新たなる敵
魔物界北部に存在している魔王城。
荘厳かつ巨大なその城はホーネット派が本拠地としており、その城の周囲には外敵を拒むように城壁と城門が設置されている。
そして、その城門のすぐ裏手。
内開きの門が開かれた際にちょうど影となる場所に、ランスが立っていた。
「どーだかなみ、見えたか?」
ランスは首を目一杯上に向け、その先に居る自分専属の忍者に向かって声を掛ける。
「ええと……まだ、かな」
かなみは答えながら首を横に振る。彼女はランスから下された命令で、先程から背高い城壁の上に登って城の外を監視し続けていた。
「……まだか。ぬぅ、焦らしおって」
苛立たしげに振るわれた魔剣の切っ先が、ランスの足元の土を抉る。
彼はすでに魔剣をその手に握っており、普段使いの愛用の鎧も装着している。間近に迫る、魔人との決戦の準備は万全だった。
「かなみ、奴が来たらすぐに教えろよ」
「うん、分かってる」
「いいか、絶対見逃すなよ。もし見逃したらキツいお仕置きだからな」
「見逃さないわよ! これでも私、忍者なんですからね」
偵察や監視任務はお手の物なんですから、とやる気を見せるかなみだったが、すぐに躊躇うような表情になってランスに振り向いた。
「……けどランス。大丈夫なの?」
「大丈夫だ、安心しろかなみ。俺様は無敵だ、奴などには負けん」
「あ、うん。と言うか、そっちじゃなくて」
彼女は別にランスの心配をした訳では無く、気になっているのはもっと別の事。
「私が言ってるのは、こんな事しちゃって大丈夫なのかなって言う事なんだけど……」
「何だ、そんな事か。それなら平気だ、俺様はこのホーネット派の影の支配者だからな。ホーネットより偉い俺が何をしても問題は無いはずだ」
「……そうなの? けど、それでもこういう事は止めといた方がいいような……」
「うるさい。俺様がやると言ったらやるのだ」
「……はぁ。分かったわよ、どうなっても知らないからね」
己の意見を曲げない頑ななランスの様子に、渋々かなみは監視作業に戻る。すると今度は、そばにいた奴隷が不安そうな面持ちで口を開いた。
「……ランス様。私もかなみさんと同意見で、あまりこういう事は良くないと思うのですが……」
「良くないもクソもあるか。シィル、こういうのは落とし前ってヤツが大事なんだ」
「けど……」
これはケジメなんじゃ、と意気込むランスを前にして、強くは言えないが考え直して欲しいと思っているかなみとシィルの二人。
そしてその気持ちは、ランスがその手に持っている意思持つ剣も同感であった。
「心の友よ、嬢ちゃん達の言う通りだって。こんな事止めといた方がいいと違う?」
「カオス、お前まで何を言うか。大体、魔人を斬るのはお前の大好物だろーが」
「……いや。儂ね、あいつの事は別に……」
そのままカオスは何故だか、目を反らしてもごもごと口籠る。
普段なら魔人を斬ると言ってやれば、思わず捨てたくなる程にうるさくテンションを上げるカオスのその様子に、ランスは少しだけ妙に感じたが、即座に駄剣の事などどうでもいいなと考え直す。
それより今は、魔人の戦いに集中すべし。
ランスが身体をほぐすように、入念に魔剣で素振りをし始めたその時。
「あ、見えた。ランス、来たみたい」
かなみが声を上げると共に城壁から飛び下りる。
どうやらランスの獲物が、遂に魔王城へと到着したようであった。
「よっしゃ。二人共、邪魔だから下がってろ」
シィルとかなみを後方に下げると、ランスはカオスを上段に構えて精神を集中させる。
戦闘が長引くと不利になるのはこちらなので、ランスは最初の一撃で決めるつもりだった。
「……ふぅ」
少しの間、緊迫した空気が流れる。
その魔人の帰還を受けて、城門が鈍い音を鳴らしながら内開きに開かれる。
一歩一歩、その魔人の歩く音が聞こえてくる。
「──よし」
そして。
「……着いた着いた。ふぅ、腹減ったなーっと」
「死ねーーー!!!」
魔王城に帰還した魔人ガルティアに対して、ランスはその背後から一切の躊躇なく斬り掛かった。
「うおっと!」
完全に死角からの一撃であったが、ガルティアは瞬時に身体を斜め前に転がす事によって、ランスアタックの斬撃と衝撃波をギリギリで回避する。
