ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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魔王専用の浴室

 

 

 

 

 ある日の魔王城。

 

 ホーネット派の主、魔人ホーネット。

 

 魔王不在の魔王城において事実上の支配者である彼女は、刺繍の施された豪華な絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、先日の一件に思考を巡らせる。

 

 

 魔人ワーグ。現在のケイブリス派の中で最も警戒が必要だったあの魔人に関しては、概ね問題無く、当初想定していた範囲内にて決着がついた。

 ワーグがケイブリス派に加わったのだと知った時、当初は魔人としての能力が一番高く、一番その眠りに抗う事が出来るであろう自分がワーグと戦うつもりでいた。

 しかしその後、信頼を置く腹心たるシルキィから説得を受けた事もあり、ホーネットはワーグの対処に関しては仲間達に一任する事にした。

 

 その時から薄々予想はしていたのだが、やはりシルキィはワーグの事を倒しはしなかった。

 あるいは再びワーグを派閥に入れても良いかと、そんな相談をされるかとも思っていたのだが、どうやらあの魔人四天王はそうしたくは無いらしい。おそらくはワーグの心情を考慮したのだろう。

 

(……シルキィは、優しい人ですからね)

 

 自分の知る限り、あれ程に優しい魔人はいない。平和な世界の為に千年近くも前から戦い続けている彼女は、こうして同じ戦いの場に身を置いているとはいえ、単に遺言に従っているだけの自分とは大違いだとホーネットは思う。

 

 ともかくシルキィはそんな魔人なので、彼女にワーグの対処を任せた時からこんな結末になるのではと想定しており、なので特に問題は無かった。ホーネットはそれも込みで、シルキィに全てを任せたのだから。

 

(……いずれにせよ、これで現状一番の不安要素であった、ワーグの件は片が付きました)

 

 ケイブリス派からワーグは離脱したので、今後あの眠りの能力がこちらに牙を向ける事は無い。ワーグの事を倒さずとも、あるいは味方に出来ずとも、ホーネットにとってはそれで十分だった。

 

 ワーグの能力は単に眠らせるだけでなく、他人の思考を操作する事が可能であり、その脅威は筆舌し難いものがある。

 何時何処でその力が猛威を振るうか、それが不明な状況では中々思うように身動きが取れず、前線で戦っていたガルティア達に撤退を認める位しか対応策を取れなかった。

 結局最初の段階で魔物兵達に相当な被害が出てしまったが、それは必要な犠牲と割り切る他ない。

 

 ともかくワーグとの戦いは終わり、味方が操られてしまう危険に悩まされる事も無くなった。

 

 となれば次は。

 

 と、ホーネットの思考が次なる一手に及んだ時、ちょうど彼女は目的の部屋に辿り着いた。

 

 

「…………ふぅ」

 

 扉の前で、一度小さく深呼吸。

 しっかりと気を落ち着けてから、ドアノブに手を掛けて室内へと入る。

 

 ホーネットが足を踏み入れたその部屋は、特別に変わった何かがある訳では無い、単なる脱衣室。

 だが彼女はこの部屋に入る度に背筋が引き締まるような、あるいは居心地の悪さを感じるような、身の置き所が無いような気分になってしまう。

 何故かと言うとこの部屋は、魔人筆頭の彼女には使用を許されていない場所だからである。

 

 この魔王城の本当の主。世界の支配者たる魔王。ここはその魔王の為に設置された特別な部屋。

 よって本来なら魔人筆頭と言えども立入禁止ではあるのだが、ちょっとした諸事情あってやむを得ず、彼女はこの部屋を使用していた。

 

 当然ながら、無許可で使用している訳では無い。

 数年前、護衛の為にと仲間の魔人達を魔王の下へ向かわせた事があり、その際に事の理由を話して、魔王から直々に使用の許しを受けてはいる。

 

 サテラ達から聞く所によると、魔王は「私の事なんて気にしないで、好きに使っていいよー」と、そんな言葉と共に快諾してくれたそうだ。

 かの魔王らしい寛容な言葉であるが、これは懐が深いからと言うよりは、どちらかと言うと、

 

(……美樹様には、この城が自分の所有物だという自覚が持てないのでしょうね)

 

