大事な話がある。
そんな理由で始まった今回の雑談の時間。
だったのだが、しかし魔人筆頭はその身に秘める大事な話、それを打ち明ける事は出来ず。
そんな彼女が代わりに選んだのは先日の事。
それはかの魔人四天王がヒドく酔っ払っていた、あの日の事に関して。
(……あ、あの日は……)
当然飛んできたその話題に、嫌な心当たりがあったシルキィはその顔を引き攣らせる。
あの酒宴の日に一体何が起きたのか。それは彼女も内心とても気になっていた。何故ならその全てを覚えてはおらず、途中から記憶が曖昧になっているからである。
(あの日は、確か……)
酒宴をしようじゃないかと、そんな理由でランスが酒を用意してきた。
乾杯をしてみんなでお酒を飲んで、まずハウゼルが倒れて、そして次にサテラが倒れた。
(それで私も酔っ払っちゃって、それで……)
その後ランスと二人だけでお酒を飲み、そこで大量の酒を飲んだ結果自分は泥酔してしまった。
そしてにゃんにゃんの真似をしてしまったりと、一生分の恥をかいた事はまだ覚えている。
どうせならその辺の事も全て忘れていたかったのだが、それはともかくとして問題はその後。
(……それでその後、確か部屋にサイゼルがやって来て……)
サイゼルの姿を目にしたら何故か急激にテンションが上がって、思わず彼女に抱き付いた。
そしてランスが眠り、まだ元気だった自分はサイゼルとお酒を飲む流れとなったのだが、その辺りから記憶があやふやになっているのだ。
(……サイゼルと二人で、沢山お酒を飲んだような気がする。それで、それで……)
ここからは何となくの記憶なのだが、その後誰かの部屋に向かったような気がする。
そしてこれまた何となくなのだが、サイゼルはホーネットについて悩んでいたような気もする。
(……なんか、目が怖いとかどうとか……)
そんな悩みをサイゼルから打ち明けられ、その時に自分は「よし、じゃあ言いにいこっか」などと、今考えると耳を疑うような発言をしたようなしていないような。
そこからまた更に大量のお酒を飲んだらしく、それが原因でこれ以降の記憶が無いのだが、ここまであった要素から考えると、あの時泥酔していた自分が向かった部屋というのは……。
「……ほ、ホーネット様」
「どうしました?」
「……もしかしてあの日、酔っていた私はホーネット様のお部屋に……!?」
「えぇ。サイゼルと二人でやって来ました」
(あああああっ! やっぱり!!)
あんなへべれけになっていた状態で、あろう事かこの派閥の主の部屋に突撃していたとは。
知りたくなかったその事実を知り、シルキィの顔から一気に血の気が引いていく。
「シルキィ。貴女はあの日の事を覚えていないのですか?」
「……えっと、その……はい。実は記憶があやふやになっているのです」
「成る程。記憶が欠如するのは深く酩酊した後には良くある症状だと聞きますね」
「え、えぇ……。あの日は結構な量のお酒を飲んでしまったので……」
ホーネットの言葉にシルキィは神妙な顔で頷く。
あの日は最終的に10本近くあった酒瓶全てを開けたのだ。その頭から記憶が欠ける程に酔っていたとしても不思議ではない。
ただ問題はそこじゃない。自分の記憶云々よりも大事な事、それは今目の前に居る相手の事。
「そ、それよりホーネット様。あの時泥酔していた私は、何かホーネット様に失礼な事をしてしまったのではないですか!?」
「それは……」
切迫した様子のシルキィの問いに、ホーネットはそれを答えるのに一拍を挟んで。
「……いえ。そういう訳ではありませんよ」
「そんなはずはありませんっ! 私は何かをやらかしてしまったはずです!」
ホーネットからの否定の言葉を受けても、しかしシルキィは食って掛かるような勢いで叫ぶ。
なんせ自分の酔い方はヒドかった。ランスの前であれだけの醜態を晒したのだ、そんな自分がホーネットの前で何もしていないとは考えられない。
その否定の言葉は事実では無く、恐らくは自分が変に気に病まないよう気を遣ってくれたもの。そうだと分かってはいたのだが、しかし今のシルキィにはその優しさが痛かった。
「ホーネット様、教えてください! 私は一体どれほど愚かな事をやらかしたのですか!?」
「……しかし貴女は何も覚えていないようですし、ならばあえて言うような事でも……」
