ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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閑話 華麗なる─────の忠誠

 

 

 

 

 

 それはLP8年から変わってRA0年の二月中旬。

 魔人ワーグを加えた魔王城にて、ランスが日々を気ままに過ごしていた頃の出来事。

 

 

 

 ここ最近……常々思う。

 

(…………いる)

 

 そう。……居る。

 居るのだ。これまでとは違って……それが。

 

(……魔王様が、いますね)

 

 魔王が、いる。

 この魔王城の城内に、魔王が居る。

 この世界の王が。長らく空席だった魔族の王の座に新たなる主が誕生した。

 

(……魔王様が)

 

 その事が──ホーネットには分かる。

 たとえそばに居なくても分かる。何をしていなくても分かる。よく分かる。

 彼女は魔人だから。魔人であるが故、魔王の力の波動というものを感覚で察知出来るのだ。

 

(……ランスが、居る)

 

 だから、分かる。

 そう──彼が居る事が。

 

(……ランスが、いますね)

 

 ランスが。元人間だった彼が、それで今は魔王になった彼が、居る。

 この城に居る。この魔王城の中で普通に生活をしている。それが分かる。

 

(ランスが……いるなんて)

 

 不思議な気分だ、とホーネットは思う。

 いつかの別れを覚悟していた。派閥戦争が終わってからは遠からずそうなると思っていた。

 そうでなくても彼は人間だったから。避けられない別れを覚悟していたのだが──

 

(……いる)

 

 居る。魔王としてここに居る。

 それが不思議だ。不思議で……不思議だと思う以上に、この気持ちは。 

 

(いる…………いる? えぇ、いますね。いる…………いる。いるのです)

 

 ランスが居る。会いたいと思えば簡単に会える距離に居る。すぐ近くに居る。

 その力の波動を感じながら、魔人筆頭として彼に仕える日々は……これは。 

 

(なんていうか、もう、私は……今ここでこうしているだけで、感無量かもしれません)

 

 これは……これ以上の幸福があるものか。

 ホーネットはもう、幸せほわほわな気分である。

 

(ほわほわ……)

 

 ランスが近くにいるだけで、ホーネットは幸せほわほわな気分なのである。

 

(ほわほわ……)

 

 ほわほわ、ほわほわ、ほわほわ……。

 ほわほわ、ほわほわ……。

 

────────

──────

────

 

 

 

 

(……などと)

 

 ──などと。

 

(などと、考えているに違いありません)

 

 などと考えている──この女性は?

 

(全く、この表情の裏側で。この見るからに取り澄ました真面目なお顔の裏でそんな幸せほわほわな事を考えているだなんて)

 

 これを当人が耳にしたら「私は断じてそんな事など考えてはいません」と答えるだろう。

 魔人筆頭から叱られかねない勝手な妄想を好き勝手繰り広げる、この女性は一体?

 

(本当に恋煩いというのは困ったものですねぇ。ま、私は一向に構わないのですが)

 

 ランスがいるだけで幸せほわほわ気分……という、そんな魔人ホーネットの、妄想を。

 この話の冒頭から妄想逞しく繰り広げてくれたこの女性は一体誰なのだろうか?

 

「これはこれは申し遅れましたね。私はホーネット様の筆頭使徒であるケイコと申します」

 

 すると突然に名前を名乗った、この女性が。

 朱鷺色の髪を肩の辺りで揃えた可愛らしい外見の彼女こそが。

 

「ケイコ? いきなり自己紹介などをしてどうしたと言うのです」

「はっ、申し訳ありません、ホーネット様。ここはどうしても名前を名乗っておかなければならない場面だと感じたもので、つい」

「はぁ……」

 

 ホーネットも思わず首を傾げる、この女性こそが冒頭からの語りの主。

 彼女の名前はケイコ。魔人ホーネットの使徒である。

 

「いいえ、使徒ではありません。私は使徒の中の使徒、筆頭使徒です。そこをお間違いなきよう」

「ケイコ? どうしました? 貴女が筆頭使徒だという事は承知していますが」

「いえ、なんでもありません。ホーネット様」

 

 突然に変な事を喋り出す癖がある、彼女の名前はケイコ。魔人ホーネットの筆頭使徒である。

 

 そして……彼女こそが今回の話の主役。

 そう、これは日々陰日向にと魔人ホーネットを支える一人の使徒の物語なのである。

 

 題して……華麗なる使徒ケイコの忠誠──

 

 

 

