現在ケイブリス派が直面している深刻な問題、ホーネット派による大規模侵攻。
その対策を講じる為の緊急の作戦会議にて、派閥の主たる魔人の口からまず挙がったのは、自派閥に属するとある魔人の名前。
「……レイ様、ですか」
聞こえたその名に、大元帥ストロガノフは軽く顎を引く。
魔人レイ。苛立ちを戦う事により発散しているその魔人は、戦争にも協力的な立場でいる。よってレイを動かす事自体には賛成ではあったのだが、しかし大元帥の表情にはまだ陰りがあった。
「しかしケイブリス様。向こうの戦力を考えると、とてもレイ様だけでは……」
「……ぐ」
分かり切っている問題点を指摘され、ケイブリスの喉から小さな呻きが漏れる。
ホーネット派戦力の中には魔人が何体も含まれている。中には魔人四天王のシルキィはおろか、魔人筆頭であるホーネットの姿も確認している。
如何な魔人レイでも一人では荷が重いのは明白、ホーネット派が総力を挙げている以上、もはやケイブリス派としても戦力を出し惜しみせずに対処せねばならない局面と言えた。
「……なら、パイアールの奴も行かせろ」
「……レイ様とパイアール様、ですか。確かに今動かし易いのはそのお二方になりますが……」
主の手前、直接的な言葉で否定はしないが、しかしストロガノフの声に賛成の色は無い。
雷撃を操るレイはともかくとして、パイアールは魔人との戦いには向かない魔人。彼の駆使する科学兵器は魔物兵等には有効だが、しかし無敵結界の前には無力となってしまう。
その2体の魔人を動かしたとしてもまだまだ旗色は悪く、加えてより深刻な別の問題もあった。
「ですが、あのお二方にもしもの事があった場合、これ以上魔人が欠けてしまうのは……」
「……ぐ、ぐぬぬぬ」
それはケイブリスが一番痛感している悩みの種、先程よりも更に大きな呻きが響いた。
二人の最大の懸念。それは、自派閥の残りの魔人達がホーネット派に倒されてしまう事。
ここ数ヶ月の内に、ケイブリス派は何体もの魔人を失ってしまい、その結果、遂にホーネット派との戦力差が均衡してきてしまった。その事は特に派閥の主であるその魔人の心中に、じわじわと忍び寄るような恐怖と焦燥を与えていた。
これ以上は絶対に魔人の数を減らす訳にはいかず、そう考えると此度のホーネット派の侵攻に対して、先の2名の魔人だけでは危険が大きい。
あの魔人筆頭は並の魔人では中々抑える事が出来ない厄介な相手。その上更に魔人四天王や他の魔人達も敵に回すとなれば、レイとパイアールと言えども魔血魂に戻らぬ保証は無い。
(せめてもう一人、もう一人誰かを動かせればよいのだが……)
獅子の顔を沈黙させたまま、大元帥が考えていたのは更なる追加戦力の事。もう一人魔人を加える事が出来れば、互角とまでは言わずともある程度盛り返す事は出来る。
だがその後一人を動かすのが今の自分達にとっては難しい事、ストロガノフは思わず漏れそうになった溜息を押し殺した。
現在ケイブリス派に残る魔人の内、例えば魔人レッドアイ。殺戮を趣味とする程の好戦的な性格をしているあの魔人なら、命じれば二つ返事ですぐにでも動いてくれる筈ではある。
しかし、レッドアイは味方を巻き込むのを一切厭わないので、魔界都市の防衛などさせようものなら逆に被害が広がってしまう。
その上、時として勝手に戦場を離脱したりなど、命令違反も怖れない程の気まぐれな性格である為、あまり防衛の際に動かす戦力では無いとの認識が、この場に居る両者の共通見解だった。
(……出来る事なら、ケッセルリンク様に動いて貰えれば。……しかし、それも難しい)
残る魔人の内、魔人四天王ケッセルリンク。派閥の主に次ぐ戦力の持ち主で、特に夜間は無敵と言える程のあの魔人であれば、敵の魔人を数体相手取って戦う事も可能に思える。
