出発
ランスが過去に戻ってから一週間が経過した。
数日前、自由都市のある町でバードの殺害に成功した後、すぐにランス城へと帰還した。
その後は特に何をすることも無く、シィルを抱いたり、城内の別の女を抱いたりと、ランスはいつも通りの日常を過ごしていた。
そんな日の昼下がり、場所は城の食堂。
「どうぞランス様。ほうじ茶です」
「ん」
ランスが座るテーブルの前にシィルが入れたての湯呑を置く。
二人は先程昼食を食べ終わり、そして今は食後のブレイクタイム中。
(バードも殺してきたし、まぁこれで一安心だな)
満腹感と共にランスは脳裏で大いに頷く。
彼がこうしてわざわざ過去に戻る羽目になってしまったあの一件、祝勝会の中で起きたあの事件を回避する為の対処は済んだ。
襲撃犯がこの世から居なくなった以上、あの事件が起こる事は無くなったはずである。
(うむ。そのはず、そのはずだ)
事が済んでホッと一安心といった様子で、ランスはほうじ茶をぐいっと一口。
だがその自分好みの甘みを味わっていると、ふいにあの時のシィルの言葉が脳裏に甦った。
『実は……ランス様のいつも飲んでいるお茶……。あれ、ほんとは……ちょっと安いのなんです……』
(……む)
ランスは無言で右手を振り上げ、隣に座る奴隷の頭に拳骨を落とす。
ぽこん、とその頭からいい音が響いた。
「いたっ! え? あれ? 私、叩かれるような事をしましたか?」
「した。俺様が気付かんと思ったら大間違いだ」
訳も分からずオタオタするシィルを尻目に、ランスはふんと鼻を鳴らす。
(まったく、奴隷の分際でご主人様に安い茶を飲ませやがって。……まぁ別にまずくは無いからこのぐらいで許してやるが)
そしてほうじ茶をもう一口。普段から飲んでいる食後のお茶、これが安物だと知ったのはシィルの今際の際の言葉の切っ掛けで。
ランスの脳裏にはまだ、その時の光景が一向に消えずに焼き付いていた。
「……っ」
未だその一件から一週間足らず。考えたくなくてもつい考えてしまうのか。
ランス思わずといった感じで頭を乱暴に振るい、何となくもう一発その頭をぽこりと叩いた。
「ひん! うぅ……ひどいです……」
「うるさい、色々とお前が悪い」
(大体あの時だって、こいつが油断さえしなきゃ何も問題は無かったのだ。そうすりゃ俺様がこんな面倒な事をする必要も無かったってのに)
あの時の事を思うとどうにも苛立ちが収まらない。
涙目になって頭を押さえるシィルの姿を、ランスはぶすっとした顔で眺める。
(……ううむ。けれど考えてみたらこいつにそんな事を期待するだけ無駄か。なにせこいつは世界最強の俺様の奴隷としては不釣り合いなほどに弱っちいからな)
仮にあの場で標的となったのが自分であったなら。だとしたらバードなどに殺される事などあり得ないと断言出来る話なのだが、しかし貧弱な奴隷にとっては不可能な話で。
自分は強いがシィルは弱い。そんな分かりきっていた事を考えていると、先程考えた事だって間違っているようにも思えてきてしまう。
(でもそうだな、これで一安心って事はないような気がしてきたぞ。なんせコイツは弱っちい。むしろこんな弱っちいのによくあの戦争の中で生き残れたもんだ。……最後に死にやがったが)
この先の未来に起こる事。それは人類と魔物との全面戦争。
ランスが世界総統となり、世界中の精鋭を率いて戦った第二次魔人戦争の事。
(今回も起こるんだろうなぁ。また俺が世界を救わないとイカンのか、めんどくさい話だ。……めんどくさいが、まぁこれも英雄の宿命と思えば仕方が無い。……けど、俺様は世界最強だから問題無いとしてもこいつはどうなんだ?)
