ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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VS 魔人ワーグ②

 今より一ヶ月程前、派閥の主が絶体絶命の窮地から救出された。その結果、ホーネット派はワーグが敵派閥に参加した事を知る事となった。

 その後、何度も挑んだ説得の甲斐あって派閥の主からワーグへの対処を一任された後、ふとシルキィはランスの事を思った。

 

 ワーグはなにせ美少女である。女性に目が無いランスがワーグの事を知ったらどうするだろうか。

 そして薄々予想していた事ではあったが、やはりランスはワーグに対して大いに興味を抱いた。

 

 あれ程会いたいと、セックスしたいと言っていたランスがワーグを殺す事に納得する筈が無い。

 ワーグの境遇も気にはなっていた。だがシルキィはそれ以上に、派閥に何度も協力してくれたランスの信頼を裏切りたくなかったのである。

 

 とは言えワーグの事を放置は出来ない。だからと言って先の理由でワーグを倒す事も出来ないし、かといって味方に引き込めるかも分からない。

 同じ目的の為に協力してくれる筈だと、実は密かに頼りにしていたランスは残念ながらワーグに近づけず、レベル上げにと去ってしまい帰りが間に合うかどうかも分からない。

 

 無い無い尽くしの現状に悩んだ末に、シルキィは火炎書士の知恵を借りる事にした。

 火炎書士は全ての事情を加味した上で、それならば魔人ワーグには穏便に戦争から退場してもらうのが良いのではないか。という話になり、そしてこのような経緯となったのだった。

 

 

 事は全て火炎書士の作戦通りに進み、残る問題といえばワーグの心を動かす事のみ。

 ふぅ、と小さく息を吐いたシルキィは、眼前に居る小さな少女のような魔人をじっと見つめた。

 

「ワーグ。ここで下りてくれるなら貴女の命は私が保証する。もし万が一、貴女の存在がケイブリスに知られたとしても、その時は魔人四天王シルキィ・リトルレーズンの全てを賭けて貴女を守るわ」

「…………シルキィ」

 

 その真っ直ぐな言葉を受けたワーグは、瞼をゆっくりと伏せて長く思考する。

 

 彼女は臆病な魔人であり死ぬのが怖い。けれども戦争中のこの魔物界においては、何処に身を置いても危険である事はそう変わらない。

 ホーネット派と敵対しようがケイブリス派を裏切ろうが、実の所そう大差ない話なのである。

 

 ならば戦わずに済む方が良い。ワーグは世界中の人と仲良くしたいと願う程の優しい魔人である。

 そして先の言葉。目の前の優しい魔人四天王が、いざとなったら自分の事を守ってくれる。

 

 それが最後の後押しとなったのか、目を開いたワーグは大きく息を吸って肩の力を下ろした。

 

 

「……分かったわ。シルキィの言う通りにする」

 

 

 魔人ワーグは、戦争から抜ける事を決断した。

 

 元より心の底から望んでいた事であって、素直になった方が利口だと彼女は思った。なのだが、

 

「ワーグ……!!」

 

 その声に、装甲越しでもシルキィの喜ぶ顔が見えた気がしたワーグは、何故だか少々癪だなと感じてしまい、拗ねるかのようにその顔を背ける。

 

「……て、言うしか無いわよね。この状況じゃ」

 

 そう言ってワーグは、わざと大袈裟に溜息を吐く仕草を見せた。

 

 シルキィは最初から、ここで戦争から下りないのならば戦う事も辞さないと宣言している。

 その提案がワーグにとって魅力的なものだという違いはあるものの、その方法は結局の所彼女の命を人質としたものであり、その意味ではケイブリスがした事と然程の違いは無かった。

 

「それは……まぁ、確かにそうよね」

 

 先のワーグの答えは、選んでくれたと言うより、選ばせてしまったと表現した方が的確と言える。

 その事はシルキィも内心で感じていた事だったのか、若干彼女の声のトーンが低下した。

 

「とりあえずシルキィ、私はもう敵じゃなくなったのだから、いい加減にラッシーを返して」

「あ、そう言えばそうね」

 

 ラッシーを摘み上げていた事を忘れていたのか、シルキィはハッとした様子で装甲の手を開く。

 ようやく魔人四天王から解放されたそのペットは、ふわふわと宙を漂い主人の元へと戻っていき、再会して一番に大きな泣き声を上げた。

 

