ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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魔界都市ペンゲラツリー②

 場所は魔界都市ビューティーツリー。

 ホーネット派の拠点の内の一つであり、現在戦争の最前線となっている拠点。

 そんな都市内に設置されているテントの一つで。

 

「う~む……」

 

 ランスは唸っていた。

 

「う~~~むむむ……」

 

 その頭に巡るは昨日の一件。昨日ランスは魔人ケッセルリンクを討伐する為、仲間達を連れて大荒野カスケード・バウの踏破に挑戦した。

 だが結果は見事に失敗。ケッセルリンクと戦うどころかその城の前に辿り着く事さえも叶わず、あえなく時間切れとなって撤退する羽目になった。

 その失敗の最大の要因、それはひとえにカスケード・バウに置かれた障害の多さに尽きる。

 

(さすがにあの雑魚共の量はな……。強くはねーが面倒くさすぎるぞ……ぬぬぬぬ……)

 

 思い出されるのは魔物兵の大軍、無尽蔵に湧き出てくる雑魚との延々と続く戦闘。

 その数の莫大さ、それらを相手にしながらの進軍の困難さは、今こうして思い悩むランスの眉間に寄る皺の数が物語っていた。

 

 昨日の失敗を受けてさすがのランスも実感したのだが、現状のままではカスケード・バウ踏破はちょっと無理だと言わざるを得ない。

 可能性があるとしたら今後ホーネット派の準備が整い、派閥の総戦力を挙げた時か。聞けばそれでも以前は失敗に終わったそうだが、しかし以前と今とでは状況が異なる。

 ケイブリス派からは魔人が数体減り、一方のホーネット派には一体増えた今の情勢ならば、以前は失敗したカスケード・バウ踏破も成功する可能性は十分にあると言えるはず。

 

(……だがそれを待つってのも退屈だしなぁ、何か良い方法はねーかな……)

 

 しかしホーネット派の進軍準備が何時整うか、それは全く目処の立っていない話であって。

 一月経っても何の変化も無い現状、全ての準備が整うのは更に一月掛かるかも、いや二ヶ月か、事によっては半年以上掛かるかもしれない。

 足掛け7年にも及ぶこの派閥戦争において、その程度の準備期間など珍しくも無い。そうホーネットやシルキィなら言うかもしれないが、ランスはそんな時間を待つ事など出来ないのである。

 

(敵の数もそうだが、距離も問題だよなぁ……さすがに二日掛かるってのはシンドい……)

 

「……うぬぬぬぬぬ」

 

 カスケード・バウを越える有効な策はないか。

 テントの中で一人、そんな悩みに頭を絞り続けるランスの唸り声は止まらない。

 

 例えばあの無数の雑魚、あれを一瞬で全滅させる方法があれば。そういえば以前、魔物だけを殲滅出来る爆弾を使用した覚えがある。あれがどこかに余ってないだろうか。

 あるいはその距離、目的地まで一瞬で移動する方法があれば。そういえばそんな魔法があった、物理的距離を無視したワープが出来る黒髪のカラー、その協力が得られれば。

 

 ……などと、実現可能性はともかくとしてあれこれと良さげな手段を考えていた所で。

 

 

「……そういやぁ、結局あのキザ野郎の城ってのは何処にあるんだ?」

 

 ふと思い出したのはそんな疑問、昨日シルキィに一度尋ねてみた疑問。

 本当なら魔人討伐に向かう前に知っておくべき、何とも今更な疑問である。

 

「ふむ、どれどれっと……」

 

 ランスはそばにあった棚から地図を取り出し、テーブルの上に広げる。

 それは彼にとっては馴染みが無い、魔物界だけを描いた地図。その地図の中央から少し下の箇所に『カスケード・バウ』と書かれており、その南東近くに『ケッセルリンクの城』と書かれている。

 

「……ここか。確かに近いっちゃ近いが遠いっちゃ遠いな。うし車が使えりゃ楽なんだが……」

 

 長距離移動には欠かせない乗り物、うし車で進めばおそらく数時間で辿り着く距離。

 しかしあの夥しい数の敵の中、うし車を走らせるのはさすがに自殺行為か。

 そんな事を思いながら地図を眺めていると、

 

「ん?」

 

 ふと目に入ったのはその地図の南端。

 そこに『魔界都市タンザモンザツリー』と、そう書かれているのを目にした時。

 

「……お?」

 

 突如その頭の中にぴーんと閃きが走った。

 

「……うーむ、これは……」

 