「さて……改めまして、私の名前はケイコ。魔人ホーネット様の筆頭使徒であります」

「ケイコ? ですから何故自己紹介を──」

「どうか気にしないで下さいホーネット様。本日の私は無性に独り言を喋りたい気分なのです」

「……そうですか」

 

 ここはホーネットの部屋。主たるホーネットの背後には今日も使徒達が揃っている。

 その中でも筆頭使徒のケイコは今日、何故だか無性に独り言を喋りたい気分のようだ。

 

「遂にこの日が来ましたか。栄光ある魔人筆頭、ホーネット様の筆頭使徒であるこの私が。ここまでちょくちょくと名前だけは出ていたこの私ケイコが、その秘密のベールを脱ぐ時が遂に来たのですね」

「………………」

「今も勢揃いしている通り、ホーネット様は計八名の使徒を有しています。その内の7名はどうでもいいモブなので覚える必要はありません。ですが私の名前は覚えて下さい。私の名はケイコ、くり返しますがホーネット様の筆頭使徒なのですからね」

「……いえ。ケイコ、貴女以外の使徒達だって別にどうでもいい存在という訳では……」

「分かっていますとも、ホーネット様。今のはあくまで外向けの言葉ですから」

「……そ、そうですか」

 

 外向けの言葉とは一体なんだろう。

 と気にはなったがホーネットは無視することにした。

 

「しかし、こうしていると思い出しますねぇ」

「思い出す? 何をですか?」

「それは勿論、この私がホーネット様の使徒となった記念すべきあの日の事ですとも」

「……今それを思い出しますか? 私には何の脈絡も無いように感じるのですが」

 

 唐突なフリに付いていけずホーネットは眉を顰める。

 しかし使徒ケイコはお構いなしで。

 

「いいえホーネット様。私はホーネット様のお顔を見るだけであの日の事を思い出すのです」

「ですがそれだと……貴女は一日に何十回もあの日の事を思い出しているという事では……」

「えぇその通りですとも。私にとっては今でも色褪せる事の無い大切な思い出なのですから」

 

 そう言ってしみじみと頷く使徒ケイコ。

 どうやら日に何十回と回想する程、主との出会いの日を大切に感じているようで。

 

 魔人ホーネットの使徒、ケイコ。

 モブのようにどうでもいい7名の使徒達を纏める筆頭使徒であるケイコ。

 元は人間だった彼女が主であるホーネットと出会ったのはもう何十年も昔の事。

 

(あぁ懐かしい。あれはまだ私が幼い頃、故郷のゼスでぶいぶい言わせていた頃、巷で『賢者』などと呼ばれていた頃ですか)

 

 賢者ケイコ。今でこそ歴史の流れに埋もれた名前ではあるが当時はそこそこ名の知れた存在。

 彼女の生まれはゼス国。その卓越した魔力と賢者と呼ばれる程の知性で以て、人々の悩みを解決したりモンスターや悪者などを退治したりする事で尊敬を集め、日々を悠々自適に送っていた。

 

(転機が訪れたのは私が18歳の頃。その日は野草を取りに森へ出掛けたのですが……なんと私は森の中で道に迷ってしまったのです。賢者ケイコの人生初となるうっかりミスと言えるでしょう)

 

 その時ケイコが足を踏み入れたのはカラーの住むクリスタルの森。カラーの魔力によって結界が張られているこの森では道に迷うのも已む無しといった所である。

 つまり道に迷った事ではなくクリスタルの森に野草を取りに出掛けた事自体がミスだった訳だが、とにかくそうして賢者ケイコ(18歳)はクリスタルの森を彷徨い続けて──

 

(ふと気付けば時既に遅し。目の前にはどんよりくらーい世界が広がっているではありませんか)

 

 その結果、ケイコは人間の領域を外れて魔物界に足を踏み入れてしまっていた。

 

(なんとビックリ、クリスタルの森との境にはマジノラインが建設されてないんですよねぇ。なので魔物界に出てしまった事は不可抗力です。私のうっかりミスではありませんのであしからず)

 

 悪しき魔の領域。暗黒の世界である魔物界へと足を踏み入れてしまった賢者ケイコ。

 となれば次の展開は。美味しそうな若い人間の女の匂いに釣られて、ケイコの前には大勢の魔物がわらわらと集まってくるではないか。

 

(これはピーンチ。賢者ケイコ人生最大級となる大ピンチ……ですが!)

 

 しかしケイコは諦めなかった!

 両の瞳を真っ直ぐ見据えたまま、両の拳を固く握ってファイティングポーズを取った!