「うわーん! 怖かったよー!!」

「……ワーグ、ごめんね」

「ごめんで済むかー! もっと謝れよなー!!」

「ううん、そっちじゃ無くて。まぁそっちもそうなんだけどね」

 

 吠えるペットとワーグに向け、巨大な装甲の角度がやや深くなる。大きすぎていまいち分かりづらいが、恐らくは頭を下げる仕草なのだろう。

 ワーグには見えない装甲内部で、浮かない顔をするシルキィが謝りたかったのは、ペットの事では無くて先の話についてであった。 

 

「……ごめんね。結果的に、貴女を脅すような形になっちゃって」

「……別に、もう気にしていないわ」

「私、頭が固くて融通が利かないから、こういう事は苦手なのよ。基本的にこういう交渉事はサテラの仕事だし。ほら、貴女の下に派閥への参加交渉に来たのもあの子だったでしょ?」

「……そういえばそうだったわね。けど……」

 

 シルキィはそう言うものの、自分が思っている事と他人が思っている事は往々にして別である。

 

 ワーグはシルキィの事をそこまで融通の利かない性格だとは思わなかったし、なによりサテラのあの短気な性格を考慮すると、その役割分担は果たして適切と言えるのだろうか。

 ふとそんな事を思うワーグの一方、シルキィはさらに言葉を続ける。

 

「……本当はね、貴女に会わせたい人が居たの」

「会わせたい人?」

「うん。彼なら私なんかよりももっと上手に、貴女の悩みを解決してくれたと思うんだけどね。けど、ちょっと予定が狂っちゃって…………うん?」

 

 かの男の事を話題に上げてしまった、もしかしたらそれが原因なのかどうなのか。

 まさに今、シルキィがその存在の事に触れたのと同じタイミングで。

 

 

 森に、獣の遠吠えのような奇妙な声が響いた。

 

 

「……シルキィ。今、何か聞こえなかった?」

「……えぇ、何か聞こえたわね。というか、今のはもしかして……」

 

 その声は、ワーグの耳には聞き覚えの無い男の声に聞こえた。

 その声は、シルキィの耳には聞き覚えのよくあるあの男の声に聞こえた。

 

「何かが、近付いてくる……!!」

「……なんだか、嫌な予感が」

 

 その叫び声は急速に近づいてきて。

 

 そして、魔人四天王のシルキィ・リトルレーズンよりも更に恐ろしい、一人の人間が来襲した。

 

 

 

「おんなーーーーー!!!!!」

 

 その第一声は、それはもう酷いものだった。

 

 

「な、ランスさん!? ランスさん……なの!?」

 

 シルキィが瞬時に判断出来ずに悩んでしまったのは、その目に映ったものが記憶にあるそれと、あまりにかけ離れていたからである。

 真っ赤に充血した瞳はまるで焦点が定まっておらず、唾液を撒き散らしながら走るその姿は、気の触れてしまった人間そのものであり、それがランスだとシルキィは認めたくなかった。そしておまけに、

 

「ランスさん、い、一体貴方の身に何が……それに、なんで裸なの!?」

 

 迫り来るランスはすでに素っ裸。その局部も天を向いており、戦闘準備は万全であった。

 

 

 ワーグと戦う為にレベル上げをすると走り去ったランスが、何故このような状態になっているのか。シルキィにはさっぱり理解不能である。

 生き物には才能限界があり、それを超えてレベルを上げる事は出来ない。もしやランスは元から限界にあり、それでもどうにかしてその限界を超えようと不断の努力をした結果、心をやられてしまったのだろうか。

 

 と、そんな事をやや逃避気味に考えるシルキィであったが、彼女は装甲内部に居た為、女性しか視認出来ない今のランスの視界には、幸か不幸か映る事は無かった。

 よって代わりに犠牲となったのは、巨大な装甲のそばに居たランスにとっての見知らぬ少女。

 

 

「わーーーぐ!!! せーーーっくす!!!!」

「ひぃ!!」

 

