ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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魔人ワーグに近づきたい

 

 

 

 魔人ワーグの出現。

 

 それによって最前線の拠点であった魔界都市、ビューティーツリーを奪われてしまったホーネット派は、そこから一つ戻った場所にある魔界都市、サイサイツリーを現在の最前線としていた。

 

 そして、そのサイサイツリーの都市内にて。

 

 

「……しっかしまぁ、でっけぇ木だなこりゃ」

 

 魔界都市の象徴とも言える、都市の中心に生えた巨大な世界樹。

 首を目一杯上に傾けても視界に収まりきらないそれを眺めながら、ランスが感嘆の声を上げる。

 

「あの木から採れる豊富な食物が、魔物界の主な食料源になっているそうですよ、ランス様」

「へー。普段魔王城で食ってた見慣れない食材は、ここから採ってたのか」

「数十万っていう数の魔物の食料を、あの木一本だけで補えるそうです。すごいですよね」

「ほーん、そりゃあすごい。……すごい、が」

 

 ランスは言葉を区切ると、視線を世界樹から外して周囲をぐるっと一望する。

 

「数十万の魔物っつっても、この都市にはほっとんど居ないけどな」

 

 魔王城を出発して、ランス達が到着した魔界都市サイサイツリー。

 常ならば人間世界の大都市のように賑わっている筈のこの場所は、今現在死んだように寂れていた。

 

 

「……ワーグが迫って来ているからね。魔物達はみんな怯えて後ろの都市に下がっちゃったのよ」

 

 彼等の少し後方、うし車の整備をしている魔人シルキィが答える。

 彼女の言葉通り、最前線の魔界都市ビューティーツリーが魔人ワーグによって落とされた事で、次はきっとこの場所だと、当時この都市に居た魔物兵達は大パニックに陥った。

 

 そして我先にとばかりに、ここよりも内側にあって安全なキトゥイツリーや魔王城へと逃げ出そうとする魔物兵が続出し、どの道対ワーグという意味では魔物兵は役に立たないので、派閥の主であるホーネットもその事は許容していた。

 よって現在このサイサイツリーには、ハウゼルを中心とした飛行魔物兵の偵察部隊しかおらず、都市内の静けさは枯れてしまった都市であるペンゲラツリーと並ぶような有様であった。

 

「まったく、眠気なんぞを恐れるとは。魔物のくせにだらしない奴らめ」

「仕方ないわ。魔物界においてワーグの存在はそれだけ恐れられているのよ。それより……」

 

 うし車を整備している手を止めたシルキィは振り返り、ランスに対してじろっとした目を向けた。

 

「……ランスさん。貴方、本当に私に付いてくるつもりなの?」

「もっちろん。ここまで一緒に来たのに、この先には行かないなんて事あるか」

「……私、ワーグとの戦いに貴方達が加わるのは、ちょっと賛成出来ないんだけど……」

「まーたそれか、君もしつこい奴だな」

 

 道中で何度もシルキィにその事を言われていたランスは、うんざりだという表情で肩を竦める。

 

 魔王城での対ワーグ作戦会議終了後、シルキィはすぐに準備を終えて城を発つ事にした。そして相手が女性だという事を知ったランスは、当然のようにシルキィに同行すると主張した。

 

 しかしシルキィにとって、もし自分がワーグによって眠らされてしまったら、その時はもう自分より強いホーネットの出番である。

 一方で眠りに耐えられたのなら、戦闘能力を持たないワーグを退治するのは容易い事である為、他の者の協力は特に必要としていなかった。

 それになにより、魔人四天王の自分でもワーグの眠りに耐えられないようなら、人間であるランス達では尚更不可能な事であろう。

 

 そんな考えから彼女はランスに対して、ワーグの事は自分に任せて城に残っていて欲しいと何度も主張したのだが、まだ見ぬ女魔人を抱く事に好奇心を燃やすランスが頷く筈が無く、ここ最近色々とランスに押され気味なシルキィは最終的に押し切られてしまった。

 

