ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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ホーネットの秘策②

 

 

 

 

 

「……およそ千年前、この地に魔王城を建てた当時の魔王……その男は剣術と魔術に精通する卓越した戦士だったそうです」

 

 第6代魔王ガイ。元々は人間、魔族の討伐を目標に掲げて魔王ジルと戦った男。

 その後ジルの手によって魔人とされたが、最終的にはジルを封印して自らが魔王となった男。

 その歴史が示す通り、ガイは人間でありながら魔王と戦える程の力を有していた。その一端が剣LV2の才能、そしてそれをも越える魔法の才能。

 

「特にその男は魔術に関しては並外れた才能を有していたそうで、通常の魔法を越えた魔法──いわゆる『禁呪』と呼ばれる魔法を自在に扱う事が出来たそうです」

 

 それが禁呪。人間だった頃のガイが魔王ジルを追い詰めるに至った秘術。

 そしてワーグの強烈な眠気への対処法として、つい先程ホーネットが思い付いた方法。

 

「なるほど。つまりそれが……」

「えぇ、それがこの部屋に残されているもの。……ほら、あれです」

 

 ホーネットは部屋の奥の方に目を向け、そこにある本棚へと近づいていく。

 それは本棚と言っても本自体はとても少なく、僅か十冊程度の本だけが並んでいた。

 

「ここにある本はその魔王が書いたもの。長き時を生きる魔王が手慰みにと、自身の扱える禁呪や扱う事の出来ない禁呪も含め、持ち得る知識の全てを書き記したものだそうです」

「ほー、いってみりゃ禁呪の書かれた魔導書ってところか。こりゃ確かに珍しい……志津香とかマジックとかに見せたら喜びそうだな」

 

 ランスがしげしげとそれを眺めると、隣に立つホーネットも少し目を細める。

 それはランスには勿論、ホーネットにとっても未知なるもの。生前のガイに「みだりに手を出してはならない」と忠告され、その言い付けを頑なに守ってきた彼女はその本に触れた事すら無い。

 その言付けがあったからこそホーネットはこの本の存在を教える事にあれだけ悩み、そうと決めた今でも胸の中では罪悪感が渦巻いていた。

 

「この本のどっかにワーグを抱く方法が書いてあるかもしれないってんだな?」

「えぇ。禁呪とは通常の魔法を越えるものだと聞きます。ですから魔法では手の打ちようが無いワーグの体質も禁呪ならば何か手があるのではと思ったのです」

「つーかよ、通常の魔法と禁呪ってぶっちゃけ何が違うのだ?」

「……私も禁呪には詳しくないので確かな事は言えませんが……通常の魔法より強力な魔法、それが禁呪である事は間違いありません」

 

 一口に禁呪と言っても様々なものがあるが、それらも大きな括りでは魔法に分類される。

 しかし単に強力なだけの魔法が禁呪と呼ばれる訳では無い。例えば破壊光線と呼ばれる魔法──それこそ黒色破壊光線であってもそれはあくまで魔法であり、魔法の域を越えて禁呪と呼ばれる事は無い。

 

「ですが禁呪が禁呪と呼ばれるのにはそう呼ばれるだけの理由があります。世にある多くの禁呪はその強力さ故、術者に副作用を及ぼすと聞きます」

「副作用?」

「えぇ。それが如何なる副作用かは禁呪によって異なるそうですが……一般的には強力な禁呪であればある程、その副作用も重くなるそうです。ですから仮にワーグの眠気に対抗出来る禁呪があったとしても、それが使用可能な禁呪かどうかはまた別の話になってしまうのですが……」

 

 禁呪が齎す副作用は様々、中には対価として術者の命を要求するようなものまである。

 強大な力には相応のリスクが付いて回るもの、その危険さ故に呪えるのを禁じられた魔法。だから禁呪は禁呪と呼ばれるのである。

 

「……なるほど、副作用か。んじゃあワーグの眠気に対抗出来そうな禁呪があって、その副作用が大した事なかったとしたら、その時はお前がその禁呪を使ってくれるって事でいいんだな?」

「……えぇ、まぁ。あくまで私に扱える程度の禁呪であれば、ですが。副作用の事もありますが、そもそも私の魔法の才で扱えるものなのかという問題もありますからね」

 

 多くの禁呪を操り魔王ジルと戦った男、ガイ。彼が人間だった頃の魔法LVは3であり、だからこそそんな並外れた真似が可能だったとも言える。

 しかしホーネットの魔法LVは2である為、この本の中に書かれた禁呪の全てを彼女が扱えるとは限らない。

 

