とある人間、ルチェ・デスココ387世。
彼は悪魔と契約を行い、死後に自分の魂を差し出す代わりに願いを3つ叶えてもらった。
1つ目の願いにより、彼は絢爛豪華なシャングリラの地を手に入れる。
2つ目の願いにより、自らに忠実な人形、33体の踊り子を手に入れる。
そして3つ目の願いにより生み出されたのが、今ランスの前にいるシェリエラ・アリエスだった。
「よう。久しぶりだなシャリエラ」
「うん、久しぶり。……ううん、やっぱり久しぶりじゃない。シャリエラ、あなたの事知らないよ?」
ルビーのような瞳でランスを見ながら、シャリエラはふるふると首を横に振る。
先の通り、他の踊り子とは別の願いによって生み出された彼女には、他と踊り子と一線を画す特徴である『心』が備わっている。
だが当人は自らの事を人形だと思っており、その顔には一切の感情が浮かんではいなかった。
「シャリエラよ、俺様はランス様だ。……うーむ、この無表情も何だか懐かしいな。……うりゃ」
過去に一度、その踊り子が微笑んだ表情を見た記憶があるランスは、相手の頬を指で摘んでぐいぐいと引っ張り、無理やり変化を付けてみる。
出会い頭の失礼なその行為に、シャリエラの目がじとりと半眼になった。
「む。……ランス、貴方は人間?」
「んなの、見りゃ分かんだろ。俺様は人間様だ」
「ん、なら許す。シャリエラは人間の役に立つのが役目だから」
「そーかそーか。ほれほれ、ぐーいぐーい」
「むー……」
シャリエラが抵抗を見せないので、ランスはそのまま彼女の頬で遊び続ける。なんとかその表情を変えてやろうと、彼は躍起になっていたのだが、
「…………ふぅ」
その様子を隣で見ていたホーネットは、話の進まなさに焦れた様子で仕方無く口を開いた。
「彼女が、貴方の探していた人物なのですか?」
魔人筆頭である彼女の視線は鋭く、まるで見定めるようにシャリエラを眺めている。
その踊り子は悪魔の力によって作られたホムンクルスであり、外見上は人間であるのに、感じる気配が人間と違う事に彼女は妙に感じていた。
「ああ、こいつはシャリエラっつってな。このシャングリラに住んでる踊り子の一人だ。こいつを使って、アレフガルドを誘き出す」
「そういう事ですか。確かにこの都市の住人なら、然程警戒はされないでしょうが……」
ランスが考えた作戦。それはメディウサのそばから離れないアレフガルドを、このシャリエラに呼び出して貰うというシンプルなものである。
彼女はそのぼんやりとした雰囲気から、敵意を全く感じさせない少女であり、前回の時は魔軍の総大将ケイブリスに仕えていた経験も有る程である。
故にメディウサやアレフガルドにも、きっと警戒されないだろうとランスは考えたのだ。
「シャリエラ、蛇女……じゃなくて、魔人メディウサってのは分かるよな?」
「メディウサ様? メディウサ様がどうしたの?」
「……メディウサ様、だと?」
シャリエラがその魔人に付けた敬称が気に食わなかったランスは、彼女に疑惑の視線を向ける。
「おいシャリエラ、お前の主人は……て、そっか。一応聞いておくが、今のお前の主人は誰だ?」
「私はデスココ様に仕える踊り子の一人。でも、デスココ様は殺されたから、今の私のご主人様はメディウサ様」
彼女にとって、主に絶対服従するのが人形の掟。今から数年前、シャングリラを訪れたメディウサが都市の王だった男を殺して以降、彼女はその魔人を主として仕えていた。
「………………」
シャリエラの先の言葉を耳にして、ホーネットの身に纏う空気が重く冷然としたものへと変化する。
彼女のすぐ隣に居たランスにも、その刺さるような寒気がひしひしと伝わってきた。
「この少女は、メディウサの配下のようですよ」
「待てホーネット、そう怖い顔すんなっての。こう言う時はな、こうするのだ」
前回の時も似たような経験があったランスは、こんな時どうすればいいかをすでに知っている。
