そして翌日。
「ふぃー、食った食ったっと」
場所は魔王城の食堂。
朝食を食べ終わったランスがしばし席でまったりしていると。
「……じぃ」
「む?」
ふいに何かの気配を、自らへと向けられている強い視線を感じた。
気になって辺りを見渡してみると、それが居たのは食堂の出入り口付近。
「……じぃ」
「おぉシルキィちゃん、んな所で何してんだ?」
そこにはドアの端からひょこっと顔だけを覗かせている魔人シルキィがいた。
「……あっ」
「って、ありゃ?」
だが互いの目線が重なった途端、その魔人はハッとした様子で顔を引っ込めてしまう。
まるで警戒心の強い小動物、その様子にランスが首を傾げていたのもつかの間。
「……じぃ」
「お」
またすぐに顔をひょっこり覗かせて、先程と同じようにこちらをじっと見つめてくる。
「……じぃ~」
「……どした?」
「じぃ~……」
「あの、シルキィちゃん?」
ランスが不審がるのも気にせずといった感じで、シルキィはただただじぃ~っと見つめてきて。
「じぃぃ~~……」
その赤色の大きな瞳に映るもの。
ランスという男の頭の先から足の先まで、それはもうじっくりと観察をして。
「……じぃぃ~~……」
視線を移動させて今度は自らの左手。
そしてまたじーっと、特に小指の辺りを穴が空きそうな程に凝視した後。
「……いやいや、まさかね」
ぽつりとそんなセリフを呟いた。
「……でも、う~ん……」
だがそれでも気になる。どうしても疑念が払拭されない。
シルキィは再び自らの小指をじっと睨んで、深々と思考に耽り始める。
「おいシルキィちゃん。さっきからどうしたのだ。俺様に何か用か?」
「えっ、あ、ううん。大した事じゃないから気にしないで」
「って言われてもな、そうじっくり見られるとさすがに気になるぞ。大体何故そんな隅っこに隠れているのだ、こっちに来ればいいだろう」
「……それもそうね」
ようやくシルキィはドアの陰から姿を現し、ランスの方にとことこと近付いていくる。
「一体どうした? さっきからずっと俺の事を見ていたようだが」
「……うーん」
シルキィは自らの小指を心底不思議そうに眺めながら、とことこと近付いてきて。
「……ておい、シルキィちゃん?」
「でもなぁ、そんなまさか……」
とことこと近付いてきて。
そのままランスの膝の上に乗っかると、その顔を両手で包み込むようにしっかり押さえた。
「じぃ~……」
「いや、じぃーじゃなくて……」
それは鼻先が触れるような近さ、超至近距離から再びのじー。
何がそんなにも気になるのか、今日のシルキィはひたすらランスの事を観察してくる。
「じぃぃ~~……」
「……あの、近くないか?」
「え、あ、そう? ごめんなさい、私ったら気付かなくって……」
どうやらこれは決してワザとでは無く、今の彼女にとっては素の行動らしい。
近すぎると指摘されるや否やその膝から下りて、二人は今度こそ普通の距離感で顔を合わせる。
「じぃ~……」
「ってやっぱりそれかい。一体何がそんなにも気になるというのだ」
とにかく今日のシルキィは見つめてくる。それはもうじぃ~っと見つめてくる。
昨夜、魔王ガイの事について問い詰めた時はいつもと同じ様子だったというのに、そのすぐ次の日がこれではランスも調子が狂うというもの。
「シルキィちゃん、何かあったのか? きみさっきからものすごく様子がおかしいぞ」
「う、その……何かあったのかって聞かれると……別に何があったって訳じゃ無いんだけど……」
「何もなきゃいきなりそうはならんだろう。……あ、それとも遂に俺様のイケメンフェイスから目が離せなくなったとか?」
「いや、そういう訳でもなくて……うーん、なんて言ったらいいか……」
何をどう説明したらいいのやら、シルキィは難しそうに眉を顰める。
昨日の夜、彼女の身に起きた出来事はまるで雲をつかむような話。まともに受け取る方がおかしいとさえ思えるような話なのだが、それでも何故か気になってしまう、そんな話で。
「……ランスさん、私がおかしな事を言い出したなーって思っても笑わないで聞いてくれる?」
「お? あぁ、そりゃ構わんが」
「……そっか。じゃあ一応話してみようかな」
そうして遂にシルキィはそれを打ち明けた。
昨日の夜、夢の中で見た不思議な話を。
「実はね、私……昨日すごく変な夢を見たの」
「変な夢?」
