「ホーネット様。お身体の調子はどうですか?」
「大分、良くなってきています。サテラ、貴女には心配を掛けましたね」
サテラの言葉に、ホーネットは僅かに微笑を乗せて返した。
ある日の魔王城。
彼女達は、ホーネットの部屋でティータイムを楽しんでいた。
「ホーネット様とこうしてお茶会をするの、結構久しぶりですね」
「そうですね。戦いが始まってからは、あまりこういった時間を取る事は出来なくなりましたからね」
朗らかに会話を楽しんでいる、二人の表情は普段よりも柔らかい。特にホーネットがそうした様子を見せるのは、このような身内の前だけである。
まだ前魔王ガイが健在であった頃、魔物界は今より穏やかで、ホーネットは親友のサテラや気心の知れた者達と、時折こうした時間を楽しんでいた。
しかし派閥戦争が始まってしまうと、派閥内で最強の戦力である彼女は前線に出る事が多く、中々こうして集まる事は出来なかった。
今回のお茶会は怪我の功名とはいえ、静養中のホーネットの気晴らしにはあつらえ向きだった。
「このビスケット、美味しいですね」
「どうやらケイコが焼いたそうですよ」
テーブルの皿に置かれたホーネットの使徒手製のお菓子を、サテラの手がひょいと摘む。それをもぐもぐと食べながら、彼女はすぐ隣に目を向ける。
「それにしても……」
自分の隣の席に座っている、一緒にティータイムを楽しんでいる筈なのに一言も発していない、その魔人の様子がサテラの気を引いていた。
「おーい」
「………………」
聞こえているのかいないのか。全く微動だにしないその魔人の様子に、サテラは正面に座るホーネットと顔を見合わせる。
そしてこほん、と一つ咳払いをして、彼女は再度より強めに声を掛けた。
「……シルキィ、一体どうしたんだ?」
「……あ、うん。何?」
お茶会のもう一人の参加者、魔人シルキィ。
テーブルクロスに突き刺さっていた視線を、はっとしたようにサテラに向けた彼女の声は、誰がどう聞いても生返事だった。
「何って言うか……珍しいな、シルキィがそんなふうにぼーっとしてるなんて」
「そ、そうね。ちょっと色々あって……」
シルキィは慌てて取り繕い、ビスケットを一つ摘む。ぱくりと齧るがその味も分からないと言いたげな程に、彼女の表情は冴えないものだった。
(……うーん。どうしたものかしら……)
ある事が原因で思い悩むその魔人の眉間には、久々の身内とのお茶会という場所には似合わない、小さなしわが出来ていた。
ホーネットとサテラの何気ない会話を半ば聞き流しながら、シルキィは昨夜の事を思い出す。
◇ ◇ ◇
昨夜。
ばたーん。と、シルキィの部屋のドアが乱暴に開かれる。
就寝時間となり、ベッドに入って眠っていた部屋の主は、その音で微睡みから叩き起こされた。
「感謝が足りん」
勝手に部屋の明かりまで付けた訪問客のランスは、開口一番そう言い放った。
「……こんな時間に、いきなりどうしたの」
シルキィがベッドからのそのそと身体を起こし、しぱしぱする目を擦って眠気を払う。すると彼女の瞳に映ったその男の表情は、見るからに不機嫌といったものであった。
「ここの奴らは、恩人に対する感謝の念が足りんと言っているのだ。シルキィちゃん、俺様はホーネット派の救世主の筈だ、そうだよな?」
「え、えぇ。そうね」
ランスの言葉にシルキィは間髪入れずに頷く。その男の閃きによって立てられた作戦のお陰で、派閥の主たるホーネットを救出する事が出来た。
その事に何一つ間違いは無く、ランスがホーネット派の救世主だと自負しても、シルキィはそれを否定する気分にはならなかった。
「だろう? だったらもっとこう、相応の態度ってもんがあるだろう。ホーネットなんざ折角助けてやったのに、殆ど対応が変わってなかったぞ。普通、助けて貰ったら恩を感じて、相手にメロメロになる筈だろうに」
「……それは、ちょっと短絡的過ぎるような気がするけど……」
「いーや、そういうもんだ。助けられたら、相手に惚れる! これは法律で決まっている事なんだぞ」
そんな法律どこの国の話だと思ったが、その一方でシルキィは、相手の言葉にも一理ある気がした。勿論惚れる云々の事では無くて、その少し前の言葉についてである。
「でも、そうね。……うん。貴方の言いたい事は分かった。……ランスさん、ちょっとこっちに来て」
小さく微笑んだシルキィは、右手を軽く動かしてちょいちょいと手招きする。
「あん、何だ……む」
ベッドの脇まで近寄って来たランスの頭に手を伸ばし、両手で優しく包み込む。