 鼻先が触れるぎりぎりまで顔を近づけ、ランスは地図上のある一点を凝視する。

 

「……よし、これだ」

 

 そして、遂にその考えに思い至った。

 と言うべきか、思い至ってしまった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「全員ちゅーもーく。次の作戦を発表するぞー」

 

 そんな言葉を受けて、その場に居た一同の視線が発言者へと向かう。

 

「……次の作戦だと?」

「……ランスさん。まだ諦めていなかったの?」

「サテラさん、シルキィさん。一応聞くだけ聞いてみましょうよ、ね?」

 

 どうにも聞きたくない言葉を耳にしたのか、嫌そうな表情で呟くサテラ。

 そんなサテラと似たような表情を作り、はぁ、と息を吐くシルキィ。

 何とか主人のフォローをしようと、あまりフォローになっていない事を言うシィル。

 

 周囲を陣幕に囲まれた大きなテント内。

 ランスからの集合の号令を受け、その場に集まったのは彼女達3人。

 

「……ってあれ? ハウゼルちゃんが居ないぞ」

「ハウゼルなら今朝早くに一旦魔王城へ戻ったわ。昨日の戦いの結果をホーネット様に報告しないといけないからね」

「あー、そーいやそんな事言ってたな。つーか昨日の結果なんぞ報告した所で……まぁいいや」

 

 魔人ハウゼルは派閥の主への報告を持ち帰る為、朝方ビューティーツリーを飛び立った。

『依然としてカスケード・バウは難関。6名だけで越える事は不可能だと思われます』

 そんな何とも実の無い報告、ホーネットからは「それはそうでしょう」と返されるだけの報告ではあるが、そんな内容でも伝えに戻るハウゼルは真に律儀な魔人であった。

 

「もう出発しちゃったならしゃーないな、とにかく俺様達は次の作戦に取り掛かるぞ」

「……それで? その次の作戦とは一体なんだ。まさかとは思うがまたカスケード・バウへ挑戦するとか言い出さないだろうな?」

「なのなぁサテラよ、この俺様がそんな結果の見えている事をすると思うか?」

「……その言葉、昨日のランスさんに聞かせてあげたいわね」

 

 シルキィのそんな皮肉を見事にスルーして、ランスは威勢良く言い放つ。

 

「次の作戦はあんな面倒くさい場所には挑まんから安心しろ。むしろその逆だ、逆」

「……逆、ですか?」

 

 呟くようなシィルの問い掛けを受けて、その男は「その通りだ!」と力強く答える。

 先程魔物界の地図とにらめっこをして、そうしてランスが思い付いた次なる作戦。

 それは結果の見えているカスケード・バウ踏破に挑むのでは無く、もっと別の視点からこの戦争を俯瞰してみる事。

 

「俺様思ったのだがな、別にケッセルリンクなんぞと戦う必要はねーんじゃねーか?」

「戦う必要が無い?」

「そうだ。だって所詮あのキザ野郎はただの下っ端だろ? んなもんをわざわざ相手にせんでも、ケイブリスさえ倒しちまえばそれで終わりだろう」

「……あのケッセルリンクがただの下っ端って事は無いでしょうけど……でもケイブリスさえ倒せばって言うのは確かにその通りかもね」

 

 配下には構わず一番上だけを倒せばいい。

 争い事においては定石とも言えるランスの言に、シルキィもこくりと頷く。

 

 派閥のトップというのは一番大事な部分、特にその名を冠した派閥に至っては尚更の事である。

 ホーネット派が前魔王ガイの娘であり、魔人筆頭であるホーネットのカリスマ無しでは維持出来ないのと同じく、ケイブリス派も最強最古たる魔人ケイブリス無しではその威勢を誇る事は出来ない。

 

 故に派閥の主さえ討ち取ってしまえば、この派閥戦争はそれで決着。

 その時仮に誰かしらの魔人が生き残っていたとしても、それは然程の意味を持たない事である。

 

「だろ? て事でケッセルリンクはちょっとパス。討伐目標はケイブリスに変更する事にした。そっちの方が色々とてっとり早いからな」

 

 そんな台詞を得意げな表情で語るランスの一方。

 

「………………」

「………………」

 

 二人の魔人は共に難しい表情をしていて、その方針に納得していないのが丸わかりであった。

 

「……ランス。そうは言うけどな、そのケイブリスの下に辿り着く為にはあのカスケード・バウを越える必要があるんだぞ」

「そうね。だからこそケッセルリンクを倒す必要がある。……ていうかこの話、出発する前に私が教えてあげたと思うんだけど」

「うむ。確かに聞いたな。けどなシルキィちゃん、それは大きな間違いなのだよ」

「………………」

 

