ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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「……そわ、そわ」

 

 そわそわと、落ち着き無く身体を揺すって。

 

「……ちら、ちら」

 

 ちらちらと、視線を玄関の方に向けて。

 そんな事をひたすら繰り返して……暫く。

 

「…………はぁ」

 

 と、大きなため息を一つ。

 期待と落胆の入り混じった吐息を吐き出したのはこの家の家主、魔人ワーグ。

 

「……遅くない?」

 

 待ち人──来ず。

 

「ね。遅いわよね?」

「遅い!」

 

 時間は刻一刻と進んでいく──遅い。

 

「遅いー!」

「ね。そうよね、絶対に遅いわよね」

「そうだそうだー! 遅い遅いーー!!」

「ねー。遅いよねー。はぁ……全く、ラッシーもこう言ってるってのに……」

 

 顰めっ面なワーグ。その手がラッシーのふわふわボディをわしわしと撫でる。

 ついついペットの夢イルカと一人芝居をしてしまう程、ワーグは今退屈でご機嫌斜めだった。

 だって遅い。遅いから。一体あの男はいつになったらやって来るのか。

 

 

 それは……今から4週間近く前のこと。

 ある日、ワーグの家のポストに一通のお手紙が届いていた。

 差出人はあの魔人筆頭。何事かと思い目を通してみるとそこには驚きの内容が記されていた。

 

 曰く──今世の魔王、第七代魔王であるリトルプリンセスから代替わりが行われた。

 それだけでもびっくり仰天な話なのに、新たな魔王の名はなんとワーグが良く知るあの男の名。

 

 その手紙を目にした時、驚きのあまりワーグは比喩抜きで座っていた椅子から転げ落ちた。

 だって、だって彼が。ワーグにとって唯一と言ってもいい友達かつ初体験のお相手が、まさかまさかの魔王になったと言う。それに驚くなというのが無理だと言うもの。

 だからワーグは驚いた。驚いて動揺して騒いで喚いて混乱してと、自分しか居ない屋内でひとしきりテンパった姿を見せた後……居ても立ってもいられなくなった。

 

 だから本当の事を言うなら、すぐにでもこちらから会いに行きたかった。

 しかしそれは難しい話。障害となるのは言うまでもなくオンオフの出来ない自分の睡眠能力。

 特にその当時は新魔王のお披露目式を行う為に多くの魔物達を魔王城に招集している最中であり、そんな時に周囲の者を無差別に眠らせてしまう魔人ワーグにこちらに来られるのは困ると、魔人筆頭からの手紙にもそう書かれていた。

 

 なのでワーグは諦めた。会いたい会いたいと沸き立つ気持ちをぐぐっと我慢した。

 そして魔人筆頭に「だったらこちらに会いに来て欲しい、と伝えて」と返信を返した。

 

「……そわそわ、ちらちら」

 

 だからこそ、ワーグは今そわそわしている。

 もう先週ぐらいから「そろそろ来るかな?」とワーグは一日中そわそわちらちらしていた。

 

「ううーー!! 会いたいよー会いたいよー!!」

「あらあらラッシーったら。そんなに新しい魔王様に会いたいの?」

「会いたいー!! さみしいさみしいー!!」

「まぁまぁラッシーたら。本当にラッシーはさみしがり屋さんなのねぇ」

 

 自分の気持ちは全て夢イルカに代弁させて、ワーグはその頭をよしよしと撫でる。

 向こうからは一向に音沙汰無し。ただ待っているだけというのは辛い。溜息を繰り返す日々の中でさみしい思いや会いたい思いがどんどん募っていく。

 

(……魔王、か)

 

 それはやはり新たな魔王になったという知らせの衝撃度合い故。

 彼が第八代目の魔王になったと聞いて、本音を言えば怖い気持ちだってある。

 魔王とは魔の頂点であって恐怖の象徴。その全てが人間だった頃とは大きく変貌しているかもしれない、それを不安に思う気持ちはある。

 

(……でも)

 

 でも……それ以上に気になってしまう。

 

「ねぇワーグ。魔王になったって事はさ、つまりワーグの能力も……」

「…………ん」

 

 だって、あの男が魔王になったという事は。

 それは魔人である自分の能力が通じない相手になったという事で、それはつまり──

 

 

「わーーーーぐッ!!」

 

「ひゃっ!?」

 

 突然響いた大声。

 驚いたワーグの口から甲高い声が飛び出した。

 

「あ……」

 

 噂をすればなんとやら。

 その声を聞き間違えるはずが無い。来た……彼が来たっ!

