ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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影の支配者カオスマスター

 

 

 

 魔物界南西部、魔人ケイブリスの居城にて。

 

「げぇはぁはぁはぁはぁ!!!」

 

 その城の地下にある牢屋内、薄暗い個室の中で城の主たる魔人の馬鹿笑いが響いていた。

 

「良い格好だなぁ!! ホーネット!!」

 

 ケイブリス派の主、魔人ケイブリス。その魔人の眼前には今まで対立してきたホーネット派の主、魔人ホーネットが拘束されていた。

 

 派閥に属する人員の大半を動かして決行した、死の大地踏破による奇襲作戦。その作戦の甲斐あって、長年に渡って手間掛けさせられたホーネット派の主を、先日遂に捕縛する事に成功したのである。

 

 ペンゲラツリーでの激戦により、その身体中には深い傷跡が多く残る。そして特殊な結界によりその身を縛られ、身動き一つ出来ない相手の姿は、勝者と敗者のコントラストを際立たせ、ケイブリスの嗜虐性を大いに満たすものとなっていた。

 

「この俺様に逆らい続けた愚か者に相応しい姿だ。なぁ、そう思うだろ?」

 

 口の端を釣り上げて笑うケイブリスは、拘束されているホーネットの緑の髪を鷲掴み、下げられていた顔を強引に持ち上げる。

 

「………………」

 

 互いの視線が交錯するが、ホーネットは何も答えない。今自分が何を言っても、どんな表情をしても眼前の魔人を喜ばせるだけだと理解していた彼女にとって、無反応を貫く事だけが今出来る唯一の抵抗だった。

 

「すぐにでも俺様に殺されると思ってたか? 安心しろよ、まだ殺しはしねぇ。お前はホーネット派の魔人共を言いなりにするのに必要だからな」

 

 ホーネットが未だに生かされているのは、人質としての役割があるからという事ともう一つ。

 

(こいつはカミーラさんへの贈り物だからな。カミーラさん、喜んでくれるかな、えへへ……)

 

 ケイブリスの脳裏に、数千年以上前から恋い焦がれているドラゴンの魔人の姿が浮かぶ。すると途端に表情が緩みそうになりはっと気を正す。

 

 カミーラはホーネットの事を嫌っている。それを知っていたケイブリスは、その身柄をカミーラに捧げる事で好感度稼ぎをするつもりだった。

 肝心のカミーラは今もまだ行方不明でその所在は掴めていないが、ホーネット派を打ち破った今、魔物界全土を掌握したら次は人間世界の番。

 大元の目的である魔王捜索も兼ねて、人間世界の全てを制圧して捜索すれば、カミーラを発見するのも時間の問題だと言えた。

 

「ホーネット派の残党共も、リトルプリンセスも、お前が大事にしてたものは全部俺様の手でめちゃくちゃにしてやる。どうだ悔しいか、悔しいだろ?」

「……ケイブリス」

 

 リトルプリンセスの名を出した時、初めてホーネットが言葉を漏らす。その表情こそ変わらないものの、その瞳の奥には憎悪と悔恨の色があった。

 それを見て捉えたケイブリスは気分を満たしたのか、相手の髪を掴み上げていた手を開いた。

 

「まぁ、ここで大人しくしてるんだな。すぐにお前の使徒共でも連れてきて、お前の隣で死ぬまで可愛がってやるからよ。ぐぁはぁはぁはぁはぁ!!」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 地下牢で捕縛したホーネットの事を嘲笑い、自尊心や優越感といったもの満たしてきたケイブリスは、その後玉座の間に戻ってきた。

 

「ストロガノフ。前から宣言してたけどな、次はいよいよ人間共の世界に攻め込む」

 

 そこに控えていた魔物大元帥ストロガノフに、早速次の目標と行動の指示を出す。

 

「承知しております」

 

 大元帥は折り目正しく返事をする。ホーネット派を破った今、この魔物界はケイブリスが手中に収めたも同然であり、ならば次の目標は魔物界から東への進出以外に有り得ない。

 ケイブリスの野望を叶える為にと、ストロガノフは人間世界への侵攻準備も推し進めていたのだが、一つだけ障害が残っていた。

 

「ケイブリス様。ホーネット派の残党の処理が終わり次第、人間世界への侵攻が可能です」

 

 その障害とは、主を失ったホーネット派残党達。

 

