「……つー流れでな。この前、俺様はハウゼルを抱いた訳だ」
「…………」
「ハウゼルはほっかほかで気持ち良かったぞ。ハウゼルがああだという事は、サイゼルはひんやりしてるかもな。ううむ、興味あるな」
「…………」
「あの子は慣れてない様子で、終始ガチガチだった。けど、そういう子もたまには悪くないな……て、おい。聞いてんのか、ホーネット」
「……それを、私に報告する必要はありません」
得意げな様子で語られるランスの自慢話に、ホーネットは静かに目をつぶって答えた。
ある日の魔王城。
ランスはホーネットの部屋に来ていた。
これまで怪我の治療の為に療養していた派閥の主だが、そろそろ復調して戦いの場に出る事になりそう。先日の風呂場でそんな話を耳にした。
ホーネットが一度魔王城を離れると、次またいつ会えるか分からない。なのでこれはいかんと、ランスは急ぎ彼女の部屋を訪れた。
室内に居たホーネットはいつもの様子、落ち着いた雰囲気の中でソファに腰掛け紅茶を嗜んでいたのだが、以前はその身にしていた包帯も取れ、前より顔色も良くなり、確かに万全の時と変わらないように見えた。
ランスは毎度の様に彼女の正面に座り、毎度の様に口説いていたのだが、今回に限っては特に自慢する話が無かったので、とりあえず先日のハウゼルとの情事を話してみた。
とても女性に聞かせるべきで無いような事を、ぺらぺらとランスが話して居る間、ホーネットは終始無言で紅茶の味を楽しむ事に集中していたが、ランスの話が途切れたのを見て彼女は口を開いた。
「……その話は、まだ続くのですか?」
「もっちろん、ここからが大事な所だ。それとも別の子の話にするか? そうだな、サテラとか」
「いえ、どちらも結構です。それより……」
ティーカップをテーブルに置き、ホーネットは姿勢を正すとその目をランスに合わせる。
「貴方は結局、何が言いたいのですか?」
「何を言いたいのか、分からないというなら教えてやろうか。俺様は魔王城に来てから、シルキィ、サテラ、ハウゼルを抱いた訳だ」
「……残るは私、という事ですか」
ホーネットの呟きに「その通りだ!!」と、ランスは気合の入った大声で返事をする。
特別順序立てて動いていたつもりでは無いが、やはり最後に残るのは目の前のこいつだろうと、当初からランスには確信めいた予感があった。
「ホーネットよ、ぜーったい気持ち良くしてやる。絶対に後悔はさせないから、一回、一回だけでもどうだ」
「………………」
「なら先っちょ、先っちょだけでも」
「………………」
果たして、それならばと答える女性が世に居るのかどうか。
ランスの効き目の無さそうな口説き文句を前に、ホーネットはふぅ、と小さな吐息をついた。
「……相変わらずの弁えない態度、……変わらないですね、貴方は」
「あん? そりゃまぁ、変わる理由が無いしな」
「……そうですか」
問い掛けの意図がよく分からず、顔に疑問符を浮かべるランス。
その一方でホーネットは静かに瞼を閉じる。彼女が今の言葉を口にしたのは、眼前の男には変化が無い事に対して、自分には変化が生じているのだという自覚があるからだった。
今から少し前の事。今と同じようにランスはこの部屋を訪れ、そして相変わらずな要求をした。
派閥の主を助けた事への褒美を寄越せ、要はセックスさせろとねだるランスに、ホーネットはその時返答に窮して結局は拒絶をした。
だがその後、果たしてそれで良かったのだろうかと少し思う所があった彼女は、旧知の仲の魔人に対してその悩みを打ち明けた。
彼女よりも長く時を生き、人生経験が豊富であろうシルキィは、そういう事に関しては自分の気持ちが大事だと言っていた。そこでホーネットはそれから少し、静養中の特にする事が無い日々の中で、自身の心の内を確かめていた。
(私の気持ち……。私は、この男とそういう事をしたいとは思っていないはず)
そのはずだとホーネットは思う。どうにも断定する事が出来ないのは、今までちっとも省みる事の無かった自身の心情について、自分の事ながら判断するのが難しい事と、その判断基準となる価値観が少し揺らいでしまった事にある。
