その日の朝、奇襲部隊の面々はうし車に乗って魔王城を出発した。
ランスとシィル、ウルザとシャリエラ、そしてホーネットを乗せた車はなげきの谷を通過して番裏の砦を越え、人間世界へと足を踏み入れる。
途中途中、休憩や夜を越す度に魔法電話で防衛部隊の方と連絡を取り合いながら数日間、ヘルマンを横断してバラオ山沿いを通って南下、アダムの砦からゼス国へと入国。
それから更に進路を進めて、やがて一行の乗るうし車が停車した。
一先ずの目的地として到着したのはゼス国首都、ラグナロックアークにある王宮前。
「あ、ランス達が来たみたいね」
「おぉ、ようやくか! ランス、待っていたぞ! わっはっはっは!」
「ぐ、相変わらず無駄にバカデカい声を……」
仲間達を連れて宮殿に入るや否や、聞こえてきた男の大声にランスが顔を顰める。
そこに居たのはゼス国の王女、マジック・ザ・ガンジー。
そしてマジックの父親であり国王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー。
どうやら二人はランス達からの連絡を受けて、こうしてその到着を待っていたようだ。
「ガンジー王、それにマジック様も。お待たせしてしまい申し訳ありません」
「気にしないでいいわ。……それにしても、ウルザ達と会うのも久しぶりな感じがするわね」
「そうですね、以前にお会いした時は落ち着いて話せるような雰囲気ではありませんでしたから……とはいえ、それは今回も変わらないのですが」
「……そうね」
ランス達がガンジー親子と顔を合わせるのは4月中頃、人質交換の際に訪れた時以来。
およそ8ヶ月ぶりとなった再会を懐かしんでいる暇も無く、すぐにマジックがいつも以上に真面目な表情で口を開く。
「話はすでに聞いているけど、なんだかとんでもない事になったわね、まさか魔人に協力して魔物界への侵攻を行うなんて……」
「確かに間違いなく前代未聞ではあろう。だがランスよ、お前はその必要があると判断して、その為にゼスの力が必要だという事なのだな?」
「うむ。ケイブリスをぶっ殺すのにはこっちから進んだ方が色々手っ取り早いのだ。ホーネット派に協力してるっつーのは前にも話したろ?」
「あぁ。だがその派閥の主と会うのは初めてだ。どうやらその方が……」
そこでゼス国王と王女の視線がランスの隣に。
こうして相対した当初から強い存在感を放っていた、見知らぬ絶世の美女へと向けられる。
「……えぇ」
話が自分の方に向いたのを見てか、ホーネットが自ら一歩前へと進み出た。
「……私がホーネット派を率いる頭首、ホーネットと申します。此度はケイブリス派打倒の為、貴方達人間の助力を心より感謝します」
常の丁寧な口調で謝意を表し、腰を軽く曲げてお辞儀をする。
「……っ」
「ぬぅ……」
その所作からは何ら害意など感じないのに、それでも二人は数秒押し黙ってしまった。
至って普通にしていてもその目付きから、あるいはその姿から鮮明に伝わってくるものがある。
魔王城で長らく暮らしてすでに慣れている者達ならともかく、初対面となる者は誰であろうと本能的な恐怖を感じて気を引き締める。魔人筆頭とはそれ程に威圧感のある存在で。
「おいホーネット、お前あんまりマジック達を脅すなって」
そんな竦んだ様子のマジック達を見かねてか、ランスが助け舟を出した。
「脅すなどと……私は至って普通に挨拶をしただけではありませんか」
「だからお前はその普通がもう怖いんだっつの」
「……そんな、事は……」
そんな事は無いはずです、とホーネットはぽそりと小声で呟く。
「がははは、そうビビるなガンジー親子ども。確かにこいつはちょー強くて怖い魔人だが、それでも危険なやつでは無いのだ。……な?」
「えぇ、その通りです。私には貴方達を害する意思などありません」
「そうそう。それに何より……だ」
そう言ってランスはにやりと笑うと、その魔人の細い腰をおもむろに抱き寄せる。
「あ、……」
「この通り、ホーネットは俺様の女だからな。がーっはっはっはっ!」
それはもう自慢げに、その場にいる誰に対しても見せびらかすように。
実にイイ顔で笑いながら、ランスお得意のこいつは俺の女宣言。
