ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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VS 魔人ワーグ

 魔人ワーグの眠りの能力の元となるのは、彼女の身体から無造作に放たれるフェロモンである。

 

 ワーグはそのフェロモンを、衣服を着る事によってある程度の調整をしている。服を着れば着るほどに放たれる眠りの力は弱まるし、服を脱げば脱ぐ程にそれは強くなる。

 

 ならばその能力を受ける側も、フェロモンに触れないように防具を身に纏う事には効果がある筈。

 魔人シルキィはそのように考えたのだろうか。

 

 自身の能力である魔法具の装甲。全て展開したら巨人の如き大きさを持つその装甲で守備を万全に固め、甘い香りと共に漂うそのフェロモンを限界まで遮断したシルキィは、全速力で突撃を敢行。

 眠気が伝わってくる前に勝負を決しようと、会話をする事や相手に服を脱ぐ時間さえ与えず、シルキィは巨大な装甲の拳でワーグを叩き潰した。

 

 魔人ワーグはその能力こそとても凶悪だが、それと反比例するように腕力や魔力、魔人としての肉体的な強さや生命力なども全魔人中で最弱である。

 結果的にはその事が明暗を分けたのか、ワーグはシルキィの一撃でもって敗れ、彼女はその身を魔血魂に戻す事となった。

 

 

 以上がワーグとシルキィの戦いの顛末。

 

 凶悪な眠りの能力をその身に宿し、魔物界のあらゆる存在が恐れた魔人ワーグだったが、その最後は実に呆気ないものであった。

 

 

 と、一連のその光景は、間違い無く客観的にはそのように見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 最初にワーグが疑問を抱いたのは、今こうして声を発しているという事。つまり、自分がまだ生きているという事であった。

 

 彼女の瞼の裏に焼き付いているのは、自分に向けて振り下ろされる巨大な装甲の拳。

 以前その身で味わう事となった、あのケイブリスの拳と比する程の凄まじい迫力に、ワーグは瞬間的に死を感じた。

 

 けれども不思議な事に痛みが全く無い。往々にして死とはそういうものなのかとも思ったが、一方で身体の感覚はちゃんとある。手は動くし頭もしっかり考えられている。つまりまだ自分は生きている。

 

「……んっ」

 

 まだ身体に震えと強張りがあったが、このままでいても埒が明かない。

 先程の魔人シルキィ渾身の一撃。その時恐怖のあまりに目をぎゅっと瞑ってしまい、今までずっとそのままの状態でいたワーグだったが、ようやくその目を開いた。

 

 

「これは……」

 

 開いた視界の先は、目を閉じていた時と変わらぬような真っ暗な世界。

 今の時刻は昼頃だったから夜の闇では無いはずで、僅かに差し込む光から完全な闇の中でも無い事は分かったが、いずれにせよ自分がどのような状況にあるのか、さっぱり判然としなかった。

 

「何がどうなってるのー!? 怖いよー!!」

「ラッシー……。あなたも生きていたのね」

 

 自分の内心の不安を叫ぶラッシーの声に、ワーグはホッと胸を撫で下ろす。

 今更のように気付いたが、自分に巻き付いてぴったりと密着しているふわふわの感触は、いつもそばに居てくれる自分のペットに他ならなかった。

 

 触れている箇所から感じるラッシーの体温から、少し落ち着きを取り戻す事が出来たワーグは、ここから動いてみようと足を前に出してみる。

 

「……んっ、なにこれ」

 

 だが、動けない。動こうとするとすぐにぶよぶよとした何かに触れ、それは上下左右全てが同じ。

 なにやら窮屈な場所に閉じ込められている感覚に、それでもどうにか動く事は出来ないかと、ぶよぶよを叩いたりなどして悪戦苦闘していると。

 

 

「……そう、分かった。ちゃんと逃げていったのね。なら、ここまでは作戦通りか」

 

 何かに遮られて薄く聞こえる、遠い昔に聞き覚えのあるその声に、ワーグはきゅっと心臓を握られたような嫌な心地を覚える。

 それは先程自分の事を殺そうとした、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンの声だった。

 

