魔物界南部にあるタンザモンザツリー。
ケイブリス派の本拠地となる魔界都市、その都市内に設置された天幕で仕切られた一室にて。
「……さて、どうするべきか」
思わず呟いた言葉。
それはケイブリス派全軍の上に立つ大元帥、ストロガノフが漏らした一言。
「……全く、以前の人質交換といい……」
らしくもない手口を使う。と思い掛けて、それは違うかとストロガノフは考え直す。
これは恐らく敵派閥の主、ホーネットが考えた手口では無い。あの人質交換の時に電話口の向こうにいた相手、カオスマスターなる男の手口だろう。
ホーネット派の影の支配者、カオスマスター。
その男は長らく正体不明だった。しかしここに来てようやくその姿が判明した。
……判明した理由は至極簡単、ここにあるそれに諸々とその姿が映っていたから。
「………………」
沈黙するストロガノフの目の先、その手が握る一枚の写真。
それは以前の時と同じく、ホーネットに所属する魔人メガラスによって届けられたもの。カスケード・バウの守備部隊へ投じられ、その後大元帥の元まで上げられてきたもの。
届けられてすぐ、ストロガノフは警戒しながらもその中身を確認した。
そして息の止まりそうな衝撃を受けた。これをケイブリスに見せたらとんでもない事になる。そんな確信と共に、相手の狙いを即座に看破した。
(……人質として軟禁されていた以上、こういう可能性も無きにしもあらずとは思っていたが……いやはや、まさか魔人四天王に手を出していたとは。なんとも豪気なものだ)
その写真に映るもの。それは男と女が交わっている最中の光景。
抵抗も出来ずに組み敷かれ、そんな中でも冷ややかな目を向けるプラチナドラゴンの魔人。
その目付きすらも興奮を盛り立てるスパイスになるのか、勝ち誇った顔で彼女を組み敷く男。そして結合している互いの下腹部。
そんな光景を横から写し取った写真、それが今ストロガノフの手の中にあるもの。
(この写真に映る男……これがカオスマスターなのだろう。見た目は人間に見えるが、何者かが新たに作った使徒だろうか。あるいは新たな魔人という線も薄いとはいえ無いとは言えんが……こればかりは実際に会ってみないと分からんか)
いわゆるハメ撮り写真を眺めながら、大元帥の獅子の容貌は固く強張っていた。
このカオスマスターなる男が何者であれ、以前の人質交換の際にはこちらとの会話口に立った所から考えても、ホーネット派の中でかなり立場の高い人物である事は間違いない。
そして今回も同様、恐らくこの男がこの手口を考え実行したのだろう。何せ以前と狙いが同じ、相手の弱点を突くという点で一貫している。
(カミーラ様がこのような目にあっている写真を寄越してくる意図、それは勿論ケイブリス様を挑発する事に違いない。恐らくカオスマスターは……というべきか、ホーネット派は……ケイブリス様の事を戦場に引き釣り出したいのであろうな)
この写真をケイブリスの目に入れた時、どのような反応をするかは容易く想像が付く。
当然激怒するだろう。なにせ何千年も片思いしている相手だ。その相手が抵抗も出来ず組み敷かれている姿をみて憤激しないはずがない。
そして肝心なのはその後の行動。そこでケイブリスはただ吠え立てて怒るだけなのか。それで終わるのなら相手の目論見は失敗だろうが……もしその怒りが到底収まらなかったとしたら。
(……まぁ、有効な手ではあろう。ケイブリス様の泣き所などここぐらいしかない。そもそもそこを突けば派閥の主との人質交換にすら応じると、すでに露呈してしまっているのだから)
その怒りの度合いによっては、ケイブリス自らが戦場に出る事もあり得るのでは。
配下に命じるだけでは気が済まない。自らの手でこの男を、カオスマスターを殺そうとする事もあり得るのでは、とストロガノフは率直に思う。
そしてそれはホーネット派にとって、魔人ケイブリスを打ち取るまたと無い機会。
これまで一度たりとも戦場に姿を表さず、今も尚カスケード・バウに置かれた分厚い守備部隊に守られている相手。それが向こうから戦場に出てきてくれたらこれ以上に楽な話は無い。
