シルキィにとって今日が初顔合わせとなった相手、ランス。
その男が有している特別な武器、魔剣カオスに視線を向けながら彼女は思考を巡らせる。
現在魔物界で起こっている戦争、派閥戦争。それは魔物や魔人同士が争う戦いとなるが、魔人は魔物の攻撃で傷付く事は無い。
魔人はその身にあらゆる攻撃を防ぐ無敵結界を纏っており、それを通過するのは同じ魔人や、魔人より上位存在である魔王の攻撃などに限られる。
よって双方の派閥に属する魔人にとって、魔物兵は何体いようが障害物程度にしかならない、魔人たる自分は相手方の魔人にさえ警戒しておけばいい、というのが共通認識となる。
実際シルキィ自身も何度も戦場に立ったが、魔物からの攻撃で負傷した経験は一度も無く、そんな理由から魔物兵の相手は同じ魔物兵に任せている。
(……けれど魔剣カオス、あれがあれば……)
しかし魔剣カオスの存在はその認識を破壊する事が出来る。
何故ならカオスは無敵結界を破壊する事が可能、この世に二振りしかない特別な武器。
魔人以外でも魔人を殺せる存在がある。それはこれまでの派閥戦争の中には無かった要素。それはもしかしたら現在劣勢となるこの戦局を打破する一つのきっかけになるかもしれない。
ランス個人の戦闘能力などは知らないが、魔剣カオスを所持しているという点だけでも、彼からの協力を受ける事を一考する余地は十分にあるとシルキィは考えていた。
しかし。
(でも私達に協力するって……どうして人間が……何が目的なの? 財宝とか、権力とか? 人間が私達に求めるものなんて……まさか、代わりに自分を魔人にしろ……とか?)
さすがにそれは無いかな、とまで考えたシルキィはそこで悩むのを止めた。
あれこれ考えるより、目の前の相手に直接尋ねるのが一番手っ取り早いと気付いたからだ。
「ランス、さん。貴方の目的は分かったけど、その理由は何故? どうして人間の貴方が私達ホーネット派に協力しようというの?」
「ふむ、理由か。それは勿論セッ……じゃなくて、……それはそう、人類の為なのだ!!」
「……人類?」
ランスが告げたその理由、壮大かつ漠然とした理由にシルキィは小首を傾げる。その隣に居たサテラもぽかんとした表情をしていた。
「……あの、それってどういう意味かしら?」
「うむ。お前たちホーネット派がやられた場合、次にケイブリスは人間世界を攻め込むだろう。すると大勢の人間が死ぬ事になる。平和を愛する俺様にはそれが耐え難いのだ。よって人間の平和な世界を守る為、お前達ホーネット派に協力する事にしたという訳だ」
ランスはここ一番のキメ顔をつくって、それはもう大真面目な態度でその言葉を口にする。
その言葉はシルキィの胸に刺さるよう以前から考えていた言葉、言わば渾身の殺し文句だった。
(……人間の平和な世界の為って、この人……)
しかしてその効果は覿面だったようで、平和を愛する魔人四天王の両目が大きく見開かれる。
今しがたランスが口にした予測は妥当なもの。確かに自分達ホーネット派が敗れた場合、ケイブリス派は魔物界を掌握する事になり、そしてそれに留まる事は無い。
何故ならケイブリスの野望は魔王になる事。現在逃亡中の魔王を捜索する為にも、世界の全領土を我が物にしようと考えるだろう。その際に人間がどう扱われるかなどシルキィには考えたくない。
どうやら彼はそうなるのを避けたいが為、人類の平和の為、一人で魔物と戦う事を決めて魔物界に乗り込もうとしているらしい。
(それってまるで……どこかの魔人みたい、ね。この世界にこんな人がいたなんて……)
思わずシルキィは胸元を押さえる。トクトクと鼓動が早まっているのが感じられる。
人間の世界を守りたいと、自分と似たような気持ちを抱いてくれた人がいた、その事が彼女にとっては嬉しくてたまらない。
ランスの言葉に自らの過去を重ね、魔人シルキィはとても心を打たれてしまった。その殺し文句の効果は絶大だった。
「……ランスさん。私達に協力する事になったら、人間とは比べ物にならないほど強い魔物や、時には魔人と戦う事もあるかもしれないわ。命の保証は出来ないけど覚悟はいいの?」
「ふん、当たり前だ。誰に言っとる」
「……そう」
悩むまでも無い、そう言わんばかりの即答を受け、シルキィも小さく顎を引く。
彼女は人間を守る為に魔人となったのであり、その守りたい人間にはランス自身も含まれる。なので派閥戦争になど参加せず、ランスは平和な世界の中で笑顔で暮らして欲しいという気持ちもある。
けれども彼は自分と同じ戦士。戦士の目付きをしているし覚悟も出来ていると言う。ならばその覚悟に水を差す事も無いだろうと、シルキィはそう決意した。
「分かった。ランスさん、貴方の協力を受けるわ」
「なっ、シルキィ、本気か!? だいたいそんな事、ホーネット様がなんて言うか……」
「全ての責任は私が持つわ。平和を守りたいという彼の気持ちを汲んであげたいのよ」
サテラの言う通り、自分達の主であるあの魔人にこの事をどのように説明するか。
その事については少し悩む所であるが、それでももう決めた事。自分と同じ気持ちでいる人間の言葉を無下にする事など出来ない。
シルキィは優しく微笑むと、ランスに向けて右手を差し出した。
