「おいホーネット、ホーネットっ!」
「う……」
抱きかかえた腕の中。
ランスは名前を呼び掛けながらその肩をゆさゆさと揺さぶる。
「あそうだ! ほれ、これ食え、ほら!」
「む、ぅんっ……!」
ポケットにあったのは世色癌と龍角惨。それは戦闘前にシィルから受け取っていたもの。
意識混濁状態に効き目がありそうな回復アイテムを取り出すと、ランスはホーネットの口に半ば無理やり突っ込んでいく。
「ほれ、食え食え、もっと食え!」
「ん、ラン、す、もう、結構──」
「ほれほれ、たーんと食え! どうだホーネット、美味いか、美味いか!?」
「……いえ。美味しくは、ない、ですね……」
すると無数の治療薬を食べさせられたホーネットの口元に小さな微笑、というか苦笑が浮かぶ。
やや乱暴で強引ながらも、それでもランスなりの気遣いが見える手厚い看病。それによって一時的な戦闘不能状態から回復したのか。
「……ランス、ありがとうございます。もう平気そうです」
少しふらつきの残る頭を押さえながらも、ホーネットは自分の力でその身体を起こした。
「頭ぐらぐらは治ったか?」
「えぇ、ようやくですが。……どうやら先程口にした丸薬の強烈な苦みが効いたみたいです」
魔人ケイブリスの必殺技。スクイレルザンによる意識混濁、一時的な戦闘不能状態。
それはあくまで一時的なものである以上、時間の経過によって症状は回復していく。そして勿論回復魔法やアイテムの効果でも同様となる。
「そうか。なら良し。んじゃあ早速で悪いが今度はこっちを何とかしとくれ」
言いながらランスは左腕を前に差し出す。
その手首の真っ赤な腫れを見て、ホーネットは驚きに目を見張った。
「これは……、もしかして、あの技と打ち合った時ですか?」
「まーな。俺様とした事がちぃっとばかし油断しちまったぜ。てな訳でほれ、ヒーリングくれ」
「えぇ、すぐに。……──」
ホーネットの口が滑らかに呪文を唱え始めて、直後その手のひらに柔らかい光が灯る。
それを患部に押し当てれば、じんわりとした温かさに包まれ痛みが徐々に引いていく。
「おー、効く効くー」
「……このような怪我を負ったまま、私の事を庇ってくれていたのですね」
「別にこの程度の怪我なんぞ、大げさに言う程のもんじゃねーがな」
「……本当にありがとうございます」
先程の一戦。ケイブリスが放ったスクイレルザンを回避しきれずに食らってしまった事。
意識が混濁して立ち上がる事も出来ない中、あわや殺される寸前だった所を助けて貰った事。
その事を思い出して感謝の言葉を告げながらも、ホーネットは憂わしげにその目を伏せる。
「……それに、申し訳ありません。本来であれば私が……魔人筆頭たる私こそが、貴方を庇って戦わねばならないというのに……」
「がははは、気にすんな。お前は魔人筆頭だろうが俺様は最強無敵の英雄様だからな。格付けで言うなら俺の方が上にあるのだよ」
「ランス……」
相変わらずのがはは笑いに加えて随分と不遜な物言いではあったが、しかしそこにはやっぱりランスなりの気遣いがあった。
そもそもホーネットとは異なりパーティで戦う事が基本となるランスにとって、戦闘中に庇ったり庇われたりは当たり前の事、いちいち感謝を述べるような事ではなくて。
「……そうですね」
恐らく当人は無意識なのだろうが、それでもその言葉に救われている。
反省と後悔をするのは程々にして、ホーネットはその表情をふっと緩めた。
「ところで……ランス」
「なんだ?」
「あの、ここは一体……」
そして頭を切り替えて、先程からとても気になっていたそちらへと思考を向ける。
今自分達が置かれている状況。それは意識混濁中だったホーネットには不明な点が多い。
なにせほんの数分前までは絶体絶命だった。ケイブリスに追い詰められていた。本来ならこうして休んでいる暇など無いはずだ。
それなのに今ではこうしてヒーリングを掛けている余裕がある……というか、周囲からケイブリスの気配を感じない。その声が聞こえない、その圧力が全く感じられないのだ。
「ケイブリスが居ない事もそうですが、見た所ここはカミーラ城ではないような……」
回復魔法を維持しながら、ホーネットは不思議そうに周囲を見渡す。
すると目に入るのは立方体に立方体が重なる幾何学的な光景。先程までのカミーラ城の光景とは何もかもがまるで違う、ホーネットにとっては見慣れない電脳的なデザインの世界。
「あぁ、ここは電卓キューブ迷宮だ」
「……電卓キューブ?」
「うむ」
