ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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カスケード・バウの戦い③

 

 

 

 

 

 周辺一帯を闇が覆う。

 延々と黒しか見えてこない、あらゆるものの輪郭を無くしてしまう異常な程に深い闇が。 

 

「ふっ!」

 

 そこに聞こえる音、鋭く息を吐く声。

 そしてガギィンッ! と、何かと何かが激しく交錯する衝撃音。

 そんな戦場のBGMすらも飲み込んでしまう、何処までも底無しに深い闇。

 

 それがアモルの闇。夜の闇とケッセルリンクの魔力が交わる事によって生じる特別な闇。

 通常の夜闇とは異なり、ランプでも照らせない程に深い闇。あらゆる光を拒絶するその闇の中では1m先もまとも目視出来ない。

 

「……はぁっ」

 

 そんなアモルの闇に包まれる中、魔人シルキィは呼吸と共に全神経を極限まで尖らせる。

 視覚が封じられている以上、頼りになるのは蠢く闇の奥を捉える聴覚や嗅覚、あるいはその動きを肌で感じ取る触覚、更には戦士として磨き上げてきた洞察力や直感など。

 そして魔人四天王として弛まぬ鍛錬を重ねてきた彼女のそれは紛うこと無き一級品。故に視界が効かないだけ、それだけでもう戦えないという程のものではない。

 いや、仮にそうだとしても、それでも戦わなければならないのだ。

 

「──ッ」

 

 聞こえた僅かな風切り音。

 直後ケッセルリンクの魔爪が弾丸のように飛んでくる。

 武器も持たぬ指先に力を込めただけのそれは、容易く鋼鉄を引き裂く程の威力。

 

「くぅッ!」

 

 躱せないと判断して反射的に顔を右手で覆った、その二の腕を覆う装甲に衝撃が走りガリガリと深い亀裂が刻まれていく。

 その威力に体勢を崩しかける中、シルキィは逆の拳を硬く握って殴り掛かる……が、その時にはもう標的は深い闇の中に紛れている。

 

 ──相変わらず厄介な……!

 およそこの魔人だけが持つだろう特殊能力を悔しげに評価しながら、シルキィは破壊された右手の装甲部分を新品のものへと切り替える。

 

 今も視界を覆う闇。ケッセルリンクが展開したアモルの闇は確かに驚異ではあるものの、しかしそれだけならば夜のケッセルリンクが無敵とまでは呼ばれたりはしない。

 魔人ともなればシルキィのように闇の中でも戦える者はいるし、あるいは魔術に優れた者なら広域魔法で周囲一帯を攻撃する方法だってあるだろう。

 そうした打開策が考えられる中、それでもこの魔人が無敵と呼ばれている以上、本当の驚異はアモルの闇とは別の所にある。

 

 それがミスト化。夜のケッセルリンクを無敵たらしめる一番の理由。

 自らの身体を闇に溶かして、闇と同化する事が可能となる唯一無二の特殊能力。

 要は周辺一帯を覆うアモルの闇自体がケッセルリンクだという事。闇の中から、ではなく闇そのものから姿を現して攻撃し、直後に身体を霧状化させて相手の反撃を回避する。

 

 ──その爪を防ぐのはともかく、こっちの攻撃を当てるのが本当に難しい……!

 比類なき戦士であるシルキィであってもそう唇を噛む程に、攻守共に万能となる闇の鎧。

 それを纏う今のケッセルリンクこそ、この魔物界で無敵と称される存在。

 

「──ッ!」

「ふっ!」

 

 再度鋭く飛んできた魔爪の一撃。

 それを武器の柄で弾き返しながらシルキィは思考を続ける。

 

 分かっていた事だけど、このケッセルリンクに勝つのは難しいというか、ほぼ不可能。

 というのが率直な感想だ。同じ魔人四天王であるのになんとも情けない話ではあるが、しかし攻撃が当たらない相手というのは如何ともし難い。

 仮に魔術の才があれば何かしら特殊な打開策を講じられたかもしれないが、生憎とシルキィにそんなものは無い。ただの戦士でしかない自分にとってこれは本当に相性の悪い相手だと思う。

 そもそもこれ程に回避性能が高い上、何も一発良いのが入ればそれで勝てるという訳でも無い。肉体的な面でもケッセルリンクは自分に勝る、その生命力だってきっと上なはずだ。

 