おほんと一つ咳払いすると、シャリエラのどこを見ているのか分からない瞳と目を合わせた。
「シャリエラよ、ならばお前のご主人様は変更だ。今からこの俺、ランス様がお前のご主人様だ、分かったな?」
「うん、分かった」
シャリエラはとても素直にこくりと頷く。その踊り子は実にあっさりと従う相手を切り替えた。
「これでよしっと」
「待ちなさい。なんですかそれは」
「いやな、こいつはこれで問題無い奴なんだよ」
「……シャリエラと言いましたね。貴女はそれでいいのですか?」
「うん、いいよ」
現在の主の事など一切気に掛けない様子に、つい見かね口を挟んでしまったホーネットの事を、シャリエラは何か問題があるの? と言わんばかりのきょとんとした表情で見つめる。
今の彼女は主人に忠誠を尽くすつもりはあるのだが、主人以外の者の言葉でも主人を変えてしまえるという、従者としてはとても大きな欠陥があった。
「そう簡単に主を変えては、主従の意味がありません。この少女は信用出来ないと思いますが」
「……それを言われるとちょっとあれなのだがな。こいつは変な奴だが信用は出来る筈だ。……多分」
「しかし……」
どうにも納得していない様子のホーネット。
その姿を見たランスは、その時脳裏にピーンと、彼女を納得させて自分も得をする、とても素晴らしい考えを思い付いた。
「そうだ、ならばシャリエラにご主人様への忠誠を示して貰おう。おいシャリエラよ。お前はご主人様の命令には絶対服従だよな?」
「はい、もちろんです。どんな事でもお申し付けください。シャリエラは人形。人間の役に立ちます」
紫の髪を揺らして頷くシャリエラを、ランスはとても満足気に眺める。
どんな事でもと言われたら、その男の頭に浮かぶのは当然あんな事やこんな事であった。
「よーし、どれどれ」
ランスは遠慮無く、布一枚だけで覆われたシャリエラの胸の上に手を当てる。
「んっ」
ぴくりと反応を見せたが、自分が感情の無い人形である事に拘りがあるシャリエラは、全く何も気にしていませんよ? といった様子で、自分の胸を揉むランスの手をじーっと見つめていた。
「ほーうほう、良いおっぱいだ。もみもみ、もみもみ……」
「ん、う……」
「もみもみ、もみもみ……うーむ、なんかムラムラしてきたな。よし、んじゃあちょっと……」
このまま何処かで一発スッキリするか。
そしてランスは胸を揉んでいた手を彼女の肩に回すと、近場の建物にしけ込もうと歩き出す。
だが一歩二歩と進んだ所で、ホーネットの視線が刺さっているのに気付き、思わず足を止めた。
「………………」
「……な、何だよホーネット。その目は……」
その魔人は無言で見ている。決して睨む訳では無く、ただ表情を変えずに見ているだけなのだが、その金の瞳から覗く凍てつくような冷たさが、ランスの身体を硬直させていた。
「……あ! さてはホーネット、お前シャリエラに妬いてんだな? ならそんな羨ましそうな目をせんでも、お前の事もちゃんと可愛がってやっから心配すんな! がーはっはっはっは!!」
「………………」
「はっはっは……」
「………………」
「…………ふぅ」
小さく息を吐き出すと、シャリエラの肩からそっと手を下ろす。
ホーネットの瞳は「その様な事をしている場合ではないでしょう」と雄弁に語っており、彼女の物言わぬ圧力を前にして、ランスは屈してしまった。
「……とにかくだ。こいつは俺様に絶対服従だから、信用しても問題無いと分かっただろ?」
「彼女の素質については未だ思う所ありますが……しかし、そうですね。他に方法も思い付きませんし、貴方に任せます」
「よし。そいじゃシャリエラよ、主としてお前に命令をする」
ホーネットの合意を得たランスは、軽く咳払いしてシャリエラに目を向ける。その顔は相変わらず無表情であったが、主としての命令という言葉に、彼女は少しやる気を見せているようだった。