しかし一方でケッセルリンクは昼に弱く、昼間は光差し込まぬ暗い地下に置かれた棺の中で、その身を眠らせないといけないという欠点がある。
一日に一度は自身の居城に戻らねばならない都合上、ケッセルリンクは城から離れた場所での戦いには基本的に参加しない。
以前、魔界都市ペンゲラツリーにホーネットを誘き寄せた際、あの時にケッセルリンクが動いてくれたのは、大元帥たるストロガノフ自らが足を運び、何度も頭を下げて頼んだが故の事。
あの時は城から遠く離れた場所での戦いであり、ケッセルリンクとしても昼間は行動停止となってしまうリスクを抱えての戦闘であった。
そしてその条件はビューティーツリーでも同様となり、それがケッセルリンクに頼むのが難しい理由の一つ。だが最大の理由としては前回頼んだ時、ストロガノフは「これで派閥戦争が終わるから何卒」と、そんな理由で説得に当たってしまったのが致命的であった。
等々の理由により、魔人レッドアイも魔人ケッセルリンクも今動かすのは難しい。
ならば次の選択肢としてストロガノフの頭に浮かんだのは、あの魔人四天王の姿。
「……ケイブリス様。カミーラ様に動いて貰うのは不可能なのでしょうか」
その言葉にビクッと、玉座に座るケイブリスはその巨体を揺らす程の大袈裟な反応を見せる。
魔人カミーラ。敵派閥の主との交換でケイブリス派に戻ってきたあの魔人四天王ならば、戦力的には申し分無い選択肢と言えるのだが。
「か、カミーラさんは駄目だ。あの方はホーネット派に囚われていた影響で、まだお体の調子が宜しくないとの事だ。つー訳でカミーラさんは駄目」
途端にケイブリスの口から、すっかり威厳の抜け落ちた声での却下がされる。
半ば予想出来ていたその答えに、大元帥はつい肩を落としかけてしまったのだが、その時ふと、先の言葉のある点に興味を抱いた。
「……という事は、もしやケイブリス様、カミーラ様からのお返事をいただいたのですか?」
乱暴、かつ苛烈な性格のケイブリスだが、想い人の前ではとても口下手になってしまう。
そんなケイブリスは手紙を好み、自派閥に戻ってきたカミーラに向けて何度も恋文の如き手紙を出していた。しかしまだ一通も返事が来ない事に対し、ここ最近愚痴りっぱなしであった。
だが先のケイブリスの言葉は、カミーラから直接に近況を聞いたかのような台詞である。もしや遂に返事を貰えたのかと、ストロガノフはそんな事を思ったのだが。
「……あ~。いや、まーその、なんつーか……」
(……あぁ、そういう事か)
視線を左右に彷徨わせ、曖昧に言葉を濁すその姿に、大元帥は答えを聞かずとも理解した。
間違いなくケイブリスの下には、未だカミーラからの返事は届いていない。おそらくは彼の使徒達が手紙を届けた際、そのように言い包められただけなのだろう。
魔人カミーラ。あのドラゴンの魔人四天王はとても怠惰な性格で、何かと理由を付けて戦争に不参加を決め込む上、派閥の主たるケイブリスが恋い慕っている為、あまり強い態度を取れないというのがとても厄介な点であった。
レッドアイもケッセルリンクも、そしてカミーラも動かせないのなら、残るは最後の選択肢。
ストロガノフは目の前の玉座に君臨する、魔物界最強の魔人に対してちらりと視線を送った後。
(……有り得ない、か)
その魔人を派閥の主と仰ぐ者として、決して実際の声には出さず心の中での呟きに留めた。
魔人ケイブリス。この魔人が動いてくれるのが一番手っ取り早い事で、一番確実である事は言うまでも無い。
だが、それが一番難しい事であるのもストロガノフは重々理解していた。何せ7年もの間、この魔人は一度も戦場に出ては居ないのだから。
(……やはり、後一人が難しい。さて、どうしたものか)
今のケイブリス派に残るのは、強力な力を持つが一癖も二癖もある扱い難い魔人ばかり。