 

「おーい!! あーけろーー!!」

「わっ、あ、ちょ、ちょっと待って!」

 

 あたふたと椅子から飛び上がって、玄関まで走っていって。

 そして玄関ドアを開けると──

 

「よう、ワーグ」

「……ランス」

 

 そこに居たのは待ち望んでいた姿。

 それはランスだ。ランスに違いない……だが。

 

「っ、……」

 

 思わず息を飲む。以前までとは放たれるプレッシャーがまるで違う。

 そこには魔人だからこそ感じ取れる確かな力の波動が存在していて。

 

「……ランス。魔王になったって聞いたけど……本当だったのね」

 

 つまりはそれが魔王の証明。

 第八代魔王ランス。この世界を統べる新たな王がワーグの前に立っていた。

 

「まぁな。それより入っていいか?」

「あ、うん。上がって」

「んじゃお邪魔するぜーっと。……おぉイルカ、お前も久しぶりだなぁ」

 

 最後にここを訪れたのは魔王になる以前、派閥戦争を終えての休暇を楽しんでいた頃。

 久しぶりに会ったふわふわなペットを横目に見ながらランスが食卓の椅子に腰掛ける、その対面の席にワーグも腰を下ろした。

 

「ねぇ……ランス」

「なんだ?」

 

 そしてすぐ躊躇いがちに口を開く。

 目の前に居る相手。会えて嬉しい気持ちと同じ位に気になっている事は山程あって。

 

「……魔王、なのよね?」

「そうだけど。見て分かんねーか?」

 

 自分は魔王。ランスは事も無げに答える。

 

「ううん、見れば分かる……ていうか、もう見なくても分かるレベルなんだけど……でも、どうしてあなたが魔王になったの? だって前に会った時はそんな素振りなんて全然……」

「そりゃまぁ……色々あったのだ」

「色々ってどんな?」

「色々は色々だ。まぁ俺様としても人間世界と魔物世界を制覇した丁度いいタイミングだったし、だったら魔王にでもなってやるかーって感じで美樹ちゃんから血の継承を受けたのだ」

 

 来水美樹が覚醒間近であった事とか、殺す以外にはこの方法しか無さそうだった事とか。

 色々と厄介な状況になっていた事は伏せて、ランスは魔王になった経緯をざっと語った。

 

「……そうなんだ」

「うむ、そうなのだ」

「……そっか」

 

 そういう事らしい。事情を知ってもワーグは何と言って良いのか分からなかった。

 これは喜ばしい事なのか、それとも嘆くべき事態なのか。だとしてもそれは人類にとってなのか、魔物にとってなのか、あるいは当人にとってなのか。ワーグには何一つ見当が付かない。

 元よりすでに魔王になってしまった以上、何を言っても覆水盆に返らずというもので。

 

「……まぁ、でも、そうね。魔王か……うん、いいんじゃない? ランスには合ってると思う」

「だろ? この世界を制覇した俺様が今更人間のトップなんぞに戻ってもしゃあないし、となればやっぱ魔王になるっきゃないと思ってよ」

「随分と簡単に言ってくれるわねぇ。魔王になるなんてとんでもない事だってのに……」

 

 呆れたように言いながらも、そんなワーグの表情は先程よりも柔和になってきていた。

 こうして話してみた事で魔王となってもランスらしさが失われていない事を実感出来たのだろう。

 

「ってそうだ、考えてみたらもうあなたは魔王、じゃなくて魔王様なのですよね。軽々しい態度を取ってしまって申し訳ありません、今後は私も一人の魔人として誠心誠意お仕え──」

「またそれかいな。どいつもこいつも同じ反応をしやがって……ワーグよ、それはいい。そうやって無理に堅苦しく構える必要は無い」

「けど……」

「いいんだっての」

 

 ホーネットを始めとして散々見てきた魔人達のテンプレ反応をランスは軽くスルーして。

 

