その魔人が自らの周囲に展開させている、六色の魔法球が強烈な光を放ち始める。
それが彼女にとっての戦闘開始の合図。そっと手を前に突き出すと共に、その頭上に輝く光球から赤と白の光が走る。
「ッ……!」
直線上に発射される、風を裂く音と共に襲い来る二本の光線に対し、声を上げる余裕も無くメディウサは横っ飛びで回避する。
ホーネットの得意魔法、六属性の破壊光線。
それは彼女の魔法の才能と、魔人としての強さも相まって強力無比な代物。光線の通り道にあったテーブルやパラソル、ビーチチェアは瞬時に消滅して塵すら残らない。
そしてそんな強烈な魔法を、その魔人は六つの起点から発射する事が出来る。
まだ赤と白の光線の残滓も消えぬまま、今度は青色の光がメディウサを狙って放たれる。
「この……っ!」
相手の魔法は折り紙付きだが、しかし受け続けてばかりでは戦いにならない。
メディウサは掌に魔力を溜めると、歪な曲線を描くファイアーレーザーを放出する。
だがメディウサの魔力によって放たれたファイアレーザーは、ホーネットの強大な魔力によって放たれた破壊光線の圧力に押されて行き場を失い、全くの見当違いの方向に飛んでいく。
「ぐぅッ!」
自分の放った魔法を押し退けて迫り来る青の光線を、メディウサは自分の身体の中で一番硬く、一番魔法耐性も備わる歪な形の両手で受け止める。
衝撃と共に凍てつくような冷気が腕中に伝わり、口から思わず苦悶の声を漏らす。
「ちぃッ……!!」
メディウサは憎々しげに舌打ちする。彼女は魔法の才能を有しているが、その才能でもって扱えるのはファイアーレーザーが限界である。
一方でそれより高い魔法の才能を持つホーネットは、より高い威力の破壊光線を撃てる上に、それを周囲に浮かぶ魔法増幅器によって強化している。
更には魔人としての強さでも上回るホーネットの魔法の前では、メディウサの放つ魔法は酷く頼りないものにしか映らなかった。
(……ダメだ、やっぱこの距離だと……!!)
ホーネットは直線状を貫く破壊光線を放ち続け、その全てを躱す事は出来ない。回避しきれなかったものは両手で受け止め、その都度鋭い痛みが走る。
(私の魔法じゃ、こいつには……!!)
金属とも生物の鱗とも見える、白い異形の手が焼け爛れ始めたのを目にして、メディウサは現状魔法の撃ち合いとなっている、この距離では自分に勝機が無いと認めた。
何度ファイアーレーザーを放ってもまるで手応えが無く、このままでは相手の魔法で串刺しにされ続けるだけだと感じた彼女は、敵の魔法の打ち終わりの僅かな隙間を狙う。
「ジャッッッ──!」
普段の怠惰な姿からは想像し難い、蛇が獲物を喰らうが如き俊敏さで彼我の距離を詰めると、勢いそのままにメディウサは凶悪な形の手を振るう。
しかしホーネットの顔を引き裂こうと狙ったその爪は、彼女が瞬時に構えた剣によって防がれ、爪と刃での鍔迫り合いとなった。
「メディウサ、貴女と戦うのも久しぶりですね」
「ホーネット、むかつく、顔して…!!」
ホーネットの常に冷静な態度、常に冷静な表情が気に食わない。メディウサは苛立たしげに腕を振るって相手の剣を弾くと、自身も両手に一本ずつ、二本の剣を構える。
メディウサのその手に生えた鋭い爪自体が強力な武器で、その理由からあまり剣を抜く機会が無い。
しかし剣の扱いに関しては才能があり、剣での戦闘は特別才能のある訳では無い素手の戦闘よりも強い、いわば彼女にとっての本気の現れであった。
「ぁぁああッ!!」
吠える魔人は、両手に握る剣で叩きつけるような勢いの猛攻を仕掛ける。
だがその双剣に対峙する魔人筆頭は、それを一本の剣でもって器用に弾く。全く無駄の無い、丁寧であってかつ素早い剣の扱いで、傍から見るとどちらにより才能があるか一目瞭然だった。
「近づければ勝てる相手では無いと、貴方なら分かっている筈でしょう」
「ッ……うる、さいよ!!」
相変わらずの平然とした態度に、顔を怒りの色に染めた魔人メディウサ。彼女の脳裏に甦るのは、数年前の戦いの時の事。
以前に派閥戦争の最中で両者が対峙した時。
その時も今と似た展開で、遠距離での戦闘を嫌ったメディウサはホーネットと剣での勝負を挑んだ。
しかし彼女の剣は相手の剣の前に敗れ、接近戦においても為す術が無かった。魔法の才能でメディウサを上回っていたホーネットは、さらに剣の才能でも上回っていたのである。
その戦闘は結局、使徒を呼ぶ事により逃げる事が出来たのだが、まともな方法でホーネットと戦ってもまず勝ち目が無いと、その時にメディウサは強く実感させられる事になった。
時折ホーネットが至近距離で放つ魔法を挟みながらも、二人の剣戟は続く。
実力で劣るメディウサの身には細々とした切傷が増えていくが、魔人にとってそれは然程の有効打にはなり得ない。
特に彼女にとってそれは顕著で、戦いの合間にもその傷は徐々に治っているように見えた。
「さすがに生命力には目を見張るものがありますね。貴女の元の種族の特徴でしょうか」
ホーネットは油断無く剣を構えながら、常と変わらない金の瞳で敵の状態を観察する。
その視線を受けたメディウサは、より一層の憤りを感じて思わず奥歯を軋ませた。
(……ムカつく、ムカつくッ!!)