「そうなの。なんか妙に現実感のある夢で……それで全身真っ黄色のトリが出てきてね、そのトリが言うには『電卓キューブ迷宮』っていう場所に運命の男と一緒に来いって……」
「……ほう! 電卓キューブとな!」
「うん。まぁ私もあれは単なる夢だって分かってはいるんだけど、ただどうしても気になっちゃうっていうか……あの時の感覚は夢だとは思えないっていうか……それに何より私の小指が……」
「ほうほう!」
シルキィが見た妙な夢の内容。黄色いトリ、電卓キューブ迷宮、そして運命の相手。
そんな話を聞いた途端、ランスは嬉しそうな表情になって何度も大きく頷く。
「そっかそっかぁ~……シルキィちゃんがかぁ……これはちょっと意外な人選かもな」
「人選って何の事? もしかしてランスさん、この夢の事について何か知っているの?」
「まぁな。つーか君がさっきから俺の事を見ていたのは運命の相手だと思ったからって事だな?」
「う、べ、別にそういう訳じゃないんだけど……」
完全にそういう訳なのだが、しかしそうとも言えないシルキィは恥ずかしそうに顔を背ける。
「ただなんて言うか、私の近くに居る男の人ってランスさんぐらいしかいないじゃない? だからもしかしたらその可能性もあるのかな~って……」
「うむ、その読みは大正解だ。シルキィちゃんの運命の相手はこのランス様なのだよ」
「え、いやでも運命なんてそんな大げさな事……」
「んじゃ早速電卓キューブ迷宮に行くとするか」
「え?」
という事で。ランスとシルキィは電卓キューブ迷宮にやって来た。
「え?」
──繰り返しになるが、ランスとシルキィは電卓キューブ迷宮にやって来た。
「え?」
「うし、それじゃあ進むぞ。レッツらゴー」
この場所に来るのももう何度目か。
もはや片手では数えられない回数、そんなランスは慣れた様子ですたすたと歩き始める。
「え、ちょっと待ってランスさん、ここって一体どこなの?」
「だから電卓キューブ迷宮だって。ここに来るよう言われていたのだろう?」
「そりゃそうだけど……え、でもじゃああれは夢じゃないって事なの……?」
シルキィはきょろきょろと落ち着かない様子で周囲を眺める。
立方体に立方体が重なる幾何学的な光景が上下左右に広がっており、一見すると迷宮とは思えないような電脳的デザイン。
この世界でもとびっきりに不思議な場所、それがこの電卓キューブ迷宮である。
「え、でも待って待って。私達ついさっきまで魔王城の食堂に居たはずよね? それがいきなりどうしてこんな場所に来ているの?」
「そりゃここが電卓キューブ迷宮だからだ。その辺はあんまし深く考えないほうがいいぞ」
「え、なにそれ待って待って。ていうかどうしてランスさんはそんなに落ち着いているの? これどう考えてもおかしな事が起きているわよね?」
「それはなシルキィちゃん、ここが電卓キューブ迷宮だからだ。もう一度言うがこの迷宮に関してはあんまし深く考えない方がいい。考えたって絶対に分からんからな」
ほんの一分前まで城の食堂でランスをじーっと見つめていたはずなのに。ふと気が付いたらこんな訳の分からない場所に居る。
ここは一体何処なのか。一体どういう理由で、どういう原理で魔王城に居たはずの自分達がこんな場所に飛ばされたのか。
シルキィのそんな疑問は至極最もなのだが、しかし『ここは電卓キューブ迷宮なのである。』それは全ての疑問を丸投げに出来る魔法のキーワード。
「どうやらこの迷宮は自分の運命の相手が判明したら来られる場所らしくてな。俺様も前に何度か来た事があるのだが、その時も気付いたらいつの間にか到着していたって感じだったのだ」
「……運命の相手が判明したら来られる場所?」
「そ。運命の相手と一緒にここに来いって、夢の中でそう言われたんだろう?」
「それは……そう、なんだけど……」
未だ話が飲み込めないのか、呆然とした様子のシルキィは自らの小指を眺める。
そこには昨日までは存在しなかったものが。赤色の糸が結ばれており、反対の糸の先は今もランスの方に向かって伸びている。
今朝方目覚めてすぐに気付いたその変化。小指に結ばれた運命の赤い糸。
(運命の相手……か)
運命。それは人の意思を越え、天の意思の如きものによって定められた自らの巡り合わせ。
つまり運命の相手とは、そうした運命によって自分と結ばれている相手。
(……え、運命の相手?)