 

(私は賢者ケイコ、それなりに腕の立つ人間なのです。なので魔物達を千切っては投げ、千切っては投げの大活躍で魔物の森をひたすら突き進みました。その結果私はボロボロになりながらも魔王城まで辿り着いて……そこで終生の主となる魔人ホーネット様と出会ったのです)

 

 息も絶え絶えになりながら、人間の賢者は辿り着いた城門の縁に倒れ込んで。

 そこで、たまたま城の外に出ていたホーネットと出会ったのはまさに運命と言うべきか。

 

「本当に懐かしい……初めて出会ったあの時、城門の前で倒れていた私を目にしたホーネット様が呟いたお言葉は今でも鮮明に覚えています」

「ケイコ……」

「あの時、ホーネット様は私を見てこう仰ったのです。『ほう、人間でありながら私の前に辿り着くとは……面白い娘だ。ここで死なすのは惜しい、我が血を飲んで私の下僕となれ』……と」

「……いえ。ケイコ、私はそのような事を言った覚えはありませんが。というかそれは父上がシルキィを勧誘した時のセリフなのでは……」

「あれ、そうでしたっけ?」

 

 こてりと首を傾げるケイコ。

 どうやら少々記憶に間違いがあったようだが……それはともかく。

 

 とにかく、そんな経緯で人間だったケイコは魔人の使徒となった。

 そしてそれ以後、ケイコは魔人ホーネット第一の使徒として主を支えていく事になる。

 

(懐かしいですねぇ。当時はホーネット様もお若く……ですがお若くとも立派な御方でした)

 

 当時はまだホーネットが魔人に成り立て、友達のサテラと共に魔血魂を飲み込んですぐの頃。

 当然ながら今程に強くもなくて、まだ魔人筆頭にも任命されていなかった頃。

 

(ホーネット様は魔王ガイ様の愛娘、その出自故に花よ蝶よと温室で育てられてきたように思われがちですが……しかしそうではありません。真相は異なります)

 

 ホーネットは魔王である父の下、子供の頃から厳しい英才教育を受けてきた。

 それは当初魔王になる為。魔王の適正が無いと知ってからは魔人筆頭になる為。

 

(私がお仕え初めた頃、あるいはそれ以前からホーネット様は日々修行の毎日でした。それはそれは厳しい修行で……ホーネット様の頑張りをケイコは全て見てきました。えぇ)

 

 多くの知識を学んで。

 その身に秘めた才能を十全に活かす為に魔法を、そして剣術を学んで。

 

(ですからホーネット様はお強いのです。魔人の中では年若いホーネット様が筆頭に見合う実力を得たのにはそれなりの理由があるのです)

 

 そうした日々の中で、ケイコの方にも使徒としての意識が芽生えてきた。

 自らを高め続けるホーネットの姿を見て、賢者ケイコは率直に「すごい」と感じた。

 この御方は凄い御方だ。自分が使徒として忠誠を捧げるに足る、いいや足るどころか大いにその価値がある立派な魔人だと感じたのだ。

 

(ホーネット様に仕える日々の中で多くの魔人達を目にしてきましたが……ホーネット様以上に素晴らしい魔人はいませんね。この御方こそが魔人の中の魔人、まさしく完璧な魔人なのです)

 

 完璧な魔人。それは折しもホーネット自身がそうあろうと心掛けていた姿そのもの。

 完璧であろうとする者と、そんな彼女を完璧だと見た者。そんな二人が魔人と使徒という関係になるのは確かに運命だったのかもしれない。

 

(そう、ホーネット様はそりゃもう完璧な御方だったのです…………が)

 

 が。しかし。

 そんな完璧魔人ホーネットにも転機が訪れる事となる。

 

 

 

 それは今からだと一年と少し前。足掛け8年に及ぶ派閥戦争の後期頃。

 人間世界に出掛けたサテラとシルキィ、二人は帰還に伴い人間世界から客人を連れてきた。

 

(それが……ランス)

 

 それがランス。魔人ホーネットとセックスする為に魔王城へ乗り込んできた人間の男。

 当初は主たるホーネットがその視界にも入れていなかった事もあって、筆頭使徒であるケイコもランスについては何とも思っていなかった。

 

『なんだこの無礼な人間は。大体なんなんだその口のデカさは。ふざけているのか?』

 

 当時のケイコの感想と言ったらこの程度。

 がしかし次第に変化が訪れていく。一番大きく評価が動いたのはやはりあれだろう。

 魔人ホーネットが敵軍の奇襲を受けて敗北の憂き目に遭い、絶体絶命のピンチだった所をランスの機転によって難を逃れたあの一件。

 