 その次の言葉を聞かずとも、この時点ですでにシルキィは何だか嫌な予感がしていた。

 だがそんな彼女の心境など知る由も無く、ランスはその手に持っていた地図を広げる。

 

「俺様はちょー天才だからな、ある事に気が付いてしまったのだ。全員これを見たまえ」

 

 そして地図上のある一点を指差した。

 そこは魔物界の南西部、大陸の端際を通って魔界都市と魔界都市を結ぶ一つの道。

 

「ここだ。カスケード・バウを越えるのが難しいなら、こっちから行けばいいだろう」

 

 するとシルキィは「うわぁ……」と呟き、急激に痛み出した額をその手で押さえる。

 それは前に彼女が派閥の主と作戦会議を行った際、いつかランスがそんな事を言い出すのではと、そんな予想をしていた言葉そのものだった。

 

 ランスの指が示す場所。そこは一見ただの道。

 そしてその道を進んだ先、それは確かに敵の本拠地タンザモンザツリーへと続いている。

 けれどもそれはただの道では無い。その事を二人の魔人は深く理解していた。

 

「……あぁそっか、これ古い地図だから書いてないんだ……。新しいのを作り直さないとね」

「……そうだなシルキィ。城に戻ったらホーネット様に提案してみるか」

「おい、何を二人で話しとるんじゃ。それよりこれを見ろこれを。この道はなんと敵の本拠地へと繋がっているのだ! だからここを通ればカスケード・バウなんぞ通らんでも……」

 

 敵の本拠地へと繋がる別ルート。

 その世紀の大発見をご機嫌な様子で披露するランスだったのだが、

 

「……あ、ランス様、それって……」

 

 その言葉を遮るように呟き、その大発見の致命的な欠点を指摘したのは彼の奴隷だった。

 

「何だシィル」

「……その、確かそこの道って今はもう通れない道なのでは……」

「通れない?」

「ほら、シィルでも知ってるじゃないか。前にサテラが説明してやっただろう。そこの道はもう随分前に死の大地へと変わってしまったんだ」

 

 魔物界の最南部にあるケイブリス派の本拠地、魔界都市タンザモンザツリー。

 その都市に繋がる道の片方はカスケード・バウを越える必要があり、そしてもう片方は死の大地によって封鎖されてしまっている。

 サテラが言った通り、死の大地に関してはランスも以前に一度説明を受けているのだが。

 

「死の大地? ……て、なんだっけ?」

「ぐっ、こいつ……」

 

 残念ながらその記憶はすでに消失していた。

 誰が何の為に説明してやったと思っている、この男の頭は一体どうなっているんだ。

 とそんな文句を言いたい気分のサテラだったが、しかし覚えていないものはどうしようも無い。

 

「……全く。もう一度説明してやる」

 

 よーく聞くように。と念押しをして、彼女は以前と同じ説明を繰り返した。

 

 その道は元々普通の道だったのだが、ある時大きな魔力の衝突が原因で変容してしまった。

 死の大地はあらゆる命が死に絶える場所。空からは死の灰が降り注ぎ、その効力は付近にある魔界都市ペンゲラツリーの世界樹を枯らしてしまう程。

 無敵結界を有する魔人であっても影響を受けてしまい、それ以下の抵抗力しか持たない魔物、そして人間にとっては近付く事すら危険な場所である。

 

 

「……わかったか? 死の大地は通れない。だからカスケード・バウを越えるしか無いんだ」

 

 世紀の大発見は残念ながら不発。皆が知っていたけど選択肢から外していただけのもの。

 だったのだが、しかしサテラから一通りの説明を受けたランスは顎に手を当て、「……うーむ」と少し悩んでみた後。

 

 

「ま、何とかなるだろ。とりあえず現地まで行ってみるぞ」 

 

 とても軽い調子でそう告げた。

 

 

「あのなぁ! お前はサテラの説明を聞いてなかったのか!? あそこは人間が近づいたら……」

「たかだか灰だろ? 俺様は灰ごときでは死なん」

「ランスさん。死の灰は本当に危険なのよ。あの道を通ろうとした魔物兵の一団が全滅した事だってあるわ、いくらなんでも……」

「俺様は魔物兵より強い、だから問題無い」

 

