魔人サテラ。魔人ハウゼル。魔人四天王シルキィ・リトルレーズンに、魔人筆頭、ホーネット。
彼女達との性行為を、ランスは思いの限りに楽しんだ。間違いなく楽しんだ。
サテラの胸を、ハウゼルのお尻を、シルキィの中を、ホーネットの全てを存分に味わった。
そのはずだったのだが。
「……あれ?」
ホーネット派魔人達との、数日間にも及ぶ極上のハーレムプレイ。
その至極の時間から突然意識を切り離され、ランスベッドからすぐさま身体を起こす。
「……あれれ? サテラ? ハウゼルちゃん?」
ランスは彼女達の名を呼ぶが、しかし何処からも答えは無く。
ほんのつい先程まで自分の腕の中に居た、確かな熱を持った魔人達の柔らかな感触は、今はもう煙のように忽然と消え去っていた。
「あれれれ? 俺様のシルキィちゃんは? 俺様のホーネットはどこいったのだ?」
辺りをきょろきょろと見渡すが、四人の魔人達の姿はどこにも見当たらず。
その代わりに、ベッドのそばにあった小さな椅子にちょこんと座っていたのは。
「ランス、おはよう」
この家の家主、魔人ワーグだった。
「……おぉ、誰かと思えばワーグじゃないか。……うむ? ワーグ、ワーグだと?」
瞬間、ランスの脳裏にある嫌な予感が走り、さっと表情を凍らせる。
まるで眠りから目が覚めたような感覚と共に、四人の魔人は唐突に姿を消し、そして現れたのが魔人ワーグ。これは一体どういう事なのか。
そしてふと鼻を嗅いでみると、感じるのは小屋内に漂うこの魔人独特の甘い匂い。この香りがもたらす効果は果たして何だったか。
「……まさか」
「そう、あなたがさっき見たのは……」
「嫌だ!! 言うなワーグ!! 俺様は何も聞きたくない!!」
真実を、あるいは世界を拒絶するかの如く、毛布を頭から被ったランスは両手で耳を塞ぐ。
実に情けない格好で逃避するその男に対し、ワーグという名の現実は何処までも非情であった。
「さっきのは全部夢よ。本当はもう分かっているのでしょう?」
「……だから、言うなってのに」
返事と共にのそのそと毛布から頭を出したランスも、心の底では薄々気が付いていた事。
先程のハーレム、あの夢のような出来事は、まさしく文字通り全て夢の中の出来事だった。
「……まぁ、正直なところを言うと、途中からなんかおかしいなぁとは思っていたがな」
ランスは負け惜しみのように口にした後、それでもショックは隠せないのか、意気消沈と言った様子で肩を落とす。
とても素直で好意を隠さないサテラも、普段よりも実に積極的なハウゼルも、当然のように愛の告白をしてくるシルキィも、そして既に自分のものになったかのようなホーネットも。
考えてみれば全部有り得ない、全てはランスにとって何処までも都合の良い虚構の存在だった。
「……はぁ。夢か、そりゃまぁ夢だよな」
「ただの夢じゃないわ。私の能力による夢よ。ランス、もしかして覚えてないの?」
「お前の能力? ……あー、そういやぁ。なーんか思い出してきたぞ」
ランスはぽりぽりと頭を掻く。現実と向き合う事をしぶしぶながら認めた彼の脳が、ようやく色々な事を再認識し始めた。
ここは魔王城では無くその近隣にあるワーグの家。ランスが眠っていたのは小屋内に備え付けられたベッドの上。
先日、ランスは魔王専用の浴室にて魔人ホーネットに挑み、色々あった末に玉砕した。
その日はふて寝をして一日を終わらせたランスだったが、次の日にある出来事があった。魔王城内、そして近隣の魔界都市ブルトンツリーから、大量の魔物兵達が移動を開始したのである。
これは何事かとシルキィに尋ねてみた所、間近に迫ったビューティーツリー再奪還作戦の為に、前線の拠点に兵力を集結させているとの事である。
ランスはその時、シルキィから一緒に戦わないかとお誘いを受けたのだが、とても戦闘などする気分にならなかったので丁重に申し出を断り。
