ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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決戦前夜

 

 

 

 そして、決戦前夜の夜は更けていく。

 一つのベッドに二つの身体、共に一糸纏わぬ身体を何度も交わらせて。

 

 決戦の前夜とは得てしてそういうもの。だからその作法に則ってセックスをする。

 そんなよく分からない理屈に抗う事なく、ホーネットはその身体を相手に委ねた。

 その様子には少々引っ掛かるものがあったが、とはいえ委ねられたランスとしては是非もない、それを余す所無く味わう事だけに没頭して。

 

 

「ぽへー……」

 

 やがて性交が終わって、今は眠りに就く前のほんの僅かな一時。

 ランスの隣にはホーネットが、未だ熱を帯びているその身体が確かに横たわっている。

 

「……なぁ、ホーネット」

「……どうしました?」

「ちょっと気になったのだが……今日のお前はいつもとはなんか違う気がするぞ」

 

 微かに上気しているその顔を見ながら、ランスは先程から引っ掛かっていた事を尋ねてみた。

 

「私のなにがどう違うと?」

「どうっつーか……なんか今日のお前、随分と積極的だったではないか」

「……そうですか? 別にそんなつもりは……」

「いーや、絶対にそうだった。今日のお前はこれまでよりもエロチックだった」

 

 今日のホーネットは何かが違う。本日のセックスはいつもとは違って、彼女の方から求めてくる気配がそこかしこに見られた。

 前に禁呪を使った時のように決して淫らになっているという訳では無いのだが、どうにも情感的というか、濃密というか。

 そもそもセックスに至る前、あんな適当な口説き文句でベッドイン出来た事からして、いつもとは何かが違うとランスは感じていた。

 

「今日のお前は……なんかいつもより柔らかいっつーか、いやいつも柔らかいんだけど、なんかもっと深みがあるというか……エロエロというか……」

「……柔らかい? 身体に触れた感触がですか?」

「いや、身体もそうなんだけど……なんかこう接し方っつーか……雰囲気? とにかく今日のお前はなんかが違う気がする」

 

 何が、と具体的な差異はよく分からない。あえて言うならば全体的に醸し出す雰囲気か。

 そんなあやふやな指摘を受けて、けれどホーネットにも少しだけ思い当たる事があったのか。

 

「……雰囲気、ですか……。そうですね……そうかもしれません」

 

 一音一音自らの思いを確かめるかのように、ゆっくりとそう言葉にする。

 すると分かる。確かに今の自分はいつもと違う。いつもとは異なる自らの心情、それを吐露する事にいつもより抵抗がない。

 

「やはり決戦前夜だからでしょうか……意識してしまっているのかもしれませんね」

「ははーん、なるほどな。さすがのお前と言えども決戦前となりゃ緊張するってか」

「これを緊張と呼ぶのかは分かりませんが……それでも普段の私と違う事は確かなようです。柄にも無い事だとは承知していますが」

 

 今日は決戦前夜。

 =セックスだと考えるランスは稀なケースで。

 一般的に決戦前夜となれば、もう間近に迫る決戦を意識してしまうもの。

 

 そして──その決戦が終わった後の事も。

 

 

「……もうすぐです。もうすぐ長かった派閥戦争にも決着が付きます」

「そうだな。勿論俺様の大勝利で、だ」

「ランス、そこはせめてホーネット派と言って欲しいのですが」

「んなのどっちでも変わらんだろ。とにかく勝つのはホーネット派を率いるこのランス様なのだ」

「私の名を冠する派閥を率いるのが貴方というのはおかしな話ですが……けれど、そうですね。なんにせよ勝つのは私達です」

 

 そして、とホーネットは呟いて。

 

「派閥戦争に決着が付いたら……貴方とこうする事も最後となるでしょうから」

「……あん?」

 

 こうする事も最後となる。その言葉は実に嫌な響きでランスには聞こえた。

 その言葉が意味する所もそうなのだが、なによりもホーネットの口調から伝わってくるものが、その言葉を確信を持って言っているように聞こえたのが気に障った。

 

「おいホーネット。なにを言うとるか、こうするのが最後だなんて……あ、お前まさかあれか? この戦いにケリが付いたら俺様から逃げられるとでも思ってんじゃねーだろうな」