「後は私一人でどうにかするから、貴方もすぐにここを離れて。こうして抑えているから多少はマシだけど、って……あぁ、眠っちゃった。ワーグが起こしてくれなかったらどうしようかしら……」

 

 聞こえる言葉から察するに、どうやらシルキィは何らかの報告をしに来た部下の魔物兵と話をしていて、今しがたその魔物兵は眠ってしまったらしい。

 

「もう平気だって話だけど、念には念を入れて、もう少し見えない所に移動した方がいいわね」

 

 ワーグにはさっぱり状況が飲み込めない中、一人そのように結論付けたシルキィは。

 

「ワーグ。悪いけどちょっと揺れるわよ」

「え、……きゃ」

「わぁー、なになにー!?」

 

 ふわりと身体が宙に浮く感覚に、とっさにペットを抱く腕に力を込めるワーグだったが、彼女が一番気になったのは先のシルキィの声。

 自分の事を殺そうと襲い掛かってきたにしては、その言葉から敵意があまり感じられず、むしろ僅かに気安さを感じる声色である。いや、そもそも殺すつもりならとっくに自分は死んでいるはずなので、相手の目的は恐らく別にあるのだろう。

 

 そんな事を闇の中で揺れる感覚と共に考えていたワーグは、その後ずしん、ずしんと、大きな音が聞こえ、それは巨大な装甲が大地を歩く足音だと気付くと、今の状況を少しだけ推測する事が出来た。

 

「ここってまさか、シルキィの装甲の内部……?」

「少し違うわね。完全な内部では無くて、手で握っているような形って言ったら分かりやすいかな」

 

 思わず口をついただけのその疑問に、この状況を作った張本人たるシルキィからの返答があった。

 

 

 ワーグは今、シルキィの拳の中に居た。

 もちろん本物の拳では無く、その魔人が操る装甲が形作った巨大な拳の中である。

 

 魔人シルキィの魔法具は彼女の意思により、ある程度その形状を自在に変える事が出来る。

 先程ワーグに対して振り下ろされた巨大な拳は、見た目は拳だがその内側がくり抜かれており、そうして出来た拳の空洞の中に、ワーグとラッシーはすっぽりと収まっていた。

 

 つまり、シルキィがワーグを殺そうとした先程の攻撃は、実際には見せかけという事だった。

 

 

 

 

「……うん。ここら辺が良さそうね」

 

 手頃な場所を発見したのか、巨大な装甲はその歩みを止める。そして装甲の拳が開かれ、ようやくワーグは身動きの取れない状況から開放された。

 彼女の周囲は背の高い木々や巨大な岩に囲まれており、表現するならば逃げ場の無い場所と言えた。あるいは遠くから覗かれない場所と言うべきか。

 

「……シルキィ」

 

 ようやく視界の晴れたその目に映ったのは、頑強な装甲を用心の為にと何重にも着込み、見上げる程に巨大となった魔人シルキィの姿。

 武器を構えてはいないものの、表情が分からないその甲冑姿はワーグに強い警戒心を抱かせるに十分であり、緊張で身動きの取れない彼女に向けて、その装甲内部からの声が届いた。

 

 

「最後に会ったのはいつかしら? 貴女が魔王城に居た頃だとしたら、こうして会うのはとても久しぶりになるわね。ワーグ、元気にしていた?」

「………………」

 

 状況に合わない、世間話の始まりのようなその挨拶に、何と返したものかとワーグは悩む。

 それは相手も感じた事だったのか、自ら言っておきながらその装甲の頭部が左右に動いた。

 

「……違うわね、こんな事を言っている場合じゃないわ。ねぇワーグ。少し貴女と話がしたいのよ」

「……別に構わないけど、一体なんの話?」

「うん。まぁ話というか、お願いになるんだけど」

「……あぁ、それなら聞かなくても分かるわ。またホーネット派に協力しろって話でしょう?」

 

 ワーグは言外に否定の意思を示す為にと、殊更に冷たい声でもって返答する。

 