そしてそのまま自分の胸元に寄せて、まるで愛おしむかのようにぎゅっと抱き抱えた。
「……感謝してる、本当に感謝してるわ。貴方が居なかったら、私はこの先ずっと後悔する所だった。ありがとう、ランスさん」
ランスが初めて聞いたのでは無いかと思う程に、穏やかな声色で伝えられたそれは、シルキィにとっての偽りの無い本心そのもの。
派閥の主が捕らえられるという絶体絶命の危機、その窮地を軽々と打開してくれたランスに対して、シルキィは感謝していた。それはもう一言では表せない位に、とても感謝していた。
大切な主を救ってくれた事に彼女が感謝していない筈が無く、相応の態度で示せと言うのなら、その想いをきちんと伝えるのは彼女にとって当たり前の事だった。
「おお、そうかそうか。うむ、君は素直で宜しい。俺様を部屋から追い出すサテラとは大違いだ」
「サテラだって、きっと貴方に感謝してるのよ? ただほら、あの子はちょっと照れ屋だから……」
サテラはあの性格なので、気持ちとは裏腹の態度を取ってしまう事もあるが、内心は自分と同じだろうとシルキィは思っている。むしろ親友と呼ぶ程にホーネットと近しい分、その想いは自分以上かも知れない。
「サテラだけじゃないわ。皆も同じ気持ちだと思う。ハウゼルは勿論、メガラスやガルティアもきっとね」
「最後の二匹はどーでもいいが、だがまぁ当然だな。俺様はホーネット派の救世主だからな」
シルキィの言葉に気分を良くしたランスは、その胸元に抱き抱えられているのを良い事に、頰をすりすりと上下に動かし、彼女の慎ましやかな胸の感触を心地よさそうに味わう。
そのセクハラにも文句を言う気分にはならなかったのか、シルキィはそんなランスの頭をよしよしと優しく撫でながら、ふとこの先の展開を想像した。
(……こんな時間に、この人が私の部屋に来たって事は……)
十中八九、と言うかまず間違い無く、この後すぐ彼と体を重ねる事になるのだろう。それは今までの経験からして確信が持てる。
(……まぁ、いいんだけどね。私が約束した事でもあるし)
ランスの女になってもいい、そう約束したのは他ならぬ自分である。
それに加えて、これはあまり自覚したく無い事ではあるのだが、何度か経験を持った事で、性交に対する心理的抵抗も徐々に薄れてきていた。
たださすがに時間も時間なので、あまり明日に響かないよう抑えめにしてくれると嬉しい。
そんな事をシルキィはぼんやりと考えていたのだが、ランスはまだ事に及ぶような素振りを見せず、彼女の胸元に顔を置いたまま口を開いた。
「俺様は凄いだろう、シルキィちゃん。ガルティアの引き抜きに加え、ホーネットの救出までしちまうなんてな」
「そうね。ガルティアの時から思っていたけど、本当に貴方が味方になってくれて良かったわ」
「そうだろう、そうだろう。なら、もっと感謝していいぞ」
「もっと? そうね……」
少々子供じみた要望であったが、シルキィは言われた通りに更なる感謝の言葉を口にする。
「感謝してる、すっごく感謝してます。ありがとう、ランスさん」
「いーや、もっとだ。まだ足りん」
「もー……感謝してるってば。これ以上は言葉に出来ないくらい、本当に感謝してるから」
シルキィはどこまでも優しく、胸元に抱えた相手の頭をより丁寧になでなでする。
妙に感謝の気持ちを要求してくるランスに対しても、彼女はちゃんと付き合ってあげていたのだが、一つ思う事があった。
(なんか、前置きが長いような……)
この男の事、普段であれば「感謝しているならヤラせろっ!」と、すぐにでも襲い掛かって来そうなものなのだが、未だその気配が無い事に、彼女は引っ掛かりを感じていた。
「……でな。シルキィちゃん、君は俺様に凄く感謝している訳だ」
「えぇ、もちろん」
「うむ。んで俺様はホーネットを助けた、つまり俺様は頑張った。俺様は以前君とした約束以上に、更に頑張ったのだ……と、言う事はだ」
そこでようやくランスはその胸元から顔を上げる。するとその目には企みの色があった。
「俺様に対してとても感謝している君は、もはや俺様の女を通り越して、俺様の言う事なら何でも聞いちゃう気になったという事だな?」
「……なるほど。そういう事ね」
ここにきてシルキィはランスの魂胆を理解した。以前番裏の砦で交わしたあの約束、それ以上の働きをした事を理由に、さらにもっとすごい事をさせろと要求しているのだ。
そもそも以前の約束により、彼に抱かれる事に関しては了承している。にもかかわらず、わざわざここまで恩着せがましく言ってくるという事は、何か余程キツい行為でも要求されるのだろうか。率直に言って少し怖い気がした。