 おそらくはそういう事なのだろうと、ホーネットは思っている。

 美樹は異世界から来た少女であり、この城に居たのはほんの少しの間だけ。そんな理由もあってこの城に対して特段思い入れは無いのだろうが、それでもこの城が魔王城である以上、この城の全ては魔王たる美樹のものである。

 

 ともあれ、そのような経緯あってホーネットはこの脱衣室を使用しているのだが、しかし魔王城に魔王が不在で、魔人筆頭が魔王の専用物を使用している現状は、やはり正しい在り方では無いと彼女は常々思っている。

 

 魔王に魔王たる自覚が無い。その問題はさておくとして、魔物界で戦争が起きているこの状況では、美樹を城に呼ぶ事など出来やしない。

 ならば魔人筆頭たるホーネットがするべき事は、この派閥戦争を一刻も早く終わらせる事。 

 

 そして、その為の次なる一手。

 

 脱衣所の壁際に設置された、洗面台の大鏡に写る自分の姿を意識せずに眺めていたホーネットの思考が、先程中断した部分にようやく戻ってきた。

 

 

(……今度はこちらから、攻勢に出る)

 

 先日、魔人ワーグに奪われたばかりの魔界都市、ビューティーツリーの再奪還作戦。

 ホーネットは魔王城に戻ってきてすぐに、仲間の魔人達とその計画を推し進めていた。

 

 勝機は十分にある。ホーネット派の面々は皆そう考えている。長らく劣勢にあったホーネット派だが、ここに来て遂にケイブリス派との戦力差が均衡してきた事がその大きな理由であった。

 

 ホーネット派とケイブリス派の戦力を比較してみると、魔物兵の総数では二倍近くの差がある。

 だが魔人の頭数を見ると、ホーネット派は6体。敵派閥の残りも6体であり、共に同数となる。

 

(ですが同数とは言え、その実情は違う)

 

 ホーネット派の魔人達は皆それぞれ目的の為に士気が高く、全員がいつでも戦闘に参加させられる状態にあるが、しかしケイブリス派の魔人達もそうかと言えばそれは異なる。

 

 今まで一度も戦場に出た事が無いケイブリス。

 そして、滅多に戦場には出ないカミーラ。

 そして、カスケード・バウに攻め込まない限りは基本的に戦場には出ない、ケッセルリンク。

 

 この魔人四天王達はそれぞれ強敵であるものの、しかし魔界都市の防衛任務などには就かない。

 温存と呼べば聞こえは良いが、実際の所は動かしたくても動かせないと言うのが本音だろうと、ホーネット達は思っている。

 

 この3体の魔人を除けば、ケイブリス派がビューティーツリーの防衛に割ける魔人の戦力はレイ、パイアール、レッドアイの3体が限界となる。

 そしてその3体であれば、今のホーネット派の現総力を挙げれば十分に攻略可能だと言えた。

 

(レイとパイアールであれば、私が後れを取る事はまずありませんし、シルキィやガルティアにも十分対処は可能でしょう。レッドアイだけは簡単にはいかない相手ですが、しかし……)

 

 魔人レッドアイ。ホーネットを超える程の魔法レベルを有する、3体の内では一番の難敵。

 だが、しかしあの狂気の魔人にはそもそも都市の防衛という概念が無い。

 

 その桁外れの魔力で、味方の被害など何一つ考慮せず好き勝手暴れるのがレッドアイの戦い方。

 どう考えても守りに使う戦力では無いので、レッドアイにビューティーツリーの防衛をさせるような事は無いだろう。

 それがホーネット達の共通見解であり、仮にレッドアイが出てきたとしても、その時は唯一魔力で対抗可能な彼女自らが相手をすると決めている。

 

 更には先行して偵察を行なっているメガラスによると、現在のビューティーツリー内では無敵と思われていた魔人ワーグがシルキィによって倒されてしまった事で、魔物兵達は勿論の事、魔物隊長や魔物将軍の士気すら大いに低下しているとの事。

 

 以上を踏まえて考えると、今がビューティーツリーを奪い返す絶好の機会。

 ホーネット派は近々大攻勢を掛ける予定で、派閥の皆は今その準備に取り掛かっている。

 

 そしてホーネットの思考が、次なる作戦の事から、そんな自派閥の仲間達の事にまで及んだ時、

 

 

(……あ)

 

 ふと、彼女はある事を思って、

 