「……だが、そうだな」

「え?」

 

 思い立ったように席から立ち上がると、ワーグのそばへと近付いていく。

 

「誠心誠意お仕えするってのは良い心掛けだ。そこまで言うならこっちをお願いしようかな」

 

 そして、その肩にぽんと手を置いた。

 

「ふふーん。なぁワーグ、分かるか?」

「え、っと……分かるって、なにが?」

「これまでの俺様と今の俺様の違いをだ。今だからバラしちまうけどな、これまでの俺様はこのぐらいの距離でもうヤバかった、頭の中がガンガンぐらぐらしていたのだ」

「あぁ、眠気のことね。……て、それじゃあ……」

 

 こうして肩に手を置ける距離。魔人ワーグのフェロモンを直に浴びてしまう距離。

 これまでのランスは人間だった。人間だからこれぐらいの距離でもう眠気が限界だった。

 しかし魔人ワーグの睡眠能力は彼我のレベル差と肉体の強度によって抵抗する事が可能である。

 となれば今は……魔王となった今ならどうか。

 

「やっぱり魔王になったあなたには……私の能力は効かないのね?」

「そのとーり! もうぜーんぜん眠くならん!! あれ程シンドかったのがウソのようだ!!」

「そっか……そうなんだ……」

 

 もう全然眠くならない。すなわち今後はどれだけ一緒に居ても問題無い。

 その事を知ったワーグは心に湧いた歓喜を隠せない表情になった。ランスが魔王になった件に関してはそこが一番気になっていた所だったからだ。

 

「ほれ、こーしてお前の匂いを嗅いだってだな……くんくん、くんくん、すーはー」

「ちょ、ちょっとランス……!」

「見ろ、眠気なんてまーるで感じない! もはやお前の香りなんてどうってことは無い、ただの甘くていい匂いってだけだな。がはははは!」

 

 そしてこちらも。遂に克服したワーグの眠気、それが嬉しかったのはランスも同じ。

 これまで散々苦しんできた甘い香り、魔人ワーグが誇る最凶の武器『夢匂』すらも、魔王となったランスの前では良い香りを放つ香水程度のもので。

 

「くっくっく……ワーグよ。これでいよいよお前も年貢の納め時だなぁ?」

 

 となれば必然、それが待っている。

 口元を妖しげに歪めた魔王の笑みに、ワーグはぴくんと身体を揺らした。

 

「な、なによ、年貢の納め時って……」

「分からんか? 俺様は魔王でお前は魔人、んでもう眠くならないとなりゃあ……ここから先の話はあっちでするしかねーだろ?」

「……うっ」

 

 そう言ってランスの視線が向いた方向。

 そっちの方にあるのはワーグが普段寝起きしているシンプルなベッドが一つ。

 

「いいよな?」

「……っ、あの……もう、するの?」

 

 ぽそりと答えるワーグの頰が朱に染まる。

 

「まだ私の家に来て早々なのに……早くない?」

「早くない。なんたって久し振りにお前とセックスが出来るんだ、もう待ちきれん」

「……うぅ」

 

 二人が肌を重ねたのは以前に一度、状態異常の禁呪によって性交を成し遂げたあの一度だけ。

 あの一回こっきりだけでは到底ランスが満ち足りるはずもなく。

 

「ほれワーグ、こっち来い」

 

 すっと差し出される手。

 

「……ん」

 

 その手の上にワーグはゆっくりと手を乗せる。

 もはや自分を守るものは無い。ランスとの間で障害となるものは何一つ存在しない。

 それが……嬉しい。

 

「もう……強引なんだから……」

「そりゃあそうだろう。なんたって俺様は魔王様なのだからな、がははは!」

 

 ランスは魔王になった。

 ワーグがその手を拒むはずも無かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして──その後。

 

「ふぃー、スッキリしたぜー」

「…………ん、……はぁっ、」

 

 ランスとワーグ。二人は仲良くベッドの中。

 久しぶりに逢瀬の叶った魔王と魔人、二人はしっぽりと身体を重ね合った。

 

「ワーグはちっこいからキツキツだ。キツキツ度はシルキィちゃんといい勝負だな」

「…………ばか」

「あん?」

「……やさしくって言ったのに。ばか」

 