「構いませんホーネット様! 私はどんな叱責でも受ける覚悟は出来ていますから!」
「………………」
シルキィのその声、その表情は実に真剣なものであって。
その並々ならぬ覚悟を目にしたホーネットは、少し話題選びに失敗したなと思いながらも、仕方無くあの日の事を思い出す。
「……確かにシルキィ、あの日の貴女は普段のそれとは少し違っていました。ですが私は気にしていません。この城で酒を飲む事を禁じた覚えはありませんし、それに私と貴女の間柄です。貴女が泥酔していたら介抱するのは当然の事でしょう。……ただ」
「……ただ?」
やっぱり泥酔していた自分を介抱させてしまったのか。
そう思うと同時に、そこで一旦言葉を区切ったホーネットの何やら難しそうな表情を見て、シルキィも次なる言葉に身構える。
「あの時、貴女が言っていた事なのですが……」
あの日の事に関して、先の言葉通りホーネットは大して気にしていない。
酔っ払ったシルキィに変な感じに絡まれた事も、一緒に寝た事だって不都合がある訳でも無し。
ここで一々そんな事を糾弾して、心優しきこの魔人四天王を萎縮させる必要は無いだろう。
そう思っていたのだが、ただそれでも一つだけ。
どうしてもあの事だけは、ホーネットも確かめずにはいられなかった。
「……シルキィ。貴女は魔人四天王を辞めたいのですか?」
その言葉はまるで鋭利な刃物のように、強烈な鋭さでその魔人の胸に突き刺さり、
「くふっ」
「シルキィ?」
小さく呻き声を漏らしたシルキィは、体から力が抜けたようにがっくりと頭を落とした。
「……私は、私はそのように愚かな事を口にしたのですか?」
「……えぇ、まぁ。魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになりたいのだと言っていました」
「にゃ……!」
思わずシルキィはその鳴き声を口走る。そしてその顔が見る見る内に赤くなっていく。
魔人四天王を辞めてにゃんにゃんになる。
それはなんという愚かな発言、なんというアホな発言なのだろうか。
ランスに甘えた時と言い、何故泥酔時の自分はそんなにもにゃんにゃんにこだわっているのか。
(……あぁもう、恥ずかしすぎて死にたい……)
今すぐリトルの中に入りたい。装甲の内部で永遠に引き篭もっていたい。
ついそんな気分になってしまったシルキィだが、まずするべきは何よりも弁明である。
「……ホーネット様、それは酔っ払いの戯言です。私の本意ではありません。なので出来れば今すぐに忘れて貰えると助かります」
「……そうですね、私も恐らくはそういう事なのだと思っています。ですが……」
ホーネットはまだ納得する事は出来ないのか、その表情には憂いを含んでいた。
彼女も当の本人とは概ね同意見、あれはきっと酔っ払いの戯言だったのだと思っている。なんせあれだけ泥酔していたのだ、意味の無い世迷言を喋ってしまう事だってあるだろう。
そう思ってはいるのだが、しかしその内容が内容だけにどうしても考えてしまう事がある。
「……思えば、これまでシルキィには沢山苦労を掛けてきましたからね」
「え? いやあの別に──」
「隠す必要はありません。この私が不甲斐ない分、貴女に掛かる負担は多かったはずです」
魔人四天王たるシルキィ、彼女には自派閥のNO,2として沢山の戦いを任せてきた。
特に防衛戦では一番信頼出来る戦力として、シルキィを頼りにする事も多かった。
そんな戦い続きの日々の中、次第に彼女の胸の内に蓄積されていった思い。
それが魔人四天王を辞めたい。そんな願いだったのだとしたら。
戦う事なんてもう辞めて、野原を自由に駆け回る一匹のにゃんにゃんになりたい。そんな願望を抱いていたのだとしたら。
「……貴女は真面目な性格ですからね。知らずの内に溜め込んでいる思いもあるかと思います」
シルキィの性格上、そんな事は思っていても口に出す事など出来なかっただろう。
けれどもあの日、お酒を飲んだ影響で心の堰が脆くなり、今までひた隠しにしてきた本音がぽろりと口から溢れたのだとしたら。
「……使徒を持たない貴女の事です、そう言った事を相談しようにも中々相手も居ないでしょうし、私で良ければ──」
──どんな相談にだって乗りますよ?
