ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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酒に酔う その後の話②

 

 

 時刻は夜。

 そろそろ真夜中に近い頃合い、多くの者はベッドに入る時間である。

 

 部屋の壁面に設置されている大窓、そこから望める外も真っ暗な夜闇に包まれている。

 普段彼女の身の回りの世話をしている使徒達も、役目を終えて自らの部屋へと戻る時間で。

 

「……………………」

 

 故にその室内にはただ一人だけ。

 その窓辺に佇む姿、一人きりになった室内で何をする訳でも無く、そしてこれといった理由も無く、ただ漫然と外を眺めていたその魔人は、

 

「……ふぅ」

 

 それはもうすでに本日何度目か。まるで途方に暮れたように溜息を吐き出す。

 抑えようとしても収まってくれないそれは、彼女の頭の内に巡る懊悩の数、あるいは胸の内に渦巻く想いの丈の表しているかのようだった。

 

 

 

 魔人ホーネット。

 栄えある魔人筆頭であり、この魔王城を本拠地とするホーネット派を率いる派閥の主。

 

 そんな彼女はここ最近、主にある男の所為で沢山の悩みを抱えていた。

 胸の内が重くて中々気の晴れない、すっきりしないような日々が続いていて。

 

 そしてあの日。そんな彼女の身に起きた一大事。

 それはまさしく衝撃的、あるいは驚天動地と呼ぶような信じ難い出来事。

 

 一昨日の夜。入浴の際のあの出来事。

 いつの間にか自分の内に芽生えていたもの。今まで理解の及ばなかったもの。

 浴室から逃げ出した先の脱衣所で、遂にホーネットはその想いを自覚するに至った。

 

 

「………………」

 

 夜の闇を無言で眺めていると、その頭には自然とあの日の事が浮かび上がってくる。

 まるで脳裏に焼き付いてしまったかのように、一向に頭の中から消えてくれない。

 あれから二日で何回も思い返した、それを今また再び思い返してしまい、ホーネットは思考を断ち切るかのように一度瞼を閉じる。

 

 そうして目を開けると、見えたのは目の前にあった窓ガラスに映ったもの。

 使徒達によって指紋一つ残らぬ程に磨かれたそのガラスには、外の暗闇ではなく自らの顔が反射して映っていた。

 

(……これは一体、誰なのでしょうか)

 

 そこに映っているのは、果たして誰の顔なのか。

 そんな事を思ってしまう程に、そこに映る表情はこれまでの自分とは何かが異なる。

 意識してこれまでと同じを取り繕ってみても、それでも何かが違う。具体的にどう違うのかは分からないが、どうしてか違って見えてしまう。

 

 あの日より以前、あの事を自覚する以前、ほんの三日前の自分と今の自分が違って見える。

 その不可解さに、あるいはあの日から私は別人になってしまったのでしょうかと、ホーネットはそんな与太話を考えずにはいられなかった。

 

 

(……まさか。……と、呼ぶべきなのか)

 

 自分の胸中にあった想い。

 それは到底信じ難い、彼女自らでも思わず疑ってしまいたくなるようなもので。

 まさかあり得ない、何かの間違いなのではと、そう思いたくなる気持ちはあるのだが。

 

(……けれど)

 

 同時にその一方で、なるほど、と納得してしまうような気持ちも存在していて。

 

 どうしてか分からないが、あまり顔を合わせたくないと感じる時があったり。

 どうしてか分からないが、その隣に居たいと思ってしまう事があったり。

 どうしてか分からないが、肌を見せる事に恥じらいを感じてしまったりと。

 

 ここ最近の自分に起きていた妙な変化、不審に思って悩んでいた様々な事。

 だがこうして自分の気持ちを自覚した今ならば、それら全てに説明が付けられるというもの。

 

 

(……つまり、私は……)

 

 その理由は単に、自分がその相手に対して特別な想いを抱いているからで。

 

 

(……私は、ランスの事、が……いえ、ランスの事、を? ……と言うべきか、あるいは……)

 

 その特別な想いを如何に表現するべきか。

 誰かに打ち明けようとしている訳でも無いのに、何故だか無性に気恥ずかしくて堪らない。

 そんなホーネットがあれこれ悩んだ末に、やがて選んだのは自身の率直な感情の名前。

 

 

(……そう。つまり、私は……)