その冷静な顔も。魔人としては新参もいい所なのに、常に偉そうな態度も。
そしてそれを際立たせるような豊富な才能も、自分より確実に高いと分かるレベルも、その魔人の何もかもがメディウサには気に食わなかった。
才能はともかく魔人としてのレベルに関しては、長く生きているとはいえ怠惰に過ごすだけだったメディウサと、魔人になってからも鍛錬を欠かさず、戦争になってからは戦い続きだったホーネットとは差があって当然なのだが、そんな理由など関係無く、気に食わないものは気に食わないのである。
「このっ、このッ!!」
「──ッ」
怒りに猛るメディウサを前に、僅かに息を呑んだだけでホーネットは冷静さを崩さない。
冷徹で、かつ苛烈な魔人筆頭の剣は次第に相手を圧倒し、そして遂に彼女が下段から上に振り抜いた剣が、メディウサの無防備に晒されている胸元を縦に深く斬り裂いた。
「つ、う……!」
その痛みに、咄嗟にメディウサは相手から距離を取ろうとしてしまい、すぐにそれでは魔法で勝る敵の思う壺だと考え直す。
その躊躇の隙に、ホーネットが真横に振るった剣が今度は右腕を襲った。
(くそ、こいつやっぱ強い……!! アレフガルドはやられちゃったみたいだし、こうなったら……)
胸と右腕の深い痛みを感じながら、メディウサは思考する。
ホーネットは小癪にも、自分と戦う前にアレフガルドを先に倒した様子。もし、使徒が居たなら軽く命じるだけで、すぐにでもこんな所からは離脱出来るのだが、もうその手段を使う事は出来ない。
(こうなったらもう……)
逃げる事は叶わず、遠距離でも近距離でも相手にする事は難しい。そんな強敵を前にして、
(こうなったらもう、眼を使うしか無いのかも? ……でも眼を使っちゃうと、せっかくのホーネットが……あー!)
戦闘中だと言うのに頭を抱えたい気持ちを抑えきれず、メディウサは内心で悲鳴を上げる。
逃げ場の無い場所での、魔人筆頭との一対一。
そんな絶体絶命の状況にあっても、メディウサには余裕がある。その理由が彼女に眼にあった。
メディウサには石化の眼光という力があり、敵をひと睨みするだけで固めてしまう事が出来る。
決して比喩では無く、相手を本物の石の彫像に変化させる、そんな特殊能力がその魔人の両目には宿っていた。
この能力に関しては、ホーネットも知らない筈である。誰かに話した覚えは無いし、自分でも嫌っている能力なので戦場でもまず使用しない。知るとしたらすでに倒されてしまった使徒ぐらいなもの。
(試した事は無いけど、多分これは魔人相手にも効く。ちょっと睨んじゃえば、こんな戦いすぐに終わるけど、でもそしたらホーネットで楽しめなくなっちゃう……あーどうしようどうしよう!!)