その結果、彼はしばらく魔王城の防衛役、という名のお留守番係を引き受ける事となった。
そして今現在、ホーネット派はその総力を挙げて、ビューティーツリーへと絶賛侵攻中である。
総力を挙げてと言うだけあって、此度のホーネット派は相当な大規模攻勢を掛ける事を選択した。
魔物兵の大群に加えて重要な戦力である魔人達の投入も惜しまず、主たるホーネットを筆頭に皆作戦に参加する事となり、ホーネット派の人員殆どが城を発つ事となった。
今の魔王城はすっかり人気が無くなり、連絡役の飛行魔物兵がたまに帰ってくる程度。
その結果、遊び相手を失って暇を持て余したランスは、ホーネット派では無いが故に残っていたワーグの所へと遊びに来て。
そして会話の流れで、ワーグが他人の見る夢を操作する事が出来ると知ったのだった。
「私はこの能力、あまり好きじゃないんだけどね。ランスがどうしても私の能力を体験したいって言うから、特別にしてあげたのよ?」
魔人ワーグは他人を眠らせる能力に加えて、他人が見る夢を操作する事が出来る。
その夢の内容次第では、相手の記憶や思考すらも変えてしまえる力を持つが、今回ランスにしたのは単に作為的な夢を見せただけで、当然ながら人格などの操作は行なっていない。
大切な友達の記憶や思考を操作するつもりなど、ワーグにはさらさら無いのである。
「そうそう、そうだったな。んで、ならばとハーレムの夢を注文したんだっけか」
ランスが先程見ていた夢。あれは、ホーネット達がランスに対してメロメロとなり、それが当たり前となった日常の一コマ。という設定らしい。
「あの夢はお前が見せてくれた……て事はもしや、お前もあの夢を一緒に見てたって事か?」
「……私は最初に夢の設定を変更しただけで、後は何一つ干渉してはいないわ」
不機嫌そうな声で「別に見たいものでもないし」と呟いた後、ワーグはついっとそっぽを向く。
ランスからその注文を受けた時から内心色々と思う所があり、その結果すっかり拗ねてしまった主人の代わりに、そばに居たペットが口を開いた。
「ふーんだ!! ランス、良い夢見れたかー!?」
「……うむ、あれは素晴らしい夢だった。やはりハーレムは最高だな。……けど」
「けど?」
「夢の中でってのは、何だかこう……虚しい」
あんなにも楽しかった、天にも昇る心地を味わえたホーネット達とのハーレムプレイ。
だがそんな夢から目が覚めてしまった今、ランスの心にはぽっかりと大きな穴が空いたような、とても空虚で物寂しい気分だった。
「それはそうよ。ランス、あなたが見たのは夢。夢はどこまでいっても所詮夢でしかないわ」
「……そうだな。やっぱハーレムっつーのは、実際に作ってこそだな」
いつかはあの夢を現実のものとしてやろう。
ランスはそう強く決心して、心地良い夢を見せてくれたベッドから出る事にした。
◇ ◇ ◇
「ワーグ。腹減った、飯くれ」
時刻はそろそろお昼時。
空腹感を覚えたランスは食卓の席につき、いつものようにワーグに食事を要求する。
ワーグの小屋が完成し、その内部にキッチンが設置されてからというもの、彼はは遊びに来る度に彼女手製の料理をご馳走になっていた。
彼女は長年一人暮らしをしているからか、見かけによらない料理の腕前を持っており、また自分が作った料理を誰かが食べてくれるのが嬉しいのか、口ではあれこれ言いながらも楽しそうにキッチンの前に立つ。
そんなワーグではあるのだが、しかし今日はどうにも様子が違う。ランスの食事の要求に対し、少し残念そうな表情で首を左右に振った。
「その事なんだけどね。ランス、今日はもう帰った方が良いと思うのよ」
「帰る? なんでじゃ、まだ昼過ぎだろうに」
「それがね、そろそろ天気が崩れそうなのよ」
「天気ぃ?」
ワーグによると、どうやら今日は魔物界の空の色が良くないらしい。