 

 その名前が、あの脱衣所で自覚した事。

 

 

(……私は、ランスに対して……、情愛、を、抱いてしまっているのでしょう)

 

 

「………………」

 

 打てば響くと表現するべきか、そんな事を考えた途端すぐに顔が熱くなり始めて、額や鼻先の辺りにむず痒い感覚が広がっていく。

 

「……はぁ」

 

 思わずその熱を吐き出すかのように、再度ホーネットは深々と息を吐き出す。

 とはいえあれから二日経った事もあり、ある程度は冷静を保てる。冷静かつ客観的に、自らを振り返る事ぐらいは出来るようになった。

 

 

(……しかし、今こうして思い返してみると本当に簡単な事ですね。このような事にずっと悩んでいたとは、我が事ながらなんと愚かしい。……いえ、というよりも──)

 

 ──自分は少々、鈍すぎではないだろうか。

 ホーネットは心の底から大真面目にそう思う。客観的に自分を見直してみると、その兆候は少し前から顕著に表れているではないか。

 何故こんな簡単な事に早く気付けなかったのか。これまで己の使命を優先し過ぎるあまり、自らの気持ちを顧みる事が無かった故なのだろうか。

 

(自分の気持ち……そういえば、以前にシルキィがそんな事を言っていましたね。一応は理解したつもりでしたが、結局は分かっていなかったという事なのでしょう)

 

 褒美という扱いで彼との性交を受け入れるか。前にそんな事を悩んでいた時、そういった事は自分の気持ちが大事だとシルキィは言っていた。あの言葉が今になってホーネットの身に染みる。

 

(さすがはシルキィ、私より遥かに物事を良く知っていますね。……とはいえこれはもう今更な事、今更考えた所で意味の無い話ではあります)

 

 遅まきながらも自分の想いを自覚する事は出来たし、それで多くの悩みを解消する事も出来た。

 故にそれらはもう過去の話。今更振り返った所で何か得るものがある訳でも無い。

 何せこうして自覚してしまった以上、もう自覚する前に戻る事は出来ないのだから。

 

 

(……そう、もはや以前の私には戻れません。だからこそ、今の私が考えるべき事は……)

 

 多くの悩みが解消したとはいえ、今のホーネットは相変わらず浮かない表情。

 自分の気持ちを自覚した事により、新たに生まれた悩みが多々あるからである。

 

 その悩みとは例えば──どうしてその気持ちを抱いたのか。

 そんな根本的とも言える疑問、どうしようも無い感情の問題であったり。

 

 あるいは──どうして彼なのか。

 というホーネットにとっては一番の疑問、本当に不思議だと思う事であったり。

 

 他にも──今後彼と会う際、自分は如何なる態度を、如何なる対応を取ればいいのだろうか。

 などと言った、わりと早急に考えなければならない事であったりと。

 

 更に挙げれば、そもそもそのような事で悩んでいる場合なのか。という切実な問題もある。

 何せ今は戦争中。この派閥を率いる主として、カスケード・バウを越える方法を考えるべき、そちらに思考を巡らせるべきではないのか。

 

 などなど、悩みは以前よりも多く浮かぶ。

 今の魔人筆頭には考えるべき事、悩むべき事が沢山あるのである。

 

 

(……沢山ある。……はず、なのに)

 

 そこでホーネットは向きを変えて、窓に背を向けると部屋の入口の方に振り返る。

 そしてその先に想いを馳せるかのように、入り口のドアをじっと見つめる。

 

 今の自分には考えるべき事が沢山ある。

 そのはずなのに、しかしそれら全てに勝ってしまう、今のホーネットが自然と考えてしまう事。

 

 それは。

 

 

(……ランス、は──)

 

 ──今、何をしているだろうか。

 この時間ならもう眠りに就いているだろうか。

 それともまだ起きているだろうか。

 

 などと、今のホーネットはそんな事が気になってしまう。

 

 そんな事を考えている場合では無い。

 それは分かっているのに、けれどもどうしてか、あるいはどうしてもと言うべきなのか。

 今ランスは何をしているだろうかと、そんな事をホーネットは昨日今日と一日中、何度も何度もしきりに考えてしまっていた。

 

(……そのような事、ただ考えるだけでも十分に愚かしい行いだと言えるのに。私は……)

 