「あのね。何度も言ったけど、ワーグは本当に危険な魔人なのよ。人間の貴方達じゃ……」

「何度も言ったが、問題無いっての。この俺様に、眠気なんぞは通用しないのだ」

「その自信、何処から来るのよ……」

「大体、見知らぬ魔人の美女を前にして、この俺様が城でじっとしている訳が無いだろ。……むふふ、ワーグちゃんか。どんな子かな、ぐへへへ……」

 

 自分の忠告になど全く耳を貸さず、あれこれ妄想を膨らませるランスの様子に、シルキィは困り果てた様子で肩を落とす。

 

 ランスのそばに居る、どちらかと言うとシルキィの意見に賛成寄りのシィルは、ランスを止められない自分の事を詫びるように、申し訳無さそうな表情で小さく頭を下げる。

 ランスとシィルの力関係を概ね把握していたシルキィは、分かっているから、と伝えるように優しく手を振ってそれに応えた。

 

 と、その時。

 

「シルキィ、ワーグとの戦いに向かうのですか」

「あ、ホーネット様」

 

 こちらに近付いてくる足音と、聞き慣れた声にシルキィが振り返った先。そこには数日前にこのサイサイツリーに到着していた、派閥の主の姿。

 

「昨日も聞いた事ですが、やはりワーグとは貴女が戦うのですね」

「はい。……もしかしてホーネット様、最初から気付いていましたか?」

「ええ、おそらくはと思っていました。私を説得している時の貴女は、覚悟を決めた戦士の眼差しをしていましたから。それにしても……」

「……はい。私には止められませんでした」

 

 ホーネットは一度そちらに向けて、ちらっと視線を送る。派閥の主のその仕草に、大体言いたい事を察したシルキィは頭の痛そうな表情で頷いた。

 

「……ランス。その様子だと、貴方もシルキィと共にワーグと戦おうと言うのですね」

「おうホーネット、そうだとも。この俺がさくっとワーグちゃんをやっつけてやる。感謝しろよ?」

 

 身支度を万全に済ませて、自信満々に返事をするランスの顔を、魔人筆頭の感情を読ませない瞳がじっと見つめる。

 

「……人間の貴方では、ワーグには近づけないと思います。シルキィの戦いの邪魔になるだけだから、貴方は城に戻るべきです」

 

 その言葉に、もっと言ってやってください、と言いたげな様子で、シルキィはこくこくと頷く。

 だがホーネットの忠告であっても、ワーグとセックスする事しか頭に無いランスを止める事は出来なかった。

 

「確かに普通の人間ならそうかもな。だがそれは、英雄である俺様には当て嵌まらん話だ」

「……そうですか。……あるいは、そうかもしれませんね。……しかし、それだと……」

「何だよ」

「……いえ」

 

 その時頭に浮かんだ色々な事を、ホーネットは言おうかとも一瞬考えた。だが元よりワーグに関しては派閥の魔人達に任せると宣言した事を思い出し、一度首を横に振ってシルキィの方を見た。

 

「シルキィ、諸々の事は貴女に任せます。私はこれからキトゥイツリーの様子を見て来ます」

「はい、分かりました。そう言えば、ここから下がった魔物達がキトゥイツリーや魔王城に大勢押し掛けた事で、どちらの場所も混乱状態になっているそうですね」

「ええ。キトゥイツリーにはメガラスが居るはずですが、彼はそういう事には不慣れですからね。何かあったらすぐにこちらに戻ってくるので、使いを出してください。では」

 

 それだけ言うとホーネットは踵を返して北の方角、ワーグと戦う為にビューティーツリーに出発するランス達とは逆の方角へと去っていく。

 その後姿を眺めながら、ランスは勝ち誇ったように大きく頷いた。 

 

「よーし。これでホーネットの許可も得た事だし、もう文句は無いよな。シルキィちゃん」

「……そうね。それに、私が何を言ったって貴方は聞かないしね」

「その通りだ。この俺様を邪魔者扱いしようったってそうはいかんぞ」

「あのねぇ、私は別に……まぁいいわ」

 

 人間を守る為に戦い続けてきた魔人シルキィ。彼女はランスの事を邪魔に思っている訳では無く、人間である彼等の事を純粋に心配して城に戻って欲しいと言っていたのだが、どうやらそれは無理そうなので決意を固める事にした。