 未だに攻撃の意思を見せないシルキィの目的。それはきっと自分の力を利用する事だろう。

 ホーネット派とは以前に一度協力関係にあった。そんな事もあってか、この期に及んでも話が出来るとシルキィは思ったのだろう。

 

 と、ワーグはそのように考えた。と言うかこの状況に対する説明が彼女にはそれしか思い付かなかったのだが、眼前の魔人はそれに肯定も否定もせずに問いを返した。

 

「……協力か。そうね、もしそうだって言ったら、貴女はどうする?」

「別にどうもしない。私はもうケイブリス派の魔人よ。今更シルキィ達に協力なんて出来ない」

「そーだそーだ!! ワーグはお前達をやっつけに来たんだぜー!!」

 

 置かれている状況が状況だけに、どうしても弱気になってしまうワーグは、心を奮わせる為あえてラッシーに強気な台詞を喋らせる。

 だが、嘘は言っていないし思っていない。自分がホーネット派をやっつけに来たのは本当だし、一度ケイブリスの味方をした以上、裏切る事など臆病な自分に出来る筈が無かった。

 

「……なら、貴女はあくまでケイブリス派の一員として、私達ホーネット派と戦うつもりなのね?」

「……そうだって、言ったら?」

 

 その通りだ、と強く口にする事が出来なかったワーグは、先のシルキィの言葉を繰り返す。

 

「それなら、ここで貴女を……いいえ」

 

 シルキィは言い間違えを正すかのように、一度言葉を区切り、そして。

 

「それなら、ここでお前を倒す。ホーネット派の障害となるお前を、生かしておく訳にはいかない」

 

 戦場においての堅い口調で、シルキィは迷いなく宣言した。

 

 

 

「……っ」

 

 途端にその装甲から放たれる、刺すようなプレッシャーを受けたワーグは生唾を飲み込む。

 それでも乾いた喉は一向に潤う事は無く、再びの死の恐怖を感じた彼女は、瞬きをする事も忘れて彫像のように立ち尽くす。

 

「……けれど」

 

 するとすぐにシルキィから戦意が止み、発せられていたプレッシャーもかき消える。その口調も元の彼女のものに戻っていた。

 

「それ、貴女の本音じゃないでしょう。貴女はどう見ても戦いなんて好まない魔人だものね」

「……どうして、そんな事が分かるのよ」

「そりゃ分かるわよ。なんたって私も貴女と同じ元人間だもの。私も戦うのなんて大嫌いだから」

 

 付与の力という稀な才能と、数々の武器を振るう才能を有する屈指の戦士たる魔人シルキィ。

 だが彼女は好き好んで戦っている訳では無い。戦わねばならない理由があるから戦っているだけで、戦わずに済むのならそれが一番だと、そう考える事が出来る魔人であった。

 そんな彼女はワーグに再度の提案をする。元よりワーグが協力してくれるとは考えておらず、こうして会話の機会を設けたのはそっちが本命だった。

 

 

「ならワーグ。私達に協力をする必要は無いから、この戦争から抜けてくれないかしら。そうでないと、私はここで貴女を倒さなくてはならないの」

「……戦争から抜ける? そんな事……」

「無理に決まってんだろー! シルキィのバーカ、アーホ、おたんこなーす!! ワーグはお前なんて全然怖くないんだからなー!!」

 

 ついラッシーに汚い言葉を言わせてしまったが、それは紛れもないワーグの本音。そうしたいと思う気持ちは確かにあるが、今更自分がこの戦争から抜けられる筈が無い。

 何よりここでシルキィから見逃される為にと戦争から抜けたら、間違い無くケイブリスに殺される事になる為、それではどの道結果は同じである。

 

 やはり戦わずに済む道など無い。あのケイブリスに比べれば、まだ眼前のシルキィの方が与しやすい筈だと考えたワーグは、鋭い目付きで装甲を睨み上げながら上着に手を掛ける。

 しかし一方で装甲内部のシルキィの視線は、ワーグの隣に居るふわふわした生き物に向いていた。

 

「……ちょっとそこのペット。口が悪いわよ」

 

 ひょいっと、シルキィの巨大な装甲の手がラッシーを軽く摘み上げる。

 