今自分とランスが居るこの迷宮、どうやら電卓キューブ迷宮という場所らしいが、ここは運命の相手と一緒でないと来られない場所らしい。
その電卓キューブ迷宮にこうしてランスと来ているという事はつまり、今隣に居るこの男が自分にとっての運命の相手という事になる。
(運命の相手……って、何?)
運命の相手。出会う運命だった相手。自分の運命を握る相手。運命によって決まっている相手。
意味合いは様々だが、いずれにせよ自分にとってランスは運命で結ばれている相手らしい。
──繰り返しになるが、どうやら自分にとってランスは運命で結ばれている相手らしい。
「運命の相手ってなにーーー!?」
「おぉっ、びっくりした」
そんな事を考えたシルキィは唐突に叫んだ。その顔はちょっと泣きそうな表情だった。
「待って待って! だってそんなっ、そんなの、そんなのおかしいわ! おかしいわよね!?」
「いきなり大声出してどうしたシルキィちゃん。一体何がおかしいってんだ」
「だって何で私が!? 何でランスさんと!? 私達そんな関係じゃないでしょう!?」
「いやいや、俺と君はまさにそんな関係だとも。俺様のようなイイ男が運命の相手で良かったじゃないか、がははは!」
ランスが大口を開けて気分良く笑えば、シルキィが「がははーじゃない!」と怒鳴りを上げる。
「これは笑い事じゃ……いえ、待ってランスさん、冷静になって。落ち着いて考えましょう?」
「そもそも俺様は落ち着いているのだが。冷静になるのは君の方だろうに」
「……そ、それもそうね」
受け入れ難い現実につい取り乱してしまったが、魔人四天王たる自分がこれではいけない。
シルキィはすーはーすーはー深呼吸を繰り返し、頭の中に僅かなりとも冷静さを取り戻す。
「……ふぅ、見苦しい所を見せてごめんなさい、大分落ち着いたわ」
「うむ、それは良かった」
「うん。……でね? 改めて考えてみたんだけど、やっぱりこれはおかしいと思うのよ。だってほら、私はこの通り魔人なのよ? 人間じゃないのよ?」
シルキィ・リトルレーズンは魔人。そして隣に居る運命の相手らしいランスは人間。
魔人と人間。それは本来なら決して相容れる事は無い関係のはずで。
「私と貴方が運命の相手だっていう話だけど……でもそんな、魔人と人間がそんな関係になるなんて絶対におかしいでしょう?」
「そうか? 魔人っつったって元は人間だし、運命の相手になってもおかしかねーと思うが」
「でもランスさん、考えてもみて? 私が生まれたのはもう千年前の事、本当ならランスさんとは出会うはずなんて無かった存在なのよ?」
「……ふむ」
「私は本来ならとっくに寿命を迎えているはずの人間なの。けどたまたま魔人になったから今もこうして生きているだけ。なのに私が生まれた千年後に生まれたランスさんと運命で結ばれているって、そんなのどう考えてもおかしい事だと思わない? 思うわよね? ね? ね?」
「……ふーむ、そう言われると……」
彼女の必死な言葉に唸らされたのか、ランスも自然と顎を撫でる。
両者の間にある千年という時間の隔たり。本来ならば出会うはずの無い相手が自分にとっての運命の相手とは如何なものか。
言われてみると確かにおかしいような気もしてきたのだが、しかしすぐにランスはどうでもよさそうな表情となって。
「けどなぁ、んな事俺に言われても……別に俺が相手を決めている訳じゃねーしなぁ……」
「……う、それは……確かにランスさんに言っても仕方無いかもなんだけど……」
それは誰が決めている事でも無い。あるいはだからこそ運命の相手と呼ぶのだろうか。