 本日の昼過ぎ。そんな愚かしい事を自然と考えていたホーネットは、遂には考えるだけに留まらず、特に用も無いのに自ら足を運んでその様子を確かめに行ってしまった。

 だがそうしてランスの部屋の前まで行ったにもかかわらず、如何なる気持ちが邪魔をしてか結局そのドアをノックする事は出来ず、そのまま引き返してしまったのだからもう始末に負えない。

 その帰り道の途中で偶然ランスと遭遇し、とっさの出会いに動揺して階段の上下を間違えてしまった事といい、自分の何とも無様な姿にホーネットは目を覆いたい気分であった。

 

(……自覚した事は、この際まぁ良しとしましょう。……しかしこれは、何と言うか……)

 

 自分は今、相当な重症なのかもしれない。

 そんな事を考え、ホーネットが再三となる溜息を吐き出しそうになった、その時。

 

 

 

「……?」

 

 入り口のドアの向こう、廊下の奥の方が何やら騒がしく、妙な気配が伝わってくる。

 ひとまず廊下を確認しようと、ホーネットがドア近くまで歩いた所で。

 

「これは……」

 

 どたどたどたどたーっと、あまり品の無い足音が凄い勢いで近づいてきて。

 

 そして。

 

 

 

「ほーねっとさまーっ!!」

「ホーネットぉ~~!!!」

 

 ばたーんっ! とドアが乱暴に開かれ、二名の酔っ払い魔人が室内に飛び込んできた。

 

 

「な、シルキィに、サイゼル? 一体、」

 

 その言葉は途中までしか発せなかった。

 すぐにその酔っ払い二名にタックルを食らい、魔人筆頭は言葉を止めてしまった。

 

「ほーねっとさまー! ほーねっとさまーっ!!」

「ホーネットぉ~、ホーネットぉ~~!!」

 

 普段はとても真面目なシルキィが、なにやら実に楽しそうな様子で。

 その一方で普段はつんとしているサイゼルは、すぐにでも泣き出してしまいそうな様子で。

 

「……一体、どうしたのですか、二人共」

 

 その奇妙としか言い表せない変容に、ホーネットは最初こそ戸惑いを感じていたのだが、すぐにその理由には察しがついた。

 

「……この匂いはお酒ですね。成る程、貴女達は酔っているのですか」

「違いまーすよー、ほーねっとさまー。わたしはまだまだぜーんぜん酔ってませーんっ!」

「……いえ。シルキィ、貴女は酔っています。私にはそうとしか思えません」

 

 ホーネットが至極真面目にそう伝えてみても、

 

「にゃーおっ!」

「………………」

 

 返ってきたのはにゃんにゃんの鳴き声。

 それはこの魔人筆頭を以てしても、思わず沈黙してしまうのに十分な奇行であって。

 二人の酔っ払い魔人はあれから更に酔っ払い、今は完全なるへべれけ状態と化していた。

 

 それはサイゼルが選んだ手段、言うなればせめてもの抵抗の証。

 酔っ払った魔人四天王には抵抗出来ず、このままでは魔人筆頭の元へと連行されてしまう。

 それならばいっその事と、サイゼルはホーネットへの恐怖心が無くなってしまうくらいまで、べろんべろんに酔っ払ってしまう事にしたのである。

 

 そうしてシルキィとサイゼルは酒宴を続け、ランスが用意したJAPAN酒を全て飲み干して。

 もはや昏倒間近、頭の中は完全にアルコールによって支配され、色々どうでもよくなったサイゼルは立ち上がると、シルキィを引っ張る勢いで自らこの部屋へと来たのだった。

 

 

「ホーネットぉ~、許してよぉ~!」

「……サイゼル」

 

 果たして何を許せと言うのか。ホーネットにはよく分からない。

 

「ほーねっとさまぁー。わたしがにゃんにゃんになったのはなんでだと思いますー?」

「……シルキィ」

 

 こちらに至っては意味不明、何を言っているのか全く理解出来ない。

 ホーネットはとりあえず、まだ会話の通じそうなサイゼルから対応する事にした。

 

「サイゼル、とりあえず一度水を飲みなさい。……サイゼル、聞いていますか?」

「ホーネットぉ、いい子にするからさぁ、命だけはゆるしてぇ、殺さないで~……」

 