 そもそもあるかどうかも分からない。

 そしてあったとしても副作用の問題、そして才能の問題で使用可能かどうかも分からない。

 そんな不確定要素の多すぎる話であるが故、禁呪の事を教えるべきかどうか悩んでいたという面もあったのだが、そんなホーネットの一方ランスはとても前向きというか、楽観的な性格で。

 

「ま、ここであーだこーだ言ってもしょうがない。とにかく肝心の禁呪を見つけてからだ」

「それもそうですね。では手分けして探してみましょう」

 

 という事で捜索開始。

 二人は本棚からそれぞれ一冊、魔王ガイの残した禁呪の書を手にとって開く。

 

「ランス。念の為に言っておきますがこれはとても貴重な本です。くれぐれも大切に扱うように」

「分かってるっつの。……どれどれっと……うわ、わけ分からん呪文が一杯書いてあるな」

 

 それは禁呪の書かれた書というだけあって難解な魔術用語が並んでおり、魔法に詳しくない者にとっては大半が意味不明な内容。

 ランスはどうにか理解出来る文字だけ拾って、その表面的な概要だけでも読み解いてみる。

 

「えっとこれは……『封印の禁呪 相手をコンクリートの中に封印する』……か。……あれ? これなーんか聞いた事あるような……」

「私には聞き覚えがありませんが……人間の世界では知られている禁呪なのですか?」

「……いや、多分気のせいだな。んでこっちのこれは……『禁呪 ハニワ殺し』だと。……え、これマジか、魔法でハニワをやっつけられんのかよ」

「ハニー種を倒す魔法ですか……確かにそれは驚きの禁呪ですね」

 

 魔法に対して完全なる耐性を有し、魔法使いの天敵とも呼ばれるハニー。

 そんなハニーにダメージを与えられるとしたら画期的な魔法であるが、とはいえそれは禁呪。ウマい話には往々にして裏があるもので。

 

「うーむ、禁呪恐るべし。で副作用は……げっ! 『身体がハニワ臭くなる』だって! キッツい副作用だなこりゃ……てかそうなるとこの本を書いた魔王は身体がハニワ臭かったって事か」

「っ、そんなはずはありません。おそらくその禁呪は書き記しただけで使ってはいないか、その副作用は永続的なものではないのでしょう」

「あん? お前、その魔王の事知ってんのか?」

「……あ、いえ……その、ただそんな気がしただけです。他意はありません」

 

 父の名誉を守る為にと、気持ち強めの声で反論したホーネット。

 だがランスの指摘でふと我に返ったのか、すぐにその顔を手元にある本へと戻す。

 

「ワーグの眠気に耐えるような禁呪となると……彼女の力を封じるような禁呪か、あるいはその力を寄せ付けないような禁呪があれば良いのですが……中々見つかりませんね」

「だがここにある本のどっかに必ずそんな禁呪が書いてあるはずだ。つーかここに無いともう本当に魔人になるしかなくなってしまうぞ」

「……諦める。という選択肢は……」

「無い」

「でしょうね。聞いてみただけです」

 

 1ページ目を通しては次のページ、捲っては捲っての繰り返し、全て読み終わったら次の本へ。

 次第に無言となった部屋の中、ランスとホーネットの二人はしばしそんな作業に没頭する。

 するとやがて禁呪という魔法がどういうものなのか、その輪郭が朧げながらに見えてくる。

 

(こうしてみると……やはり攻撃魔法に分類されるものが多いようですね)

 

 それは人間だったの頃のガイが魔族と戦う為に用いた禁呪が多いからか、その本の中には相手にダメージを与える禁呪が──既存の攻撃魔法を越える破壊力を有する禁呪が数多く記されている。

 そして攻撃魔法に分類される禁呪はその強力さ故か、必ずと言っていい程に副作用の問題が付いて回る。その破壊力に比例して副作用も重篤なものとなり、一度使用しただけで精神が崩壊してしまうような危険な禁呪だらけで。

 

(……成る程。父がみだりに触れるなと私に命じた理由がよく分かりますね)

 

