バラオ山
「おい、後どんくらいで着くんだ」
「そうですね……ええと、さっきポーンの町を通り過ぎたので、あと3つ程町を通れば到着するかと……」
「長い。飽きた。シィル、どうにかしろ」
「……さすがにこればっかしは、私にはどうしようも……あいたっ!」
足から脱いでぽいっと蹴飛ばした靴が、役に立たない奴隷の頭にヒットする。
涙目で被弾箇所を押さえるシィルを尻目に、ランスは荷台の床にごろんと横になった。
「まーだ着かねぇのか、バラオ山脈にゃあ……」
「ランスさん、退屈でしたらまたお昼寝をされては? 到着したら起こしますよ」
「……そーだな、そーすっかぁ……」
頭の後ろで組んだ両腕を枕にして、すぐにランスは深く瞼を閉じる。
だが、そのままの格好で10秒程が経過した後。
「駄目だ、寒い!!」
悲鳴と共にすぐさま身体を起こす。そして、すぐ近くに座っている女性のそばへと這いずり、
「きゃ、ら、ランスさん……」
「ほへー。ハウゼルちゃん、ぬくいー」
その身体から暖を奪う為、ランスは魔人ハウゼルにがばっと抱きついた。
現在ランス達が居るのは、遠方へと移動する際には欠かせない乗り物、うし車の荷台の中。
数日前に魔王城を出発したそのうし車は現在、凍てつくような風が吹く北の大地、ヘルマン国を横断していた。
「まったく、相変わらずヘルマンはクソ寒い。こんなとこ、用事も無いのに来る場所じゃねぇな」
「んっ、あ……!」
かたかたと揺れる車内にて、この国の気温に対して悪態を吐くランスは、かじかむ指先を炎の力を操る魔人の服の中へと滑らせる。
その言葉通り、ランス達はこのヘルマンに用事があって来ている訳では無い。今は単に通過しているだけであって、うし車の到着予定地はその先の場所にあった。
「はー、あったか。ハウゼルちゃんを連れてきて本当に正解だったな、これは」
「あ、あの、ランスさんっ、私で暖まるのは構わないのですが、変な所を揉むのはその、止めて貰えると……」
胸元でいやらしく動く指使いに、恥じらうハウゼルは顔を伏せたまま抗議の言葉を口にする。
周囲には他に人もいる事だしと、彼女なりに頑張って抵抗したつもりだったのだが、しかし相手は全く聞く耳を持たなかった。
「だーめ。俺様、ハウゼルちゃんには貸しがある筈だろう。あいつの居場所についての情報料をまだ頂いてないからな、これはその分なのだ」
「あ、う。……それは、確かにそうですね……姉さんの行方を探してくれた事に関しては、本当にランスさんには感謝しています」
ランスの弁に納得させられてしまったハウゼルはセクハラに抗するのを諦め、伏せていた顔を更に深く下げてお辞儀をした。
今回ランスが魔物界を離れて、久々に人間世界までやってきた理由。それは今抱きついている魔人ハウゼル、彼女の姉を捕獲する為である。
魔人ハウゼルの姉、魔人サイゼル。炎の力を操る妹とは正反対の、氷の力を操る有翼魔人。
この二人は基本的には仲睦まじい姉妹ではあるのだが、姉のサイゼルは時折、優秀な妹に対して反発心を抱いてしまう事があり、結果大した事の無い理由で姉妹喧嘩が勃発してしまう事がある。
そして魔物界が派閥戦争によって南北に二分されると、ホーネット派に所属したハウゼルに対抗するかのように、サイゼルはケイブリス派に身を置く事となった。
その後LP4年に起きた、ケイブリス派の一部魔人達による魔法大国ゼスへの侵攻。サイゼルはそれに参加して以降、消息不明となっていた。
敵派閥に属する事になった喧嘩中の姉の事を、ハウゼルは心の奥底ではずっと心配していた。サイゼルがゼス侵攻の最中に死亡したとの噂を耳にしても決して信じる事無く、今まで彼女なりに捜索の手を尽くしていたのだが、しかし一向に姉の足取りが掴める事は無かった。
なのだが。