 それはまるで救いを求める罪人か。

 サイゼルはホーネットの腰にすがりつき、懺悔するかのようにうわ言を繰り返す。

 

「……ですから、私に何を許せと言うのです」

「その目付きがぁ~、怖いのぉー! ……うぅぅ、助けてぇ……」

「……何が言いたいのか分かりません」

「だぁ~からぁ~……」

 

 サイゼルの言葉は何やら要領を得ないが、それでもしきりに何かを訴えていたので、仕方無くホーネットはその言葉に耳を傾ける。

 怖いから、とか睨まないで、とか、そんな酔っ払いの訴えを辛抱強く聞いてあげた結果。

 

「……サイゼル。つまり貴女は私に脅迫された事に恐怖し、いつか私に殺されるのではないかと怯え、それで許して欲しいと言っているのですね」

「そぉ~!! わたしが悪かったからさぁ……死にたくないよぅ……」

「………………」

 

 その腰に二名の魔人を巻いたまま、ホーネットは痛む頭に眉を顰める。

 サイゼルが言っているのは一昨日の事、派閥に協力しないと宣言する彼女に対して、少し釘を刺す必要があるかと思い一言忠告したのだが、どうやらそれを大げさに受け取ってしまったらしい。

 

(……酒を飲むと自制心が利かなくなり、日頃溜め込んでいた思いが溢れ出すと聞きます。恐らくこれはそういう事なのでしょう)

 

 主にそれが理由で、そうなりたくないが為にホーネット自身は酒を飲まないのだが、とにかく先程の話は紛れもなくサイゼルが抱えていた、彼女にとっては深刻な悩み。

 ならばこのまま放置しておくのも不憫ではある。ホーネットは出来るだけ優しい体を繕って、サイゼルの肩にそっと手を置いた。

 

「……サイゼル。あの時は少々、厳しく言い過ぎてしまったかもしれませんね。私に貴女を害するつもりなどありませんよ」

「……ほんと?」

「本当です。貴女がすでにケイブリス派と関わりを断ったというのなら、ここに来て殊更何かをしようとは思っていません」

 

 ──このまま城内で大人しくしている限りは。

 と本当ならそんな言葉が続くのだが、それを言うと更に拗れてしまう事は分かりきっているので、ホーネットは心の中で思うだけに留める。

 

「ほんとにほんと? 私の事嫌ってないの?」

「えぇ。私が個人的に貴女を嫌っているような事はありません」

「なら、その怖い目付きを止めてくれる?」

「これは……生来のものです、変えられません」

「……そっかぁ~」

 

 それまで泣きそうな表情だったサイゼルだが、ようやく納得したのか柔和な表情へと戻る。

 

「……ありがと。なんか私、あんたのこと誤解してたみたい。ほんとはいい人だったんだね」

 

 ホーネットは怖くない。ちょっと眼光が尖すぎるだけの良い人だ。

 アルコールまみれの脳みそでそんな事を考えたサイゼルは、しがみ付いていたその腰から離れて立ち上がった。

 

「……はーよかったぁ~。これで安心してこの城で暮らせそうです」

「……そうですか」

「うん。じゃーわたし帰るね。夜分おそくにどーもおじゃましましたぁ~」

 

 そして、てこてこと歩き出したのだが、

 

「待ちなさい、サイゼル」

「ふえ?」

 

 背後からの言葉に足を止めて、サイゼルは後ろを振り返る。

 すると魔人筆頭は視線を横に逸し、見るからに気まずそうな表情をしていた。

 

「……その、シルキィを持って帰ってください」

 

 その腰には依然としてもう一人の酔っ払い。

 どうやらシルキィは再びにゃんにゃんの血が騒ぎ出したのか、ホーネットにぎゅっと抱きついたまま「にゃー、にゃー♪」と楽しそうに鳴いていた。

 

「……ん~、それホーネットにあげる」

「……いえ、結構です」

「けどなんか懐いてるし。最初は面倒くさいなーって思ったけど、話してみたらほんとーに良い子だったからさ、ホーネットも可愛がってあげて?」

「……ですから、そういう事では無くて……サイゼル、」

 

 待ちなさい。と声を掛けたのだが、残念ながらそれが酔っ払いに届く事は無く。

 元はランスから押し付けられた酔っ払いの世話、それを今度はホーネットへと押し付けると、

 