「シャリエラ、蛇女を知ってるって事は、そばにいるアレフガルドってのも知ってるよな?」
「うん、知ってる。メディウサ様のそばにいるアレフガルド、ムシみたいなあれでしょ」
「……ムシだっけか? ……まぁいい。とにかくそいつを、一緒に遊んでーとか、向こうにへんなもの見つけたーとか、何でもいいから適当な事言って、俺達の下まで連れ出してこい。んで、のこのことやって来たアレフガルドをボッコボコ。どうだホーネット、この作戦」
ナイスなアイディアだろうと、同意を求めるようにランスはホーネットの方を見たが、彼女は顎に手を当てて思い悩む表情のままだった。
「……しかし、それでもメディウサに何かしら命じられたら、意味が無いと思いますよ」
「……そうだな。じゃあ蛇女が寝ている時にってのはどうだ? それなら使徒に命令は出来んだろう」
「それは悪くないかもしれません。あれは怠惰な魔人で、普段から眠る事は多かった筈。……ですが」
ホーネットは言葉を一度区切って、シャリエラの方に視線を向ける。
「彼女はそもそも、メディウサに近づいても平気なのですか? 寝ている時に近づくとは言え、もしもの事が無いとは限りませんよ」
「……言われてみると確かに、……だが、不思議な事に前も生きてたんだよなぁ。なぁシャリエラ、お前は蛇女に狙われたりしないのか?」
「ねらわれる? よくわからないけど、メディウサ様は人形には興味ないって言ってた」
シャリエラの言葉に、ランスとホーネットの二人は納得したように頷く。
その魔人は相手を虐めるのが大の趣味で、それは基本的に獲物が反応してくれないと楽しめない。そんな理由からメディウサは、シャリエラを含むシャングリラに居た人形に関しては無関心だった。
「なら、お前は蛇女に近づいても大丈夫だな?」
「うん。メディウサ様は会った事もあるから大丈夫。アレフガルドを呼んでくればいいんでしょ?」
「そうだ。だがさっきも言った通り、くれぐれもあの蛇女が寝ている時にだ。いいな?」
「うん、分かった。まかせて、ご主人様」
そう返事をして、シャリエラはメディウサが居るだろう方向へ、とてててっと走っていった。
「後は、彼女が首尾良く働いてくれる事に期待するだけですね」
遠ざかる踊り子の背中を眺めながら、ホーネットが口にする。
「これでアレフガルドを倒せたら、残るは蛇女との決戦だけだな」
「そうなりますね。そちらに関しては、油断無く戦えば問題は無いでしょう」
「まーな。俺様とお前のタッグなら、蛇女の一匹位楽勝だ」
うむうむと、ランスは大仰に頷く。前回のメディウサとの戦闘の感触から、その脳裏には絶対の勝算があったのだが、さらにダメ押しとばかりに彼はある作戦を立てていた。
「……ただ、万が一ってのがあるかもしれん。そこでホーネット、俺はメディウサとの戦いに関して三つ作戦を考えたのだ」
にやりと笑うランスは、ホーネットに向けて右手の指を三本立てる。しかし
「……あ。いや、二つだな。二つにしとくか」
横目でちらりと、シャリエラが走り去った方を見たランスは、少し考える素振りを見せた後、すぐにその指を一本下げた。
「どのような作戦ですか?」
「うむ、一つ目がこれだ。ごにょごにょ……」
それはランスにとって得意の戦法。何より好む戦い方である。
だが耳にしたホーネットは正々堂々を好む性格故に、僅かに憮然とした表情になった。
「貴方は卑怯な事を考えるのが好きですね」
「賢い戦術と言いたまえ。とにかくそんな感じでいくぞ。何事も楽に勝つに越した事はねーからな」
「……それで、もう一つの作戦というのは?」
「そっちはその時になってのお楽しみってやつだ」
ふふんと笑う、ランスが立てた二つ目の作戦。
シャングリラに来る前から考えていたその悪巧みに、ホーネットは若干興味を示す目を向けたが、しかし聞き出そうとする事は無かった。
「それにしても、意外と貴方は周到なのですね。もう少し大雑把な性格だと思っていました」