ランスが鷹揚に頷いた通り、ここはカミーラ城ではなくて電卓キューブ迷宮の中。
ゼス国マジノラインの上空に浮かぶ立方体、この世界でもとびっきりに不思議な場所である。
「ここは実に謎の多い迷宮でな。自分の運命の相手が判明したら来られる場所なのだ」
「……運命の相手?」
「そ。んでその時は毎回強制的にワープさせられるから、それを上手く利用すりゃ逃げ……じゃない、戦略的撤退に使えるかもしれんと思ったのだ。ケイブリスもさすがにここまでは追ってこられねーだろうからな」
そう言ってランスはにやりと──まんまと悪戯を成功させた悪ガキのように笑う。
あの時。ケイブリスに追い詰められて絶体絶命の窮地の中、ランスの脳裏にピーンときた。
毎回移動手段として突然ワープさせられる、あの電卓キューブ迷宮の仕組みを利用する事を。
何処にも逃げ場が見当たらない中、自らの運命によって戦略的撤退を図る術を。
「まぁ正直一か八かではあったが……狙い通り撤退には成功した。うむ、さっすが俺様だな」
そしてランスは賭けた。
自分とホーネットとの関係に、この魔人との間に運命の繋がりがある事に賭けた。
そこには勿論なんの確証も無かったが……けれども結果はこの通り。
二人は超常的な力によって、強制的にこの電卓キューブ迷宮までワープさせられたのだった。
「……運命の、相手……」
そんな経緯を、この迷宮の仕組みを知ったホーネットは呆然とした様子で呟く。
「ここが……電卓キューブ迷宮……」
その声色は。
その表情は。
それは想像すらしていなかった未知の出来事に対する驚きというより、むしろ──
「まぁお前にとっちゃ眉唾な話だろうがな、こうしてこの場所に来たって事は紛れもなく──」
「……では、あの夢は真実だったのですね」
「……あん?」
ランスはおや? と眉根を寄せる。
あの夢とは? 真実とは?
今聞こえた言葉の意味を考えると……もしかしてホーネットは……。
「……なぁ、ホーネット」
「なんでしょう」
「お前まさか……すでにもう夢の中でお告げ的なもんが来ていたんじゃねーだろうな」
「えぇ、その通りです」
すると予想通り、彼女はあっさりと頷いた。
「……おい」
「なんでしょう」
「お前な。お告げが来てたんだったらなんですぐ俺様に言わねーんだよ」
「それは……色々と事情があったのです」
「事情って?」
「もう作戦が始まっていたからですよ。私があの夢を見たのはマジノラインでの事でしたから」
夢の中にて訪れる不思議なお告げ。自らの運命を知らせる黄色いトリ。
それがホーネットの元にやってきたのは二日前、マジノライン要塞の客室で一泊した時の事。
つまりランスと共に決戦前夜の夜を迎えて、そうして眠った夢の中で起きた出来事で。
「翌日の朝はもうすぐに魔物界への突入を控えていたではありませんか。運命の相手と電卓キューブ迷宮に来いと言われても、作戦を無視して行けるような状況には無かったのです」
「……ふむ」
「ですからその話は後々に、ケイブリスとの戦いが終わった後にしようと思ったのです。……貴方にもそのように言いましたよね?」
「あー、そういやなんかそんな話をしとったな」
ふとランスも思い出す。
そう言えばあの日の朝。ホーネットは何かを気にして何かを言えずに隠していた。
それがどうやらこれだったらしい。夢の中で黄色いトリから運命のお告げを聞いて、朝起きたら自分の小指に不思議な赤い糸が結ばれていた件についてだったようだ。
「なーるほど。となるとお前は俺様が運命の相手だって最初から分かってたのか」
「え、えぇ……分かっていたというか、まぁ……」
「だったらあそこから逃げ出せたのも、実際は一か八かの賭けって訳でも無かったのだな」
電卓キューブ迷宮への道が開かれる条件。
それは運命で結ばれていて、かつお互いがお互いを運命の相手だと認識する事がキーとなる。
それをホーネットは自らの小指から伸びる運命の赤い糸によって。一方ランスは単なる直感で。
そうしてお互いがお互いを運命の相手だと認識した事によって、二人はあの絶体絶命の窮地から逃れる事が出来たのだった。
「……正直、私は夢のお告げなど信憑性に欠ける話だと思い、状況も踏まえてあの場では後回しにしたのですが……せめて貴方には話しておいた方が良かったかもしれませんね」
「でもまぁ、こうして戦略的撤退は成功したんだから結果オーライだろ」
ランスは結果オーライだと言ったものの、しかし二日前のあの日にそれを聞いていた場合、その瞬間強制的に電卓キューブ迷宮までワープさせられていた可能性が高い。