これまで選ばれた数人を思い返してみても、その理由や共通点などは全くの不明。故にランスとしてはただありのままを受け入れるばかりである。
「おかしかろうがどうだろうが、実際こうして電卓キューブ迷宮に来ているからな。俺と君が運命の相手だって事はもう揺るぎない事なのだよ……ってほれ、モンスターが出てきたぞ」
すると二人の進行方向の先、そこには道を塞ぐように数体の魔物の姿が。
ここ電卓キューブ迷宮は一応「迷宮」だけあって魔物が出現する。青い円柱状の魔物『ブルーワンド』や、六角形の集合体のような魔物『ヘキサピラー』など、この不思議な迷宮にふさわしい不思議な魔物達が出現したその時。
『運命の二人よ……ここでの戦いでは苦戦をしてはならない……』
何処からともなくそんな声が聞こえた。
「だとよ。今の声はこの迷宮を攻略するヒントになっていてな。俺様の考えだとこれは多分……」
「だってそんな……私とランスさんが運命の相手って……そんな、そんなの……」
「おいシルキィちゃん、話聞いてるか? つーかモンスターが来てるぞ……って、おぉ!」
驚くランスの隣、シルキィはぶつぶつと独り言を繰り返しながらも腕を一振り。
襲い掛かってきた魔物をパコーンとワンパンで反対側の壁までぶっ飛ばした。
「ぬぅ、さすがは魔人……こりゃ苦戦などしようがねぇな」
「でもそんな、運命の相手って……私がそんな……私とランスさんがそんなそんな……!」
出現するモンスターも、迷宮の攻略法だろうと今は全てどうでもいいのか。
シルキィは両手で頬を押さえながら、身悶えるかのように首を振る。
その脳内を支配する思考、それは何故自分とランスが運命で結ばれているのか。そんな先程からの疑問ただ一つのみ。
魔人シルキィ・リトルレーズン。元は人間、そして今では魔人四天王の一角。
派閥戦争ではホーネット派に属し、今こうしてランスの隣でテンパっている彼女ではあるが、しかし本来なら魔人シルキィはこうして電卓キューブ迷宮に来る事など出来ないはずだった。
それはランスが体験した前回の話。前回の派閥戦争でホーネット派はケイブリス派に敗れた。
派閥の主たるホーネットは生け捕りとなり、ホーネットを人質に取られたシルキィはケイブリスの言いなりになる事を余儀なくされた。
その後、第二次魔人戦争が勃発。その中でシルキィは自らが大切に思い続けていた人間世界への侵攻の手駒とされ、更には魔物兵達による陵辱を毎晩のように受ける事となった。
そうした中、前回のシルキィはランス率いる魔人討伐隊に敗北を喫し、その後は説得を受けた事もあって人間達の戦いに協力する事となった。
しかし彼女にとっての不幸はその戦争末期、人類全体の死者数が30%を越えた頃。
総人口の減少に伴い力の一部が覚醒した勇者アリオス。その襲撃の際にシルキィはそばに居たメイドを庇う形で凶刃を受け、それが致命傷となってその身を魔血魂に戻す事となった。
以上が前回のシルキィの身に起きた出来事。それは言わば本来たる彼女の運命であって。
その悲惨な運命が変わった理由、それは紛れもなくランスの影響。過去に戻ってきたランスの働きによってホーネットは窮地を脱し、そして今も尚この通りホーネット派は存続している。
本来は死ぬはずだった。しかしランスの影響によってその運命は覆された。そう考えた場合、今ここに居るシルキィにとっての運命の相手がランスである事に然程不思議は無いのだが。
(なんで!? どうして!? どうしてランスさんが私の運命の相手なの!?)