「……えぇ。そう思っています」

「アホ。んな事は許さんぞ、お前みたいな良い女をこの俺様が手放す訳ねーだろう」

 

 ただでさえ絶世の美女な上、途方もない苦労の末にようやく手に入れた念願の相手。

 その言葉通り手放してなるものかと、ランスは抱き寄せる腕の力をぐっと強める。

 

「手放すもなにも……この戦いが終わったら、貴方は元居た場所に帰るのでしょう」

「む。まぁそりゃいつかは帰るだろうが……けどそん時はお前も持って帰る。魔物界みあげとして荷物袋に入れて持って帰るからな」

「……ランス、私は物ではありません」

 

 もの扱いされてもそこは気にせず、むしろホーネットは苦笑するようにそう呟いて。

 

「私は物ではなく、魔人です。そして貴方は人間。……私達は住む世界が異なります」

 

 魔人が住むのは世界の西側、魔物界。そして人間が住むのは世界の東側、人間界。

 その境界は各国が建てた堅牢な砦により厳重に仕切られている。それがこの世界の姿、彼女の父親が創り上げた秩序ある世界の姿。

 

「一度貴方が人間世界に帰ればそれが最後、きっともう会う事は無いでしょう。……いえ、むしろもう会わない方が良いとさえ思います」

「おい、だからなんでそうなるんだっつの。住む世界がどーした、そんなもん無視して現に俺はお前を抱いているだろうが。お前が魔人で俺が人間だとかどうとか、んなこたなんも関係無いのだ」

「……関係ありますよ」

「いーや無い。無いったら無い。この戦いに勝ってもお前の事はこれまでと変わらず抱くからな。もうそう決めた」

 

 あるいはその言葉は、少し前までであれば彼女も嬉しく感じたのかもしれない。

 けれど──今はもう決戦前夜。ここに来るまでにすでに覚悟を固めており、故にこそその言葉は今のホーネットには響かない。

 

「無理ですよ。派閥戦争などあくまで魔物界の中だけの戦争です。この戦いに勝ったからとて世界の理が変わる訳ではありません」

「世界の理?」

「えぇ。この戦いに勝ったからとて……それで美樹様の問題が解決する訳ではありませんから」

「……ぬ」

 

 それを告げられた時、ランスは即座に返す言葉が口から出なかった。

 それはある種ここまでランスが目を背けてきた、見ないようにしてきた問題。

 それでも決して無視する事は出来ない問題──現魔王来水美樹のリトルプリンセスへの覚醒。

 

「私達がこうしていられる時など、美樹様が魔王として覚醒していない今だけの事です」

「………………」

「ですが早晩……きっと近い内に美樹様は魔王として覚醒なさるでしょう」

 

 それは来水美樹に魔王として世界を治めて貰う事を目的とするホーネット派、その頭首としての期待からではなくて。

 むしろそれが世界の有り様だと──必然の事だと言うかのような口ぶりで。

 

 ホーネットは魔人筆頭。魔王の最も近くで仕える事を役目とする存在。

 そしてリトルプリンセス、つまり覚醒した魔王とは彼女の父親を除いて基本的に人類の害悪。

 近々魔王が覚醒するとして、そうなったら当然魔人筆頭たる自分の負うべき使命も変わる。それがどのようなものになるかは覚醒したリトルプリンセス次第とはいえ、きっとロクなものではない。

 だからこそ、この先はもうランスに会わない方が良いとさえホーネットは感じていた。

 

「……美樹ちゃんが……魔王になるって?」

「えぇ、そうです」

「……んな事はまだ分からんだろう。あの子はここまで覚醒せずに何とかしてきとるではないか。だからこの先だって……この先ずっと覚醒しないでいられる可能性だって十分あるはずだ」

「……いいえ。おそらくそれは不可能でしょう」

「だからそんなの分かんねーだろ。どうしてそう言い切れるのだ、なにか根拠でもあんのか」

 

 その言葉は当然「根拠はありませんが……」と返してくれるのを期待してのものだったのだが。

 しかし魔人にとって魔王とは絶対の存在。現状未覚醒の美樹が絶対の存在たるリトルプリンセスになるかどうかについて、ホーネットは根拠も無しに憶測を語るような性格はしていない。

 

