ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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Q, 魔人ホーネットはオチていたのか?

 

 

 

 

 

 それは今から一月程前。まだランスが魔王になっていなかった頃の事。

 派閥戦争を勝利にて幕を閉じて、その後束の間の平穏を過ごしていた頃の事。

 

 一例を挙げればこんな事があった。

 

 

「お」

 

 ある日の昼下がり。

 城内を気ままにぶらついていたランスはホーネットの後ろ姿を発見した。

 

「よう、ホーネット」

「あぁ……ランス」

 

 呼ばれて振り向くホーネット。その隣には顔を隠すように俯いた見知らぬ使徒の姿も。

 戦争が集結して間もなく、この時期のホーネット達は派閥戦争の戦後処理に追われていた。

 ランスはそういう事に関しては一切ノータッチだったのだが、ホーネットやその使徒達などホーネット派の主要な面々は戦いが終わってもまだ忙しい日々を過ごしていた。

 

「ちょうど良かった。今日からしばらく魔王城を開けるので留守をお願いします」

「あん? どっか出掛けんのか?」

「えぇ。これからタンザモンザツリーの視察を行おうと思いまして」

 

 派閥戦争下、ケイブリス派の本拠地として機能していた魔界都市タンザモンザツリー。

 長らくホーネット派の目が届かなかった都市であり、今回戦後処理の一環として各都市部の復興と統治に関する計画を進める為、ホーネットは魔物界最南端にある大拠点に向かう予定らしい。

 

「視察、か」

「はい」

「ホーネットよ、残念ながらそれはパスだ」

「え?」

 

 しかしそんな話を聞いたランスは一度首を左右に振ると、すすすと彼女のそばに歩み寄って。

 

「お前には大事な仕事があるからな。ほーれ」

「あ……っ」

 

 その手をホーネットの細い腰に回すと、ぐいっと自分の方に抱き寄せた。

 

「な、ランス、なにを……」

「魔界都市の視察も結構だがな、お前が優先するべきはこっちの用事だ」

「用事って……」

 

 用事。こうして自分の腰を抱き寄せて、息も掛かりそうな距離で告げる用事。

 その内容を聞かなくても理解したホーネットは抵抗するように顔を背けた。

 

「……駄目ですよ、ランス」

「ほう? 何が駄目だってんだ?」

「これは外せない用事だという事です。タンザモンザツリーは長らくケイブリス派の支配下にあった魔界都市、一度現状を見ておかなければ──」

「おやいや? ホーネットちゃん、きみってば俺様のお願いに対して駄目とか言うわけ?」

 

 するとランスはこれ見よがしな驚き顔になって、

 

「ケイブリスに勝てたのは誰のおかげだったか、まさか忘れたわけじゃないよなぁ?」

「っ……」

「俺様はホーネット派の恩人だよな? 恩人のお願いを無下にしていいのかなぁ? 派閥のトップであるお前がそんな態度でいいのかなぁ?」

「それは……」

  

 恩着せがましいセリフを吐くと、ホーネットは返す言葉を失って沈黙する。

 恩人とか。あるいは功労者とか。ここ最近のランスはそういったキーワードを盾にしてホーネット派の面々に対し関係を迫る事が増えていた。

 そしてそのキーワードは良く効いた。真面目で責任感の強い派閥の主には特に効いた。

 

「しかし……もう出発の時刻が迫って……って、あれ、ケイコ?」

 

 ふとホーネットが周囲を見渡すと、一緒に居たはずの筆頭使徒の姿はこつ然と消えていた。

 それは空気を読んだからか、はたまた使徒として主に気を利かせたからか。

 

「さ、こっちこっち」

「ですから……も、もう、ランス……」

 

 そして結局、魔人筆頭の口だけの抵抗も虚しく。

 二人はその場を離れて、近くにあった適当な空き部屋の中へと入っていく。

 

「がははは。恩人からのお願いはちゃんと聞かないとな。なぁホーネット?」

「……本当に、全く……仕方ありませんね……」

「うむ。ではいっただっきまーす!」

 

 壁際に押し付けるような格好になって、ランスの手がその胸に伸びる。

 

「あっ……」

「ぐふふ~、相変わらず良い乳しとんなぁ、ほーれほーれ」

「んっ、あぁ……ランス……」

 

 するとホーネットの口から甘い声が漏れ始めた。

 

