決戦準備①
歩く二人の目の先、魔界都市ブルトンツリーを越えてようやく見えてきた巨城のシルエット。
「……はぁ、やっと帰ってこられた……随分と時間が掛かっちゃったわね」
「だな。帰りは電卓キューブ迷宮からのワープが使えんというのが想定外だった」
「あれって普通だったらそのまま元居た場所に戻して貰えたのでしょう? それなのに余計な寄り道を挟んだりするから……」
共に疲労を感じさせる声色で話す二人、ランスと魔人シルキィ。
二人はカミーラ城を出発し、ゼスを越えてヘルマンを越えて、やっとこさ魔王城に戻ってきた。
「さて。早速ホーネット様に報告しに行かないと。ランスさんも付いてきて」
「え~……俺様もう疲れたし、今日はこのまま部屋で休みたいのだが」
「だーめ。帰ってきた事もそうだし、色々と話さなきゃいけない事があるでしょう」
久方ぶりの魔王城内へと足を踏み入れ、最初に向かうのは勿論城の最上階。
突然電卓キューブ迷宮にワープさせられる形でこの城を離れてから、すでに一週間。
その間に起きた様々な事、別ルートでの侵攻の可能性を見出した事や、極秘裏に魔人カミーラと会って密約を交わした事など、早急に派閥の主と話し合わなければならない事が沢山ある。
「ホーネット様、入ります」
コンコンと軽いノックの後、一声掛けてからシルキィはドアを開く。
そして部屋に入ってきた二人の姿を目にして、その魔人は軽く驚きの表情となった。
「……ランス、シルキィ……」
「ようホーネット、今帰ったぞ」
「ホーネット様、只今戻りました。長らく城を留守にしてしまい申し訳ありません」
予期せぬ出来事だったとはいえ、派閥の幹部たる自分が勝手に城を離れてしまった。
その事をまずシルキィが謝罪すると、すぐに表情を戻したホーネットが口を開く。
「二人共、無事だったのですね。突然に城内から姿を消したものですから皆心配していましたよ。一体何処に行っていたのですか?」
「うむ、実はな……」
「あ、ランスさん、それは私が説明するから。……えっとですね……」
今回の一件を、特にあの不思議な出来事をどのように説明するべきか。
ランスの言葉を遮るようにして説明役を買って出たシルキィは、瞬時に思考を巡らせて。
「……その、ちょっとした所用で人間世界のゼス国に向かう必要に迫られまして。本当に緊急だったので事前の連絡が出来なかったのです」
「二人は人間世界に行っていたのですか……それで、その所用とは?」
「え、と、それは本当に大した事無い用事で……ただそこからが重要というか、ゼスでの用事を終えた後に私達は……その、カミーラに会いまして」
「……カミーラとは……あのカミーラですか?」
「はい。あのカミーラです。ミダラナツリーにあるカミーラ城まで行っていました」
魔人四天王カミーラ。予想外のその名前にホーネットの声のトーンが変わる。
とその一方、カミーラの名前を出す事でシルキィは『所用』の件から見事に話を逸した。
自分がランスの運命の女となって電卓キューブ迷宮に行った事。その件は未だシルキィ自身も消化しきれておらず、まだ誰かに打ち明けられるような気分にはなれていなかった。というか率直に言うとなんか恥ずかしかった。
「……驚きました。まさか二人がカミーラに会いに行っていたとは……」
「はい。当初そのつもりは無かったのですが……やむを得ずというか、本当に成り行きでして。事前の相談も無しに勝手な事をしてしまい、重ね重ね申し訳ありません、ホーネット様」
そう言ってシルキィは再び頭を深く下げる。
今回の旅で起こった出来事。それはホーネット派の今後にも大きく影響を与える話で、本来なら二人の独断で行って良い事では無い。
故にシルキィの謝罪は本当にもう心からの謝罪といった感じだったのだが、そのすぐ隣、ランスには何ら気にした様子も無く。
「けどカミーラに会ってきた収穫はあったぞ。何とあいつから協力を取り付ける事に成功したのだ! どーだスゴいだろ!」
