ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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激震

 

 

 

 

 

 その事件が起きたのは、翌日の事。

 

「そんじゃあ大将、一晩世話になったな」

「お、帰るのか」

「あぁ。我ながら忙しないとは思うけどヘルマンの様子も気になるからな」

 

 ランスの部屋を尋ねてそうそう答えたのはパットン・ヘルマン。

 彼の母国ヘルマン共和国は今、侵攻してきたリーザス王国と戦争の真っ最中。

 そんな事もあって客人は一泊でとんぼ返り、パットンとハンティは早速帰路に着くようだ。

 

「にしても一日足らずで帰るとは。さては本当に冷やかし気分だったのか」

「冷やかしだなんて事は無いさ。俺としては大将や嬢ちゃんの無事な顔を見に来たんだからさ」

「なんだそりゃ」

「かっかっか。まぁ取り越し苦労だったって事で」

 

 危険を冒してまで魔物界に乗り込んだ価値はあったなとパットンは朗らかに笑う。

 新たなる魔王の正体とその精神状態。今後の人間世界の行く末を占うであろうそれは戦争中の母国を一旦置いといてでも知っておきたかった事。

 それを確認出来たパットンは安堵した気持ちで別れの挨拶をする事が出来た。先の事は分からないとはいえ、少なくとも現状の見立てでは最悪の想定にはなり得ないだろうと判断したからだ。

 

「御二人共。お帰りになられるのですか」

「あぁ、ホーネットさん達もあんがとな。こっちに来る前はどうなるもんかと不安だったけど、話してみたら親切な魔人さん達が多くて助かったぜ」

「お気になさらないでください。貴方方は魔王様がお認めになられた御客人なのですから」

「それに久しぶりに人間と話せて楽しかったわ。この魔王城に人間のお客さんがやって来るなんて稀な事だからね」

「それこそランス、じゃなくて魔王様やシィル達を除いたら初めてじゃないか?」

 

 その親切な魔人達とは昨日一日で顔合わせを済ませたのか。

 中庭まで見送りに出てきた者達の中にはホーネットやシルキィ、サテラなどの姿も見える。

 

「また遊びに来て下さいね。パットンさん、ハンティさん」

「いいや来なくていいぞ。特にパットン。俺様が治めるこの魔王城は男子禁制だからな」

「ははは、リーザスとのごたごたが片付いたらまた勝手に来させてもらうさ」

 

 ランスの言葉を軽くスルーして、シィルの言葉に笑顔で頷いたパットンは。

 今となっては魔王様相手にこんな事言っていいのか分かんねーけど、と前置きした上で。

 

「今度はヘルマンにも遊びに来てくれよ、大将」

「まぁ気が向いたらな」

「あぁ、頼むぜ。シーラなんかも大将と会いたがってたしさ」

「ふむ、シーラか。……そういやぁ最後にシーラと会ったのももう随分ぶりだな」

「だろ?」

 

 頷いて、ランスは思案げに腕を組む。

 シーラ・ヘルマン。以前のヘルマン革命の折に手に入れた女、元ヘルマン帝国第46代皇帝。

 最後に会ったのはランス達一行が魔物界に乗り込む直前の事、LP7年の2月まで遡るので今ではもう一年以上が経過している。

 

「……ううむ、シーラか。なんか言われてみると久々に抱きたくなってきたな……」

 

 深窓の令嬢と呼ぶべき儚げな美貌の内に芯の強さを携えたヘルマンきっての美女。

 そのキャラクターは今の魔王城内には居ないタイプでもあり、瞼の裏に思い返してみればランスの食欲が湧いてくるのも当然と言える。

 

「それにシーラだけじゃないぞ。ヘルマンにだって俺様の女は沢山居るからな」

「だろうなぁ、なんせ大将の事だし」

「うむうむ。エレナちゃんとか、メリムとかな。他にもピグ……は今ランス城に居るんだったか。それならペルエレ……は、まぁあれは正直どうでもいいかもしれんが……」

 

 過去の冒険で抱いた、つまり自分のものにしたヘルマン共和国在住の女性達。

 ランスは思い付いた名前を次々と挙げていって。

 

 