 こうして、魔人筆頭によるタンザモンザツリー視察は中止となった。

 

 

 

 ……みたいな事があったり。

 他にも一例を挙げると、また別の日にはこんな事もあった。

 

 

 

「がははははーっ!」

 

 と、お決まりのがはは笑い声が浴室の壁に反響して響く。

 

「……ふぅ」

 

 一方その隣、静かに吐いた息は湯気と混じって消えていく。

 

「うむ、いい湯だなぁ」

「えぇ、そうですね」

 

 ランスとホーネット。二人は魔王専用の浴室にて入浴をしていた。

 こうした混浴は初めての事ではない。捏造した来水美樹からの手紙を盾にゴリ押しして以降、ランスとホーネットの間で不定期的に繰り返されてきた事ではあるのだが……しかし。

 

「……(そ~っと)」

「………………」

 

 しかし、二人の混浴のあり方も当初の形からは大きく変わってきていた。

 一緒に湯に浸かるだけでは飽き足らず、次第にランスはそーっと手を伸ばし始めて、

 

「………………」

 

 その手がホーネットの肩を掴んだ。

 けれども反応は無し。ホーネットはその目を閉じて静かにしている。

 

「……(そそそ~っと)」

「………………」

 

 ならばとランスは手の位置を下げて、肩からその脇腹に狙いをシフトする。

 

「……んっ」

 

 更には脇腹から前に回して、背中を一周した手が前にある膨らみにまで到達する。

 するとホーネットが小さく声を漏らした。

 

「……ランス」

「お? どした?」

「……手が」

「て? 手がどうしたって?」

 

 すっとぼけながらもランスは手を動かして、その胸をふにふにと揉みしだく。

 すると次第にホーネットの表情には赤みが増してきて。

 

「……駄目ですよ」

「駄目って、何が」

「ですから……」

 

 次第にその声にも艶が増してきて。

 

「……ここの水を汚さないよう、湯船の中では駄目ですと前に教えたではありませんか」

「おやおやぁ? 俺様はまだ何をするとも言っていないぞ? ホーネットちゃんはここの水を汚すような事をするつもりなのかなぁ?」

「ランス……そのように意地の悪い物言いをしないで下さい。とにかくここでは駄目です。……あ、ちょっと、駄目ですってば……」

 

 駄目です駄目です、とは言いつつもロクな抵抗はしない魔人筆頭。

 その身体の上をランスの手が縦横無尽に蠢く。魔王専用の湯船の中だろうとお構いなし。

 

「大体湯船の水なんざ毎日換えとるんだから汚れなど気にする必要はねーだろうに」

「それは、そうですが……」

「そんな事よりもホーネット、俺様は今とても性欲が滾っている。これは裸のお前が隣にいて誘惑してくるからだ。責任とれ」

「なんの責任ですか、もう……」

 

 はぁ、と嘆息したホーネットはさも嫌々ながらもという体裁を取りつつ。

 しかし自らランスの方に振り向いて。

 

「……せめて、お風呂から上がるまで待てないのですか?」

「待てん」

「……そうですか」

 

 すると自らその両手をランスの首に回して、

 

「本当に仕方のない人ですね、貴方は…………ん」

 

 そして、自らその唇を重ねた。

 

 こうして、その日の魔王専用の湯船のお湯は汚れてしまった。

 

 

 

 と、そんな事もあったりもして。

 そして──今現在。

 

「──どうだホーネットっ! 思い出したか!!」

 

 そんな日々を経験した上で、今こうして魔王となったランスは吠えていた。

 数週間前の赤裸々な出来事を、それを共に経験したはずの魔人筆頭に対して怒鳴っていた。

 

「あんな事こんな事しておいて、それでもまだメロメロでは無かったと言い張るつもりか!!」

「っ、ま、魔王様っ! そういう話は使徒達も居るこの場では控えて下さると……!」

「お前が認めりゃあ済む話だろうが! なんなら他の日の事も話してやろうか!? この前一緒に寝た時なんかお前はセックス中からずっと俺様の手を握ったまま離さないで──」

「も、もういいですからっ! これ以上の話は結構ですから……!」

 

 ここ最近の自分の振る舞いを。ランスとの逢瀬の時間にどんな事をしていたか、こうして改めて説明されるとかなりこっ恥ずかしい。

 更にはそれを使徒達も聞く中で話されたとあってはこっ恥ずかしさも倍増、冷静さを失い慌てふためくホーネットの顔は真っ赤になっていた。

 