当の本人は勿論ながらそんな事は知り得ない。
本来の自分が歩むはずであった運命など知る由も無い以上、突然にランスが運命の相手だと言われてもただただ混乱するばかりで。
(運命なんて、そんなの……私とランスさんはそんな関係じゃないはずなのに……!)
自分とランスは同じ派閥で戦う仲間、それだけの関係性でしか無いはずなのに。
仲間の前に『大切な』を付けても構わないが、いずれにせよその程度の関係性なはずなのに。
(そうよね? その程度よね? 他に何かあるとすれば……まぁ、大した事じゃないけど……)
……あえて特筆する事でも無いが、強いて言うならば初体験の相手にはなるのだが。
そして更に言うならば、それ以降も度々身体を重ねている程度の関係性ではあるのだが。
(……ま、まぁ確かに……私の人生において一番深く触れ合った男の人ってなると……それはランスさんになるのかもしれないけど……)
そういう見方をしてみると、少なくともランスは『特別な相手』と呼べる存在ではある。
なにせ自分は約千年にも渡って性交という行為とは無縁だった。きっと今後もそのまま、自分は一生そういう事はしないんだろうなぁと、漠然とではあるがそんな事まで考えていた。
それなのにランスという男と出会ったらどうだろう、まさか一月もしない内にあっさり身体を重ねてしまったのだから驚きだ。色々な意味で自分にとって特別な相手であるのは納得出来る。
(……けどそっか……そう言われてみると頷かされる事があるような無いような……)
自分とランスは運命の相手。それを念頭に置くと違った見え方をしてくるものもある。
例えばこれは以前にも考えた事だが、そもそも自分とランスは性格的に噛み合わない。真面目で頭の固い自分と不真面目で自堕落なランス。普通なら反りが合わなそうなはずなのに、しかし不思議とそうでもない。その理由は『運命の相手だから』なのではないか。
他にも例えばランスからセクハラやエッチないたずらをされた時、本当なら咎めなければならないのに「しょうがないなぁ」みたいな感じで許せてしまうのも運命の相手だからかもしれない。
(……そうだ、それだけじゃないわ……! ランスさんとエッチな事をすると毎回信じられない位に気持ち良くなっちゃうのも、ランスさんが運命の相手だからって事なんじゃ……! そうよ、きっとそうだわ! そういう事だったのね……!)
どさくさ紛れに自らの痴情までも運命に責任を押し付けつつ。
とにかくそうやって色々考えてみると、思い当たる節は幾つもあって。
どうにも混乱してきたシルキィは一度冷静に、その視線をちらっと隣に向けてみる。
「がははは。魔人四天王と一緒だと雑魚戦が楽チンで助かるな」
「……う」
そうすると目に入るその横顔が。
ちょっと口元の大きめなその人が、どうやら自分にとっての運命の相手らしくて。
「……う、うぅ~……!」
これも運命の相手という言葉が持つ魔力故か。
昨日までは何も感じなかったはずなのに、今ではもうまともに直視出来ない。
こうして見ているだけで顔が火傷しそうな程に熱くなってきてしまう。
「……う、ぇうぅ~……!」
「ん? 何だシルキィちゃん」
「……あっ」
その時振り向いたランスと目が合った。
「……あ、う、あぅ……」
すると遂に混乱が極まってしまったのか、
「あ、その……えっと……不束者ですが、末永く宜しくお願いします……」
そう言ってシルキィはぺこりとお辞儀をした。
「……どしたいきなり」
「あ、違う!? 違うかな!? 違うわね! やだ私ったら、何を言っているのかしら……!」
真っ赤な顔を両手で覆い隠し、シルキィは逃げるように背を向ける。
傍目からは面白い程の狼狽っぷりだが、そうなってしまうのも仕方無しと言うもので。
(だって運命の相手なんて、そんな、そんなの、それじゃまるで、私とランスさんが結ばれるのが運命というか、なんか心から愛し合う関係みたいに聞こえちゃうっていうか……そんな感じに、そんな感じになっちゃうじゃないぃぃ~……!)