「ま、この俺様の手に掛かりゃ、サイゼル一匹探し出すのなんざ軽い事だ。……これを見ろ」
ランスはズボンのポケットから一枚の手紙を取り出す。それは以前、ノースの町からの帰り際に出した手紙の返信に当たるもの。
魔人サイゼルの行方。その事はランスも気になっていた。サイゼルとは未だセックスしていない事を少し前に思い出したからである。
そして彼が今までの活躍により得た人間世界では随一とも言える人脈、そのコネを使って、各国の指導者に魔人サイゼルの捜索を依頼した所、リーザス王国のリア王女から吉報が届いた。
「リアが国中から集めた情報によるとだな。へんてこな銃を持ってる背中に羽が生えた青髪の女を、バラオ山で目撃したっつー話があるみてぇだ」
その情報の出処は、主にリーザス国内にあるスケールの町の住人。スケールはバラオ山脈中部の麓にある町であり、住民が山狩りや炭焼きなどでバラオ山に赴いた際に、その魔人らしき姿を見た者が何人か居るらしい。とはいえ麓ではその姿を見かける事は無いので、恐らく山の中に潜んでいるのではないか、との事である。
「……銃を持っていて、背中に羽まで生えているって事は、間違いなく姉さんだと思います」
「だろう? サイゼルの奴は必ずバラオ山の何処かに居る、とっとと捕まえてセックスするぞ。つー訳でシィル、準備してきただろーな?」
「はい、もちろんです。ランス様に言われた通り、ちゃんと捕獲ロープは持ってきました。……けど、これで魔人って捕まえられるんですかね?」
「ど、どうでしょうか……?」
女の子モンスター用のアイテムの効果の程に、首を傾げるシィルと曖昧に相槌を打つハウゼル。
ランスは今回、旅のお供としてこの二人を連れてきた。荷物持ち役の奴隷と捜索対象の関係者という事で、至って普通の人選ではあったのだが、しかしそこに何故かオマケが付いてきていた。
「大丈夫ですよ。わざわざ捕獲なんてしなくても、サイゼル様とハウゼル様を仲直りさせれば良いんです。お二人共、本当はとても仲良しなんですから」
「……うーむ。なぁハウゼルちゃん」
「どうしました?」
「今更気になったのだが、それ何で居んの?」
あまり馴染みの無いその声に、腑に落ちない様子のランスがそれと指さした先。
そこに居たのは、真っ赤なローブを頭からすっぽりと被った、怪物の如き形相の持ち主。
「それ、じゃなくて、私は火炎ちゃんなのです。ちゃんと火炎ちゃんと呼んでください」
魔人ハウゼルが有する使徒、火炎書士。
不気味な外見を持つこの使徒の事を、ランスは特に連れてきた覚えは無い。なのだが、いつの間にかひょっこり荷台の中に姿を見せていた。
「つーかこいつ、魔王城に居なかったよな?」
「えぇ。火炎は魔界都市に居たのですが、私達が出発する直前に城の方に戻ってきまして。それで話をしたら、一緒に行きたいとの事だったので……」
「ハウゼル様が行く場所なら火炎も一緒に行きますよ、使徒として当然の事なのです。それに、私も久々にユキちゃんに会いたいですし」
「……ユキちゃん? 誰だそれ?」
「あ、私覚えてますよ。確か、魔人サイゼルの使徒ですよね?」
魔人サイゼルが有する使徒、ユキ。
火炎書士が挙げた名前にシィルが情報を付け加えても尚、ランスはピンと来ない様子だった。どうやら頭の中から、その相手の事を綺麗さっぱり忘却していたらしい。
「サイゼルの使徒? そんなん居たっけ?」
「ほら、以前ゼスの地下水路で遭遇して、ランス様がその、あれを氷漬けにされた事が……」
「…………あっ」
だがその人物の事は忘れていても、自分の分身とも言える下半身の大事なものを失いかけた、あの痛ましい事件の事はさすがに忘れられないのか。
シィルの言葉により過去の記憶が喚起されたランスは、とても嫌そうな顔で遠くを見つめた。