(……けれど、いいわ。覚悟は出来た)
押しも押されもせぬ魔人四天王、そんな彼女の瞳に気合が宿る。
自分がランスに対して抱く感謝の気持ちは、紛うことなき本物である。元より抱かれる事は約束していた事であるし、多少その内容が激し目になるからといって、逃げるつもりなど無かった。
「……分かった。何をしたいの? 言っても無駄かもしれないけど、あんまり変な事はしないでよね」
「おぉ、シルキィちゃんは話が早くて助かるな。んじゃあ、一つ君に協力して欲しい事があるのだ」
「……え、協力?」
協力して欲しい事とは何だろう。この男が先程のような大袈裟な前振りをしてきたからには、間違いなく性交渉についての要求だと思っていたのだが、もしや違うのだろうかと、シルキィは思わず小首を傾げる。
そんな彼女の耳元に口を寄せ、ランスはごにょごにょと呟いた。
「実はな……」
「ほ、ホーネット様を口説くのに協力しろ!?」
それは、シルキィに素っ頓狂な声を出させてしまう程の、驚きの内容だった。
「うむ。あの堅物はちょっと俺様一人の手に余る。このままでは可能性が感じられないので、ここは一つ、攻め方を変えてみようと思う」
「いや、知らないけど……」
「だがそれには協力者が必要なのだ。まぁ別に君じゃなくて、サテラでも良かったのだが……」
「な、ちょ、駄目よっ! サテラにそんな事頼んじゃ……!」
ランスに特別な想いを抱いているだろうサテラに対して、親友であるホーネットを口説き落とすのに協力させる。いくら何でもそれは可哀想だと思ったシルキィは、慌てた様子で口を挟んだ。
「ぶっちゃけ俺様もサテラはあんま協力してくれるか自信無い。そこで君の出番だ、君はホーネットと付き合いも長いだろうから適任だろう」
「そりゃまぁ、ホーネット様の事は生まれた時から知っているけど、適任かどうかは……」
「いや、君しかいない。俺様の良い所をホーネットに吹き込んで、あいつが俺様にメロメロになるよう仕向けてくれ」
ランスはシルキィの小さな肩をがっちりと両手で掴んで、彼女が頭痛を覚えてしまうようなむちゃくちゃな話を、平然とした顔で言い放つ。
驚きの展開に混乱するシルキィは、それでも何とか話を呑み込む。彼女には協力どうこうの前にランスに聞きたい事があった。
「ちょ、ちょっと待ってランスさん。その以前にその、ホーネット様を口説くって、本気なの?」
「当たり前だ、俺様はこんな事で冗談は言わん。ホーネットは絶対に俺様の女にする」
「……貴方って、見境無いの?」
「無い」
見境など、ランスは生まれてこの方一度も持った事が無かった。
シルキィにとっては、あのホーネットを口説こうと考える事自体驚くべき話。自分が仮に男性だったとしても、とてもそんな事は恐れ多くて出来るとは思えない。
(……でもそっか。ランスさんって、魔人四天王の私にも、自分の女になれって言うような人なんだっけ)
ホーネットは同性の目から見ても美しい魔人である。色々規格外なこの男であれば、手を出そうと考えても不思議ではない。
彼女はランスとの初対面の時の事を思い出して、割とすんなりと納得した。
「けれど、協力しろって言われても……」
「先に言っとくが、協力出来ないってのは無しだぞ。俺様に感謝してるんだろ? なら、それを行動で示して貰わないとな」
「そ、そりゃ感謝はしてるけど、……う、うーん」
それを言われると弱いシルキィはたじろぎ、とても悩ましげに眉根を寄せる。
彼女は本当にランスに感謝をしていた為、自身がランスの為に何かをすると言うのなら、余程の事で無い限りは応えようと思っていた。
しかし、そこに他人が絡むとなると即答は出来ない、特に派閥の主に関する事なら尚更である。
(ホーネット様が、ランスさんの女に、かぁ……)
シルキィは思う。自分は別に、ホーネットにそういう相手が出来る事を否定している訳では無い。そもそもそんな事、自分が関わる事では無いからだ。
男女間のお付き合いというのは、一対一の清く正しいものであるべきだとは思うが、それはあくまで自分がそう思うだけであり、その考えを相手に押し付けるつもりなども無い。
あの魔人筆頭が自ら選んだ相手であったら、ランスだろうがその辺の誰であろうが、別に誰だって構わないと思っている。
と、言うのが建前であり、本音を言えばちょっとだけ口出ししたい気持ちがあった。
「私、ホーネット様にはもっと、誠実な人が合っていると思うのだけど」
「ならば俺様で構わないだろう。俺様以上に誠実な男など、この世界には存在しないからな」