 一目見ただけでトラウマになりそうな、世にも恐ろしい生物の目的が自分だと知ったワーグは、命とか貞操とか色々なものの危機を感じて、とっさにさらなるフェロモンを放って身を守るべく、慌てて服を脱ぎ始める。

 

 だが性欲に猛り狂うランスを前にして、その行動は完全に逆効果だった。

 

「うきょーーーー!!!!」

「きゃああああ!!!!!」

 

 ランスのギラつく瞳がワーグをロックオン。

 そして、ワーグとランスの戦闘が始まった。

 

「あぁもう、せっかく話が纏まった所なのに!! ランスさんのバカーーー!!!!」

 

 シルキィの叫びは、森中に響き渡った。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 そして。

 

 ワーグとランスの手に汗握るような激しい戦闘。と言う名のストリップショー。

 服を脱ぐ演者と演者を守る警備員、そして演者に飛び掛ろうとするマナー違反の観客の攻防は、今をもって一応終了した。

 

「……はぁ、はぁ……」

「ぐがー、すぴー」

 

 息を荒げる魔人ワーグは一糸まとわぬ素っ裸。疲労困憊の体で地面に尻もちを付いている。

 そんな彼女の目の前には、同じく素っ裸のランスが心地良さそうに鼻提灯を膨らませていた。

 

 

 二人の戦闘の結果はランスの判定勝ち。あるいは最後まで立っていたものを勝ちとするなら、ワーグの勝利かという所であった。

 

 暴走したランスは獲物に向かって襲い掛かる。一方ワーグはラッシーを盾にして敵の猛攻を防ぎ、その間に急いで服を脱ぐ。

 どこか奇怪に映るそんな激戦を繰り広げた二人だが、ランスはその強烈な眠気を物ともせず、ワーグがもう脱げないぎりぎりの所まで追い詰めた。

 そして彼女に敗北を認めさせるに至ったのだが、最終的には限界を超えて眠りに落ちてしまった。

 

 心神喪失状態にあったランスだが、それでもランスのランスたる部分は失われていなかったのか、ワーグの事を一切傷つけはせず、彼女が降参したのはその圧力に押されての事である。

 代わりと言っては何だが盾となったラッシーは、散々ランスにどつかれた結果気絶してしまった。

 

 

 そして、もう一人の魔人はと言うと。

 

「……ワーグ。その、お疲れ様」

 

 何と声を掛けたら良いかよく分からなかったが、とりあえずシルキィは労いの言葉を掛ける。

 二人の戦いを前にして、ランスに加勢するのもワーグに加勢するのも何だかなぁといった感じだったので、今まで我関せずと傍観していたのだが、ようやく立ち上がったワーグの詰問から逃れる事は当然出来なかった。

 

「……シルキィ。こいつ、一体なんなの?」

「……難しい事を聞くわね……」

 

 地に倒れたランスを指差すワーグを前にして、この男の事をどのように説明すればいいのか。その未曾有の難問を前にシルキィは眉間に皺を寄せる。

 素っ裸、かつ局部をおっ立たせた状態ですやすやと眠るランスを前に、彼は派閥の救世主なのだと口にするのはとても躊躇いがあった。

 

「この人はその、魔王城に来たお客さんというか……ううん、違うわね。私達の大事な仲間なの」

「シルキィの仲間……こいつ、何で私に襲い掛かってきたの? それにセックスがどうとか……」

「えっと……ちょっと錯乱していたのかもね。ほら、どう見ても様子がおかしかったでしょう?」

「こいつ、何で裸なの?」

「えっと……暑かったのかな?」

「………………」

 

 訝しげな様子の、ワーグのじとーっとした視線がシルキィに刺さる。

 

「ま、待ってワーグ。この人なんか変な事になっているみたいで、普段はこうじゃないって言うか、もうちょっとは常識がある人って言うか……」

 

 自分は何を言っているんだろう。ついそんな気分になってしまうシルキィであったが、このままじゃワーグのランスへの印象が最悪なものになってしまう気がしたので、何とかランスの名誉を回復しようと彼女は言葉を探す。

 

「その、あのね。こんな人だけどね、良い所も一杯あるのよ? その、ほら、直情的で分かりやすい所か、あとはその……元気な所とか」

 

 我ながら虚しいフォローだなぁと思いながらも、ワーグの好感度が上がりそうな要素を探すシルキィは、先のランスの最後の言葉をふと思い出した。

 