 

 諸々の事は任せる。と言うホーネットの先程の言葉は、ランス達の事を指しているのだろうと理解したシルキィは、二人の事は何があっても自分が守らねばと確たる決意を胸に秘めながら、うし車を引くうし達に手綱を繋ぐ。

 魔王城からここに来るまでの道程でうし車を操縦してくれた魔物兵も、ワーグには絶対に近づきたくないと必死に首を横に振った為、仕方無くシルキィが御者の真似事をする事になっていた。

 

「……よし、準備は出来たわ。それじゃあワーグとの戦いに向かうけど、その前に一つ。ランスさん、シィルさん、私が絶対に守ってねって言った事は覚えてるかしら?」

「ええと、少しでも眠気を感じたら、すぐにその事をシルキィさんに知らせる。ですよね?」

「そう、正解」

 

 シィルの模範的な回答に、シルキィは満足そうに頷く。それは二人の身を守る上で何より大事な事だった。

 

「きっと私より先に、貴方達に眠気が襲ってくる筈だから。貴方達が眠くなっても私は気付かないかもしれないから、すぐに知らせる事。いいわね?」

「はーい」

「へーい」

 

 二人の何とも呑気に返事に、本当にワーグの驚異を理解しているのかと、どうにも不安になってしまうシルキィだったが、

 

「さてと……」

 

 一つ呼吸をして意識を集中すると、魔法具を操作する為の特殊な魔法を使用する。

 

 生体強化外部骨格リトル。武器にも鎧にも姿を変える、魔人シルキィの象徴とも言える魔法具。

 その魔法具の防御特化型鎧形態『ファット』を展開すると、小柄な彼女の体は2メートルを超える大きさの頑強な甲冑に包まれた。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「いでっ」

「きゃっ」

 

 車輪が道の段差に乗り上げたのか、荷台が跳ね上がり、ランスとシィルの二人は尻を打つ。

 

「シルキィちゃん、もっと安全運転出来ないのか」

「これでも頑張ってるんだけど……。私、うし車を運転するのなんて初めてだから……」

 

 勝手がよく分からず、悪戦苦闘しながらシルキィが運転するうし車は、サイサイツリーを出発してビューティーツリー方面へと向かって現在爆走中。

 魔法具の装甲を着込んだシルキィが二匹のうしの手綱を引き、そのうしに繋がれた荷台に、ランスとシィルの二人が座っていた。

 

 

「……けど、行きましょうか。なんてさっきは言ったけど、果たして何処に行けばいいのかしらね。ワーグが今何処にいるかなんて分からないし」

「んあ? 何処って、あそこじゃねーのか?」

 

 ランスは荷台からシルキィの装甲の上に身を乗り出すと、進行方向の先の方を真っ直ぐ指差す。

 指の先にはまだ遥か遠くにある奪われた拠点、ビューティーツリーの巨大な世界樹が僅かに見えていたが、それを見たシルキィは首を横に振った。

 

「ううん、あそこには居ないと思う。ワーグはね、周りの者を無差別に眠らせてしまうから、魔物が沢山居る魔界都市には居られないのよ」

「ほう、なるほど。じゃあ……何処に居るんだ?」

「だから、それが分からないんだって」

 

 シルキィの知る限り、魔人ワーグはその能力故に常に孤独で、昔から魔王城でも生活が出来ず、周囲に生き物の気配が無い魔物界の森の奥で、ひっそりと暮らしていた魔人である。

 そんな理由で、ビューティーツリー内には恐らく居ないだろうと予想は出来たが、ならば何処に居るのかと考えた時に、彼女には特に当てが無かった。

 

「てかシルキィちゃん。ならば君は、目的地も決めずに車を走らせてたのか」

「……うん。……けど、だから言ったじゃないの。ハウゼルの飛行部隊がワーグの事を発見するまでは、出発せずにサイサイツリーで待機していた方が良いって。それなのに貴方が、どうしても行くって聞かないから……」

 

 今朝、朝食を食べている時に起きたそのいざこざを思い出し、シルキィ口から溜息が漏れる。

 