と、それはもう真摯な表情で。
その精神状態を気遣い、とても親身になってくれるホーネット。その一方で、
「無いです無いです! 悩みなどありません!! 魔人四天王を辞めたいと思った事も、にゃんにゃんになりたいと思った事もないですからっ!!」
シルキィは激しく両手を振って否定する。
彼女にとって魔人四天王とは、敬愛する魔王ガイから戴いた名誉ある立場。
それを誇りに思う事こそあれ、辞めたいなどと思った事は一度たりとも無いのである。
「ホーネット様。ご気遣い有難うございます。けど私は大丈夫ですから」
「シルキィ……本当ですね?」
「勿論です。私は魔人四天王を辞めたりしません。にゃんにゃんになったりなどしませんから」
「……分かりました。そうだとは思っていたのですが、やはり私の杞憂でしたね」
ようやく安心したのか、ホーネットはその表情を微かに綻ばせる。
「それに、もう絶対にお酒なんて飲みません」
「……先程も言いましたが、別にお酒は飲んでも構いませんよ?」
「いえ。もう金輪際飲みませんから」
今後二度とあのような醜態は晒すまい。
そんな決意で口にした禁酒宣言だったが、しかしその誓いは残念ながら叶わなかった。
『酒を飲んで普段より甘えんぼになったシルキィ、今度はそれとセックスしてみたいなぁ』
とそんな事を考えたランスの企みにより、シルキィの禁酒宣言は脆くも崩れ去る事となるのだが、それはまた別の話であって。
「……そうですか」
方や魔人筆頭。彼女にはあの日の事に関してもう一つ気になっていた事がある。
『ランスは小さい胸が好き』あの発言は酔っ払いの戯言なのか、それとも事実なのか。
その真偽がとても気になるのだが、しかしそんな質問どのような顔ですればいいのか。
それを切り出すのにまた結構な時間を掛けるのだが、それもまた別の話であって。
ともあれ、その日の雑談はその後恙無く終わりの時刻を迎えた。
結局ホーネットはその情愛に纏わる悩み、それを打ち明ける事は最後まで出来なかった。
だがそれでも当初の目的、ランス達の行方を知る事は出来た。
迷宮探索。成る程確かにあり得る話。それなら人間の仲間達を連れて行く理由にも合点がいく。
3つのダンジョンを攻略するとなると、彼がこの城に戻るのには結構な時間が掛かるだろう。
とはいえそれでもいつかは帰ってくる話であり、もう会えなくなってしまう訳では無い。
それなれば気にするような事では無い。それならば何も問題は無いだろうと、この時のホーネットはそう思っていたのだが。
しかし一週間。
「……まだ、でしょうね」
そして二週間。
「……少し、遅いですね。……いえ、3つも迷宮を巡るのならこれくらい普通でしょうか」
三週間と続くにつれ。
「……これは」
──さすがに遅すぎやしないか。
20日頃を越えた辺りで、遂にホーネットはその考えに思い至った。
「………………」
胸の内に湧いた不安と焦燥。それに駆られて居ても立ってもいられなくなったのか。
ホーネットは部屋の奥側にあるバルコニーへと出ると、縋るような目付きを遠くの空に向けた。
「……もしや、迷宮内で何かあったのでは……」
迷宮探索。未知なるダンジョンへ挑む冒険。
それに好奇心を掻き立てられる者は多いが、それには当然ながら危険も付いて回るもの。
出現するモンスター達は元より、迷宮内部にはトラップなどが仕掛けられている場合も多い。時には命を落とす者もいたりなど、死と隣り合わせなのがダンジョン攻略というものである。
勿論ランスの強さは知っている。
以前一緒に戦った相手、魔人たるメディウサと対峙しても一歩も引かずに戦う姿を見ている。
だがそれでも彼は人間で。
無敵結界が無い人間である以上、万が一という可能性が無いと断言する事は難しく。
(……もうすでに。……など、とは)
とても考えたくない。
それだけは想像したくない。
(……けれど……そう、例えば、戦闘で怪我を負って動けずにいる可能性はあります。あるいは道に迷ったりなどして、迷宮内を延々と彷徨っている可能性だってあります)
現在も何処かの迷宮を元気に攻略中ならば良い。
しかしもしも何らかの理由により、迷宮内で足止めを食らっているのならば。
それだといずれは回復アイテムや食料が尽き、彼等は帰らぬ者となってしまうだろう。
(……だとすれば、今からでもケイコ達を……)
すぐに使徒達全員を迷宮へと向かわせて、ランス達の捜索を命じるべきか。
(……いえ。それよりもいっその事……)
ホーネットはその両手、フェンスの手すりを握る手にぐっと力を込める。