メディウサは今まで、ホーネットとの息つく暇もない緊迫した攻防を、そんなジレンマを抱えながら行っていた。
つまり、石化の眼光を使えばこの戦いには勝つ事が出来るのだが、すると勝利後のお楽しみタイムが無くなってしまうのである。
何故このシャングリラの地に突然ホーネットがやって来たのか、メディウサにはまるで分からない。
だがこの際理由などどうでも良く、これはまたと無い大きなチャンスだと考えていた。
(なんたって、ホーネットは極上の獲物……。これ以上は無いって相手だし……)
偉そうでいてムカつく、それでいてすぐには折れないだろう鋼の胆力。
その美貌も相まって、何を捨ててでも楽しみたい格別な相手。そんなホーネットであるが、魔物界での戦争の最中でやられたのでは、彼女はカミーラのものになってしまう。
しかしここはシャングリラ。
ここには自分に逆らう者などおらず、ここでなら心ゆくまでホーネットを蹂躙する事が出来る。
延々と苦痛を与え続けて、最後終わった後に残る魔血魂。それをケイブリスに渡して、戦いの中で手加減が出来なかったとでも言えば十分だろう。
だがそんな夢の様な時間は、眼の力で片付けてしまうと味わう事は出来ない。顔色も分からない物言わぬ彫像となったホーネットでは、何も楽しむ事は出来ないのだ。
(この石化は私じゃ……、くぅぅ、アレフガルドさえいればぁ……!)
彼女の瞳による石化、一応それは魔法でもって解除は出来る。だがメディウサにはその魔法を扱う才能が無い為、自分では解除する事が出来ない。それが彼女がこの能力を嫌う一番の理由。
同じく才能は無いが、色々と何でも有りなアレフガルドに頼めば何とか出来たかもしれないが、しかしアレフガルドはもう倒されてしまった。
(……ホーネットで遊びたい。絶対遊びたい。……でも、ちょっと勝てる気しなーい。もう、眼を使っちゃおっかな。……でも、遊びたいぃ……)
答えの出せない問題を、メディウサは頭の中で延々と繰り返す。
あまり泥臭く戦うのは面倒なので好みではないが、もう少しホーネットとの戦闘を続行して、何とか勝機を見出してみるか。
だが、それは当然に危険も伴う。どんな楽しみも自分の命には代えられないし、もう眼を使ってしまって戦闘を終わらせるか。
そんなメディウサの逡巡を、
「ランス、アターーーック!!!!」
彼女の背後、建物の影から飛び出してきた、ランスの必殺技が鋭く斬り裂いた。
「うっひょおーー!!」
嬉々とした声を上げる魔剣カオス。その刃は衝撃波を伴いながら振り下ろされ、魔人メディウサの左腕をいとも容易く切断した。
「なっ、に……ぐ、ぅ……!!」
突然背後から放たれた衝撃波に身を叩かれ、驚愕するメディウサを遅れて焼けるような痛みが襲う。
地に落ちた左腕を目にして、自分のそれが斬り落とされた事をようやく理解した。
「遅かったですね。すぐに加勢すると言っていたではありませんか」
「ホーネット!! お前のぶっ放す魔法が危なっかしくて、中々近づけなかったんじゃい!! 俺様が近くに居る事を考えて戦わんか!!」
敵を挟んだ向こう側、作戦通りに動いたつもりのホーネットに向け、ランスは大声で怒鳴る。
彼はホーネットが戦っている間に、周囲の建物の外周を回ってメディウサの背後に周り、タイミング良くその隙を狙う事を計画していた。
しかしその魔人が連発する破壊光線は、建物の壁など問答無用で破壊する為、その後ろにいたランスはひーひー言いながらホーネットの魔法から逃げ惑うという、先程まで割とピンチを味わっていた。
ともあれ、戦闘前にランスが計画した得意の奇襲作戦。それが見事にメディウサ相手に決まった。
「何、何よあんた……、一体誰……!」
左腕の切断面を右手で庇うメディウサの頭の中は、戦闘後の獲物を思う余裕と悩みが消えた代わりに、焦りと混乱で占められていた。
突如戦闘に乱入した、この男は誰なのか。
男が手に持つ武器、無敵結界を断ち切る事が出来る、あれは恐らく魔剣だろう。
何故魔剣を持つ男がホーネットと協力をして、今自分に刃を向けているのか。
「俺様の事が知りたいか。そーかそーか、いいだろう。ならば教えてやる、俺様は──」
狼狽するメディウサの疑問に大声で答えてやろうと、大きく息を吸ったランスだったが、
「……っ」
そこで言葉に詰まり、そのまま息を飲み込む。
彼は今まで建物の裏側でこそこそしていて、そのプールの惨状を目にしていなかった。
以前の記憶を呼び起こす、美しい女性達の鮮血と骸の山を目の当たりにしたランスは、不快感を吐き出す様に小さく息をついた。
「……蛇女。ここで死ぬお前が知る必要はねーな。さっさとくたばりやがれ!!」
もはや話す気も失せたランスは、魔剣を振りかぶりながら猛然と突進する。そして、同じタイミングでホーネットも動き出す。
魔剣を握る男と魔人筆頭。二人に挟まれたメディウサにはとても攻撃など考えられず、股間に生えた蛇と残された右手の剣で、両者の剣を払いながら回避するのがやっとだった。
(まずい……まずいまずい!! これもう、悩んでる場合じゃない!!)