 仮にその忠告を受けていなかった場合、もっと早くこの本に手を出していたかもしれない。数年に及ぶ派閥戦争の苦境の中、この本の存在に頼ってしまっていたかもしれない。

 しかしこうした禁呪によって戦況を打開出来たとしても、あくまでそれは一時的な話。むしろそれで自分が理性を失ってしまったら元も子もない。

 父がこの本を自分から遠ざけたのは自分の身を案じたが為、それがあの父なりの愛情だと思うと胸が温かくなるような思いだった。

 

(……とはいえ今はこの本に頼るしかありません。攻撃魔法の禁呪ではワーグの眠気を打開するのは難しそうですし、もっと別の……)

 

 探しているのはダメージを与える禁呪ではなく、もっと特殊な効力を及ぼすような禁呪の存在。

 ホーネットは手に持っていた一冊を閉じ、本棚に残る新たな一冊を手に取った。

 

(この本は……どうやら回復魔法に分類される禁呪を集めた本のようですね)

 

 その本は回復魔法、つまり神魔法に分類される禁呪を纏めた一冊。

 その表紙を開きながら、しかしホーネットは内心少し首を傾げる。

 

(……けれど神魔法の禁呪、ですか。……確か父は神魔法を使えなかったはず……)

 

 自分の記憶が正しければ父親──魔王ガイは神魔法の才を有してはいなかった。

 だとしたらガイ自身にはここに書かれた禁呪は使えないという事になる。となるとこの一冊はただ知識として知り得ていたものを書き残したという事だろうか。

 

(……あるいは、もしやこの本は……)

 

 父とは違い神魔法の才を有する自分の為、魔王ガイが我が子の為に残したものかもしれない。

 もはやその意図を確認する術も無いが、仮にそうだとしたら率直に言ってとても嬉しい。

 とそんな事を考えながら、ページを捲っていたホーネットの目がある箇所で止まった。

 

(これは……状態回復の禁呪、でしょうか)

 

 神魔法の一つに『状態回復』という魔法がある。

 毒や麻痺など、その身に受けた異常な状態を回復する魔法、その名の通りの魔法である。

 どうやらこれはその状態回復の魔法を禁呪の域まで高めたものらしく、全ての状態異常を回復するのは勿論の事、更にその後一定期間あらゆる状態異常を無効化する事が出来るようだ。 

 

(ワーグの眠気……あれは異常な眠気と捉えれば状態異常と言えるはずです。だとしたらこの禁呪をランスに使用すれば防げるのでは……)

 

 これは単なる魔法ではなく禁呪。魔王をも追い詰める秘術であれば魔人の能力にも有効なはず。

 更には格上となる魔人筆頭が、ワーグよりも遥かにレベルの高い自分が使用する禁呪であれば。

 そこに光明が見えた気がしたホーネットはすぐに次のページに目を通す。

 

(……この呪文は……そうですね、この程度であれば私にも使用可能でしょう)

 

 状態回復の禁呪は禁呪ではあるものの、その効果と言えば使用後2,3日の間状態異常を無効化するだけのもの。

 言ってしまえばそれだけの禁呪で、禁呪の中では程度の低い位置付けらしく、神魔法LV2もあれば問題無く使用可能な代物で。

 

(……となると残る問題はやはり副作用ですが……しかしこの程度の禁呪であれば……)

 

 強力な禁呪であればその分副作用も重くなる。

 その例に沿って考えると、この状態回復の禁呪の副作用は然程のものでは無いはず。

 ホーネットはそんな事を考えながら、次のページを捲って──

 

 

「──あ」

 

 即座にパタン、と本を閉じた。

 

 

「ん? ホーネット?」

「………………」

「おい、どうしたんだよ」

「………………」

 

 すると彼女は「……ふぅ」と息を吐いて。

 

「……どうやらワーグの能力に対抗可能な禁呪というのは無さそうですね。日も落ちて来ましたしそろそろ戻りましょうか」

「あぁ、そーだな。ところでホーネット、今お前が手に持っているその本をちょいと貸してくれ」

 

 すでに感づいていたらしく、ランスはパッと手を前に差し出す。

 するとホーネットは嫌そうな──本当に嫌そうな目をそちらに向けた。

 

「……別に大した事は書いていませんよ」

「いーからよこせ」

「………………」

「よこせ」

「……どうぞ」

 

 ホーネットは渋々と──本当に渋々ながらといった感じでその本を手渡す。

 

「で、何ページだ」

「………………」

「何ページだ?」

「……ちょうど真ん中ら辺です」

「んー、どれどれ……ヒーリングの禁呪……これは違うな……状態回復の禁呪……あ、これか?」

 