(このような手口を使ってきたという事は、未だホーネット派はカスケード・バウを突破する具体的な作戦を立てられないという事でもある。専守防衛の方針に一定の効果があるなら、ここでケイブリス様が戦場に立つ事も無いのだが……)
ケイブリスが戦場に出ない事については、ちゃんとした理由があっての話。
派閥の主が敗北した時点で終わりとなる派閥間争いである以上、その姿を積極的に危険に晒す意味は何処にも無い。むしろホーネット派の方針の方が間違っているとケイブリスなら言うだろう。
とするならば。ここでケイブリスが戦場に出て、この写真の送り主の思惑通りの展開となるのは決して望ましい事ではない。
(……だが)
しかしその展開は。その思惑はストロガノフにとっても共通する思考である事は事実。
もはや開戦初期とは状況が大きく異なる。ここまで劣勢になった事実を踏まえると、この先魔人ケイブリスが戦わずしてケイブリス派が勝利する可能性はほぼ無い。
とするならば。この写真は他ならないストロガノフこそが求めていたものでもある。
未だ決断の下せぬ派閥の主、その重たすぎる腰を上げさせ、長らく手にしていない双剣をその手に握らせる、とっておきの劇薬となるのもまた事実で。
(それが向こうの狙い通りとなるのは業腹と言えば業腹なのだが……)
ケイブリスを戦場に引き釣り出す為の一手を打ってきたという事は、戦場に引き釣り出したケイブリスに勝てるという公算があるという事になる。
それがホーネットの考えなのか、それともこの男の考えなのかは不明だが、いずれにせよホーネット派の方針としてそういう事になる。
「……その方針が正しいのか、それとも儂の期待が正しいのか。やはりそこが争点となるか」
魔人ケイブリスは最強の魔人。
その考えにストロガノフは一点の曇りも無い。
そしてその後。
ストロガノフはタンザモンザツリーを離れ、ベズドグ山にあるケイブリスの居城を訪れた。
「……ケイブリス様、これを」
「あん、なんだそりゃ?」
「ホーネット派から届けられたものです。ケイブリス様宛にとの事です」
「……ヤツらからだと?」
そして部屋にいた派閥の主と顔を合わせて早々、その手紙を手渡した。
まぁ、この手紙の存在についてはいずれケイブリスの耳にも入る。疑り深いこの魔人がホーネット派から届いた手紙の存在を気に留めない事などありえないので、そもそも隠しておくなどという選択肢は選びようがなかったのだが。
「……なんか前にもこんな事あったな。おいストロガノフ、お前はこれに目を通したのか?」
「はい。ですが、これはケイブリス様こそが見るべきものかと」
「ふーん……」
表面上は興味なさげに、しかし以前の人質交換の事もあって、内心ちょっと警戒しながら。
「お?」
ケイブリスはその手紙を開いて。
そこにあった一枚の写真をその眼に映した。
「…………!」
瞬間、瞳孔を大きく見開いて。
「………………」
最初、沈黙。
「……か、あ……」
その次、声なき悲鳴を上げて、あわやケイブリスはここで息絶えそうになった。
「……こ、れは……」
「……見ての通りです。察するに、そこに写っている男が件のカオスマスターかと思われます」
「……カ、オス、マス、ター……」
掠れた声で、その名を呼ぶ。
カオスマスター。憎きホーネットをようやく捕縛したすぐ後、生意気にも自分と対等の立場かのように人質交換を提案してきたムカつく相手。
そしてこの写真の中で、自分がものにするはずだったカミーラを抱いている罪深い相手。
(……つーか、コイツ……俺様との約束守ってねーじゃねーか……)
思い出されるのはあの時交わした言葉。
人質交換の際、互いの人質には指一本触れないというのが交換の条件として挙がっていた。
だから自分はあの時ホーネットに手出しをしなかった。カミーラの身を案じてホーネットを新品のままで返したのに、向こうは指一本どころかガッツリと男性器を突っ込んでいた。
(……ふざけやがって)
こちらは約束を守ったのに。相手は約束を守らなかった。自分の一番大事なものを汚していた。
魔人ケイブリスにとって、これ以上の屈辱があるだろうか。
「……ふざけやがって」