「はうぜるぅ~~」

 

 とそんなユルい声を上げながら、サイゼルはとっとと帰って行ってしまった。

 

 

「………………」

 

 そしてぱたんとドアが閉じた後には、二名の魔人だけ残される。

 

「にゃぁ~……」

 

 先程からシルキィはにゃんにゃんになっている。

 アルコールがどう影響を及ぼすとこうなってしまうのか、ホーネットには全く理解出来ないのだが、とにかくこれをこのままにはしておけない。

 

「……シルキィ、とりあえず水を飲みなさい」

「ほーねっとさま、ほーねっとさまっ!!」

「……どうしました?」

「ほーねっとさま! わたし魔人四天王を辞めて、にゃんにゃんになりますっ!」

 

 にぱーと笑ったとても可愛らしい笑顔で、とんでもない事を言い出すシルキィ。

 

「……唐突、ですね」

 

 その強烈な一言に、ホーネットは先程自らが思った事を否定したくなった。

 今のがシルキィの日頃溜め込んでいて溢れ出した思いだとは、恐ろしくて考えたくない。

 

「……魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになる、ですか。……そうですね、シルキィがどのような選択をしようとも、それはシルキィの自由。……と、言ってあげたい所ですが……」

 

 今まで自分と志を共にし、自分の下で懸命に戦ってくれたシルキィ。

 恐らくは酔っ払った末の戯言であると99%理解しつつも、それでもその思いには真摯に向き合うべきだと感じたのか。

 ホーネットは姿勢を正すと、自分に抱き付く相手の肩を両手でしっかりと掴んだ。

 

「今、シルキィににゃんにゃんになられるのは困ります。せめてこの戦争を終えるまでは、この派閥で共に戦ってください。……お願いできますか?」

「……ほーねっとさま」

 

 見下ろす魔人筆頭の真剣な表情を、魔人四天王は呆然とした様子で見上げる。

 ホーネットが伝えた真摯な思いは、酔っ払ったその脳にもしっかりと届いたのか、

 

「うにゃんっ!!」

「………………」

 

 シルキィはとても元気よく、にゃんにゃん語で返事をする。

 そんな姿に、もしかしたら駄目かもしれませんねと、ホーネットは胸に一抹の不安を抱いた。

 

「……ところで、いい加減に私を離してはくれませんか?」

「ほーねっとさまぁー、ほーねっとさまもお酒飲みましょー」

「飲みません。……シルキィ、酔い覚まし薬を探してきてあげますから、一度私から……」

「……ほーねっとさまぁー、……むにゃむにゃ」

「……シルキィ?」

 

 その様子の変化にホーネットが目を向けると、シルキィの表情はぼんやりとしていて、その瞼は今にも落ちようとしていた。

 どうやら彼女の頭の中にあった深い酩酊感、それが遂に眠気へと切り替わったようだ。

 

「シルキィ、眠るのならば自分の部屋で……」

 

 自分の腰にぐるりと回された腕、ホーネットはそれを外そうとしてみるのだが、

 

「……ふにゃぁ~……」

「……これでも、離れようとはしないのですね」

 

 何やらシルキィは無性にくっ付きたいのか、どうあっても一向に離れようとしない。

 半ば眠っている相手であるが、しかしそれは他ならぬ魔人四天王。その拘束力は尋常では無く、魔人筆頭であっても容易に解く事は出来ず。

 

「……仕方ありません」 

 

 ホーネットはシルキィの事を抱え上げ、不格好な状態のまま歩いて寝室のドアを開く。

 

 もうすでに就寝の時間、自分もそろそろ眠るつもりだった。

 ならばもうこの際一緒に寝てしまおう。ホーネットはそう考えた。決して酔っ払いの介抱をするのが面倒になった訳では無い。

 

「シルキィ、足を上げてください」

「ん~……」

 

 夢うつつのシルキィをベッドに横たわらせ、その隣に自分も並んで横になる。

 そして、ベッドサイドの明かりを落とした。

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 真っ暗になった室内、愛用のベッドの上でホーネットは自然と息をつく。

 いつもと同じ時間に眠る、彼女にとってはいつも通りの夜。

 しかしいつもと違うのは、今もその体に纏わり付いている確かな感触。

 

「……ん~……まだのむ……よってないの……」

 