 そしてランスの目もそこに止まる。

 

「……ふむふむ、一定時間状態異常を防げるのか。……あーなるほど、そう考えると確かに睡眠も状態異常だな……おぉ! ホーネット、これマジでいけそうじゃねぇかよ!」

「……そうですかね」

「そうだとも! これなら絶対にワーグとセックス出来るぞ! ……んで副作用はっと……」

 

 先程ホーネットが目に入れた内容、そして即座に本を閉じる事となった内容。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

 

 

『状態回復の禁呪の副作用──術者が一定時間、とてもエッチな気分になってしまう』

 

 

「………………」

 

 その文字を目にしたランスは、先程の彼女と同じようにその本をパタン、と閉じて。

 

「……うし。ホーネットよ」

「嫌です」

 

 即答だった。

 

「おい、まだ何も言ってないぞ」

「聞かなくても分かります。その禁呪を自分に掛けて欲しいというのでしょう? あえてもう一度言いますが、嫌です」

 

 ホーネットははっきりと、それはもうきっぱりとNOを突き付ける。

 

「話が違うじゃねぇか。使えそうな禁呪があったらお前が使ってくれるって約束だったろ」

「ですからそれは私には使えない禁呪です。誰か他の者に……シィルさんにでも頼んで下さい。彼女もヒーラーだったはずでしょう」

「いーや、あいつじゃ駄目だ。へっぽこなシィルじゃこんな高度な魔法は使えん」

 

 もし仮にシィルが使えたとしても、それでもこの禁呪はこの魔人にこそ使って欲しい。

 ランスはそう考えていた、その考えしかもう頭に無かった。

 

「ここにはセルさんもクルックーも居ないし、この禁呪を使えるのはお前しか居ないのだ。頼むホーネット、俺様の夢を叶えてくれ」

「……分かりました。ではランス、すぐに魔血魂を持ってくるので魔人となって下さい。それでワーグを抱けるはずです」

「おいっ! さっきと言ってる事変わってるぞ! そんな禁呪があると分かった以上もう魔人化はパスだ、お前がそれを使ってくれるだけで問題は全部解決するんだからな」

「ですから私は嫌です」

「あのなぁ! 期待だけさせて肝心の禁呪は使ってくれないなんてあまりにもヒドいぞ! ホーネットのケチー! おにー!!」

 

 ランスはまるで駄々っ子のように喚き立てるが、しかしホーネットからしたらこちらの方が泣きたい気分である。

 尊敬するあの父の字で「エッチな気分になる」なんて文字など目にしたくなかった。当時の父がどんな思いでそれを書いたのか、想像するだけで悲しさが押し寄せてくる。

 

「話が違うぞー! お前が使ってくれるって約束だったじゃねーかよー!」

「ですからそれは……」

「ホーネット、お前は俺様との約束を破るのか? たかがエッチな気分になる程度だろ? その程度でホーネット派の主は……魔人筆頭は約束を破っちまうようなヤツなのか?」

「っ、……」

 

 ランスの言は的確にその急所を貫き、ホーネットはぐっと奥歯を噛み締める。

 確かにそれは自分が宣言した事。そしてその副作用だってその程度と言えばその程度のもので。

 その程度を理由に約束を違える事など出来ない。特にこの部屋で──亡き父が見ているかもしれないこの場所でそんな不誠実な真似は出来ない。

 

「……そうですね。分かりました、私が責任を持ってその禁呪を使用しましょう」

 

 故にホーネットは覚悟を決めた。

 

「やったー! これでワーグを抱けるし、何よりエッチな気分になったホーネットも──」

「ですが条件があります」

「……ぬ、条件?」

「えぇ」

 

 さりとて覚悟を決めても譲れないものが──譲ってはいけない一線というものが存在する。

 故に彼女は条件を付ける事にした。でないととてもそんな禁呪など使える気がしなかった。

 

「簡単な事です。その禁呪を使用した時、術者の私は……少し良からぬ事になるというか、取り乱すような事があるかもしれません」

「あぁ、だからエッチな気分になるんだろ?」

「……仮にそのような状態となった場合、その時の私には指一本触れないように。それがこの禁呪を使用する条件です」

「……え、触っちゃダメなん?」

 

 ランスは呆気にとられたように呟く。

 すでに内心ではホーネットと、禁呪を使用してエッチな気分になったホーネットとセックスする気満々だったので、これではぬか喜びもいい所。

 だがそんな腹積もりなど、術者となる彼女にとっては知った事ではない話で。 

 

