魔人メディウサは使徒を持つ。
猫の様な可愛げのある容貌に、芋虫の様な胴体を紳士の礼服で折り目正しく着飾った、それが魔人メディウサの使徒、アレフガルド。
ネコムシという生物が使徒になったそれは、本人としては特段の戦闘能力は有してはいない。決して弱くは無いが、決して強くも無く、戦闘能力に限ってみれば一般的な使徒と何も変わりは無い。
しかし、アレフガルドは魔人メディウサを主として仕える執事である。それも並の執事では無く、とんでもなく優秀な執事である。
その執事としての才能は、他に並ぶ者の無い伝説の域に達している。執事として、主の望みを叶える時には常識外れの実力を発揮する、極めて異常な性質を有している使徒であった。
なのだが。
「ホーネット、お前な。魔人筆頭のくせに、なーにを使徒なんざ怖がってんじゃ」
目前の魔人筆頭に対して、人間の男は呆れてしまった様子で肩を竦める。
ホーネットが口にした名前、アレフガルド。その名を聞いたランスは相手が使徒だと言う事あって、それはもう完全に舐めきっていた。
自分は過去、魔人を何体も討伐した英雄である。その自分が、魔人より戦闘能力が劣る使徒なんぞを今更恐れるものか。
ついでに言うと隣にはホーネットが居る。魔人筆頭と魔人でも差があるのに、更に使徒ともなればその差は歴然としたもの。自分とホーネットの二人相手に、たかが使徒一匹が相手になる筈が無い。
とそのような考えから、ランスはアレフガルドの事を見くびっていたのだが、
「……これは、貴方の為に言っているのですよ」
その様子を見たホーネットは、咎めるような鋭い視線で睨んだ。
「俺様の為だと?」
「えぇ。アレフガルドは、主の望みならそれがどのような事でも忠実に叶える存在。……ですが貴方が侮る通りに、そうは言っても所詮は使徒で、魔人の私には無敵結界があります」
使徒に魔人の無敵結界を破る事は出来ない。それは伝説級の才能があろうが関係無く、例えば伝説級の剣の才能があろうとも、無敵結界は斬り裂けるようなものでは無い。
勿論例外もあるにはあるが、基本的に無敵結界は才能の有無でなんとかなる代物では無い。その為少なくとも直接戦う限りにおいては、アレフガルドは驚異にはならないとホーネットは感じていたが、それは魔人にとっての話である。
「しかし、無敵結界を持たない人間の貴方にとっては別です。アレフガルドがメディウサから貴方を殺すよう命じられれば、次の瞬間にはその首が落ちる事になりますよ」
「え……マジ?」
小さく頷くホーネットの姿を見たランスは、ひやりとした首元を思わず片手で押さえる。
次の瞬間に自分の首が落ちるなど想像が付かなかったが、この魔人筆頭が冗談を言うタイプにはとても見えないので、彼女がそう言うなら本当なのだろうと、彼も考えざるを得なかった。
「ぬぅ……。それは、ちょっと困るな」
「ですから、何の対策もせずに進むのは危険だと言っているのです」
「だが、対策って言っても何かあるのか? 先に言っとくが俺様には無いぞ。なんせ、そのアレフガルドとか言うのを俺様はよく知らんからな」
実に堂々とした表情で、ランスは自分が無策だという事を憚る事無く宣言する。
前回の時にメディウサが行った陵辱の数々、その原因の根本にはアレフガルドの存在がある。その使徒がわがままな主の補佐を十全に行っていたという点が大きく、メディウサの凶行を防ぐつもりなら、警戒しないといけないのはむしろ使徒の方になる。
しかし、そうは言ってもランスにとって、女性でも無い使徒の事など最初から全く興味が無い。
加えてアレフガルドについては前回、彼の知らぬ間に奴隷が機転を効かせる事によって無力化に成功した為、ランスの頭には有効な対策などの情報は何も存在しなかった。
