それは、ある日の事。
「美樹ちゃんを招きたい?」
「えぇ、そうです」
きっかけはそんな会話からだった。
そこは魔王城内にある客室の一つ。
戦後処理に追われる日々の中、ランスの部屋を訪れたホーネットが口を開く。
「貴方も知っての通り、ここは魔王城。本来であれば魔王様が御わす場所です。である以上、やはり美樹様にはこの城に居て貰うべきだと思うのです」
人間世界で行方不明となっている存在、未覚醒の魔王・来水美樹。
その居場所や安否など、美樹に関してはホーネットも以前から懸念しており、今回戦後処理の一環として美樹の件にも触れる事にしたらしい。
「けどホーネットよ、美樹ちゃんはこの城から逃げ出したんじゃなかったか?」
「えぇ、その通りです。当時は私もそれを止むを得ない事だと考えていたました。魔物界で派閥戦争が起きている状況下、美樹様は人間世界に居た方がまだ安全だと思ったのです」
しかし今、その派閥戦争は終わった。
自らが魔王になる事を目論んで美樹の命を狙った魔人ケイブリスは討伐された。
「戦いが終わった以上、美樹様をこの城に招く事に何ら障害はありません」
「……ふむ」
「それに美樹様にとっても……未覚醒とはいえ美樹様はれっきとした魔王、人間世界で暮らすのには何かと不都合が多いと思うのです」
「……ふーーむ……」
人間世界で暮らす美樹達について、前回の時の記憶などを思い出したランスは顎を擦る。
魔王の血を継承して、しかし魔王リトルプリンセスとして覚醒していない来水美樹。彼女が不安定な魔王の力に翻弄される姿は何度か見てきた。
そして同行者の小川健太郎は魔人。魔王と魔人が人間世界にて安穏と暮らすのは難しい。中々一つの場所には留まれず、山の中に隠れていた前回の美樹達の姿がランスの脳裏によぎる。
「……ま、そーだな。今となってはこっちに居た方が何かと安心かもしれねーな」
当人達にとっても、あるいは誰にとっても。
美樹達にはこちらの目の届く場所に居て貰った方が良い。それはランスも同意する所だった。
「えぇ。美樹様が魔王として覚醒なさるにしろそうでないにしろ、いずれにせよ魔王城に居て貰う事に問題は無いはずです。ですから美樹様をお迎えに上がりたいのですが……困った事に私には美樹様の居場所が分からないのです」
「なーるほど。それでこのランス様の力を借りたいって訳だな?」
「えぇ、そういう事です。貴方は人間世界の国々に顔が効く立場にあるようですし、以前には美樹様から手紙を受け取っていましたよね?」
ホーネットがそう尋ねると、ランスはなんのこっちゃと言いたげに「む?」と首を傾げる。
「美樹ちゃんからの手紙? んなもん受け取った覚えはないのだが」
「……やはりあれは嘘だったのですね。まぁ、そうだろうとは思っていましたが」
案の定だった答えにホーネットが嘆息する。
それは以前、初めてランスと一緒に入る事となった魔王専用の浴室。
その時にランスが混浴の言い分として使用したのが美樹からの手紙の存在だった。
しかしそれはニセモノであり、ランスは美樹からの手紙など受け取ってはいない。
なので今現在、ランスは美樹や健太郎と連絡を取り合えるような状態には無いのだが。
「まぁいい。話は分かった」
ランスは腰掛けていたソファから立ち上がる。
美樹達と連絡を取り合う方法は無いが、されど何も問題は無し。
前回の時もそうだったが、ランスの力を以てすれば美樹達を探し出す事なんて朝飯前だ。
「確かに美樹ちゃんの問題は放っておくと後が怖えーし、とっとと手を打った方が良さそうだ。んじゃ早速だが人間世界に向かうとするか」
こうしてランス達は人間世界へと出発した。
目的は魔王・来水美樹の捜索。
それは前回の時にも経験済みであり、だからこそ手順はもう分かっている。
まず向かったのはランスの居城、ランス城。
目当ては城に住む居候の一人、クレイン。
盗み聞きの魔女とも呼ばれるクレインの情報収集能力を借りた所、前回とは違って人間世界は戦時中ではない事も影響してか、美樹達の所在は労せずすぐに判明した。
二人が居たのは自由都市の小さな村。
ランスは即座に直行して、前回の時程に手間取る事もなく美樹達と再会を果たした。
そして事情を説明した所、こちらの提案に美樹達は悩んだ挙げ句に首を縦に振った。
そして──
「わぁー! なんか懐かしいなぁ!」
跳ねるような美樹の声。