「……そういえば、ランスはどうするでしょうか」

 

 そして、自然と呟いていた。

 最初は慣れなかったものの、今では呼ぶ事にもようやく慣れた、その名前を。

 

 

 

 ワーグの一件にも協力してくれた、あの男は此度の作戦に参加するだろうか。

 自然と顎に軽く手を当てて、ホーネットは顔を少し下向きに傾けて思いを巡らせる。

 

(実力的には、問題は無いと思うのですが……)

 

 その強さに関して最初は半信半疑だったものの、ホーネットも今では考えが変わった。理由は一月程前に共に旅をした中で、彼女自身の眼で直に目の当たりにしたからである。

 魔人メディウサと戦った時のランスの戦いぶりを思い出す限りでは、魔界都市攻略作戦に参加したとしても十二分に活躍する事は出来る筈。

 

(……しかし、ランスの性格を考えると……)

 

 彼にはどうにも物ぐさな部分と言うか、怠け癖があるように見える。

 そして、付け加えて言うとあの女好きの性格。

 

 聞く所によると強引に参加を押し切ったらしいワーグの一件に対して、魔界都市攻略作戦に関してはランスの興味を惹くものはおそらく何も無い。そう考えると、今回の作戦に彼は参加しないような気がする。

 

 

(……あるいは)

 

 自分が一言頼めば、共に戦ってくれるだろうか。

 

 

 ホーネットはそんな事を思い、

 

「……いえ」

 

 呟きと共に、小さく首を横に振って、その考えを自分の頭から捨て去った。

 

 ランスが派閥の協力者である以上、戦いに加わって貰う事には何一つ問題は無い。

 ではあるのだが、これまで何度も協力して貰った手前、これ以上ランスに頼る事にホーネットには少々抵抗があった。

 

(シルキィからの報告では、ランスはワーグの一件で相当苦労したとの事ですし、しばらくは魔王城で身体を休めて貰った方が良いでしょう)

 

 ランスが居なければホーネット派は何も出来ない訳では無い。そんな事ではあまりに情けなさ過ぎると、派閥の主としてホーネットに当然に思う。

 それに彼は優秀な戦士ではあるものの、あくまで人間であり、魔人の自分達と同じ基準で物事を考えてはいけない。

 何やらワーグの一件では日夜戦い漬けだったようなので、その肉体には魔人の自分では計り知れない疲労や怪我が蓄積しているかもしれない。

 

 などと、ここ最近は顔を合わせていないランスについて、あれこれ考えていたホーネットは、

 

 

(……それにしても、この私が)

 

 ふぅ、と、肩を揺らして呼吸をしながら、彼女は何となしに自分の手のひらを眺める。

 

 ランスが共に戦ってくれるかと考えたり、一方で協力して貰う事に抵抗を感じたり。

 こんなにも一人の人間について思うなど、ほんの数ヶ月前の自分であればとても考えられない事だと、ホーネットは自らの変化を強く実感していた。

 

 その変化は、共に過ごす時間の長かった仲間の魔人達にもすぐに分かる事らしい。

 ホーネットがそう気づいたのはつい先日、シルキィと二人で作戦の話し合いを行って、その終わりに少し雑談に興じた時の事。

 

 かの魔人四天王とは付き合いも長く、時に派閥の主従の関係から離れて様々な事を話すのだが、その日はワーグに関しての話題となった。

 ワーグが魔王城近辺に住む事になったが構わないのか。そうシルキィから問われて、構わない訳では無いが城にはランスも居るので仕方無いのでは。そう返答をしたら「やっぱりホーネット様は変わりましたよね」と、しみじみと頷かれてしまった。

 ホーネットも自分の変化には自覚があるので、その言葉に気を立てる事は無かったが、とはいえ自分の変化に対して何も思わない訳では無い。

 

(……良い傾向の変化だと思いますよと、シルキィは言っていましたが……)

 

 果たして本当にそうなのかと思う所があるにはある。特にここ最近はその変化が自身の行動決定にも影響を及ぼし、その結果少々筋が通らないような事をしてしまう場合があり、その意味では確実に悪影響であるように思える。

 

 直近で言えばつい先日、サイサイツリーから帰還する際、派閥の仲間達に一言もなく移動した事。

 あの時、聞こえる嬌声から中で何が起きているかの想像が付いてしまい、シルキィ達が居ると思わしきテントにはとても近づけず、結局そのまま彼女達には何も伝えずサイサイツリーを出発したのだが、振り返って考えるとあれは良くない。