「……まぁ、な。なんせ俺様は英雄だからな」
ランスは少し視線を逸らすと、あまり答えになっていない答えを返す。
彼がここまで色々と手を尽くすのは、ここで確実にメディウサを討ちたいという思いが根底にあるからだった。それ程ランスにとって、メディウサは相容れない存在なのである。
普段の雑な性格からは珍しく、念には念をと前回の時の戦闘を脳裏で回想していたランスは、ぎりぎりでその事を思い出す事が出来た。
「……あ」
「どうしました?」
「……そういやホーネット。お前、あれは知ってんのか?」
◇ ◇ ◇
キナニ砂漠にあるオアシス都市、シャングリラ。
悪魔の力によって作り出されたこの都市には、少し特殊な面がある。
日が落ちれば勝手に照明が灯り、砂漠の真ん中にあるにもかかわらず、尽きる事無く水が湧き出る。
そんなシャングリラには300人以上が入れる劇場など、贅沢の限りを尽くすかのように様々な施設が置かれている。
そしてある一画に、砂漠にある都市にはとても相応しくないような、豪華なプールがあった。
「……ん、……ねむ……」
そのプールサイド。
大きなパラソルの下にあるビーチチェアの上で、魔人メディウサは重い瞼を開く。
顔立ちだけ見れば人間の美女と間違えそうなものだが、その舌やその腕など、所々に人間とは異なる部分がある。特にその股間から生えた白い大蛇が、人間以外の存在だと明らかに示していた。
「んーん……、ふぁ~……」
寝起きの弱い、目覚めたばかりのその魔人の顔には、とろんとした眠気が残っている。
その眠気に導かれて大きく欠伸をした彼女は、口元を隠すように歪な形をした手を当てる。するとその爪先には乾いた血がこびり付いていた。
メディウサの周囲には、人間だったものの残骸が散らばっている。
水の張ったプールは赤く染まり、その中に浮かんでいたりと、あるいはプールサイドに無造作に転がっていたりと、とにかく彼女の周りは女性の死体と死臭で溢れていた。
「……はー、よく寝た。けど、やっぱ寝心地良くないな、これ」
首を左右に揺らし、メディウサは気怠げな様子でビーチチェアから身体を起こす。
どうにも肩が凝った気がする。寝る前に使徒からうるさく言われた通りに、ビーチチェアの上などで寝るのではなく、寝室に戻ってベッドの上で寝るべきだったかもしれない。
だが、これは気分転換の一種である。何年も同じ場所で同じ事をしていると飽きが来てしまう。
本日のデザートを、いつもの寝室では無くプールで食い散らかす事にしたのもそれが理由だった。
魔人メディウサがシャングリラに辿り着いたのは、今からもう二年も前の事。
LP4年にゼスで起きた騒動により、派閥の重鎮である魔人四天王カミーラが消息不明となった。
その事に大層取り乱した派閥の主ケイブリスは、同じく消息不明である魔王の捜索も兼ねて、カミーラの捜索を行う事を決定した。
そしてメディウサはその役目を受けた。ケイブリスとの付き合いから派閥には参加したが、怠惰な性格の彼女は戦争には然程興味が無く、それより女の子をいじめる方が好みである。
魔物界で戦うより、捜索の為に人間世界へ向かう方が、何倍も楽しめるだろうと考えたのだ。
だが捜索の役目を受けたとはいえ、真面目に捜索を行うつもりは殆ど無かった。
なぜなら彼女は怠惰だからであり、更に言えば下手に魔王やカミーラなど見つけてしまうと、せっかくの楽しみな旅行が終わってしまうからである。
使徒の手引きによりゼスに入ったメディウサは、捜索そっちのけで国内の女性を食べ歩いた。
騒ぎになると面倒なので、一箇所に長期滞在はしない方針で、ふらふらと国内を旅していたら、いつの間にかゼスから出てキナニ砂漠の前に居た。
当然、砂漠越えなどとても面倒だった彼女は、近くの休める場所に自分を連れていくようアレフガルドに命じて、その結果シャングリラに辿り着いた、そんな経緯であった。