「ラッシー!!」

「そんな声出さなくても、別に取って食べたりはしないわ。けどねワーグ、ペットの躾はちゃんとした方が良いと思う。私と貴女はこうして対峙している訳で、相手を挑発するような事をペットが言ったら跳ね返ってくるのは貴女の下なんだから」

 

 ラッシーの言葉がワーグの言葉だとは知る由も無いシルキィは、わざわざ相手にそんな忠告をした後、装甲内部で小さく息を吐いた。

 

「これね、実は私の独断専行なの」

「え?」

「だから、貴女にまたホーネット派に入れとまでは言わないわ。私がそう言った所で、ホーネット様が許可してくれるか分からないし」

 

 シルキィは内心、五分五分だと思っている。以前協力関係にあった時とはすでに状況が異なり、今はワーグによってすでに十万以上の魔物兵が失われ、ホーネット派は大きな被害を受けた。

 そう考えるとちょっと難しいかもしれないが、一方で味方にすれば頼れる戦力である事も事実。

 

 よって半々だと思うのだが、いずれにせよ派閥の主からの許可が得られるか不明な現状で、空手形になるかもしれぬ口約束する事は出来ない。

 ホーネットに聞いてみる機会もあったのだが、ワーグを倒す事は任せて欲しいと宣言した手前、派閥に引き入れても良いかと言い出す事が、シルキィはどうにも出来なかったのである。

 

「それにそもそもね、戦う事が嫌いな貴女に戦いを強要したくないのよ。けど、だからこそ貴女にはここで戦争から下りて欲しい。私も戦う事が嫌いだから、貴女と戦いたくないの」

「……でも、そんなの無理よ。ここで私が逃げたら……」

「分かってる。ケイブリスに殺される、でしょ?」

「………………」

 

 あまり言葉にしたい事でも無かったのか、ワーグは無言を貫く事によってそれを肯定する。

 

 残虐で、かつ執念深い性格のケイブリスは、裏切り者の存在を絶対に許す事は無い。

 それはケイブリス派のみならず、ホーネット派内でも誰しもが知っている事であり、知っている事である以上、対策を取る事も可能であった。

 

「安心してワーグ、私に考えがあるから。……と言っても、考えてくれたのは火炎書士なんだけどね」

「火炎書士って……ハウゼルの使徒の?」

「うん」

 

 装甲内部でシルキィはその顔に笑みを見せる。今回の彼女の一連の行動は、全て火炎書士が考えた作戦に基づいている。

 その使徒は軍師としての才能がある上に、彼女自身が臆病な性格だからこそ、同じく臆病な性格の敵派閥の主の思考を読むのを得意としていた。

 

 

「火炎が言っていたの。ケイブリスはワーグの事を絶対に信用したりはしないだろうって。いつ自分の事を裏切るか分からないから、ワーグを常に監視している筈だって」

 

 火炎書士のその読みは実に的確であり、ケイブリスはワーグの背信を大いに警戒していた。

 

 ケイブリスにとって、ワーグの能力は極度の不眠症である自分には通じないとは言え、それ以外の派閥の魔物兵や魔人達には当然通用してしまう。

 ワーグ自身と敵対するのも脅威だが、ワーグは他人の思考を操作する事が出来る為、自派閥の戦力をホーネット派に寝返らせでもしたら大事である。

 仮に魔人をも操り裏切ったとしたら、戦力バランスが一気にホーネット派の方に傾いてしまう。

 

 その事を危惧したケイブリスは、ワーグが自分を裏切るような怪しい動きを見せないかどうか、部下に命じて逐一見張らせていたのである。

 

「火炎が捜索隊に探させたらすぐに見つかったそうよ。貴女の遥か後方を、監視役の飛行魔物兵がずっと付いていたみたいだけど、気付いてた?」

「……気付かなかったわ。私がケイブリスに信用されない事は分かっていたけど」

「……そう。……でね、それを逆手に取れば貴女が死んだ様に思わせる事も出来るって。で、その為の方法も火炎が考えてくれて、後は知っての通り」

 