 ──今はどうやっても勝ち目が無い。となるとやっぱり、闇が晴れるのを待つしかないか。

 それはもう戦う前から分かっていた事で、ついでに言えば相手も分かっている事なはずだ。

 夜のケッセルリンクは無敵だが、そう呼ばれるのはあくまで夜だけの事。ならば夜闇が晴れる時間まで待てば良い。そう考えるのは当然の事で。

 

 つまり狙いは持久戦。ひたすら耐え忍ぶ我慢比べのようなもの。

 幸い守備力にはちょっと自信がある。この身を守る装甲だって合計20t分なら換えが効く。

 そういう見方をするならば先程言っていた事、ケッセルリンクにとって自分が相性の悪い相手というのもあながち間違ってはいないかも──

 

「んッ!」

 

 そんな思考を遮るかのように再度魔爪の一撃、咄嗟の判断でシルキィは真横に飛んだ。

 

 

 

 

 

 ──そして。

 それから数時間後。

 

「……はぁ、は……っ」

 

 聞こえてくるのは荒くなった息づかい。

 戦場から聞こえる叫声も夜遅いこの時間帯では止んでいるのか、無音の中で自らの荒い呼吸音だけがうるさく聞こえてくる。

 

 ──どれくらい時間が経ったかな……。

 今もまだアモルの闇は晴れていない。

 相変わらずの深い暗闇の中、ふとシルキィは頭の片隅でそんな事を考える。

 

 戦闘開始から早数時間。耐え忍ぶ闘いを続けてきた彼女の様子にも変化が生じてきていた。

 敵の攻撃は四方八方何処から飛んでくるか分からない上、その速度も驚異的。全神経を尖らせていて尚、それでも対処は難しい代物。

 特に周囲を覆う闇、何ら光の見えない深すぎる闇が次第に感覚を鈍らせていく。そうした事もあって、最初は的確に対処出来ていた攻撃も徐々に被弾する事が増えてきた。

 

 その都度魔爪に引き裂かれ砕かれてと、破損した装甲の残骸が周囲には沢山転がっている。

 勿論それらに守られてきたシルキィの方も無傷とはいかず、その小さな身体には切り傷と出血が目立つようになってきていた。

 

 ……ただ、それでも。

 

「……流石に耐えるね、シルキィ。特に今回は君一人だというのに」

 

 ふいに闇の何処かから声が。

 普段と変わらない調子のケッセルリンクの声が聞こえる。

 

 ──そう言えばそうね。これまでとは違って今日は私一人なのに……。

 シルキィはこれまでにも数度ケッセルリンクと戦った経験がある。以前にホーネット派がカスケード・バウ攻略に乗り出した際、夜毎に襲ってくるケッセルリンクの対処をしてきた。

 そしてその際には自分よりも強い派閥の主、魔人ホーネットがそばに居た。まぁ派閥のトップ二人掛かりで戦っても夜のケッセルリンクを倒す事は出来なかった訳だが、それでも二人掛かりであればある程度応戦する事が出来ていた。

 どちらかに攻撃が来た際はどちらかが動けるし、ホーネットなら魔法での攻撃も可能。更には回復魔法だって使える魔人筆頭の存在はこの闇の中でとても心強いものだった。

 

 しかし今はそんな心強い存在は居らず、今ここにはシルキィただ一人だけ。

 それなのに、だ。それなのに今は良く戦えている気がする。決して強がりなどでは無く、これまで以上に動きが冴えている気がする、敵の猛攻の前に良く立ち回れている気がする。

 依然として勝てる気は全くしないのだが、不思議な事に負ける気だって全くしない。

 

 以前と比べて自分は何が変わったのか。

 あの時よりも強くなったのだろうか。それともこれが最終決戦故の決死の覚悟というものか。

 何が理由で今日はこんなにも……と考えて。

 

「……あ」

 

 ──もしかして……これのおかげかもね。

 ふとそんな事を思って、シルキィの口元に激戦の最中には似合わない微笑が浮かぶ。

 

 今も右手の中にはその感触が、闇の中でも失わない感触がある。

 闘いの中で自然と武器として選んでいたもの、英雄の槍の感触が確かにある。

 

 それは傍若無人で豪快な、それでいて頼りになるあの男との不思議な運命の絆。

 これがあるだけでなんだか心強い。この槍を握るだけで勇気が湧いてくる気がする。

 

 ──これは装甲に合成しちゃわなくて良かった。後でランスさんにお礼を言わないとね。

 

 そんな事を考えて、またその口元をふっと柔らかく緩ませて。

 周囲を覆う闇、すぐ真横から鋭い魔爪が脳天目掛けて飛んでくる──瞬間。

 