『口でか……! 信じていましたよ口でか……!』

 

 まるで信じていなかったケイコでもそんな事を思ってしまうくらいには心が揺れ動いた。

 つまりは感謝である。主たるホーネットを窮地から救ってくれた事がきっかけとなって、ケイコはランスという人間を感謝の念と一定の好感を以て評価するようになった。

 

『口がデカい男の中にも優秀な者は存在しているという事ですね。あの口でかは……いいえ、こんな呼び方をしては失礼ですね。今日からは敬意を込めて口でかさんと呼びましょうか』

 

 そんなこんなで、その頃のケイコにとってランスという男は口でかさんという扱いだった。

 

(……が)

 

 ──が。あの一件の後に問題となったのはケイコではなくてホーネットの方。

 命を救われて以後、ケイコ以上にホーネットはランスに対して関心を示すようになった。

 それからは一緒に人間世界に向かって魔人メディウサを討伐したり、魔王専用の浴室にて混浴をするようになったりと、ランスのホーネットの関係は急速に近付いていった。

 

 そして……遂にその日が訪れる。

 それはバラオ山へ出掛けていたランス達が約一週間ぶりに魔王城に帰還した日の事。

 

『ケイコ。少し入浴をしてきますね』

『分かりました。お伴は……』

『いえ。今日は必要ありません』

 

 その日、ホーネットは使徒達を連れずに魔王専用の浴室へと向かっていった。

 いつもの混浴かと思い、その時はケイコも大して気に留めなかったのだが……。

 

『……ふぅ』

『お帰りなさいませ、ホーネット様』

 

 暫くしてホーネットが部屋に戻ってきた。

 すると……その様子には、変化が。

 

『……ホーネット様? どうされましたか?』

『……え、あ、いえ……だ、大丈夫です。なんでもありません……』

 

 入浴を終えて部屋に戻ってきたホーネットは見るからに異様だった。

 ろくに髪も乾かさずに、その様子にはいつもの冷然とした空気がまるで無くて。

 その表情はなにかに怯えているように、切なげに揺れていて……そして。

 

『…………ランス』

 

 止めとばかりに呟いた言葉。

 

『……っ!?』

 

 その瞬間、ケイコは全身がゾクッと泡立った。

 

『(……な、なんだ!? この色気は!?)』

 

 端的に言ってホーネットは色っぽかった。

 ほんのりと赤く上気した頬は湯船に茹だっただけだとは思えない。

 その唇の潤いが、その目の奥の熱が、これまでのホーネットとはまるで違っていた。

 

 それはつまり……恋する乙女の顔で。

 

『(……ま、まさか、あの口でかさんに!?)』

 

 ケイコは賢者とまで呼ばれた女。賢く聡明な彼女はすぐに気付いてしまった。

 その理由を。そのお相手を。ホーネットの心が恋に囚われた事を察してしまったのだ。

 

『……あ、ああ、ああああ……!』

『……ケイコ?』

『…………ッ!!』

 

 居ても立ってもいられなくなって……その時、ケイコはホーネットの前から逃げ出した。

 

『……そ、そんなぁ……』

 

 これ以上は見ていられなかった。

 終生の主と定めた者の……望んでいなかったその変わり様を。

 

『あ、あぁ……そんな……ホーネット様がぁ……』

 

 魔人ホーネット。

 ケイコにとっては何十年も前から仕えてきた唯一無二の主。

 

『ホーネット様が……あのホーネット様がまさか恋心なんかを……それも人間に……』

 

 そして、ケイコにとって絶対性の象徴。

 完璧な魔人たる事を心掛けてきたホーネットが、あろう事か人間に恋をした。

 その事実が認められない、認めたくないケイコは愕然とした表情のまま魔王城内を彷徨って。

 

『……ほ、ホーネット様がぁ……完璧だったホーネット様が、変わってしまわれた……』

 

 その日はどうやって自分の部屋に戻ったのかも覚えていない。

 憔悴しきったケイコはふらふらと頭を揺らしたまま、ただベッドの上にその身を投げた。

 

 

 

 そして、次の日。

 

『いいや待てよ。別にこういうホーネット様だってアリなのでは?』

 

 彼女は早々に思考を切り替えた。

 何故ならケイコは賢者。賢い者と書いて賢者。その思考はとても柔軟なのである。

 

『えぇそうです。不老の存在だからと言って変化を恐れてはいけません。考えてみれば恋をしたからと言って完璧じゃなくなる訳でも無し、これはきっとホーネット様が今以上に立派な御方となる為に必要な経験というものなのでしょう』