「久しぶりに見たけどやっぱし大っきい城だね。美樹ちゃん」
「うん、そうだね!」
そして隣には小川健太郎の姿。
長らく人間世界を旅していた二人は、因縁深き場所でもあるこの魔王城へと戻ってきた。
敵対派閥だったケイブリス派が壊滅して魔物界も平和になった事。
共にこの城で暮らす者達、ホーネット等には美樹に魔王化を強制する意思は無い事。
もし何かが起きてしまった時、人間世界に居たのでは多くの人々に迷惑が掛かってしまう事。
それらの事情を考慮して、美樹と健太郎はこの魔王城で暮らす決意をしたのだ。
「あ、そう言えばランスさん」
「なんじゃ」
「聞きましたよぼく。ランスさんはホーネットさん達に協力して、美樹ちゃんの命を狙ってたわるーい魔人達を退治してくれていたんですよね?」
「あぁそうだ。俺様がケイブリス派をブッ潰したからこそお前ら二人はこの魔王城で安全に暮らせるのだ。せいぜい感謝しやがれ」
「もちろん、感謝感謝です」
健太郎は両手を合わせてぺこりとお辞儀する。
「なんかすみませんねぇランスさん。僕達の為に色々頑張ってもらっちゃって……」
「……イラッ」
「いたーっ!」
どげしーっ! と健太郎のケツに本気のランスキックが炸裂。
わざわざ魔剣を取り出して無敵結界を破壊してからケリを入れる程の念の入れようだった。
「い、痛たた……いきなり蹴るなんてヒドいなぁ、ランスさん」
「やかましい。真っ二つに叩っ斬られなかっただけでもマシだと思え」
本人に悪気は無いのだろうが、どうにも空気が読めないというか、なんというか。
変人の気がある健太郎の言動はランスの機嫌を逆撫でする事が多く、またそもそも男である事もあってか、基本的にこの二人の相性は悪い。
「シィルおねぇちゃん!」
「美樹ちゃん、久しぶり!」
一方でこちらの二人はその真逆。
シィルは基本的に人当たりが良く、なので勿論美樹とも良好な関係を築いている。
その後は氷漬けにしてしまった事を謝罪し、また氷の中から解放された事を喜んだりと。
賑やかな団欒の中、美樹達は久しぶりに再会したシィル達と友誼を深めた。
そして──
そして。
それは次の日の事だった。
「あっ! あああぁああああッッ!」
苦しむ声が。
人のものとは思えないような絶叫が響く。
「この城に備蓄してある全てのヒラミレモンを持ってきて下さい! 早くっ!」
切迫したウルザの声。
廊下を慌ただしく走るホーネットの使徒達。
「うぐっ! ぐうぅうぅ! ああ゛ああぁあ゛ああ゛ぁぁあ゛ああ!」
ベッドの上には、大量の鎖で縛り付けられている来水美樹の姿が。
胸の内で暴れる凶悪な鼓動に、美樹は身体を暴れさせてもがき苦しんでいた。
「………………」
「美樹様……」
一方、その周囲に立ち尽くす者達は。
皆が絶句している。
途方に暮れたような表情をしている。
「どうして、こんな……」
「…………チッ」
目の前にある光景が受け入れられない。
その場に集まった者達、ホーネット派の面々はおろかランスでさえもそんな顔をしていて。
「……おい、ホーネット」
「………………」
「なんなんだ、これは」
「………………」
ランスは八つ当たり気味にそちらを睨む。
だがホーネットの視線は目の前の光景に釘付けとなったまま。
「昨日まではピンピンしてたじゃねーか。どうして突然こうなるんだ」
「……分かりません。魔物界の空気が影響した……とは、考えたくないのですが……」
突然に。
本当に突然に始まった美樹の発作。
それはただの偶然や気まぐれなのか。あるいは何者かの意思によるものか──
魔王リトルプリンセスへの覚醒。
それが今、この魔王城で刻一刻と迫っていた。
「美樹ちゃん、ほら、口を開いて! ヒラミレモンを食べるんだ、さぁ……!」
「あぐっ……うっ、ううううぅうぅぅ……!」
「美樹ちゃん、頑張るんだ、美樹ちゃん……!」
健太郎が美樹の口を開かせ、押し込むようにヒラミレモンを食べさせる。
けれども美樹の悲鳴は止まない。本来なら魔王化の発作を鎮めるはずのヒラミレモンだが、しかしこの時に限っては何の効果も齎さない。
「……ランスさん。何か他に打つ手は無いのでしょうか」
「……どうなんだ、ホーネット」
「………………」
ウルザが問い掛けて、ランスが話を振って、そしてホーネットは沈黙で返す。
魔王化の症状を抑える方法、それは現状ヒラミレモンを食べる以外には見当たらない。