「と、とにかく使徒達は全員部屋を出なさい。そして魔王様、貴方様の言いたい事は分かりました」

「うむ、分かったか」

 

 魔王は鷹揚に頷く。その一方でホーネットの使徒達はそそくさと部屋を退出していく。

 そうして室内に二人きりとなった後、ランスは改めてその口を開く。

 

「いいかホーネット、あの時のお前は間違いなく俺様にメロメロになってたのだ」

「…………まぁ」

「それなのに今はどうだ。今のお前からはそういう雰囲気をぜーんぜん感じないではないか」

 

 ランスの不満はそこ。自分が魔王になった事によって変わったホーネットの慇懃過ぎる態度。

 絶対的な上下関係が生じた。互いの立場が変わった事で関係性がリセットされてしまった。

 その結果頑張って苦労してホーネットをオトしたという事実が無くなってしまった……ように見えてしまうのが気に食わない。

 

「し、しかし魔王様……私は魔人筆頭です。魔王である貴方様に対して、立場を弁えた態度を取るのは当然の事ではないですか」

「別にいい。これまで通りで構わん」

「そういう訳にはいきません。魔王様相手にこれまでのような失礼な態度を取るわけには……」

 

 魔王相手にこれまで通りの態度など、魔人筆頭としては認められるはずもない話。

 特に新魔王の誕生に伴い心機一転、そういう所には一層拘りたい気分でいたホーネットは控えめながらも拒否の姿勢を見せる。だが、

 

「いらんと言ってるだろう」

「しかし……」

「もしお前が男だったらナメた態度を取った時はブッ飛ばすかもしれんがな、女なら別だ。女のお前はこれまで通りで構わん、俺様はそういうみみっちい事は気にしないからな」

 

 俺様は器の大きい魔王様なのだ、とランスはがははと笑って胸を張る。

 ランスは女性相手にはこういうスタンスを取る。女性との間で構築した関係性も込みで楽しんでいる節がある故か、自分が偉くなっても畏まった態度を取る事を強制したりはしない。

 総統になっても総統と呼ばせる事を強制したりはぜず、それは魔王になっても同様である。

 

「つーわけでホーネット、とりあえずお前はこれまで通りの態度に直せ」

「ですが……」

「ですがじゃない。お前は魔王様の言う事が聞けないのか」

「っ、それ、は……」

 

 それを言われると弱い。というかそこを突かれた時点でもう勝ち目は無い。

 魔王に逆らうつもりなど無い、むしろ絶対の恭順を示すつもりでいるホーネットにとって、当の魔王から今まで通りの気安い態度に直せと言われるのは二律背反にも等しい命令。

 故にホーネットはしばらく難しい顔で俯いていたのだが、やがて意を決したように顔を上げた。

 

「……分かりました。ですが魔王様、せめてそれは二人きりの時だけにして下さい」

「なんだ、周りに誰か居ると恥ずかしいのか?」

「そういう事ではなく……他の者達の目がある中、魔人筆頭である私が魔王様を軽んじるような態度を取る事だけは出来かねます。他ならぬ魔王様の威厳を守る為にもどうかこれだけはご容赦下さい。お願いします」

 

 言いながらホーネットは深く深く頭を下げる。

 魔王の威厳を守る事。どうやらそこは魔人筆頭として絶対に譲れないラインのようで。

 

「ふーむ、俺様の威厳か」

「はい。秩序を守る為にも必要な事です」

「まぁお前がそこまで言うなら良いだろう。なら他のヤツらが居る時はセーフにしてやる」

「有難うございます、魔王様」

「そんじゃホーネット、今は二人きりなわけだし以前までの態度に直してみろ」

「……はい」

 

 以前までの態度に、直す。

 そうと決めた、というか半強制的に決めさせられたホーネットは仕方なく頷いて。

 

「……っ」

「ん?」

 

 目の前にいる──魔王に。

 何かを言おうとその口を開けて。

 

「……ぅ」

「う?」

 

 けれどもすぐに閉じて。

 

「……ら、」

「ら?」

 

 ぎこちない挙動で口をぱくぱくさせて。

 

「……らっ、ん、……っ」

「……おい。何をもごもごしとる」

「……いえ、その……」

 