 

 そう受け入れてしまえば早いもの。ケイコはホーネットの変化を歓迎した。

 とかくホーネットが魔人の中の魔人であるなら、彼女に仕えるケイコは使徒の中の使徒。

 つまりその忠誠心は折り紙付き。絶対視していた主の変化が受け入れられず、あえて主を危機に陥らせて主を試そうとする慮外な使徒などとはその性根からして違うのである。

 

『しかしこうなると……恋愛初心者のホーネット様になにかアドバイスするべきか? とはいえ私とて彼氏居ない歴=年齢の処女、そんな私のアドバイスが役に立つかと言うと……ううむ……』

 

 相手と自分を正しく評価して思考する。それは賢者ケイコの優れた一面である。

 それはともかくとして、その後自らの恋心を自覚したホーネットの変化は顕著だった。

 

 例えば……ホーネットが自らの恋心を自覚してから約一月後の事。

 時はまだ魔人レッドアイを討伐する前、暇を持て余したランスが仲間達を連れて迷宮探索に出発し、一月程魔王城を留守にした事があった。

 

『彼等は今頃モスの迷宮内でしょうか。口でかさん達が居ないと城内が静かになりますね』

『えぇ、そうですね。……ところでケイコ、その呼び名は改めた方が良いと思いますが』

『では……口でか様?』

『いえ、そういう事ではなく……』

 

 当初は平然としていたホーネットだったが。

 しかしその後二週間、三週間と経つにつれ次第に様子が変わってきて。

 

『……っ』

『ホーネット様?』

 

 その日。遂に我慢の限界が来た。

 辛抱堪らず、椅子から立ち上がったホーネットはバルコニーの方へと駆け出した。

 

『ホーネット様、どうしたのでしょう?』

『さぁ……?』

『(……あれは恐らく……)』

 

 周囲の使徒達がその様子を不審がる中、使徒歴の長いケイコだけは違った。

 あれは恋煩いの影響だと、ホーネットの乙女心が爆発したのだとすぐに勘付いた。

 

『………………』

 

 何故なら窓越しに見えるホーネットの眼差しが、ここには居ない誰かを求めていたから。

 バルコニーから望める遠くの景色の先、何処かに居るであろう彼にその想いを馳せながら、

 

『……会いたい』

 

 と呟くホーネットの姿を見て、それを読唇術で完璧に読み取ったケイコは思った。

 

『……我が主、可愛すぎか』

 

 こんな愛らしいホーネット様のお姿をあの口でかさんに見せてあげたい。

 ついでに今は亡きガイ様にも見せてあげたい。この時ケイコは心からそう思った。

 

 

(あの時のホーネット様はマジヤバかわ……と、少々振り返りが長くなってしまいましたね)

 

「その後はまぁ色々なんやかんやありまして結果今に至る……という訳ですね」

「ケイコ? 突然になんの話ですか?」

「なんでもありません。ただの独り言です」

「はぁ……」

 

 話の終盤部分を一気にすっ飛ばして、ケイコはざっと現状のあらましを語ってみせた。

 

(今の話において私が何を言いたかったかと言うとですね。一つ目にこの私ケイコはホーネット様に篤い忠誠を捧げている使徒だという事)

 

 使徒ケイコとは。魔人ホーネットに絶対の忠誠を誓う者。

 

(そして二つ目に当初こそあの口でかさんを……いえ、今はもう魔王様ですね。とにかく当初こそは否定的な見方をしていたものの、今では魔王様を素晴らしき御仁として認めているという事。それを言いたかったのです)

 

 使徒ケイコとは。魔王ランスをホーネットの想い人として問題無しと認めている者。

 

(それがこの私、ケイコなのですが……実はここ最近、私にはちょっとした悩み事があるのです)

 

「ですよね? ホーネット様」

「え? っと……なんの話ですか?」

「実はですね。ここ最近、私にはちょっとした悩み事があるのです。というのも──」

 

 とその時だった。

 

「っ!?」

 

 突然ケイコがその目をカッ!! と開眼させて。

 

「ケイコ? ……って、何処に……」

 

 ふと気付いた時、部屋の中からケイコの姿はこつ然と消えていた。

 まるで瞬間移動と見紛う程の速さ。それにホーネットが驚くのも束の間、

 

「ホーネットー、入るぞー」

「あ、魔王様……」

 

 直後、ランスが部屋を訪ねてきた。

 

 

 

 