一般的に『運命の相手』と言われれば、自身にとって唯一無二の存在だと考えるのが自然な事。
とはいえランスにとっては唯一無二では無く、その両手両足と計20人分となるのだが、いずれにせよシルキィの小指からは一本しか赤い糸が伸びていない以上、彼女にとってはランスが唯一無二の相手。
そしてそんな唯一無二の相手となれば、それはえてして結婚相手とか、そうで無くとも永遠を誓い合う仲とか、そういった関係を想起させるもの。
そんな考えに頭をやられ、まるで嫁入り挨拶のようなセリフを口にしてしまったシルキィを一体誰が責められようか。
「……はぁぁ~……どうしよ、どうしよ……!」
「しっかしシルキィちゃん、今日の君は随分とパニくっとるな」
「そ、そりゃだって、いきなりこんな事になったらパニックにもなるでしょう! ていうかランスさんの方こそ落ち着きすぎじゃない? 急に運命の相手なんて言われてビックリしないの!?」
「そりゃ言われた時はな。けどこうして運命の相手が判明するってのは良い事だからな。そうパニックになる必要なんか無いだろう」
初めての事に混乱しっぱなしなシルキィの一方、経験済みのランスは一向に通常運転、というよりもむしろ普段より機嫌が良かった。
自分にとっての運命の女がまた一人判明した。そのお相手とこうして電卓キューブ迷宮を進むのは何度経験しても気分が良いもの。
それがシルキィだったのはびっくりと言えばびっくりだが、とはいえ彼女も元から自分の女。やはりそうだったのか、俺様の目に狂いはなかったぜ……と、その程度の事である。
「まぁ君とはエロの相性がバツグンだったからな。これも運命の相手だと分かれば納得だ」
「う、……別に、それは関係無いような……」
「いやいやどうかな? 俺様と君は互いに英雄色を好むってヤツだからな。お互い英雄同士、俺様にとって君が運命の女なのは当然の事だったのかもしれんな、うむうむ」
「そんな英雄色を好むって、何度も言うけど私は別に好んでなんか──」
謂れなき冤罪に反論しようとしたその時、
「──て、あ……でもそっか……」
シルキィはある事に気付いて、途端に声のトーンを弱くする。
「考えてみたら私の相手が貴方だって事は……貴方の相手が私だって事にもなるのよね……」
「そりゃそうだろ。それがどうかしたか?」
「……その、どうかしたかっていうか……」
運命の相手。それは自分だけの事では無く、相手にとってもそういう運命だという事。
そんな事を考えたシルキィは少し俯いた顔、どこか申し訳無さそうな表情で呟く。
「……ねぇランスさん。私が貴方にとっての運命の相手になっちゃうとさ……」
「なっちゃうと、何だ?」
「……なっちゃうとね、その……貴方に不都合とかは無いの?」
「不都合? そりゃどういう意味だ?」
「だからね、あの……私なんかが運命の相手で嫌じゃないのかなーって……」
「何を言うか、嫌な訳が無いだろう。シルキィちゃんなら大歓迎、むしろ嬉しいぐらいだ」
基本的にランスという男は分かりやすい男。
今の言葉が真実なのか嘘なのか、その表情や声色から簡単に察する事が出来る相手で。
「……はぅ」
「ん?」
それは本心からの言葉だとすぐに分かった。故にこそ今のは結構効いたらしい。
シルキィは小さく呻くと、胸元を押さえてそのまましゃがみ込んでしまった。
「おいシルキィちゃん、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫」
「……と言うわりには立ち上がらんではないか。足でも挫いたのか?」
「ううん、ほんとに大丈夫だから。けどちょっと、ちょっとだけ待ってね……」
そう答えるシルキィは小さくうずくまったまま動こうとしない。