むむっと眉を顰めたランスの脳裏に、ふとセラクロラスの最後の言葉が思い浮かぶ。
その力によって過去に送られている最中、セラクロラスは過去に戻ったとしても同じように時が進むとは限らないと言っていた。
であるならば。前回の戦いでは最後の最後にシィルは殺された。だからとその原因たるバードを排除したとしても、それでもって彼女が今回の戦いの中で死なないとは言えない、という事ではなかろうか。
何せあの戦争は全世界を巻き込む規模。最終的に人類の30%以上が犠牲となった程の戦争で。
ランスの指揮の下、魔軍の総大将ケイブリスを撃破して人類の勝利とはなったが、しかしその犠牲も大きかった。前回と同じように時が進む訳じゃないのなら、今回その30%の中にシィルが入らないという保障はどこにも無い。
(……ぬぅ。全く面倒な……鈍臭い奴隷を持つと本当に苦労するな)
ランスは不満そうに唇を曲げると、未だ記憶に新しいあの戦いの事を思い出す。
相手は大量の魔物、そして魔人。単独で国を滅ぼせるような力を持つ魔人は皆強敵揃いであり、二桁にも及ぶ魔人の数を前にしてどの国も次第に追い詰められていった。
最終的に十年に一度の満ち潮を利用した決死の作戦『20海里作戦』の決行により、人類は辛くも勝利を収めたのだが、どこかで何かが違えば敗北していてもおかしくはない薄氷の勝利であった。
(……ただまぁそうは言っても、今回は一度体験した事だからな。奴らの弱点も丸分かりだし、前回よりは楽に勝てるだろう。そう考えりゃ別に大した問題では無いのだが……)
ランスは第二次魔人戦争を一度経験した。
人類の勝利と敗北、それに伴う死も。
(……戦争か。そういやぁあの戦争ではあいつも死んだのだったか)
最初にランスが思い出したのはゼス国の王、ラグナロックアーク・スーパー・ガンジーの死。
魔法ビジョンで目撃した光景、首だけになったガンジーの苦痛と無念の表情が脳裏に甦る。
(……まぁ俺としてはあんな暑苦しい奴がくたばった所でどうでもいい事なのだが。けどカオルやウィチタまで殺しやがって。……それとリズナもか。死んでは無かったが同じ事だ。あの蛇女)
ゼス王はともかくとして、同じく犠牲となったその従者達は女性、ランスにとって大事な命。
あの戦争で死ぬ事になった女性を考えると、次いでその頭の中にはある魔人の姿が浮かぶ。
(……それにシルキィちゃんもか)
それは魔人四天王、シルキィ・リトルレーズン。
リーザス王国への侵攻を行い、ランス達と刃を交えた後に人類の味方となった彼女は、魔人ホーネットの救出後に突如行方知れずとなった。
(確か勇者に殺されたんだよな。クリンちゃんがその瞬間を目撃していたみたいだが、サテラは信じようとしなかったっけな。……ムカつく。ムカつくぞクソ勇者め。シルキィちゃんとはまだたったの一回しかセックスしてなかったのに)
ランスにとって、魔人シルキィとは一度セックスをしたきりだった。彼女は中々ガードが固く、かといって魔人は素の能力が人間とは桁違いである為、強引にベッドに連れ込む事も出来やしない。
なのでどうにか理由を付けて二度目に持ち込めないかと手をこまねいていたら、その前に勇者の襲撃を受けてシルキィは殺されてしまった。
(もう一人のハウゼルちゃんはリーザスでは会えなかったし……ってそうだ、ホーネット!! ホーネットとも結局セックスしてねーじゃねーか!! あいつとはケイブリスを倒したらセックスすると約束してたのにー!!!)