 顔の半分以上を毛布で覆い隠して、ワーグが恨めしそうな呟きを漏らす。

 

「ぬ? 十分優しくしたつもりなのだが」

「えぇ……これでなの? 私はまだ二回目なんだからもうちょっと手加減してよ……」

「むむむ……ちょっとハッスルしすぎたか。実はそっちの方はまだ練習中でな……」

 

 するとランスは困ったように眉を潜める。

 魔王となって増加したパワーと性欲。それの制御はランスにとっての課題の一つ。

 色々と練習した甲斐あってここ最近は大分慣れてきたつもりだったのだが、それでもまだ熟練度が足りなかったか。あるいは久々のワーグとのセックスで興奮し過ぎたか。

 肉体的強度は人間並のワーグにとって、今回の性交はまだちょっと圧が強かったようだ。

 

「しかしだなぁワーグよ。これはどっちかっつーとお前の方が慣れるべきだと思うぞ? あの眠気も感じなくなった事だし、これからはお前ともガンガンセックスしていくつもりだからな」

「うぅっ、や……やっぱり、そうなる、の?」

「当然そうなるだろ。イヤか?」

「いっ、いぃ……いや、って、わけじゃ、ないんだけど……」

 

 嫌か? と聞かれると嫌とは返せない。

 それが惚れた弱みと言うもの。どうにもならない困った乙女心なのである。

 

「……まぁ、いいわ。正直に言うとね、あなたが魔王になったって聞いた時からそうならざるを得ないんじゃないかって想像付いてたから」

「うむ、よろしい」

「……でも。だったら、今度からはちゃんと定期的に会いに来てよね」

 

 言いながらワーグは毛布の中でランスの手をぎゅっと握った。

 今後はこの温もりを味わう機会が格段に増える。それ以上の快楽を受け入れなくてはならない事に気恥ずかしさはあれど、寂しがり屋なワーグにとっては概ね喜ばしい話である。

 

「そりゃもちろん。つーかこれまでだってちゃんと定期的に会いに来てやってただろうに」

「半分ぐらいはね。でも時々私のこと忘れてるんじゃないかしら? って思う時もあった」

「ぬ。……そんな事は無いぞ。この俺がお前のことを忘れるなんてそんなまさか……ないない」

 

 ないない、とは言いつつも実際のところは昨日までワーグの事をすっかり忘れていた訳で。

 ランスの語気が弱まったのを察したのか、すぐ隣からワーグがじとーっとした目を向けた。

 

「……本当かしら?」

「本当だっつの。それに次からはもう大丈夫、これからはセックス可な訳でワーグの家に来るモチベーションがダンチだからな」

「あぁ……それはそうかもね」

「これからはセックスがある。だからもう忘れる事は無いぞ。……ただなぁ」

「なに?」

 

 とそこでランスは思案げな顔になった。

 現状こうしてワーグとセックスする為には、魔王城から数時間の道程を歩いて森を抜けた先にあるワーグの家を訪れる必要がある。

 それは仕方ない事とはいえ、単純に手間が掛かって面倒臭いのは事実。そして普段から自分の近くに居ないというのがワーグの存在を忘れてしまう一番の要因でもあって。

 

「なぁワーグ。お前さぁ、今日から魔王城に住んだらどうだ?」

「えっ、……魔王城に?」

「うむ」

 

 だからこそ、魔王からのお引っ越し提案。

 こんな森の奥にある一軒家ではなく、魔王の膝下である魔王城にて生活したらどうか。

 

「魔王城に住むなんて……そんな、無理よ」

「なぜ無理だ。もうお前の眠気は俺に効かねーんだし城で暮らしたって問題ないだろ」

「そりゃあランスには効かなくなったけど、でもそれだけでしょう? 他の魔物達には相変わらず効いちゃうんだから……」

「別にいいだろそんなもん。魔物共なんざいくらでも眠らせときゃいい」

「あ、あのねぇ……いくらなんでもそういう訳にはいかないわよ」

 

 ランスの無茶苦茶な提案にワーグは呆れ顔。

 魔王城とは魔王の居城。魔王の許しさえあれば全ての行いが許される訳で、こうして魔王が良いと言っている以上は周囲の者達を無差別に眠らせてでもワーグが城に住む事は可能である……が。