ここまで馬鹿にされた事はない。ここまでコケにされた事はない。
込み上げるマグマのような怒り、それはすぐに許容量を越えて溢れ出た。
「ふッッッざけやがってぇぇええええ!!!」
その叫びはまさに怒号。比喩抜きでその部屋全体が微かに振動する。
「ふざけやがってッ!! よくもこんな……こんな、俺様を馬鹿にしやがってぇぇええ!!」
「……っ」
激情のまま出鱈目にその拳を振り回す。
木製の机や椅子がへし折れ、拳を叩きつけた床に大きく亀裂が走る。
その衝撃にストロガノフが思わず喉を鳴らす中、ケイブリスの怒りは到底止まらない。
「ブチ殺す!! コイツだけは、コイツだけは絶対にぶち殺すッ!!! おいストロガノフ、全軍を動かしてコイツをぶち殺すぞッ!!」
そして怒りのままに、ケイブリス派の主としての大号令をここに発した。
「……全軍ですか。全軍となると、タンザモンザツリーに残してある部隊も本隊に合流させ、カスケード・バウを越えて侵攻を行うという事でしょうか」
「そうだ! もう容赦しねぇ、魔物兵は勿論、魔人共だって全員使うぞ!! ケッセルリンクのヤツにも絶対に動くよう命じろ、俺様の下にある戦力全部を使ってカオスマスターを踏み潰すッ!!」
もはや敵の名もホーネットから変わっていた。
ケイブリスの血走った目が睨むのは、憎きカオスマスターただ一人。
「分かりました。すぐに進軍準備を行います」
そんな中、ストロガノフは派閥の主からの命に一度頷いた後、最重要となる質問を投げかける。
「ですが全軍という事は……ケイブリス様も出撃なさるという事ですね?」
その質問に。
「……俺様?」
ケイブリスは虚を突かれたかのように声のトーンを落とす。
その時頭を過ぎった様々な思考。長らく行っていない敵との戦闘、この身を危険に晒すリスク、最強の自分が敗北する可能性。
そんな思考に一瞬だけ気を削がれた後、しかし魔人ケイブリスは確かにそう呟いた。
「……あぁ。もう決めたぞ、俺様も戦う」
それは決して理性的な思考では無く、ただ怒りのままに。
◇ ◇ ◇
ケイブリス派全軍を上げての大侵攻。
その報は山を越え谷を越え、瞬く間に各地へと知らされた。
それは魔界都市タンザモンザツリーにも。
「……ようやくかよ。ケイブリスの野郎、長ぇ事退屈させやがって」
部下の魔物隊長から渡された指令書を読んでその魔人──レイは吐き捨てるように呟く。
それは魔物界南東部、その場に似つかわしくない機械的なデザインの建物にも。
「……はぁ、面倒臭い。こういうのは他所でやっててほしいんだけどなぁ、ほんとに」
PSシリーズの一体が持ってきた指令書を読んでその魔人──パイアールは溜息を吐く。
それは魔界都市ミダラナツリー、その近辺にある魔人四天王の城にも。
「……ケイブリスが先に動くか。あるいはこれも奴らが手を打ったか……?」
配下の下級使徒から渡された指令書を読んでその魔人──カミーラは美麗な眉を僅かに顰める。
それは大荒野カスケード・バウ、その近辺にある魔人四天王の城にも。
「……ケッセルリンク様。これを」
「……ほぉ、全軍出撃か」
「はい。遂にケイブリス様も動かれるようです」
「……そうか。だとしたら私も戦わない訳にはいかないだろうね」
メイドの一人から渡された指令書を読んでその魔人──ケッセルリンクはその目を細める。
そして、その知らせはこちらにも。
「許さないぞーー!!」
「おぉ」
「絶対にぶっ殺してやるーー!!」
「ぬぅ」
「……と、いった感じのようです」
身振り手振り身体を動かし、これでもかと怒りの表現を露わにする。
だが心根が優しきその魔人の事、残念ながらあまり伝わってくるものが無い。聞いていたランスも曖昧に相槌を返すばかりである。
「……うむ、そうか」
「はい。もの凄く激怒しているそうですよ」
「けどなぁ。ハウゼルちゃんに『ぶっ殺してやるー』って言われてもあんまし迫力がねぇな」
「あ、えっと、これは私が言った訳では無く、ケイブリスが言っている事だそうでして……」
「まぁ話の流れからしてそうだろーが。けどケイブリスがそう言ってるっつっても、まさか君が直接聞いてきた訳じゃねーよな?」