 今のは寝言だろうか。もしかしたら夢の中でもお酒を飲んでいるのだろうか。

 そんな事を思いながら、ホーネットは何となしにシルキィの手のひらに触れてみる。

 

(……小さい、ですね)

 

 それはまるで子供のように小さい手。

 だが決して子供の手そのものでは無く、そこには武器を握って戦う戦士特有の固さがある。

 

(……この感触、何だか懐かしい)

 

 小さな身体の魔人四天王。その小さな手に触れながら眠る夜。

 こうしてシルキィと一緒に眠るのは、ホーネットにとって初めてという訳では無い。

 

 それは遠い昔。今はもうこの腕で抱えられる程に小柄なシルキィ、だがそんなシルキィの腰辺りまでしか自分の頭が届かなかった頃、まだ魔人にもなっていなかった頃の記憶。

 魔物界は日常的に天気が悪く、特にその日は落雷が止まなかった。夜中しきりに鳴り響く雷鳴に小さかった自分は怯え、その時近くに居たシルキィに一晩中付き添ってもらった覚えがある。

 

 その時にもぎゅっと握っていた、この小さな手。

 今からもう数百年前、そんな遠い昔の事をホーネットがふと思い出していると、

 

 

「……懐かしいですね、ほーねっとさま」

 

 ふいにそんな声が隣から聞こえる。

 

「……シルキィ」

 

 まだ起きていたのか、と思うよりも先に、まさか自分と同じ記憶を思い返していたのかと、少し驚いたホーネットはその目を見開く。

 

「……そうですね、懐かしい。私が小さい頃……」

「えぇ。……小さい頃のほーねっとさま、将来は絶対にゃんにゃんになるって言ってましたよね」

「……断じて言っていません」

 

 それだけはホーネットもはっきり否定しておく。

 記憶の捏造、あるいは混濁か。いずれにせよ自分とは異なる記憶を思い返していたらしい。

 それを悟った彼女はもう眠ろうと深く瞼を閉じたのだが、しかし酔っ払い魔人の最後の抵抗はまだ終わらない。

 

「あそうだ。ねぇほーねっとさまー」

「……どうしました?」

「さっきらんすさんがねー、ちっちゃなおっぱいが好きだって言ってましたよー」

「な──」

 

 唐突に何の脈絡も無く、シルキィは今のホーネットに一番刺さりそうな言葉を発する。

 

「……………」

 

 ランスは小さい胸が好き。

 ホーネットは殆ど無意識の内にその手を動かし、自分の豊かな胸元を、とても小さいとは言えないその胸の大きさを確認するように触れた所で。

 

「……っ、」

 

 その程度の言葉に心を揺らしてしまう、今の自分にほとほと嫌気のようなものを感じながら。

 ホーネットはぎゅっと瞼を瞑り、そんな無駄でしかない思考をどうにか断ち切った。

 

「……シルキィ、もう眠りましょう。……お願いですから眠ってください」

 

 その切なる思いが通じたのか、

 

「はーいっ。…………くぅ」

 

 元気よく返事したかと思えば、五秒程ですぐに寝息が聞こえてきて。

 

「……くぅ、くぅ……」

 

 至って何事も無かったかのように、その酔っ払いは安らかな寝顔ですやすやと眠りに落ちる。

 

 こうして酒宴の場に降臨した最強の酒豪、ランスでもサイゼルでも止める事は出来ず、好き放題暴れた酔っ払い魔人シルキィは、魔人筆頭の手によってようやく討伐されるに至った。

 

 

 

 ちなみにそんなシルキィは次の日の朝方、ホーネットの使徒達によって自室へと運ばれた。

 しかしその部屋のベッドはランスとハウゼル、そしてサイゼルまで追加して一杯一杯だった為、仕方無く空き室のベッドへと運ばれた。

 

 そして昼頃、シルキィは目を覚ました。

 彼女の記憶は酒宴の途中辺りから薄れており、何故自分がここで寝ているのか、昨夜の終わり頃に何があったのかは思い出す事が出来なかった。

 

 故にこの一件。泥酔した挙げ句に魔人筆頭の部屋へと突撃し、散々迷惑を掛けてしまった事。

 シルキィがその事を知り、猛烈に死にたくなるのはもう少し先の事になる。

 

 

 

 

 


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