 今まで通りの態度で接する事。魔王に対して気安い態度で接する事。

 それは長年魔人筆頭の立場にあった彼女にとっては相当ハードルの高い要求らしく、ホーネットはらしくもない様子で口を開けたり閉じたりする。

 

「あのなぁ、そんなに難しい事じゃないだろ」

「わ、分かってはいるのですが……」

「二人きりの時は俺様の事を魔王だと思わんでいいから。普通に喋ればいい」

「……はい」

 

 目の前にいる相手を魔王だと思わないで。これまで通り普通に喋る。

 そんな呪文を心の中で繰り返し唱えながら、ホーネットはぐっと息を飲んで。

 

「…………あの」

「おう」

「……っ、……く」

 

 喉の奥から絞り出すように。

 

「…………ラン、ス」

 

 その名を呼んだ。

 これまで通りに、気安く呼び捨てで。

 

「……ランス」

「おう。俺様はランス様じゃ」

「ランス、ランス……これで宜しいですか?」

「うむ、よろしい」

 

 するとランスは満足そうに頷いた。

 自分の事を呼び捨てで呼ぶホーネット。これこそ自分が頑張ってオトした彼女の姿。

 

「魔王様呼びも悪くはねぇけど、やっぱしお前はそっちの方がお前らしくてグッドだな」

「私らしい?」

「うむ」

「……そうですか。この方が私らしいですか……」

 

 ようやく緊張が解けてきたのか、ホーネットは吐く息と共に肩の力を抜いて。

 ランスに向けてこれまでとは違う目付きを、少々無愛想とも言える目付きを向ける。

 

「相手を呼び捨てで呼ぶ方が私らしいとは……まるで私が失礼な奴とでも言いたげですね」

「そうだな、お前は初期の頃はかなり失礼なヤツだった。今だから言うけどお前と出会った当初は『こいつは超美人だけどなんつー失礼なヤツだ!』と第一印象を抱いた覚えがある」

「それは……出会った当初の事は……仕方無いではありませんか」

 

 あまり思い出したくない自らの姿を思い出したホーネットは恥ずかしそうに呟いて、

 

「それに第一印象と言うなら……私だって」

「ほう?」

「初めて貴方と会った時は『この人間はなんて失礼な人間なのか』と思っていましたよ」

 

 そう言って懐かしそうに笑みを浮かべる。

 ホーネットは魔人であるが故、出会った当初は人間であるランスの事を見下していた。

 けれどもその後ランス達と触れ合い、派閥戦争を戦う日々の中で次第に考え方を改めて、人間の事を見下す事はなくなった。

 

「ですが、私と違って……貴方はあの頃から変わっていませんね。……魔王になっても」

 

 一方でランスは変わらない。

 出会った当初から傍若無人な男で、それはこうして魔王になった今も同じ。

 

「魔王化の影響によってもっと苛烈な性格に変容したりとか、あるいはもっと冷酷な性格に変容する事があるかもと思っていたのですが……貴方はいっそ驚く程に貴方のままですね」

「そりゃそうだ。魔王になっても俺様は俺様なのだからな」

「そうですね。魔王になっても貴方はランス、それは確かにそうですが……あるいはそれを当然のように言えるのが貴方の凄さなのかもしれませんね」

 

 外見なども含めて、現状のランスは魔王になる前の状態と殆ど変化が無い。

 果たしてそれは良い事と言っていいのか。それとも良くない事なのか。

 その答えは分からずとも、少なくともホーネットはそれを好ましいと感じていた。

 

「ではランス。言い付け通りに二人の時はこのように話しますが、それで宜しいのですね?」

「うむ、いいぞ。お前はそれで良い、さっきまでの堅苦しい感じより今の方がいい顔しとるしな」

「いい顔? そうですか?」

 

 堅苦しい態度を止めた事によって表情も少し柔らかくなったという事だろうか。

 ホーネットはそんな事を考えたが、

 

「あぁ。今の方が可愛い」

「っ、」

 

 不意打ちを食らってホーネットはくらっときた。

 

「……か、可愛い?」

「うむ」

 

 可愛い、らしい。その言葉はこれまで言われた事が無かった。

 夜の営みの時などランスから容姿を褒められる事は何度かあった。あったがそれは「綺麗」とか「美人」とか「おっぱいがデカい」とかで、可愛いと言われたのはこれが初めて。

 初めてとなる攻め口が効いたのか、ホーネットの返事はちょっと上擦っていた。

 