「協力? それは……あのカミーラが私達ホーネット派に協力してくれるという事ですか?」
「そういう事だ。俺様もまさかカミーラがとは思ったが……何でも言ってみるもんだぜ。ただまぁその代わりと言ってはなんだが、この派閥戦争をあと二ヶ月以内に終わらせる必要があるのだ」
至極あっさりと。
本当にあっさりと、ランスが口にしたその言葉。
「……え」
この派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせる。
それはカミーラの協力などとは比べものにならない程に衝撃的な話だったらしく、聞いたホーネットは表情が抜け落ちたような顔になった。
「……に、二ヶ月、ですか?」
「そ。二ヶ月。あと二ヶ月でケイブリスを倒すぞ」
「………………」
すぐには衝撃が抜けきらないのか、その魔人には珍しく呆然とした様子が続いて。
「二ヶ月……」
「……突然こんな事を言ったら混乱しますよね、ホーネット様。実はカミーラがホーネット派に協力する条件として、派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせるよう要求してきたのです。本人は戦争続きの魔物界の状況に飽きたからだと言っていましたが……」
「………………」
シルキィがその理由を伝えても、どうやら頭の中に入っていない模様で。
「それでカミーラが協力してくれるとな、なんとヤツらの本拠地まで──」
「……二人共、この話は明日にしましょう」
「あん? どうしてだ?」
「……少し、考えたい事があるのです」
遂にはそう呟いて、ホーネット自ら会話を打ち切ってしまった。
「それに貴方達も魔王城に帰還したばかりで疲れているでしょう。今日はもう休んで下さい、話し合いは明日で構いません」
「ふむ、それもそーだな」
「分かりましたホーネット様。では詳しい報告と話し合いは明日に」
そうしてランスとシルキィは退出していって。
「………………」
自分の部屋に一人となった後、ホーネットは静かに呟いた。
「……あと、二ヶ月」
◇ ◇ ◇
そして次の日。
途中終わりだった話の続きをする為、ランス達はホーネットの部屋に集まった。
「……成る程。魔王城から侵攻を行うのではなく、ゼス国から侵攻を行うルートですか……」
「あぁそうだ。ほれ、こっちからは死の大地やカスケード・バウが邪魔で攻めるのが難しいってずっと言ってたろ? ならそんな所は通らずゼスから攻めた方が楽なんじゃねーかと思ってよ」
魔王城から南進するのでは無く、ゼス国から西進してケイブリス派領域に乗り込むルート。
それはホーネットの頭にも無かった、ホーネット派だけの力では決して実現不可能なルート。ランスが協力しているからこそ実現可能になる新たな侵攻ルートとなる。
「……貴方の言う通り、カスケード・バウも死の大地も共に難攻不落の地。ゼス国から西に進むルートの方が楽というのはその通りでしょう。そちらから進む際に障害となるものと言えば、ミダラナツリーと魔人四天王カミーラになりますが……」
「はい。その際にはカミーラ本人は勿論の事、ミダラナツリーに詰める魔物兵達も一切動かさないようにするとの事です。それがカミーラの協力であり、その条件として派閥戦争をあと二ヶ月で終わらせるようにと言ってきました」
「……事情は理解しました。確かにこれは早急に話し合うべき案件ですね」
昨日とは違って頭を切り替えられているのか、ホーネットは冷静な表情で答える。
そんな派閥の主に加え、今この部屋に集まっている面々。ソファに腰掛けているのはこの話を持ち帰ってきたランスとシルキィ、そしてもう一人。
「まず一番に考える事としては、ゼス国から西進するルートの実現可能性についてでしょうか。もしそれが不可能だとしたらカミーラの協力も何もありませんからね」