「………………」
ランスの早々のお手上げ宣言を受けたホーネットは、顎に手を当て思案する。
彼女の知る限り、アレフガルドが執事として全力を出している時は本当に常軌を逸している為、対策として考え付くのは一つだった。
「アレフガルドはメディウサの為に動く時、メディウサから命じられた時などには、いわば無敵の存在になり得ます。ですが、逆に言えば……」
「蛇女が絡まない時は雑魚と変わらんって事か。じゃあこの辺に隠れて、そいつが散歩でもしにこっちまで来たら、ザクっと殺すってのはどうだ?」
「……あれがメディウサのそばを離れて散歩をすると言うのは、あまり想像出来ませんが……。そうですね、いずれにせよ、少し様子を見ましょう」
という事で、ランス達は捜索の足を止める。
ホーネットの懸念を受けて、メディウサよりも先にアレフガルドの対処をする事に決めた二人は、近くの建物の陰に身を隠す。
暫くこの場所で待機して、無防備なアレフガルドが近づいて来るのを待ち伏せる事にした。
◇ ◇ ◇
そうして建物の影に身を隠す事10分程、ふいにランスが口を開く。
「しっかしあれだな、お前が俺様の身を案じるとは少し意外だったな。ホーネット、結構可愛いとこあるじゃねーか」
「……それは理由の一つに過ぎません。私の一番の懸念は、アレフガルドを逃げ足に使われる事です」
隣の相手に顔を向けないまま、ホーネットは在りし日の事を思い出す。
長く続く派閥戦争の中、前線で戦い続ける魔人筆頭はメディウサと対峙した事があった。
その戦いは当然の様にホーネットが優位に立って進んでいたのだが、劣勢だったメディウサは突然に「……もう飽きた。つまーんないから帰る」などと呟き、そして高らかに使徒の名を呼んだ。
すると、何処からか恐ろしい速さでアレフガルドが飛んできた。彼は主を丁寧な所作で抱えると、ホーネットの放った六色破壊光線を掻い潜りながら一目散に戦場を離脱して、結果彼女はメディウサを逃す事となった経験があった。
「アレフガルドにとっては、あの砂漠を越えるのも容易い事でしょう。折角敵の増援が見込めないこの場所にいるメディウサを、アレフガルドによって討ち損じる事を私は案じているのです」
「ほーん、なるほどねぇ……」
ホーネットの横顔を眺めながら、まだアレフガルドの脅威にいまいちピンと来ていないのか、ランスは気の抜けた声を出した。
そして、少し時間が経過する。
建物の陰から動かずじっと待っていたのだが、稀に魔物兵が近くを通るだけで、目的のアレフガルドの姿はまだ見えない。
「ホーネット、水」
「……どうぞ」
「うむ、ぐびぐびっと……。……にしても暇だな。ホーネットよ、何か面白い話でもねーのか」
「私達は敵地で隠れているのですよ。周囲に魔物兵が少ないとはいえ、静かにするべきです」
さらに時間が経過する。
日陰に居るとはいえ、風があまり吹かないので相変わらず暑く、ランスの頬を汗が伝う。
「……来ねぇな。そのアレフガルドとかいう奴」
「ですね。あれは基本的に、メディウサのそばを離れませんから」
「うーん、暇だ。……そういや俺様な、おっぱいとお尻、どっちが素晴らしいか時々無性に悩やむ事があるのだが、ホーネットはどう思う?」
「知りません」
さらにさらに時間が経過する。
太陽の位置が変化した事が、目に見えて分かる位には時が経ったと思われたが、まだまだ周囲に変化は無い。
「あー暇だ。ひま、ひま、ひまー」
「………………」
「……そうだ。実は前から思っていたのだが、お前のあの私服はどうかと思うぞ。いや、俺様は構わんのだ、エロエロで実にグッドだと思う。しかし他の魔物も居る訳だし、あの透け具合はさすがに……」
「っ! 今……!」
