう。

 自分とワーグの間に立ち塞がる睡魔の壁。勢いや我慢などでは決して打ち破れないもの。

 

 これを越えない限り彼女の涙は止まらない。

 ここでその涙を拭ってあげた所で、彼女の心の痛みが無くなる訳ではない。

 

「……ワーグ、もう泣くな!!」

 

 故にランスは抱擁を解いて、彼女のそばから一旦離れた。

 

「俺様が何とかしてやる、こんな眠気なんぞすぐにどうにかしてやっからもう泣くな!!」

「……どうにかって……どうやって?」

「知らん! けど絶対にだ、絶対にどうにかしてやっから少しだけ待ってろ! あと一週間……いや、あと三日以内に必ずお前を抱いてやる!!」

 

 そうして宣言した言葉。

 それは絶対に反故には出来ない約束、男としての甲斐性を見せる何よりも大事な誓い。

 

「いいなワーグ、後三日の辛抱だからな! ちゃんとセックスする準備を万全にしておけよ!」

 

 未だ手を出せない、どうしても抱く事の出来ない魔人ワーグを抱く方法。

 何処に有るかも分からぬそれを探しに、ランスは駆け足で玄関から飛び出していった。

 

 

 

 

 

 


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