予てより、自分と人間は格が違うので交わる事は無いだろうと考えていた。しかし前にランスと話した時、あまりその事は関係が無いと言われて、その言葉に一理あると納得してしまった。
だがそうなると、一体何でもって判断すればいいのだろうか。そもそも彼女には性交の経験が無い。それがどのようなものか知識でしか知らず、特別な思い入れなど何も無い。
結局の所、拒む気持ちも求める気持ちもどちらとも、自分の中には無いような気がしていた。
(けれど……)
「………………」
「……何だよ、睨むなよ」
「睨んではいません。見ているだけです」
怪訝そうな様子のランスの顔を、ホーネットはじっと見つめる。
そうしていると、何かしらの想いが自分の内にあるのだと、彼女は確かに感じていた。
以前、シルキィとサテラが城にランス達を連れて来た時。初めて顔を合わせたあの時。
初対面の時にホーネットがランスから受けた印象は、魔剣カオスを所持する礼節を知らない者。その程度であって、専らその興味は魔剣の方にあり、ランスはその付属品のようにしか見ていなかった。
だがその時から二ヶ月と少し、その中で色々な事があった。特にここまで七年の月日の中で、割と緩やかに経過してきた派閥間の争いに関しては激変があったと言える。
そんな中で自分の心境にも変化があったのか、以前はランスを前にしても何も思う事は無かったのだが、今こうして目の間にした時、今までには感じる事の無かった想いがある。
それがどのようなものなのか、自分の気持ちを率直に考えたホーネットは一つ答えを出した。
(私は、この男の事を……知りたい。と、そう思っているのかもしれない)
自分は目の前の男に興味を抱いている。その事は確かだろうと感じていた。
魔王城という特殊な環境で育ったホーネットは、人間の男というものを数える程度しか目にした事が無い。しかしそんな彼女でも、ランスという男が一般人の基準からかけ離れている事は理解出来る。
普通の人間であれば、魔人筆頭を抱く為にと魔物界に乗り込んだりなどするはずが無いし、その為に捕獲していた魔人四天王を解放する事もしないし、そもそも出来ないからである。
そのような事を易々と行い、派閥の現状を変化させていくランスに対して、自分が興味を持つ事はある種当然かもしれないとホーネットは感じていた。
「………………」
「……だから、睨むなっての」
「ですから、睨んではいません」
どこか間が抜けたやり取りを二人が繰り返したその時、部屋のドアがコンコンと叩かれた。
「失礼します。ここにランスさんが居ると聞きまして。少し宜しいですか?」
「お、ウルザちゃんだ。ホーネット、開けていいか?」
「えぇ、構いませんよ」
部屋の主の許可を得たランスは、ソファから立ち上がって部屋のドアを開く。
廊下に居たその女性は普段から真面目な表情を、少し強張らせているように見えた。
「おう、どーしたウルザちゃん。中に入れよ」
「いえ。ランスさん、こちらに来てくれますか」
ウルサは室内に入るより廊下での立ち話を望んでいる様子だったので、彼女の言葉に促されたランスは一度ホーネットの部屋を出た。
◇ ◇ ◇
魔人筆頭の部屋から少し離れた廊下の隅に、二人の人間の影が並ぶ。
「なんだ、ホーネットには聞かせられない話か?」
「そうでは無いのですが、最初にランスさんが判断した方がいいと思ったので。……ランスさん、私が以前、キナニ砂漠の調査をゼスに依頼しておくと言ったのは覚えてますか?」
「あー、そういやそんな事言ってたなぁ。て事は、シャングリラが見つかったか?」
「……実は」
緊張に満ちた声で、ウルザが重要な要件を話す。
話し終わった時には彼女だけではなく、ランスの表情も真剣な顔付きに変わっていた。
「……なんだと、それはマジか」
「はい。ゼスは過去あった事件の影響から、この魔人についての情報は多く揃っています。調査隊が確認した様々な特徴から判断して、まず間違いないとの事です」
以前ウルザはランスから聞いた情報を元に、キナニ砂漠とそこに隠された都市、シャングリラの調査をゼス王国に依頼していた。そしてつい先程、その結果報告が遠距離用魔法電話によって伝えられた。