 そして……それから数十分間後。

 用事を済ませたランスがホーネットの部屋から立ち去った後。

 

「……ふぅ」

「あぁ、ケイコ。戻りましたか」

 

 まるでその頃合いを伺ったかのように、先程こつ然と消えていたケイコが戻ってきた。

 

「ホーネット様。先程は話途中で退席してしまい申し訳ありません」

「それは構わないのですが……」

 

 先程、ランスが訪れる直前でいなくなって。

 そしてランスが立ち去ったらすぐに帰ってきた。

 

「ケイコ」

「はい。何でしょうか」

「もしかして貴女は……ランスの事を避けているのですか?」

 

 となれば当然とも言えるホーネットの疑問。

 使徒ケイコは魔王ランスを避けているのか。

 

「それは……」

 

 さてこれにはなんと答えるべきか。

 幾つもの選択肢が脳内に思い浮かんだが、その中から最適を選び取ってこその筆頭使徒。

 ケイコは賢者とまで称されたその優秀な知能をフル回転させて──

 

「……実はですね」

「はい」

「私には……愛する御方がいるのです」

「えっ?」

 

 筆頭使徒ケイコ、衝撃の告白。

 それに驚くホーネットの他、見ればケイコ以外の使徒達もざわざわとしていた。

 

「……そ、そうだったのですか、ケイコ。まさか貴女にもそういう人が……」

「はい。私には愛する御方がいて……それ故に先程のような真似をしてしまいました」

「あぁ、成る程……そういう事ですか」

 

 どうやら聡明な魔人筆頭は筆頭使徒の言いたい事を察したようだ。

 ケイコには愛を向ける殿方が存在していて、だからこそあの魔王とは鉢合わせになりたくない。

 

「でも、そうなると……ケイコ、貴女はまだランスとは……」

「はい。私はまだ魔王様と閨を共にした経験はありません。それどころかろくに顔を合わせた事もありませんので、恐らく魔王様の頭の中に私という存在はまだ認識されていないでしょう」

「……確かに、貴女は顔立ちが良いですからね。もしランスが貴女という女性を知ったら……放っておく事はないでしょうね」

 

 極度の女好き魔王ランス。一方で使徒ケイコは18歳頃の外見を持つ見目麗しい美少女。

 となれば二人が出会った場合、ランスが「セックスさせろー!」と言うのは想像に難くない。

 しかしそれでは……ケイコの切なる恋心はどうなってしまうだろうか。

 

「ケイコ。貴女の想いは理解出来ます。……ですがランスは今や魔王様、使徒の貴女では……」

「はい、分かっています。ですのでもし魔王様から直接にお声掛けを頂いたら、その時は私とて何一つ拒むつもりはありません」

 

 相手は魔族の頂点に立つ男。魔の一員である使徒ケイコが逆らえるような相手ではない。

 

「ですが、現状そうでないのであれば……それまでは足掻いてみたいのです」

「ケイコ……」

 

 だから──逃げる。

 欲深き魔王の目に入らないように。使徒ケイコは愛する者の為に逃げ続ける。 

 

「申し訳ありません、ホーネット様。貴女の筆頭使徒である私がこのような浅ましい真似を……」

「……いえ。魔王様に何も言われていないのであればその意に反する行いとまでは言えません。それに……いざという時の覚悟はあるのですよね?」

「はい。それは勿論」

「そうですか。でしたら私は何も言いません」

 

 ケイコの行いは言わば消極的抵抗。積極的に魔王に歯向かっているとまでは言えない。

 なのでホーネットは目を瞑る事にした。好きな相手と結ばれたい、それ以外の相手を避けたいという気持ちは痛い程に理解出来たから。

 

「ですが……この先ずっとランスとの接触を避け続けるのは難しい事だと思いますよ? いくら貴女の左目を使ったからといって……」

「はい。それは分かっているのですが……しかしこればかりは何とも…………はッ!!?」

 

 すると再びケイコはハッと目を見開いて、

 

「ケイコ? って、速い……」

 

 ホーネットが瞬きした瞬間にはもうその場から消え去っていた。

 

「我が使徒ながら驚異の逃げ足ですね……でも、そうなるともう一度ランスが……」

「おーいホーネットー、もういっちょ用事があるのを忘れてた」

 

 すると案の定、再びランスがホーネットの部屋を訪ねてきた。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

(……愛する御方、ねぇ)

 

 緊急脱出にて主の部屋を逃げ出した使徒ケイコ。

 仕事場を離れて、手持ち無沙汰になった彼女はぶらぶらと廊下を歩いていた。

 