「はい……実は私は又聞きというか……これは火炎が言っていた事なので……」
先程の熱演が今更恥ずかしくなってきたのか、ハウゼルはちょっぴり赤くなった頬を押さえる。
魔人ハウゼルの使徒、火炎書士。頭脳派使徒である彼女はホーネット派の為、ひいては主の為にとケイブリス派に対して二重スパイのような働きを行っている。
そんな火炎書士の掴んできた超特ダネ、それがケイブリス派全軍を挙げての大侵攻計画である。
「けど火炎も凄いわね。全軍での進行計画なんて、よくそんな貴重な情報を入手したものだわ」
「それが聞く所によると、その情報自体は簡単に手に入ったそうです。むしろ隠す気もないんじゃないかって火炎は言っていました」
「成る程……待ち構えられる事など織り込み済み、という訳ですか。その上で私達を倒す自信があっての全軍出撃なのでしょう」
シルキィの称賛にハウゼルが答え、そして相手の思惑を察知したホーネットが顎を引く。
魔人ケイブリスを引き釣り出す一手、ハメ撮り写真での挑発作戦を実行してから数日後。
情勢に変化があったと聞いて、ランス達は再び作戦会議の為ホーネットの部屋に集まっていた。
メンバーは前と同じくホーネットとシルキィ、そしてランスとウルザに加えて、その情報を持ち帰ってきたハウゼルがここに加わっている。
「けど全軍での出撃となると……いよいよケイブリスが出てくるという事かしらね」
「えぇ、火炎もそう言っていました。少なくとも現段階でケイブリス派魔物兵達はそのように噂をしているそうです。……それで、これも火炎が聞いてきた噂なのですが……」
そこでハウゼルはちらっと、斜め向かいに座るランスの方に視線を送って。
「……その、カオスマスターという男を必ず血祭りに上げると、そう息巻いているとか」
「カオスマスター……っていうと……ランスさんの事よね?」
シルキィの呟きに重ねるように、その場の皆の視線がそこに集まる。
魔人ケイブリス直々のご指名を受けた男、ランスはにぃっと不敵に笑った。
「そーかそーか、そこまで言うってこたぁあの写真の効果は絶大だったって事だな、がははは!」
「……ランスさん、あまり笑い事では無いと思うのですが」
「その通りです。貴方が言う通りあの写真の効果は確かにありましたが……こうなると少々効き過ぎてしまった感は否めません」
ランスの身を案じたウルザの言葉に、ホーネットも異なる視点から同意を見せる。
この状況下においてケイブリスに逃亡、あるいは潜伏を許してしまった場合、魔人カミーラとの密約の条件である二ヶ月以内に派閥戦争の決着というのが困難となる。
そこで今回ケイブリスを逃さぬようにと、挑発して戦場に引き釣り出す一手を打ったのだが、全軍を挙げての侵攻を誘発してしまったとなるとそれはそれで話が変わってくる。
「向こうから攻めてくる以上、こちらも迎え撃たない訳にはいきません。そして向こうが全軍を挙げてくるとなれば、当初想定していたよりもこちら側の守りを厚くする必要があるでしょう」
「そうですね。向こうの戦力は魔物兵に加えて魔人が5人……あ、でもカミーラが動かないでいてくれるなら4人かしら? まぁそうは言ってもその中にケイブリスやケッセルリンクがいるとなると、こっちも相応の戦力を当てないといけませんね」
「えぇ……ホーネット様、こうなるとゼス国から迂回して奇襲を仕掛ける作戦の中止も検討した方が良いのでは……」
元々予定していたのは敵の陽動を行い、その間に迂回した奇襲部隊が背後を突くという作戦。
しかし敵が全戦力を挙げて侵攻してくる中、こちらの戦力を分けるというのはリスクがある話。
派閥間の戦力差が殆ど無くなった現状、こちらも総戦力で以て迎え撃つのもありと言えばあり。そんな思惑からのハウゼルの言葉に、しかしランスは大きく首を横に振る。
「いーや、それでも奇襲はやるぞ。だってその方が面白そうだからな」
「面白そうって、ランスさん、そんな理由で……」
「けれども理由はともかく、方針としては間違っていないのも事実です。迂回して相手の背後を取る、それで挟撃が出来れば有利な状況となるのは違いありませんからね。勿論、防衛部隊が相手の攻勢をある程度受け止められる事が前提となりますが……」