その報告によると、確かにシャングリラなる都市が存在しており、その都市の内部で、何とケイブリス派に属する魔人の一体を発見したとの事だった。
加えてその魔人は大軍を率いてはおらず、都市内部には最低限の魔物兵しか居ないという話。
さらに言うとその魔人は、以前にランスが念押しして討伐する事を宣言していた魔人であった。そこでウルザはその報告を聞いてすぐ、ランスにその事を伝えに来たのだった。
「……どうしますか、ランスさん」
張り詰めた空気の中、彼女はあくまで軍師として決断はランスに委ねたが、その瞳の奥では一刻も早い対処を取る事を望んでいた。
その魔人は今より百年以上も前の話になるが、ゼス王国内で大暴れした魔人である。ゼス生まれのウルザはその脅威を十分に理解しており、それが人間世界の中央部に位置するシャングリラに居るという現状は、とても看過出来るものでは無かった。
「……そりゃあ、こんな絶好の機会、利用するに決まってるよな」
ランスにとっても当初から討伐したかった魔人であるし、それが僅かな手勢だけで人間世界に居るなら、退治しに行かない理由が見つからない。ではあるのだが、
「……けど、どうすっかな」
しかし難しい表情で腕を組む。今すぐにでも倒しに行きたいのだが、その一方で懸念もあった。
敵は魔人。当然ながら楽に勝てる相手では無く、前回戦った時も相応に苦労させられた。そして何よりあの魔人には弱点らしい弱点が見当たらず、得意の人質作戦なども通用しそうな相手では無い為、ランスでも力押ししか選択肢が思い付かない。
それでも前回の時は、人類の総戦力を結集した魔人討伐隊を率いていた事もあって、その魔人を討伐する事が出来た。だがそれはあくまで前回の話、今そのような戦力はランスの下には無い。
「なぁウルザちゃん。俺とシィルとかなみと君だけで、何とか出来ると思うか?」
「……一度戦った経験のあるランスさんの方が詳しいのではと思いますが、さすがに魔人相手にそれでは厳しいかと」
「だよなぁ。……て事はあれか、また各国から戦力を集めにゃならんのか」
足りないのなら何処かから引っ張ってくるしか無い。そんなつもりで言ったランスの言葉に、ウルザは予想外の事を耳にしたような表情となった。
「各国から、ですか? しかし、現状は戦争など起きていない段階です。どこの国にも属していないシャングリラまで、どのような理由で各国に兵を出させるつもりですか?」
「知らん!! ……けどまぁ、無理ではないだろ。俺様は全ての国に大きな貸しがある訳だし」
リーザスにも、自由都市にも、ゼスにも、ヘルマンにもJAPANにも。
各国に顔が利く自分の呼び掛けならば、多少のいざこざはあるかも知れないが、それでも可能な事だろうとランスは考えていた。だが、それでもウルザは納得した様子を見せなかった。
「仮に各国が兵を出したとして、それを各国がどのようにしてシャングリラに送るかという問題もあります」
「んなの、現地まで歩いてきゃいいじゃねーか。シャングリラは大陸の真ん中にあるんだし」
「それが、キナニ砂漠を通りシャングリラに辿り着くには、特殊なルートを知る砂漠案内人の協力が必要になります。協力を取り付ける事が出来た砂漠案内人は現状一人しか居ないので、各国がそれぞれの道のりでシャングリラに辿り着くのは不可能です」
「……そういやぁ、そんなんだったっけ?」
一度経験したもののそんな細かい事はもはや覚えておらず、ランスはぽりぽりと頭を掻く。
だがウルザの言葉は事実であって、キナニ砂漠に隠された都市、シャングリラに辿り着くには正しいルートを通る必要があり、砂漠を適当に彷徨っているだけではたどり着く事は出来ない。
「なら一度ランス城に集合して、それから……なんか面倒だな。てか別に各国である必要はねーか。ウルザちゃん、ゼスに協力を頼むのはどうだ?」
「ゼスにですか? まぁ確かに、一国であれば揉め事も少なくスムーズに話は進みますが……。しかし、ゼスの戦力で平気なのですか?」
「四将軍とかマジックとか呼べば大丈夫だろ。それとも、自国の戦力に自信が無いのかね君は」