「それに……あぁそうだ、クリームちゃんも」

 

 ──と、その時だった。

 

 

「いやぁ大将、さすがにクリームの事は勘弁してやれよ。なんせあいつは──」

 

 何ら躊躇も無く。

 瞬間、そんな言葉が。

 

「バカッ! パットン!!」

「──あ、やべ……!」

 

 すると即座にハンティの叱責が飛んだ。

 それで致命的な過ちに気付いたパットンはすぐに口を閉ざしたが……時既に遅し。

 

「あん?」

 

 聞いた。聞いてしまった。

 魔王ランスの耳は、たった今パットンが口を滑らせた言葉をしっかりと聞き入れていた。

 

 ──そして、これが事件の引き金だった。

 

 

「なんだ、クリームちゃんがどうかしたのか?」

「い、いやぁ……別に?」

「んな慌てた様子で別にって事はねーだろ。何があったんだ?」

「何がって、その……そんな、別にどうっつう事もねぇって……」

 

 明らかに挙動不審な様子のパットン。

 視線を背けてぽりぽりと頭を掻くその姿に、魔王の疑念がどんどん強まっていく。

 

「ウソつけ。どうっつう事もねーならそんなに動揺しねーだろうが。クリームちゃんに一体何があったんだ。言え」

「だから、別にその、特になんも……」

「早く言え」

「……でも、なんつうか、これは……ほら、クリームのプライベートな話だからよ……」

「よーし分かった。おいホーネットよ、どうやら我が魔王城に人間の賊が忍び込んどるようだ。つー訳でそこにいる筋肉ダルマ焼き殺していいぞ」

「あー待て待てっ! 分かった、言うからっ!」

 

 ランスがこういう脅し文句を本気で言うと知っているパットンは即座に降参宣言。

 しかしそこでチラッとハンティの顔色を伺って。

 

「……これ、言っても大丈夫だと思うか?」

「……アタシは知らないよ。ランスの前で口を滑らせたあんたの責任だからね」

「ぐぅ……!」

 

 返ってきたのは冷ややかな言葉。ハンティ・カラーに恋人を庇うつもりは無いようだ。

 というべきか、もはや庇う方法が無い。実際問題すでに魔王に聞かれてしまったのだから。

 そしてそれ以前の問題として、そもそも現実にそれが起こってしまっている以上、仮にここでパットンが口を滑らせずとも、いずれは魔王の耳に届いていただろう話に他ならない訳で。

 

「……はぁ、腹をくくるしかねーな。……でも、じゃあ……そのよ、大将……」

「なんだ」

「言うよ。言うけどさ……でも、くれぐれも気を強く保って聞いてくれよな?」

「なんだそりゃ。いいから早く言え」

「……クリームはな、その……」

 

 一度目元をぎゅっと瞑って。

 パットンは非常に言い辛そうな顔で。

 

「実はな……」

 

 とても言い辛そうに。

 とてもとても言い辛そうに……言った。

 

 

 

「クリームはさ………………結婚、したんだ」

「……………………は?」

 

 ──結婚。けっこん。

 その4文字が、そのワードが、恐るべき凶弾となってランスの脳天をブチ抜いた。

 

 

 

「……けっ、こん?」

「あぁ。結婚だ」

「…………くりーむちゃんが、けっこん?」

 

 脳に入ってくる情報を認識出来ないと言わんばかりに呆然と言葉を漏らす魔王。

 その表情が意味する所は明らか。──あってはならない事が起こってしまったのだ。

 

 クリーム・ガノブレード。現ヘルマン軍総参謀長を務める彼女は……結婚していた。

 お相手はヘルマン第二軍将軍、アリストレスの後任として将軍職に就いた男──ボドゥ。

 

「……けっ、こん……」

「……あぁ」

 

 遡っては一年以上前──それは前回の時の事。

 第二次魔人戦争が勃発する直前のある日、クリームはボドゥ将軍からプロポーズを受けた。

 まだ付き合ってもいない段階でのプロポーズにクリームは驚いて、悩んで。そして……そのプロポーズを受ける決心をした。──その一時間後に魔軍の大侵攻が勃発した。

 ヘルマン第二軍が守備を担当する番裏の砦は言うまでもなく死地となって…その結果、結婚をする覚悟を決めたクリームがプロポーズの返事をするよりも前に、ボドゥ将軍は戦死してしまった。