何故なら顔がこれまでに無い程に熱い。今の自分の顔は絶対に見せられない気がした。
(……う、嬉しい……かぁ)
自分が運命の相手で、嬉しい。
そう言ってくれるとなんか、なんかよく分からないけど、信じられないぐらいにとても嬉しい。
(……でもそっか……そうよね……考えてみればランスさんって、私と初めて会った時からすぐに「自分の女になれ」って言ってきたんだっけ……こんな私を……)
こんな自分。平坦な身体の自分。可愛げがある訳でも愛嬌がある訳でも無い自分。
千年間も未経験を貫いた程に今まで浮いた話の無かった自分。そんな自分と初めて顔を合わせたその場で求めてきたのがランスという男だった。
そしてついでに言えば、一度抱いた後も飽きもせず何度も求めてくる男でもあって。
(……こんな私をこんなに求めてくる人なんて、後にも先にもこの人だけ……だろうな……)
仮にランスと出会わなかったとしたら。
千年も生きて経験の無かった自分の事だ、きっとこの先もまた千年、そして死ぬまで未経験だったに違いない。
自分の何処に女性としての魅力があるのか。それはさっぱり分からないが、もしそんなものがあるのだとしたら、それを初めて見つけてくれたのがランスだという事なのではないだろうか。
(だとすると……いい人、なのかな? いやいい人では無いわね。無いんだけど……私にとってはいい人というか……割れ鍋に綴じ蓋というか、なんていうかその~……良縁?)
先程までの思考の流れが影響してか、ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。
ランスはこんな自分の事を猛烈に求めてくれる人ではある。それが下心なのだとしても、これまでは下心を向けてくる相手すらも居なかった。
だとしたら自分にとっては良縁に違いない。だってこの先二度とそんな人は現われないかもしれないのだから。まさしく千年越しに出会えた運命の相手と言えるだろう。
(……良縁。あるいは運命の相手……私にとってのランスさんって……)
「………………」
するとシルキィはしゃがみ込んだままの姿で、意を決してその口を開く。
「……ごめんランスさん。ちょっと手を貸してくれないかしら」
「いいぞ、ほれ」
すぐに目の前に差し出された手。
それとしっかりと掴んでシルキィは立ち上がる。
「……うん、ありがと」
そうして立ち上がった後も、しかしその手を離そうとはせず。
「……ぬ?」
「……うん。もうちょっと」
「そか。まーいいけど」
ランスも然程気に留めず、そのまま二人は手を繋いだまま迷宮を進む。
(……あたたかいな)
その手から伝わるのは人の温もり。
分厚い装甲の中にいたのでは決して感じる事の出来ないもの。
(それに……なんかドキドキする)
そしてこの胸の痛みも。
それは経験した覚えの無い痛み。かの魔王の事を想って感じる穏やかな心地とは異なる、ドクンドクンと大きく弾けて、けれども嫌ではない感触。
(あまり考えたくないんだけど……これって……)
それはこの魔人にとって、これまでずっと目を逸らしてきたもの。
意識せずに自覚しなかった魔人筆頭とは違い、半ば意識的に自覚するのを避けてきたもの。
それを遂に直視させてしまう程に、運命の相手という言葉の魔力は強烈で。
(これってやっぱり……そういう事、なの? こんなにドキドキしちゃう理由は……)
自分の内に芽生えたもの。
その実、すでに芽生えていたもの。
その想いを一つ一つ確かめながら、その足取りは一歩一歩ゆっくりと。
「ランスさんってさ……歩くの早いね」
「む、そうか?」
「うん。……男の人、なんだね」
「いやそりゃそうだろ。君は今まで俺をなんだと思ってたのだ」
「そりゃ分かってたんだけど……けどなんか、改めて思い知ったというか……」