「それに関しては問題ない。ゼスは俺様の言う事だったら何でも聞くからな」
「……って、ランスさんは言っているんだけど……ねぇウルザさん、実際の所はどうなの? 人間世界にある国が魔物界の派閥である私達に協力なんてしてくれるのかしら」
「……そうですね。正直な所、全く問題が無いとは言えない事態なのですが……」
それがウルザ・プラナアイス。
彼女はゼス国の内情を知る者として、そしてそもそも優秀な軍師として、今回の話し合いに必要だろうとランスが同席させた人物である。
「とはいえランスさんの言う通りですね。他でもないランスさん直々の協力要請であれば、ゼスが応じる可能性は非常に高いと思います」
「へぇ、ランスさんってそんなに顔が効くんだ……改めて思うけど貴方って凄い人だったのね」
「そのとーり、俺様はとってもスゴいのだ。なぁウルザちゃん?」
「はい。特にガンジー王は前々からランスさんの事を支持していますし、魔物界の動向にも強い関心を示していましたから、あの方ならきっと二つ返事だと思います」
ですが、とウルザは呟いて。
「ゼスを通過してケイブリス派領域に進軍を行うとは言っても、さすがに国内に魔物兵を入れる事は不可能です。というよりゼスに辿り着くにはまずヘルマンを通過する必要がありますので、その意味でも魔物兵を人間世界で動かすのは不可能かと」
「うん、それは分かっているわ。となると西進ルートの場合、戦力として使えるのは私達魔人だけって事になるわね」
魔物とは依然として人類共通の敵。今こうしてランス達がホーネット派に協力している事の方が例外であり、百万近くにも及ぶホーネット派魔物兵達、そんな規模の魔軍を人間世界で動かそうものならヘルマンもゼスも大パニックになる事間違い無し。
故にゼスから西進するルートの場合、魔物兵達を戦力に含める事は出来ない。使えるのは魔人達と人間であるランス達のみとなる。
「カミーラの協力がある場合、タンザモンザツリーまでは殆ど戦闘を挟まない一本道になるはずだけど……ホーネット様、どう思いますか?」
「そうですね……それでもタンザモンザツリーはケイブリス派の本拠地。あの地を制圧しようと言うのなら、戦力はまだしも数という意味で、私達だけでは難しいかもしれません」
「確かに……タンザモンザツリーも他の魔界都市と同様に広いですからね」
「えぇ。それに魔人だけを動かすとは言っても全員は使えないでしょう、派閥内にも誰かは残す必要がありますから……」
仮に1名を魔王城に残すとして、戦力として使える魔人は5名。そこに人間の協力者であるランス達を含めても10名足らず。
一体で魔物兵数万の戦力に匹敵する魔人がいる以上戦力的には問題ないのだが、魔物が何十万と暮らす大拠点の制圧を行うとなると10名というのは少々心許ない数字である。
「……うーむ、そう言われると……あ、そうだ」
すると代わりの戦力の存在に気付いたのか、ランスはパチンと指を鳴らした。
「ならウルザちゃん、魔物兵の代わりにゼスの軍隊を使っちまおうぜ。魔物兵と比べりゃさすがに数では劣るが戦力的にはまぁまぁだろ」
「ゼスの軍隊をですか……確かに今は国内も大分落ち着いているので、リーザスとの国境線を守る炎軍以外であれば動かせない事はないと思います」
「え、ちょっと待って二人共。国内を通過するだけならともかく、人間の軍隊まで借りちゃうのはさすがに……そこまで協力して貰うのは気が引けちゃうというか……」
「んな気にすんなっての。さっきも言ったがゼスは俺様の家来のような国なのだからな」
主が戦う時は家来も戦うのが当然だろう、とランスは偉そうに胸を張る。
その姿は大層自信に溢れていたのだが、シルキィとしてはやはり不安になってしまう。
「……ねぇウルザさん、本当に大丈夫なの?」
「……はい、恐らくは。敵本拠地の制圧作戦ともなれば最終段階、だとしたらここで使える戦力を出し惜しみするのは得策ではありません。なによりそれがゼスの国益とも合致しますからね」