「勿論、私なりの根拠はあります。……それは父の事です」

「父? それって……魔王ガイだっけか?」

「えぇ、先代魔王ガイ。先代とあるように、魔王というのは代替わりをする存在です。これが人間に知られている事なのか分からないので一応補足しておきますと、一代の魔王に与えられている任期はちょうど千年となります」

 

 魔王の任期は千年。その任期を何事も無く終えた場合、魔王は新たな魔王へと代替わりをする。

 そして彼女の父、魔王ガイはその在任期間を何事も無く終えようとしていた為、代替わりする為の新たな魔王の存在を必要としていた。

 

「父は晩年、魔王の力を引き継がせる後継者探しに奔走していました。あらゆる手を尽くし、最終的には異世界にまで手を伸ばして、そこで美樹様を発見して後継者としました。ですが……」

 

 その先を言葉にしていいのかどうか、ホーネットは一瞬躊躇ったように見えた。

 だがすぐに意を決したのか、すっと細めた目線を上に、今はもう遠い何処かを眺めるようにしてその先を語りだす。

 

「私は……私は可能であれば、あのまま父上に魔王を続けてほしかった。最終的に父上の在任期間は千と十五年。あの時すでに本来の任期である千年をとっくに過ぎていましたからね」

 

 もし在任期間を越えても構わないのなら。それでも魔王としてあり続けられるのなら。

 だったら後継者など探さなくても、父がそのまま永遠に魔王であり続ければいいのでは。

 ホーネットはそう思っていた。そう──願っていたのだが。

 

「ですが……どうやらそれは叶わぬようでした。その後父上は美樹様に魔王の力を継承して……そして亡くなりました。その時に私は思ったのです。魔王に定められた仕組みというべきもの、魔王の力というのは魔王自身にさえも抗えぬものなのだと」

「………………」

「ですから……このまま美樹様が魔王への覚醒を拒み続ける事も不可能だと思うのです。もしそれが許されるのなら……父があのまま魔王であり続ける事だって許されたはずですから」

 

 父親である魔王ガイの最後に触れて感じた事、それがホーネットの持つ根拠。

 

「……ほーん、まぁお前の言いたい事は分かった」

 

 そこはランスが立ち入れぬ領域の話であって、当然そこには反論の余地など無い。

 だがそれでも、それでも魔王の覚醒というのは容易く受け入れる訳にもいかない話で。

 

「けどな、けど~……そう、仮に美樹ちゃんが覚醒するとしてだ、それでもどうなるかはまだ分からんだろう。なんせあんなに優しい子だ、魔王になっても優しい性格のままかもしれんではないか」

「それは……」

「……なんだよ」

「……いえ。そうですね、そうだといいですね」

「……だろ?」

 

 優しい性格の魔王。それを聞いてそっと目を伏せたホーネットはおろか、ランス自身でさえも言ってて虚しい言葉だなと感じていた。

 何故ならランスはすでにそれを知っているから。数年前JAPANに居た頃、リトルプリンセスとして覚醒しそうになった美樹と対峙した経験がある。

 その時のいざこざでシィルは氷付けにされた。あれがリトルプリンセスなのだとしたら、優しい性格の魔王などとは到底思えるものでは無い。

 

「……まぁ、期待は期待として、考えるべき事は考えねばなりません。一般的に魔王というのは人類を虐げるものです。私も美樹様が父上の遺志を継いで秩序ある統治を行ってくれる事を期待してはいますが……現実には難しいでしょう」

「……かもな」

「えぇ。ですからすぐにとは言いませんが、きっといつか美樹様は魔王となって……その時には必ずこの世界の有り様が変わる事となるでしょう」

 

 今の暦はGI歴ではなくLP歴。つまり魔王はすでに代替わりをしている。

 未だ美樹は覚醒を拒んではいるものの、しかし本来ならすでに世界の有り様は今とは違うものに、代替わりした新たな魔王リトルプリンセスが望む形へと変わっているはずで。

 

 そしてその時はいずれ必ず訪れる。ホーネットはそう思っている。

 だからこそ先程告げた通り、こうしていられるのは今だけで──別離の時は必ず訪れる。

 

 

「ですから……」

 

 するとそれまで仰向けでいたホーネットは、言いながら少し体勢を変えて。

 

 

「今はその……ほんの一時の間のこと」

「お?」

 

 その手を反対側の肩まで伸ばして、相手の身体ごと包み込むかのように。

 