 シルキィは魔人ワーグを強襲して一撃で倒した。と、そのように監視役に見せる事で、ケイブリスにワーグはすでに死んだものと誤認させる。

 そしてワーグは戦争から離れて、後は何処かに身を隠す。それが火炎書士の考えた計画であった。

 

「さっき、敵の監視役が逃げていった事は確認しているから、貴女は倒されてしまったと報告してくれる筈。後は何処か……そうね、アワッサツリーの近くにでも避難すれば、ケイブリス派には見つからないと思う」

 

 アワッサツリー。それは、魔物界の最北に存在する魔界都市の名であり、魔物界南部を支配圏とするケイブリス派にとっては対極に位置する。

 魔王城を北に進み、雷が止む事無く降り注ぐ光原と呼ばれる危険な地帯を越えねばならず、ケイブリス派はおろかホーネット派の者も滅多に寄り付かないので、身を隠すには打って付けな場所だった。

 

 

「どう? 悪くない考えだと思わない?」

「………………」

 

 ワーグは揺れてしまう心を抑えるかのように、その手をぎゅっと握り締める。

 元々脅される形で強制的に戦争に参加している彼女にとって、その提案はとても魅力的に映った。

 

 ワーグは争い事が嫌いである。なにより自分の能力を戦いに利用したくないのである。

 今まで逃げなかったのはケイブリスが怖かったからであり、もしケイブリスの目から逃れる方法があるならすぐにでもそうしたい。

 そう思うワーグだったが、しかしそれでも、彼女はその提案に飛び付く事は出来なかった。

 

 

「……どうしてそんな提案するの? そんな面倒な事をしないで、ここで私を倒せばいいのに」

「だから、私は貴女と戦いたくないんだって」

「嘘ね。そんなの絶対嘘、だってさっき……」

 

 先程の恐怖を思い出したワーグは、粟立つ二の腕を何度も撫でる。つい数分前、自分を倒すと宣言した時、あの時にシルキィが放ったプレッシャーは間違い無く本物だった。

 

 戦いたくないとの言葉は単にしたくないという気持ちの表れで、しないと言っている訳では無い。

 きっとシルキィは覚悟を決めれば迷いはしない。この魔人四天王が土壇場で躊躇いを見せるような、そんな甘い魔人だとはとても思えなかった。

 

「……私に手を出さないのは、私に協力させたいからだと思っていたわ。けど、私が戦争から下りるだけでいいなら、あなた達ホーネット派にメリットが無いじゃない」

 

 単に自分の事が邪魔なだけであれば、このような面倒な提案をせずとも自分を殺すだけで済む話。

 ワーグがそう考えたのも当然であり、あるいは何らかの別の狙いがあるのではと裏を読んだ結果、彼女は二の足を踏んでしまったのである。

 

「どうして私の事を倒さないのよ。答えて」

「……それは」

 

 ワーグの言葉に、先程とは変わって今度はシルキィが返答に窮する。 その理由はどうにも言葉にし難く、なにより伝えるべきかどうかが分からない。

 

 巨大な装甲は微動だにしない為、ワーグにはその変化を認識する事が出来なかったが、装甲内部でシルキィはひとしきり思い悩んだ後、切ない表情で目の前の小さな魔人を見つめた。

 

 

「……貴女の事はね、前から気になっていたのよ。と言っても信じては貰えないと思うけど」

「前って、一体いつの事よ」

「そうね……、貴女が魔王城を去った頃、かな」

 

 耳に入ったその言葉に、ワーグはとっさに返す言葉が浮かばなかった。

 シルキィが口にしたのはもう遠き昔の事、今から100年以上も前の話である。

 

「……随分と、昔の話を持ち出すわね」

「うん。……貴女は人間だったからね、どうしても私は気になっちゃうのよ」

 

 人間を守る為に魔人となり、今もなお人間を守る為に戦い続けている魔人シルキィ。そんな彼女にとっては、元人間の魔人ワーグはそれなりに気を引く存在と言えた。

 

「……もっとも、ガイ様に仕えていた頃の私は視野が狭くなっていたから、その意味じゃここ最近の話になるのだけれど」

 