眼前に広がるは見慣れた景色、遥か彼方にはサイサイツリーとアワッサツリーの世界樹が見え、その付近にランス達が居ると思わしき迷宮がある。
いっその事、このままここから飛び降りて自分自らが探しに行くべきか。
そうするのが一番手っ取り早いし、それが一番確実なのでは。
……と、そんな事を考えた所で。
「……いえ」
静かにそう呟いたホーネットは、自然とその頭を横に振った。
(……まずは一旦、落ち着くべきですね。いくら何でも動揺しすぎです)
今の自分はどう考えても冷静とは言い難い。
ホーネットは一度大きく深呼吸して、普段よりも早まっていた心拍を元の状態へと戻す。
そうして考えてみると、先程危惧した事はやはり早合点と言わざるを得ない。
迷宮から出られなくなっているのではと、そんな可能性を考えてはみたものの、しかし迷宮攻略には欠かす事の出来ない必需品、脱出用のアイテムがあると聞いた事がある。
(ランスは冒険慣れしているようでしたし、当然そのアイテムを所持しているでしょう。それにサテラだって同行しているのです、万が一などと言う事態だって考えにくい)
迷宮内のモンスター達が束になった所で、無敵結界を有する魔人に敵うはずが無い。
サテラとシーザーが同行している以上、もうすでにランス達は全滅しているなどあり得ない。悲観的考えが行き過ぎた妄想だと言わざるを得ない。
(……おそらく今もまだ迷宮を攻略中。あるいは城への帰路についている途中かもしれません。……そもそも今一度考え直してみれば、ランス達が出発してまだ20日程度ではないですか)
この城から出発してサイサイツリーに移動し、そして付近にあるモスの迷宮に挑戦する。
その後は北に向かいアワッサツリーへと移動し、悪の塔といつわりの迷宮に挑むと言うのなら、20日と言う期間は別に遅い訳では無い。
むしろ難関な迷宮3つに挑むというならば、それ位の日数は当然に要するものだろう。
(……つまり、これは……)
「…………はぁ」
ホーネットは何かを嘆くような、あるいは何かに呆れるような表情で深々と息を吐き出す。
つまりこれは、別にランス達の帰還が遅れているという訳では無くて。
(……これは私の問題。……この私に、辛抱が足りていないというだけの事。……なのですね)
この胸に疼くどうしようも無い不安と焦燥、それはただ単に自分の忍耐力の無さ故のもの。
そうと気付いた事で、ホーネットは無性に居た堪れないような気分になってしまった。
泡を食った勢いでバルコニーに飛び出してきた、今の自分の姿が何とも滑稽に思えてくる。
(しかし、思い返してみると……)
自らの愚かさへの自省の表れなのか、ホーネットはここ最近の自分の事を少し振り返ってみる。
するとやはり目に付くのは自らの醜態、その相手への気持ちを自覚して以降の自分の変化。
会ったら会ったで普段通りでは居られず、狼狽したりとみっともない姿を見せてしまう。
だからと言って会わなければ良いかと言えばそうではなく、少し会えないだけでまたこのような無様な姿を晒してしまう。
(……今更な事ではありますが、何とも……何とも儘ならないものですね、これは)
自分が抱いたこの感情。これは特別な想いではあるのだが、しかし特別珍しいものでは無い。
世間一般に居る人間達、誰しもが年頃になれば自然と誰かに対して抱くようなもので。
そのような人並みな感情に、百年の時を生きる自分が振り回されるとは全く予期しておらず、ホーネットは今とにかく不甲斐ないような、恥ずかしいような気持ちで一杯であった。
(……とはいえ、いつまでもこのままにしている訳にはいきません)
今の自分の状態は決して好ましくない。彼が視界に入る度に集中力を欠く事が多すぎる。
今は戦いが停滞期に入っているからまだいい。けれどもいずれは戦いが再開される。その時にこの想いが影響して冷静さを失うような事があれば、致命的な問題にも繋がりかねない。
故にこれは急ぎの問題、早急にどうにかしなければならない事だと分かってはいるのだが。
「……けれど、私はどうすれば……」
普段はあまり呟かない独り言。
今の率直な想いを口から零して、思い悩むホーネットは遠くの空を眺める。
今日の魔物界の天気は曇り。空一面を灰色に覆い隠す程の曇天。
それをじっと見つめてみる。すると次第にそのキャンパスの上に輪郭が見えてくる気がする。
きりりとした目元と大きめな口元、それらが浮かび上がってくるような気がする。
「………………」
しかし一度瞬きをしてみれば、そこにあるのは単なる曇り空でしか無くて。
何とも馬鹿らしいとしか言いようが無い、そんなものにまで彼を求めてしまうようなこの気持ちを、一体どのように扱えば良いのだろうか。