そうなると当然ここで戦略的撤退の為にワープを使用する事は不可能となっていたので、二日前に話さなかった事は結果オーライどころかむしろ超ファインプレーだと言えた。
「そう言えば……この迷宮に来れば私専用の武器が手に入るとか、どうとか……」
「あぁ、それもあったな。んじゃちょっくら進んでみるか」
「あ、けどランス、まだヒーリングが途中で──」
「んなもん歩きながらすりゃいいだろ。ほれ、とっとと行くぞ、立て立て」
という事で、治療は続行しながらも移動開始。
専用武器を手に入れる為、ランスとホーネットは電卓キューブ迷宮の奥へと進む。
「にしても、ここは本当に不思議な空間というか……馴染みのない場所ですね……」
「まーな。さっきも言ったがこの電卓キューブ迷宮はマジで訳分からん迷宮だからな。知っとるか? ここは空の上にあるのだぞ?」
「空の上?」
「そう、空の上。マジノラインの上空に四角い箱みたいなのがプカプカ浮かんどるのだ。だから来る時はワープしないと来られないって訳だ」
「空の上にある迷宮ですか……。でもそれなら、メガラスであれば来られるかもしれませんね」
「あー、確かにそうかもな。……いやけど、あいつ一人でここに来ても虚しいだけだと思うぞ?」
などと他愛ない会話を交わしながら、迷宮を奥へ奥へと進んでいた二人だったが。
「……ところで」
と、唐突にランスが呟いて。
「……なんですか?」
「うむ」
その場で立ち止まって隣に向き直る。
そしてホーネットと、運命の相手と真正面から目を合わせる。
「ホーネット君」
「なんですか?」
「俺達は今、電卓キューブ迷宮に来ているな」
「そうですね」
「そうだな。ここは電卓キューブ迷宮なのだ」
「えぇ、そのようですね」
「ここは運命の相手とだけ来られる場所なのだ」
「……はぁ」
ランスが繰り出す言葉に対し、ホーネットは平然とした顔で相槌を返してくる。
「分かるか? 運命の、相手だ」
「えぇ」
「俺様と、お前が」
「はい」
「運命で繋がっている訳だ」
「みたいですね」
「……それだけ?」
「え?」
「運命の相手だぞ?」
「えぇ」
「…………運命の相手、だな?」
「です……ね?」
ランスが繰り出す言葉に対し、ホーネットは平然とした顔で相槌を返すだけで。
「………………」
そして遂にランスは沈黙してしまう。
「……ランス、どうしたのですか?」
一方でホーネットは不思議そうに眉を顰める。
その様子は実に相変わらずだ。至って普段通りなホーネットの姿そのままで。
「……なんか、反応が薄い気がする」
「え? ……そう、ですか?」
ランスが気になったのはその反応。
言わばホーネットが見せる塩対応について。
「せっかく俺が運命の相手だと分かったんだから、もっとこう、驚きがあっていいような……」
自らの運命の相手が判明する。それが誰にとってもビッグニュースではないのか。
何度も経験している自分はともかく、ホーネットにとっては初めての事になるはず。
だったらもう少しぐらい驚いたり、取り乱したりしたっていいのではないだろうか。
例えば一番直近の相手、魔人シルキィ。
彼女はこの電卓キューブ迷宮を訪れて自らの運命を知り、結果そりゃもうテンパっていた。
「運命の相手ってなにーーー!?」だとか「……はぁぁ~……どうしよ、どうしよ……!」だとか、ひたすら取り乱した可愛らしい姿を見せてくれた。
そんなシルキィと比較して、この暖簾に腕押しのようなホーネットの塩対応はどうだろう。
自らにとっての運命の相手が判明した。それなのにあまりに無感動というか、無関心というか。
「二日前から知ってたからって事なのか? いやでもそれにしたってなぁ……」
ランスは納得いかなそうに顔を顰める。
これでは「私にとって運命の相手などどうでもいい事です」とでも言うかのようではないか。
「やっぱりあれか。お前は運命とかそういう感じのロマンチックなあれこれには興味無いのか」
「ロマンチック……」
「うむ、ロマンチック」
「……いえ、そういう訳ではありませんよ」
するとホーネットはゆっくりと首を振る。
その顔には僅かな笑みと恥じらいが、その頬にはうっすらとした色付きが見える。
それこそは彼女の心中を表したもの。普段通りのホーネットじゃない部分。
「……私とて、なにもそんな……これでも驚いていない訳ではないのです」
そこにはホーネットの驚きが、ホーネットなりの喜びというものが確かにある。
