そこは、とある小さな町。
街角にあった小さな喫茶店。窓ガラスに映るはまだあどけなさが残る少年の顔。
「ふぅ……」
カップに注がれたミルクを一口。
注文した昼食を食べ終えて、満腹感とともに一息つく。
「で、さ」
「はい」
「食後の一服がてら聞いてほしいんだけど、ちょっと相談があって」
少年の前にはフードを被った従者の姿。
旅路の途中で休憩処として立ち寄った喫茶店のテーブル席、その二人がいた。
「おや、ゲイマルクが私に相談とは珍しいですね」
「うんまぁ相談っていうか、コーラの見解が聞きたくてさ」
少年の名はゲイマルク。従者の名はコーラ。
勇者と勇者システムの導き手。その歩みはここにきて岐路に差し掛かっていた。
「というのも……最近、色々と忙しかった事もあって忘れていたんだけどさ」
「はい」
「僕、もうすぐ誕生日なんだ。だから僕が勇者になってそろそろ一年が経つんだなと思って」
「あぁ……言われてみればそうですね。そろそろ一年ぐらい経ちますか」
言われて従者は思い出したように呟く。
コーラが担当する勇者システム、そこには時間的な制約が設定されている。
その任期は7年。13歳の時点で勇者となり、成人して20歳になった時にその使命を終える。
ゲイマルクもその例に漏れず13歳の日の朝に勇者として力に目覚めて、それから今日で約一年が経過していた。
「それで……この一年間を振り返ってみたんだけど、僕は勇者として僕なりに行動してきたと思うんだ。しかもそれなりに真面目に」
「そうですね、私の目から見てもゲイマルクはとても働き者だったと思いますよ。ここ最近の勇者の中では断トツでしょう」
「そうなんだ。それは嬉しい評価だね」
従者からの称賛の言葉に素直に喜ぶ、その表情は年相応のもの。
この一年間、勇者の使命を受けた少年ゲイマルクは勇者として精力的に活動してきた。
それは特に──人間を殺す事に関して。
時にはその剣で直接心臓を貫いて。あるいは自らが直接的に関わらない形で大きな事件が起こせそうな状況では事件を起こし、密かに人を殺して。
他にも有用そうなマジックアイテムに目を付けて、ゼス国王立博物館やAL教の禁断保管庫に潜入してそれらを盗み出してきたりと、目的達成の為に勤勉かつ精力的に活動してきた。
「……で。その上で思ったんだけどさ」
「はい」
「このままじゃ駄目だ。このままじゃ魔王を殺す事なんて不可能だ」
精力的に活動してきて──尚、このままでは最大の目的である魔王討伐は果たせない。
それがこの一年を通じて、勇者ゲイマルクが自分自身の現状に下した評価。
「そうですか。まぁ、貴方がそう言うのならばそうなんでしょうね」
「だってそりゃそうでしょ。ねぇコーラ、僕達の最終目標と現在地点はどこだい?」
「最終目標は魔王を殺す事。その為に今は人間の数を減らそうと画策している所ですかね」
「あぁそうだ。エスクードソードを強化する為、今は人間の数を減らさなくちゃならない」
勇者の武器、この世界に生存している人間の死滅率によってその性能が変化するエスクードソード。
最終的にはこの世界の枠組みを作り出した神々すらも殺せてしまう程の代物なのだが、ひとまずその威力が魔王を殺せるレベルにまで向上するのは『刹那モード』という段階であり、その開放条件は人類死滅率50%以上。
つまり人間の数を半分以下まで減らす事。それがゲイマルクの目指している指標であり、それを目指してこの一年間活動してきた──だが。
「学校の授業でも習うけどさ、この世界の人口って大体3億人だよね」
「そうですね」
「で、勇者の任期は7年なんだよね」
「そうですね」
「なら僕に残された時間はあと6年だ。ここから6年で目標が達成出来ると思うかい?」
「………………」
ゲイマルクの問いに従者は答えない。その沈黙が答えのようなもの。