単に国内を通過するのと、軍隊まで出して貰うのは協力の度合いが大きく異なる。
後者の場合、戦闘になったらゼスの軍人にも当然被害が生じる。更にはホーネット派と人間が手を組んでいる事実が明らかとなり、その後にゼスが目を付けられるリスクが大いに高まる。
それらの危険性を考慮した上で、ウルザは先程のように答えた。ケイブリス派領域と隣接するゼス国にとって、その驚異を排除する事に関しては他人事ではいられないのだ。
「ただ戦力の出し惜しみという観点からすれば、ここで魔物兵を使わないのは勿体無いですね。ホーネット派に属する魔物兵達がゼスの軍隊を超える戦力である事は疑いようがありませんから」
「そりゃまぁそうだな。つーか俺様達が戦ってんのに雑魚共を遊ばせておく訳にはいかん」
「確かに彼等にも何か役割が欲しい所ですね。この状況で彼等に出来る事と言えば……カスケード・バウに侵攻を行う事ぐらいでしょうか」
「あぁ、なるほど……陽動という事ですか。さすがに突破する事は不可能でも、敵を引きつけておく事なら出来ますからね」
ホーネットの言葉にシルキィが頷く。二人は前々から派閥の今後について話し合ってきており、当初の予定では近々ホーネット派の全勢力を挙げてカスケード・バウへ侵攻を行うつもりでいた。
魔物兵達はその為の訓練を積んできている為、それをそのまま陽動として使えれば無駄が無く、これまで派閥に尽くしてきた魔物兵達に活躍の場を与えてあげられる事にもなる。
「そうだ、ならいっそ挟み撃ちといくか。まずこっちからガーっといくだろ?」
「ガーっと、じゃ分からないわよ。カスケード・バウに攻め込むって事で良いのよね?」
「うむ。で攻め込んだら粘る。ひたすら粘る。そしたら奴らの目はカスケード・バウに向いて、どんどん戦力を厚くしようとするはずだ」
「そうね。向こうからしてもカスケード・バウは突破される訳にはいかないはずだし、残る兵達や魔人達を向かわせてでも守備を固めるでしょうね」
「だろ? でその間に俺達はゼスから迂回して、手薄になった奴らの本拠地を落とす。んで最後にカスケード・バウに残る雑魚共を挟み撃ちで片付ける。……どうだ、カンペキな作戦だろ?」
陽動と奇襲を重ねて、最後には挟撃。
ランスがパッと考えた自称完璧な作戦。その採点を伺うかのようにちらっと視線を向ければ、隣に座るウルザも頷きを返してくれた。
「そうですね、その通りに事が進めばまさに理想的な展開と言えます。そしてゼスから侵攻するルートが警戒されていないのならば、そうなる可能性も決して低くはないと思います」
「警戒されていない……と思いたいけどね。私とランスさんが侵入した時点では引き裂きの森やミダラナツリーは手薄なままだったし、あの時私達の事を知ったのはカミーラだけだと思うし……」
「……カミーラ次第、ですか」
警戒されている中では奇襲は奇襲にならない。特に今計画中のこの作戦はケイブリス派領域の奥深くまで進む事となるので、カミーラ次第ではホーネット派を陥れる罠ともなり得る。
しかしゼス国からの協力と同様、カミーラの協力が無ければこの作戦が成り立たないのも事実。つまりこの作戦に乗るとするならば、カミーラの事はどうあっても信じるしかない訳で。
「派閥を異にする敵とはいえ、あれは誰よりもプライドが高い魔人です。そのカミーラが私達に協力すると自らの口で言った以上、そこに偽りは無いと私は思います」
「そうですね。その点は私も、そしてランスさんも同意見でした」
「えぇ、ですのでカミーラの事は心配ありません。それよりも問題は……」
どうあっても信じるしかない以上、そこを悩むのは時間の無駄。
ホーネットはその点には何ら拘泥せず、より大きな問題を議題に挙げた。
「問題はやはり……ケイブリスの事でしょう」
それはこの作戦どころか、この派閥戦争全体において一番大きな問題。