 しかしワーグがそれを望むかと言えば別の話。優しい性格のワーグは自身の能力で他者に不都合を与えてしまうのを嫌っている、だからこそこうして森の奥でひっそりと暮らしている訳で。

 

「大体今の魔王城には人間の子達だって住んでいるんでしょう? そんな所に私が住み始めたら人間達はずっと眠りっぱなしになっちゃうわよ? それでもいいの?」

「ぬ。……そっか、確かに魔物はどうでもいいけどシィル達が眠っちまうのはなぁ……」

「でしょう? 私の能力が無差別である以上、私が魔王城で暮らすなんて不可能だわ」

「ううーむ……」

 

 人間達まで眠りっぱなしになると言われてはさすがのランスも返す言葉が無い。

 ワーグが言った通り、その睡眠能力が無差別である限りは人の多い所で生活するのは不可能。

 

「……んじゃあ、どうにかしてお前の能力を抑えるしかねーな」

「……え?」

 

 であれば当然そこが論点となる。

 魔人ワーグが無差別に振りまく厄介な眠気、このフェロモンを抑える方法さえあれば。

 

「要はお前の能力はOFFにする事が出来ない。それが問題なわけだろ?」

「それは……まぁ、ね」

「だったらそこをどうにかする。そうすりゃお前はこの先魔王城で普通に暮らせるって訳だ」

「それはそうだけど……」

 

 ランスの言っている事は間違ってはいない。

 それさえ出来れば──と、そう思わずにはいられない魅力的な話ではあるものの。

 

「……でも、それこそ無理よ。そんなの……」

 

 言いながらワーグは目を伏せる。

 自分の能力をOFFにする方法。自分の能力を自分で制御出来るようになる事。

 それは過去のワーグが必死に追い求めて、最終的にそれは不可能だと見切りを付けたもの。

 

「私だってね、この体質を自分で制御したくて色々試してはみたのよ。もう昔の話だけど……」

 

 人間でいた頃から色々やってみて、魔人になっても色々やってみて。

 それでも、どうやっても無意識下身体から放たれるフェロモンを抑える事は出来なかった。

 だからこそ魔人ワーグは他者を遠ざけて、更には普段から衣服を重ね着したりと、目一杯周囲に配慮をしながら今日まで生きてきた。

 

「……私の能力を抑えるなんて、そんなの不可能に決まってるわ」

 

 睡眠能力の制御は無理。不可能。

 その言葉には厄介な体質に振り回されてきた100年以上の年月の重みが詰まっていた。

 

 だが。

 

「いいや、出来る」

「出来ないわよ、そんな──」

「いいや出来るっ! 俺様なら出来る!! ……ような気がする」

 

 しかし、ここにいるのはランス。

 時として不可能を可能にしてしまう男。

 

「だってほれ、お前は魔人だろ?」

「そうだけど?」

「んで俺様は魔王様だ。だったら手の打ちようがあるかもしれんではないか」

 

 そしてランスは魔王。対してワーグは魔人。

 魔人とは魔王の血の一部である魔血魂を元にして作成される。となれば実質的にワーグの身体はランスの血によって作られているという事で。

 

「魔王だから……どうにか出来るって?」

「あぁそうだ。特にこのランス様は普通の魔王とは違うらしいからな」

「違うって? なにが違うの?」

「そりゃ才能だ。俺様は魔王の中でもとびっきり才能に溢れる超天才魔王様なのだよ」

 

 更には第八代魔王ランスの特筆すべき要素、つまり魔王LV2の才能ならばどうか。

 ケッセルリンクの性別を簡単にチェンジしたり、ホーネットの身体から魔血魂を簡単に抜き取ったりする程に魔王の血の扱いに長けているのなら、魔人ワーグの能力にONOFFスイッチを付けるような事も可能なのではないか。

 

「うーん……」

「どうだ、なんとかなりそうだろ?」

「……どうかしら。だって私を魔人にしたガイ様にだってそんな事は出来なかったのよ? いくら魔王だからって……」

「ほーう? これはガイにも出来なかったのか、そりゃイイことを聞いたぜ」

 