突然ホーネットが鋭い声を上げ、暇を持て余していたランスの言葉を遮る。
隣に居た男の無礼な話を聞き流し、何気なく空を眺めていた彼女は、咄嗟に現れたそれをその目でしっかり捉えていた。
「今の、見ましたか?」
「見たって、何をだよ」
「アレフガルドです。あれは間違いありません。この都市を出て行く所が見えました。……という事は、すぐに戻ってくるはず。いいですか、あの辺りを見ていなさい」
シャングリラの空の一点、雲しか無い場所をホーネットが指差す。
「見るっつっても、一体何をだ……んん!?」
一瞬、空を何かが通過する。
「……今、なんか通った……か?」
言われた通りにホーネットが指し示す所を眺めていたランスにも、今度は目にする事が出来た。
だがその目に映ったのはアレフガルドの姿というより、高速で動く何かの存在を示す残像。予め言われていなければ見間違いだと思ってしまうようなそれを、瞬間的に捉える事が出来ただけだった。
「……今のが、そのアレフガルドってのか?」
「えぇ。今の様子はメディウサの命令を受けていたのでしょう。メディウサの為に動くアレフガルドは、常にあのような感じです」
ランスの視界に焼き付いているのは、一瞬の残光のような定かではないもので、それがアレフガルドだと言われてもいまいち実感がわかない。
だが、とにかく凄まじい事だけは理解出来た。あの姿を見た後ならば、次の瞬間に首が落ちるというホーネットの言葉にもいくらか納得出来る。
本人としては決して飛行能力がある訳では無いにもかかわらず、主の望みを叶える為ならばと空を超速度でひた走るアレフガルドは、まさしく規格外の執事であり、規格外の使徒だった。
「……確かにありゃあ、どうにもなんねぇな。あれと戦うってのはさすがの俺様も想像が付かん」
「えぇ。聞く所によると、あれはメガラスの本気とそう変わらないそうです。あの状態のアレフガルドには、私の魔法も当たる気がしません」
「となるとやっぱ、命令を受けてない時にしか……ん?」
その執事の性能に内心で舌を巻いていたランスの脳裏に、ふいに引っ掛かる事があった。それはアレフガルドをどうにかする為の素敵なアイデアとかでは無く、底冷えのするような嫌な予感だった。
「……ちょっと待てホーネット。今、メディウサの命令を受けてたって言ったよな。つー事は……」
ランスの頭に浮かぶのは、前回のゼス国内を恐怖で震撼させた魔法ビジョンによる放送。その放送中で魔人メディウサが使徒に対して要求していたものは、概ね一つしかない。
「………………」
ランスの声のトーンが下がったのを受けて、それを言うべきかホーネットは一瞬悩んだ。だが隠した所でいずれすぐに判明する事だと思い、見たものをそのまま伝える事にした。
「……えぇ、そうです。先程、アレフガルドはその腕に女性を抱えていました」
ホーネットは魔人であり、魔人とは肉体の全ての面で人間よりも優れている。それにより、ランスが見逃した事実も彼女の目は的確に捉えていた。
あれはメディウサの欲求を満足させる為の、アレフガルドにとって一番よくあるおつかいの一つ。その内にこの都市の何処かから、女性の悲鳴が聞こえてくるのだろうと彼女は予想していた。
「チッ、あの蛇女……!!」
半ばその答えは予想していたのか、舌打ちしたランスは隠れていた建物の陰から飛び出す。一刻も早く止めないと大変な事になると考え、闇雲に走り出そうとした彼の肩をホーネットが掴んだ。
「待ちなさい。どうするつもりですか」
「どうもこうも、今すぐあの蛇女を……!!」
ランスが後先考えずに戦おうとしたその時。
「あ、ぎッ…………ぁぁぁあああああああッ!!」
ホーネットの予想通りに、耳を覆いたくなるような絶叫が遠くの方から上がった。