「……あー。あれはいいや、うん。俺様、あれを探すつもりは無いから」
「えぇー、そんなぁー。サイゼル様のついでで良いですから、ユキちゃんも探してくださいよー」
「やだ。あれとは会いたくない。会った所で面倒な事になるだけなのが目に見えてるし」
「あ、あはは……」
火炎書士のお願いも虚しく、ランスは確たる決意を胸にきっぱりと宣言する。過去にその使徒との間で何があったのか、それを知っているシィルは困ったように笑った。
「あ、そうだ。気になる事と言えば火炎にもあるのです。そもそもこうして人間世界へ旅に出るのは、問題があったりしないのですか?」
「あん? どういうこっちゃ」
「いえその、ハウゼル様の事です。なんせハウゼル様にはお仕事が一杯ありますから」
ホーネット派の影の支配者を自称して、その実する事と言えば基本的に魔王城でだらけているだけのランスとは違い、ハウゼルには派閥の幹部としての役目がある。
特に魔人メガラス同様、空を飛ぶ事が出来る有翼魔人として彼女の任務は多岐にわたり、未だ戦いの続く魔物界からそう簡単に旅する事が許される立場では無い。
火炎書士はそう考えていたので、最初ハウゼルから姉を探しに人間世界へ向かうと聞いた時、その内心では結構な驚きがあった。
「ハウゼル様、魔物界を離れて平気なのですか? 確か、メガラス様と一緒にカスケード・バウの偵察を行うよう頼まれていましたですよね?」
「……実は私もその事では悩んでいて、それで最初は諦めようと思ったのです」
使徒の言葉に、今でも少し尾を引く思いが残っているハウゼルは、僅かに顎を引いて俯く。
つい先日、ハウゼルは部屋で着替えをしている途中に、寝室に乱入してきたランスに襲われた。
そして一戦を終えた直後に、サイゼルの行方を掴んだので探しに行くぞと告げられた。
その時彼女はまず、姉の行方を探してくれた事に対しての感謝の言葉を口にして、しかしその後、自分にはホーネット派としての任務があるから行く事は出来ません、と口にした。
「……けれどそうしたら、人間世界に行ってきても良いと、ホーネット様が快く許可を下さったとの事で……」
「あ、ちゃんとホーネット様の許可があるのですね、それなら安心なのです」
主の言葉にその使徒は一瞬納得しかけたのだが、しかし気になるワードを聞き逃さなかった。
「……んん? との事で……という事はもしや、ハウゼル様が直接聞いた訳では無くて……」
「えぇ。私では無く、ランスさんがホーネット様に頼んでくれたそうなのです」
「……ランスさん、本当ですか?」
「うむ」
しれっとした顔で頷くランスの姿に、
「……はぁ、なるほど」
頭の回る火炎書士は、本当は許可など無く適当な事を言っているだけなのだと何となく察した。
しかし、肝心のハウゼルが気付いてない様子だったので、あえて指摘する必要も事も無いかと口を噤んだ。彼女はあくまでハウゼルの使徒として、主と主の姉の姉妹仲を元に戻す事の方が大事だと考えたのだった。
◇ ◇ ◇
そしてその後、ランス達が乗るうし車はコサック、ログB、ログAの町を順に通過して、遂に目的の場所へと到着し、早速登山を開始した。
バラオ山脈。ヘルマンとリーザスの境界線、両国を隔てるように幾つもの山々が連なり、大陸一となる翔竜山には及ばずながらも、相応に高い標高を誇る山岳地帯の総称である。
「でりゃっ!!」
勢いよく突進してくる三つ目トカゲ、その攻撃を横にステップして回避したランスは、すれ違いざま魔剣を横薙ぎに振り抜く。
剣閃は見事に魔物の頸部を断ち切り、身体から分かたれた頭は変な方向に飛んでいき、胴体はそのままずしんと横に倒れた。
「ふぅ。こんな場所でも雑魚モンスター共は出るもんだなぁ」
出現した魔物を軽く蹴散らしたランスは、一息つきながら魔剣を収める。