 

 ……というのが、前回の歴史の流れなのだが……しかし今回はどうか。

 今回は当のランス自身が前回の記憶を生かして自ら魔物界へと乗り込んで、第二次魔人戦争の首謀者となる魔人ケイブリスを先んじて討伐した。

 すると必然的に第二次魔人戦争は起こらない。すると必然的に魔軍の侵攻は起こらず、必然的にボドゥ将軍は戦死しない。だが一方で第二次魔人戦争の有無はボドゥ将軍が抱いていた恋心とは一切関係が無い。

 そんな訳で平和なヘルマンの下、前回と同じようにボドゥ将軍はクリームにプロポーズを行い、前回と同じようにクリームはそれを受け入れた。

 

 ──こうして、クリームとボドゥの二人はランスが知らぬ間に結婚していたのだった。

 

 

「くりーむちゃんが……おれさまいがいの、おとこの……ものに、なった?」

「………………あぁ」

 

 自分の女が、大切な軍師が、何処の誰とも知れない男に奪われていた。

 その事実を遅ればせながら知ってしまったランスだが……ただ、この世界においてランスとクリームは然程親密な関係になっていない。

 クリームからすればランスとはレイプまがいの初体験を受けただけの相手。第二次魔人戦争を踏まえなければそれだけの関係であり、プロポーズを受けた際に一瞬でも思考の隅っこでチラつくような存在ですらない。

 結婚式の招待状どころか結婚の知らせを送ろうとすらも思わない相手、つまり全く眼中に無い相手なのだが、それはあくまでこの世界におけるクリームにとっての話で。

 

「………………」

 

 ランスにとっては違う。

 ランスにとってクリームとは。ヘルマン革命の際に見つけて手に入れた真面目系美人。

 そして優秀な軍師。第二次魔人戦争という史上最大の苦難を共に乗り越えた大切な仲間。

 

「………………」

 

 そもそもそれ以前に、魔王となったランスにとってこの世界にいる全ての美女は自分のもの。

 たとえまだ出会っていない見知らぬ美女であろうとも予約済みな訳で、既に出会っている美女ならば尚更自分のものであるはずなのに。

 

「………………」

 

 それが……奪われていた。魔王の所有物が、なによりも大切な財産が強奪されていた。

 すでに結婚済み、となれば当然ながらセックスだってとっくに経験済みだろう。

 あのクリームが。その身体が。知らぬ間に知らぬ男の手によって汚されていた──

 

 

「………………」

「……た、大将?」

「………………」

「……な、なぁ、大将?」

「………………」

 

 ──沈黙。

 魔王は何も答えない。

 呆然と立ち尽くしたまま反応が無い。

 

「(ひそひそ……ま、まずいかもしれませんね、これは……)」

「(ひそひそ……だ、だよな。どう考えても不味いよな、これは……)」

 

 その空気に耐えきれずシィルがひそひそ声で語り掛けると、頷いたパットンも小声で囁く。

  

「事が女の事になると大将はマジだからな……」

「はい……それに、自分が知らない間に結婚していたってのは多分初めてのケースですし……」

 

 女性への執着。それが理由になるとランスが無謀な事を仕出かすのは過去に何度も例がある。

 しかも今回は結婚。自分の女がはっきりとした形で他人に奪われてしまった初のケース。

 故にこれは、荒れる。ランスという男を良く知る二人は早くもその兆しを肌で感じていた。

 

「特に今では……なんせ今のランス様は魔王様ですから……ホーネットさん」

「……えぇ」

 

 話を振られたホーネット、そしてシルキィやサテラら魔人達も同様に深刻な表情で。

 

「私達はそのクリームという女性の事を知らないので明確な事は言えませんが、しかし魔王様にとってその女性が大事な存在なのだとしたら……」

「例えば……クリームさんが結婚したお相手の男の人を抹殺する為、魔王軍全軍を動かしてヘルマンに侵攻する、なんて事を言い出す可能性も……」

「……あるな」

「お、おいおい、そりゃあ勘弁してくれよ……って言いたいところだけど、それをマジでやりかねないのが大将だからな……」

 