(……どうすれば良いのか。……しかしこれは、悩めば答えが出るような事なのでしょうか)
この20日間程を悩みに悩んだ結果、遂にホーネットはそんな根本的な疑問まで抱いた。
あるいは彼に直接この想いを伝えてしまえば、このように悩む事も無くなるのだろうか。
そんな事を考えたりもしたのたが、しかしシルキィにも打ち明けられないような現状、それは遠い世界の話のようにしか思えない。今後も暫くは抱え続けて、悩み続けるしかないのだろう。
(……それに、性交の事も……)
ランスの事を悩む上でもう一つ欠かせない事。
彼が自分と出会った当初から要求しているその行為、セックスについて。
彼女が抱いているその情愛と、その行為とはまた別次元にあるもの。
その感情が無くともする事は出来るし、その感情が生じた今ではする事が出来なくなった。
ただその感情がその行為に与える影響は大きく、現にホーネットはその情愛を自覚して以降、その行為についての心境に大きな変化が生じていた。
(……ランス、は)
これを考えると、自然と顔が熱くなってしまう。
そうと分かってはいるのだが、しかしその頭が考えるのを止めてくれない。
(……ランスは、この私の事を、あれだけ求めてくれているのに……)
相手に抱きたいのだと求められる事。セックスがしたいのだと熱望される事。
これまでの心境とは異なり、自分が懸想している相手から求められているのだと思うと、どうしても胸が震えるのを抑えられない。
相手の方にはこの想いはおそらく無い。単なる下心だけだと理解してはいるのだが、それでもやはり平常心ではいられないもので。
(……こうなると、もう……)
もう彼の要求に応えるべきだろうか。
もはや自分の心の内に、彼との性交に対しての抵抗感は殆ど無い。
それどころかそれを求める気持ちはないか。彼とそういう事がしたいと思う気持ち、それは欠片も無いと今の自分に断ずる事が出来るだろうか。
(……そもそもがあの時、あの日にそうしようと決めていた事ですし……)
ホーネットはランスとの性交に関して、少し前に一度その覚悟を固めている。
だがそんな最中に生じたあの疑念。この城を訪れた目的を果たした彼がその後どうするか。
それがどうしても引っ掛かってしまい、その結果先延ばしのようになってしまったのだ。
その疑念は未だに残っている。それを嫌だなと思う気持ちは強くある。
けれどもそれはその名の通り疑念なだけで、そうと決まった訳では無い。むしろ彼と少し話せば多分それだけで済む事であって。
目的を果たした後もこの城に残り、私と共に戦ってくれますかと、そう尋ねれば良いだけの事。
勿論いつかは人間世界に帰るだろうが、この戦争を終えるまでは共にいてくれるだろう。
(……私が、その程度の勇気を見せられれば)
そうすれば、自分と彼との間に障害はもう何も無くなってしまう。
そうなった途端に、おそらく彼は自分の事をベッドの上に押し倒すのだろう。
そして服を剥ぎ取り、この身体の好きな所に手を伸ばすのだろう。それが胸なのか、それともいきなり下に向かうのかはよく分からないが、とにかく好きなようにするのだろう。
ここまで待たせた以上、もはや抵抗するつもりは無い。好きなだけ好きな事を好きなようにすればいいと思うが、せめてその前に一度口付けを……。
……と、そこら辺までを考えた所で。
「………………」
急に強く吹いた突風。
その勢いに顔を撫でられて、はっとしたようにホーネットは我に返った。
(……バルコニーに出ておいて、正解でしたね)
きっと今の自分の顔は赤い。とても使徒達には見せられないような表情をしている。
はぁ、と熱っぽい溜息を吐いたホーネットは、その視線をもう一度遠くの景色へと向けた。
(……とにかく、とにかく何にしてもです。ランスが帰ってこない事には始まりません)
張本人が居ない現状、今の彼女に出来る事といえばこのように長々と悩む事だけであって。
「………………」
その時ふいに思った事。
それはこの20日程の間で常々思っていた事。魔人筆頭がその頭の中で繰り返し考えていた事。
「………………」
その顔色はまだ赤みを帯びていたが、その表情は先程とは異なる切なさが浮かぶもので。
そうして口から零したのは、嘘偽りのない彼女の本音。
「……会いたい」
結局の所、ホーネットが今思う事はそれだけだった。
だが、そんな彼女の想いも虚しく。
その後ランスは迷宮探索から無事に帰還した。
しかしそのすぐ直後、戦況の進まなさに業を煮やして魔人退治へと出発してしまった。
なのでホーネットはもうしばらくの間、その想いを募らせる事になる。