 

「こうして貴方が隣にいる事も……」

「おい、ホーネット……」

 

 その顔を近付けて、吐息がその首元に掛かるまでの距離に。

 

 

「そして、私がこうしたいと思う事も」

 

 更にはその足まで動かして、自らそれを相手の足に絡めさせるように。

 

 

「……全ては今だけの事。この気持ちはほんの一時の間の……錯覚のようなものです」

 

 僅かな隙間すらも余さず、ホーネットはランスの事を抱きしめる。

 その口で語る言葉とは裏腹に──決して離れまいとするかのように。

 

 

 これは全てほんの一時の間だけの事。だからホーネットは自らの想いに封をした。

 ランスの事が好きだという気持ち、それを言えない言葉として外には出さないようにした。

 いずれ別離するのが分かりきっているのに、そんな言葉を伝えた所で意味が無いなと感じたから。

 

 そうして自らの想いに封をして、だからそれを望む事すらも抑えようとした。

 前にランスからどんな望みでも叶えてやると言われた時、望もうとする想いはあった。それは別になんでもよくて、趣味としている詩集の朗読を聞いて欲しいだとか、それこそ一緒に城内を散歩してみたいだとか、本当に小さな事でもよかった。

 けれどもそれすら望まなかった。何かを望んで、より離れ難くなってしまうのが嫌だったから。

 

 そんなホーネットの想いについて、言葉にはしなくても伝わってくるものがあったのか。

 

「………………」

 

 そうして抱きしめられたまま、ランスは何も言う事が出来なくなってしまっていた。

 彼女の方から密着してきた事、初めてとなるそれに少なからず動揺したのもあるのだが、何より先程ホーネットが告げた思い、それに対して返すべき言葉が何も思い付かなかった。

 

「………………」

「……ふふっ」

 

 するとそんなランスを見てか、珍しくホーネットが小さく笑った。

 

「どうしました? そのように沈黙するなんて貴方らしくもない」

「……む、別にそんな事はないぞ。俺様はどんな時も俺様なのだ。つーかホーネット。むしろ今はお前の方がらしくないと思うぞ」

「ふふっ、そうですね」

 

 本当にらしくも無く、ホーネットは再び柔らかな微笑を浮かべる。

 

「……貴方の言う通りですね、今日の私はいつもとはなにかが違うようです。明日の私が今の私を振り返ったら目を覆いたくなるかもしれません」

「ほう、だとしたらそん時のお前の反応はさぞ見ものだろうな」

「でしょうね。けれど絶対に見せませんから」

 

 明日の自分は後悔するかもしれないが、少なくとも今の自分はそうは感じない。

 決戦前夜という今だけの不思議な心境、それをある意味好機だと感じたのか、次いでホーネットは普段ならまず言わないであろう事を言い出した。

 

「……ねぇランス。少し愚痴を聞いてもらってもいいですか?」

「愚痴?」

「えぇ、愚痴です。……いえ、愚痴というより……正しく言うならば懺悔でしょうか」

 

 懺悔というわりにはその顔に悲壮感は無く、むしろ穏やかな笑みを浮かべていて。

 それはずっと胸に秘めていた、気心の知れた関係であるサテラ達にも話した事の無い、けれど不思議と今ランスにだけには話したくなった想い。

 

「本当は……本当は全て私のせいなのです」

「お前のせい? ……って、何がだ?」

「ですから全て、です。今の魔物界が荒れている事も、魔王への覚醒を拒んだ美樹様が人間世界に逃亡している事も……更には貴方が今ここでこうしている事も、全て私に責任があります」

「あん? そりゃどーいうこっちゃ」

「本当なら私が魔王になっていたという事です。父はその為に私を作ったそうですから」

 

 前述の通り魔王ガイは晩年、魔王の力を引き継ぐ後継者探しに奔走していた。

 だが後継者候補は中々見つける事が出来ず、そこでガイは考えた。魔王の子供であれば、魔王の力を引き継ぐ事が出来るのではないか、と。

 そうして多くの女性との性交を繰り返し、その果てに生まれたのがホーネットとなる。

 