バラオ山脈では毎年多くの行方不明者が発生している。それだけ険しい峠道という事もあるが、魔物が生息しているのもその一因であり、これもすでに数度目の戦闘であった。
「さてと。んで問題はだ、この山ん中の何処にサイゼルが居るかってんだが……」
「一口にバラオ山脈と言っても、とっても広いですからねぇ……」
ランスとシィルは辺りを見渡すが、目に飛び込んでくるのは乱立する木々や岩。登山開始から数時間ですでに見飽きた自然の光景のみ。
ヘルマンとリーザスを分かつこの山脈地帯は、両国の自然的国境となる程に広大な範囲に渡る。魔人サイゼルを探すと言っても、何の当てもなく探し回ったのでは只々時間を浪費するだけである。
一応スケールの町の住人の目撃例を参考に、バラオ山脈でも中部辺りを中心に捜索しているのだが、この山の中から一人の魔人を探すとなると、それでもまだ困難と言わざるを得ない状況だった。
「……こりゃあれだな。今何処に居るかじゃなくて、ねぐらを探した方が手っ取り早ぇな」
「こんな山の中で寝泊まりしているんだとすると、テントか何かを張っているんですかね?」
「サイゼル様って結構きかん坊な性格ですから、居るとしたらテントでは無く、もっと快適で過ごしやすい山小屋とかだと思いますですよ」
ランスの提案にシィルが言葉を返し、さらにその魔人に詳しい火炎書士が補足を入れる。この三人は今、パラオ山の山道を歩いている。
そして残りの一人は空の上。魔人ハウゼルは空を飛べる利点を生かして、空中からより効率的な捜索に当たっていた。彼女はホーネット派として飛行魔物兵達を指揮して偵察任務を行う事も多く、こういった事に関してはお手の物であった。
「山小屋か……。おーい、ハウゼルちゃーん、山小屋を探せってよー」
ランスは天を見上げ、遠くに見えるハウゼルに向かって声を張る。すると彼女は小さく頷きを返し、背中の翼を羽ばたかせて樹林を挟んだ向こう側へと飛んでいく。
「わぁ、ハウゼルさん、もうあんなに遠くに……。やっぱり空を飛べると便利ですねぇ」
「そうだな。……つーか、なんか俺達がこうして探すよりも、ハウゼルちゃんに任せた方が手っ取り早い気がしてきた」
山道は殆ど舗装されておらず、足場の悪い砂利道に加えて傾斜路も多い。そんな悪路をえっちらおっちらと歩いていたランスは、空をすいーっと快適そうに飛んでいくハウゼルを見て、これ以上地べたを歩いて探し回るのがバカらしくなってしまった。
「よし決めた、捜索はハウゼルちゃんに任せる事にしよう。て事でしばらく休憩だ」
「え、もう休憩ですか? 火炎ちゃんは使徒として、ハウゼル様だけに捜索をさせる訳には……」
「なら火炎書士よ、君は好きに探しに行っても構わんぞ。シィル、腹減ったから飯」
「はい、ランス様。……よいしょっと」
足を止めたシィルは、荷物を詰め込んでぱんぱんになっているリュックを背中から下ろし、その中から今朝出発した宿で作ったおにぎりを取り出す。
それをランスに手渡そうとしたその時、彼女は視線の遠くにあるものを発見した。
「あ、あそこを見てくださいランス様」
「お、まさかサイゼルが居たのか?」
「いえ、あの、モンスターです」
シィルが指差した先にある岩陰からは、竜のような外見をした鳥の魔物、こかとりすがその頭を覗かせていた。
「なんだ、モンスターかよ。シィル、変なもんを見つけるな」
「けれどランス様、あの魔物こっちに近づいてきてますし、戦闘の準備をしないと……」
「めんどい。だるい。変なもんを見つけた罰としてお前が何とかしろ」
「えぇー!」
魔法使いのシィルが戦えるのは前衛あってこそなのだが、しかしランスは奴隷の嘆きなどに耳を貸す男では無い。近くにあった手頃な大きさの岩に腰を下ろすと、彼女の手から奪ったおにぎりの包みを剥がしてぱくりと一口。