 ここにおわすは魔王。この世界を支配する王。

 そんな魔王の所有物を強奪した罪の重さとはどれ程のものになるだろうか。

 その怒りの炎がヘルマンの凍土を焼き尽くす、その可能性だって否定出来るものではなく。

 

「もし魔王様からそのように命じられた場合、魔人である私達は従わざるを得ません。これは……かなりの緊急事態かもしれませんね……」

 

 故に、これはかなりの緊急事態。

 魔人筆頭をしてそう呟いてしまう程、パットンが口を滑らせたその一言は致命的なもので。

 

 

「………………」

 

 沈黙。自然と誰もが口を閉した。

 しん、と静まり返った世界。

 

「………………」

 

 そして。

 一向に魔王の反応は、無い。

 

「………………」

 

 だれかがごくりと喉を鳴らす。

 その場にいた者達が緊迫した表情で固まる中。

 

「………………」

 

 魔王は何も答えない。

 魔王は動かない。

 

 魔王は──

 

 

「………………」

「……ま、魔王様……?」

 

 そして、魔人サテラが。

 あまりに長い魔王の無言が気になったのか、恐る恐る魔王の下に近付いていく。

 

「……あの……」

 

 そして……その耳を、そっと。

 微動だにしない魔王ランスの胸元に寄せた。

 

 そして──

 

「……え」

「サテラさん?」 

「……はっ!?」

 

 跳ねるように顔を上げると。

 魔人サテラは驚愕の表情で呟いた。

 

「……し、死んでる……!」

「えぇ!?」

 

 魔王は──

 

 ランスは、死んだ。死んでいた。

 

 

 

 

 こうして魔王は死んで。

 この世界には平和が訪れたのだった。

 

 

 

 ──なんて事になるはずもなく。

 

 

 

「……すげぇな。立ったまま気絶してるぜ……」

 

 無言の沈黙……ではなくて、魔王ランスは直立不動にて失神していた。

 ちなみに先程サテラが死亡確認したように、その心臓は今現在完全に機能停止している……がしかしその程度では死なないのが魔王というもの。

 心臓というポンプの機能が停止しても意思ある魔王の血は自ら全身を駆け巡って、結果魔王の生命活動はちゃんと維持されていた。

 

「でも……マズい事には変わりないよな、これ」

「あぁ。気絶する程のショックってんだから……当然ながら目覚めた後が大変だろうね」

 

 あまりに強烈な過負荷が掛かったランスの脳も心臓と同様に機能停止中。この様子だと再起動にはもう少し時間が掛かりそうである。

 だがその時こそヘルマン崩壊の引き金が引かれる事になるかもしれない。そんな想像にパットンとハンティの表情も強ばる。

 

「でもそれなら、ランス様が気絶している今の内になんとかしないと……ですよね?」

「そうね、ランスさんの怒りがヘルマンに向かわない事を祈っているだけじゃ駄目だわ。特に今ならまだ魔人の私達でも何か出来るかも知れないし」

「……そうですね。今の内ならば……」

 

 シィルが呟き、答えたシルキィの言葉にホーネットも静かに頷く。

 もしランスの口からヘルマンを滅ぼせとの号令が発せられた場合、もはやそれを覆す方法は無い。魔人は魔王の命令には逆らえないし、ここにいる魔人達が動き出したらシィル達にそれを食い止める手立ては無いからだ。

 しかし今ならば。今ならまだ魔王は気絶中、何か直接的な命令や具体的なアクションを起こしてはいない以上、魔人としてその意に反する事なく行動する事が可能な状況と言える。

 

「問題はどうすればいいのかって事だけど……」

「でもシルキィ、こうなったらもうどうしようもないんじゃないか? そのクリームとかいう女が結婚した事をランスは知ってしまった訳で、今更聞かなかった事には出来ないだろうし……今の内に離婚させるとか?」