彼女の予想だと、恐らく数時間後には大嵐になってしまうそうで、今すぐに帰宅しないと明日の夜頃まで帰れなくなってしまうとの事だった。
「天気か、天気ねぇ……」
ランスは窓から空を眺めてみるが、その色はどんよりとした紫色、そして時々雷。
太陽の恵みが差し込まない魔物界の空は、人間にとって馴染みが無い色をしているのが常であり、今の天気が良いのか悪いのか、ランスにはいまいち判断が付かない。
「ランス、年長者の言葉は聞いておくものよ。ご飯はまた今度来た時に作ってあげるから」
「……ふむ、分かった。なら、今日はもう帰るか」
言葉と共にランスは椅子から立ち上がる。未だ手出しが出来ないワーグの家に、明日の夜まで居るというのは生殺しに近い。
今日も誰かしらと楽しむ予定の彼は、相手の言葉に従って本日はこの辺でお暇する事にした。
そしてランスが玄関へと歩いていたその時。
「よっしゃ、何とか気付か……」
「わぁっ!」
「あん?」
妙な喚き声が聞こえ、何事かと背後を振り返る。すると何かを喋ろうとしたラッシーの隣から、ワーグが大層慌てた様子で飛び退き、その結果すてんと転んでしまったらしき姿が目に映った。
「……何やってんだお前」
「べ、別に?」
地べたに寝そべりながら、ワーグは平然を繕う。
「つーか、今イルカが何か言わなかったか?」
「そ、そう? 私には何も聞こえなかったけど。ランスの気のせいじゃない?」
「気のせい……か?」
よいしょと立ち上がるワーグの一方、確かに何かが聞こえた気がしたランスは、納得のいかない様子で首を傾げる。
そして、やはりワーグの様子もどこかおかしい。理由は不明だが、普段いつも一緒に居るペットから必死に距離を取ろうとしている。
今もラッシーは主人の下にふよふよと寄っていくのだが、一方のワーグはそそっと離れていく。まるで鬼ごっこをしているような謎の光景が、ランスの眼前で繰り広げられていた。
「ワーグよ、それ楽しいのか?」
「まぁ、ね。それよりランス、早く帰らないと。ほら、天気が悪くなってしまうわ」
「お、おぅ……」
やけに急かしてくるワーグの様子にどこか違和感を覚えつつも、彼女の手に背中を押されるがまま、ランスは玄関扉のドアノブに手を掛ける。
「またな、ワーグ」
「うん、またね」
別れの挨拶と共に、ランスはワーグの家から出たのだが、しかしその玄関扉が閉まりきる寸前、
(……ん?)
扉の隙間からほんの一瞬見えた、ワーグの表情がランスには無性に引っ掛かった。
魔王城へ続く道のりを歩き出しながら、ランスは腕組みして首を傾げていた。
「……あいつ、ホッとしてたって言うか……なんか、安心してた?」
魔人ワーグ。自分では認めないものの、誰がどう見ても寂しがり屋な彼女は、お客さんが帰ってしまう時はいつも切ない表情を浮かべて見送る。
特にランスに対してはその傾向が顕著で、寂しげな表情でいるのがランスにとっての帰り際のワーグの姿であり、何度も目にした姿である。
だが、今日のワーグはそんな素振りを全く見せず、むしろ先程の顔は、ランスがとっとと帰ってくれた事にホッと一安心といった表情で。
「……ぬ~?」
どうにもその事が腑に落ちず、立ち止まったランスは眉を顰める。
いつも自分との別れを惜しむワーグが、今日に限って安堵の表情を浮かべていた理由は何だろう。
今日彼女の家でした事と言えば、ハーレムの夢を見せてもらった事くらいだが……。
と、そこまで考えたランスは、
「あ」
ようやく、すっかり忘れていた事を思い出した。
「……ワーグ!!」
あの魔人に嵌められた事に気が付いたランスは、大声でその名を叫ぶ。
そして全力疾走で来た道を戻り、チャイムも鳴らさずに玄関扉を乱暴に開くと、彼女が居る室内へと怒鳴り込んだ。
「ワーグ!! お前、騙しやがったな!?」
「ら、ランス!? どうしたの、何か忘れ物?」
「ちゃうわ!! 俺様思い出したぞ!!」