「……これは」
僅かに顔を顰めながらも、声の通りから対象は室内では無く外に居るのだと考えた魔人筆頭の一方。
「………………ッ」
ランスはまるで心を奪われたかのように、その体を硬直させる。
その脳裏に蘇るのは前回のゼスでの経験。声の主が受けている責め苦を想起させるような叫声を聞いていると、どうしてもその事を思い出してしまう。
とっさにランスは今の犠牲者の事が気になり、その叫び声が聞き覚えの無い声だと考えてしまい、即座にそういう問題では無いだろうと思い直す。
そうこうしている内にいつしか悲鳴は止み、都市内には元の静けさが戻っていた。
「……もう待ってられん。蛇女をぶっ殺しにいく」
先程の悲鳴の主はすでに事切れたのだと理解し、静かに怒るランスを前にして、しかしホーネットは動じなかった。
「貴方は先程の話を忘れたのですか? メディウサよりも、アレフガルドを倒すのが先です」
「だがここで待ってたって埒が明かねーだろ。ふらっとこっちに来るかと思ったけど、いつまで待ってもちっとも来ねーじゃねーか」
「ですが、それでも先にアレフガルドの対処をしない限り、貴方が危険です」
「……ぐぬぬ」
制止の言葉が自分を心配しているからだと分かると、さすがのランスも少し気が揺れてしまう。だがこれ以上メディウサを放置する事は出来ない。放置すればそれだけ犠牲者が増えるだけである。
「来ないんだったら、もう呼ぶしかねーよな。大声で歌でも歌ってみるか」
「止めなさい。そのような方法、メディウサが不審な歌を調べるよう命じるだけです。何か、警戒されずにアレフガルドを呼び寄せる方法があれば良いのですが……」
「警戒されずにっつっても……あ」
警戒されずにアレフガルドを呼び寄せる方法。
ホーネットの問題提起を受けて、ふいにランスの脳裏に警戒などとてもされそうに無い、人畜無害な踊り子の姿が浮かんだ。
「……そうだ。ここってシャングリラだな。て事は、どっかにあいつが居るはずだ」
「あいつ?」
「あぁ、いい事考えたぞ。ちょっとあいつに頼んでみるか」
◇ ◇ ◇
その後二人はアレフガルドの待ち伏せ作戦を一旦終了して、都市内の捜索に戻っていた。
「それで、貴方は何を探しているのですか?」
「シャングリラに居る踊り子だ。……うーむ、確かこっちの方だったと思ったんだがなぁ……」
ホーネットに返事をしながら、ランスは曖昧な記憶を思い出すように頭を掻く。
シャングリラにはこの都市の王であった男を喜ばせる為、多くの踊り子が存在している。その踊り子の一人に用があったランスは、前回の時に踊り子の集まる部屋だと紹介された劇場を探していた。
しかし都市内は広く、似たような建物も多い。もはや自分の記憶は頼りにならず、あっちこっちにふらふらと、手当たり次第に建物のドアを開いていたランスだったが、やがてふと足を止めた。
「……いや待てよ。あいつは別に、踊り子の集まる部屋に居た訳じゃ無かったな。つーかそもそも、あいつが俺様をあの劇場に連れてったんだし」
あの踊り子はどうにも掴み所の無い性格で、初遭遇の時は突然背後から声を掛けられた。
そういやそんな出会い方だったなぁと、ランスが懐かしむように当時を思い直したその時。
「所で、後ろの女性に見覚えはあるのですか?」
「あん? ……おいホーネット、居るじゃねーかよ。だったら早く教えろっての」
「ですから今、教えたではありませんか」
ランスが振り向いた背後。
どうしたの? と言わんばかりの様子で、ちょこんと小首を傾げる可愛らしい少女が居た。
年頃の少女のような容姿とは本来合わない筈の、色気を醸し出す踊り子の服装が妙に似合っている、彼女がランスの探していた踊り子、シャリエラ・アリエスであった。