そして都市を支配していた男を始末した後、メディウサは暫くシャングリラに留まっていたが、この場所の居心地は悪く無いと感じていた。
都市内に居た人形達は少し遊んではみたが、美女ではあるが反応が皆同じなので、いじめ甲斐が無いのですぐに飽きた。
しかしここは人間世界の中央に位置しており、好みの女性の調達が容易である。時にヘルマン美人、時にリーザス美人といったように、その日の気分に応じて好きな獲物を味わえる上に、周囲に人気が全く無いので騒ぎになる事も無い。
どの道魔物界に帰った所で、待っているのは面倒な戦争だけ。そんな事もあってか、メディウサはこのシャングリラに滞在し続けている。
長い時を生きる魔人は時間の感覚に大雑把で、気付いた時には二年以上も経過していた。
(……なんだけど。そろそろ、そうも言ってられなくなっちゃったのよねー)
憂い顔のメディウサは、そばにあるテーブルの上に置かれている、一通の手紙を爪の先で摘む。
その手紙は、自分の命令により世界中を飛び回る使徒が何処からか受け取ってきたものであり、そこには「遂にホーネットを捕まえた、戦争が終わったからとりあえず一度戻ってこい」と、ケイブリスの汚い字で書かれていた。
どうやら自分が戦列を離れていた間に、魔物界の主権争いに決着が着いたようである。という事は、この二年に及ぶバカンスの日々は残念ながらそろそろ終了という事。
メディウサは数週間前にその手紙を呼んだ時、ショックを隠せなかった。辛い気持ちは今でも尾を引き、それ以降彼女の周りの死体の量が増えた。
つい先日使徒が持ってきた二枚目の手紙、帰還の催促と思われるそれにはもはや目も通していない。
(めんどいなぁ、もう……。ていうかケーちゃん、私が真面目に捜索して無かったって知ったらブチギレそう。……まぁでも、換わりにここを発見したからチャラって事で)
シャングリラの事を知ったメディウサは、この場所は何かに使えると直感した。
具体的に言えば人間世界への侵攻。前々からケイブリスが宣言していたそれはもう間近に迫っており、人間の世界の中央に位置するこのシャングリラという都市は、その際にとても有用に扱える。
使徒の話だと、どうやらこの都市は人間達も知る事の無い、隠された場所のようである。
そんな珍しいものを発見した訳で、カミーラの捜索に全く手を付けていなかったと仮にバレたとしても、まぁ見逃してくれるだろうと、メディウサはそんな心積もりでいた。
(にしても……)
メディウサは爬虫類を思わせる鋭い瞳で、爪先で摘んだ手紙のある一文をじーっと凝視する。
(ホーネットの奴、捕まったんだ。……いいなぁ。ケーちゃん、私にも貸してくれないかな。……て、ダメか。あれはカミーラにあげるって前から言ってたし)
はぅ。と、まるで恋する乙女の様に、メディウサは切ない吐息を漏らす。
ホーネットはカミーラへのプレゼント。それは知っている。知っているが、それでも惜しい。自分にも貸してくれないものかと、どうしてもメディウサは考えてしまう。
魔人筆頭、ホーネット。あの澄ました顔の女を虐めるのは、この上なく楽しい一時になるだろうとメディウサには確信が持てる。
彼女はふと自分の爪先を睨む。この爪で、あの女の腹を十字に引き裂いてみたい。
あるいはと、股間に生えた巨大な蛇に睨む。この大蛇で、あの女の穴という穴を貫いてみたい。
そうすればきっといい声で鳴いてくれるだろう。
いや、鳴いてくれなくても構わない。歯を食いしばって陵辱に耐える表情も、間違い無く唆るものだろうとメディウサは思った。
(……んー。なんか、ホーネットを虐める想像したら興奮してきちゃった。早起きした自分へのご褒美といこっか。さっきはゼスの子を食べたから……今度はJAPANの和服美人かな。黒髪のロングで……)
長い舌先をちろちろと揺らして、獲物の事を考えていたメディウサだったが、
(……ん、あれ?)