「ランス。貴方はワーグを抱く為にこの禁呪を探し求めたのでしょう。だとしたらその過程で私に触れる必要など無いはずです、違いますか?」

「そりゃそうだけど……」

「貴方がこの約束を守ると言うなら、私も貴方との約束を守ってこの禁呪を行使します。私に約束を守れとあれ程に言うのです、ならば貴方も私との約束を守るのが対等というものでしょう」

「……むむむ」

 

 その言い分は筋が通っており、ランスには反論の言葉が思い付かない。

 確かに今はワーグの問題を解決するのが先決。エッチな気分になったホーネットとの一戦は是が非でも叶えたい所だが、それで本筋を見失ってしまっては本末転倒というもの。

 

「……分かった。その条件を飲んでやろう」

「本当ですね?」

「あぁ、今回はお前には手を出さん。約束する」

「……分かりました。ではランス、私の正面に立って下さい」

 

 ホーネットはランスから禁呪の本を受け取り、該当するページを開いたまま片手を前に出す。

 

「……いきます」

「おう、どんとこい」

「では。……──」

 

 その口が滑らかに呪文を唱え始める。

 するとその手の先には白い光が灯っていく。その光は大きく広がってランスの全身を包み込み、その身体の中へ溶け込むように薄れていって。

 

「──終わりました」

 

 そして状態回復の禁呪が完成した。

 ホーネットがその腕を下ろすと、ランスは自分の身体を不思議そうに観察する。 

 

「ほぉ、これが禁呪か……。あんまし変わった気はしねーけど、これで俺様は一定時間状態異常にならなくなったって事なのか?」

「えぇ、そのはずです。これであの眠気も──」

 

 その時、それは急激にやってきた。

 

「──ッッ!?」

 

 突然身体が震えだす。

 ホーネットは自身を抱くように二の腕を押さえ、自然とその身体をくの字に曲げる。

 

(これ、は──!!)

 

 身体が燃えるように熱くなる。頭の奥が溶けるように熱くなる。

 そして何より下腹部が熱い。熱いなにかが沸々と湧き上がってくるのを感じる。

 

(これ、が、禁呪を使用した副作用……!?)

 

 全てが熱くて堪らないのに、肌は粟立つかのように小刻みに震える。

 性交の最中と近似した感覚の中、赤らんだ顔で荒い呼吸を繰り返す、そんな今のホーネットの姿はとても扇情的な色気に溢れていて。

 

「……おぉ、なんかホーネットが一気にエロい感じに……!」

「……ら、んす……」

 

 思わずランスがそう呟くと、彼女の意識も自然とそちらへと向いてしまう。

 

「あ……」

 

 目の前にいる相手。その目付き、あるいはその輪郭、喉仏、そして胸板。

 男を感じさせる箇所を見る度、ドクンドクンと音を立てて欲情の鼓動が暴れる。

 

(ランス、が……そこに……)

 

 好きな人が、愛しい人がそこにいる。

 抱きつきたい。キスしたい。触れられたい。貫かれたい。めちゃくちゃにされたい。

 頭の中がそんな思考だけに支配され、勝手に伸びていくその右手を──

 

「……くっ」

 

 ホーネットは歯を食いしばり、鋼の自制心を発揮して何とか押し止めた。

 無限に湧き上がってくるような情欲を必死に抑えながら、息も絶え絶えにその口を開く。

 

「……ランス、どうしたの……ですか? 禁呪は掛け終わった事ですし、貴方は、早く……」

「おう、勿論ワーグの所には行くぞ。ただその前にこっちも味わっておかんとな」

 

 決して触れてはいけない。その約束をあっという間に破って、ランスはホーネットの肩を掴む。

 それだけで彼女はふらっと体勢を崩し、大きな執務机の上に押し倒される格好となった。

 

「な、ランス、約束が──」

「がははは、こんな据え膳を前に手を出さない男はホモだけだ。そして俺様はホモでは無い、という事でっと……」

「止め──んんっ!」

 

 抵抗虚しく胸を鷲掴みにされ、それだけで普段の何倍もの快感が身体中を駆け巡る。

 

(あ、駄目……!)