「うーん……どうだろ。結婚しちゃったなら離婚させればいい、って問題でも無いような……」

「そうだなぁ。大将にとっちゃたとえクリームが離婚したとしても、一度は別の男とくっついたっていう事実に変わりはねぇだろうし……」

 

 ランスという男は。自らが手にした女に対する執着心が強い、途轍もなく強い。

 自分の女が傷付けられようものなら烈火の如く怒るのがランスという男であり、そのエネルギーが多くの女性を救う原動力になる一方、今回のようにその執着心がマイナスに働く事もある。

 男の嫉妬は見苦しいもの。なのだがそんな見苦しさ一つだけでも動くのがランスであり、それで本当にやらかしてしまうのがランスなのである。

 

「……けど、それならやっぱもう手の打ちようなんて無いだろう」

「それはそうなんだけど、このまま放っておくわけにも……あ、なら今の内にヘルマンで暮らす人達を避難させておくとか」

「避難っつってもヘルマンの人口は5千万人を優に超えるし……いやけど、確かに……現実的にはそれしかないのか?」

 

 その怒りの炎に無関係なヘルマン国民が巻き込まれないようにする。

 それが今打てる手としてはベストだろうか。

 

「……ただ、その方法だと……肝心のボドゥ将軍が助かる道は……無さそうだね」

「……そうだな」

 

 ハンティの無情な言葉にパットンは唇を噛む。

 ボドゥ将軍。職務に忠実であり、無骨で実直なヘルマン人を絵に書いたような男。

 無関係なヘルマン国民は見逃そうとも、この男だけは魔王が許しはしまい。総参謀長クリームとの結婚は多くの者達に祝福された慶事だったが……幸せは長く続かないもの、もはやその命運は尽きてしまったか。

 

「…………それなら」

 

 目覚めてすぐにでも爆発しそうな爆弾、魔王ランスの怒りを鎮める方法。

 なんだか前にも似たような事があったなと、そんな事を思いながら口を開いたのはホーネット。

 

「立場上賛同は出来ませんが、どうしてもと言うならば一つだけ方法が無い訳でもありません」

「ホーネット様、それはどのような?」

「とても簡単な事です。今この城の中にはワーグがいるでしょう?」

「……あぁ、成る程……」

 

 と、いう事で。

 

 

 

 

「え~……」

 

 呼ばれてやって来た魔人ワーグ。

 彼女は事情を聞いた瞬間、上記の通り「え~……」とそりゃもう嫌そうな顔で呟いた。

 

「いやよ、そんな……記憶の操作なんて……」

 

 その視線の先にいる男。立ち尽くしたまま白目を剥いて気絶している魔王ランス。

 現状気絶という名の眠りに就いている以上、魔人ワーグの夢操作が可能な状態という事になる。

 つまりその記憶を操作して、先程聞いたショッキングな事実を頭の中から消去してしまえば。

 怒りの種となる記憶を消してしまえば全ては元通りとなる……だが。

 

「私、そういう事をするのは嫌いなの。特にそれをランスに内緒でするだなんて……」 

 

 そんな記憶の改竄という恐るべき能力を一番嫌っているのが当のワーグ本人。

 生まれ持った能力は誰よりも凶悪、しかしワーグ自身は極めて善良な価値観を有していて、他人の思考や記憶を勝手に捻じ曲げる行いがどれ程に悪逆なのかを深く理解している。

 特にその相手が大好きなランスとなれば、ワーグが頷くはずも無いのだが……だったら仕方ないなと引き下がる訳にもいかない状況で。

 

「そこを何とか、頼む!! ヘルマンの大地で暮らす五千万人以上の命が懸かってるんだ!!」

 

 漢パットン・ヘルマン。

 ここは引けぬとなりふり構わずの土下座を敢行。

 

「そ、そんな事を言われても……」

 

 五体投地の必死過ぎる姿にワーグもちょっと怯んでしまう。

 

「ワーグさん。気持ちは分かりますが、そこをなんとかお願い出来ませんか?」

「私からも頼むよ。なにも新たな記憶を捏造しろとか言っているわけじゃない。ただほんの少し、ほんの少しだけ、そこに居る魔王さんの記憶を忘れさせるだけで良いからさ」

「あぁそうだ!! バカな俺がうっかりクリームの結婚話を口走っちまったあの瞬間だけ、ほんの数秒間の記憶を消すだけでいいんだ! だから……頼むッ!!」

「……え、えぇ~……」

 