その怒声に、内心とても心当たりがあったワーグは顔を引き攣らせる。
「……な、何を思い出したの?」
ランスが思い出した事。ワーグが触れて欲しくなかった事。それは。
「さっきの夢の事だ!! あのハーレムの中には、お前が居なかったじゃねぇか!!!」
ランスが今日の昼間、ワーグに見せてほしいと望んだ夢の内容。それは、
先程見た夢は、注文した内容とほんの一部分だけが違っていた。つまり、そのハーレムの中にワーグの存在が含まれていなかったのである。
「……そ、そうだった? えっと……夢の設定を、少し間違えてしまったかしら?」
途端に視線を明後日の方向に逃し、実に白々しい様子でとぼけるワーグ。
彼女が嘘を吐いているのはとても明白であり、ランスは追求の手を休めなかった。
「違う!! 絶対にわざとだ!!」
「べ、別にわざとって訳じゃ……」
「大体おっかしいと思ったんだ!! お前が今日に限って俺様をさっさと帰らせたのは、この事に気付かれたくなかったからだな!?」
「ぅぐっ……!」
ランスの指摘は見事に図星を突き、返す言葉を失ったワーグの顔が徐々に紅潮していく。
今まで必死にしらを切り通そうとしてきた彼女だが、遂に溢れる感情を抑えきれなくなったのか、真っ白な顔を真っ赤に染めて反論した。
「だ、だってっ!! 私の、そんな、そんな夢を、あなたに見せられる訳がないでしょう!?」
それはとっても照れ屋なワーグの、複雑な乙女心故なのか。彼女にとって、ランスはスケベだが自分と仲良くしてくれる大切な友達なのである。
そんな相手に、未だ経験が無い自分とエッチな事をする夢を、あろう事か自分の能力で見せるなど、とてもワーグに出来る事では無かった。
実は昼間その注文を受けた時にも二人は軽く揉めたのだが、その時は最終的にランスの強引さに押し切られてしまった。とはいえやっぱりそんな事は出来ず、ワーグは悩んだ末に注文を受けた内容を一部変更してしまった。
しかしそれでは騙された注文主、ランスの怒りのクレームは収まらなかった。
「だってもへちまもあるかー!! お前とは現実でセックス出来ないんだから、せめて夢の中でぐらいセックスさせろー!!」
「け、けど……!!」
「ワーグ、もう一度ハーレムの夢を見せろ!! んで、今度はちゃんとお前ともさせろーー!!」
先程、夢の中での行為は虚しいだけだと思い知ったばかりなのに、しかし未だ手を付けていないワーグを抱きたいという要求には逆らえないのか。
いきり立つランスはワーグの肩を両手で掴み、がくがくと前後左右に揺さぶる。その勢いの前にワーグは押され、やがて彼女は観念したかのように一度ぎゅっと目を瞑ると、
「くぅ……!!」
苦悶の声を挙げながら、右手で服の裾を掴むとそのまま一息に胸元まで捲り上げる。
「お?」
ランスの眼前に、ワーグの真っ白なお腹と水玉模様のブラジャーが露わになって、
「ありゃ?」
そして気付いた時には、彼は魔王城の廊下の真ん中で突っ立っていた。
「……えーと」
ランスは自分の周囲をぐるっと一周見渡した後、こてんと首を傾げる。
「……俺様、何でこんな所に居るんだっけ?」
自分は何故このような場所に居るのか。つい先程まで一体何をしていたのか。
それらを思い出そうとランスは頑張ってみたが、しかし頭の中には深い霞が掛かっているかのように、一向に記憶は定まらない。
「うーむ、分からん。……ま、いっか」
分からない事を悩んでも意味が無いし、こうして廊下に立ち尽くしていても仕方が無い。
とても切り替えの早いランスはとりあえず自分の部屋に戻ろうと、どこかぼーっとする頭のまま城の廊下を歩き出す。
そしてしばらく進むと、
「ランス、ここに居たか」
「おぉ、ムシ野郎」
鉢合わせたのは魔人ガルディア。ホーネット派に所属する、とても大食らいな魔人である。