 現在魔人ワーグの居場所に関しては、ホーネット派の総力を上げて鋭意捜索中。一向は一昨日サイサイツリーに到着して、その時にシルキィは「ワーグの居場所が判明するまではここで待機ね」と告げたのだが、しかしランスの我慢は一日が限界だった。

 

「あそこに居るのはもう飽きたからやだ。魔界都市はオモロイもんが無くてつまらん。それとも何か、君はまだ俺とセックスし足りないのか。そういう事ならもっと居てやっても良いのだが」

「っ、そういう訳じゃ、無いけど!!」

 

 魔王城を出発してからここ数日、毎夜のようにランスに迫られていたシルキィは、魔道具の装甲の中で密かに頬を朱に染める。

 特に昨日は一日中暇だった事もあって散々付き合わされ、それはもう火が点いたような盛り上がりを見せてしまった。

 

「……と、とにかく」

 

 昨日の痴態を思い出した魔人四天王は、意識を強引に切り替えるように頭を振る。頭部を覆っている甲冑からガチャガチャと乱暴な音が鳴った。

 

「今の所、私達にワーグの居場所は分からないから、発見する方法は一つしか無いわ」

「どんな方法ですか?」

「……その、つまりね。眠たくなってきたら、きっと近くに居るはずだと思うのよ」

 

 シィルの問いに対するシルキィの返答は、何とも自信なさげと言うか、本人もそれでいいのかと自問自答するような声色であった。

 

「……何だか、すごい行き当たりばったりな方法だな、それ」

「……仕方無いでしょ、他に方法が無いんだから。とにかくあの子を発見するのは骨が折れるのよ。そういう事だから、さっきも言ったけど眠くなったらすぐに教えてね」

「はい。……けれど、今の所は眠くないですよね、ランス様」

「そーだな。今の所は特にどうとも無いな」

 

 ランスとシィルは顔を見合わせるが、互いの顔に眠気の色はまるで見えない。

 爆走中のうし車の荷台はがたがたと揺れるし、びゅんびゅんと風を切る音は耳に煩わしく、今の二人は眠気などむしろすっ飛ぶような状況にあった。

 

「シルキィちゃんはどうだ、眠くないか」

「私は多分、眠気を感じるとしても一番最後だと思う。なにせこれを着てるもの」

「あぁ、これか。確かにこれは凄かったからな」

 

 言いながらランスは、体を乗せているその装甲をごんごんと拳で叩く。シルキィの着込むその魔法具の堅牢さは、ランスも身を以て体験していた。

 

 前回の第二次魔人戦争。ホーネットを人質に取られた魔人シルキィは人類の敵となり、そしてリーザス王国の戦局にてランスは彼女と対峙した。

 しかしその装甲を前にして、ランス率いる魔人討伐隊の攻撃は全く歯が立たず、内部に居た彼女にはかすり傷一つ付ける事が出来なかった。

 

 更に恐ろしい事にその時のシルキィは全力では無い。前回の時は最低限の装甲しか装備しておらず、それ以外の装甲の大部分をケイブリスによって奪われている状態であった。

 しかし今は完全な状態のリトルがある。今のシルキィは紛うことなき魔人四天王の強さを有し、ランスも味わった事の無い全力を出せる状態にあった。

 

 

「ワーグと戦う時は、この甲冑をもっと大きく展開して隙間無く装着するつもりなの。そうすれば、ワーグの能力を多少なりとも防げると思うのよ」

「ふーむ……あ、そうだ、いい事考えたぞ。なぁシルキィ、この甲冑を俺にも着させてくれよ。そしたら最強の俺がさらに強くなってもはや敵無しだ。どうだ、悪くない考えだろ?」

「出来たら良いんだけどね、それ。残念だけど、このリトルは私にしか扱えないものなのよ」

「ぬぅ……」

 

 生体強化外部骨格リトルは、製作者であるシルキィの命令だけを聞き、シルキィが特殊な力によって操る事により動いている。なのでランスが着込んでも只の重い甲冑でしか無く、一歩前に進む事すら出来やしない。

 とそのような説明を受けたのだが、ランスはそれでも諦めきれないのか、装甲の上から一度降りるとその背中部分をじっと睨んだ。

 