「………………」
その宣言に対してホーネットはどのような反応をするのか、何と言葉を返すのか。
ランス以外の皆の視線、ぐっと息を飲むガンジー親子のみならず、遠巻きからその様子を眺めるゼス国兵士達の視線なども集めながら。
ホーネットは若干の沈黙の後、その視線をそっと横に逃して。
「…………まぁ」
とだけ答えた。
何とも含みを持たせる返事だが、それがこの場で出来るホーネットの精一杯である。
そしてそれは魔王城で暮らしていた面々、シィルやウルザやシャリエラにとってはすでに何となく知っていた事なのだが、そうでは無い者達にとってはやはり衝撃的な返事だった。
「……ぐ、う……ランスの隣にいる美人を見た時からそんな気はしてたけど……」
「成る程……一応それもウルザから報告を受けてはいたのだが。いやはやなんとも……ランス、お前は本当に計り知れない男だ」
新たな強敵の出現に唸るマジックの一方、ガンジーは感嘆の響きで呟く。
たとえ相手が魔人であっても、それが魔人筆頭であっても関係無し。美女とあればランスは構わずその手を伸ばし、失敗も多くある一方で見事その手に宝を掴む時もある。
魔人の心を射止める事、それはある意味単に討伐するよりも価値のある事。常人にはとても真似できない、魔人を決して恐れないランスならではミラクルである。
「うむ、そういう事ならここで私が口を挟む事など何もないな。ランス、そしてホーネット殿、我がゼスが誇る魔法部隊の力を存分に使ってくれたまえ」
「……有難うございます」
「けっ、俺様が救ってやったゼスの力を俺様が好きに使うのは当然だっつの。つーかお前ら、ちゃんと準備は出来てるんだろーな?」
「当たり前でしょ。すでに雷軍、光軍、氷軍はマジノラインの方に移動してあるわ」
事前にウルザからの連絡を受けて、魔法大国ゼスが誇る精鋭部隊、通称四軍はすでに配置済み。
勿論ゼス軍には四軍以外にも一般的な魔法使いの部隊が幾つも存在しているが、しかし魔物界への突入とあっては生半可な戦力では役に立たない。
故に今回ゼスが提供するのは軍の中で最強の戦力たるゼス四軍、その内リーザスへの備えとして外せない炎軍を除いた計三軍となる。
「こちらの準備に抜かりは無し、なので後は我らがマジノラインへと向かうだけだ。明日にでも魔物界へ突入する事が出来るだろう」
「うむ、ならば良し。……けど我らっつー事は……おいガンジー、まさかお前も来るつもりか?」
「当然だとも。他ならぬランスがゼスの戦力を借りて魔人と戦うと言うのだ、ならばこの私も力を振るわぬ訳にはいくまい」
「いらん。付いてくんな」
「いいや。断られても付いていく」
「勿論、私も一緒に行くからね」
「……お前ら王と王女だろうに。ならまーいいけど、足だけは引っ張るんじゃないぞ」
けれどゼスの王族は暇なのか? とランスは内心少し首を傾げる。
するとそんな暇人疑惑の上がった王族、ガンジーは妙に硬い表情で口を開いた。
「だが……ランスよ、今回使用するのは本当にゼスの戦力だけで良いのか? リーザスなどもお前が声を掛ければきっと力を貸すだろう、そちらの戦力もあった方が良いのではないか?」
「いらんだろ別に。こっちにはホーネット派最強の魔人もいるし、なにより俺様がいるからな」
「しかし……ここは各国に声を掛けて、人類の力を結集して戦うべき時だと思うのだが……」
「いらんと言っとるだろ。大体各国の戦力なんて呼び寄せている時間が無い。カスケード・バウの方ではもう戦いが始まる間近らしいからな、俺達も早く出発しねーと」
勝率を1%でも上げようと言うなら、当然ながら少しでも戦力を多くした方が良い。
その意味ではガンジーの言う事はなんら間違っていないのだが、しかし今からヘルマンやリーザスに動いて貰うのには時間が足りない。
そこには異を唱えようが無く、ガンジーとしても引き下がるしかなかったのだが。
「……ふうむ、そうか。ならば仕方ないが……これが後の火種とならねばよいのだが」
魔物界への侵攻。それは未だ人類が一度もなし得ていない偉業。
そこには当然大きな危険が伴うが、その分成功すればこの上ない声望を得られる。