声を掛けられたので一応挨拶は返したものの、しかし男の魔人には何も興味が湧かないランスは、すぐにその横を通り過ぎようとしたのだが、
「って、あれ? よく考えたらお前、何でこんな所に居るんじゃ。まだ戦ってる最中だろうに」
唐突に思い出したランスは立ち止まる。今現在、ホーネット派の魔人達は全員、ビューティーツリー攻略作戦に掛かりきりの筈である。
ホーネット達はまだ帰ってきていないので、まだ戦いは終わっていない筈。主要戦力と言えるこの魔人が、何故今魔王城に居るのだろうか。
「まさかお前……さぼりか? さぼりならば許さんぞ。ホーネット派の影の支配者である、この俺様が直々に貴様を処罰してやろう」
「違うって。ランス、あんたに会いに来たんだ」
「あぁ?」
そう言われても、ランスにはガルティアに会う用事など無いし、おそらくこの先も永遠に無い。
一体何いってんだコイツは。と、懐疑的な視線を向けるランスの一方、ガルティアは何かを思い悩む様子で俯いていたが、やがて意を決したのかその顔を上げる。
そして目の前の男をじっと見つめるその視線は、とても真剣な眼差しだった。
「なぁランス。そのさ……欲しいんだよ」
「欲しい? ……あぁ、団子を取りに来たのか。ならば倉庫にあるから自分で取ってこい。言っとくが冷蔵庫には無いからな」
ガルティアの好物である、香姫特製団子。あれは冷蔵庫で保管してしまうと、一晩もしない内に他の食材を全てダメにしてしまう為、魔王城の地下倉庫にて厳重に管理されている。
この魔人の欲しがるものといえばそれしか無いと、ランスは当然のようにそう思っていた。
しかし、団子など今はどうでもよかったガルティアは首を左右に振って。
そして、本当の要求を大声で叫んだ。
「ランス、俺はあんたが欲しいんだ!!!」
「死ねーーー!!!」
ざくーっ! と一撃。
魔人ガルティアはランスに斬り殺された。
「……あーびっくりした」
驚き顔のランスの左手には、いつの間にか引き抜いていた魔剣カオスが握られており、そして目の前にはカーペットの上に転がる小さな魔血魂。
突然のランスの凶行により、魔王スラルの代から存在している歴戦の魔人であり元伝説のムシ使い、今はホーネット派として戦っていた魔人ガルティアは討伐されてしまった。
「……この野郎。前からどうにも女っ気の無い奴だとは思っていたが、まさかホモだったとは。まったくふざけやがって」
しかし下手人たるランスは、味方を殺したばかりだと言うのにまるで悪びれてはいなかった。
そしてガルティアの魔血魂をひょいと拾い上げたランスは、それをじーっと睨んだ後。
「……とりあえず、トイレにでも捨てるか」
ぼそりと呟き、ガルティア殺害の証拠を隠滅するべく男子トイレへと向かって歩きだす。
下水に流してしまえば、さすがにバレる事は無いだろう。突然ガルティアが居なくなった事でホーネット達は不審に思うだろうが、その時は何を聞かれても知らんぷりを決め込もう。
そんな決意をしながら廊下を進んでいたランスは、曲がり角を曲がった所で、
「……お?」
その視界に捉えたのは、金属のような光沢を持つ身体に、表情も分からぬ異形の姿。
「………………」
「あれ、君は確か……メガワス君だっけ? ……いや、メガデス君だっけか?」
ランスが遭遇したのは魔人メガラス。ホーネット派の魔人の一人で、とても無口な魔人である。
「………………」
「……何だよ、何か用か」
自分の目の前で急に立ち止まったので、何か用事があるのかと思いきや、一向に黙ったままのその魔人に訝しげな目を向けるランスの一方。
「………………」
沈黙の中で覚悟を決めたメガラスは、背中に隠すようにして持っていた大輪の花束を、思い焦がれていた相手に向けてさっと差し出した。
「……結婚してくれ」
「死ねーーー!!!」
ざくーっ! と一撃。
魔人メガラスはランスに斬り殺された。
「……あ、いけね。つい身体が動いちまった」