当たれば致命傷間違い無しの会心の一撃を躱され、舌打ちする男とその魔人が正対した。
「……ランス。あんた、無茶苦茶するなぁ……」
ガルティアは呆然とした顔のまま立ち上がる。彼はその体内に、常時センサーの役割を果たすムシ達を何体も有している。
それにより実の所、城門の影となる場所に隠れているつもりのランス達の存在は、城に一歩踏み入れた時から感知していた。
だがそんなガルティアでも、まさかランスが突然に斬り掛かってくるとまでは予想しておらず、その魔剣による必殺技の威力の相まって、少々冷や汗を掻くような出来事であった。
「いきなり他人の事を背後から斬っちゃ駄目って、子供の頃に教わらなかったのか?」
「やっかましい!!」
相手の言葉を封じるように、ランスはカオスの切っ先をビシっと突き付ける。
傲然と敵を睨み付けるその男の顔は、まさしく怒りの形相と呼ぶに相応しい。彼が突然こんな暴挙に打って出たのには、一応の理由があるといえば理由があった。
「ムシ野郎。お前、守備を任されていた前線の魔界都市を、ケイブリス派に奪われたそうじゃねーか」
「あ、あぁ……。その話か……」
その怒りに心当たりがあったのか、ガルティアは少々バツが悪そうな表情で顔を逸らす。
魔界都市ビューティツリー。ホーネット派の前線拠点であり、当時魔人ガルディアが指揮していたその都市が、ケイブリス派によって奪回された。
つい先日、メディウサ討伐の旅から帰ってきたばかりのランスの下に、その知らせは届いた。
聞いた時は然程の興味が湧かず、「そりゃ大変だな」と他人事にように済ませたのだが、その都市を指揮していたのがガルティアだと言う事を知ると考えが180度変化した。
失態を犯したその魔人へ落とし前をつける為、ランスは待ち伏せからの奇襲を敢行したのだった。
「都市を落とされ、おめおめと逃げ帰ってきた役立たずの貴様には死刑が相応しい。何か言い残す事はあるか、よし無いな。では死ねー!!」
「ちょ、ちょっと待てって!! これには理由があんだよ!!」
「知ったことかー!!」
再び乱暴に振るわれる魔剣を、ガルティアは自身の蛮刀で受け止める。
ランスの言葉は確かに事実ではあったのだが、とはいえ彼にも反論の材料が存在した。
「ワーグだ、ワーグが出たんだって!!」
「……ワーグ?」
◇ ◇ ◇
魔王城にあるシルキィの部屋。
ガルティアの帰還を受けて、城に残る魔人達は急遽作戦会議を行う事を決定した。
派閥の主はすでに城を発ってしまっているので、立場的に派閥のNO,2となるその魔人四天王の部屋で、一同は大きな机を囲んでいた。
「……そう。遂に、ワーグが現れたのね」
「あぁ、ありゃ間違いなくワーグの仕業だ。やっぱホーネットが言っていた通り、ケイブリスの派閥に加わったみたいだな」
自分の言葉を肯定して頷くガルティアの姿に、シルキィは悄然としたように頭を下げる。
派閥の主からそれを聞いた時からいずれはこうなるのだろうと分かってはいたが、それでも彼女はやるせない思いを抑えられなかった。
魔人ワーグ。周囲の者を眠らせて、そして眠らせた者を操る力を持つ魔人。魔物界で一番恐れられているとも言えるその魔人は、現在どちらの派閥にも属していない筈だった。
だがホーネットはペンゲラツリーでの経験から、その魔人がケイブリス派に参加した事を察知しており、その事は最重要懸念事項として、前もって派閥の魔人達全員には伝えていた。
もしワーグが本格的に攻めてきた場合、魔人ならある程度その能力に抗する事も可能なのだが、魔物兵達にとってはとても抵抗出来るものでは無く、すぐに眠らされて死を待つだけの状態になる。
自分達の味方となる兵達をみすみす死なせるのは忍びないので、もしワーグが出現したと判明したら兵達を守る為に撤退して構わないと、事前にホーネットはガルティアに指示を出していた。
なのでその事を知らなかったランスはともかく、ここに集まった魔人達にとってガルティアが拠点を放棄した事は、想定通りと言えば想定通りだった。