その上で、彼女は「ただ……」と呟いて。
「……少々、今更な話だなと思いまして」
「今更?」
「……えぇ」
そして、想いを込めるかのように目を閉じる。
「……運命めいたものというのなら、それは……貴方からとっくに感じていましたから」
こうして電卓キューブ迷宮にやって来た事。
小指に結ばれた運命の赤い糸を目にした事。
夢の中で黄色いトリからお告げがあった事。
……そのどれよりも以前から、ホーネットは。
「……ランス。私にとって貴方は……出会った当時はなんとも思っていなかったのに、今では……貴方と出会えた事はなによりも僥倖だったと、それ程までに大きく感じています」
出会いはもう10ヶ月以上前、派閥戦争の苦境の中で突然人間世界からやって来て。
当初は人間などと下に見て、魔剣を扱える事にしか価値を見出してなかったというのに。
しかしその活躍は予想を大きく上回って。
そして命を救われて。共に魔人と戦って。
共に派閥戦争の苦楽を乗り越えて。
そして──恋をして。
愛情を抱いて……初めて身体を重ねて。
「貴方という存在は……とても言葉で語り尽くせるような相手ではありません」
「………………」
「そんな貴方に対して、私が運命めいたものを感じないというのが嘘だというものでしょう」
「……ふむ、そーいうもんか」
「えぇ。そういうものです」
たとえ夢のお告げがあろうと、なかろうと。
それこそ仮に運命の相手ではなくとも。
その事とは関係無く、すでにホーネットはランスをそういう相手のように思っていた。
故に今回こうして電卓キューブ迷宮に来た事。それに驚くというよりもむしろ、ホーネットとしては答え合わせを受けたような心境だった。
「それに驚きというのなら……貴方こそ少々反応が薄いように見えますが」
「んー? そりゃまぁ俺様にとってはもう何度目かの出来事だからなぁ」
「……え?」
──何度目かの出来事だからなぁ。
聞こえてきたその妙なフレーズに、ホーネットの整った眉がぴくんと動く。
「……運命の相手、なのですよね? 何度目かという事があるのですか?」
「あるのだ。どうやら俺様には運命のお相手が沢山居るらしくてな、こうして誰かと一緒に電卓キューブ迷宮にやってくるのももう10回以上になる」
「……10回?」
「そういやこの前はシルキィちゃんとも来たな」
「ッ!?」
次いで驚愕に息を飲み込む。
「……そ、そう、ですか……。シルキィとも、ですか……そうですか……」
それはまさかまさかの名前……か。それともある意味納得の名前か。
とにかくランスにはシルキィ含む10人以上の運命のお相手が居るらしい。
「………………」
──運命の相手。
それは特に番とかそういう訳では無いらしい。
果たして運命とはそれでいいのだろうか。
「………………」
あるいはそれとも……。
そういう相手に情愛を抱く事、それこそが自分の運命だという事なのだろうか。
「………………」
「なんかシルキィちゃんの時にビックリした分、ホーネットはやっぱりかーって感じだったな」
「………………」
「なんせお前という女は俺様史上最も強敵だった相手になる訳だし……って、どした?」
「……いえ、別に」
ランスが隣に視線を向けると、そこに居たホーネットの表情は。
それは……投げやりになっているかのような。あるいは……何処か拗ねているかのような。
「……しかし、そうなると……これが言う程にロマンチックなあれこれなのか、という点にも疑問を抱いてしまうのですが……」
「あん?」
「……いえ、なんでもありません」
ロマンチックさとはなんなのか。
そんな話はきっと……そういった事に理解の浅そうなランスに何を言っても無駄だろう。
そう感じたホーネットは首を横に振ると、手のひらに集めていた魔力を霧散させていく。
「……と、こんな所ですかね。ひとまず応急処置としてのヒーリングは掛け終わりました」
「お、終わったか」
「えぇ。左手首の具合はどうですか?」
「どれ……おぉ、イイ感じだ。動く動く」
神魔法LV2によるヒーリングを受けて、腫れの引いた左手首をランスは満足そうに眺める。
短時間での骨折の治療という事あってまだ若干痛みは残るものの、それでも魔剣を振るって戦うのに支障が無い程度には回復したようだ。
そして。
武器を握れるようになった以上、その次に待ち受ける事と言えばただ一つだけ。
「よーし。これで問題無くあのリス野郎との再戦と行けるぜ」
──再戦。
「……っ」
すると、ホーネットの息を飲む音が聞こえた。