「──はぁッ!」

「むっ!」

 

 構えていた英雄の槍を振り切るように一閃。それは相手の動きの先を取った。

 この闘いの中で初めてシルキィの攻撃がクリティカルヒットし、ケッセルリンクの左肩に一筋の深い傷痕を残していた。

 

「……見事な反応だ。この闇の中、この期に及んでその集中力には称賛さえ覚えるよ。やはり君とは戦いの相性が良くない」

 

 引き裂かれた傷口から赤い血を滲ませながら、ケッセルリンクはまた闇に紛れる。

 

 耐え忍ぶ闘いというのはつまり、心の強さが求められる闘い。

 守備力や持久力よりも何よりも、内に秘める意志力の強さが肝要となる。

 

 そして彼女の()()はずば抜けて強い。シルキィは耐える戦いを何ら苦としない。

 束の間の平和の中で出来た思い出一つ、それだけでまた千年戦えると思える程に。

 だからこそシルキィは魔人四天王であり、だからこそ英雄と呼ばれるのだ。

 

 ──そう。だから……いくらケッセルリンクが無敵だからって……!

 

 たかが一夜、たかが半日足らずの戦闘。そんなものは耐えるの範疇にすら入らない。

 シルキィはもう一度、英雄の槍の柄をぎゅっと握り直した。

 

 

 

 

 

 そして──

 その後も戦闘は続いて、やがて魔物界の暗い空にも光が差し込む時間となる。

 深い夜闇、アモルの闇も強制的に晴れる時間となって、遂にはその時が訪れた。

 

 

「……ここまで、かな。良い戦いだったよ」

 

 戦闘終了の合図を告げたのはケッセルリンク。

 もはやその身を守る闇も消え失せ、彼の姿は完全に露わとなっている。

 目に見える程の大きな傷口は計4箇所。その他細かな傷は多々あれど、結局シルキィの攻撃がクリティカルヒットしたのは4回だった。

 勿論その程度で魔人四天王は倒れず、その容貌は戦闘開始当初の威厳を誇ったまま。

 

「見事だ、シルキィ。この勝負は君の勝ちだ」

「……そんなセリフ、今の私を前にしてよくもまぁ言ってくれるわね」

 

 一方のシルキィは消耗した表情、その小さな身体の至る箇所に怪我を負っている。

 鋭く斬られた腹部と足、そして額からは今も流血が滴っており、それ以上のダメージを何度も受けた事を暗に示す砕かれた装甲、パーツの残骸がそこらに散らばっている。

 そんな二人の姿を一見すれば、先の台詞通りの結果だとは見えないものなのだが。

 

「負け、だなんて。本心じゃあそんなつもりなんて無いんでしょう?」

「いいや、本当にそう思っているよ。今はまだ多少は動けるつもりだが、これ以上君と戦えば確実に私が負けるだろうからね。……ほら」

 

 するとケッセルリンクは右手を前に突き出す。

 そして指を動かす。……が、その動きはあまりにも弛い。その手で魔人シルキィの頑強な装甲を引き裂き続けてきたとは到底思えない程。

 

「もはやこの通り、満足に手も動かせない。ここには光を遮るものが何も無いし、完全に動けなくなってしまうのも時間の問題だろうね」

「……最初からそれ狙いだった私が言うのもなんだけど……不便な体質よね、貴方のそれって」

「まぁね。とはいえ夜であれば君程の魔人を圧倒出来る体質でもあるのだから、この程度のデメリットは仕方無いものだと割り切っているが」

 

 夜を得意として無敵とも称される一方、昼そのものが弱点となる魔人ケッセルリンク。

 特に今は野外という事もあってその影響は強く、すでに身体の各所は動かなくなってきている。

 このまま戦闘を続行して完全に身体が固まってしまえば、如何な魔人四天王のケッセルリンクと言えども討伐は免れない。

 今自分戦っている相手が魔人四天王シルキィ・リトルレーズンであるが故の、自ら負けを認めた先程の言葉は本心からのものだった。

 

「けど……ねぇ、ケッセルリンク」

「なにかな?」

「何故今回はここまで私に付き合ってくれたの? 私の狙いが夜明けを待つ事だってのは貴方も最初から分かっていたでしょうに」

「あぁ。本当はいつも通り、闇が出ている内に一度引き返すつもりだった。……ただ、あの暗闇の中でも怯まず、その顔に微塵も敗色を見せずに戦い続ける君を見ていたら、なんだか私も引くに引けなくなってしまってね」