 シィルやハンティからのお願いも加わってワーグは困ったように呻く。

 無断での夢操作はその凶悪さに付随して、自らの信用を地の底まで落としかねない危険な行い。

 もしそれが露見した場合、大大大好きなランスから嫌われてしまう可能性だってある。

 

「…………むぅ」

 

 されどワーグとて平和を好む心優しき魔人。

 残虐無慈悲な魔王軍によってヘルマンの地が蹂躙される光景なんて見たいものではない。

 特にその号令を出すのが、大大大大好きなランスであれば尚更。

 

「……分かったわよ」

 

 結果、ワーグはしぶしぶ頷いた。

 

「ほんの十秒間の記憶に靄を掛けるだけ。私が操作するのはあくまでそれだけだからね」

「あぁ。それだけで構わない。感謝するぜ、魔人の嬢ちゃん」

「……はぁ」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた後、ワーグは大きく息を吐き出して。

 

「ん……」

 

 そして、直立不動のままのランスの胸にそっと手を当てる。

 その夢を操作して記憶を改竄しようと、失神中のランスの頭の中を覗き込んだ──

 

 

「……あれ?」

 

 その数秒後、ワーグは不思議そうに首を傾げた。

 

「ワーグさん、どうしました?」

「ねぇシィル。問題の記憶は、その……クリームっていう女の人が結婚したっていう話を聞いちゃったシーン、なのよね?」

「はい、そうです。今からだと数分前の記憶になると思いますけど」

「でもね……そんな記憶は無いんだけど」

「えっ?」

 

 そんな記憶は、無い。

 ワーグが呟いたその言葉に、その場に居た者達全員が虚を突かれた表情になった。

 

「ワーグ、それは本当ですか?」

「うん。ランスの頭の中の何処を探してもそんな記憶は残っていないわ」

「記憶は残っていないって……けど、さっき大将は俺が言っちまった話を聞いてたはずだよな?」

「え、えぇ……それ故このように気絶してしまった訳ですからね……」

「となると……どういう事でしょうか?」

 

 先程、魔王ランスはクリームが結婚したという話を間違いなく聞いていた。

 その上で、その頭の中の何処にも記憶が残っていないとなると……これはどういう事か。

 

「考えられる理由としては……すでにその記憶を忘却してしまった、という事でしょうか」

「……クリームさんの結婚があまりにショッキング過ぎて、……っていう事ですか?」

「えぇ、恐らくは……」

 

 結婚。その事実は魔王には重すぎたのか。

 どうやら意識を失う程に凄まじい過負荷が掛けられた結果、自己防衛機能が働いたランスの脳は自らその記憶を消去してしまったようだ。

 

「……マジか。そんな事ってあるのか……」

「みたいだね……」

「でも、ランス様に記憶が残ってないのなら……これは一応セーフってことですよね?」

「まぁ、そうなりますね。しかし……自ら記憶を消してしまう程の衝撃だったとは……」

 

 自分の女が。何処ぞの誰とも知れない男と結婚してしまったなんて。

 あぁ嫌だそんなの。そんな事実は認めたくない。認める事なんて出来はしない。

 故に──自らの記憶を消した。それはランスという男が持つ女性に対しての執着、その強さの裏返しと言えるのかもしれない。

 

 

「…………はッ!!」

「あ、ランス様……」

 

 そうこうしている内に、ようやく再起動処理を完了させたランスが目覚めた。

 

 

「魔王様、お目覚めになられましたか」

「うむ。……うむ? あれ、なんで俺様はこんな所で寝ていたのだ?」

「寝ていたというか……まぁ、その……」

「……ぬぅ?」

 

 ランスはむむむと首を傾げる。 

 どうもここ数分間の記憶が定かでない。頭の中に空白があるような、欠けてしまった何かがあるような、そんな妙な感じがする。

 

 それに──この胸の痛みは。

 

 