それをゼス国が単独で行った場合、他の国々が、特にリーザスのあの女王がどう思うか。ガンジーの頭にはそんな憂慮があったのだが、さりとて時間が無いと言われては打てる手も無かった。
「さてと、そんじゃマジノラインへ──」
出発だー、との言葉を遮るようにして、
「その前に。ランス、今度こそスシヌに会っていってよね」
「ぬ……」
口を挟んできたマジックの言葉に、ランスは途端にしかめっ面となった。
「……スシヌ?」
「そう、スシヌ」
「……いや、けど、ほれ、今は時間が無いと言っとるだろう」
「前来た時もそう言って会ってくれなかったじゃないの。ちょっと会うだけでいいから」
「つっても時間が無いのはマジなのだ。だから~……そう、帰りだ、それは帰りにしよう」
「帰りぃ?」
「うむ」
「……分かったわ、なら帰りは絶対に、ぜーったいに会って貰うからね!」
「お、おぅ……」
覚えてたらな、とランスがぼそりと呟いて、覚えてなさいよ! とマジックの叱責が飛ぶ。
相変わらず子供との接触は嫌がる男、ランスはスシヌ王女と会う事は後回しにする事を決意。
「……スシヌ?」
とそんな中、ホーネットは誰に聞かれる事も無くその名を呟いたのだが。
幸か不幸か、この時のホーネットがそれを知る事は無かった。
その後、時間が無いという事もあって一行は休む暇も無く王宮を出発。
ランスとシィル、ウルザとシャリエラとホーネット。そこにガンジー親子が加わった一行は再度うし車に乗り込んだ。
これは冒頭から二回ほど述べている事だが、今回ここに居るメンバーは以上の通り。
よく見ると誰か一人忍者が足りないような気もするが、それはともかくとして一行はゼス国西の端、人間世界と魔物界を区切る境界線へと向かった。
魔法要塞マジノライン。魔法の力によって魔物の侵攻を防ぐ絶対防衛線。
到着した頃にはすでに日も落ちていた為、本日は要塞内に部屋を借りて一泊。魔物界への出撃を明日に控え、ランス一行は休息を取る事にした。
そして夜。
「……ふぅ」
背もたれのある椅子に腰を下ろして、ホーネットは小さく息を吐いた。
そこは彼女に与えられた宿舎内の一部屋。先程全員での夕食を食べ終わって、その後宿舎内にあったシャワーを借りて身体を流した。
後は明日に備えて身を休ませるだけとなった今、ホーネットは自然と瞼を閉じる。
「……明日」
明日、この奇襲部隊はマジノラインを越えて魔物界へと突入する。
ホーネット派が長らく侵攻出来なかったエリア、ケイブリス派領域の奥深くへと進む事になる。
それは人間であるランスが思い付いた方法で、多くの人間達の力を借りて行う作戦。
もはや受け入れているし、もはや慣れきった事でもあるのだが、それでもこの自分が、人間など取るに足らない存在としか見ていなかったこの自分が、とそんな思いを抱かずにはいられない。
(……私がそんな思いを抱く事も、ランスと出会った事による影響なのでしょうが)
ランスと出会って自分は変わった。変えられてしまったと言い換えてもいい。
その事もそうだが、今ここでこうしている事も。ケイブリス派領域への突入を明日に控える段階まで来られたのも、ランスが協力してくれたからこそ。
人間世界の国を簡単に動かしてしまう事といい、改めて凄い人物の協力を得られたものだと思う。
──そう。ランスの協力を得て、ランスの力を借りて……明日。
ケイブリス派領域へと突入して、敵の本拠地タンザモンザツリーを制圧して。
そうしてカスケード・バウへと向かったら、いよいよケイブリスと決着を付ける時。
(……そして)
そして。その後。
その後、魔人ケイブリスとの決着の後に待ち受けるであろう事。
その先の事へとホーネットの思考が触れかけた、ちょうどその時。
コンコン、と聞こえるノック音も無く。
勿論ながらどうぞ、と答える間もなく、向こう側から勝手にドアが開かれた。
「よう、ちょっといいか」
「……ランス、どうしました?」
そんな横着な真似を仕出かす者といえば一人しかおらず、部屋を訪れたのは勿論ランス。
ホーネットは腰を下ろしていた椅子から立ち上がって、そのそばへと近づいていく。
「ホーネット、これが決戦前夜だ」
そうして真正面から顔を合わせた途端、ランスはそんな事を言い出した。