 

 あのテントの中に入るのはさすがに躊躇われるものの、事が済むまで待つ位の時間の余裕はあったはずだし、せめて伝言を残すべきであった。

 何故だかすぐにここから離れたいと思い、まるで逃げるかのようにサイサイツリーを発ったあの時の思考が、ホーネットには今でもよく分からない。

 

 この件に関しては先程の雑談の時にシルキィにはしっかりと謝罪したのだが、その悩みを打ち明ける気分にはならなかった。

 

(……そういえば)

 

 あの雑談終わり、ワーグと密着する程に近づいても眠らない方法は無いかと聞かれたので、それについては心当たりが無いと答えたのだが、あれは一体どういう意図の質問だったのだろうか。

 数日前にシルキィと交わした雑談の一幕、そんな他愛も無い事を考えながら、ホーネットは私服の肩布に手を掛ける。

 

 普段着として着用している、極薄のドレス。この格好に初めて疑問を抱かされたのも、思えばあの男の失礼な言葉がきっかけだった。

 それも一つの変化ではある。とはいえ、これはれっきとした魔人筆頭たる自分の礼装であり、何を言われた所で別の衣装を着るつもりは無いのだが。

 

 ホーネットにとっては何一つおかしな点の無い、布一枚のドレスを身体から下ろして、それを脱衣籠の中に丁寧に畳む。

 一枚服を脱いだだけで裸になったその魔人は、収納棚の中から清潔なタオルを取り出す。それだけを片手に持って浴室のドアを開き、風呂場の中へと足を踏み入れる。すると──

 

 

 

「よう、ホーネット」

 

──先客が居た。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔王城の一画にある、魔王専用の浴室。

 

 およそ30分程前から、この風呂場の中にてランスは目的の魔人の待ち伏せを開始した。

 そして今、素っ裸で仁王立ちする彼の前には、同じく一糸纏わぬ姿のホーネットが、思考をどこかに放棄してしまった素の表情にて硬直していた。

 

「おぉ、久しぶりのホーネットのヌードだ」

 

 艶のある白い肌、丸みを帯び、それでいて引き締まった身体のラインに、柔らかに膨らんだ胸。

 ランスの瞳に映るのは、絶世の美女たるホーネットの、非の打ち所がないような見事な裸体だった。

 

「前に見た時も思ったが、やはりいい乳……。きゅっと細い腰と尻も、ぐへへ、たまらん……」

 

 それらは普段からあまり隠されていないものであるが、全てが惜しみなく晒されているこの機会が、とても貴重な事には変わりない。

 ランスは鼻の下が伸びた締まりのない顔で、じろじろと彼女の全身をくまなく視姦していたのだが。

 

「……ん? どしたホーネット」

 

 風呂場のドアを開けて、そろそろ20秒程。

 

 自分の事を目の当たりにしてから、一向に微動だにしないホーネットの様子に、さすがに不審に思ったランスは声を掛けた。

 

「……あ」

 

 ランスの声がきっかけとなって思考を取り戻したのか、ホーネットははっと目を見開き、そしてすぐにその瞼を深く閉じる。

 今その魔人の脳内には、この状況に対しての言いたい事が一瞬にして山のように浮かんだのだが、まず一番に言うべき事を慎重に選択した結果。

 

 

「……ランス、すぐにここから立ち去りなさい」

 

 低くトーンの下がった凄みのある声色と共に、ホーネットの周囲に6つの魔法球が出現する。

 使用者の魔法の効果を増幅するそれは、言うまでも無く強力な魔法の行使の合図であり、宣言に従わなければ攻撃も辞さないという姿勢の証だった。

 

「げげっ!! ほ、ホーネット、ちょい待て!!」

 

 唐突なホーネットの好戦的な態度に、危険を感じたランスは左手を前に出して待ったのポーズ。

 だがそんなランスの様子など意に介さず、彼女は一切の有無を言わせない鋭い目付きで睨む。

 

「待ちません。もう一度言いますが、すぐにここから立ち去りなさい。ランス、ここは貴方の使用が許される場所では無いのです」

 