「昔からお前の顔といえば、真面目な顔か静かにキレてる感じの顔かどっちかだったからなぁ。それよりは今みたいな柔らかい感じの顔をしとる方が絶対に可愛いと思うぞ」

「……そ、れは……というか、今の私はそんなに緩んだ表情をしていますか?」

「うむ、昔と比べりゃダンチだな」

「……そうですか。なんだか……昔よりも気が弛んでいるぞと言われているような気分です」

 

 ここ最近の自分は緩んだ表情を、ランスが言う可愛い表情をする事が多くなったらしい。

 しかしてその変化は良い事と言っていいのか。それとも良くない事なのか。

 

「……良くはありませんね」

「あん?」

「いえ。身を引き締めねばと思っただけです。……しかし、肝心の貴方がこれですから……」

 

 新たな魔王が誕生した今、魔人筆頭の気が緩んでいるというのはどうなのか。

 けれどもそれでホーネットが身を引き締め、立場を弁えた態度を己に律していたというのに、当の魔王自身がそれを止めろと言ってくる。ホーネットとしては本当に頭の痛い問題である。

 

「ところでホーネット、さっきの話の続きだが」

「さっきの話?」

「うむ。お前が俺様に対してメロメロになってたっつー話」

 

 とそこでランスが話題を戻す。

 するとホーネットの眉間に皺が寄った。

 

「……その話、まだ続けるのですか?」

「うむ」

 

 もうその件は掘り返さないで欲しい。出来ればそっとしておいて欲しい。

 そんな願いを込めた眼差しをスルーしつつ、ランスはホーネットの顔をじっと見つめる。

 

「この際だからハッキリさせておく。……メロメロになってたよな?」

「………………」

「おい。なんとか言えよ」

「……さぁ、どうでしょうかね」

「なんじゃその答えは。こんなもんイエスかノーで答えられるだろ」

「………………」

 

 返事は、無し。

 ホーネットはイエスともノーとも答えない。

 

「おい、ホーネット」

「………………」

 

 その問いは。

 その心の内に秘めている情愛は。

 それはホーネットにとって、つい先日までは言えない言葉だったもの。

 

 何故なら自分が魔人で、しかし相手は人間だったから。

 人間と魔人は住むべき場所が違う。寿命だって違う。種族が違う以上いずれは離れ離れになる。だったらあえて言う必要も無いだろう。

 わざわざそんな言葉を伝えた所で、より離れ難い気持ちになるだけだろうと、打ち明ける必要性を感じなかったホーネットが心の内に封じて言わないようにしていた言葉。

 

(……けれど)

 

 けれど、ランスは人間ではなくなった。

 ランスは第八代魔王ランスとなった。という事はどういう事か。

 それはつまり……来たるべき別離は無くなったという事ではないのか。

 

(……ですね。そうなる……はずです)

 

 だって魔王と魔人筆頭だ。

 魔人筆頭の役目は魔王に仕える事だ。より簡単に言えばそばに侍る事だ。

 となれば少なくともこの先千年間、自分はランスと一緒に居られるはずだ。

 

(だったら……言えない言葉、なんて)

 

 である以上、もはやこの気持ちに封をしておく必要など無いのではないか。

 ふと、ホーネットはそんな事を考えて。

 

(……けれど)

 

「………………」

「……おい」

「………………」

「おい。なんとか言えよ」

 

 けれど……どうしてか口が重い。

 何故だかそれを言う気分になれない。

 

(……不思議です。もはや『好き』という気持ちを隠す必要など無いはずなのに……)

 

 こうして相手の方から聞いてきている以上、殆ど明るみになってしまっているような想い。

 今更隠す意味も無いのに、それでも一向に口を開く気分にならない理由とは。

 

(まだ隠しておく必要がある……と、私は感じているのでしょうか?)