 死の大地には絶対に行ってはならない。特にそれが人間であるならば尚更の事。

 それを知っている二人の魔人はあれこれ言葉を並べて説得するのだが、しかし毎度のようにランスには効き目は無し。

 その男の根底にあるのはやはり現状への不満。戦況が停滞している中、カスケード・バウも越えられないのなら、次は死の大地の方を試してみるかと考えるのは自明の理であった。

 

「大体お前らだってとやかく言うがな、その死の大地とか言う場所に行った事はあんのか?」

「……さすがに爆心地の真ん中まで行った事は無いけどね、その近くまでなら行った事はあるわ」

 

 そう答えたのは魔人シルキィ。派閥内で一番耐久力がある事を自負する彼女は、専ら調査目的で一度死の大地へと進んだ経験がある。

 その灰は彼女自慢の頑強な装甲に阻まれ、内部のシルキィに被害が及ぶ事は無かったのだが、次第にその装甲自体が溶け始めてしまい慌てて引き返す事となった経験があった。

 

「シルキィちゃん、それって何時の事だ?」

「……ええと、確か死の大地が出来てすぐの事だから……5、6年くらい前かしら」

「だろ? それはもう昔の話だろ? なら今はもう元通りに直ってるかもしれんではないか」

「な、直ってるって……」

 

 そんなまさか、とシルキィはすぐに眉を顰める。

 そもそも数ヶ月前にホーネットがペンゲラツリーで魔人バボラと戦った際、その都市内で灰の影響を受けたと言っていたのだ。だとしたら今もまだ死の大地は治癒していないはずである。

 

「それにこっちの道がグッドなのはそれだけじゃないぞ、こっちはケッセルリンクの城からも離れているからな。さすがにこっちを通ればあのキザ野郎だって出張って来る事はねーだろう」

「……まぁ、それはそうかもね。殊更来たいような場所でも無いでしょうし。けど……」

「けどじゃない。とにかく一度行ってみるぞ。ここに居たって埒が明かねーからな」

 

 相変わらずランスは意見を変えない。

 その頑固な態度を目の当たりにしたシルキィは、

 

「……ちょっと待ってね、ランスさん」

「あん?」

「サテラ、こっちこっち」

 

 こそこそっとランスから少し距離を取ると、同僚を呼び寄せての緊急作戦会議。

 

「ランスは本気だぞ。どうするシルキィ。さすがに死の大地に行くのは不味いだろう」

「私達はともかくとして、ランスさんとシィルさんは人間だものね。……けど、うーん……」

 

 二人の魔人は額を寄せ、ひそひそ声で話し合う。

 これから始まるのはあまりにも危険な行動。彼女達は他ならぬランス達の身を案じて止めようとしているのだが、悲しくもその思いは伝わらない。

 この困ったリーダーをどうやって考え直させるか、二人は色々と悩んではみたのだが。

 

「……仕方無いわね。行ってみましょうか」

 

 やっぱりそれは困難な事。やる方なしといった表情のシルキィがそう宣言した。

 

「おい、本気かシルキィ!?」

「うん。だってランスさん言っても聞かないし。それにね、ここで私達が無理やり止めたとしても、その内に一人で勝手に行っちゃいそうじゃない?」

「それは……確かに……」

「でしょ? だったらここで私達と一緒に行った方がまだマシだと思うのよ」

「……それもそうだな。なら、ある程度手前で引き返す感じか?」

「うん、そんな感じで」

 

 かなり後ろ向きな思考だが意見は纏まった。

 目を合わせた二人はこくりと頷き、そして。

 

「……ランスさん、分かったわ。そこまで言うなら行ってみましょう」

「お。ようやく乗り気になったか」

「けれど行くのは死の大地じゃなくて、その手前のペンゲラツリーまで。それで良いわね?」

「あん? それじゃ意味ねーだろ。目的はその先にあるヤツらの本拠地……」

「大丈夫よ」

 

 シルキィはランスの言葉を遮るように告げ、そして念押しするようにもう一度。

 

「ペンゲラツリーまで行けば大丈夫。そうすれば死の大地がどういうものなのか、貴方にもきっと理解出来ると思うから」

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 魔界都市ペンゲラツリー。

 その都市は魔物界の南西部、大陸の端ぎりぎりに位置している。

 先程ランス達が居た拠点、魔界都市ビューティーツリーから程近く、うし車を全力で飛ばせば数時間で到着可能な距離である。

 

 

「……全くサテラもシルキィも、灰だなんだと大げさな奴らだ。なぁシィルよ」

「え、えぇと……」

「大体これは戦争だぞ。んなもんを怖れて殺し合いが出来るかっての。なぁシィルよ」

「そ、そうですね……」

 