そう呟く彼女の顔は、傍から見れば恋する乙女そのもののような表情で。
俯きながらもその手を繋いだまま、シルキィはランスと一緒に迷宮を進んでいった。
◇ ◇ ◇
そしてその後。
「……お、どうやらクリアーしたみたいだな」
次々と出現するモンスターを苦戦せずに倒し続ける事しばらくして。
ふいにモンスターの出現が止まり、二人の前には宝箱が出現していた。
「……あ、そう言えば、私専用の武器が手に入るとかどうとかって……」
「きっとあの宝箱がそれだろう。ほれシルキィちゃん、開けてみたらどうだ?」
「えぇ、そうね」
シルキィは宝箱を開く。
するとその中に入っていたのは──
「ほう、どうやら剣みたいだな」
「そう? これって剣というより槍じゃない?」
「そーかぁ? これは絶対に剣……というか斧のようにも見えるような……」
それは彼女の背丈と同じ程に大きく、両手持ちで扱うらしき大型の武器。
片側の刃は剣のような曲線、逆の刃は斧のように広く、その先端は槍のように鋭く尖っている。
剣にも見え、槍のようにも見えて、斧のようにも見える。二人共に首を傾げてしまう程、なんとも不思議な形状の武器──その名も『英雄の槍』
「一応槍なのか、それ」
「そうみたいね。ただこの名前……私が英雄って呼ばれた事があるからこの名前なんでしょうけど……でも自分が扱う武器にこの名前を付けちゃうのってちょっと恥ずかしくないかしら」
「それはまぁ……けれど『痴女の槍』とかじゃなくて良かったじゃないか」
「ランスさん、ぶっ飛ばすわよ」
言いながらシルキィはその手に英雄の槍を握る。
そして二度三度と振りを確かめてから、驚いたようにその目を見開く。
「あ……でも凄い。こんな不思議な形の武器なのにびっくりするくらい手に馴染む……」
「そりゃまぁ君専用の武器な訳だしな。なんであれ使えそうなら良かったじゃないか」
「そうね。これでまた強くなれそう。城に戻ったら早速装甲に合成しないとね」
「……え?」
そんな言葉が聞こえた途端、ランスの眉がぴくんと動く。
「ちょっと待てシルキィちゃん、その武器……君の装甲にくっつけちゃうのか?」
「うん。私は武器とか防具とかは全部一つの魔法具に纏めちゃってるの。そうした方がいつでも取り出せて使いやすいからね。そうやって出来上がったのが私が普段使っているあの装甲な訳だし」
「いやでもそれ……君専用の特別な武器……」
「確かにかなり性能の良さそうな武器ね。でも大丈夫、私のLV2になる付与の力なら金属の合成で失敗する事なんてまず無いから」
「いやそういう事じゃなくて……もっとこう、気持ち的な何かっていうか……」
武器や防具など、それらはこの魔人の目を通すと魔法具強化用の素材にしか見えないらしい。
確かに彼女の装甲は展開自在、大きさも自在に変えられたりと非常に優れた魔法具。使い勝手の良い武器を入手したのであれば尚更、合成した方がいつでも使用出来て便利なのかもしれない。
とはいえそれは一つの武器では無く、数多ある魔法具の集合体の一つになるという事で。
「……まぁ、その方が使いやすいってんなら……それでいいのか? けどなぁ……」
運命の相手である自分との言わば記念の品、それが魔法具強化用の一パーツ扱い。
それは何だか釈然としないような。というかちょっと寂しいような。なんというか。
「……シルキィちゃん。やっぱそれ君の装甲にくっつけるの禁止」
「えっ、どうして? だってその方が便利に──」
「うるさい。便利とか便利じゃないとかそういう問題ではないのだ。武器の一つくらい面倒くさがらずにちゃんと持ち歩きなさい。いいな?」
「えぇー、でも……」
「でもじゃない。返事は?」
「……はーい」
渋々ながらもシルキィは頷き、英雄の槍が魔法具に合成されてしまう事態は回避された。