「うむ、うまいうまい」
塩味の効いた、自分好みの具入りのおにぎりをもぐもぐと味わいながら、泣く泣くこかとりすと戦う奴隷の様子をランスはぼへーっと眺める。
結局その戦いは火炎書士が手助けをし、彼女の杖の先から放たれた火爆破によって、こんがりとした鳥の丸焼きが出来上がった。
「火炎書士さん、ありがとうございます」
「いえいえ、火炎ちゃんは戦闘に関してはへっぽこですが、それでも一応使徒ですからね。これくらいの相手ならへっちゃらなのです」
彼女の担当は専ら頭脳労働だが、それでも魔人の血を分けて作られた使徒として、そこらの魔物を倒せる程度の魔法の心得は有している。シィルの謝意を受けて、火炎書士はえっへんと薄い胸を張った。
「というかランスさん。戦いを女性に任せて一人で休憩するのはどうかと思いますですよ」
「やかましい、雑用は立派な奴隷の仕事だ。俺様は山歩きに疲れたのだ。つーか、なんでサイゼルの奴はこんな山の中に居るのじゃ」
山登りにはとうに飽きがきていたランスは、不満たらたらの体で口をへの字に曲げる。
バラオ山は単なる山であって、ヘルマンとリーザスを移動する為でも無ければそうそう立ち入るような場所では無い。娯楽も無いこんな山の中を住処としているサイゼルの思考が、ランスにはどうしても理解出来なかった。
「そういえばそうですね。それに、魔物界では無く人間世界に居るっていうのも、考えてみればちょっと不思議です」
「火炎ちゃんの独自の調べによるとですね、サイゼル様はどうやらケイブリス派としての任務を大失敗したらしいのです。それで怒られるのが怖いから姿を隠したそうなので、そんな理由で人間世界の山の中なのではないでしょうかね?」
「ほーん、任務を大失敗ねぇ。まぁ確かに、あいつ結構ドジな魔人だったからな。けど怒られるのが怖いからって、んなガキじゃねぇんだから……」
実の所、サイゼルの任務の失敗にはランスが大いに関わっており、そしてサイゼルが恐れているのは怒られるだけでは無く生命の危険故なのだが、そんな事までは知る由も無い。
ハウゼルちゃんの姉とは思えないしょーもない奴だなぁと、ランスは呆れたように口にした。
その時。
「あっ、ランス様!! あれを見てください!!」
シィルが急に鋭い声を上げ、先程と同じように遠くを指差す。
「なんだ、まさかサイゼルが居たのか!?」
彼女が見せた反応の大きさに、これはもしやと期待値を上げたランスは、即座に振り返ってその相手の姿を目に捉える。
すると彼は間髪入れずに握り拳を作り、奴隷のもこもこ頭の上に振り落とした。
「痛いっ!」
「このアホ!! 変なもん見つけんなっつってんだろうが!!」
何故同じ過ちを繰り返すのかと、シィルを拳骨で叱りつけるランスだったが時すでに遅し。
その場に居たもう一人、火炎書士もすでにシィルが指差した方向にその顔を向けていて。
ふわふわと宙を漂っていた、会いたかったその相手を発見した彼女は思わず声を上げた。
「……あー!! ユキちゃーん!!」
遠くから聞こえたその大声に、
「おう? ……おー! 火炎ちゃんじゃーん!!」
相手も友人の存在に気付き、驚きと嬉しさが混じったような声を返す。
久々の再会となったその使徒達は、その顔に喜色を表しながら互いに駆け寄っていく。
「あーあー、見つかっちまったよ……」
一方で、ランスはとてもげんなりとした顔。奴隷が見つけてしまった変なもん、その相手は、今まで出会った人物の中でも群を抜いてアレな性格。
捜索対象の重要参考人である事は重々承知しつつも、出来うる事なら遭遇したくなかったとの思いがその表情に表れていた。
「おいシィル。お前が見つけたんだからお前が責任持てよな」