「……ホーネット派の残りは、まだ投降してこねぇのかよ」

「はい。まだ何も動きが無いようです」

 

 未だ降伏してこないホーネット派残党達の事は、ストロガノフにとっての大きな誤算であった。

 ホーネット派の強い結束力、勢力的には劣りながらも高い士気によって今まで戦ってこられた理由は、その中心となるホーネットに拠る所が大きい。

 大元帥はそう考えていたので、ならば派閥の主を生け捕りにした事を知らせれば、残る者達はすぐ降伏してくるとだろうと想定していたのだが、予想に反して未だに向こうからの反応は何も無い。

 

「あいつら、まさかホーネットがやられてもまだ戦う気でいるのか? それともこの俺様が人質には手を出さないと高を括ってやがんのか?」

 

 すでに派閥戦争を終えた気分で、残るホーネット派残党との戦いなど面倒でしたくないケイブリスは、苛立たしげに口元を歪ませる。

 

「……そうだなぁ、なら次はホーネットの片目でも抉ってみるか。その姿でも見せりゃあ……て、つーかストロガノフ、それは何だ?」

 

 そこでケイブリスはようやく気づく。ストロガノフはその腕に一抱え程の小包を抱えていた。

 

「これは今から少し前に、タンザモンザツリーの方に届けられたそうです」

 

 受け取った魔物兵達の話によると、なんと敵派閥の魔人メガラスが直々に届けに来たらしい。

 小包の宛先にはケイブリスの名が書かれており、魔物兵達では処理が出来なかった為、大元帥の下に送られたという経緯だった。

 

「メガラスだと? 何であいつが俺様にこんなもんを?」

「さて、中を確認してみない事には何とも……」

「……なーんか、怪しい。それ危険物とかじゃねーだろうな。おいストロガノフ、ちょっとお前が開けてみろ」

 

 命じられたストロガノフは小さく頷き、そして躊躇なく小包の封を開く。

 その中には見慣れない機械と共に、一枚の写真が同封されていた。

 

「……これは」

 

 決して小さくは無い驚きに、大元帥の眉が動く。その写真を目にしてとっさに考えたのは、これを派閥の主に見せて良いのだろうかという事だった。

 どうにも先の展開に嫌な予感したので、出来ればこの写真はこのまま自分の所に留めて置きたかったのだが。

 

「何だそれ、俺様にも見せやがれ」

「……は」

 

 本人に命じられてはどうしようも無く、ストロガノフはそれを手渡した。

 

 

「…………な」

 

 その写真を見た途端、ケイブリスは驚愕の表情で硬直する。

 

「……な、な、なななな……!!」

 

 やがて写真を摘む手、そしてその大きな身体中全てがくがくと震え出す。

 

 その写真には、ケイブリスが愛する魔人カミーラの見た事も無いような姿が写っていた。

 気高きその魔人は無様に床に横たわり、その衣服は無残に切り裂かれて白い素肌を覗かせている。数千年もの間恋慕し続けた、魔人カミーラの際どい格好がケイブリスの興奮を掻き立てる。

 だがそれ以上に衝撃的なのは、彼女の喉元に突きつけられた剣。それは魔人であるカミーラの喉を薄く裂き、そこから血を流させていた。

 

(魔人の身体を傷つけられる武器……これはまさか、魔剣カオスか!?)

 

 魔剣カオス、魔人にとっての天敵のような剣である。この写真に写る、どこか見覚えのあるその剣が魔剣であるというなら、これは単なる想い人のセクシーな写真という訳では無くて、彼女の命の危機を伝えるものだという事だった。

 

「な、な、こ、ここ……!!」

 

 そのあまりの衝撃に「この写真は一体何なんだ」と、そんな短い台詞すら今のケイブリスは上手く喋る事が出来ず。

 

 とその時、写真と一緒に小包の中に入っていた見慣れない機械が、玉座の部屋のスミまで届くような騒々しい音を鳴らした。

 だがケイブリスにはそれが如何なる機械なのか、どう扱えばいいのかがよく分からなかった。

 

「おいうるせぇぞッ! ストロガノフ、それをどうにかしろ!!」

「は。これは恐らく、ここを……」

 

 そしてストロガノフがその機械、遠距離用魔法電話のスイッチを押した。

 

 

 