 

「……それに彼、言っていたでしょ? 貴女と仲良くなりたいって。その気持ちに嘘は無いと思う」

 

 先程、ランスは全裸になったワーグの渾身の眠気を至近距離で浴び、辛抱できずに眠ってしまう最後の最後で理性を取り戻した。

 そして何を思ったかは知らないが、ワーグに向けて「君と仲良くなりたい」と一方的に宣言して、そのままランスは安らかな眠りについた。

 

 ワーグもそれは聞いており、それがランスの事をただの凶暴で狂った生き物だと思えず、シルキィに対してこいつは何なのと尋ねてみた理由だった。

 

「仲良くなりたい……。こいつ、私と友達になりたいって事?」

「そう、そうなの!! この人はね、貴女と友達になりたいのよ!! ……その、うん」

 

 シルキィは内心、この男の仲良くなると言う言葉は、友達以上のもっと深い仲の事を指すのだと理解していたが、これ以上この場をややこしくする事も無いだろうと口を引き結んだ。

 

「……そんなの信じられない。どうせこの男は、私の力を利用したくて嘘を吐いただけよ」

「ワーグ、そう穿った見方をするのは良くないわ。あれは本心から出た言葉だと私は思う」

「……どうかしらね」

「それにほら、さっきのランスさんは嘘を吐けるような精神状態じゃ無かったと言うか……」

「それは……」

 

 確かに一理あると内心で感じたワーグは、ランスの寝顔をじっと見つめる。

 

 荒れ狂う獣の如く襲ってきたこの男は、眠りに落ちる直前にころっと人が変わったように平然とした様子に戻った。恐らくはあれが素なのだろう。

 あの瞬間にすぐ嘘を吐こうとは普通しないだろうし、なによりあの言葉を告げた時の表情は、嘘を吐いていたとは思いたくない真摯な表情だった。

 

 そう思うワーグなのだが、それでもまだランスの事を信じられない理由があった。

 

 

「……別に、こいつが初めてじゃない」

「………………」

「私と友達になりたいなんて、そんな事を言う人間は過去にも沢山居たわ。けど、最終的には私を恐れてみんな離れていった。こいつもきっと同じよ」

「……貴方の過去はそうかもしれないけど、でもねワーグ。ランスさんが貴女を恐れる事は絶対に無いわ。それは私が約束する」

 

 魔人四天王や魔人筆頭にさえ恐れず立ち向かうランスが、ワーグを怖がって離れる事だけはあり得ない話だと、シルキィは大いに太鼓判を押す。

 

 過去を思い出したのか、辛そうに顔を伏せるワーグの気持ちも分からないでも無かったが、それでもランスの事は信じて欲しいとシルキィは思った。

 ワーグの孤独を埋める、彼女が一番求めているものがそこにあると思ったからだ。

 

「この人ね。ここに来る前、ずっと貴女に会いたい会いたいって言っていたのよ?」

「……ずっと?」

「えぇ、ずっと。もう本当しつこいぐらいに、貴女に会いたがっていたんだから」

 

 散々うし車を運搬する事になった、あの時の苦労を思い出したシルキィは苦笑を浮かべながら思う。

 

 魔物界のあらゆる存在が恐れる魔人ワーグに対して、あんなにも会いたいと熱望する者など今まで居ただろうか。

 動機は少々不純ではあるものの、その熱意は認めてあげるべきだと思う。

 

「それでも貴女に会えないと分かると、今度は貴女に会う為に何日もレベル上げをする程なのよ? 彼は私達と違って人間なのに、それでも諦めないで貴女の前に立ったんだもの。凄いと思わない?」

「……私に、会う為……」

「うん。この人は貴女に会う為ならどんな努力でも出来る人だから、貴女を怖がったり、貴女から離れたりはしない。ランスさんならきっと、貴女を孤独なままにしたりはしないわ」

 

 自分が次々と言葉にする度、徐々にワーグの心が惹かれていく。その事が表情から見て取れる。

 伝えたい事は大体伝えたので、後はワーグ次第。それはすでに寝ているランスにも、第三者の自分にも出来ない、ワーグが自ら決める事だとシルキィは思った。

 