「え、そんな理由だったの? でもまぁ、そう言ってくれると私も頑張った甲斐があるわね」

 

 そう言ってシルキィが微笑めば、釣られてケッセルリンクもその表情を緩める。

 元から互いに敵意も無いのか、一度矛を下ろしてしまえば二人の様子は派閥戦争が勃発する前、何ら敵対などしていなかった頃のもので。

 

「それじゃあ戦闘も終わった事だし、身体が動かなくなっちゃう前にそろそろ城に戻ったら?」

「おや。その言い分だと、私を見逃してくれるつもりなのかな?」

「見逃すもなにも、私だってもう身体が限界よ。なんせとっても怖いカラーの魔人が散々いたぶってくれたからね。これ以上戦えばどっちもただじゃ済まないし、ここは引き分けで手を打ちましょう」

 

 最初からシルキィの狙いは時間切れ、タイムオーバーによる引き分け狙い。

 このまま戦闘を続行したなら討伐も可能かもしれないが、しかしケッセルリンクとてそうなれば簡単にやられはしないだろう。勝てたとしてもこちらも痛手を負う事は想像に難くない。

 なのでシルキィとしてはここらで切り上げておきたいというのが本音だった。闘いはまだ2日目、この先もまだ戦闘はあるし、そして何より本気で倒したい相手という訳でもなかった。

 

「……ふむ、引き分けか。私としては有り難いが、君は本当にそれでいいのかな?」

「何が?」

「勝敗が引き分けでも結果は同じではない。私は城に戻って昼を越すだけで済むが、君はそういう訳にもいかないだろう」

 

 そう問いかけるケッセルリンクにとって、自らの足枷となっているのは陽の光のみ。

 この戦闘の中で何度かシルキィの攻撃を食らったものの、それでも魔人の耐久力からすれば戦闘を続行するのに支障は無い。

 

 しかしシルキィの身体にはそれ以上となる無数のダメージが刻まれ、なによりもその身を守ってきた装甲は結構な箇所が破損している。

 それは修理すれば直せるとはいえ、一日で仕上げる事は間違いなく不可能だろう。

 

「私は今日の夜にでもまたすぐ全力で戦える。その事を考えたなら、今ここで私を見逃すのは得策では無いと思うが。それともこれがホーネット派の方針なのかな?」

 

 あえて挑発的に、その甘さを指摘するような台詞を告げるケッセルリンク。

 

「……そう」

 

 その言葉をどう受け取ったのか。

 シルキィは今も血の滴るその顔に大層強気な笑みを浮かべて。

 

「いいわ。なら今日の夜も明日の夜も、何度でも掛かってきなさい。何度でも相手してあげるから」

「フッ、……流石だね。シルキィ」

 

 その言葉に、ケッセルリンクも微笑で返した。

 幾度踏み躙られて無残に折れた花。それを救うのがケッセルリンクという魔人の性分となる。

 けれどもその芯は真っ直ぐひたむきに伸びて、どうあっても折れない程に強く。

 そんな見事な花であれば、それはやはりケッセルリンクにとっても好ましく感じるもの。

 

「安心したまえ、先程の言葉は本気じゃない。一度見逃されたというのに、そのすぐ夜に顔を見せるような真似など出来ないさ」

「あら、それなら私は有り難いけど。でも貴方こそ本当にそれでいいの? そんな悠長な事を言っている間に全部終わっちゃうかもしれないわよ?」

「む……?」

 

 全部が終わる。そう言い切った言葉が引っ掛かって、ケッセルリンクはふと眉を顰める。

 この状況から全部を終わらせる方法。そう考えた時に思い当たる方法はそう多くない。特に今はまだケイブリスだって姿を見せていない段階だというのに……とまで考えて。

 

「……あぁ、そういう事か。察するに、ここにホーネットはいないのだね?」

「そーいう事。私達は囮ってわけ」

「ふむ。こちらにいるのは陽動、となればホーネットの役目は奇襲といった所か」

 

 しかし……と、ケッセルリンクは訝しげにその顎を撫でる。

 ホーネット派の作戦と狙い。それを知った上で気になるのはその成否などではなく、あの魔人がその選択としたという事実について。

 

「何かとあれば正々堂々を好んでいたあの子が……少し会わない内に変わるものだ」

 

 魔人とは長寿の存在であるが故、自分も含めてその精神性はそう簡単に変わる事が無い。

 一体どのような心境の変化があったものやら、とケッセルリンクは心中で呟く。

 