勇者の任期は7年。その間に魔王を殺せる刹那モードを目指すならば人類死滅率50%、3億人の内1億5000万人を殺す必要がある。
7年で1億5000万人を減らす。となれば1年で2200万人近くを減らす必要がある。それを365で割れば約6万。つまり単純計算で進めるとなると一日に6万人を殺さなければ到達出来ない数値目標となる。
「このままのペースじゃ絶対に間に合わない。だってこの一年で減らした数なんてせいぜいが1万人ぐらいだろう?」
「そうですね。というかむしろ1万にさえ届いていないかもしれませんよ」
一年を掛けて約1万。一日に6万人のペースで進行する必要があるのに現状一年で1万。
このままでは目標実現など到底不可能。ゲイマルクがそう断ずるのも当然と言えた。
「実際今日はまだ誰も殺していませんしね。至って平和な旅路の途中です」
「そう簡単に人殺しなんて出来ないって。だって騒ぎになるじゃん」
「まぁ、そうですね。どんな場所でも人を一人殺したら多少の騒ぎにはなりますね」
「下手に指名手配なんか受けたらこの先の行動が大幅に制限される、それじゃ割に合わないよ。いずれはそうなるかもしれないけど今はまだ早すぎる」
「そうですね。行く先々で警察や治安維持部隊なんかと争うのは面倒ですしね」
現状は人間の数を減らしていくのが目的。とはいえそれは目に付いた人間を片っ端から手当り次第に殺していけばいいというものではない。
たった一人でも殺人が公になれば警察の出番。その警官を邪魔だからと殺したら次は大勢の警察隊が出動し、それらを殺したらやがては国の軍隊が動き出す。
国家とは、社会の構図とはそういうもの。あるいはそれすらも全て殺し尽くすというのも選択肢の一つには違いないのだが──
「なによりも単純に危険です。今のゲイマルクの実力では人間相手であっても負ける可能性は十分にありますからね。一国の軍隊などとは到底戦えないでしょう」
「分かってるよそんな事は。君に言われなくても僕の実力は僕が一番理解している」
そもそもの問題として、現状の勇者ゲイマルクはそれほど強くない。
この一年を通して到達したレベルは21。お世辞にも高いとはいえないそのレベルの理由は勇者の特性にあって、勇者というのはレベルアップするのが遅いという縛りがある。
その代わりにレベルの上限が99まで拡張されて、一度上がったレベルはそれきり下がらないという恩恵がある。つまり勇者というのは特性から大器晩成型が義務付けられている存在であり、現状のゲイマルクのように駆け出しの段階では苦戦したり負けたりするケースも多い。
「そりゃ僕はまだまだレベルが低いよ。そもそもそっちは後回しにしてるから」
「レベルを上げたいのであればこつこつ魔物退治をしたり、冒険やダンジョンに潜ったりするのが王道ですが……生憎とゲイマルクはそういう事は全然しませんからね。中々レベルが上がらないのも当然です」
「耳が痛い言葉だけど……でもさ、それやったって人間の数は減らないじゃん」
耳が痛いとは言いつつも、ゲイマルクは何処か子供っぽさが垣間見える口調で反論する。
「魔物なんかは特にね。あえて殺すよりも放置しといた方がメリットあるかなって思っちゃうんだ」
「分からないでもないですが、経験値効率が良いのはどう考えてもそちらですからね」
レベル上げのような自己鍛錬は行わない。とかく経験値の糧となるのは基本的に魔物であって、ゲイマルクのように人間ばかりを殺していては自ずとレベルアップ効率は悪くなる。
それが分かっていて尚、己が指針を改めないのはこの少年が合理的な考えで行動するからこそ。
「結局のところさ、僕のレベルが最大の99になったところで魔王には勝てないだろ?」
「……まぁ、そうですね。人間としては破格の強さになりますが、それでも魔王を相手にするなら全然足りないでしょうね。一対一ではいいところ下級魔人辺りが限界かと」