 魔人ワーグ。その魔人は、シルキィの敬愛する主である魔王ガイが、いつの日か魔王城に連れ帰ってきた少女である。

 話を聞けば、ワーグは魔物の森に入り自殺しようとした所、魔王ガイによって助けられたと言う。

 

「私を魔人にした時もそうだけど、結構変な理由で魔人を作るわよね、ガイ様は。人助けが好きなのかと思えば、そういう訳でも無いみたいだし」

「……そう、ね」

 

 シルキィの言葉に記憶が喚起されたのか、曖昧に頷いたワーグは遠き過去の事を思い出す。

 魔王ガイに救われた事や、一時期魔王城に居た頃の事など、色々とその頭を過ぎったが、基本的にそれらはあまり良い思い出では無い。

 それ以前の話として、その体質を持って生まれた時から良い思い出など殆ど無いのだが、その時彼女はふとある事を考えた。

 

「……そういえば、私とシルキィは共通点が多いかもね、色々と」

 

 シルキィとワーグは共に元人間であり、そして共に、魔王ガイの手によって魔人となった。

 性別や外見なども含めて、似通った所の多い二人であるが、しかし大きく異なる点が一つ。

 

「確かにね。……けど、魔人になって願いが叶った私とは違って、貴女は……」

「………………」

 

 ワーグは魔人となっても救われる事はなかった。

 

 人間だった頃から体質の制御が出来ず、それは魔人となった今でも変わらず。孤独な日々に絶望して自殺しようとした所を助けられたものの、結局ワーグは今も孤独なまま。

 

 なにも変わらないのならば、魔王ガイの意図はどのようなものだったのか。何故ワーグの事を救い、何故彼女を魔人としたのか。

 そして何故魔王ガイはその後、自らの手で救ったワーグから距離を置いたのか。全ては本人無き今となっては知る由も無いのだが、シルキィには一つ思う事があった。

 

「……ガイ様の考えは私にはよく分からない。……でも、あの人の近くに居た私が、もっと貴女の事を考えるべきだったのかもね」

 

 シルキィが魔王ガイに仕える事だけに腐心している間に、魔人になっても変わる事の無かったワーグはいつしか魔王城を離れ、深い森の中に住処を移して孤独を更に深めていった。

 もしワーグが魔王城に居た頃にシルキィが何かしていたら、ワーグの今は変わっていただろうか。

 

「そんなの、……」

 

 ワーグはとっさに感情的になりかけて、だが直前でその言葉を飲み込んだ。

 今更そんな事を言われたく無かったし、今更誰かに何かを言っても、全て詮無い話である。

 

「……別にそんな事、あなたが思い悩む事じゃ無いわ。私の事情はシルキィには何も関係無いもの」

「……えぇ、分かってる」

 

 ワーグが魔王城を去ったのは100年以上も前の話であり、全てはもう今更の話。それはシルキィも同感であり、今更こんな事を言っても意味が無い事は理解していた。

 だからこの事は、シルキィにとっての本当の理由では無かった。

 

 

 もしそれだけが理由だったとしたら、シルキィはワーグに対して容赦せず、すでに彼女は魔血魂となっていたかもしれない。

 

 孤独なワーグの事を可哀想だと思う気持ちはあるが、可哀想な存在などこの世界には幾らでもあり、なにもワーグに限った話では無い。

 その全てを守りたいと思うシルキィにとっては、平和を乱すケイブリス派に与した以上は敵である。

 今の辛うじて守られている平和が失われてしまったら、そんな存在が無限に増えてしまうのだから。

 

 

 だが、それでもこのような面倒を抱えて、敵対するワーグの事を助けようとする一番の理由。それはワーグには分からない話なので、シルキィはそれを言うつもりは無かった。

 だったのだが、彼女はつい頭にそれを思い浮かべてしまい、装甲内でぽつりと小さな声で呟いた。

 

「貴女の事を倒そうものなら、ランスさんがなんて言うか……」

 

 その理由とは、つまりはランスの存在。

 

 自分は変化していない。以前そう思ったものの、やっぱりあの人と出会って自分も色々と変わったのだなと、シルキィは少し困ったように嘆息した。

 

 

 

 

 

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