 カタコトと揺れるうし車の荷台の中、ランスはいつも通りの偉そうな様子で口を開く。

 その隣で困ったように相槌を打つシィル、むっとした顔で沈黙するサテラとシーザー。

 そしてうし車を操縦するシルキィも含めて全員、出発した直後はその様子に変化など無かった。

 

 

 しかし出発してから一時間程。

 道のりの半分近くに差し掛かった頃。

 

「……にしても、この辺は雑魚共の姿が見えんな。カスケード・バウにはうじゃうじゃ居たのに」

「それはそうだろう。ケイブリス派もホーネット派も、いや派閥に関係の無い魔物達だって、死の大地方面には近付きたくないだろうからな」

「ふむ、そーいうもんか。つーかだったら尚更こっちの道の方が楽じゃねーか」

 

 荷台の中から外の光景を眺め、サテラと会話していたランスの身に最初の変化が訪れる。

 

「……ん?」

「どうしました、ランス様?」

「いや、なんか目が……ゴミでも入ったか?」

 

 突然ちくっとした痛みが走り、ランスは右目をその手で押さえる。

 そんな様子に気付いたのか、うし達の手綱を引いていたシルキィが口を開く。

 

「……それ。死の灰の影響かもね」

「え、これが?」

「うん。死の灰は風に乗って流れるって話だし、それならここら辺まで届いていてもおかしくないわ。今日は風も強いしね」

「……ほーん、これがねぇ……。つっても目が痛む程度なら大した事ねーじゃねーか」

 

 ごしごしと目元を擦りながら、まだランスはいつも通りの調子で答える。

 実際この時はほんの一瞬僅かな痛みを感じただけで、その言葉通り大した問題は無かった。

 しかし風に乗って流れる灰の量は、当然ながら目的地に近付く程に増えていくものであって。

 

 

 そして出発してから二時間と少し。

 そろそろ目的地の姿が見えてきた頃。

 

「なんか……喉がヒリヒリするのだが」

「……ランス様、私、ちょっと頭痛がします」

「……なぁシルキィ、これって多分……」

「うん。間違いないと思う」

 

 次第にランスとシィルは体調の変化を訴え始め、二人の魔人はその原因に確信を持つ。

 死の大地から流れてくる死の灰、それはまだ微量ながらも確実に空気中を漂っており、吸い込んだ人間二人の身体に悪影響を及ぼし始めていた。

 

「……ねぇランスさん。もうここら辺で引き返した方が良いんじゃない?」

「引き返すだぁ? んな訳あるか、勿論進むぞ」

「あのねぇ、もう体調が悪くなってきている自覚はあるんでしょう? けどこんなのはまだ序の口、進めば進む程に灰の量は増えて、今より更に身体への悪影響は増していくわよ」

「……ぬ。……いや、それでも行く」

 

 今より更に身体への悪影響は増す。

 その言葉にランスは一瞬だけ怯んだものの、しかしその考えはまだまだ変わらず。

 

 

 

 

 

 そしてそれから三十分程。

 ランス達を乗せたうし車は死の大地の手前にある魔界都市、ペンゲラツリーに到着した。

 荷台から下りた一同の視界にまず飛び込んできたのは、この都市ならではの象徴的な光景。

 

「……あ、枯れてる……。木が枯れてますよ、ランス様」

 

 そう言ってシィルが指差したのは都市の中央、そこに生える巨大な樹木の変わり果てた姿。

 本来なら空を覆う程に葉を繁らせ、幹や根元から食料を無限に供給する世界樹。

 だがペンゲラツリーの世界樹は完全に枯れ果てており、黒く炭化した無残な姿を晒していた。

 

「お、ホントだ。あれってどの都市にもあるクソデカい木だよな。ここは火事でもあったのか?」

「あれは死の灰の影響で枯れちゃったのよ。その後ここで大きな戦いがあったっていう話だから、その影響もあるんでしょうけどね」

 

 ここで起きた大きな戦い。それはホーネット派の主がケイブリス派の魔人数体の奇襲を受け、そして敗北を喫したあの戦いの事。

 殊更取り上げたい話題では無いのか、シルキィはあえて深く触れずに話を逸らす。

 

「……それより二人共、体調は大丈夫なの?」

「うむ、問題ないぞ」

 

 ランスはいつも通り平然とした様子で答えたが、

 

「………………」

「……シルキィちゃん、その目はなんだ」

 

