魔物界の北部に存在する魔王城、そしてヘルマンの西の果てにある番裏の砦。
その2つを結ぶ道の間にあるのが『なげきの谷』と呼ばれる渓谷である。
天気は薄暗く空気は澱み、辺りには枯れた木々が生えるのみ。人間が住むにはまるで適さない環境となるが、そんな場所にでも魔物は棲む。
本来なら多くの魔物が犇めくなげきの谷だが、しかし今は派閥戦争の影響によりこの付近に棲む魔物はホーネット派が粗方招集を掛けた為、そこは普段よりも不気味に静まり返っている。
そんな寂れた谷の谷底に出来た一本道。
2mを越える一体の巨大な装甲と、肩に魔人を乗せた一体のガーディアンが歩いていた。
「……決戦はもうすぐだ。準備は出来ているな、シーザー」
「ハイ。サテラ様」
戦いを前に意気込むのは魔人サテラ、そしてその使徒であるガーディアンのシーザー。
「……ねぇサテラ。盛り上がっている所あれなんだけど……」
そんな血気盛んな二人の隣を歩く重装甲、それが魔人四天王シルキィ・リトルレーズン。
「シルキィ、止めるな。これはサテラにとって大事な戦いなんだ。……そう、絶対に勝たなきゃならない。そうだな、シーザー」
「ソノトオリデス。サテラ様」
旧知の仲の魔人四天王の言葉を振り切り、サテラはその拳をぐっと握り締める。
彼女はすでにやる気満々だった。その理由はつい先日の事、彼女の下にとある人間からの果たし状が届いたからである。
その相手の名はランス。サテラにとってその男はとても因縁深い宿敵。いつかは決着を付けなければならないと考えていたのだが、今回遂に雌雄を決する時が来たのだ。
とそんな感じで盛り上がっているサテラの一方、シルキィは先日魔人メガラスから手渡された手紙を再度読み直す。
「でもこれ、本当に果し合いの呼び出しなの? なんか一発抱いてやるとか書いてあるけど……」
「それは奴のいつもの手だ!! あいつはいっつも、サテラをあの手この手で惑わせてくる。そういう卑劣な奴なんだ、あいつは」
そんな事を語るサテラは過去に数度、その男と対決している。
自分は魔人であり、魔人とは魔王を除けば最強の生物。故にまともに戦えばあんなすけべな人間にこの自分が負けるはずが無い。
しかし相手はとても卑劣な男。あれこれ卑怯な手段を使われ、それにより何度か苦渋を味わう羽目になった。ちなみにその味わった苦渋を具体的に言うと、すけべな人間が好むあんな事やこんな事で。
(……もしランスに負けたら、また……っ、違う、今度こそは勝つ! ……でも、負けたら……)
「……サテラ、顔が赤いけどどうしたの?」
「わぁ!? なな、なんでもない!! そ、それより、シルキィも付いて来てよかったのか?」
シルキィからの指摘に慌てて首を振ると、とっさにサテラは話題を変える。
今こうして二人一緒に番裏の砦に向かっている訳だが、その事がサテラには少し意外だった。
魔人シルキィは魔人四天王の一人であり、立場的にはホーネット派のNO.2, ホーネット派にとって防御の要のような存在で、滅多な事が無い限りは派閥を離れたりなどしないからである。
「そうね。ちょっとは悩んだんだけど、その手紙には私も指名されている事だしね。それにメガラスの話ではケイブリス派が仕掛けてくるにはもう少し時間が掛かるみたいだし」
「……そうか。ならシルキィはサテラとランスの決闘の見届人になってくれ」
「はいはい」
呆れたように返事をするシルキィ。彼女がこうしてサテラに同行している理由は概ね3つ。
1つは先程言った通り、手紙の差出人が自分の事を指名していたから。
もう1つはサテラの事ががどうにも放っておけなかったから。
そしてもう1つ。
(それにしても……人間と会うなんてほんといつ以来だろう。……世界総統ランス、か。サテラがこんなに気に掛けるなんてどんな人物なんだか。……ふふっ、会うのが楽しみね)
◇ ◇ ◇
その世界総統ランスはそろそろ我慢の限界に近づいていた。
「……来ない。来ないぞシィル」
「来ませんねぇ、ランス様」
そこは相変わらず番裏の砦の一室。部屋に備え付けの安物のベッドの上で、シィルに膝枕をさせながらランスはぐったりしていた。
この番裏の砦に到着してからすでに一週間程が経過しており、ただ待っているだけの日々にもう飽き飽きしていたのである。
「遅い、遅すぎる。あいつら、一体俺様をどれだけ待たせる気だ」
「もしかしたらですけど、手紙が届いていないっていう可能性もありますね」
「ふ~ん、ふ~ん。あはんあは~ん」
たらたらと文句を口にしていると何か奇妙な声が聞こえた気がしたが、しかし無視。