戦力として扱い易かったガルティアやバボラなど、全軍の実権を担う立場にいるストロガノフにとってはとても重宝したその魔人達は、残念ながら自派閥から姿を消してしまった。
(……うむ。振り返れば、今の苦境はその時から原因があるのかも知れぬ。献上品などと言うホーネット派らしくも無い方法で、ガルティア様が引き抜かれた時から……)
魔人ガルティアの離脱。ホーネット派によって初めて味方魔人の頭数を減らされたあの時から、派閥戦争の潮目が僅かに変わってしまったような、不穏な予感をストロガノフは抱いた。
その後、自派閥の魔人の大半を動かして決行した大規模作戦の甲斐あって、敵派閥の主ホーネットを捕らえる事に成功した。
よってそれは杞憂に終わるかと思いきや、全く予想だにしていなかった手段により、掴みかけた勝利を手放す事となった。
あの交渉の時に唐突に出現した、ホーネット派の影の支配者の名乗る謎の存在、カオスマスター。
ケイブリスが必ず殺すと息巻いていたし、ストロガノフとしても関心を引く相手であった為、部下の魔物兵に調査はさせているのだが、未だその詳細も満足に掴めてはいないのが現状であった。
(……幾つか気に掛かる事はあれど、しかし今はビューティーツリーの事を考えるのが先決か。とはいえこれはもう、味方への被害も覚悟でレッドアイ様に動いて貰うしかないか。だが、しかし……)
簡単には答えを出せない問題を前に、大元帥と派閥の主は口を閉ざし、しばし玉座の間は息の詰まるような静寂に包まれる。
この時はまだ、如何にしてビューティーツリーを守るのか、そこに焦点を置いていた。
少なくともストロガノフの方は、そこを出発点として思考を巡らせていたのだが。
「ぐぅぅ……、ぬぅぅ~……」
これ以上魔人を減らせない。これ以上ホーネット派に戦力で拮抗される訳にはいかない。
この魔人の性格故か、彼我の戦力差を減らさぬ事に拘泥するあまりに、次第にその思考は如何にしてビューティーツリーを守るのか、という点から徐々に外れていく。そして遂に、
「……そうだ。良い事思い付いた」
はっと顔を上げた魔人ケイブリスは、そのアイディアに辿り着いてしまった。
「ケイブリス様、良い事とは?」
「俺様思ったんだがよ。別にビューティーツリーを守る必要は無いんじゃねぇか?」
「………………」
その事自体は一応考えた事もあった為、そこに驚きは無かったのだが、しかしストロガノフはその言葉を聞いた瞬間、どうにも嫌な予感を覚えた。
取り越し苦労であって欲しいと強く思いながらも、努めて冷静に大元帥は口を開く。
「……ケイブリス様。それはビューティーツリーを放棄するという事でしょうか? しかし……」
「ストロガノフ。お前もよく言ってたじゃねぇか。ビューティーツリーはタンザモンザツリーから遠すぎる、あそこは守るのが難しいって」
「それは……はい。確かに何度か言いました」
ケイブリス派の本拠地たるタンザモンザツリー。そこからビューティーツリーまでの間には、大荒野カスケード・バウを越える必要があったりと相当な距離が開いているのは事実。
移動にはとても時間が掛かる為、実の所今すぐに前線に兵を送ったとしても、救援に間に合うかどうかは微妙な所にある。
そんな理由で守るのが難しいとのケイブリスの言葉は正しく、それはストロガノフ自身も今まで苦慮してきた難点であった。
「……ビューティーツリーが守り難いのは事実。ですがケイブリス様、だからと言ってここで手放してしまうと、我々の侵攻の際に再び奪い返す必要が生じます。ならば……」
しかし一方で、ビューティーツリーを失ってしまう事は侵攻の際の足掛かりを失う事でもある。
再度奪い返す手間を鑑みれば、ここは正念場となるが耐え抜いた方が良いと判断した大元帥は、何とか再考してもらう為にと説得の言葉を続けようとしたのだが。
「いや、つーかな。何も無理してこっちから攻める必要は無いだろ」