「けれど、だ。そうだとしても……あのケイブリスに勝てるかな、あのホーネットが」

 

 全てを終わらせるというのなら、ケイブリス派の主、魔人ケイブリスを倒す必要がある。

 如何なる方法で奇襲を仕掛けるかは知らないが、それがどのようなものであったとしてもホーネットの実力ではケイブリスには届かないだろう。そうケッセルリンクは考えていたのだが、

 

「えぇ、勝てるわ」

 

 それでもシルキィに揺らいだ様子は無く、堂々とした様で答えを返した。

 

「ほう、大した自信だね」

「うん。なんたってあっちにはホーネット様だけじゃない、ランスさんも一緒にいるからね」

「ランス……?」

 

 ケッセルリンクには聞き覚えのない、その名前こそがホーネット派が有する切り札の名前。

 シルキィにとっては今も右手に握る大事な槍の感触、それを与えてくれた人。ちょっとアレな部分は沢山あるけど、それでも心から信頼出来る名前。

 あの人がいればきっと大丈夫。ランスとホーネットが共に戦えばケイブリスにだって間違いなく勝てると、シルキィはそう確信していた。

 

「貴方はさすがに知らないでしょうね。でもこっちなら聞いた事はない? ホーネット派を影から支配するカオスマスター……って」

「あぁ、それなら聞いた事がある。前からストロガノフが随分と気にしていてね、聞けばホーネット派に加わった新たな魔人か使徒ではないか、という話だったが……」

「それはハズレね。ランスさんは魔人や使徒じゃなくて普通の人間よ」

「……ほう?」

 

 カオスマスターは普通の人間。その事実にはケッセルリンクも少なからず驚いたらしい。

 人間というのは大元帥から聞いた予想にも無かった。ホーネット派内で高い立場にあるだろうカオスマスターが、まさか人間だなんてとても想像出来なかったからだ。

 

「カオスマスターが人間だとは思わなかったよ。けれどもその……ランスと言ったか、その男が人間なのだとしたら、尚更その男一人が戦力に加わったとて何かが変わるとは思えないが」

「って思うでしょ? けどランスさんなら絶対にやってくれるわ。あの人はただの人間じゃない、あの人は何ていうかもう……破格の人間だからね」

 

 常識では測れないような事を成し遂げる、常人とは桁違いとなる破格の人間。

 

「……ふむ、破格の人間……か」

 

 時としてこの世界には、そんな奇跡のような存在が稀に誕生する事がある。

 

「破格の人間と言うなら、そんな人物に私も一人だけ心当たりがある」

「え、そうなの? ていうかもしかしてランスさんと知り合いだとか?」

「生憎ランスという人間には心当たりが無い。私が知っている破格の人間というのは、ちょうど今目の前にいるのだがね」

「え……?」

 

 そんな破格の人間の内に入る一人、シルキィ・リトルレーズン。

 彼女はケッセルリンクが呟いた言葉の意味を理解した途端、

 

「あははっ! ないない、私なんかあの人とは比べものにならないって!」

 

 余程その比較がおかしかったのか、思わずぷっと吹き出した。

 その実に無邪気な笑い顔に釣られて、ケッセルリンクも表情を緩める。 

 

「フッ、そうかね。けれど私としては君以上に破格の人間となると覚えが……」

 

 覚えが無い。と言い掛けて、

 

「……あるいは、少し前まで我等の主だったあの男ぐらいなものか」

「……そうね」

 

 人間として生まれて魔人を経て、遂には魔王になった男。

 間違いなく破格の人間であろう男、ガイ。二人にとってはまだ記憶に新しい前魔王の名前。

 

「どうだねシルキィ。その男と比較しては」

「て言われてもねぇ、私はあの方が魔王になられてからの姿しか見た事ないから……。人間だった頃のガイ様とだったら……どっちが上かな……二人共似ている所があるから……」

 

 うーん、難しいなぁ……と思いの外真剣に、シルキィは悩みに唸り始める。

 そんな姿を目にして、ケッセルリンクの方も訝しげにその目を細めた。

 

「おや。さすがにそこは魔王ともなったガイを挙げるべきだと思うがね」

「……やっぱりそうかしら?」

「あぁ。特に君の事であれば尚更、迷いなく断言するものだと思っていたのだが」

「……あはは」

 

 恐らくケッセルリンクの事だ、自分の抱いていた想いなどお見通しなのだろう。

 そんな事を思ったシルキィは、さも恥じ入るようにそっと目線を横に逸して。

 