「宜しくね、ランスさん」
「うむ、宜しく……とその前に」
お互いの手が触れ合う寸前、ランスの手がくいっと下がり、結果二人の握手は空を切る。
「あれ?」
「協力はするぞ、うむ。それは構わないのだが……しかし一つだけ条件があるのだ」
「条件?」
「おう。それは二人が俺様の女になることだっ!」
ランスは腰に手を当て胸を張り、何ら気後れせずに堂々と宣言する。
先程サテラの鞭攻撃を受けてもまるで懲りる気配の無いその態度に、シルキィは眉間を痛そうに押さえた。
「貴方って……一応聞いておくけど、私が魔人四天王だって事は知っているのよね?」
「もちろん知っているぞ。だがそれがどうした、俺はそんな事ちっとも気にしないぞ。可愛ければ誰だってオーケーなのだ、がーっはっはっはっは!」
その高笑いを聞いて、ようやくシルキィはこの男が無類の女好きだという事を理解した。
自分と同じ平和を愛する心を持つ人だと思っていたが、どうやら違う部分もあるらしかった。
「この俺が協力すれば勝利は確実、ならその見返りとしては安いくらいだろう。なぁサテラよ」
「な、だ、誰がお前の女になんかなるかっ! シルキィ、やっぱりこんな馬鹿は今すぐ殺そう……て、シルキィ?」
「………………」
サテラは隣を振り向くが、しかしそこにいた魔人は自らの思考に夢中の様子で。
(……自分の女になれって……あれよね? 恋人になれとかじゃなくて……その……言ってしまうと身体だけの関係になれって事よね?)
先程の条件は自分とサテラ両方に対して向けられている。
その点から鑑みても、ランスが要求しているのは親愛では無く性欲である事は明白で。
(つまり、そういう事をする関係……。普通そういう事は好き合ってる男女がする事で……)
シルキィはぐっと眉間に皺を寄せる。
彼女は長寿を生きる魔人であるが、極めて正常な貞操観念を持っている魔人。恋人でも無いのにそんなふしだらな関係、とてもいけない事である。
しかしそんな彼女にとって、いけない事というならばそれ以上の事がもう一つあって。
(……けれど、私達は勝たないといけない。……絶対に負けるわけにはいかない)
シルキィがホーネット派に与する理由、それはホーネット派の主義主張こそが最も争いの少なくなる選択だと信じているからである。
だから負けられない。負けてしまったら数百年前から守り続けてきたものが失われてしまう。
身体だけの関係になどなってはいけないのだが、しかし負ける訳にもいかない。
ただこの二つは決して等価という訳では無く、天秤に乗せたならどちらに比重が掛かるか、そんな事は一秒も考えるまでも無い話で。
(平和な世界を守る為、ケイブリス派に勝利する。……その為だったらこんな私の貞操ぐらい、別に犠牲になったって構わない)
自分をそういう対象として、そういう目で見る者が居るというのがにわかに信じられないのだが、しかしこの男はどうやらそういう稀な嗜好の持ち主らしい。
ならば。
「……分かった。いいわよ、貴方の女になっても」
「な、なぁっ!? し、シルキィ!?」
「やったーー!! シルキィちゃんならきっとそう言ってくれると思ったぜ」
「ただしっ!!」
大喜びするランスをよそに、シルキィは大声と共に人差し指をピンと立てる。
彼女は自らの貞操を特別貴重に守り続けてきたという訳では無いのだが、それでも一人の女性として無条件で差し出す気にはならないので、ここで一つ釘を刺しておく事にした。
「そうは言っても私ね、まだ貴方の事を何も知らないし、貴方の協力に価値があるのかどうか、貴方の実力を何も知らないのよ」
「ほうほう。んで?」
「だからね、もし貴方がケイブリス派の魔人を一体でも倒す事が出来たら、その時は貴方の実力を認めて、さっき言っていた条件を飲んであげる」
「なるほどな。良いだろう、楽勝だそんな事! がーはっはっはっは!!」
──楽勝なんて言える事じゃないと思うけど。
シルキィはそう口にしようかとも思ったが、しかしとても楽しそうに笑うランスを目にして、まぁいいかと考え直して口を噤んだ。
互いの派閥にとって魔人とは非常に重要な戦力。故に魔人を一体でも落とす事が出来れば戦局は間違いなく変化する。
だがそれは勿論容易い事では無い。派閥戦争が始まって以降、互いの派閥で抜けた六体の魔人、アイゼル、ノス、サイゼル、ジーク、カミーラ、カイトは全員が派閥戦争外の影響で消えている。
ホーネット派とケイブリス派は今まで幾度と無く衝突をしているが、その衝突の中で互いが相手側の魔人を撃破した例は一度も無いのである。
つまり魔人の撃破とは魔人にも困難な事であり、もしそれをランスが実現したのならば。それなら自分の身体の代償として妥当な所だろうと、そんな考えから付けた条件で。
正直人間にはほぼ不可能だろうとシルキィは考えていたのだが、この時の彼女はランスという男の規格外さをまだ何も知らなかった。
「シルキィちゃん。本当にそれで良いんだな? 後からやっぱ無しーとかは駄目だぞ?」
「言わないわよそんな事。それじゃ宜しくね、ランスさん」
そして二人は改めて握手を交わす。
こうしてランスはホーネット派に接触して、協力を取り付ける事に成功した。