愛国心が強いウルザが自国の戦力を不安視するような発言をした事に、ランスは妙に感じたが、付き合いの長いその軍師が危惧していたのは戦力の強さなどでは無く、もっと別の部分だった。
「いえ、そういう事では無くてですね。四将軍やマジック様、そして私やかなみさんやシィルさんだと、後衛ばかりで前衛が居ません。すると一人前で戦うランスさんの負担が相当な事に……」
「パス。確かにそりゃ駄目だ」
ランスは即座に斬って捨てる。ゼスは魔法使いの国であり、その中での強者となると必然的に後衛職になってしまうのは仕方無い事ではある。
だがさすがに戦力のバランスが悪く、自分が一番しんどい役目などランスにはまっぴら御免だった。
ならばゼスに居る前衛はと考えた所で、ランスの脳裏にはガード職の男の不細工な顔が浮かんだ。
だがその男の名前が思い出せず、うーむと唸り声を上げて悩むランスの一方、そんな姿を眺めていたウルザは当初から想定していた話を切り出した。
「……と言うよりランスさん、魔人の皆さんに協力を頼んでは? そもそも私達はホーネット派に協力する名目でここに居る訳ですし、その方が自然だと思いますが」
「……ウルザちゃん。君は実に冴えてるな」
不細工な男の名を思い出す事をすっぱり諦めて、ランスは軍師の言葉に感心したように頷く。
ランスは前回の経験から、戦力と考えた時につい人間世界を意識してしまったが、彼女の言葉通り、わざわざ人間世界に戦力を求めなくても、魔王城には強力な魔人が多く居る。
「言われてみりゃその通りだ、すぐそこに魔人筆頭が居るじゃねーか。あいつを使わん手は無いな。なんならあいつ一人で全部片付きそうだ」
相手が魔人一体であるなら、より強い魔人を当てるのが一番手っ取り早い。
ランスは再度派閥の主の部屋に入った。
◇ ◇ ◇
先程と至って変わらない姿、ソファに掛ける魔人筆頭の前にランスが立つ。
「どうかしましたか?」
「ホーネット。お前、怪我は治ったんだよな?」
「えぇ。そう言えば、サテラが持って来たあれはシィルさんがくれたものだそうですね。彼女にもお礼を言わなければなりませんね」
「いや、あれは俺様のだ、その礼は俺様にしろ。つーか、んな事はどうでもよくてだな」
サテラの差し入れの世色癌や、使徒達や自身によるヒーリングによって、すでにホーネットの傷は癒えている。戦闘に支障は無いだろうと思ったランスは、彼女を連れ出す事にした。
「俺はこれから魔人退治に行く。お前も来るか?」
「魔人退治?」
「ああ。さっき、ウルザちゃんによるとな……」
唐突な話に眉根を寄せたホーネットに対して、ランスは先程ウルザから聞いた話を説明する。
話を聞くにつれ、徐々に彼女の表情は硬くなり、ランスに目線を合わせる為に少し見上げていたその顔は、話が終わる頃には下に俯かせていた。
「………………」
「……おい、黙るなよ。もしかしてあれか? 人間の話なんか信用出来ないってのか? あのなぁホーネット、俺様そういう考えは良くないと思うぞ」
「……いえ、そうではありません。そうでは無くて……」
ホーネットは首を振る。ランスの言う通り俄には信じられない話で、事実なのかと思う気持ちもあったが、そんな事よりももっと不可解な事があった。
彼女はゆっくりと顔を上げて、戸惑いの色を帯びた目をランスに向けた。
「貴方は人間なのに、どうして……」
魔人を怖れず、魔人退治に行くなどと気軽に言えるのか。
魔剣を所持しているからなのか。無敵結界を無力化出来る、ただそれだけで、脆弱な筈の人間が圧倒的な強さを持つ魔人と戦う気になるのだろうか。ホーネットには、その男の事が理解出来なかった。
そんな彼女の疑問を、揺れる目の色から感じ取ったランスは、さも当然の事を言うかのように口を開いた。
「んなの、俺様が無敵の英雄だからに決まってんだろ。それより、行くのか行かんのかどっちだ」
「……私も行きます。人間の貴方が戦うのに、魔人筆頭の私が戦わない訳にはいきませんから」
元よりケイブリス派の魔人を倒す事は自分の使命で、ランスだけに任せるつもりなど無い。
立ち上がり、視線を合わせた魔人筆頭の瞳に、その男の不敵な笑みが映った。
「よし、じゃあすぐに出発するぞ。俺様についてこい」