「いきなり周りの魔物兵達がバッタバタ倒れ出してさ、始めは何事かと思ったよ」
魔界都市にワーグが徐々に接近して来ると、最初に影響を受けるのは能力の弱い魔物兵達。
突然の出来事に最初慌てたガルティアだったが、次第に自分にも強烈な眠気が襲い掛かり、これはあの魔人の仕業だと確信を持った。
「ワーグの能力、ありゃ凄ぇなホント。この俺でもちょっとくらっと来てさ、あの団子が無けりゃ危なかったかもな」
脳髄まで強烈に痺れさせるような香姫の団子。それをぱくりと食べて彼は目を覚ますと、まだ意識があった魔物達を纏め上げて、ビューティツリーから即座に撤退したという経緯であった。
「ガルティア。ワーグが攻めてくる事に、もっと早く気付けなかったのか?」
「……まぁ、俺もメガラスも一応警戒はしてたんだけどさ、さすがにワーグだとな」
「……そうね。あの子は、いつも一人だから……」
サテラの疑問に対するガルティアの返答に、シルキィはどこか切なそうに視線を伏せる。
魔人ワーグの能力は本人にも制御が利かない。彼女のそばには現状ペットしか寄る事が出来ず、魔物兵の大軍を率いたりする事は出来ない。
結果彼女は常に単独で動く事になる為、その存在を事前に察知するのは非常に困難であった。
空からの警戒網を敷く魔人メガラス指揮下の飛行魔物兵の偵察部隊も、一日中すべての場所をつぶさに監視するなど到底不可能である。
加えて空からの監視がどうしても難しくなる、魔物界の森をひっそりと抜けてきたワーグに都市への接近を許してしまい、その凶悪な能力によって拠点は無力化されてしまった。
「ワーグの事は早く何とかしねぇと、このままじゃろくに抵抗出来ないまま兵達が死ぬだけだ」
「ガルティア、死ぬだけならまだマシだ。ワーグの能力は……」
「……あまり考えたくないけど、すでに大多数は操られてしまっているでしょうね」
目覚めぬ眠りだけでも恐ろしいのに、ワーグは眠った者が見る夢を操作する事により、その記憶を改竄する事が出来る。
仲間だったはずの兵達は敵側に加わり、今後戦場で相まみえる事になるかもしれない。そう考える魔人達の顔にはすでに憂鬱の色が浮かんでいた。
(……うーむ)
と、そんな魔人達の話し合いを、ランスは少し離れた席で聞きながら、
(……まーた俺様の知らん魔人が増えやがった。どうなっとるんだ全く)
非常に納得のいっていない、憮然とした顔で腕を組んでいた。
魔人ワーグ。
その名前に関しては、ランスが頭の中を隅から隅まで探っても出てくる事は無かった。
前回の第二次魔人戦争を最後まで戦い抜いた経験を持つ彼が、存在すら知らなかった魔人はメガラスに次いでこれで二人目である。
メガラスはそれでもホーネット派の魔人であるので、特に知らずとも別段問題は起こらなかったし、なので今後も知ろうとは思っていない。
だがワーグは敵の魔人であり、目下すぐに対処しないといけない相手。しかしその魔人について何も知らないのに、何か名案が浮かぶ筈も無い。
そんな理由から、シルキィ達の作戦会議を半ば聞き流していたランスだったのだが、
「サテラよ、ちょっとちょっと」
それでもやはり気になってしまったのか、近くの席にいたサテラを手招きして呼び寄せた。
「なんだランス、どうした?」
「なぁ、ワーグって何だ? シルキィ達は相当警戒しているが、そんなに強い魔人なのか?」
「……うーん、強いっていうか……」
サテラは難しい顔をして首を傾げる。彼女の知る限り魔人ワーグは強くはない。その腕力も魔力も魔人の中では最弱と言える。ただその能力故にあらゆる存在から恐れられていた。
「魔人ワーグはな、あいつのそばに近づくと眠くなってしまう。それが危険なんだ」
「眠くなる?」
「うん、眠くなる」
「……それ、強いのか?」
サテラの極めて簡単な説明を聞いたランスには、いまいちピンとこない様子だった。
「眠気ぐらい、気合いでどうにかしろよ」
「……正直、サテラもそう思うけど、どうやらそうもいかないらしい。それに加えて、あれに眠らされると二度と起きられなくなってしまうそうだ」
「ありゃ、起きる事も出来んのか。そりゃあ確かにちょっと怖いな」