「……それ、本気で言ってる?」
「おう」
シルキィはぐぐっとランスの顔を覗き込むが、驚く事にその男の表情は至極真面目で、デタラメを言っているつもりは無いというのが伝わってきた。
あぁ、この人は恐らく、誠実という言葉の意味を知らないのだろう。そんな事を思った魔人四天王は、深い溜息を吐き出した。
「という事で、いっちょ協力を頼むな。よし、んじゃあ話は終わりだ。さてっと……」
「わ、ちょっと、何?」
ランスはシルキィの小柄な身体を押し倒す。
二人が今まで会話をしていたのはベッドの上であって、次に何が始まるかは明白だった。
「あ……やっぱり、するの?」
「そりゃ、するだろ」
当たり前の事を言わせるなとばかりに、その男は彼女の上に覆い被さってきた。
「ぐふふふふ、シルキィとするのは久しぶりだからな。今夜は眠れないと思えよ!!」
ランスにとって、シルキィとのセックスは彼女が戦いに行って以降ご無沙汰である。そんな事もあってか、早速普段よりも激し目に唇を重ねた。
有無を言わせず口内に侵入してくる舌の感触を味わいながら、やっぱり誠実という言葉とは程遠い人だなとシルキィは思った。
◇ ◇ ◇
そして宣言通りに寝不足にされてしまったシルキィの頭の中が、そんな昨夜の出来事から、目の前のお茶会へと戻ってきた。
サテラと会話をしている、ホーネットの透き通るような金の瞳を一度眺め、彼女は内心で嘆息する。
(口説くのに協力しろ、って言われてもねぇ……)
ランスの良い所を伝えて、ホーネットの事をメロメロにする。そんな事を頼まれた訳だが、あの男の良い所を挙げるというのはかなりの難題である。
そしてなにより自分がそんな事を伝えた所で、あの魔人筆頭がメロメロになってしまうなどと、とても彼女には考えられなかった。
ランスに対しては感謝の想いがあるから、出来る事なら協力してあげたい気持ちはある。
だがそうは言ってもこの事は、自分の力でどうにか出来る範疇を大幅に超えているのでは無いだろうか。更に言うと、サテラにもなんか悪い気がする。
そのような事を、お茶会が始まる前からあれこれずっと考えていたシルキィ。
そんな悩める魔人四天王の事を、いつの間にかホーネットの瞳が見つめていた。
「……そういえば、シルキィ。それにサテラもですが……」
そんな言葉から、ホーネットがいつもと変わらない声色で先を続けた。
「二人は、あの男と性行為を行ったそうですね」
その言葉に、シルキィは心臓が飛び上がるような感覚がした。それと同時に、けふっと、隣から声が聞こえた。
紅茶を飲んでいなくて良かった。とっさに彼女はそんな益体も無い事を思った。もし紅茶を含んでいたら、サテラのように自分も吹き出してしまっていたかもしれない。それ位に衝撃的な言葉だった。
「ほ、ホーネット様……! そ、そ、それ、どうして……!!」
「本人から聞きました。曰く、貴女達二人は自分とすでに、やりまくりだと」
魔人四天王のしどろもどろな問いに、魔人筆頭はなんでもなさそうな様子で答える。
すでに茹で上がっている隣のサテラは元より、自分の顔も熱くなっているだろう気がしたシルキィは、その元凶の姿を思い浮かべた。
(ちょっと、もうっ! 何であの人はそういう事を、よりにもよってホーネット様に言うの!!)
脳裏でがははーと笑う、あの口の大きい顔を一度引っ叩いてやりたい。思わずそんな事を考えてしまったシルキィは頭を抱える。
何と言ってホーネットに弁明するべきだろうか、適切な言葉が思い付かなかったが、言い訳をしない訳にもいかなかった。
「あ、あのですねホーネット様。これは、その、えーと……」
「シルキィ、勘違いしないでください。私は苦言を呈している訳ではありません。貴女達が誰に肌を許そうと、それは貴女達の自由で問題は無い筈です」
「そう、です……ね」
魔人二人が一人の男とやりまくりというのは、魔王城内の風紀や一般的な秩序の面から考えると、問題があるのではなかろうか。
シルキィはそう思ったが、ホーネットが納得しているならと、とりあえず同意しておく事にした。
(……けれど、じゃあ一体さっきの話は……)
てっきり叱られるのかと思ったが、違うというなら先の話はどのような意図なのだろうか。
シルキィは動揺を落ち着ける為、テーブルにあった紅茶を一口飲む。だがその選択は間違いだった。
「……私も、あの男に抱かれた方が良いのでしょうか」
今度こそ紅茶が喉の変な所に入り、シルキィは咽返ってしまった。
(ええー! ちょ、ちょっと待ってよ!! ランスさんは可能性が無いって言ってたけど……!)