戦争の最中に救出した魔人ホーネット。ランスは彼女との約束を見事に達成したので、事が落ち着き次第、それこそあの祝勝会が終わったらすぐにでも味わおうと思っていた。その矢先にあの出来事である。
(ぐぬぬぬ……せめてホーネットの事は過去に戻る前に抱いておくべきだった……。あんな美人とはそうそう出来るチャンスなど無いのに。もう一回ケイブリスを倒すにしたって最低でもあと一年後……)
最低でも一年。そんなもの短気なランスが到底辛抱出来るような時間では無い。
とそこでピーンときたのか、ランスはぽんと手を打った。
(……て、まてよ。これもバードの事と同じか。何もわざわざ待っている必要はねーよな)
一年など待てない。待てないから会いに行く。
魔人ホーネットが居るはずの魔物界、そこにこちらから乗り込んでしまえばどうか。
(前にサテラが言っとったが、ケイブリスの野郎が人間世界に攻めてくる前は魔物界で派閥に分かれて戦ってたっつー話だ。シルキィちゃんやハウゼルちゃんはホーネット派に属していたはず。ならそれに協力してやればいいじゃねーか)
我ながら素晴らしいアイディアだなと、ランスは自画自賛するように何度も頷く。
第二次魔人戦争の契機となったのはそれ以前に魔物界で起きていた戦争、派閥戦争に起因する。
ケイブリス派とホーネット派、魔物界を二分した派閥の争いの結果、ケイブリス派が勝利した事により、魔物界全土を掌握したケイブリスが人間界に進出しようとした為に第二次魔人戦争は起こった。
だとしたら第二次魔人戦争が起きていないLP7年2月今現在、魔物界ではまだ派閥戦争の真っ最中のはず。その戦いに参加して、魔人ケイブリス及びケイブリス一派を先んじて倒してしまえば良いのではないか。
(そうだそうだ、そうすりゃガンジーやシルキィちゃんが死ぬことも無い。ハウゼルちゃんとも会えるし、本来なら負けるはずのホーネット派を俺様の力で勝利に導いたとなれば、あのお堅いホーネットだって俺にメロメロになるに違いない!!)
ホーネット派に協力して派閥戦争を勝ち抜く。これが今後の行動として最適な答えに違いない。
そう決断したランスはすでに冷めかけていたほうじ茶をぐっと飲み干し、膝を叩いて勢いよく立ち上がった。
「シィール!! すぐに出掛けるぞ、ちゃっちゃと旅支度をしろ!!」
「え、あ、はい! 冒険に行くんですね!?」
ランスの声に慌ててシィルも立ち上がる。
前振りの何も無い唐突な話だが、振り回させるのに慣れている彼女は特に気にせず、冒険の準備をする為に食堂からぱたぱたと去っていく。
その後姿を見ていると、ランスは途端に考え直す事が一つあった。
(……あ、いや待てよ。こいつは城に置いて行ったほうがいいか?)
派閥戦争は魔物界で起きている戦争、つまり魔物と魔物、魔人と魔人による戦争であり、その危険さなどはあえて言うまでもない。
世界最強の自分が参戦するのは問題無い。とはいえそこにシィルを連れて行くのはどうなのか。そんな事をランスはちょっとだけ悩んだのだが、
(……ま、問題無いか、最強の俺様が居る事だし。それに主の世話をするのが奴隷の仕事だしな)
しかしすぐに考え直す。彼は何も離れる為に戻ってきた訳では無かった。
「ビスケッタさーん」
「こちらに」
今まで何処に隠れていたのか、ランスがその名を呼んだ瞬間、すぐにメイド長ビスケッタが背後に出現する。
「ちょっと出てくる」
「かしこまりました。行ってらっしゃませ。御主人様」
そうしてランスは留守をビスケッタに任せると、いつも通りに奴隷を連れて城を出発。
魔物界北部の魔王城に居るはずのホーネット派と接触する為、まずはヘルマン共和国、その西の端にある番裏の砦へと向かう事にした。