「………………」
それを遮るようにして告げられた、派閥の主のそんな言葉を受けて、
(……あぁ、やはりこれは)
獅子の顔付きを歪ませた大元帥は、先程その身に受けた嫌な予感、残念ながらそれが的中していたのだと強く理解した。
彼が不安視した事。それはケイブリスが口にしたその内容、その発想自体では無く、そこに辿り着いた思考や理由、あるいは精神状態といったもの。
「うん、そうだそうだ。考えてみりゃ、こっちから攻めなきゃいけないって決まりは無い。守るのが難しいビューティーツリーなんざ捨てて、その先で待ち構えてりゃ良いんだよ」
本人なりに筋が通った理由を付けているのだろうが、しかしケイブリスは相手の方を見ていない。視線をそわそわと宙に浮かして、その巨体から伝わる迫力もすっかり影を潜めている。
それはその魔人にとっての大きな特徴、あるいは性根、そして言ってしまえば悪癖か。
これ以上自軍の戦力を失って、ホーネット派と拮抗してしまうのを恐れるあまり、ケイブリスは今、完全に弱気となってしまっていた。
(ケイブリス様がこうなった時は、大体……)
ストロガノフは眉間に深い皺を寄せる。その前に立っている今でなければ、自分の口から大きな溜息が出ていたとすら彼は思う。
この派閥の主が臆病風に吹かれてしまった場合、大抵が良い結果とはならない。特に全軍を預かる自分にとっては尚更の事だと、大元帥は過去の例からその事を痛感していた。
この派閥戦争は、戦力で言えばケイブリス派が常に優勢の状態にある。特にアイゼル、ノスという2名の魔人がホーネット派の中から姿を消したLP2年頃から、それは決定的な差となった。
にもかかわらず、それから5年の月日が経過した今でも決着は付いておらず、時に拠点を失ったりなど一進一退の攻防を繰り広げてしまっている。
その理由は敵が派閥の主を中心に纏まり、劣勢ながらも士気高く戦ってきた事などもあるが、時折こちらの主が弱気となる事にも一因があるとストロガノフは確信している。
弱気になったケイブリスが考える事、それは守る事。何をおいてもまずは守る事を考えてしまうその思考は、その魔人が弱小だった時には我が身を護る為の大切な思考であったが、立場が優勢となった今では足を引っ張る事も多い思考であった。
「なぁストロガノフ、その方が良いだろう。どうせホーネット派共がこれ以上先に進める可能性は万に一つもねぇ。奴らはタンザモンザツリーに着いた事はおろか、カスケード・バウを越えられた試しすらねぇんだからよ」
それはケイブリス派にとっての強み。侵攻の際に障害となるその距離、そしてカスケード・バウは、逆に攻め込まれた際には最大の防壁となってホーネット派の前に立ちはだかる。
それに加えて、最大の難所が一つ。
「なんせあの近くには、奴の城があるからな」
その点はケイブリスにとっても絶対の自信があるのか、ようやくその顔に残忍な笑みが戻る。
カスケード・バウから程近い場所には、魔人四天王ケッセルリンクの居城が存在している。
さしものケッセルリンクと言えども、ホーネット派がカスケード・バウまで侵攻して来た際には、重い腰を上げてその猛威を存分に振るう。おそらくはそれでもって、派閥への義理立ては十分だと考えているのだろう。
「以前はもう一つ別の道もあったが、今ではもうそっちは死の大地によって通行止めだ。自軍に大量の犠牲を出すあの道を、甘ちゃんのホーネットが使おうなんて思わねぇだろうしな」
ケイブリスは勿論、仮にホーネット派が死の大地を通ったとしても一応の備えはしてある。誰よりも慎重な性格故に、そういう所に関しては決して抜け目が無いのである。
「な? ビューティーツリーを奪われたからって、別に問題がある訳じゃねぇだろ」
「……ケイブリス様の仰っている事は分かります。ホーネット派が進めるのもここまででありましょう。……しかし」