「……ですが、父の思惑通りにはならなかった。私は魔王にはなれなかった。私には魔王の力を引き継ぐ才能が無かったのです」

「……よく分かんねーんだが、魔王になるっつーのは才能が必要な事なのか?」

「えぇ。才能、あるいは素質……言い方は様々ですが、とにかく私には何かが欠けていたのです」

 

 ホーネットは魔王になる為の『何か』を持たずに生まれてきた。ガイは我が子にその力を引き継がせるのを諦め、最終的に異世界にて発見した後継者にその力を引き継がせる事にした。

 それが次元3E2で発見した少女、来水美樹。しかし美樹は魔王の力など望んではおらず、覚醒を拒んで逃げ出してしまった。

 

「美樹様が魔王にならなかった事、それが派閥戦争の原因となるのですが……そもそも美樹様にそのような責を負わせずとも、他の者が魔王になれていれば良かっただけの事だとは思いませんか?」

「……ま、それはそうかもな。美樹ちゃんは異世界から連れてこられただけな訳だし」

「えぇ。ですからもし私が父の期待通りに魔王の力を引き継げていれば……そうであれば、美樹様に今のような苦労をさせる事もなかった。そして勿論ながら派閥戦争なども起きなかったでしょう。いくらケイブリスといえど覚醒した魔王に歯向かえるはずがありませんからね」

「……ふむ」

「そして派閥戦争が起こらなければ、貴方が私達ホーネット派に協力する必要も無く、今ここでこうしている事も無かったでしょう。ですから全て……全て私の責任なのです」

 

 それがホーネットの抱えていた懺悔。話し終えた彼女はふぅ、と大きく息を吐く。

 魔王になる才能、素質が無かった事。それは彼女の意思どうこうで左右出来る事では無い為、一概に全ての責任があるとは言えず、見方によってはそういう見方も出来るというだけの話。

 とはいえホーネット自身はそういう見方をしているらしく、だからこそのその思いには懺悔という名が付けられて。

 

「……そうか。……うむ、そうだな、あ~……」

 

 告解を聞き入れたランスは神父などでは無い為、どのように答えればいいのかよく分からず。

 

「……まぁなんだ。ホーネットよ、お前も色々あるみたいだけど……元気出せって」

「……ふふっ、それは慰めているのですか?」

 

 あまりにも軽い、けれども確かな気遣いを感じるその言葉に、ホーネットはまた笑みを零した。

 その言葉は遠い昔、今隣にいる人に良く似た相手から掛けて貰った言葉と同じだったからだ。

 

「……そういえば、父上もあの時……」

 

 自分が魔王になれないと知った時、父の期待に応える事が出来ないと知った時。

 自らに失望し、酷く落ち込んでいた自分の一方、奔放な性格をしている時の父には気にした様子も無く、元気を出せと言ってこの頭を撫でてくれた。

 思惑とは違って我が子が魔王の力を引き継ぐ事が出来ないと知っても、それでもガイの態度は何ら変わらず、それまでと同じように常に厳しく、時に奔放な愛情でもって接してくれた。

 だからこそホーネットにとって、魔王ガイは尊敬すべき魔王であり父親だった。

 

「……けど、魔王になる才能か」

 

 とホーネットが遠い昔の父の記憶を思い返していると、ふいにランスがその口を開く。

 

「それがお前にはねーのに、あの美樹ちゃんにあるってのも不思議な話だな。ぶっちゃけあの子よりはまだお前の方が魔王っぽいと思うのだが」

「……ぽい、というのは関係無いと思いますが……けれどもそうですね。美樹様に魔王としての適正があるというのは不思議といえば不思議です。けれども事実、私は魔王になれず美樹様はなれた。父が長年掛けて探し求めていた点から見ても、とても希少な才能なのだと思います」

「……ほーん」

 

 魔王になる才能、あるいは素質。それは長年探し求めても見つけられないとても稀有なもの。

 そんな話を聞いて、何を思ったのか。

 

「……でも、だったら俺様は魔王になれるっつー事なのか」

 

 ランスは突然そんな事を言い出した。

 

「……ランス、何故そのような考えに?」

「だって才能がありゃあ魔王になれるんだろ? だったら俺様は間違い無しだ。なんせ俺様はあらゆる才能に恵まれた奇跡のような男だからな」

「……あらゆる才能に恵まれた? そうは言いますが貴方は攻撃魔法を使えないのでは? それにヒーラーの適正も無いと見受けられますが」

「うるさい、昔はそれだって出来たのだ。とにかく俺なら絶対魔王になれる、なんせ俺はちょーが付く天才なのだからな」

 