(ま、私が愛する御方などこの世でホーネット様以外にいるはずも無いのですが)

 

 それが──先程の答えの真相。

 

「おーっと早まらないで下さいね、私の愛はあくまで崇拝の念に伴うものです。決してホーネット様とチョメチョメしたいなどとは思っていませんので、そこは誤解無きように」

 

 まるで誰かに聞かせているかのように独り言を呟く使徒ケイコ。

 彼女が愛するのは主であるホーネット。それは忠誠心からの親愛、プラトニックな愛。

 

「しかし魔王様にも困ったものですねぇ。これでは仕事も手に付きません…………お?」

 

 廊下の角を曲がる。すると前を歩く二人の人影を見つけた。

 赤いフードを被ったあの子と、大きな両手が特徴的なあの子と言えば……。

 

「おやおや。そこにいるのは火炎書士とユキではありませんか」

「あ、ケイコちゃん!」

「おー、筆頭使徒サマじゃーん」

 

 そこにいたのは火炎書士とユキ。

 魔人ハウゼルと魔人サイゼルの使徒二人、出会ったケイコと朗らかに挨拶を交わす。

 

「この通り、私はこの両名とは仲良しなのです。言わば使徒仲間と言ったところですね」

「ねぇケイコちゃん。なんで今日のケイコちゃんはそんな説明口調なの?」

「何故私が説明口調なのか。それは説明しなければならない事があるからでしょうね」

「でもそれって誰に説明してるの?」

「さぁ。それは私にもサッパリです。あるいはユキなら分かるかもしれませんが」

「そうなの? ユキちゃん」

「んー……ま、なんとなく☆」

 

 別次元の存在をなんとなくは分かるユキ。分からずながらも説明はするケイコ。そして二人の言っている事がまるで理解できない火炎書士と。

 この三人は全員が使徒、故に使徒仲間。友情で結ばれた仲良しこよしな関係なのである。

 

「とはいえ私は栄えあるホーネット様の筆頭使徒ですからね。この中で一番強いのは私、この三人でガチンコの殴り合いをしたら勝つのは私です」

「うわっ、突然に何の脈絡もなく実力マウント取ってきやがったよこのアマ」

「ケイコちゃんってそういうとこあるよね」

「申し訳ありません。ですがこういう事はハッキリさせておかないと…………むっ!?」

 

 すると本日三度目。

 またもや突然ケイコはその目をカッと開眼して、

 

「あ、逃げた」

「ありゃりゃ。逃げちゃいましたね」

 

 だだだだーっと走り去っていく使徒ケイコ。

 その後ろ姿を火炎書士とユキが見送って早々、二人の背後から声が掛かった。

 

「おい、そこの」

「あ、魔王様」

「おや、口デカ魔王様」

「……あれ? お前らだけか?」

 

 やって来たのはやっぱりこの男、魔王ランス。

 彼はきょろきょろと辺りを見渡してから不思議そうに首を傾げた。

 

「ぬぅ? こっちから可愛い子ちゃんの匂いがしたはずなのだが……気のせいか?」

「あ、それ私の事じゃん?」

「アホ、お前のわけあるか。……おかしいな、俺様のセンサーが狂ったとは思えんだが……」

 

 どうやらランスは可愛い女の子の匂いを嗅ぎ分けてここにやって来たらしい。

 それはつまり……先程までここに居た筆頭使徒ケイコを探しにやってきたという事で。

 

「なぁ火炎書士よ。さっきまでここに誰かが居なかったか?」

「それならケイコちゃんがいましたけど」

「……ケイコ?」

 

 この魔王城内で生活していて、未だ魔王の毒牙に掛かっていない女性、ケイコ。

 その名を聞いたランスは訝しげに眉を顰めて、

 

「いいや、それは違うな。聞いた話じゃケイコってのはかなりのブスなんだろ?」

「そうですねぇ。ケイコちゃんはお世辞にも可愛いとは言えないブサイクさんですねぇ」

「だよな。だったら違う。俺はブスを抱くつもりなど無いのだ」

 

 そしてすぐ、その名前から興味を失った。

 

 

 

 

 

 

 その一方。

 

「……ふぅ。危ないところでした」

 

 ケイコはまたもや緊急脱出にて危機を回避した。

 魔王を相手にしてこの身のこなし、筆頭使徒の名に違わぬ驚きの危機管理能力である。

 

「あぁ、もしかして私がこんなにも逃げるのが上手な理由を知りたいですか? その秘密はですね、私の左目にあるのですよ」

 