『……お。ウルザちゃん、繋がったぞこれ。……おい、そこにいるのはケイブリスか?』

 

 電話機のスピーカーから、ケイブリスにとって全く聞き覚えのない男の声が聞こえた。

 だがそんな相手の事など今はどうでもよく、頭の中はカミーラの事だけで一杯だった。

 

「お、お前! お前がこの写真を送ったのか!? こ、この、この写真はどういう事だ! 何故、か、かかカ……」

『……ほーう。その様子じゃあ、俺様からのプレゼントをしっかり受け取ってくれたようだな。この前そっちから中々ナイスな写真を頂いたからな、これはそのお返しって訳だ』

 

 男の言葉が指すのは、ホーネットを拘束した姿を写した写真の事。

 あれは派閥の主が敗北したという決定的な姿を了知させる事で、ホーネット派残党に降伏を促す為に大元帥が考えた策であり、それと同じ手を使ったのは一種の意趣返しであった。

 

『その写真の意味は分かるよな? ケイブリス、お前の大事な女は今俺様の手物にある。んでもって抱くも殺すも俺様の思いのままだ。がはははは!!』

 

 自分が数千年にも渡って恋焦がれ続けた女性は今、どこぞの誰とも知れない男の手の中にある。

 スピーカーから聞こえる男の言葉と馬鹿笑いが、ケイブリスの感情を一気に怒りの色に染めた。

 

(ぐぐぐ……!! なんでカミーラさんがこんな事に……!! 大体メディウサの奴は何をしてやがんだ、役に立たねぇクソ女めッ!!)

 

 数年前に行方不明となったカミーラ、そして逃げ回る魔王の事も含めて、ケイブリスは魔人メディウサにその捜索を命じていた。

 戦争に意欲を見せない怠惰なその魔人に、人間の世界に向かうならやる気が出るからと言われて、ならばと命じたのだがこれでは何の意味も無い。

 

 メディウサ相手に強い怒りを覚えたのも束の間、今はそんな事に苛ついている場合じゃないとケイブリスはハッと気づいた。

 今はともかくカミーラの事を、何としてもこの男の手から取り戻さなければならない。そんな思いを胸に、魔法電話の受話器を乱暴に掴んだ。

 

「テメェは一体誰だ!? 何処に居やがる!!」

『俺様か? 俺様は、そうだな……カオスマスター、とでも名乗っておくか。俺様はホーネット派の影の支配者だ』

「影の支配者だと!?」

『あぁ。ホーネットは表向きのリーダーだけどな、実際のところホーネット派を指揮しているのはこの俺様だって訳だ』

 

 その話を聞いたケイブリスは慌ててストロガノフの方を見るが、大元帥は無言で首を横に振る。

 両者共に今電話の男が語った話、ホーネット派にカオスマスターなる影の支配者が存在していたとは知らず、ホーネットが表向きのリーダーであるなど考えた事も無かった。

 

(……つーか、て事はカミーラさんは今まで、ホーネット派に捕まってたって事なのか!?)

 

 カミーラは数年前のゼス侵攻の際に行方不明になった。だからメディウサを人間世界への捜索に出したのに、ホーネット派に捕らえられていたのだとしたら見当違いも甚だしい。電話の男が語る内容に、ケイブリスの頭の中には幾つもの混乱が生じた。

 

『つー事で、この俺様が居る限りはホーネット派が負けた事にはならんのだ。けれど表向きのリーダーも大事だからな、ホーネットの事は返して貰おうか。さもないとお前の大事なカミーラがどうなっても知らんぞ』

「……テメェ、それが目的か……!」

 

 相手は暗にカミーラとホーネットを交換しろと言っているのだと、ケイブリスはすぐに理解した。そして当然、そんな要求を飲む気にはならなかった。

 その内容どうこうと言うよりも、この地上で最強の魔人である自分が、得体の知れぬ男の思い通りに動かされる事が我慢ならなかったのである。

 

「おいカオスマスター、カミーラさんを返しやがれ。じゃないとホーネットをぐちゃぐちゃに犯してぶっ殺すぞ」

『それはこっちの台詞だボケ。とっととホーネットを返さないと、カミーラを犯す。散々に犯して、部下の魔物兵達の性処理係にしてやる』

 

 ある意味似たような精神構造を持つ二人は、似たような脅し文句を相手に突きつける。

 だが先手を打って仕掛けてきた電話の男には余裕があり、突然にカミーラの危機を知らされたケイブリスにはまるで余裕が無かった。

 

「な、なんだとぉ……!! か、か、カ、カミーラさんが……ッ!!」

 

 あのカミーラが。

 数千年以上前から、魔物界はおろか世界で一番高貴な存在と言えるあの女性が、このままでは下等な魔物共に犯される。

 

(そ、そんなの、そんなの羨ましい……じゃねぇや、そんな事は絶対駄目だっ!! けれど、けれどもホーネットは……!!)