 自分は天の才を持つ男、故に魔王になる為の才を持たぬはずがない。

 そんなランスの言を受け、しかしホーネットは訝しむようにその眉根を寄せる。

 

「……どうでしょう、私は……貴方にも魔王となる適正は無いと思います。貴方にそれがあるのなら父上が貴方を後継者としているはずですからね」

「いーや、ある。お前の親父はきっと俺様の存在に気付かなかったのだ」

「いいえ、ありません。父上がそのような見落としをするはずありません」

「あるったらある。ホーネット、自分が魔王になれんかったからって拗ねるなっての、がははは!」

「別に拗ねている訳ではありません。拗ねる理由などありませんから」

 

 それは双方共に根拠など無く、その会話は言わば冗談や軽口みたいなもので。

 だからこそホーネットもそれに乗って、本当に拗ねているかのように少し口元を尖らせる。

 

「けれど……ランスが魔王に、ですか。もし仮に貴方が魔王などになったら、きっとこの世界は大変な事になってしまうでしょうね」

「かもな。俺様が魔王になったら……そうだな、まずは世界中の美女を一箇所に集める、んで毎日毎日違う女を日替わりで楽しむのだ。ぐふふふ~、どうだ、実に魔王らしいだろう?」

「……そうですね。自らの思いのままにこの世界を弄ぶ、それが魔王らしいというのはその通りだと思います。その意味では世界を自らの意思で二分して治めた父の行いだって同じ事ですからね」

 

 この世界の支配者らしく、何にも縛られずに自由奔放に生きる。

 それは確かに魔王らしい姿と言える。とはいえその力の規模が桁違いとなる以上、それに巻き込まれる方はたまったものではない。

 特に父が作り上げたこの世界、秩序ある今の世界を受け継ぐ新たな魔王としては尚更。

 

(そういう意味では……ランスでは父のお眼鏡に適う事は無かったかもしれませんね)

 

 もし仮にランスに魔王となる才能があって、父がランスの存在を知っていたとしても、きっと後継者には選ばなかったのではとホーネットは思った。

 秩序ある今の世界を引き継ぐのにランスでは性格的な面であまりにも不適格だ。才能がある事と支配者たる資質があるかどうかは別の話なのである。

 話に聞いた事がある父の先代魔王、あらゆる人間国家を滅ぼした魔王ジル。そういう性格の魔王であればランスのような奔放な性格の者を後継者に選んだかもしれないが。

 

(けれど……それも考え方次第でしょうか)

 

 しかし、とそこでホーネットは考え直す。

 支配者たる資質とはいっても、何もあらゆる面で魔王が際立っている必要は無いのではないか。

 

 例えば父。魔王ガイ。それはホーネットの知る限り、厳格な側面と奔放な側面を併せ持ったまさに理想的な魔王と言えた。

 ランスは奔放な時のガイに似ていて、豪快さとか、直感で物事を選ぶ決断力とか、そういった面は優れている。一方父のような厳格な側面は見えず、奔放な分理知的な思考に欠けているのも事実。

 とはいえそれはランスが併せ持つ必要は無く、周囲の者がそれを補えば良いだけの話。その為に魔王には配下として24体の魔人が居るのだから。

 

(……そうですね、別に魔王が必ずしも完璧である必要は無いのでしょう。理知的な思考を埋め合わせるだけならば他の者にだって出来るはずです。……それこそ例えば……私、でも)

 

 翻って自分はどうか。

 もし自分が魔王になっていたら、きっと理知的で厳格な魔王となっていた。その自信はある。

 しかし自分には父やランスのような豪快で奔放な側面は欠片も無い。ランスと比較して決断力に劣ると言われたら頷くしか無い話で、だとしたら自分もやはり何かが欠けた魔王となっていたはずだ。

 

 けれども自分は魔人筆頭となった。魔人筆頭とは魔王の一番近くで魔王を補佐する存在。

 理知的で厳格な面しか持ち合わせない自分のような魔人筆頭には、その逆の側面しか持ち合わせない魔王が合っているのではないか。

 

(そう考えると……私にとって、ランスが魔王となるのは……望ましい、事、かもしれませんね。いえ、勿論仮定の話なのですが、そうなったらと考えると……)