「だろう? だったらレベル上げなんて意味ないじゃんか。まぁ今後の活動を不自由なく行う為にもある程度のレベルは必要だと思うけど、言い換えればレベルなんて所詮はその程度のものなんだよ」
最終目標から逆算して行動しているが故、自らのレベルを上げようという意識に疎い。
だから人々を助けるべく魔物退治をする、あるいは自らを鍛えてレベルアップする。そういう部分においては先代勇者のアリオス・テオマンなどの方が余程勤勉で真面目と言えた。
「……でも、まぁそうですね。ゲイマルクの言っている事は概ね正しいと思いますよ。これまでの歴史を踏まえても正攻法で魔王を倒した勇者なんて存在しませんからね」
「だよね。結局は勇者自身の強さじゃなくてエクスードソードの性能頼りなんだから、だったらそこを最大限活用しないと」
「そこを最大限活用するべく、この一年間色々と動いてきた訳ですからね」
「あぁ。ただそれを加味しても現状では到底間に合いそうにない。だからどうしようかって話」
このままじゃ全て無駄骨に終わっちゃうよ、とゲイマルクは軽く肩を竦める。
正攻法だろうと、奇策だろうと。目的を達成出来ないのならばどちらにも価値はなく。
そもそもの問題として──
本来の歴史であれば、この世界では第二次魔人戦争が勃発していた。
魔物界を手中に収めた魔人ケイブリスによる人間界侵攻、過去類を見ない程の魔軍の大侵攻。
対して人類は一人の英雄の御旗の元に集結し、数多の激戦をくぐり抜けて最終的には魔人ケイブリスを討伐し勝利を手にするのだが、それでも被害は大きく人類の約30%が死滅する事になった。
よって、本来であれば勇者ゲイマルクのスタートはそこからになるはずだった。
ノルマとなる人類死滅率50%の内30%はすでに達成されており、その結果としてエスクードソードも魔人の討伐が可能な『逡巡モード』が最初から開放されているはずだった。
そうすればたとえ当人のレベルが低かろうともまともに対峙出来る敵などおらず、ゲイマルクの旅路ももっと快適でスムーズに進むはずだった。
しかし、なんの因果かこの世界の歴史においては第二次魔人戦争が起こらなかった。
人類の死滅率に変動はなく、勇者の武器エクスードソードも錆びきったまま。
本来であればスタート時点から魔人を倒せるだけの力が備わっていたはずなのだが、この勇者ゲイマルクにはそれがない。
「中々上手くはいかないよね。期待していた第七次HL戦争も結局は停戦しちゃったしさ」
「そうですね。結果からすれば小競り合いの域を出ませんでしたね」
「もっと派手に殺し合って欲しかったのになぁ。せっかくの戦争でこれじゃあ……」
現状のままでは、勇者ゲイマルクは。
魔族の頂点たる魔王。どころか、その配下たる魔人達、どころか。
その下に犇めく数多の魔物達、それにすら敵うかどうかといったレベルで。
「せっかく肝心の魔王があんなに分かりやすい所に引っ越してきたってのに」
「そうですね。魔物界から出てきたのはラッキーといえばラッキーですが」
「でも僕はまだ翔竜山に近付く事すら出来ない。ほんと腹立たしいったらないよ」
今や魔の巣食う山となった翔竜山に建設中のアメージング城、どころか。
その建設工事に従事する数十万規模の魔物兵達。彼らの駐屯所となっている翔竜山の麓付近一帯にすら近付く事が出来ない有様なのである。
「焦っても仕方ありません。そもそも貴方は最初から先を見据えた行動をしているのですから。ここ最近、人間の女性と接触する機会を増やしているのもそういう事でしょう?」
「まぁね。先々の事を考えれば多くの手駒を用意しておいた方がいいと思って」
現状の総人口減少ペースではとても届かない──がしかしそれはあくまで現状での話。
いずれは大きな混乱を──例えば戦争、飢餓、疫病、あるいはそれに準ずるぐらいに大きな混乱を世界規模で巻き起こす。それによって爆発的に人類を死滅させる。