戦力を分けるというのはリスクがある、とはいえ勿論メリットもあるとウルザが言う。
手薄となった本拠地を制圧してしまえば補給線を絶つ事になるし、前と後ろ双方に敵がいるとなれば相手の足並みだって崩れる。
戦に当たって策を弄する。それはホーネット派本来の方針とは異なるもの。しかしその方針によってこれまで多くの難敵を倒してきたのも事実。
だからこそ、派閥の主たるホーネットは納得の上でそれを決めた。
「……そうですね、ならばやはり奇襲作戦は実行する事にしましょう。私は面白みなどは気にしていませんが、個人的に
カスケード・バウ、及びビューティーツリーに展開してケイブリス派の侵攻を防ぐ防衛部隊。
一方ゼス国から迂回してケイブリス派領域に侵入、タンザモンザツリーを制圧する奇襲部隊。
この内防衛部隊の方にはホーネット派に属している全魔物兵達が加わり、奇襲部隊の方にはゼス国から精鋭部隊を借りる予定でいる。
となると残る戦力、何よりも重要な戦力となる魔人達の振り分けが肝要となる。
「まずシルキィ、貴女は……」
「はい、分かっています。私はこちら側、防衛部隊ですね」
打てば響くと言うべきか、ホーネットが言葉にし終える前にシルキィは即答で応じた。
その戦力的にも性格的にも、魔人シルキィの本領は守備にこそある。彼女が守備部隊に加わるのは極自然な流れ、二人にとっては当然の事であって今更問答するまでもない事。
「問題は残りの魔人達ですね。……ハウゼル、貴女はどっちで戦いたいかしら?」
「私もどちらかと言えば防衛部隊の方ですね。私は戦場が広い方が戦いやすいですし、それに魔王城に近ければもしかしたら姉さんも協力してくれるかもしれませんから」
「あぁ、それは確かにね。そうなると残りはホーネット様とサテラ、ガルティアとメガラスをどう分けるか……」
「向こうの魔人は4人。当初の予定よりもこちらに残す戦力を増やすとなると……」
それぞれが思案げな表情でテーブルに置いた作戦地図、その上に乗る各部隊を示す駒を眺める。
「もぐもぐ……うむ、中々ウマいな」
とそんな中、ランスは一人お茶菓子を手にとってパクリと一口。
こういう時には悩んだ末の結論よりも、パッと思い浮かんだ閃きに乗っかる。
これまでそうしてきたのがランスであり、だからこそ彼我の戦力あれこれどうこうは考えず、率直に頭に浮かんだ思考をそのまま口にした。
「よし。ならホーネット、お前は俺様と一緒に奇襲部隊に来い。んで残りの奴らは全員こっちに残って防衛部隊として戦え」
「……私が奇襲部隊の方に、ですか……」
魔人ケイブリスの侵攻を前にして、真っ向から当てるべき派閥最強の戦力をあえての裏側。
単に背後からの奇襲といってもその刃が半端なものであれば効果は薄い。その点背後からあの魔人ホーネットが襲い掛かってきているとなれば、どんな相手も動揺せずにはいられないはずだ。
とそんなノリの思考、相手の裏をかくのが好きなランスらしい思考である。
「どうだ、なんか問題あるか?」
「……どうでしょう、私は構わないのですが……シルキィ、貴女の意見としては?」
「そうですね、こちらとしてもそれだけの戦力を防衛に回してくれるなら正直言って助かります。けどランスさん、そっちは大丈夫なの?」
「心配すんな。最強の俺様とホーネットがいれば問題など無い。それにカミーラの話じゃ奴らの本拠地は殆どもぬけの殻になっとるそうだしな」
ランスの言葉に各々が頷いて、こうして作戦の大筋が固まってきた。
ケイブリス派全軍を上げての大侵攻。それをシルキィ、サテラ、ハウゼル、ガルティア、メガラスと魔物兵達からなる守備部隊が迎え撃つ。
その間にホーネットとランス率いる奇襲部隊はゼス国から迂回して、手薄となっているタンザモンザツリーを制圧する。
その後カスケード・バウへと南側から攻め込み、残る敵軍を挟撃して撃破する。
「奇襲部隊の進路には殆ど敵が居ないと見込まれる以上、問題はやはりケイブリスとの決戦。そしてもう一つ、守備部隊がどれだけケイブリス派の攻勢を抑えていられるか、でしょうかね」