世にも恐ろしい言葉を耳にしたランスは、先程と同じように反射的に魔剣カオスを腰から引き抜き、魔人メガラスを両断してしまった。
遥か昔、魔王アベルの代より存在していたホルスの魔人は、こうして長き人生を終えた。
「……うーむ、魔人を二体も殺してしまった。さすがにこれはバレるかもしれんな。……もしバレたら、ホーネットに叱られるかな?」
果たして叱られるだけで済むのかどうか、ランスはわりと悠長な事を考えながら、床に転がる2つ目の魔血魂を回収する。
ほんの数分間にホーネット派は、貴重な戦力である魔人を二体も失ってしまった。ようやくケイブリス派との戦力が均衡してきた最中だと言うのに、ここに来てとても痛恨の戦力ダウンである。
「……けど、これ別に俺が悪い訳じゃないよな? ホモが俺に近づくのが悪いよな。うむうむ」
だが、やっぱりランスはちっとも悪びれてはいなかった。
2つの魔血魂をポケットに忍ばせたランスは、再度男子トイレへと向かって歩き出す。
だが不思議な事に、進めど進めど一向に着く気配が無い。確かに魔王城はとても巨大な建造物ではあるが、しかしこんなに長い廊下があったっけ? と、ランスがそんな疑問を持ち始めたその時。
「……よォ、ランス」
今まで一本道の廊下を歩いてきた筈なのに、何故か背後から自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返ったランスの眼に映ったのは。
「ん? おぉ、ビリビリ野郎じゃねーか。久しぶりに見たなぁお前のしけたツラ」
そこに居たのはビリビリ野郎こと、魔人レイ。
不良っぽい外見をしたその魔人とは、ランスは前回の時に自由都市の戦局にて戦う事となった。
そして紆余曲折を経て、彼は人類側に付いた。
どうやらその時の味方だったイメージが強く脳裏にあったのか、ランスは結構気さくに挨拶を返してしまったのだが、
「……あぁ!? ちょっと待て、何でお前がここにいる!? ここは魔王城だぞ!!」
ランスはようやく気付く。その魔人は今ケイブリス派に属している筈で、ホーネット派の本拠地たるこの魔王城には居てはいけない魔人である。
何故この魔人がここに居るのか。もしや、ホーネット達主要戦力が城を離れたこの隙を狙って、単騎で強襲を仕掛けてきたのだろうか。
瞬間的にそう考え、たじろぐように一歩引いたランスに対して、ふっとタハコを吐き捨てたレイは、前髪で隠れた鋭い眼光で想い人を見つめた。
「何故ここにいる、か。んなの、お前に会いに来たからに決まってんだろ」
「……は?」
「ランス。お前が好きだ」
「ぐはっ!!」
その直接的な言葉はダメージも大きかったのか、ランスは心臓の辺りを強く押さえ、喀血したかのような声を上げる。
「ま、まさか貴様もホモか!! つーか、こいつはブス専のロリコンだった筈じゃ……!」
前回は確かに、容姿がそんなでも無い幼い少女と仲良くしていた筈。いつの間に性的指向が変化してしまったのだろうか。
ともあれ前の二人同様、こんな奴は生かしておく訳にはいかない。どの道今は敵方の魔人であるし、いきなり好きだとほざいてくる男を生かしておくのは自分の命に関わる。
ランスは必殺技の一撃で目前の魔人を片付けてやろうと、引き抜いた魔剣を握る手に力を込めたのだが、しかし彼の悪夢はまだ終わりではなかった。
「……ふむ。レイよ、抜け駆けは感心せんな」
「同感だね」
廊下の奥、魔人レイが立つ更に向こう側に、いつの間にか二人の魔人が出現していた。
「……な。こ、こいつらは……!!」
「チッ、お前らも来やがったのかよ。ケッセルリンク、パイアール」
そこに居たのはやっぱり男の魔人。魔人四天王ケッセルリンクと、魔人パイアール。
紳士然とした貴族のような男と、不健康そうに見える少年が、驚きの余りに口を大きく開けたままのランスに向けて、それぞれ熱い視線を送っていた。