 出会った当初から比べると大分態度も軟化して、ここ最近はランスの不躾な行動にもある程度の許容を見せるホーネットではあるが、とはいえ当然ながら何でもかんでも許す訳では無い。

 

 ここは魔王専用の浴室であり、本来は魔人筆頭の自分でさえ使用してはいけない場所。人間のランスが使用するなど持っての他である。

 魔人筆頭として相応しくある事を日々心掛けている彼女にとって、魔王に関連する事に対しては一向に容赦が無く、それは自身の裸体を隠す事などよりも遥かに優先されるべき事であった。

 

 しかし。

 

 

「許可ならあるぞ!!」

 

 予想だにしなかったその言葉に、

 

「……許可?」

 

 ホーネットは気勢が削がれた様子で呟いた後、言葉の意味する所を思案するように眉根を寄せた。

 

「……私は、許可などした覚えはありませんが」

「ちっちっち。お前の許可じゃないっつの」

 

 ここに来てやっと得意げな表情に切り替わったランスは、振り子のように左右に振った人差し指を、そのまま上向きにぴんと立てる。

 

「お前の上の者の許可があるのだ、ホーネットよ」

「……上、と言うと……」

 

 現在、この魔王城の実質的な主、魔人筆頭たるホーネットよりも上位の者。それはつまり。

 

「……まさか」

「どーやら気付いたようだな。これを見ろ!!」

 

 ビシっと効果音の鳴るような勢いで、ランスは背中の後ろに隠していた右手に持つ一枚の紙切れを、ホーネットに対して堂々と突き付ける。

 

 風呂場の湯気で若干湿ってしまったその紙には、

 

 

『ランスさんへ。お風呂使っていいよ。美樹より』

 

 

 少女特有の丸っこい字で、そう書かれていた。

 

 

「……な? ちゃんと許可があるだろ?」

 

 瞠目する魔人筆頭の眼前で、ランスはその紙切れの存在を自慢するかのようにぴらぴらと振る。

 

 これが先日、ワーグの家からの帰り道でランスが思い付いた事。

 ホーネットをものにする為に、魔王の存在を利用してみよう。という事である。

 

 ホーネットは魔人筆頭という立場故か、あるいは父親の遺言の影響かそれともその両方か。

 いずれにせよ彼女にとって美樹は絶対の上位者であり、魔王が未覚醒な現状であっても、ホーネットは美樹に対して忠実な態度を取る。

 

 美樹が謝れと言えば素直に謝罪したりなど、その魔人の従順な姿をランスは前回の時に何度も目撃しており、ならば美樹の命令という事なら、きっとホーネットも言う事を聞くだろうと考えた。

 そこでまずは手始めにと、ランスは以前サテラ達から耳にした、ホーネットだけが使用している専用の風呂に一緒に入る事を試してみたのである。

 

 

「ほーれほれ、その目でしっかりと見ろ。美樹ちゃんの名前が間違いなく書いてあるだろう」

「………………」

 

 得意げなランスの顔など視界に入らない様子で、ホーネットはその紙切れをまじまじと眺めていたが、やがて小さく呟いた。

 

「これは、本当に美樹様が書いたものですか?」

 

 その言葉に、ぎくりとランスの肩が跳ね上がる。

 

 ホーネットの指摘は実に的確であり、これは魔王たる少女、来水美樹が書いたものでは無い。

 ランスがシィルに命じて書かせただけのものであり、言ってみれば単なるでっちあげ品である。

 

 なのだが。

 

 

「もっちろん。これは正真正銘、あの美樹ちゃんが書いてくれたものだとも」

「………………」

「なんだホーネット、その目は。お前まさか疑ってんのか? なら、本人に確認してみりゃいいさ」

 

 そう言って、勝ち誇ったようにニヤけるランスの顔は「確認など出来やしねーだろうがな」と、如実に物語っていた。

 

 前回の第二次魔物戦争時において、ランスは行方不明だった魔王美樹を捜索した経験がある。

 その時の美樹の捜索はそれなりに困難を極め、盗み聞きの魔女の異名を持つ、情報収集力に長けたクレインの手を借りねば発見する事が出来なかった。

 

 当時と今では多少状況が異なるとはいえ、少なくともあの時はホーネット派の一員たるサテラにも、魔王の所在は分からない様子だった。

 だからきっと現在のホーネットも美樹の行方は知らないだろう、そうランスは予想したのである。

 