ホーネット派が必ず打ち倒すべき宿敵、ケイブリス派の主、魔人ケイブリスについて。
「……そうですね。私達がどのようなルートで侵攻しようとも、結局はケイブリスに勝てなければ何も意味がありませんからね」
「それも大丈夫だ、この俺様がいる。あんなリス如きまたサックリとぶっ殺してやるわ」
「……またと言うのがよく分かりませんが……ともあれ心強い言葉ですね。ですがその通り、ケイブリスがどれだけ強かろうが、私達のすべき事としてはあれと戦って勝つしかありません。ですのでその点に関しては私もそのつもりなのですが……」
ランスの強気な言葉に同意しながらも、ホーネットの頭には憂慮の種があった。
魔人ケイブリス。それはケイブリス派の中で、あるいはこの魔物界の中で最も強い魔人。戦うとしても困難な事には違いないのだが、しかしそれでも戦わないという選択肢は無い。
これが派閥同士の争いである以上、派閥の主との決戦は避けられないもの……だというのが、一般的な例ではあるのだが。
「ケイブリスの強さ以上に私が心配なのは、そもそもあれと戦いになるのか、という事なのです」
「……というと?」
「つまりですね……タンザモンザツリーはケイブリス派の本拠地。本拠地が落ちたら致命傷だという事は向こうも分かっているはずです。だとしたらこの作戦によって私達がタンザモンザツリーまで侵攻した場合、ケイブリスはどうすると思いますか?」
「そりゃあ……さすがにそうなったらあのリス野郎だって戦場に……出る……のか?」
発言途中でランスの声のボリュームが除々に下がっていき、遂には首を傾げてしまう。
ふと考えると前回の第二次魔人戦争、魔軍の総大将である魔人ケイブリスは人間世界に出てくる事は無く、ベズドグ山にある自分の城に引き篭もったままであった。
けれどもその中でランスはケイブリス派の魔人を全員討伐している。その報告は当時のケイブリスの耳にも届いていたはずで、だとしたらケイブリスという魔人は自軍の魔人達が全滅した程度では戦場に立とうとはしない魔人だという事になる。
「……なるほどな。お前の言いたい事は何となく分かった」
「えぇ、あのケイブリスの事ですから……本拠地が落ちても戦場には出てこない可能性があります。あるいは逃亡を図る可能性もあるでしょうか」
魔人ケイブリスはこの7年間で一度も戦場に立った事が無い。となるとそんなケイブリスが本拠地を失うまで追い詰められた時、そこで奮起して戦いの場に姿を現すのだろうか。
普通に考えればそのはずなのだが、しかし相手があのケイブリスだけに分からない。もしかしたら最後の最後まで追い詰めても戦場には現れず、戦いを放棄してしまう可能性もあるのでは。
「本拠地たるタンザモンザツリー、そしてベグドズ山にあるケイブリス自身の城。たとえそれらを制圧したとしてもまだ終わりではありません。ケイブリスはこの魔物界の地に隠れ家を沢山所有しているそうですからね」
「隠れ家ですか。それはホーネットさん達でも全ては把握していないものなのですか?」
「えぇ、残念ながら。いくつかは知っているのですが、全てとなるとさすがに……」
魔人ケイブリスは最古たる魔人であり、それでいて臆病な魔人。
最古たる魔人だからこそ魔物界の事を誰よりも知っていて、臆病な魔人だからこそいざという時に身を隠す巣穴を用意しており、その全貌はホーネット派も把握しきれていない。
「仮にケイブリスが隠れ家に逃げ込んだ場合、捜索には相当難儀する事となるでしょう。勿論その場合は本拠地と派閥を捨てて逃げるのですから、勝敗は決まったようなものなのですが……」
「ふむ。けどなぁ、最後はやっぱしケイブリスの野郎をぶっ殺さないと締まらねぇよなぁ」
「それもそうなのですが……ランス、貴方はあと二ヶ月以内にケイブリスの事を倒すと、カミーラにそう約束したのだと言っていませんでしたか?」
そんな言葉を受けてランスは「あー、そういやそうだな」と思い出したように呟く。