これは本人が思っているよりも、脈有りなのではないだろうか。
咳き込みながらそんな事を思うシルキィの一方で、隣に居たサテラは誰が見ても分かる程に狼狽しており、彼女の動揺は相当なものだった。
「な、ななな、ほ、ほ、ホーネット様っ! なんで、そんな……!」
「サテラ、落ち着きなさい。単なる褒美です。先日一度断ったのですが、私が派閥の主であり、あの男が派閥の協力者である以上、その働きにそろそろ何か示す必要があるかと思ったのです」
あぁそういう事かと、得心がいったシルキィはホッと胸を撫で下ろす。
よもやランスの妄言通りに、助けて貰ったからとホーネットはメロメロになってしまったのかと一瞬考えたが、どうやらそういう話では無いらしい。
「ホーネット様、そんな必要は無いです! 褒美というならその、さ、サテラが与えときますから!」
「……しかし、あの男は私を抱く為に私を助けたと言っていました。以前にカミーラを退治したのもあの男という話ですが、封印していた魔人を解き放つなど、人間にとっては相当な決断の筈。それなのにこのままでいいのかと、少し悩んでいるのです」
そう言ってホーネットは、視線をティーカップに落として沈黙する。
(ホーネット様……)
その横顔をシルキィは複雑な思いで見つめる。恐らくホーネットは、派閥を敗北の危機に晒した事への悔恨の念と、その窮地を救ってくれたランスに対して、自分と同等かそれ以上の想いを抱いているのだろう。
派閥の主としての立場や、今までの人間に対しての接し方、そしてランス個人への心情など、色々なものが複雑に絡みあって、その褒美を与えるかどうか悩んでいるのだろうとシルキィは思った。
(……どうしよう。ランスさんの事を考えたら、ホーネット様の背中を押すべきなんだろうけど……)
ホーネットの考えが揺れている今、ここで自分が声を上げて説得すれば、ランスが歓喜しそうな展開にもなりそうな気がする。
派閥に対し計り知れない貢献をした事は事実であるし、そんな褒美があってもいいのかもしれないと、思う気持ちも少しはある。
(……けど、それがホーネット様の為になるかと言うと……)
シルキィにとってホーネットは、派閥の主である前に、自分の大事な人が大事にしていた娘である。褒美なんていう扱いで貞操を捧げさせていいのかと、そんなふうに悩む気持ちもあった。
(……だめだ、とても私には決められない。というか、やっぱりこういう話は本人の気持ちが一番大事よね、うん)
決断は当人に委ねるのが自然な形だろうと、ランスとホーネットのどちらを選ぶ事も出来なかったシルキィは、若干責任逃れの思考が混じりつつも、そういう方向でホーネットに助言する事にした。
「……ホーネット様。どうするべきか、私には分かりません。ですがその事については、ホーネット様のお気持ちが一番大事なのではと思います」
その言葉に、ホーネットが顔を上げる。
「私の、気持ち……」
「はい。ホーネット様のお立場を考えると、難しいかも知れませんが……」
ホーネットは普段から物事を考える時、自分の使命を最優先にしている事をシルキィは知っている。しかしこういう事に関しては、使命よりも自分の気持ちを優先して決めるべき事だと、そんな思いから出た言葉だった。
「……そうですね。少し、私の気持ちを考えてみます」
そう言って、ホーネットは感謝の気持ちを表すように嫋やかに微笑む。
その表情はとても魅力的で、ランスが惹かれるのも無理無い話だとシルキィは思った。
それと同時に、この事がもしランスに知られたら「俺様に協力しろと言ったのに!」と、そんな言葉で責められるだろう気がした。
そしてその後の展開も何となく分かる。お仕置きだ、などと言って、自分を抱え上げてベッドに向かおうとするのだろう。
その時はもう素直に従おう。少なくとも、ホーネットの事を想うかランスの希望に沿うのか。そんな決断を自分がするよりは、はるかにその方が気が楽だとシルキィは考えざるを得なかった。