まだ青写真の段階ではあるがゲイマルクはそんな計画を見積もっており、その為に必要となるのが自由に使える多くの手駒。
世界規模で動くとなると自分一人だけでは手足の数がとてもではないが足りない為、自分の計画に賛同してくれる協力者が必要になる。
「そっちは一定の成果は出てるんだけどね。その為の勇者特性だってあるわけだし」
「その為の勇者特性ではないのですが……でもまぁそれもゲイマルクの力ですからね。貴方の好きに使えば宜しいかと」
勇者は異性にモテる。半ば理由なくモテる。言わば魅了の特性を有している。
それを駆使すれば女性の協力者を作り出すのはそう難しい事ではない。実際ゲイマルクも最近の旅路の中で女性と触れ合う機会を増やして、勇者に心酔して協力してくれるであろう女性の数を徐々にだが増やしてきていた。
「……でもさ」
「はい」
協力者は徐々にだが増えてきている。
その上で──ゲイマルクは言う。
「やっぱりさぁ、人間を使うってのはどうも効率が悪い気がするんだよね」
──僕自身も含めて。
と、そんな言葉を付け足すゲイマルクの表情には疲労の色が浮かんでいる。
「……人間を使うのは効率が悪い、ですか」
「うん。君もそう思わない?」
「……確かに、そうですね」
「だろ?」
「えぇ。なんというか、その言葉はこの世の真理にして全てのように思えます」
人間を使うのは効率が悪い。それはこの一年の活動を通じて抱いた勇者ゲイマルクの見解で。
一方でゲイマルクとは異なる理由、異なる意味合いによってか従者コーラも深々と頷いて同意する。
「魅了の特性を試みると実感するんだけどさ。僕の容姿に見惚れる女性は多くいるけど、じゃあその全てが僕の計画に賛同してくれるかっていうとそうじゃないんだよね」
「それはそうでしょうね。その特性はそこまで強力なものではありませんから、女性ならば誰しもが勇者の協力者になるわけではありません」
勇者には異性にモテる特性がある。がしかしそれは魅了であって洗脳の特性ではない。
大前提として異性限定なので同性の協力者を作る事は出来ないし、異性であればある程度は好感度を上昇させて協力者を作り出す事も可能なのだが、しかし洗脳ではない以上そこには各々の思考や良心という壁がある。
「結局さ、魔王を討伐するなんて目標を本気で掲げているのは僕ぐらいなんだよ。残念な事に」
「それはそうでしょう。一般人は勇者ではないのですから」
「そりゃそうだけどさ、だったら勇者に協力するのは一般人の義務ってもんだろうに。そういう思考を持たない人間が多すぎるってのがこの理不尽な現状の原因の一つだと思うね」
勇者ゲイマルクの目的、それは魔王を倒す事。
──その為に人類を50%以上死滅させて、エスクードソードの刹那モードを開放する事。
勇者に協力するとはそういう事。たとえ最終的には魔王を討伐するという大義名分があるにせよ、その為に総人口の50%を死滅させる活動に協力するか。と言われてイエスと答える人間は稀。
ゲイマルクに惚れているからといって、その行いの全てを肯定出来るか、その為に己が手を血で汚せるかと言ったら必ずしもそうではない。
「それも仕方がないでしょう。……特に、今のこの時代では」
コーラはふぅ、と気だるげに息を吐く。
この時代──この時代の人間達は、今も平和な世界で日々を生きていて。
第二次魔人戦争などは起こらず、魔王の恐怖など教科書でしか学ばないような世界で。
この世界の人間達は魔王の恐怖を知らない。
新たなる魔王、第八代魔王ランスの登場だって遠い世界の出来事だとしか思っていない。
そんな世界にあって、魔王を殺す事に必死になる人間が多くいるはずがない。ゲイマルクの危険思想に賛同する者が少ないのも当然と言えた。