 飽きもせず説明口調の独り言を繰り返すケイコ。

 そんな彼女の左目の角膜には六芒星の魔法陣が刻まれている。 

 

「実は私の左目には千里眼があるのです。この千里眼は距離によって見え方が変わる代物でして、半径100m近辺なら透視の如く廊下や隣の部屋など全てを見晴らす事が可能なのです。ですからこれを使えば魔王様の現在地を把握し、その移動ルートを予測して逃げ出す事だって簡単なのですよ。えっへん」

 

 左目に宿る千里眼。それが今日の日までケイコがランスに襲われなかった理由。

 その目を駆使して毎日毎日逃げ続けて、ケイコはここまで純潔を死守してきた。

 

「にしても今日は妙に魔王様とのニアミスが多くて困りますねぇ。普段通りであればそろそろお昼過ぎの性交を楽しむ頃合いでしょうし、早いところお相手を決めて貰いたいところなのですが」

 

 魔王ランス昼のごちそう。それに自分が選ばれる訳にはいかない。

 どんな時でもケイコの頭の中にあるのは主ホーネットの事のみ。ランスについては口がデカい事以外には大して興味が湧かないのである。

 

「けどまぁ、ぶっちゃけ一度ぐらいなら……とは思うのですがね。なんせあの御方は敗色濃厚だったホーネット派を救ってくれた御仁ですし」

 

 ただ興味が湧かないというだけで、ケイコはランスの事を嫌っているわけではない。

 単に筆頭使徒として主ホーネットの事しか考えていないだけ。だから例えばホーネットから「魔王様の夜伽を命じます」と言われればケイコは躊躇無くランスとセックスするだろう。

 

「それに今では魔王様ですからね。一度ぐらいは夜を共にして好感を稼いでおいた方が何かと得だろうとは分かっているのですが……」

 

 一度抱いて気に入った女性には優しくなる。ランスのそういう性格だって把握している。

 それでも尚、ケイコがランスの事を避け続けるのは使徒としての譲れない理由があるから。

 

「しかしあの御方は我が主ホーネット様の想い人ですからね。となればほんの一時だってその目を私の方に向けるわけにはいかないのです」

 

 例えばランスが自分の事を抱いて、万が一にでも好感触を抱いてしまったら。

 ランスはハーレム志向なので自分一人のみに絞るなんて事は無いだろうが、ハーレム志向だからこそ、今後も不定期にセックスを求められる可能性は大いにあり得る訳で。

 

「私が魔王様と性交を行えば、その分ホーネット様が愛される時間が減ってしまいますからね。筆頭使徒であるこの私の責任において、ホーネット様の至福の時間を一分一秒でも目減りさせるような事は断じて避けなければならないのです」

 

 時間とは有限なるもの。自分の出番があるという事は誰かの出番が無いという事に他ならない。

 とはいえ仮にランスがケイコを抱かなかったからといって、じゃあその代わりにホーネットを抱くかと言えばそれはまた違う話になる。

 がしかしケイコにとってはその可能性があるだけで避ける理由になる。主の幸せがそこにある以上、筆頭使徒ケイコとしては最大限にそれを尊重し守らなければならないのである。

 

「故にここ最近の私は自らがブサイクだと言う噂を積極的に広めているのです。賢いでしょう?」

 

 魔王が自分に興味を持たないように。

 主の幸福の時間を一分一秒でも減らさないように。ケイコは今日も逃げて、策を巡らせる。

 

「その意味では美醜の価値観が逆転している火炎書士の存在は有り難いです。あの子ならウソを吐かずに私をブサイクだと言ってくれますから。……あ、これってつまり私が可愛いって事ですからね? 私は決してブサイクではありませんからね? そこはお間違いなきよう」

 

 まるで誰かにいい聞かせているかのように延々と独り言を呟く使徒ケイコ。

 

 全ては主の為。

 それが使徒。それこそが使徒の忠誠。

 これから先もケイコはずっと逃げ続けて、これから先もずっと純潔を守り抜くだろう。

 

 何故ならケイコは筆頭使徒だから。

 そしてなによりケイコは賢者だから──

 

 

 ──だが。

 

 

「──えっ?」

 

 その時、動きが止まった。

 彼女の右手がバシッと掴まれて、

 

「みぃ~つけたぁ」

「……ッッ!!」

 

 華麗なる使徒ケイコに迫る魔の手が。

 獲物を捕らえてニヤリと笑う男、それは魔族の頂点に立つ王──魔王ランス。

 

 

 

 

 

 

 

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