戦闘後ホーネットで楽しみたいとか、後の事を考える余裕はもう何処にも無い。
生命力に優れている魔人メディウサだが、魔剣は魔人にとって天敵とも言える存在。ホーネットの剣でも傷付けるだけだったその腕を、先程一撃で両断したのが良い例である。
このままではいつ致命傷を受けるか分からず、逃げようと離れたら魔人筆頭の魔法で焼かれるだけ。
もはやこの窮地を凌ぐには、眼の力を使う以外にはあり得ないと、メディウサは即座に決断した。
(──よし)
そして彼女は両の瞳に力を込める。
まずは当然ホーネット。
自分より強い魔人筆頭を無力化出来れば、魔剣を持つだけの人間の男などどうとでも処理出来る。
「ふッ!!」
メディウサは牽制の為、魔剣を持つ男に対して股間の蛇を走らせる。
「チィ、邪魔くせぇ!!」
意思持つムチの如き、縦横無尽に振るわれるその蛇を、ランスは魔剣でもって弾き返す。
そうして片方をその場に足止めしながら、メディウサは逆側にいる相手をその眼で睨んだ。
(これで──!)
──決まった。
この瞳の力により、その魔人の全身はすぐに石塊に変化する。そう確信していたのだが。
(……え、あれ、なんで)
メディウサは理解出来ないものを見たかのように、その思考を一瞬放棄する。
石化の眼光がホーネットの事を睨むが、しかし見計らったように視線を外されて目が合わない。この能力はただ睨むだけでは意味が無く、相手と自分の目が合わないと発動しないのだ。
その魔人は近距離で自分の右手と剣を交えているのにもかかわらず、目を合わせようとするとその瞳だけが逃げてしまう。
(何これ、偶然……? っ、なら……)
ホーネットの剣が、男の魔剣が徐々に彼女の身体を刻んでいくが、片手で両者と打ち合う事など出来ず、転がるようにしてどうにか一度距離を取る。
そして今度はホーネットより隙の大きい謎の男。
魔剣カオスを持っているこの男を排除しようと、メディウサは石化の眼光をランスに向けた。
だが。
「ひょいっと」
「っな、あ、あんた……!!」
ランスは小馬鹿にするような声と共に大きく首を振り、メディウサから顔を背ける。その大袈裟な態度を目にして、彼女はようやく理解した。
(こいつらまさか、私の能力の事知ってるの!? なんで!?)
誰にも教えた事の無い自分の特殊能力を、一体何故知っているのか。メディウサには想像が及ばなかったが、だが知っているとしか思えない。
何度も視線を合わせようとしても、ホーネットは器用に瞳を逃がすし、ランスに至っては戦闘の最中だと言うのに、身体の向きごと反らす始末だった。
(……え。ちょっと、ねぇちょっと待ってよ。これじゃ、どうやっても私には……)
自分より剣も魔力も何もかも格上のホーネットと、魔人を造作も無く切り裂く魔剣を持つ男。
そんな二人を前にして、万能の使徒も倒されて、自分の切り札も封じられている。
これではどうやっても自分には勝ち目が無い。
メディウサが自身の敗北を悟ってしまったのと、
「とどめ、だッ!!」
ランスの振り下ろした魔剣がその魔人の背後、肩口から胸まで深々と斬り裂いたのは、期せずして同じタイミングだった。
「が、っは……! ……っ、ぁ、ぁ」
メディウサの口から鮮血が溢れ出し、力の抜けた右手から剣が落ちる。
一目で致命傷だと分かる、胸元までを抉る魔剣の刃から何とか逃れようと、よろめく足で前に進む。
しかし二歩三歩と進んだ所で、今度は正面からホーネットの剣が襲う。
力無く振るわれたメディウサの右の爪を躱すと、その剣が胸の中心を貫いた。
「ごは、ぁっ……」
「終わりです、メディウサ」
「ホー、ネット……」
その剣が引き抜かれると同時に、その身体から急激に力と痛みが抜けていく。
「く……そ、」
自分の死期を悟ったメディウサは、悔しげな表情で眼前の魔人を睨む。
何から何までとても気に食わない、だからこその極上の獲物であったホーネットには、結局まともな傷一つ与える事が出来なかった。それが心残りがあったのか、最後にもう一度だけ瞳に力を込める。
「…………だめ、か」
けれどもすでに目が霞み、視界がぼやけて前が見えない。
もはや石化の眼光を使う力も無いのだと知ったメディウサは、荒い息を吐きながら口を開いた。