「……きっと、昔の私なら迷いなくそう断言していたでしょうね。……けど」

「けど?」

「けど、そんな私を……こんなふうに変えちゃうのが……ランスさんの凄い所……なの、かな?」

 

 微かに頬を染めたその表情。これまで見た覚えがないシルキィの照れた顔。

 そして何より、聞きようによっては惚気のようにも聞こえるその台詞。

 

「……成る程。であれば確かに、破格の人間には違いないのだろうね」

 

 そのシルキィの変化こそ、ケッセルリンクにとっては一番驚くべき事だった。

 

「しかし……そうか、ランスか。君がそこまで言う程の男に私も少し興味が湧いたよ。いつか機会があれば会ってみたいものだ」

「派閥戦争さえ終われば、そんな機会いくらだって──あ、けど……」

「どうしたかね?」

「その、ランスさんって極度の女好きだから……もしかしたら貴方とは相性が悪いかも……」

「……ふむ」

 

 極度の女好きと聞いて、ケッセルリンクが微妙な表情になったその時。

 ふわっと一陣の風が二人の間を吹き抜ける。

 

「……む、どうやら迎えが来たようだ」

 

 それで近くに来ている事に気付いたのか、彼女達の主はその口元を優しげに緩めた。

 

「あぁ、貴方のメイドさん達?」

「うむ。私の帰還が遅いのを心配したのだろう。ではシルキィ、そろそろ失礼させて貰うよ」

「どーぞご自由に。久々にこうして貴方と話せて結構楽しかったわ」

「フッ、私もだ」

 

 その言葉を最後に背を向けると、ケッセルリンクは戦場を離れて自らの居城へと戻っていく。

 こうして二人の戦いは、魔人四天王同士の闘いは引き分けという形で終了した。

 

 

「……はー、つっかれた……」

 

 その後ろ姿が見えなくなるまで我慢していたシルキィも、やがて緊張の糸が切れたのか。

 地べたにぺたりと腰を下ろして、疲労困憊の体で大きく息を吐き出す。

 

「しかしケッセルリンクのやつ……敵ながら本当に容赦が無かったわね……」

 

 普段から自分の城に籠っている分、体力が有り余っていたのだろうか。

 夜が明けるまで一晩中、それはもうしこたま攻撃を食らった。率直に言って身体中が痛い。

 

「……さっきはああ言ったけど……またすぐに戦うとなると結構骨が折れるな……」

 

 思わず本音が溢れてしまう……が、とはいえそれが戦い。それが戦争。

 泣き言を言っていても始まらないし、とにかく今はすぐに本陣に帰ってヒーリングを受けたい。

 ああでもそう言えば、自派閥の中で一番のヒーラーでもあるホーネット様は居ないんだった。

 ホーネット様と言えば、奇襲部隊の動きは今どうなっているのだろうか。ちゃんとケイブリスの背後を突けているのだろうか。

 あ、そういえばケイブリスもそうだ。結局ケイブリスの行方はどうなったのか。もし今ケイブリスが仕掛けてきたらどう対処すればいいか。ガルティア達は今戦える状態にあるのだろうか。

 

 ……などなど、あちらこちらに思考が飛んで、しかし疲れ切った頭が上手く働かない。

 何はともあれ夜通し戦った身、今は眠気が一番辛い。一旦本陣に戻って仮眠を取るべきだなと、シルキィがよいしょと立ち上がったその時。

 

「──シルキィさーん!」

「……あ、かなみさん……」

 

 戦闘の終わりを察知したのか、伝令として働いているかなみが駆け付けてくる。

 

「うわ、ひ、酷い怪我を……」

 

 そしてシルキィの姿を見るや否や、痛ましそうにその表情を歪めた。

 

「あ、そうだ世色癌っ! 世色癌持ってますから食べてください、ほら!」

「あ、うん、ありがとね……て、うわぁ……なんかこのお薬、随分と苦いのね……」

「あう、ごめんなさい……世色癌はとにかく苦いのが特徴で……で、でもそうだ、こうしてシルキィさんが生きているって事は、ケッセルリンクに勝ったって事ですよね!?」

「ううん、残念だけど引き分けが精一杯」

 

 世色癌の苦味を口一杯で感じながら、シルキィはゆっくりと首を左右に振って。

 

「……それで、さっきは随分慌てていたようだったけど……本陣の方でなにかあったの?」

「あそうだ、そうなんですっ! 実は先程ウルザさんから連絡があって……!」

 

 

 

 

 

 


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