残る手段としては本人次第、美樹が自らの意思力によって発作に打ち勝てるかどうか。
もしそれも無理だとなると──
「……美樹様が魔王様として覚醒する」
「………………」
「これは……これは、良い事なんですよね? ホーネット様……?」
「………………」
不安げに見つめるサテラ。
対してホーネットからの返事は、無い。
ホーネット派とは、リトルプリンセスに世界を支配して貰う事を目的としていた。
であるならば、この結末はホーネット達にとって派閥の本願を叶えたものだと言えるだろう。
だからこれは歓迎すべき事だ。
美樹が魔王へ覚醒する事は、この城に住む者達にとっては本来喜ぶべき事であるはずなのだが。
「美樹様が、ここで……」
「……っ、ホーネット様」
「……シルキィ、貴女の言いたい事は分かります。ですが……」
しかしサテラも、ハウゼルもシルキィも。派閥を率いてきたホーネットですらも。
魔王・来水美樹の為、ホーネット派として戦っていた彼女達全員の表情は固く、巌しい。
魔王の本質とは破壊と殺戮だと知られている。
秩序だった統治を行った唯一の存在、前魔王ガイは例外中の例外だと言ってもいい。
特に人類に対してとなると、破滅的な攻撃を仕掛けるのが魔王としてあるべき姿。
「ここで美樹様が覚醒したら、世界は……」
この覚醒の意味とは。
魔物界に棲む魔物達はまだしも、人類にとってはどういう意味を持つのか。
そもそもが今この場所でこうしている事が。
自分達ホーネット派がここまで来られたのは、人間であるランス達のおかげなのに。
それなのに、その結末がこれでは──
「……ランス。どうしますか?」
「……どうって、どういう意味だ」
ホーネットがそちらに視線を向けると、ランスは尖った目付きで睨み返してくる。
「どうもこうも、他に打つ手はねーんだろ?」
「……いえ。本当の事を言えば……完全に打つ手が無いという訳ではありません」
「例えば?」
「……一つはとても簡単な事です。まだ美樹様が未覚醒である今の内に……」
その先は言わなかった。
魔人筆頭として、それだけは絶対に言ってはならない言葉だったからだ。
「……あー」
けれどもそんなホーネットの表情を見てある程度察したのだろう。
だからこそランスはすぐに答えた。
「それはパスだ。俺様は可愛い女の子は絶対に見殺しにはせんのだ」
「……そうですか。……そうですね」
未覚醒である今の内に……魔王を殺す。
ランスがランスであるが故、それを選択する事は出来なかった。
ここでそれを選択してしまっては、ケイブリスとやってる事が何も変わらなくなってしまう。
「だとしたら、他には……」
「……他には?」
魔王を殺す以外の、更なる別の手段。
それは──
「他、には……」
別の手段……それは。
それ以上ホーネットは何も言えなくなって、ただ揺れる瞳でランスの事を見つめる。
「……なんだ」
「……いえ、分かりません。……おかしな事を言っていますね、私は……」
そして、答えは告げずに視線を戻す。
「……おかしな事、か」
けれどその瞳の意味は。
全てはランスにもちゃんと伝わっていた。
「…………ふーん」
それは決戦前夜の夜の事。
マジノラインの客室で、ホーネットと一夜を共にしたあの時の事。
魔王はその力を継承する事が可能で、その為には継承者に特別な何かが必要になる。
そんな話を聞いた時。
その時、自分はホーネットに対して何と言って返したのだったか。
「……魔王」
ふと──ランスは思い出す。
もはや遥か昔のように感じる記憶。
それでもまだ色褪せずに思い出せる、前回の第二次魔人戦争、その最後の日。
あの日。祝勝会の場ではちょっとした事件が起こって自分はそちらにだけ気を取られていた。
けれどもよーく思い出してみると、あの時ランス城内ではもう一つ別の事件が起きていた。
あの会場から自分が姿を消す最中、周囲の者達はそのように騒いでいたような覚えがある。
その事件とはすなわち魔王の覚醒だ。
あの時も今と同じように、美樹はリトルプリンセスになろうとしていた。
あの時の自分にはどうでもいい事だったが、今思い返せば確かにそうだった。
「……だったっけか」
「え?」
「いや、なんでもない」
しかし──今はあの時とは違う。
ここはランス城ではなく魔王城。
あの時のように人間の仲間達は居ない。
けれどもその代わりに魔物や魔人達が居て。
サテラが。
ハウゼルが。
シルキィが。
ホーネットが、ここには居て。