ここでケイブリスに逃げられた場合、派閥戦争の勝敗はともかくとして、カミーラとの約束を守る事が困難になってしまう。
ランスとしてはそれは困る。今後再びカミーラの事を抱く為にも、稼げる好感度はちゃんと稼いでおきたい所である。
「そっか。そうなると逃げられるのはマズいな」
「けれどそれは中々難しい問題ね……。あのケイブリスが逃げ出すかどうかなんて、それこそケイブリス次第だとしか言えないし……」
自らの力で戦うか戦わないか、それを決めるのは結局の所本人次第。
普通に考えれば派閥の主たる者、最後は自ら立ち上がるのが責務だと考えそうなものだが、しかし相手は6千年もの時を生きる魔人ケイブリス。普通の考えが通用するような相手ではない。
ここは一旦苦汁を飲んで姿を隠し、また時を伺って再起を図ろうじゃないか。とそんな考えを抱く可能性だって十分あり得る。
「……ぬぅ、あのクソリスめぇ……出てきたら出てきたで面倒臭いのに、出てこないなら出てこないで面倒臭いとは……」
「文句を言っていても仕方ありません。出来れば何か……ケイブリスを戦場に引っ張り出すような何かがあれば良いのですが……」
最強とはいえ性根が臆病なリス、魔人ケイブリスを巣穴に逃げ込ませない方法。
本人次第だとはいえ、それでも何かケイブリスの意思を後押しするような方法。
「……ふむ」
そんな方法について、ランスにはちょっとした心当たりがあったのか。
「……ケイブリスを戦場に引っ張り出す方法か。別にねー事もねーけどな」
「え?」
「確かこのへんに……ほら、これとかどうだ?」
ズボンのポケットをごそごそと探って。
そこから取り出したとある代物、それをこの場にいる3名の女性陣に見せてみた。
「……ランス、貴方は……」
「うわぁ、さすがにそれはちょっと引くわね……」
「……確かに、趣味が悪いと思います」
すると女性陣からは不評の嵐、全員が嫌悪感を表すかのようにその顔を顰めた。
「というかランスさん、何故そのようなものをポケットに入れているのですか?」
「いやほれ、この前久しぶり会ったからちょっと見返したくなってな。とにかくこれは効果大だと思うのだが、どうだ?」
「それは……そりゃ間違いなく効果はあるでしょうけど……」
それに対する心理的抵抗、道義的な問題はともかく、有効性に関しては認める所で。
シルキィが控えめに頷けば、ホーネットも頭の痛そうな表情のまま答える。
「……そうですね。それを見ればケイブリスは間違いなく逆上するはずです。その怒りのままに戦場に出る可能性も無いとは言えないでしょう」
「だよな。試してみる価値はあるよな」
「ですが私には……それは少々劇薬過ぎるように思えてならないのですが……」
「だいじょーぶだって。なんせヤツは7年以上も戦場に出てきてねーんだろ? だったらこれぐらいは挑発してやらねーとな」
ニヤリと笑うランスが手に持つもの。
それはかの魔人にとって最愛の相手、魔人カミーラが写っている写真。
つまりランスの考えた一手はいつかの時と同じ、カミーラの写真をケイブリスに届ける事。
しかし以前とは異なる点が一つある。
それは肝心の写真に写っている光景。以前の写真にはカミーラの首元に魔剣カオスを突き付けた衝撃的なシーンが写っていたのだが、しかし今回の写真はそれをも超える程に衝撃的な内容。
「くくくっ、これを見てヤツがどんな反応するか、本当に楽しみだぜ。がはははっ! ……がーっはっはっはっは!!」
その写真にはカミーラが写っていて、そしてランスも写っていて。
カミーラは露わになった裸体を晒したまま組み敷かれ、そこにランスの手が伸びていて。
表情を崩すまいとするカミーラの顔と、勝ち誇るランスの顔がとても対照的な一枚。
それはゼスの永久地下牢、カミーラの封印を解く直前にせっかくだからと撮影した写真の一枚。
つまりそれは、魔人カミーラとランスのハメ撮りの写真だった。