「そ、そんなぁ……。使徒ならサイゼルさんの居場所も知っているだろうと思って、それで……」
「知らん、聞こえん」
その相手を発見した事で褒めて貰えると思っていたらしく、シィルはくすんと眉を下げる。
こうなってしまった以上は仕方無いと、腹を決めたランスはその使徒の所へと近づいていく。
とその間にも、親しい間柄の使徒二人は、笑顔で再会の挨拶を交わしていた。
「ユキちゃん、久しぶりー!!」
「火炎ちゃんも久しぶりー。つーか、しばらく見ねぇ間にデッカくなったなぁおい」
「ううん、全く変わってないよ、私使徒だもん。ユキちゃんもほんと変わらないね」
「そーかいそーかい、そりゃ何よりで……って、おや? おやおや? そこの口のデカい人間と、ぴんくのもこもこには見覚えが……」
火炎書士の背後に目を向けたその使徒は、もう二人ほど見知った顔がある事に気付いた。
「よう、キチガイ使徒」
「あ、あ、あなたは……!!」
ランスに酷い呼び方での挨拶を受けた途端、彼女はエメラルド色の瞳を驚愕に見開き、口をあんぐりと開けて全身をわなわなと震わせる。
「あなたは……ユキちゃんの運命の相手っ!!」
「違う!! 断じて違う!!」
ランスは今日一番の大声で否定した。
「ケケケケケ!! 違った? 違った? ならえーと、あ、思い出した。ユキちゃんの初めてを捧げた相手だ」
「だーから、違うっつってんだろ」
「いやいや、これは本当。マジマジっすよ?」
「……うむ?」
とっさに違うと口にしたランスだったが、しかしふと考えてみると、真っ向から否定出来る材料は何も無かった。
「……いや、でもまさか……え、そうなの?」
「ちげーよバーカ!! こんのどサンピンが!!」
「……あっそ。なんかよく分からんけど、少しだけホッとした」
けれどお前から言ってきたんじゃねーか。と、けったいなノリで突っ掛かってくるその相手に、堪らずランスは大きく息を吐き出した。
魔人サイゼルの使徒、ユキ。
元女の子モンスターのフローズン、元々の性格からそうなのかは不明だが、ともかくユキはとてもとんちきな性格をしている。
その性格さえ無視すれば一応は女の使徒、その服装も際どい切れ込みが入ったレオタードであったりと、性的な対象として見えない事も無いかもしれないとても微妙な所にある。
しかしランスは過去の一件もあって、もはやこの使徒に手を出そうとは欠片も思わない。その為単なる面倒な相手、出来ればお近づきになりたくない奴だという認識しか無かった。
「……ん~? というかダンナ、何で火炎ちゃんと一緒に居るので?」
「まぁ色々あってな。つーか、んな事どうだっていい。俺様が会いたいのはお前じゃねぇんだ」
「ユキちゃん。私達ね、サイゼル様の事を探しにきたんだよ」
「サイゼル様を? ……ははーん、はーん。ユキちゃん読めましたですよ?」
ユキは得心がいった様子でにやりと笑う。
基本的にIQ4、だが時にIQ130を越えるかもしれない疑惑に塗れた彼女の頭脳。それをフル回転させた結果、ランス達がこの場に居る目的を正確に掴んだらしく、身体とは不釣り合いな程に大きいその手でランスの顔をビシッと指差した。
「そこな口でかエロ人間がサイゼル様を探している理由。それは身体だけはちょべりぐーなあのへっぽこと、ぬっぽぬっぽぐっちゃぐっちゃしてあへあへ言わせたいからですね?」
「おう。てか誰が口でかエロ人間じゃ」
「んで、そんなサイゼル様の下までこの私に案内させたいと。そういう事だな、火炎ちゃん!?」
「うん。ユキちゃんならサイゼル様の居場所、間違い無く知っているだろうし。それ、サイゼル様に頼まれたものでしょ?」
火炎書士がそれと指摘したユキの両手、そこには食料の入った買い物袋がぶら下がっている。どうやら彼女は主たるサイゼルを養う為、食料の買い出しに出掛けていた帰りのようだ。