相変わらず大元帥の表情は険しい。ケイブリスが言うように、ビューティーツリーを捨てて本拠地で待ち構えて戦うというのは有効な手ではある。
しかし未だ勢力としては優勢の立場にあるにもかかわらず、こちらから攻める手段を放棄するというのは些か消極的に過ぎるとも言える。
その上ホーネット派としても過去に何度もタンザモンザツリーへの侵攻には失敗している為、それが難関だという事は向こうも当然承知している事。
「ホーネット派も易々と誘いには乗ってこないでしょう。このままだと、この戦いがより膠着状態に陥ってしまうのでは……」
「おう。だから、それでいーんだよ」
「……む?」
相手を誘い込み、待ち構えた上で戦って勝つ事。それが目的だと考えた大元帥の一方、そもそもそんなつもりなど無かったその魔人は、我が意を得たりとばかりに大きく頷く。
弱気となったケイブリスは守る事だけを考え、その果てに辿り着いた発想。
それは、この派閥戦争をとにかく停滞させる事。そして、その上で自身が勝利を掴む事だった。
「ケイブリス様。それで良いとはどういう事でありましょう?」
「おいおい、お前ともあろう者が分かんねぇか?」
大元帥の率直な疑問に対し、ケイブリスが勿体付けるようにして答えたのは、
「メディウサだよ、メディウサ」
この時、すでに亡き者となっている魔人の名。
「メディウサ様、ですか?」
「そうだ。あいつが今、人間世界でリトルプリンセスを探している。俺様の目的は魔王になる事だ。ホーネット派なんて潰そうが潰すまいが、俺様が魔王になっちまえばそれで終わりだ」
魔王は魔人に対しての絶対命令権を持ち、魔人は決して魔王に逆らう事は出来ない。
いや魔人はおろか、あらゆる生物がその前では頭を垂れる。それが魔王という絶対的な存在。
「いつかはメディウサの奴が逃げ回ってる魔王を見つけて、必ず連れ帰ってくる。なら、ここで焦って攻め込む必要はねぇ。ホーネット派にタンザモンザツリーを攻め落とす手立てが無い以上、じっくりと待っていれば俺様の勝利は確実だ」
決して焦らずに時勢を待つ事。それは魔人ケイブリスが誇る一番の特技。
待つと決めたケイブリスにとっては、停滞した戦況など痛くも痒くもない。この先100年でも200年でも、いくらでも待てる自信が彼にはあった。
「ですがケイブリス様。2年前に人間世界に向かってからというもの、メディウサ様とはまともな連絡が取れた試しがありません」
「なーに、便りが無いのは何とかって言うだろ。きっと元気に魔王を探してるだろーよ。それに、こっちからの指示は届いてんだろ?」
「えぇ、まぁ……。おそらくは、ですが」
ストロガノフは苦い表情で曖昧に俯く。
人間世界に向かった魔人メディウサとは、基本的に連絡を取る手段が無い。何度か飛行魔物兵を送ってはいるのだが、魔法大国ゼスが誇る魔法要塞、マジノラインに備わる迎撃システムによって全て撃ち落とされてしまう。
唯一連絡が取れる方法と言えば、メディウサの使徒であるアレフガルドに頼る事。
主の命令により、マジノラインを物ともせずに世界中を飛び回るあの使徒と運良く遭遇する事が出来れば、こちらの指示を伝える事が出来る。
ここ2年の間に、アレフガルドと遭遇してケイブリスの手紙を届ける事が出来たとの報告が、ストロガノフの下に何件かは上がっている。
よって現在の魔物界の戦況などはメディウサにも伝わってはいる筈である。但し、それに対する向こうからの応答は一度も無いのだが。
「……それに、こう言っては何ですが、メディウサ様には少し怠慢な部分があります。我々の目から遠く離れた人間世界の地で、真面目に魔王捜索を行なっているかと言うと……」