「ねぇワーグ。貴女さえ一歩踏み出せば、きっとランスさんと仲良くなれるわ。だから……彼を起こしてあげて?」

 

 ワーグの能力によって眠らされてしまったランスは、このままでは二度と目覚める事は無い。

 唯一目覚められる方法である、ワーグ自身の意思によって能力を解いてあげてほしいと、シルキィはそう訴えていた。

 

「………………」

 

 だがそう言われても、ワーグにはこの男の事が良く分からない。つい先程会ったばかりだし、正気に戻ったランスの声を聞いたのは一度だけ。

 シルキィはそのように言うものの、果たして自分はこの奇妙な男と仲良くなれるのだろうか、友達になれるのだろうか。

 

 そう悩む気持ちはあったものの、これもやはり先程の選択と同じで、結局の所はそうしたいと思う心で決めるべきだと彼女は思った。

 

「………………」

 

 そして、ワーグは先のシルキィの頼みに対して、自分なりの返事をしようと思ったのだが。

 

「……っ」

「……ワーグ?」

 

 口をもごもごさせてしまうワーグを前に、シルキィが不思議なものを見る表情になる。

 

 基本的にワーグは照れ屋な性格であって、自分の思いを素直に口にする事は苦手としている。

 言えないその言葉を代わりに喋って貰おうと、彼女はラッシーの様子を伺ってみたものの、未だそのペットは気絶したまま。

 

 仕方無くもう一度どうにか伝えようとしてみたものの、やっぱり気恥ずかしさが邪魔をしたのか。

 

「……うん」

 

 ほんの一言だけ呟き、そして小さく頷いた。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「ワーグ。その、そろそろ服を着たら?」

「……そ、そうね」

 

 今更気付いて恥ずかしくなったのか、頬を朱に染めたワーグはそそくさと服を着始める。

 その時、ふと彼女はある事を思い、そばに居た魔人四天王に対して声を掛けた。

 

 

「……それにしてもシルキィ。あなた、私の眠りをこんなにも長い時間、よく我慢出来るわね」

 

 それは、実の所ずっと疑問に感じていた事。最初にワーグがシルキィとの会話に応じたのは、時間さえ稼げば眠りの効果が現れ、相手の事を操れると考えたからでもある。

 狂ったように襲い掛かってきたランスでさえ最終的には眠りに落ちたのに、魔人四天王シルキィ・リトルレーズンは未だに眠らない。

 その事が、ワーグはとても気になっていた。

 

「まさかあなたにも、私の能力は効かないの? それとも、それを着ているから?」

「そうね、装甲で全身を覆っているからというのは間違い無くあるわね。貴女のフェロモンの甘い匂いは、この中に居たら殆ど感じないもの」

「……じゃあ、それを脱いだら?」

 

 ワーグはほんの興味本位でそれを聞いてみた。

 するとシルキィは少し考える素振りを見せた後。

 

「……貴女はもう敵じゃない訳だし、試してみてもいいかもね」

 

 そう言うと彼女は精神を集中させて、その身に纏う魔法具の形を変化させる。

 巨人の如き装甲は斧のような形状へと切り替わり、その場には小柄なワーグと同じくくらいに背の低い、そして似たような格好の魔人が現れる。

 そしてすぐにシルキィは片目を瞑り、苦痛に耐えるかのように表情を歪めた。

 

「……くっ、流石にこの距離で裸の貴女を前にすると、すっごく眠いわね……。というか、なんだかもう眠いというより、頭が痛い……」

「……そう」

 

 能力の効果が現れているという事は、その内にシルキィも眠ってしまうという事。ここからどれだけ耐えられるかは個人の精神力次第だが、いずれにせよ自分のそばには居られないという事である。

 

「待ってて、すぐに服を着るから」

 

 少し寂しげな表情のワーグは、先程脱いだ服を下着からコートの上下まで、急いで身に着け直した。

 

 

 

 元の格好へと戻ったワーグはその後、気絶しているラッシーの身体を揺すってみる。するとすぐにそのペットは意識を回復し、ワーグの身体にゆったりと巻き付き始める。

 その様子を見ていたシルキィは、安心したように顔を綻ばせた。

 