「まぁそういう訳でさ。人間の協力者を増やす事にも最近は行き詰まりを感じているんだ」
「ふむ。話は理解しましたが、ではどうするのですか?」
「あぁ、それで考えたんだけどさ……」
ただし。魔王の恐怖を理解していない人間、という意味では。
他ならないゲイマルクこそ、それに当てはまっているとも言えるのだが─
「人間は使い勝手が悪い。だったら代わりのものを使うしかないよね」
「代わり?」
「あぁ。差し当たっては……魔物とか」
「魔物、ですか」
そのアイディアは予想の範疇だったのか、コーラは然程驚く事もなく相槌を打つ。
「そもそもがさぁ、人間を殺すのって勇者である僕の仕事じゃないよね? どう考えたってあいつら魔物共の仕事だよね?」
「まぁ、そうですね。魔物にとってそれが仕事かどうかは分かりませんが、少なくとも勇者の仕事じゃない事は確かでしょうね」
「だろ? そうなんだよ、最初からそこがおかしかったんだ。人間の数を減らすなんて面倒な作業は僕じゃなくて魔物共がやるべきなんだよ」
人間を殺すのは勇者じゃなくて魔物の役目。それは至極妥当な意見と言えた。
実際に第二次魔人戦争が起こっていれば人類の30%が死滅していたように、魔物の力と恐怖というものは何時の時代であっても人間を苦しめてきた最たるもの。
「では……魔物を利用して人間を殺させる、という事ですか?」
「そうそう、そういう事」
「考えは分かりますが……それならる壺壺の活用法でも真剣に考えますかね」
「いや、その程度じゃ足りないよ。今だって魔物に殺される人間がいない訳じゃないんだ、にもかかわらずエクスードソードのメモリは10%にも達していないんだから」
今のこの世界でも、世界規模で見たなら魔物の被害は各地で毎日のように発生している。
だがそれでも世界総人口が減少傾向にあるわけではない。消える命がある一方で生まれる命もある以上、その均衡はそう簡単に崩れはしない。
「今のままじゃ駄目だ。今の人間世界にいる魔物だけじゃ全然足りないよ」
「それでは……」
「あぁ。狙いは魔物界だ」
そこでゲイマルクが目を付けたのは魔物界。
その名の通り魔物の世界。そこに棲む魔物の数は人間世界とは比べ物にならない。
「魔物界に乗り込むのですか? 今のゲイマルクにはあまりにも無謀だと思いますが」
「別に乗り込みはしないさ。そんな事をしないでも向こうからこっちに来て貰えばいい」
「ではまさか、境界線を?」
「あぁ。マジノラインと番裏の砦を破壊するってのはどうかなと思って」
そんな魔物の世界とこの人間の世界、その二つを分かつ境界線。
ゼス王国の魔法要塞マジノラインとヘルマン共和国の番裏の砦、二つの拠点を破壊すれば。
「……マジノラインと番裏の砦を、ですか」
「うん」
「随分と簡単に言いますが、魔物界への突入と同様に今のゲイマルクの実力では──」
「魔物界と違って人間相手なら僕の魅了が効く、だったらやってやれない事はないさ。実際ゼスの王立博物館やAL教の禁断保管庫には忍び込む事だって出来たんだし」
「……まぁ、そうかもしれませんね。隊員の多くが男性であろうゼス軍やヘルマン軍を壊滅させるのは無理だとしても、建造物の破壊だけを目的とするなら不可能ではないかもしれませんね」
「でしょ? そしてマジノラインと番裏の砦を破壊してしまえばそれまで、境界線を失ったゼスとヘルマンには魔物界から魔軍が一斉に雪崩れ込む。そうなったら両国は大パニックだ」
「……まぁ、パニックにはなるでしょうが」
「多くの人間が魔軍に蹂躙されて死ぬ。未曾有の混乱になるだろうし、そうして弱体化したゼスとヘルマンを見て、これ幸いとリーザスが動いてくれれば更なる混乱だって生み出せる」
「……ふむ」
効率を重視するゲイマルクの考えた作戦に。
従者コーラは思案げに顎を撫でて。
「どうかな。このプランは」