 

 それが火種となったのか、熱くなった全身で燻っていた情欲が一気に弾ける。

 今すぐ性交がしたい。その本能のまま、身体が勝手に愛しい相手を迎え入れようとする。

 

「──くぅっ!」

 

 だが再度驚異的な自制心を発揮し、ホーネットは自分の上に乗るランスを両手で押し返した。

 

「……離れ、て……!」

「ぐにに、おいホーネット、ここまできて無駄な抵抗すんなって」

「だ、め……!」

「くの……!」

 

 無理やり迫ろうとするランス、その逆に何とかして遠ざけようとするホーネット。

 そんな押し合いへし合いの攻防の中。

 

「……って、え……」

 

 ランスが目にしてしまったもの。

 瞳をぎゅっと閉じたホーネットの目尻、そこからすっと流れる透明色の水滴。

 

「……な、お前まさか泣いてんのか!?」

 

 ホーネットは泣いていた。

 両の瞳からはらはらと、大粒の涙を流していた。

 

「え、う、そ、そんなにするのが嫌なのか!?」

 

 まさか泣くとは。他の誰かならともかくこの魔人が泣くとは。

 そんなに自分とのセックスが嫌なのかと、動揺しきったランスの目の前、ホーネットは辛そうな表情のまま首を左右に振って。

 

「ランス……だめ……ここでは、だめ……!」

「え?」

「わたしの……部屋に、戻って……お願い……!」

 

 そこは父の思い出が残る場所。彼女にとって一番大切な場所。

 ここで性交を行う事だけは、淫らな姿を見せる事だけはしたくない。

 ホーネットのそんな切なる思いは、幸いにして相手にもちゃんと届いたらしく。

 

「わ、わわ、分かった! お前の部屋に戻ればいいんだな!?」

 

 ランスはホーネットの事を抱き上げると、大慌てで部屋を飛び出していく。

 ものの数秒でホーネットの自室に到達し、寝室のドアをバタンと開く。

 

「どうだホーネット、ここでなら──んぐっ」

 

 するともう限界だと言うかのように、その唇がホーネットの唇で塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その後。

 二人の戦いに一応の決着が付いた頃。

 

「……俺様は思うのだがな、何故人はエロい事をするのを恥ずかしがるのだろうな」

「………………」

 

 生まれたままの姿でベッドに横たわる男と女。

 方やこの部屋の主、魔人筆頭。

 

「ほれ、食う事と寝る事とセックスする事が人間のなんたらかんたらって言うだろ? でも食う事寝る事を恥ずかしがるヤツなんていないだろう」

「………………」

「だからエロい事だって同じなはずだ。飯を食いたい事、眠たい事は当たり前にあるんだから、エッチな気分になる事だって当たり前の事なはずだ」

「………………」

「そう、だから当たり前の事を恥ずかしがる必要など無いのだ。エッチな気分になる事は何もおかしな事では無いし、何も悪い事では無い。そう思わんか? そう思うだろ?」

「………………」

「だから……その……なんだ、ホーネット……そろそろ機嫌直せって」

 

 そしてもう片方、ランスは今必死に弁明を繰り返していた。

 

「………………」

 

 だがそれにも効果が薄いようで、ホーネットは相変わらず無言の抗議中。

 どうやら副作用の効果は切れたらしく、すでに元の落ち着いた様子へと戻っているのだが、しかしその眉間には深い皺が寄ったままで。

 

「まぁ確かに、確かにな。確かに副作用の影響でエッチな気分になったお前は見ものというか、普段の姿と違っていて新鮮だったってのはある。その姿にとても興奮したってのは認めよう」

「………………」

「けどそんなのはほんの一時の話な訳だし、んな引きずるような事じゃないだろう。あれがお前の素だってんならともかく、禁呪を使った影響だって事は俺様だって分かってるし」

「………………」

「それにぶっちゃけた話をするとな、あの程度の乱れ方だったら普通な方だと思うぞ? それこそシルキィちゃんなんて普段からもっと凄いし」

「………………」

「だからこれは全然大した話ではない。俺様も気にしないし、お前も変に気にする必要は無い。なのでそんなに怒るのはもう止めて、全部水に流そうではないか、ホーネットよ」

 

 な? と同意を求めるように呟き、ランスはホーネットの肩を抱く。

 だがその言い分は彼女からすると少しズレた言い訳というか、むしろ逆にこちらのフラストレーションを煽ってくるようなもので。

 

「……ランス。貴方は勘違いしていますが、私は別に怒っている訳ではありません」

「ウソつけ、怒ってんだろーよ」

「本当です。決して怒ってなどいません」

 