 

 ランスのような奔放な魔王に忠誠を捧げて、その理知的な部分を自分がサポートする。

 それはこの世界の支配という意味でも、お互いの相性という意味でも素晴らしいのでは。

 父のような完璧な魔王に仕えるよりも、やり甲斐があって充実した日々になるような気がする。

 

(……そうですね、私は……)

 

「私は……ランスのような魔王に仕えたかったのかもしれませんね」

「……おぉ」

 

 聞こえてきた言葉に驚いて、ランスは目をパチクリとさせる。

 

「ホーネット、お前……今日はまた随分と可愛らしい事を言うじゃねーか」

「……え?」

 

 そこでホーネットもふと我に返った。

 頭の中だけで巡らせていた思考が一部、口から漏れ出てしまったような気がする。

 

「……私、は、今……声に出して?」

「おう。思いっきり言ってたぞ。俺様のような魔王に仕えたかったなー、って言ってた」

「……っ、」

 

 その目を大きく見開いたまましばらく放心。

 あまりにも。あまりにも恥ずかしい独り言に、次いでその頬が赤く染まり出す。

 

「……ランス、今私が言ってしまった事は聞かなかった事にして下さい」

「そりゃ無理だ。そっかそっかぁ~、お前は俺様に仕えたかったのか~、なるほどねぇ~!」

「……でしたら、今の言葉を美樹様に伝えるのだけは控えて下さい。……お願いします」

 

 ニヤニヤと笑ってその頭を撫でるランスの一方、ホーネットは固く瞼を閉じる。

 あんな言葉を現魔王に聞かれでもしたら、それだけで背信を疑われても仕方無い。魔人筆頭たるホーネットとしては冷や汗が流れる気分、あまりにも手痛い失言である。

 

「いやしかしなぁ、あのホーネットがこんなに可愛らしい事を言うようになるとはなぁ」

「……別に、可愛らしくなど……」

「可愛らしいだろーよ。ホーネットちゃんはランス様に仕えたいんですーって事だろ? いやほんと、お前と初めて会った時のそっけない態度とは大違いというか、なんだかもう俺様感無量だ」

 

 うむうむと大げさに頷きながら、ランスは脳内でそんな妄想を展開してみる。

 

 自分に仕える魔人ホーネット。この魔人の性格から考えて、仕える相手が下した命令だったらどんなものでも従うはずだ。

 服を脱げと命じたら服を脱ぎ、セックスさせろと命じたらどこだってセックス出来る。それはどんな男にとっても夢のような日々だろう。

 

 命じれば何でも言う事を聞く女。それだけならランスが殊更に有難がるような相手では無い。それだけなら何人か心当たりがある、それこそすぐそばにいるシィルだってそうだ。

 だから肝心なのはそれがホーネットだという事。プライドが高く、最初は自分の事などわんわんのようにしか見ていなかった相手。人間がまず手を出せない魔物界のプリンセス。

 それが自分の思い通りになる、どんな命令でも聞く。そんな妄想を膨らませていると……。

 

「……あ、勃った」

「は?」

「ちんこが勃った。てな訳でもう一回戦と行くぞ、ホーネット」

 

 いつの間にかハイパー兵器は臨戦態勢へ。

 そしてランスは体勢を変え、ホーネットの上に覆い被さった。

 

「な、あ、何故このタイミングで勃つのですか!」

「そりゃお前が悪い。お前が柄にもなくあんな可愛らしい事を言うからだ」

「私は、なにもそんなつもりで言った訳では……」

「ええい、つべこべ言うな。ほれ、さっきの言葉を美樹ちゃんに黙ってて欲しいんだろ? ならどうするか、賢いホーネットちゃんには分かるよな?」

「……貴方は相変わらず意地の悪い物言いを……」

 

 そこを突かれると文句も言えない。

 ホーネットは観念したかのように、はぁ、と嘆息して。

 

「……ですが、やはり確信しました。貴方は魔王になどなってはいけませんね」

 

 こんなに意地悪で、こんなに性欲の強い魔王に仕えてはきっとこちらの身が持たない。

 素早く伸びてきた手に身体をやや乱暴に触れられながら、ホーネットはそんな事を考えた。

 

 

 

 

 


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