 魔王ランスの顔に挑戦的な笑みが浮かぶ。

 自ら命を絶とうとして魔物の森に足を踏み入れた人間ワーグ、それを救ったのが魔王ガイ。

 そうしてワーグは魔人となったものの、しかし自殺しようとするまでに絶望を感じた自らの体質問題に関しては今日の日まで何一つ解決していない。

 つまりワーグとは、一旦は救った魔王ガイにすら匙を投げられた存在とも言える。

 

「ならここで俺がパパっとお前の問題を解決出来たら、俺の勝ちってわけだ」

「……ガイ様との勝負に、ってこと? そりゃそうかもしれないけど……無理だって」

「無理かどうかはやってみないと分からん。よっしゃワーグ、ちょっと身体を起こしてみろ」

 

 魔人ワーグの睡眠体質。これは亡き存在である魔王ガイとの優劣を付けられる絶好の機会。

 ランスはベッドから起き上がると、同じように起き上がったワーグの身体に手を伸ばした。

 

「さーてさて、お前の眠気をOFFにするにはどのスイッチをいじれば良いのかなぁ?」

「だからねランス、そんなスイッチなんて無いから苦労して……て、あっ……!」

「ん? ここかなぁ? それともここかなぁ?」

「ぁん、ちょっと、どこいじってるの……!」

 

 スイッチのように見えなくもない胸のぽっちを押してみたり、くりくりと転がしてみたり。

 実にオヤジ臭いセクハラを繰り出すランス。これが今世の魔王の姿である。

 

「もうっ! 真面目にやってよねっ!」

「分かった分かった。えーと、多分これはケッセルリンクの時と似たような感じだと思う」

「ケッセルリンク?」

「うむ。要は魔王である俺様が念じりゃいいんだ」

 

 魔血魂に代表される魔王の血の操作。それらは全て魔王の意思一つで行われる。

 なのでランスはワーグの背中に手を当てて、ぐっと眉間を顰めた表情で強く念じ始めた。

 

「ぬぬぬ……ワーグの眠気よ、収まれー……!!」

「………………」

「ぬぬぬぬぬ……なんかこう……上手い感じにONOFFとかが出来るようになれー……!!」

「……なんか、念じ方が曖昧じゃない?」

 

 少々具体性に欠ける念じ方だが、とはいえそれは紛れもなく魔王の意思、魔王の命令。

 

「……お?」

 

 そして、魔王LV2の才能が。

 魔王の力の行使に関しては達人級の才能を秘める魔王ランス。その絶対なる意思が伝わった。

 魔人ワーグの内にある魔血魂へと。そこから更に魔人の肉体そのものへと。

 

 すると──

 

 

「おや?」

 

 空気が、変わった。

 

「どうしたの?」

「これ、消えたんじゃねーか?」

「消えたって?」

「だからお前の眠気が。なんか甘い匂いがしなくなったような気がするぞ」

「……え?」

 

 ワーグの能力が、消えた。

 つい先程まで部屋中に漂っていた甘い香りがすーっと消え失せていた。

 

「おぉ、出来るもんだな」

「……ほ、ほんとに……?」

 

 今まで自分を苦しめていた睡眠体質『夢匂』がこうも呆気なく。

 信じられないといった表情のワーグだったが、一方で確かに今までとは違う感覚があった。

 これまで無秩序に拡散していた自らのエネルギーのようなものが、今では自分の内側にちゃんと収まっているような、そんな不思議な感覚がある。

 

「……消えた」

「おう、消えた」

「……で、でもこれ、今度は逆に睡眠能力が使えなくなったって事じゃないの?」

「どうだろな。試してみたらどうだ」

「試すって言っても、そんなの、どうやって……」

「そりゃあ……『甘い匂いよ、出ろーー!!』……って念じるとか」

「そ、そんなやり方でいいの?」

 

 ランスに言われるがまま、ワーグは『甘い匂いよ、出ろーー!!』と心の中で念じてみた。

 

 すると──

 

 

「……あ、出たっぽいぞ」

「え、ほんと?」

「あぁ、さっきまでの匂いを感じる。くんくん……うむ、こりゃ間違いなくワーグの匂いだ」

 