「……どうでしょうかね。ゲイマルクが想定しているようには進まないと思いますが」
しかし、その上で首を横に振る。
「ふぅん……その理由は?」
「境界線を破壊したらゼスとヘルマンに魔軍が雪崩れ込む。先程ゲイマルクはそう言いましたが、それは大きな間違いだからです」
「どうして? 魔物は魔物界に押し込められているんだろう? 邪魔な壁さえなければ──」
「勿論、世界を隔てる境界線が無くなれば多くの魔物が人間世界に侵入するでしょう。がしかしそれは魔軍ではありません。ゲイマルク、貴方は魔軍というものを勘違いしています」
コーラが首を縦に振らなかった理由。
それはひとえに人間世界で生まれ育った少年ゲイマルクの理解不足によるもの。
「魔軍というのはその名の通り軍隊、指揮系統が一本化された魔物の部隊の事を指します」
「………………」
「その為には全ての魔物に個体差を標準化する魔物兵スーツを装着させて、兵規模に応じた指揮能力を持つ魔物隊長や魔物将軍を置いて、更にその上に総指揮官となれる魔人を置いてやっと魔軍というものは完成します」
「…………ふぅん」
「そうでない限り、魔物は魔物のまま。境界線を破壊したとしても人間世界に侵入するのはただの魔物の大群に過ぎません」
魔軍とは魔物の大軍の総称、ただし魔物側に言わせればそこには明確なルールがある。
ただの魔物が兵士になって、軍隊のように指揮管理されるからこそ魔軍は魔軍。ただの魔物の群れとは一線を画する力なのである。
「……でも、それでも魔物の大群には違いないよね。それじゃ力不足ってこと?」
「恐らくは。人間よりも強い魔物が人間のような軍隊になるからこそ魔軍は驚異なのであって、指揮官のいない単なる魔物の大群では驚異度も大きく下がります」
「……指揮官」
「えぇ。実際に数年前のゼスなどでは魔軍が境界線を越えて侵入し猛威を振るいましたが、指揮官だった魔人が討伐されて、魔軍から魔物の大群に成り下がった結果、然程の時間を掛けずに国内から掃討された例などもありますからね」
魔軍を倒すには。その頭を潰して部隊全てを烏合の衆に変えてしまう。
それは幻の第二次魔人対戦において、人類を率いて戦った男が取った戦法でもあって。
「魔物の指揮か……」
「はい」
「ねぇ、それって僕には出来ないかな?」
「多分ですが無理だと思いますよ。勇者というのは魔物の対極に位置する存在ですから」
「それでもやってみなきゃわからない……とは思えない?」
「思えませんね。魔物の指揮というのは魔族間における階層構造、血の支配による上位存在からの命令によって行うものですから。単純に力で屈服させればいいというものではありませんし、そもそも今のゲイマルクにそこまでの力があるとも思えませんし」
「……言ってくれるね。まぁ事実だろうけどさ」
魔物の指揮官たるにはただ強ければ良いものではなく、そもそもゲイマルクは強くもなく。
であれば魔物が勇者に従う道理はなし。つまりゲイマルクの力で魔軍を作る事は出来ない。
「何よりも一番重要な点ですが、今は魔王がいますからね」
「……魔王ランス」
「えぇ。境界線を破壊して、解き放たれた魔物の大群がどれだけ無秩序に暴れようとも、魔王が止めてしまえばそれまでです。魔王に逆らえる魔物はいない、これに関しては絶対ですから」
魔王に挑もうとする人間が普通いないように、魔王に歯向かう魔物などもいない。
「……止めるかな、魔王が」
「さぁ。それは分かりませんが、今のところ魔王ランスが動く気配はありませんから」
「……確かに、そうだね」
「魔軍が起こる予兆もありませんし、境界線が破壊されるような事もない。つまりはそういう事なのではないですか?」
「……そっか」
今、この世界は魔物よりも人間の方がより広い土地を有している。
一部の魔物達が理不尽に感じているこの現状だって、魔王が動けばすぐにでも解決する。