「……不思議、なんだけど、さ。あんた、何で眼の事、知ってたの? ……誰かに言った覚え、無いん、だけど……」
「……何故でしょうね。本当に、不思議な男……」
ホーネットは息も絶え絶えに言葉を発したメディウサでは無く、少し離れた別の方を向いていた。
「何、それ……」
──全然答えになってない。
メディウサが物言わぬ魔血魂となる直前、最後に考えたのはそんな事だった。
◇ ◇ ◇
「死んだか」
魔剣を収めて近づいて来たランスが、プールサイドに転がる魔血魂を軽く拾い上げる。
僅かな間、手に取ったそれをじっと眺めていたが、しかしすぐに興味を無くしたのか、何も言わずにポケットの中にしまい込んだ。
魔人メディウサは、ランスとホーネットの手により討伐された。
常ならばこんな時、大声で勝ち名乗りを上げていたであろうランスだったが、周囲に女性の死体が散らばるこの状況下では、あまりそのような気分にはならなかった。
「……だがまぁ、うむ、俺の大勝利だな。また一つ、俺を彩る輝かしい功績が増えてしまったぜ」
「半分以上、働いたのは私ですが」
「ホーネット君。こういうのはだな、誰がどれだけ働いたとかはどーでも良くて、英雄たる俺様主導の下、蛇女を倒したという事実が大事なのだよ」
調子の良い言葉と共に、何度も大きく頷くランスの姿を視界の端に捉えながら、ホーネットはメディウサを貫いた剣を鞘に収めながら少し考える。
メディウサの逃げ場の無かったこの状況下においてなら、恐らく自分一人でも勝てたとは思う。
けれどもメディウサの瞳に秘された特殊能力。それを事前に聞いてなかったら自分とてどうなっていたかは分からないし、生命力に優れた敵をこれだけ早く倒せたのは、魔剣の力に寄る所が大きい。
ならば正面から戦える自分が囮になり、魔剣を扱えるランスが隙を突くという彼の提案した奇襲作戦も、役割分担としては理に適っているのだろう。
先の戦いをそのように冷静に分析したホーネットは、周囲に展開していた魔法球を解除して、装着していた巨大な肩当てを一度地面に下ろす。
重い鎧を下ろして、一度大きく肩で息をすると、達成感と共に少し緊張から解き放たれた気がした。
(……ふむ)
そして、そんなホーネットの様子を、今まさにランスは冷静に分析していた。
彼女が防具を外して、その身に透けた薄布一枚しか着ていない見慣れた状態になったのを見て、考えていた二つ目の作戦を実行する事にした。
「……っ、ぐっぅ……!」
突然ランスは呻き声を漏らしたかと思うと、腹部を押さえてその場にうずくまる。
「どうしました?」
「……どーやら腹を、あいつが振り回す大蛇に噛まれてたみたいだ、っ……!」
そして激痛を堪えるかのように唇を噛む。その額には脂汗まで浮かんでいるように見えた。
「見せてください。私は神魔法が使えますから、すぐに回復して……」
そんなランスの様子に、慌てて近づいて来たホーネットの、メディウサとの戦闘が終わった事による、僅かに弛緩した彼女の隙。
「すきありーーー!!!」
その隙を突いて、ランスはホーネットに正面から飛び付いた。
「っ、」
「ほへー、おっぱいおっぱい。やーらけー」
息を呑むその女性の豊かな胸の谷間に、ランスはすりすりと頬ずりしながら顔を埋める。
逃げる事も抵抗もさせないとばかりに、地面に片膝を立てたランスは自らの腕を彼女の背中までがっちりと回し、その両腕をしっかり抑え込んだ。
ランスの二つ目の作戦。メディウサとの戦闘とは特に関係が無い、ホーネットへのセクハラ作戦。
そんな事を計画したのはつい先程の話では無く、魔王城を出発した時からであった。
移動中などで一緒にうし車に乗っている時から、ランスはずっとセクハラする機会を伺っていたのだが、そもそも隙が無い相手な上に、敵地に乗り込む覚悟でいたホーネットには、今までごく小さな気の緩みすら無かった。
これはメディウサとの戦闘が終わるまでは、ホーネットの警戒は解けそうに無いなと感じていたランスは、この隙を逃さぬとばかりに奇襲を仕掛けたのだった。
(ホーネットに触れるのはこれが初めて、ぐふふふ、やっぱエェ身体よのう……!)