「大体どうしてこの俺がこんな色気のない場所に何日も居なければならんのだ」
「けどここに来たのはランス様が決めた事だし、それに手紙を出したのも全部ランス様が……」
「あん? なんだシィル、奴隷のくせになにか文句でもあんのか」
「い、いえ。そんなつもりじゃ……」
「うっふふ~ん。へろへろ~ん」
「……いらっ」
さすがのランスも二度目は無視出来なかった。
シィルの膝から頭を起こすと、机の上に置いてあったそれにキッと鋭い視線を向ける。
「おいっ! さっきからうるせぇぞ馬鹿剣が! 剣なら剣らしく大人しくしてろ!」
「えーでも~儂様そこらの剣と違って~喋れるのがアイデンティティの一つだし~」
先程から奇妙な歌を歌っていたのはランスが所持する剣、意思持つ魔剣であるカオス。
カオスはこの砦に到着してからずっと、こうして歌い出す程にテンションが上がっていた。
「まっさか心の友が自分から魔人退治に向かってくれるなんてさー。儂、嬉しくて涙ちょちょぎれちゃう」
カオスは自らの存在理由を魔人を斬る事だと考えているのだが、しかし如何せん剣の身体。扱ってくれる人が居ないと存在理由も何も無い。
特にカオスはただの剣ではなく魔剣であり、所持した者を狂わせる力を持つ。その為カオスをまともに扱える存在は希少であり、ランスはその意味でも性格的な意味でも心の友と呼べる存在。
ただ基本的にランスは面倒くさがりなので、中々こちらの存在理由を発揮させてくれない。なので今回久々にその機会が訪れたとカオスは気分が上がっていた。
「言っておくけどサテラやシルキィちゃんは斬らんからな。倒す魔人は別の奴らだ」
「相変わらず心の友は……儂、魔人は全員皆殺しにしたいんだけど」
「うっさい。ヘルマンの永久凍土に捨てるぞ」
「ひど! てか、儂が居ないと心の友、魔人に勝てんじゃーん」
あらゆる魔人はその身に無敵結界というバリアを有する。故に無敵結界を斬り裂く事の可能な魔剣カオスか聖刀日光が無い限り、魔人には傷一つ付ける事が出来ない。
前回の戦争では話の流れで聖刀日光を扱える状態にもなったのだが、今は日光を有する小川健太郎の所在も知れない為、ランスが魔人と戦うにはカオスが必要不可欠である。
そんな理由からランスは仕方無くカオスを持って来たのだが、何かと煩わしいので出来れば城に置いてきたかった。
「バカ剣の相手をしてもつまらん。シィル、セックスするぞ」
「あ、……はい」
頭をシィルの膝に戻していたランスは手を上に伸ばす。
そうして奴隷の胸の膨らみに触れようとした時、その指先に固い何かに触れた。
「うん? なんだこれ。ごそごそっと…………あん、電話帳?」
「あ、それはランス様が…」
「なんでこんなもんを服の中に入れてんだ。アホかお前」
「えー……」
そして、その日の夜。
ドゴォォン! と突然砦の中に鳴り響いた轟音。
途轍も無い規模の衝撃音にランスは眠りから叩き起こされた。
「な、なんだぁ?」
「わ、分かりません! 外で何があったんでしょうか!?」
隣で眠っていたシィル共々、大層驚いた様子で身体を起こす。
原因不明のその衝撃音はその後も何度も繰り返される。部屋の外では砦に詰めるヘルマン兵士達が慌ただしく走る音が聞こえていた。
「ううむ、誰が事情を……。あそうだ。おーい、かなみー」
「え、あ、何? この音何!?」
「……お前忍者だろ、見張りの仕事はどーした」
ランスが指摘した通り、天井裏から下りてきたかなみの目は見るからに寝ぼけ眼。どうやらつい先程までしっかりと熟睡していたらしい。
「大将。どうやら魔物界側の大門を何者かが破ろうとしているみたいよ」
「門を破る? こんな夜中にはた迷惑な、どこのどいつだ全く」
何処から現れたのか、かなみの代わりに見張りの仕事についていたフレイアが答える。
こんな夜中に叩き起こしやがってと、苛立つランスは何処ぞの何者かに一発文句でも言いにいこうとしたのだが、その時。
「心の友よ、来とるぞ」
やかましいからと荷物袋の中に突っ込まれていたカオスが、至極真面目な声でそう告げた。
「なに? 来てるってまさか……」
「ああ、魔人だ。二体居る」
カオスは魔剣としての力により、魔人の存在を正確に感知する事が出来る。
つまりその言葉は真実。二人の魔人が来たと言う事はつまり、おそらくはランスが待ちに待っていたあの二人が来たという事。
「やぁーと来たか! 全く、随分と待たせやがって! シィル、ヘルマン兵共に邪魔だから出てこないよう言っておけ!!」
「は、はい! 気を付けてください、ランス様!」
ランスはカオスを手に取り、部屋からダッシュで飛び出した。