 あたかもスイッチをONにしたかのように。

 部屋中にはまた甘い香りが、あらゆる生物に眠りを誘う香りが漂い始めていた。

 

「……能力の制御が、出来た……」

「出来たな。やってみりゃ簡単じゃねぇか」

「……ウソみたい。こんな……」

 

 自分の両の手のひらを見つめながら、呆然とした様子で呟くワーグ。

 これまで制御不能だった香りを自らの意思によって放出したり、引っ込めたり。

 そんな事が可能になった。能力のオンオフが出来るようになった。

 

「どうだワーグよ、魔王ガイには出来ない事でも俺様だったら出来るのだ。すげーだろ?」

「……うん。すごい……」

 

 小さく頷くワーグ。

 その呟きには万感の思いが込められていて。

 

「……嬉しい」

「そうだろうそうだろう。このランス様に感謝するがいい。がはははは!」

「……うん」

 

 魔王となった事によって、ランスだけは自分の能力が効かない存在となった。

 だからランスとは一緒にいられるようになった。それだけでもすごく嬉しかったのに。

 

「……うれしい」

 

 これからは周囲の者達を無差別に眠らせてしまう事は無い。

 これからは普通に生きていける。誰とでも顔を合わせて、誰とでも仲良くなる事が出来る。

 

 それが──嬉しい。

 

「……ぅ、……ぅく」

「お、おいワーグ、んな泣かんでも……」

「だ、だってぇ……」

 

 堪え切れず目尻から熱い涙が伝う。

 すると泣き顔を見せたくなかったのか、ワーグはランスの胸元にひしっと抱き付いた。

 

「……ありがとう、ランス。本当に嬉しい」

「そか」

「うん。なんか……ほんとに……信じられないぐらい嬉しくて……」

 

 こんなにも感極まった経験は無い。

 そう言い切れる程、ワーグは自らの睡眠能力にずっと悩み苦しんできた。

 だからこれは悲願だった。この睡眠能力を制御出来るようになる事は──夢だった。

 

「……なんか、わたし、わたし……」

「なんだ」

「……ラッシー、来て」

「ん? イルカ?」

 

 だからこそ胸が一杯になって、その想いを伝えたくなった。

 この気持ちをこれ以上隠す事は出来ない。そう感じワーグはペットを呼び寄せて、

 

「……ランス」

 

 そして……そのふわふわな身体に触れた。

 

 

「ランス。……あなたが好き」

「お」

「好き好き、だーい好き。大好き大好き、すっごく好き。これからもずっと一緒にいてね」

 

 好き。何度も繰り返したその言葉こそがワーグの偽りのない本音。

 その想いを聞き入れたランスは──

 

 

「えぇ~……んな事イルカに言われても……」

「………………」

「イルカよ、お前はメスか? いやだとしても俺様はイルカのメスには興味ねーんだ。好きとかどうとか、そういう言葉を使うのは人間様に進化してからにしろ」

「………………」

 

 案の定というか、なんというか。

 魔人ワーグ一世一代の告白も夢イルカ越しではさっぱり伝わらなかった。

 

「……ラッシーの」

「あん?」

「ラッシーの、愛を……受け入れてあげてよ」

「いらん」

「……けち」

 

 ランスのつれない態度を肌で感じたワーグは「……はぁ」と息を吐いて。

 

「じゃあ……ランス、触ってあげて?」

「触る?」

「うん。……ラッシーの身体に触れてみて」

 

 遂に種明かしをする事にした。

 ペットとして飼っている夢イルカ。ラッシーが喋る言葉の意味を。

 

「あれ? 確かコイツって触っちゃダメとか言ってなかったか?」

「そうね。触ると生命エネルギーを吸い取られちゃうから。でもそれは人間だった時の話で……」

「あぁなるほど、魔王だったら関係無いってか。ふむ、どれどれ……」

 

 そうしてランスの手が伸びて──

 

 

 

 ──そして。

 

 

「──がははははっ!」

「……うぅ」

「ワーグ! お前って結構可愛らしいとこあるじゃねーか! がーはははは!」

「う゛うぅ~~……!!」

 

 その後暫くの間、ワーグはにやにや顔のランスからからかわれ続けた。

 

 

 

 

 

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