 ホーネットは嫌々ながらといった感じでその口を開き、ランスの勘違いを訂正する。

 

「私はただ……貴方が私との約束を守らなかった事。その事に対して失望しているだけです」

「し、失望ってそんな大袈裟な……」

「私は貴方との約束を守りあの禁呪を使いました。正直なところ反故にしたいとも思いましたが、けれども私にとって貴方は大事な人です、そんな貴方に対し不誠実な真似は出来ないと思いました」

「………………」

「しかし貴方は私との約束を破った。貴方にとっては私など口約束一つ守る必要の無い相手、その程度の相手だと思われていた事に……私は今大いに失望を感じているのです」

「……ぬ」

 

 あの約束を破った事、手を出さないという誓いに反して性行為を行った事。

 こうしてつらつらと己が罪状を述べられると、さすがのランスも唸ってしまう。

 本人は否定こそしているものの、しかしこの様子を見れば明らか。どうやら想像以上に──かなりホーネットは怒っているらしい。

 

「……確かに俺様は約束を破った。けどな、あんなエロエロなお前を前にして俺様が我慢出来るようなヤツだと思うか?」

「……だとしたら、あのような口約束などせねば良かったのです」

「けどあの約束をしなかったらお前は禁呪を使ってくれなかったじゃねぇかよ」

「……だとしたら、やはり貴方は我慢するべきでした。自らの口でそうと約束したのですから」

「ぐぬぬ……」

 

 ホーネットの機嫌は一向に直らず、互いの意見は平行線を辿ったまま。

 実の所ランスにはあの約束を交わした時から守る気などさらさら無く、ホーネットがエッチな気分になったら無理やり押し倒してやろう、なんて事を考えていた訳で。

 だからこれは完全なる自業自得なのだが、にしてもホーネットがここまで怒るとは想定外。このままその怒りを放置しておくと今後のセックスのお誘いにも支障をきたしかねない。

 

「……分かった分かった。ならホーネット、こうしよう。あの約束を破った代わりに別の約束を何でも一つ叶えてやる。それでどうだ?」

「……先程も言いましたが、今の貴方に叶えて欲しい事など別に……」

「何か一つぐれーあるだろーよ。本当にどんな事だって構わねーんだぞ?」

「ですが……そうは言っても貴方の事です、また先程のように約束を破るのではありませんか?」

 

 相当根に持っているのか、ホーネットは横目でちらっと淡白な視線を送ってくる。

 

「破らねーって、今度は本気だ。というか俺様は元々女との約束はしっかり守る男なのだ。たださっきのあれは……あれはエロに関する事だから、それはもうしょうがないというか、あそこで手を出さなかったら俺様が俺様でなくなってしまうのだ」

「……まぁ、それはそうかもしれませんね。このような口約束など無駄ではないかと、私も最初からそんな危惧を抱いていましたから」

「だろ? それが俺様という男なのだ。だから別の約束、エロに関係しないような約束だったらどんな事でも叶えてやっから」

「……分かりました。ではいずれ……もし何かを思い付いたとしたらその時に言う事にします」

「よし。んじゃこれで貸し借り無し、これ以上怒るのはダメだからな」

 

 という事でこの一件はこれにて手打ちに。

 半ば無理やりホーネットの機嫌を直した所で、ランスは気になっていたあの事を聞いてみる。

 

「ところでよ、さっきお前はなんで泣いたのだ?」

「それは……」

「急に泣き出すからびっくりしたんだぞ。あの部屋でセックスするのがそんなに嫌だったのか?」

「……そうですね。今更隠すような事でもありませんね」

 

 元はといえば最初にそれを秘密にした事、それが失敗だったかもかもしれない。

 ホーネットはそのように自省した後、ふぅ、と一息置いてからゆっくりと口を開く。

 

「……あの部屋の主の名はガイ。美樹様の先代に当たる魔王で……私にとっては父となります」

「……え。ちちって……父親って事か?」

「えぇ、そうです」

「……んじゃホーネット、お前はなにか、魔王が作った子供って事なのか?」

「えぇ、そういう事です」

「……マジか。そりゃまたなんつーか……あぁでもそっか、考えてみりゃ魔物界のプリンセスって事は魔王の子か、なるほど……てか前にそんな話を聞いたような聞いてないような……」

 

 魔人ホーネットは魔王の血を引く者。先代魔王ガイの一人娘。

 今まで認識していなかったその事実を知り、ランスは興味深そうにほうほうと頷く。

 

「て事はあれか、お前は父親の部屋でセックスをしたくなかったって事なのか」

「……えぇ、まぁ、そういう事です」

「……ん? いやでも待て、普通そんだけの理由であそこまで泣くか?」

「……悪いですか?」

「悪いっつ-か……そんな理由であんなに泣くって……お前って結構──」

 

 ──ファザコンだったんだなぁホーネットよ。がははははっ!