「二人共、彼は私の伴侶となるべき男だ。邪魔するというのなら、レイ、パイアール、君達と言えども容赦はしない」
「それは僕の台詞。ランスは僕のパートナーだ。レイは勿論の事、いくら魔人四天王と言えども譲るつもりは無いよ」
「……は、考える事は一緒って訳か。いいぜ、邪魔者は誰であろうと叩き潰す」
彼らは皆、現在ケイブリス派に属しており、その意味では仲間の筈である。
しかしそんな話は恋事には関係無いのか、それぞれの魔人は鋭い目付きで恋敵を睨み、一転してその場は一触即発の剣呑な雰囲気に。
男の魔人三人が自分を取り合って争う、ランスにとっては身の毛もよだつおぞましい光景。
しかし幸か不幸か、そんな三つ巴の状況はとても呆気なく幕切れを迎えた。
「……ぅおらあああああああ!!!!」
三人の魔人の更に背後。
猛々しい咆哮と共に現れたその魔人が、現魔物界において最強とも称させる暴虐を振るう。
乱暴に振るわれたその巨拳は瞬時に敵を地に叩き伏せ、魔人レイ、魔人パイアール、魔人ケッセルリンクの三体は魔血魂に戻った。
「な、な、ななな……!!!」
前回、死闘の末に討伐した宿敵の出現に、驚愕の表情で硬直するランスに対して。
「へ、へへへへ……。これだけは誰にも譲れねェ。俺様、気付いちまったんだよ。派閥戦争だとか魔王だとか、んな事はもうどうでもいい。俺様が本当に欲しいのは一つだけだったんだ」
大切な戦力である味方の魔人を一瞬で蹴散らしたその魔人は、ようやく会う事が出来た、心の底から待ち望んでいた最愛の相手に手を伸ばす。
「お前は俺様のものだ……ランス!!」
そして、魔人ケイブリスの巨大な手が、その全てを我が物にしようとランスに迫り──
「どわぁ!!」
がばっと、ランスはベッドから跳ね起きた。
「はぁ、はぁっ……!! ……あ? あれ?」
決死の如き形相で辺りを見渡すランスだが、先程まで眼の前にいたあの魔人の姿はもう無く。
「……あ。なんだ、夢か……」
先程の悪夢のような状況は、まさしく文字通りの悪夢だったと知ったランスは、がくっと頭を下ろしてずーんと俯いた。
「あ゛ー、ひっでー夢見た……」
今しがた、ランスは人生の中でワースト3に入りそうな程の酷い夢を見てしまった。
暑い訳でも無いのに全身は寝汗でびっしょり。ベタつく服の不快感が凄まじく、加えて何人もの男に迫られるという恐怖と嫌悪感で、鳥肌が立ったまま収まらない。
疲労困憊の体で、ランスがベッドの上でぐったりしていると、すたすたと近づいて来たのはその家の家主たる魔人。
「ランス、起きたの?」
「……あ、ワーグ? あぁそっか。俺様、お前のあれで眠っちまったのか……?」
先程見た光景があまりにショッキングな内容過ぎて、前後の記憶が上手く繋がらない。
頭を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き回す、そんなランスの顔を覗き込みながら、何食わぬ表情のワーグがそっと呟いた。
「ランス。あなた、顔色がひどく悪いわよ。今日はもう城に帰って、ゆっくり休んだ方がいいわ」
「……そーだな、そーする。おえ、思い出すと吐きそう……」
思わず口元を抑えたランスは、額に浮かぶ脂汗もそのままにベッドから下りる。
休むならここでも問題無いが、しかし今は一刻も早く城に帰りたい。早く城に帰って誰でも良いからすぐに美女を抱いて、未だ脳裏に残る嫌なビジョンを上書きしなければ。
ランスはまるで誰かに導かれているかのように、すぐに玄関へと向かい、
「またな、ワーグ」
「うん、またね」
そして、玄関扉が閉まる。
未だ大嵐など無い快晴の空の下、ランスは魔王城へ帰る道を歩きながら、
「……ん?」
さっきもこんな事無かったっけ? と、そんな既視感を強く覚え、
「あ」
そして、思い出した。
「……わーーーぐっ!!!」