 

 隠しておく必要がある、というよりも。

 隠しておきたい、が正解に近くて。

 

(……というよりも、私はもしや……)

 

 ──これはもっと単純な話で。

 ただ『好きです』というのが恥ずかしいのでは。

 

「……子供ですか、私は」

「あん?」

「……いえ。なんでもありません」

 

 思わず自分にツッコミを入れてしまう。

 それ程に呆れた結論に達したホーネットは顰めた表情で首を振って。

 

「……とにかく。その答えは貴方の好きなように受け取ってくれて構いません」

「ダメだ。それじゃつまらん。せっかくの機会だしお前の口から『好き』だと言わせてみたい」

「……でしたら、そのように命じて下さい。私は魔人で貴方は魔王なのですから」

 

 命令さえあれば従う事も已む無し。なんせ相手は魔王なのだから。

 今のホーネットにとってはそっちの方が遥かに気が楽だった。魔人筆頭として魔王様からの命令に従うのであれば、この胸の内にある気恥ずかしさだって押し殺せるような気がする。

 

「命じる?」

「はい。お好きなように命令を」

 

 けれどもその思いは、その意味は。

 ランスには正しく伝わらなかったようで。

 

「あのな。『俺様の事を好きだと言え』って、そんな命令したって虚しいだけじゃねーか。モテない男じゃあるまいし」

「………………」

「こういう言葉はお前自身の意志で言わせるからこそ意味があるって──」

「……いいえ、そうではありません」

 

 そしてまたホーネットは首を振った。

 しかしその表情は先程とは違って、悶えるような羞恥を必死に耐えているような顔で。

 

「そうではなく……私が貴方の事をどう思っているのか、嘘偽り無い気持ちを素直に口にせよ……と、そのように命じてみて下さい」

「む?」

「そうすればきっと、貴方の聞きたい言葉が私の口から聞けると思いますよ」

「……むむ?」

 

 嘘偽り無い気持ちを素直に口にせよ、と命じて。

 それで聞きたい言葉が聞けるという事は。 

 

「…………ほう!」

「……なんですか?」

「ほう! ほうほう!!」

 

 遠回しな言い方を理解するのに数秒ほど、ランスは梟みたいにほうほうと頷く。

 

「へぇ! そーなんだぁホーネットちゃん!!」

「……だから、なんですか?」

「いやいや、そーなのかーと思ってなぁ! そっかそっかぁー!! あのホーネットがついに陥落したかー! なんか俺様感無量だなーー!!」

 

 半ば想像通りだったとはいえ、やっぱり嬉しいその事実に大げさな反応で喜ぶランス。

 

「……そうですか。それは何よりです」

 

 一方でとても恥ずかしい言葉を口にした自覚のあるホーネットは、平然と。

 あくまで平然と、普段通りの平然とした仮面を被る事に徹する。

 

「……それで? 命じないのですか?」

 

 するなら早くして欲しい。殺すなら躊躇せず一思いにやって欲しい。

 そんな思いで尋ねてみると、性格の悪い魔王様からはこんな返答が。

 

「うむ、命じない」

「何故ですか? 私の口からそれが聞きたいのだと先程──」

「いやいい。ここまで来たら意地でもお前自身に直接言わせたくなった」

 

 そう言ってにやりと笑うランス。

 

「っ、……意地でも、ですか?」

「そのとーり」

 

 ──だってその方が絶対に面白いから。

 ホーネットには文末にそんな続きが聞こえたような気がした。

 

「……そうですか。でしたら私は意地でも言いたくなくなりました」

 

 だからそう返した。

 こうなったら徹底的にひた隠す。向こうが意地ならこちらも意地の張り合いである。

 

「なんだとぉ? おいホーネット、お前は魔王様相手にそういう事を言うつもりか」

「えぇ、言います。だって二人きりの時は魔王では無いのでしょう?」

「ぬ……! じゃあやっぱあれは無し、二人きりの時も魔王らしく扱え」

「そうですか。でしたら魔王らしく『好きだと言え』とでも命令してみればそれで宜しいかと」

「あのなぁ!」

 

 さっきから言うようにそれでは意味がない。

 ああ言えばこう言ってくる魔人筆頭の態度に魔王から激が飛ぶ。

 

「どうされましたか、魔王様?」

 

 しかしホーネットは怯まず、ほんの少しだけ口の端を釣り上げる。

 その表情は柔らかい笑み。昔のホーネットには無かった表情。

 

「言え」

「いやです」

「言え!」

「いやです」

「魔王様に逆らうなー! 言えー!」

「ランス、しつこいですよ。貴方は魔王になってしつこい性格になりましたね」

「なんだとー!!」

 

 言えと言われて、しかし言わない。

 魔王の子に生まれて、これ程に真正面から魔王に逆らった事など初めての経験。

 けれども中々悪くない気分だなと、ホーネットは魔人筆頭らしからぬ事を思った。

 

 

 

 

 

 

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