「あぁ、ペットちゃんは起きたのね、良かった。けどワーグ、こっちがまだ起きないんだけど」

 

 その魔人の前には、気分良さそうに眠る裸の男。

 まだ能力を解いてくれないの? そう問うような視線を送るシルキィだったが、受けたワーグは小さく首を横に振った。

 

「私の能力はすでに解除してあるから、今寝ているのは自然に寝ているだけよ。どうやら彼、ここ何日もずっと眠っていなかったみたいね。恐らくあと2、3日は眠ったままだと思う」

「え、じゃあ夜も眠らずにレベル上げをしていたって事? ランスさんってば、凄い執念ね……」

 

 それで頭のネジが外れてしまったのかしら。と、あらぬ勘違いをするシルキィの一方。

 

「……それって、私に会う為……なのよね」

 

 視線を逸し、ぽっと頬を染めるワーグ。

 

「……えぇ、そうよ」

 

 そんなうぶな反応をする少女を前にシルキィは、セックスする為だとはとても言えなかった。

 

 

 

 

「よいしょっと……さて、じゃあ戻りましょうか」

 

 その小さな肩にランスの事を担ぎ上げたシルキィの言葉に、ワーグはこくりと頷く。

 シルキィとワーグ、そして急な飛び入りでランスも参加したこの一件はこれにて無事終了となったので、帰路に就く為二人は森を歩き出す。

 

「……とは言っても、貴女をサイサイツリーに連れて行く事は出来ないんだけどね」

 

 そう言って、ごめんねと謝るシルキィだったが、魔界都市に入れない事などワーグにとっては当然の事であり、特に気分を害した様子は無かった。

 

「分かってる。私はこのまま森の中を通ってアワッサツリーに行くわ。ケイブリス派に見つかりたくないし」

「そうね。色々な事を考えると、私達ホーネット派の者にも出来るだけ会わない方が良いと思う。あ、けどワーグ。アワッサツリーに行く前にランスさんとは会ってみてね」

 

 シルキィは何となくだが、ワーグがアワッサツリーに行く事にはならない気がしている。

 アワッサツリーは魔王城からかなり離れているので、ランスがそれを知ったら必ず待ったを掛けるのでは無いかと考えていた。

 

「……しばらく魔王城の外れに留まっているから、彼が起きたら会いに来るよう伝えて」

「うん、分かった」

 

 そんな話をしながら、森の中を進む二人の魔人と一体の夢イルカであったが。

 

 

「……ねぇ、シルキィ」

 

 ふいにワーグが立ち止まる。

 

「何?」

 

 小首を傾げるシルキィの事を、不思議そうな表情のワーグが大きな瞳でじっと見つめる。

 

「あなた、本当に私の能力が効いているの? 効いていると言った割には全然……」

 

 先程、すっごく眠いと言っていたシルキィだが、しかし彼女は今もまだぴんぴんしている。

 

 すでに服をちゃんと着込んだとは言え、それでも発せられるフェロモンの量は相当のもの。

 それに今のシルキィはフェロモンを遮断する装甲を纏っておらず、それでこれだけの時間起きていられるのは、とても稀な事であった。

 

「実は眠気が効いていないんじゃねーの? なぁなぁシルキィ、どうなんだよ、答えろよー」

「ちゃんと効いてるわよ。ペットちゃん」

「本当に? 別に嘘を吐く必要は無いのよ」

「本当だってば。今も気を抜いたら眠ってしまいそうで、こうして立っているのも辛いんだから」

「けれど……」

 

 立っているのも辛いとは言うものの、ワーグが見る限りシルキィの顔は平然としていて、辛さなどはまるで見えない。

 

「……でもね、ワーグ」

 

 それは魔法具の頑強な装甲よりも、あるいは魔人としての高いレベルよりも。

 彼女にとってなによりも一番自信がある、ワーグと対峙するのは自分が一番適任であると、以前そのように宣言した本当の理由。

 

 シルキィはワーグの事を安心させるかのように、柔らかく微笑んで見せた。

 

「私ね、我慢するのは得意なのよ」

 

 前回、数多の魔物達に何日も休み無く陵辱されようとも、決してその心が折れる事は無かった。

 そんな彼女の台詞には、忘れられた英雄としての矜持が宿っていた。

 

 

 

 


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