 

 ホーネットはこの度ようやくとっ捕まえた憎き相手。開放するなんてとんでもない話である。だが、そうしないとカミーラが汚されてしまう。

 

(ぐ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ!!!)

 

 恋慕の相手か。それとも憎悪の対象か。

 どちらを優先するか簡単には答えは出せず、ケイブリスは脳の血管が切れるのではないかという程に懊悩した。

 

 

『……その様子だと悩んでるみたいだな。可哀想に、カミーラの奴。カオスを突き付けられて、何度もお前に助けを求めてるってのに』

「な、何だと!? か、か、カ、カミーラさんが、俺様に助けを!?」

 

 がばっとケイブリスは伏せていた顔を上げる。思わず聞き返してしまう程に、彼にとっては信じられないような話が電話の男から聞こえた。

 

『おーそうだ。なにせ今カミーラの事を助けられるのは、この世でお前だけなんだからな』

 

 男の言葉はするりとその耳を通り、まるで魔法のようにケイブリスの脳を揺らがせる。

 

(今、カミーラさんを助けられるのは、この世にこの俺様だけ……)

 

 今までずっとカミーラに憧れてきたのだが、しかし当の本人からは見向きもされなかった。

 だがそんなカミーラがこの自分を、自分だけに助けを求めていると言う。ケイブリスの胸中に怒りとは大きく性質が異なる、何か熱いものがぐつぐつと湧き上がってきた。

 

(……ここでカミーラさんを救わなきゃ、それはもう男じゃねぇ。それにこの俺様の手に掛かりゃ、ホーネット派をもう一回潰すのなんざどうってことねぇ。そうだ、そう考えりゃ悩むまでもねぇ話じゃねぇか)

 

 行方不明だったカミーラの事は自分にとっての唯一の心配事。なので彼女さえ戻ってくれば、もう一切の後顧の憂いは無くなる。

 そしてカミーラが戻るという事は戦力も増す。ホーネットを捕らえる為に結果として魔人バボラを失ったが、それも魔人四天王の彼女が戻ってくるなら戦力的にはお釣りが出る話。

 

「……分かった。カオスマスターとか言ったな。ホーネットとカミーラさんを交換だ」

 

 色々な事を考えた結果、ケイブリスは相手の要求を受け入れる事を決めた。

 ほんの少しだけ大元帥の視線は気になったが、それでも派閥の主である自分の決断が絶対であり、文句を言わせるつもりは毛頭無かった。

 

『よっしゃ、いいだろう。分かっていると思うが妙な事は考えるなよ。ホーネットは俺様の女だから絶対に手出しするな。もし手ぇ出したらこの話は無しにするからな』

「テメェこそ、カミーラさんに指一本でも触れるんじゃねぇぞッ!!」

 

 そこはお互いにとって大事な事なのか、二人共その語気を強める。

 ケイブリスはホーネットをカミーラへ献上しようと考えていたので、戦闘での怪我こそ負っているもののまだその貞操は無事である。

 一方でカミーラはすでに指一本はおろか、その体の隅々まで味わい尽くされているのだが、それはケイブリスが知る事では無かった。

 

『んじゃあ詳しい話は部下がするから、部下に代わるぞ』

「待て!!」

 

 電話の男が受話器を別の相手に渡そうした瞬間、ケイブリスには声を荒げて待ったを掛ける。

 派閥の主たるその魔人は、この電話の男に対してどうしても言っておきたい事があった。

 

「……カオスマスター。テメェの声、覚えたからな。絶対に探し出してぶっ殺してやる。そん時に泣き喚いても容赦しねぇ。地獄を見せてやるよ」

『……言ってろ』

 

 それきりスピーカーから聞こえる声は、利発そうな女性のものに代わった為、ケイブリスも受話器を大元帥に投げた。

 

 

 

 

 

 

 


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