それをするのも、しないのも。どこまでも全ては魔王の自由であって。
つまりは言うまでもなく、この世界は魔王のものであるという事。
「じゃあ……やっぱり、それしかない」
そして──勇者ゲイマルクは決断した。
「それとは?」
「さっきから君が言っている通りさ。魔王だよ、魔王。……魔王ランス」
狙いは人間でもなく。魔物でもなく。
予てより倒すべき相手──魔王。
「魔物を従わせるのは魔王だし、魔軍を動かすのだって魔王なんだろ?」
「えぇ」
「んでついでに言えばこの世界で一番強いのも魔王。だったらもう答えは簡単、魔王ランスに人間を殺して貰えばいい」
魔王を殺す。その目的達成の為なら倒すべき宿敵の力さえも利用する。
それがゲイマルクの辿り着いた結論。賢く、合理的な思考。
「それは……でも、どうやって」
「それをこれから考えるんだよ。けれどもそう難しい話じゃない、要するに魔王ランスが人間を皆殺しにしたくなるように仕向ければいいんだ」
「……ふむ」
「そうすれば魔王は魔軍を起こして侵攻を開始する、あるいは自ら動くかもしれないけど……いずれにせよ人間世界は地獄絵図となる」
一度魔王が動いたならば、それを止められる力なんてこの世界にはない。
抵抗儚く命の火は消えていって、そうしてその内──人類の死滅率は50%を超える。
その時こそエクスードソードの刹那モードが開放され、ゲイマルクは魔王を殺す力を得る。
「さっきも言ったけどさ、勇者である僕が人間を殺す算段をするのがそもそも間違ってるんだ。人間を殺すのは魔王ランスの役目だろ?」
「まぁ、そうですね」
「僕の役目はその魔王ランスを殺す事なんだから。僕がこんなにも真面目に勇者をしてるんだ、だったら魔王ランスにも自分の責務ってのをちゃんと果たして貰わないと」
魔王が人類の平和を脅かして──勇者がそこに光をもたらす。
それが本来の仕組み。ならばその通りにするべきなんだとゲイマルクが言う。
「人間を憎んでもらおうよ、魔王ランスには。この世界中の人間を皆殺しにしたくなるぐらい、強い強い憎しみってやつを」
「……なるほど。確かにそういう方法もありますね。……実に貴方らしい」
人間を守る為、魔王を殺す──ではなく、魔王を殺す為、人間を殺す。
そこから更に転じて、魔王を殺す為、魔王に人間への憎しみを抱かせて人間を殺させる。
魔王も、人間も。自分以外の全てを駒としか見ていない発想に従者コーラも舌を巻いた。
「となると問題となるのはその方法ですね」
「あぁそうだ。だから当面の目標として魔王ランスの事をよく調べてみよう」
人間に憎しみを抱かせる。その為には相手をよく知る必要がある。
魔王ランスは何に怒り、何に憎しみを抱くのか。言わばその弱点はどこなのか。
「巷で噂になってるけどさ、魔王ランスって元々は人間だったらしいじゃないか」
「えぇ、みたいですね」
「それなら魔王ランスの事を調査するのだってそう苦労はしないはず。なんたってほんの一年前まではこの人間世界で普通に暮らしていたって事なんだからさ」
「そうですね。人間として生きてきた痕跡はこの人間世界に必ずあるでしょう」
「魔王とは言っても元は人間なんだ、だったらいくらでもやりようはある」
人間を殺すのは慣れている。勇者ゲイマルクはふっと笑う。
「家族とか、友人とか、恋人とか、なんでもいいんだ。今となっては魔王だって、元が人間だったら大事なものの一つや二つぐらいは必ずあるはずだ」
魔王ランスが大事に思うもの──それを破壊する。
そしてその憎しみの先を人類全体に向ける。魔王が人間を皆殺しにしたくなる程に。
「ちまちま人間の数を減らしていくより、こっちの方が効率的だと思わない?」
「まぁ、確かに」
こうして──勇者の方針は決まった。
「……にしても、貴方は本当に勇者らしくない事を考えますね。ゲイマルク」