「心配すんなストロガノフ。あいつは確かにふざけた奴だが、それでも俺様の恐ろしさはちゃんと理解してる筈だ。俺様の命令に手を抜いて、俺様に逆らおうとはしねぇだろうよ」
「……そう、ですね」
共に酷悪な事を好む性格など、ケイブリスは何かとメディウサとは馬が合うらしく、他の魔人との関係よりもずっと気安い間柄でいる。
そんなケイブリスが言うのであればそうなのだろうと、ストロガノフとしても頷く他無かった。
「な? メディウサの帰りをただ待てば良い。それだけで勝てるなんて一番簡単な方法だろう?」
「……しかし、ケイブリス様」
「……おいストロガノフ、俺様の考えた素晴らしいアイディアに、お前はまだケチ付けんのか?」
ケイブリスはもはや意見など求めておらず、途端に息詰まるような威圧感が強まる。
派閥の主たるその魔人の、不機嫌さを隠そうともしない怒気を含んだ声の前にして、
「……いえ、何でもありません」
大元帥ストロガノフは、言わんとした言葉をそのまま喉の奥に飲み込んだ。
この時彼はケイブリスが言う素晴らしいアイディアに関して、しかしケイブリスが見逃している、あるいは意図して目を背けている大きな欠点に気が付いていた。
ただ待てば良い。ケイブリスはそう言ったものの、しかし永遠に待つ事などは出来ない。
この派閥戦争は、魔王が不在だからこそ起こっている戦争。よって魔王が覚醒するまで、という明確なタイムリミットが存在している。
魔王が覚醒した時点で自分達の勝利は無くなる。故にこそ、大元帥はその問題点を指摘しようと思ったのだが、しかし結局そうはしなかった。
これ以上ケイブリスの言葉に逆らって、その癇癪を恐れたから。では無く、言っても詮無い事だと思い直したからである。
魔王がいつ覚醒してしまうかなど、誰に分かる事では無い。メディウサが魔王を発見するより早い可能性もあれば、100年200年先まで覚醒しない可能性だってある。
言ってしまえば、明日にでも覚醒する可能性だって無いとは言えない。仮に明日、魔王が覚醒したとなればその時点で派閥戦争は終幕となる。
ケイブリス派としての今までの努力など全て水泡に帰すだろうし、そしてそれは唯々諾々と受け入れる他無い。覚醒した魔王に逆らえる存在など、この世に存在しないのだから。
そんな事を考えたら「魔王が覚醒する前に動かねばならないのでは」などと自分が告げた所で、それはあまりにも無為な指摘、すでに7年近くもの時間を掛けている上では今更の話だと思い、ストロガノフは口を噤んでしまったのだった。
この時ケイブリスは当然として、大元帥たるストロガノフも、すでに魔人メディウサが死亡しているとは考えてはおらず、ある程度自堕落に過ごしつつも魔王を探しているものと想定していた。
ホーネット派と戦っていたならばともかく、戦争から離れて安全な人間世界に向かった以上、そう考えても仕方の無い事ではあった。
しかし現実問題、ランスとホーネットの手によりすでに魔人メディウサは討伐されている。
その重大な見落としと、魔王の覚醒という不確かな要素を包含したまま、とにかくこうしてケイブリス派の当面の方針は決定した。
その事はすぐに、飛行魔物兵達によって前線の魔界都市ビューティーツリーにまで伝えられた。
ホーネット派の侵攻が一手早く、結果として魔物大将軍ヨシフは討ち取られてしまったが、残っていた兵達は派閥の主直々の撤退許可を受けて、すぐさま本拠地へと帰還した。
そしてその後、タンザモンザツリー周辺、及び大荒野カスケード・バウには、それ以上の敵の侵攻を封じる為、ケイブリス派の総力を挙げた防衛線が敷かれる事となった。
それは長い年月、強者に媚びへつらう人生を歩んだ結果、形成された臆病な性格故か。あるいは彼の元の種族である、リスの生態故なのか。
魔人ケイブリス、そしてケイブリス派は、身を守る為のとても強固な巣穴を造り上げ、その中に閉じ籠ってしまったのだった。