その時、何かが妙だと感じた。
(……なんだろ、いつもと違うような……あ)
しばし首を傾げながら考えてようやく分かった。
アレフガルドだ。使徒のアレフガルドが来ない。
あの使徒はとても優秀な執事。自分が眠りから目を覚ました時には必ずそばに居て、寝起きの喉を潤す水と、乾いた返り血を拭う濡れタオルと、新しい着替えなどなどを準備している筈である。
これまで数百年以上そうであったはずなのだが、今日に限って何故だかその姿が見えなかった。
「ちょっとアレフガルドー。何サボってんよー」
これはお仕置きが必要だなと、不満顔のメディウサは何処ぞに居るだろうアレフガルドに向けて、緊張感の無い声を上げる。
だが、それでもアレフガルドは現れない。
自分が呼んだらすぐに来る筈の、自分に仕える事を生き甲斐としている使徒の不明に、メディウサはその時ようやく、妙な胸のざわめきを覚えた。
そしてその胸騒ぎは、すぐにもっと具体的なものに変わった。
息が詰まるような、重く、それでいて身を切るような鋭い圧迫感が彼女を全身を襲った。
「アレフガルドなら、もういませんよ」
プールを挟んだ向こう側。
建物の影から、メディウサに全く見劣りをしない美しい容姿の魔人が、静かに歩いてくる。
「…………っ」
その視界に映るのは、ほんのつい先程、頭の中で都合の良い妄想をしていた魔人の姿。
その姿に、その威圧感に、顔を石のように硬直させたメディウサは、口だけを何とか動かした。
「……あ、んた、なんでここに……」
乾いた声を出しながら、信じ難い目の前の現実を何とか受け入れる。するとすぐに、あまりに無防備な自分の状態に途轍もない危機を感じた。
「……あんたさ、何で、シャングリラに居んのよ。ケイブリスに捕まったんじゃなかったの? ていうか、アレフガルドはもういないって、どういう意味な訳?」
とっさに頭に浮かんだ数々の疑問を口にしながら、メディウサはそばにあるテーブルに置かれていた、二本の愛剣に手を伸ばす。
バカンスの最中にあっても、周到な使徒が武器を用意しておいてくれて助かった。なにより仕掛けられる前に昼寝から目を覚ます事が出来て良かった。それこそ九死に一生を得た気分である。
だがそんな彼女の思惑とは裏腹に、その魔人には不意を突くつもりなどは毛頭無く、先の問い掛けに対して一つだけ答えを返した。
「私がここに居る理由など、貴女と戦う以外にありません。……行きますよメディウサ、構えなさい」
その魔人、ホーネットが自身の周囲に展開していた魔法球に、徐々に魔力が満ちて眩しく光り輝く。
有無を言わせぬその様相に、メディウサは慌ててビーチチェアから立ち上がる。
ホーネットとメディウサの戦闘が始まった。