「時にシルキィよ。この装甲って形が変えられるんだよな?」

「えぇ、そうよ」

「なら、ここを開いてみてくれ」

「え、……まぁ、いいけど……」

 

 話が見えないシルキィは言われるがまま、ランスの拳がノックする背中の装甲の一部を解放する。

 

 魔人シルキィにしか魔法具の操作が出来ないのなら、一緒に入ればどうだろうか。

 という事で、ランスは開かれた装甲の隙間に、自らの頭をむんずと突っ込んだ。

 

「ちょ、ちょっとランスさんっ!! 中には私以外入れないって!!」

 

 その慌てた声は装甲越しで無く、装甲の内部からランスの耳に届く。

 

「やってみなきゃ分からんだろ。それとも、試した事でもあるのか?」

「そ、そりゃ試した事は無いけど……!! だけど無理よ、これ、見た目以上に中は狭いから!!」

「ぐ、確かに、結構窮屈だな。けど、頑張れば、いけそうな……」

 

 装甲の内側は生物の肉のようにぶよぶよとしており、妙な心地に包まれながらランスは体をぐりぐりと奥に押し込んでいく。

 すると本体たるシルキィの姿が見えたので、抱き着くようにして手を彼女の前に回した。

 

「さわさわ……お、おっぱい発見。シルキィちゃんの弱点は先っちょだよな。くりくりっと」

「んっ、もう!! 運転中に変な事しないで!!」

「ぐはっ!!」

 

 シルキィの肘が、ランスの顎にヒットした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 一向が車を走らせる事、約二時間後。

 

「……ぬぅ。居ねぇなぁ、ワーグちゃんは」

「そうですねぇ……」

 

 未だランス達は、魔人ワーグを捜索中。ランスとシィルの二人は荷台の中から注意深く外を眺めるが、流れ行く景色は魔物界の空や森ばかりで、特別変わったものは何も映らなかった。

 

「困ったわね……。あんまりビューティーツリーの方に近づいちゃうと、ワーグじゃなくて敵の魔物兵達が出て来ちゃうだろうし……」

「戦闘は面倒だからパス。シルキィちゃん、少し進路を変えろ」

「そうね、そうする。どの道ビューティーツリーにはワーグは居ないはずだし」

 

 シルキィは手綱を引き、うし達の進む方向を少し左に曲げる。道の左手側は背の高い木々が延々と立ち並び、その奥は深い森へと続いている。

 

「やっぱり、森の奥に潜んでいるのかしらね。そうなると、うし車だとちょっと進めないかも」

「だが森と言っても、ここらに森はあちこちにあるし、せめて何か当てが無いとな」

「そうなのよねぇ……」

「うーむ……。ワーグちゃんやーい!! 隠れてないで出て来ーい!! 今ならこの俺様が優しくお仕置きセックスしてやるからー!!」

 

 ランスの放った大声は、魔物界の空へと虚しく消えていく。当然そんなものに釣られてワーグが出て来る事は無かったのだが。

 

「………………」

 

 それを耳にしたシルキィは、ランス達には見えぬ装甲の内部で、思慮に耽るように顔を伏せる。

 今回のワーグの件も含めて、派閥の主に負けず劣らず責任感が強く、色々と抱え込む性質のシルキィの頭の中には、ワーグの居場所以外にもまだ悩み事があった。

 

「ランスさん。今更だけど貴方の目的って、やっぱりそれなのよね」

「それって?」

「……その、お仕置きなんたらってやつ」

「あぁ、まぁそりゃそうだろ。敵の魔人ちゃんにはお仕置きが必要だからな。ぐふふふふ……」

 

 鼻の下を伸ばした、締まりのない表情でランスは答える。

 彼の行動原理は専ら女性とセックスする事であるが、敵対する女性ならば口説いたりや何か約束したりと面倒な段階を踏まずとも、問答無用でお仕置きセックスという手が使えるので、勝つ事さえ出来れば楽な部類に入る方であった。

 

「……そっか。なら、結果的には貴方が一緒に来てくれて良かったのかもね」

「だろう? ……けども、なんの話?」

「ん、つまりね……」

 