「……決戦前夜?」
「うむ、決戦前夜だ。だって明日には魔物界に乗り込む事になるだろう?」
「えぇ、そうですね」
明日はもう魔物界へと乗り込む。それは先程からホーネットが考えていた通り。
その為の準備も終えて、後はもう就寝して明日を待つだけなのだが。
「ですが……決戦前夜というのは違うのでは? 距離的に考えても明日に進めるのはミダラナツリーまで。ケイブリス派の本拠地タンザモンザツリーを制圧するのはその翌日になるでしょうし、決戦の地であるカスケード・バウに着くのは更に翌日になると思いますが」
予定している進行計画を振り返りながら、ホーネットはそんな指摘をする。
明日の進軍はミダラナツリーまでで、決戦を行う予定は無い。明日の内にタンザモンザツリーまで辿り着くのも不可能とは言えないが、そうなるとかなりの強行軍となってしまうし、更にその先、大荒野カスケード・バウまで明日の内に辿り着くのはまず不可能。
故に今夜は決戦前夜ではない。その指摘は至極真っ当なものだったのだが。
「確かにそれはお前の言う通りかもしれん。けど明日からはずっとテント泊まりだろ? だからこの部屋にあるようなベッドでゆっくり眠れるのは今日が最後になるのだ」
「まぁ……それはそうですね」
「うむ。だから今日が決戦前夜なのだ。もうそういう事にした」
「……そういう事にした、と言われてもよく分からないのですが……まぁいいでしょう」
それでも今日は決戦前夜らしい。
ランスはもうそのように決めたらしい。
しかしてそれがどのような意味を持つのか、理解しているのは現状その男のみで。
ホーネットは考えた事が無かったのだが、決戦前夜とは単なる一夜ではなく特別な意味を持つ。
「……それで? 今日が決戦前夜だとしたらどうだと言うのですか?」
「うむ、だからホーネットよ、セックスするぞ」
「………………」
やはりというかなんと言うか、その口から次いで出てきた言葉はセックス。
実のところ、この男がこうして自分の部屋に来た時から何となく予感していたのか、沈黙するホーネットの瞳に動揺は見られなかった。
「……ランス。その『だから』というのは、一体どの言葉に掛かっているのでしょうか」
「だから決戦前夜だ。今日が決戦前夜だからセックスするのだ。決戦前夜は誰かしらの女とセックスをする、決戦前夜とはそういうものなのだ」
うむうむ、としたり顔で頷くランス。
決戦前夜。それは宿敵との決戦を明日に控え、そんな中で女とセックスをする神聖な夜。
時に選択を間違えて何故か男と語り合ってしまう事が稀によくあるのだが、それは無視。とにかくランスにとって、決戦前夜とセックスはイコールと言っても差し支えないものなのである。
「そういうものだ、と言われましても……」
「おーっと、駄目だぞホーネット、これに関しては拒否はノーだ。決戦前夜は女とセックスする、これはもうそうと決まっているのだ、口答えは許さん」
これはある種予定調和的な流れであり、その点に関して反論は一切受け付けない。
そんな無理矢理過ぎる理屈に、ホーネットは何を思ったのか。
「……そうですか」
数秒だけ考える仕草を見せた後。
「……分かりました。では、どうぞ」
途端にすっと半身を引いて、ランスを部屋の中に招き入れる意思を示した。
「あり?」
「どうしました?」
「いや、こんなにすんなりとオッケーが出るとはちょっと意外だった」
どうやらランス自身も無茶苦茶な理屈で押している自覚があったらしい。
もっと粘られるんじゃないかと思っていた為、こんなにすんなりと、いつにも増して聞き分けの良いホーネットの姿に、こりゃラッキーだなと思う反面、あれ? と首を傾げる思いもあった。
「それとももしかしてお前もその気だったか? がははは、そうなのだな?」
「そういう訳ではありませんが……」
けれど、とホーネットは呟いて。
「決戦前夜とは、そういうものなのでしょう?」
「あ、あぁ、まぁな」
「でしたら……そうする他にないでしょう」
そう言って目を合わせたホーネットの表情、あるいは声色、伝わってくる雰囲気のようなもの。
この時はまだランスも確信が持てなかったが、確かにそれは普段の彼女とは少し異なっていた。
(続く)