「ええっと……あぁそうだ。パットン達が帰るからってんで見送りに集まってたんだよな」

「あ、あぁ、そうだな。うし、それじゃあそろそろお暇すっかね」

「そうだね。そろそろキャンテルも待ちくたびれてるだろうし」

 

 触らぬ魔王に祟りなし。

 余計な刺激を与えないよう、パットンとハンティは何食わぬ顔で帰宅の準備に取り掛かる。

 

「……ぬ~?」

 

 しかし依然としてランスは腑に落ちない何かを感じていた。

 

 気になる。何かが気になる。

 無性に気になる。妙な違和感がある。脳の奥がチリチリと疼く嫌な感触がある。

 

 この感じは、これは──

 

 

「…………結婚?」

「ッッ!?」

 

 首を傾げながら呟いたその言葉に、その場にいた全員が鋭く息を呑んだ。

 

 

「……けっこん、結婚……?」

「た、大将、それは……!」

「……なんだろな。なんか『結婚』っつうキーワードが猛烈に気になるような……」

 

 理由は分からない。この違和感はただの幻なのかもしれない……が。

 結婚。結婚。どうしてかその文字が頭の中に焼き付いて離れない。

 

「──きっ、き、気のせいだと思いますよ! ランス様!」

「そ、そうそう! そんなの気のせいだって!」

「ぬぬぬ~~……?」

 

 ──結婚。

 なんでもない単語であるはずなのに、それを思い浮かべるだけで心がキシリと軋む。

 そして……何故か苛立つ。訳も分からず胸がむしゃくしゃしてくるのはどうしてなのか。

 

「………………」

 

 まるで、自分のものだったはずの大事ななにかを失ってしまったような。

 何も思い出せないのに、不思議とそんな気がしてならない。

 

 ……と、そんな事を考えていた結果。

 

「あ……そうだ」

 

 ランスはその考えに思い至った。

 

「なぁホーネット」

「は、はい、なんでしょう」

「ちいっとばかし考えてみたんだけど……結婚っていらないよな?」

「……い、いらない?」

「あぁそうだ。結婚はいらない。そう思うだろ?」

 

 ──『結婚はいらない。』

 思い付いたそのナイスなアイディアをランスは自信満々で語り始める。

 

「うむ、考えれば考える程に結婚はいらん。だってこの世界に居る全ての美女は俺様のものだ。それなら結婚なんて制度は今後俺様が食べるはずの美女が他の男に奪われる機会を増やしちまうだけだろ?」

「……そ、れは……確かに、そういう一面もあると言われれば……そう、ですね……」

「うむ。だから必要無い。必要ないものはとっとと無くしちまった方がいい。そうだよな?」

「………………」

 

 誰もが呆気にとられて何も言えない中。

 魔王ランスはここに宣言した。

 

「つーわけで、これからは結婚を禁止にする」

「………………」

「ホーネット、人間世界の全ての国に通達を出せ。内容は今すぐ結婚制度を廃止する事。今後は俺様の許可無く勝手に男と女がくっつくのは禁止だ」

「……き、禁止、ですか」

「そう、禁止。それに従わなかった国は魔王であるこの俺様に反抗したものとみなす。俺様に反抗しようもんならすぐに魔王軍の侵攻を受ける事になるから覚悟しとけよって付け加えとけ。そうすりゃ全ての国が言うことを聞くだろう」

「それは……そうかもしれませんが……」

 

 この世界の形は魔王が決めるもの。であればその通達は実質的には強制命令というもので。

 念押しの為、あるいは一縷の望みを込めてホーネットが尋ねる。

 

「……魔王様。これは……本気の命令ですか?」

「勿論本気だ。今後は結婚禁止、今現在結婚している夫婦は強制的に離婚だ。結婚なんてもんが無ければ俺様の女が他の男に取られる心配は無い。これで一安心だな、がはははは!!」

 

 満足そうに笑うランス。

 

「………………」

 

 方や全員が沈黙。

 その案に異を唱えられる者など存在せず。

 

 

 こうして──RA0年3月上旬、魔王ランスによる御触れが世に出された。

 あらゆる婚姻関係を禁じる強制命令、その名も『結婚禁止令』が発布された。

 

 

 

 

 

 

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