 みたいな感じで、幼気な部分を見せた魔人筆頭をからかってやろうとランスは思ったのだが。

 しかしどうやらこの部分は彼女にとって相当な地雷原というか、軽々に踏み込んではならない部分だったらしく。

 

「ランス。父に関してあまり妙な事を言うのだけは止めて下さい。私は……私はそんな事で貴方を嫌いになりたくはありません」

「む、……分かった、止めとく」

 

 そのように言われてしまうと、ランスとてそう返すしかなかった。

 

「……ところで、貴方はワーグの元に向かわなくて宜しいのですか?」

「ん? そうだな……俺に掛けたこの禁呪の効果ってどれくらい持つか分かるか?」

「えぇ。父の書いたあの本によると、使用後二日から三日程度は効果が持続するそうです」

「なら明日でいいや。お前とハッスルしすぎてもうすっからかん、今あいつの所に行ってもせっかくの初めてが中途半端な事になりそうだからな。それに何か眠くなってきたし……つー訳で俺様は寝る」

 

 外的要因による異常な眠気ではなく、生理現象としての睡眠は普通に感じるのか。

 ランスはくあー、と大欠伸一つ。そして掴んでいたその肩をぐいっと自分の方に抱き寄せる。

 

「……ここで眠るのですか?」

 

 そうして抱き寄せられた腕の中、ホーネットは身じろぎする事も無く静かに呟く。

 

「おう。部屋に戻るのかったるいし」

「……そうですか。……では、私も」

 

 そうしてランスが瞼を閉じれば、傍らに寄り添うホーネットも瞼を閉じて。

 やがて穏やかな寝息が聞こえてくる。ぴたりと身を寄せ合ったまま眠る二人の姿は、さながら愛し合う恋人のようだった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「……と、いう感じだったのだ」

 

 以上、ランスによる回想話。

 

「まぁそんな訳でな。お前の眠気に打ち勝った方法は禁呪だったという事だ」

「………………」

「本当にホーネットが協力してくれて助かったぜ。あいつが禁呪を使ってくれたおかげでお前を抱く事が出来たのだからな」

「………………」

「だからワーグ、今度あいつにあったら一言ぐらいはお礼を言って……ておい、聞いとるか?」

 

 これまで負けっぱなしだった強烈な眠気、それに打ち勝った方法の種明かし。

 

「…………くっ」

 

 そんな話を聞き終えたワーグは暫しの無言の後、きっとその眉を吊り上げて。

 

「……ねぇ! その話今する必要あった!?」

 

 そして吠えた。

 ワーグは今大層おかんむりであった。

 

「え? いやでも、どうやって自分を抱いたか教えて欲しいっつったのお前じゃねーかよ」

「そうだけどっ! それはそうなんだけど!!」

 

 確かにそう言ったのは事実。手の打ちようが無かった自分の眠気をどうやって打開したのか、それは是が非でも知りたかった。

 しかしそんな方法だとは想定していなかった。いや、この際その方法自体は別に構わない。他ならぬ自分の為にしてくれた事、そこに文句を言うつもりにはならない。ならないのだが。

 

「……けどねぇ! なにもこんな時にそんな話をしなくたっていいでしょう!?」

 

 今この時。自分にとって初体験の直後、ランスと初めて結ばれた直後の事。

 今まさに自分とランスはベッドの中で微睡んでいるのに、そんな折に耳元から聞こえてくる話がよりにもよってそれなのか。

 ドキドキな初体験の直後、他の女性とのあれこれを聞かされるこちらの身にもなって欲しい。

 

「大体なんなの!? さながら愛し合う恋人のようだった~……って! わざわざそんな事を言う必要あるかしら!?」

「え? いや、俺様そんな事言ってない……」

「言ったわよ! 絶対に言った! だって書いてあるもんっ!」

 

 遂には地の文にまで噛み付くワーグは、その後もぷんすかと怒り続けて。

 前日のホーネットと同様、彼女の機嫌を直すのにランスはまた苦労する事になったのだった。

 

 

 

 

 

 


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