「サイゼル様に会いたい、と。なーるほどなるほど。ケけケケケ卦ケケケケケ!!」
「……なーにがそんなにおかしいってんだ」
「いーえいえ、そーいう事ならもーまんたいね。んじゃあユキちゃんに付いてきてくださいな」
狂ったように笑っていたかと思いきや、一転して明るい笑顔で了承の言葉を発したその使徒は、すいっーと宙に浮かんで東の方向へと進んでいく。
「ありがとう、ユキちゃん」
「なんか上手くいきましたね、ランス様」
「……どーだか」
道案内するユキの後ろに続く三人、友人に向けて感謝の言葉を口にする火炎書士、狙い通り事が進んだ事に喜ぶシィルの一方、その存在の全てが疑わしいランスは未だしかめっ面のまま。
しかしてその疑念は見事に正解だったのか、急に立ち止まったユキはくるっと振り返ると、
「って、このスカポンタンがーー!!」
「きゃー!!」
友人の火炎書士に向けて、両手に持っていた買い物袋を思いっきりぶん投げた。
「い、いたた……。いきなりヒドいよユキちゃん。あ、中にあった卵割れちゃってるよ?」
「シャラップ!! サイゼル様の居場所を簡単に教えるとでも思うたか!! あんなぼんくら魔人と言えどもユキちゃんにとっては一応上司!!」
主に忠実な使徒として、雲隠れしているサイゼルの居場所をバラす訳にはいかないのか、ユキは普段通りの怪奇な振る舞いの影に忍ばせていた、戦意と言う名の牙を立てる。
「サイゼル様と、セックスしたいと言うのなら!」
言葉を区切ると共に、何故かユキの身体も首からすぽーんと二つに区切られる。
「頭が取れた!?」
「わぁ、可愛くなったぁ」
ぎょっとするシィルとほんわかする火炎書士。
そんな二人に対してユキの表情には闘志が宿り、その大きな両手には冷気が宿る。
戦闘態勢に入った胴体部分の一方、宙に浮いている頭部が勇ましく開戦の文句を口にした。
「サイゼル様の使徒であるこのユキちゃんを!! 倒してからにしてもらおうかーー!!!」
魔人サイゼルの使徒、ユキと戦闘になった。
「いや、そーいうのいいから。マジで」
……が、ランスは全く取り合わなかった。
「うへー、ノリ悪ー」
「知るか。さっきも言ったけどな、俺様はお前と遊びに来た訳じゃねぇんだっつの」
「こっちも遊びじゃないんですがね……むむむ」
唇を尖らせたユキは、先程とは打って変わって落ち着いた様子で何事かを考え始める。
しばらくそうしていた後、旧知の友人の方にその顔を向けた。
「てか火炎ちゃんさ、火炎ちゃんがここに居るって事はもしや……」
「うん。今は別々に捜索しているけど、勿論ハウゼル様も一緒だよ。いい加減にあのお二人を仲直りさせようと思って」
地面に散らばった食べ物を拾いながらの火炎書士の言葉に、ユキは「ほうほう」と納得したように頷きを返す。そして。
「……良い頃合いかもですし、ま、そーいう事ならいっか。んじゃ、付いてきてくだせぇ」
基本的にキチガイだが、それでもユキはサイゼルの使徒。あくまで主に忠実であり、主にとって何が一番かを考えるのが使徒の役目。
再び了承の言葉を発したユキは、先程とは別の方向、登山道から外れた脇道に生えた山林の方へと進んでいく。
「おい、今度は本当だろうな?」
「……どうですかね?」
「大丈夫ですよ。さぁ、ユキちゃんに付いていきましょう」
訝しむランスとシィルの一方、あの魔人姉妹を共に主とする使徒同士、その気持ちは自分と同じだという事を火炎書士は理解していた。
そんな彼女のお墨付きもあって、ランスは渋々ながらユキの案内に続く事にした。
「……つーか、あれは放置したままでいいのか?」
気になったランスが振り返った先。
そこには先程分離したユキの胴体部分が、まるで首無し死体のように転がっていた。