どんなに強い力を持つ者も、眠ってしまえば雑魚同然になってしまうし、目覚めぬ眠りと言うのはもはや死と大差が無い。ワーグの能力を知り、さすがのランスも少し真面目な表情になった。
「そのワーグの能力、何か対処法は無いのか?」
「一応ワーグの能力は、サテラ達のような魔人や、能力が強ければある程度は抵抗出来るんだが……」
「ほーん、強けりゃいいのか。なら……」
ランスの頭に思い浮かぶ、このホーネット派の中で一番強い存在。
それは誰がどう考えても、あの魔人しかあり得なかった。
「ならホーネットだな。ホーネットに言ってぱぱっと片付けちまえよ」
同じ魔人であるメディウサをも圧倒する魔人筆頭、それは間違いなくホーネット派最強の魔人。
強ければ良いという条件で、彼女に頼らない選択肢などランスには思い付かなかった。
「って、あれ。そういや、この部屋に何でホーネットは居ないんだ?」
「ランス。ホーネット様はもう出発されたと前に言っただろう」
「あー、そうだったな。つーか、ホーネット抜きで作戦会議してていいのか?」
「ホーネット様には、ちょっと前にハウゼルが伝言に出たから問題は無い。けど……」
サテラは言葉を区切り、ちらりとシルキィの方に視線を向ける。目が合ったその魔人は神妙な面持ちで小さく首を横に振ると、テーブルを挟んだ先のランスの方を向いた。
「ランスさん、ホーネット様は駄目。ワーグに関しては私達に任せて欲しいって言ってあるの」
「んあ? 何でだよ、強けりゃ強い程良いんじゃないのか?」
「……それは、そうだけど。けれど、ワーグの能力はそれでも未知数なのよ」
魔人ワーグの眠気には強ければ抵抗が出来る。そう知られてはいるが、それは魔人達が身を以て感じている体感での話であって、どれだけ強ければ良いという確かな指標があるものでは無い。そもそもが、眠気などというとても曖昧なものである。
「ホーネット様なら大丈夫だと思いたいけど、もし万が一の事があったら大変でしょ? この前みたいな事になるのはもう嫌なの」
派閥の主が捕らえられた時の気持ちを思い出したのか、シルキィははぁ、と静かに息を吐く。
もしホーネットが眠らされてしまったら、それでもう派閥戦争は終幕となってしまう。ワーグに関してはとてもじゃないが派閥の主には頼れないと、彼女がそう考えるのも当然だった。
シルキィがその話を当の本人に提案した時、最初は同意を得られなかった。一番能力が強く、一番眠りに対抗出来るであろう自分が戦うと、ホーネットは当初譲らなかった。
しかしシルキィの再三の説得を受けて「……分かりました。ワーグに関しては貴女達に任せます」と、最終的には考えを曲げて仲間達に託した。
ふと脳裏に、派閥の主の口からその言葉を引き出す為の苦労を思い出したのか、シルキィは慌てて首を横に振ると、その場に居る者達に言い聞かせるように少し声を張った。
「……とにかく。ワーグに関してはホーネット様抜きにして、私達でなんとかするの」
「うーむ。しかしホーネットが駄目なら、次に強い奴がやるしかないよな」
ランスは顎を擦りながら考える。魔人筆頭であるホーネットの次に強い魔人、そう考えた時に思い浮かぶのは、すぐそこに居る小柄な彼女。
「となると、魔人四天王の……」
──シルキィちゃん、君だな。
と、ランスはそう口にしようとして、
「……違うな。ムシ野郎、お前の出番だ」
とっさに考え方を急転換して、ガルティアに対して人差し指を突き付けた。
「え、俺? いや構わねぇけど、多分シルキィのが強いぜ? なんたって魔人四天王だし」
「いやでも、お前の方がいらんし」
「……あー、なるほどね」
強さなどはこの際どうでもよくて、捨て駒にするならまずは男の魔人。
ランスの分かり易すぎるその意図に気付いたガルティアは、なんとも微妙な顔で頷いた。
「……でもそうだな。都市を奪われたのは俺の責任もあるし、いっちょ戦うか」
そう言いながら、彼はは太腿をぱんと叩いて椅子から立ち上がる。
しかし。
「……いいえ、ワーグとは私が戦うわ」
ガルティアを片手で制したシルキィが、そう宣言した。
「シルキィ、別に俺で構わねぇよ」
「そーだそーだシルキィちゃん。ムシ野郎に戦わせときゃ十分だろ」