魔人筆頭との初接触。前回の時に逃してしまったそれを、ランスは存分に楽しむ。
「すーりすり、すーりすーり」
「………………」
胸の谷間に顔を埋めていると、今の彼女の様子が何も分からない。少し身体を強張らせているように思えるが、振りほどくような気配は無い。
抵抗しないのならばと、その極上のシルクのような肌、更にはそのたわわな胸の柔らかさを顔面で味わっていたランスだったが、彼女の反応があまりに無い事が次第に気になってきた。
(……うーむ。もしかしてこれ、怒ってる?)
怒られて当然の事をしながら、ランスは悠長にもそんな事を考える。
今までホーネットの視線による威圧を受けた事は何度もあったが、直接怒られた事は無いような気がしたランスは、仮に彼女が怒ったらどうなるのだろうかと、遅まきながら少々怖くなってきた。
(……でもさすがに、いきなり俺に魔法を撃ったりはしないよな? ……いや、するかもしれんぞ)
ランスの首筋にスッと冷たいものが走る。この距離でホーネットの魔法を食らったら、さすがの自分でも耐えきれる自信が無い。
もし相手が実力行使に出ようとしたら、即座に逃げ出そうと決めた彼は、ホーネットの背中に回していた腕を僅かに緩める。
「………………」
腕が動かせるようになったホーネットは、右手を片膝立ちの相手の肩にそっと置く。
びくりと大袈裟に肩を揺らすランスに向けて、静かに口を開いた。
「……腹の傷は、大丈夫なのですか?」
「傷? ……あ、そうだったな。うむ、お前の胸の感触を味わったら、すっかり痛みが引いたようだ」
「……そうですか」
途端にホーネットは一歩下がり、ランスから身体を離す。
「痛みが引いたならば、しっかりと立ちなさい」
「お、おう」
「では、メディウサの討伐も終えた事ですし、魔王城に帰りましょう。……そういえば、シャリエラにも一言お礼を言うべきかも知れませんね」
言いながらその魔人はランスに背を向け、シャリエラを残してきた方へとすたすたと歩き出す。
先程のセクハラをまるで気にしていない様子に、ランスは安堵するよりも奇妙に思う気持ちの方が強くなり、思わずその背中に向けて声を掛けた。
「なぁホーネット、さっきの怒ってないのか?」
「……怒って欲しいのですか?」
「いや、全然」
振り向かないままのその言葉に、ランスは慌てて首を横に振る。
「……ランス。貴方が弁えない人間だと言う事は重々理解していたにも拘らず、先程は私に油断がありました。……だからという訳ではありませんが、大目に見ます」
「……おお、マジか。大目に見るのか」
ランスの頭にあるホーネット像からは、少し考えられないような寛大な対応。
そういう事ならばもう一度と、後ろから抱き締めるように彼女の胸に手を伸ばす。
「ぐっ、」
だがその途中で、背後からでも分かる彼女の威圧を受けたランスは、慌てて手を引っ込めた。
「ですが、次があるとは思わないように」
「……ぬぅ。だがなホーネット、俺様がそんなんで諦めるとは、お前も思わんほうがいいぞ」
二人は言葉を交わすが、相変わらずホーネットはランスに背を向けたまま。
以前、自分から視線を逸らすこの魔人の姿は珍しいなと感じたランスだったが、その顔すら向けないというのは更に珍しい。
何となく、今のホーネットの表情が気になったランスは、彼女の横側からそーっと覗き込む。
だがその顔が見えるまさにその直前、先程よりさらに強烈で、寒気すら覚える程の威圧を受けたランスは、びくっと身体ごと仰け反った。
「遊んでいないで、行きますよ」
「いや、遊んでねーっつの。……てかホーネット、こっち向けよ」
ホーネットはそれに答えようとはせず、代わりに小さく吐息を漏らした。
ランスは彼女の溜息の音を耳にしながら、
(……そういえば、こいつに名前を呼ばれたのっていつ以来だ?)
そんな事を、何気無く考えた。