「………………」

 

 そして、ランスのその読みも的確であり、ホーネットは二の句が告げずに口を噤む。

 

 現状、美樹の居場所はホーネットにも不明であり、その紙切れの真偽を確かめる術は無い。

 それが紛い物だと断ずるのは簡単ではある。だが万が一にも本物であった場合、魔王が書いた手紙を勝手に偽物だと決め付けるなどこの上無く不敬であるし、魔王が許可した事に異議を唱えるなど当然ながらあってはならない。

 そして厄介な事に、美樹の性格上そのような許可を出す可能性も十分に考えられる。何故ならホーネット自身も、美樹の許可を受けてこの場所を使用しているのだから。

 

「どーした? 美樹ちゃんに確認しねーのか? しねーなら、これが本物だと信じたって事だな?」

「……貴方はこの手紙を、どのようにして手に入れたのですか? 美樹様と連絡が取れるのですか?」

「……あ~、まぁな。俺様と美樹ちゃんはそのー、あれだ。仲良しだからな、うむ」

「ならば、貴方は美樹様の居場所を知っているという事ですか? あの方は今何処に?」

「……えっと。……と、とにかーく!!」

 

 これ以上話をするとボロが出そうなので、ランスは声を張り上げて強引に会話を打ち切った。

 

「俺様はここを使用する許可をちゃーんと受けているのだ。魔王の許可さえありゃ、魔人筆頭のお前の許可なんていらねぇよな?」

「……それは」

 

 今の魔王城は本来の城主たる魔王が不在な為、魔人筆頭の立場たるホーネットがやむを得ず城の管理を代行しているだけで、この城の全ては魔王の物。

 施設の使用は勿論、宝物庫に眠る財宝の処分なども全て魔王のお言葉一つであり、それを魔人筆頭のホーネットに覆せる筈が無い。

 

「ホーネットよ、お前の許しが必要なのか?」

「……必要は、ありません。……ですが」

「何だよ?」

「……いえ」

 

 ホーネットは視線をすっと横に逃がす。

 彼女のその様は、自身の敗北を受け入れるかのような姿にランスの眼には映った。

 

 99%、あの紙切れは偽物だと思う。

 しかしホーネットは、1%の可能性を捨てる事がどうしても出来なかった。

 

「よーし、分かってくれたようで何よりだ。んじゃあ、一緒に仲良く風呂に入ろうではないか」

「……いえ、そういう事なら先に貴方が使用してください。私は一旦出直します」

 

 そう言うとすぐに、その魔人は反転して浴室の出入り口のドアノブに手を掛ける。

 

「おっと。お前まさか逃げるつもりか?」

 

 その動きに目ざとく反応したランスは、彼女の退出に先んじて待ったを掛けた。

 

「……逃げる訳ではありません。今は貴方が使用をしていると知ったので、時間をずらすだけです」

「いやいや、俺様は別に構わんぞ。風呂に入る時間が重なるなんて良くある事だし、気にせず一緒に入ればいいじゃないか、なぁ?」

 

 ランスは恩着せがましい言葉と胡散臭い笑顔でもって、彼女に同意を求める。

 

 ホーネットの言葉は一般的に考えれば妥当な理由ではあるのだが、その正論はあまりランスには効き目が無かった。

 何故かと言うと、その発言をしたホーネットは決して一般人では無いからである。

 

「それとも、俺様との混浴なんて恥ずかしくて出来ない。なーんて事を言うつもりはねぇよな?」

「………………」

「まっさかー!! 俺様に裸を見られても一切動じない魔人筆頭サマが、たかがちっぽけな人間一人との混浴を恥ずかしがるなんて、それはさすがに有り得ないよな!! うむうむ、それは無いな、それは無い」

 

 一人で勝手に盛り上がり、勝手に納得するランスの言葉を、ドアノブを握ったままの姿勢で聞いていたホーネットは、

 

「貴方はそんな、……」

 

 口を衝いたように何かを言い掛けて、

 

「あん?」

「……いえ」

 

 結局口にするのを止めたのか、はぁ、と大きく息を吐き出し、そして。

 

「……そうですね。この私が、気にするような事では無い、……筈ですね」

 

 静かにそう呟いて、ドアノブから手を離した。

 

 

 

 

 


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