「だな。おいシルキィちゃん。そっちにはホーネット以外の魔人を全部残してやるんだから、そりゃもうビシバシ働けよ。最低でもケイブリス以外の雑魚魔人共はそっちで片付けておくよーに」
「そりゃ私だって出来たらそうしたいけど。でもケイブリス以外といっても、ケッセルリンクは言うまでもなく強敵だし、レイとパイアールだって決して侮れる相手じゃないから……片付けておけるかどうかは正直言って確約出来ないわね」
魔人は強い。勿論こちらの魔人も強いのだが、それでも相手の魔人だって強い。
ホーネット派とケイブリス派は過去何度も衝突を繰り返し、しかしランスが派閥戦争に参加するまでお互いがお互いの魔人を倒した例は一つもない。
だからこそのシルキィの言葉に、ランスは待ってましたとばかりに口の端を曲げた。
「くっくっく……安心しろシルキィちゃん。俺様には秘策があるのだ」
魔人は強い。だからこそ簡単には倒せない。そう考えてしまうのがシルキィ他ホーネット派の面々なのだが、しかしランスだけは違う。
何故ならランスはこれまでに沢山の魔人を退治してきた。その数は軽く十を越え、シルキィが先程挙げた名前、今のケイブリス派に残る魔人達全員だって一度は自らの手で討伐した。
魔人は確かに強い。けれど戦い方次第で倒せる。何故なら自分は最強の英雄だから。それがランスの考えであり、過去に一度討伐経験のある彼だからこそ打てる策というものがある。
「秘策?」
「そ。ケイブリスと戦うとなりゃ他の雑魚魔人共とも戦うかもしれんと思ってな。賢い俺様は奴らをぶっ殺す秘策をすでに準備しているのだよ。……なぁウルザちゃん?」
「……えぇ。言われていたものはすでに取り寄せていますが……しかし……あのようなものが魔人との戦いの場で必要となるのですか?」
「なるなる。絶対なる」
「……?」
何やらよく分からないが、ランスは魔人退治に有効な一手をすでに打っているらしい。
だがそれを手配したらしきウルザの表情はなんとも微妙な感に溢れていて、事情を知らぬホーネット達にはその表情の理由が気になった。
「勿論秘策はケイブリス用のだってあるぞ。あの間抜けリスにあっと言わせるとっておきがな」
「ケイブリス用の秘策? ……それはまたカミーラの写真のようなものなのではありませんか?」
「ちゃうちゃう、今度はもっとマジのヤツ、お前も知っとるあれだ。……つまりな、ここまでは全て俺様の計画通りなのだよ」
今まであらゆる強敵を策に嵌めて倒してきた男、ランスはどこまでも強気に笑っていた。
◇ ◇ ◇
そしてその後。
その日の作戦会議は終了し、それぞれがホーネットの部屋を退出する中。
「……ん?」
皆に続いて部屋からお暇しようとしたランス。
けれどソファから立ち上がった瞬間、視界の端に映ったホーネットの表情が。
何を考えていたのか、その口元には微笑が。けれどもどうしてか切なげに見えるその表情が、何故かランスは無性に気になった。
「……どした?」
「え? あぁ……」
何を聞かれているのか分かったのか、するとホーネットはふっと口元を緩ませて。
「……二ヶ月も無かったなと、そう思いまして」
「あん? ……あー、そうだな。確かに二ヶ月もいらんかったな」
それはカミーラとの密約。そしてランスが城に帰還してすぐ彼女に告げたタイムリミット。
当初は先程の奇襲作戦を、それに伴うケイブリスとの決戦を二ヶ月以内に行う予定でいた。しかしこうして向こうが立ち上がった以上、開戦の時期をこちらが選ぶ事は出来ない。
相手は準備を終え次第、全軍を挙げて侵攻してくる。となるとこちらも早急に軍を動かさなければならない。残された時間はあと一週間あるかどうか、そんなところだろうか。
「けどまぁ、早まる分には問題ねーだろ。こっちも戦争の準備はちゃんとしてたっつー話だし」
「……そうですね。確かに貴方の言う通り、早まる分には何も問題ありません」
その言葉は。
それは何も知らぬが故のもの。
自分の気持ちを何ら知らぬが故の言葉に、ホーネットは確と頷いた。
「えぇ、何も問題はありません。……すでに、覚悟は出来ていましたから」