 顔に疑問符を浮かべるランスに対して、装甲の中でシルキィは僅かに微笑みを浮かべていた。

 そんな目的がある相手ならばきっと、自分の目的にも協力してくれると彼女は考えたのだ。

 

「私と一緒にホーネット様に叱られて欲しいなって事。貴方なら私に付き合ってくれると思って」

「え。よく分からんけど、怖いからやだ」

「えぇー、そこは頷いてよ……」

 

 

 と、そんな二人の会話の間にもうし車はどんどんと道を進み、いよいよその能力の端に触れる。

 

「……ん」

 

 最初に影響が及んだのは、荷台の上からワーグの事を探していたシィルだった。

 

「……あれ?」

 

 突然頭がふらっと後ろに倒れそうになり、慌てて身体を起こす。ほんの数秒前から彼女の身に異変が起き始め、その脳内に抗い難い眠気が訪れていた。

 

「……ランス様。なんだか私、いきなり眠くなってきました」

「なに? それってまさか……」

「間違いない、ワーグの仕業だわ!! シィルさん、大丈夫!?」

「……はい、まだ我慢出来ます。……けど、うぅ、眠い……」

 

 我慢出来ると返事をしたシィルであったが、それでも彼女を襲う眠気はとても強烈なもの。

 両手で強く瞼を擦ったり、自らの太腿を抓ったりして何とか眠気に抵抗しようとするが、うし車が先に進むにつれ眠気は更に増していく。

 

 すると奴隷が必死に眠気に耐える様子を目撃したランスが、拳をグーに握って近付いてきた。

 

「眠いだとぉ? 俺様の奴隷の癖に情けない事を言うな、起きろこいつっ!! このっ!!」

「いた、いた、痛いです、ランス様……」

 

 ランスは目覚まし代わりとばかりに、彼女のもこもこ頭をぽかすかと叩く。

 

 だが。

 

 

「……あ、だめだ。なんか俺様もねむい」

 

 遂にランスの身にも、その強烈な眠気が襲い掛かってきた。

 頭がぐらついてとても立っていられなくなったのか、奴隷の膝の上にその頭を下ろす。

 

「うあー、ねみー」

「ランスさん!! シィルさんも、気を強く持って!!」

 

 まだ眠気を感じていないシルキィは緊迫した大声を上げながら、急いでその周囲を見渡す。

 

 二人にワーグの能力の影響が出ていると言う事は、必ずこの近くにワーグが居るはずなのだが、しかしワーグの能力は都市一つ覆う程の広範に及ぶ。

 今はまだその端に触れただけであり、シルキィの目の届く範囲にその姿は見えなかった。

 

「うおーい、シィール、寝るなー。寝たらおっぱい揉むぞー……」

「もう揉んでますよー、ランス様ぁー……むにゃむにゃ」

 

 すでに二人の瞼は殆ど落ちかけており、いつ眠ってしまっても不思議では無い。

 二人がこのまま眠りに落ちてしまったら、ワーグの意思によってしか目覚める事の出来ない、死と同じ様な状態になってしまう。

 

「ちょっと二人共!! ……て、あれ。もしかしてこれ、車も……!!」

 

 二人に気を取られていたシルキィはようやく気付く。いつの間にかうし車も動きを止めている。

 慌てて前を見ると、今まで無心で車を引いていた二匹のうし達も、眠たそうに身体を丸めていた。

 

「あぁ、もう!!」

 

 まだワーグの姿も確認出来ていない状態だと言うのに、ランスとシィルがこの有様ではとても戦う事など出来やしない。

 出発前に心に誓った通り、二人の安全が何よりも最優先だと判断したシルキィは、立ち上がって魔法具の全てを瞬時に展開する。

 

 するとその場には、魔人バボラと匹敵する程の背丈を持つ、装甲の巨人が出現する。

 

 全ての装甲を纏ったシルキィは、巨大なその手でランスとシィルの居る荷台ごと軽く持ち上げる。

 そしてついでに二匹のうし達も丁寧に拾い上げると、ワーグの能力の影響圏内から逃れる為、装甲の巨人は一目散にその場から逃げていった。

 

 

 

 

 


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