そして──
「ランス様……」
「………………」
そして、すぐ隣には……これが。
不安そうな顔でこちらを見ているシィルが居る。
「……そーだな」
あの時と今は違う。
ここにはシィルが居る。
──だとしたら。
「……シィル、ちょっとこっち来い」
「え? でも、美樹ちゃんが……」
「いいから来いっての」
ランスはむんずとその手を掴むと、有無を言わさずシィルを引っ張って部屋から出ていく。
「ど、どうしたんでしょう……?」
「さぁ……?」
ハウゼルやシルキィが首を傾げる中。
ランスとシィルが廊下に出ていたのはほんの一分足らずの事で。
その時、なにがあったのか。
二人の間でどんな会話が交わされたのか。
それは二人の他には誰も知らない事。
そして。
「がははははははーーっ!」
すぐに大笑いと共に戻ってきた。
なにがあったのか、ランスはそれはもう上機嫌になっていた。
一方でシィルは少し顔が赤くなっていた。
「よーし決めたっ! やっぱし苦しむ女の子の悲鳴を放置しておく事など出来んな! つーわけで健太郎、邪魔だからそこどけ」
「えっ、ランスさん、なにをするんですか?」
「いいからどけっての。役立たずは引っ込んでいるがいい。しっし」
ランスは健太郎を下がらせると、ベッドで横たわっている美樹と目線を合わせる。
「美樹ちゃん。苦しいだろうが一仕事だけ頼む」
「ひと、しごと……?」
「あぁ。それさえ終わりゃあすぐに楽になるはずだから。ほら、身体を起こせるか?」
「……うん、よいしょ……」
美樹はよろよろと身体を起こす。
「……まさか、ランス、貴方は……」
そんな中、ホーネットはランスがしようとしている事をいち早く察知した。
何故なら他の選択肢と言えば……それは、もうあれぐらいしか残されていないから。
「まさか、血の継承を……?」
「あぁ。俺様が魔王になる」
するとやっぱりランスはそう答えた。
なんら気負いなく。当然の事を言うかのように。
「なっ……!」
その驚きは誰の声だっただろうか。
きっとその場にいた殆どの者の感想だろう。
とはいえホーネットと、そしてシィルだけは異なる反応をしていたようだが……とにかく。
「ランス、一体何を言ってるんだ!」
「そんな、ランスさんまさか!」
「ふふん、やっぱり世界最強の俺様には世界一の存在が似合うってなもんだぜ。さぁ美樹ちゃん。君の魔王の力を俺様に寄こすのだ」
「え、けど、そんな……いいの? そんな事……」
「いいのだいいのだ。ほらほら、魔王の力なんてペッて出しなさい、ペッて」
魔王の力の継承。それは自らの苦しみを相手に押し付ける事に他ならない。
苦痛の最中にあっても優しい性格の美樹は躊躇していたのだが、しかしランスは気にもせず。
「ふふふ、魔王か……悪くない」
「ランス。貴方は本気で……?」
「当然だ。つーかな、お前からあの話を聞いた時から俺は魔王になろうと企んでいたのだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! ランスさん、そんなこと──!」
すると慌てた様子のウルザの言葉を遮るように、
「大丈夫だ、ウルザちゃん」
ランスはそう呟いて。
そして、重ねるようにもう一度。
「大丈夫だ。俺様を信じろ」
その言葉が決定打となった。
その言葉を耳にして、自然と誰もが反対の意思を持たなくなった。
だってそれは自棄になったとか。どうでもよくなったとかそういう事では無いから。
ランスは自らの意思で、自らの手でそれを選んだのだから。
そして──血の継承が行われた。
そして──
「がはははははは!」
そして、聞こえる。
「がははははははははははははは!」
笑い声が、聞こえる。
「がーーっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
魔王城に高笑いが響く。
LP歴8年から変わって──RA歴0年。
この世界に魔王ランスが誕生した。
これにて第一部……というか本編としては完結になります。
ここまでお読みになっていただき有難うございました。
ここから先、この話はアフターへと進みますのでそちらもお読みいただければ幸いです。
また、ランス(9.5IF)本編完結に先駆けて活動報告を更新しました。
そちらでは本編についての経緯やアフターについての展望などを書きましたので、興味がある方は御覧下さい。