「ううん、私が戦う。と言うかね、最初から私はそのつもりだったのよ。ホーネット様に控えてもらう事を提案したのは私だしね」
魔人四天王の紅色の瞳には、すでに静かな覚悟が宿っている。
彼女はホーネットを説得した時から、もしもワーグが攻めてきた場合は、責任持って自分が戦うのが筋だと決断していたのである。
「皆はワーグ以外の魔人の事を警戒をしていて。ワーグは眠気さえ何とかなれば本人は全然強く無いから、私だけで問題無いわ」
「けどよシルキィ、その眠気は何とかなんのかよ。もしお前が眠らされて操られたら、すごく面倒な事になるぞ」
「……その時はもう、さすがにホーネット様にお願いするしか無いわね」
魔人シルキィが眠らされて操られて、ケイブリス派の為に力を振るうようになったとしたら、ホーネット派にとってはまさに悪夢のような話。
決してそうはならないとは誰も否定出来ず、それはシルキィ自身も考えたく無い事である。
ただ、もし自分が操られてしまったとしても、ホーネットさえ居れば、必ずや自分とワーグをまとめて魔血魂に変えてくれるだろうと、彼女は派閥の主の力を信じていた。
しかし、そんなシルキィの我が身を省みない覚悟に気付いたサテラが、目を吊り上げて声を荒げた。
「シルキィっ! お前な、そんなつもりならサテラは許さないぞ!! それなら、最初からホーネット様にお願いした方がましだ!!」
「サテラ……分かってる、私だって簡単にやられるつもりは無いわ。それにね、そもそもホーネット様より私の方がワーグと戦うには向いているのよ」
自分の身を案じて怒るサテラの様子に、困ったように微笑むシルキィだったが、彼女がワーグと戦う事を当初から決めていたのは、相応の勝算があるからであった。
「ワーグの能力って、あの子から出るフェロモンでしょ? わたしにはほら、リトルがあるから」
「あー、そっかそっか。確かにそう考えると、一番ワーグと戦うのに向いてるのはシルキィだな」
シルキィの特殊能力の事を思い出したガルティアが、納得するように頷く。
魔人ワーグの能力は、彼女の身から無造作に放たれるフェロモンを媒介にしている。
よってそれに触れる事の無い様に、堅牢な魔法具にて全身を覆い隠したまま戦えるシルキィは、対ワーグと言う意味では確かに最適な存在と言えた。
「それに、あの子とは少し話をしてみたいから」
誰に聞かせるでも無く、静かにシルキィは呟く。彼女にとって、本当の目的はそちらにあった。
一方、そんなシルキィ達の様子を眺めていたランスの脳裏には、何かが引っ掛かっていた。
(……なーんか、忘れてるような気がするぞ)
はて何だろうと、彼は自然に首を傾げる。
戦いに行ってしまうシルキィと、暫くセックスが出来なくなる事だろうか。確かにそれは重要な事なので、今晩は忘れずに抱いておこうと思う。だが、引っ掛かっているのはそれでは無い気がする。
しばし悩みに悩んで、ようやく閃いたランスはその顔を上げた。
「あ、分かった。なぁシルキィ、そのワーグってのは男か? それとも女か?」
見知らぬ存在である魔人ワーグの性別。それを聞くのをランスはすっかり忘れていた。
強さや能力も確かに大事な事であるが、何よりもその性別というのが一番大事な事であった。
「……えっと」
ランスのその問いに、言葉を濁したシルキィは思わずサテラと顔を見合わせる。
二人の魔人は似たように顔を悩ませている。それは二人共この先の展開に予測が付いてしまうが故の、苦悩の表情だった。
「……ねぇサテラ。どうしたらいいと思う?」
「……多分、面倒な事になるのはシルキィだから、シルキィが決めればいいと思う」
「えぇー……」
サテラの半ば突き放しに近い言葉に、シルキィの口から少々情けない声が漏れる。
自分で決めればいいと言われても、彼女は嘘を吐くのが苦手な性格であるので、それは正直に答えろと言われているのと同じ事。
仕方なくシルキィは事実をありのままに伝えようと、ランスに顔を向けた瞬間に、つい漏れそうになってしまった溜息を押し殺しながら口を開いた。
「……ワーグはその、女性だけど」
「よし。俺様も行く」