 そんな男の顔色を、魔人四天王のじとーっとした目付きが睨む。

 

「……本当に平気なの?」

「本当だとも」

 

 表情こそ不変を貫いていたのだが、しかしその言葉は完全なる嘘っぱち。

 先程から目の痛みも喉の痛みも増してきているし、指先にもちりちりとした痺れがある。

 けれどもそんなものは無視。自分から言い出した手前こんな所でギブアップとは口に出来ず、ランスはやせ我慢全開で普段通りを取り繕っていた。

 

「……ならシィルさん、貴女はどう?」

「あ、私はちょっと頭が痛くて、それに何だか吐き気もしてきて……」

「シィーール!! 俺様が問題無いのならお前も問題ないはずだ。そうだよな?」

「う、うぅ……はい。問題無いです……くすん」

 

 軟弱な事を言いたがる奴隷を黙らせ、ランスは巨大な枯れ木の奥を睨む。

 

「ここを越えりゃあ死の大地に着くんだろ? 少し休憩したらすぐに進むぞ」

 

 このペンゲラツリーを南の方角に抜ければ、いよいよ死の大地が見えてくる。

 そしてその先に進めばケイブリス派の本拠地、タンザモンザツリーへと辿り着く。

 ランスにとっての目的地はそこ。このまま南へと進み続けて、本拠地で胡座をかいているだろうケイブリスをたたっ斬る。

 そして今日明日でこの派閥戦争を終わらせてやろうじゃないかと、そこまで考えていたのだが。

 

「………………」

「………………」

 

 しかしランス以外の者、特に二名の魔人にとってはここが目的地、すでに旅の終点である。

 

「……どうするシルキィ、ランスは進む気だぞ」

「……そうね。どうしようかしらね」

 

 サテラとシルキィ、二人の魔人はランスから少し距離を取るとひそひそ声で話し合う。

 すでに出発前に予定していた場所、ここで撤退すると決めていた地点まで到着してしまった。

 灰の影響は完全には解明されておらず、まだまだ不明な点も多い。それこそ後遺症でも残ったら大変な為、二人は一刻も早く引き返したかったのだが、しかし彼女達のリーダーがそれを許してくれない。

 

「さすがにここまでくれば、ランスさんも引き返す気になってくれると思ったんだけど……」

 

 このペンゲラツリーまで来たなら、あの枯れ果てた世界樹の悲惨な姿を目にしたなら、死の灰の恐ろしさをきっと理解出来るだろう。

 そう思ってここ都市まで来たのだが、しかしどうやらランスは理解出来ないのか、それとも理解してはいるが止まらないのか。自らの予測の甘さを反省する事となったシルキィは、

 

「いっその事、ランスを引っ叩いて気絶させて連れ帰るしかないんじゃないか?」

 

 そんなサテラの乱暴な提案を受けても、

 

「……うん。もうそうするしかないかもね」

 

 本当なら駄目と言うはずなのだが、ついつい頷きたくなってしまう。

 

「灰の影響は確実に出ているはずなのに……本当に強情な人なんだから……」

「全くだ。というかサテラだってここに到着してから何だか体調が悪くなってきた気がするぞ」

「そうね、実は私もここに着いてから少し……そろそろリトルを装備しようかしら」

「……はっ! そういえばこの灰の影響で、シーザーが溶け始めたりしないだろうな?」

「死の大地そのものならともかく、ここならまだ大丈夫じゃない? ……多分だけど」

 

 二人がそれ程にこの都市から撤退したがるのは、やはり死の灰への懸念故。

 目に見えない程に微細であって、どのような影響があるかもよく分からない灰は、魔人である彼女達にとっても十分脅威に値するものであるらしい。

 二人共に少し不安の見える表情で、あれこれ会話を交わしていたのだが。

 

「あ、サテラ。ランスさん達もう歩き出してるわ。ほら、あんな遠くに」

「なに? 本当だ。何処に行く気だあの二人は……シーザー、お前も早く来い」

「ハイ、サテラ様」

 

 ふと彼女達が気付いた時には、すでにランスとシィルの姿は遠くの方にあった。

 二人と一体は慌てて後を追い掛けて、程なく追い付いたその背中に向けて声を掛ける。

 

「ちょっとランスさん、何処へ行く気なの?」

「別に何処へも行かん、ただの散歩じゃ。少しばかしこの灰に身体を慣らそうと思ってな」

「……ていう事は、あくまで死の大地へと進むつもりなのね」

「おう」

 

 歩く足を止めずにランスは即答で返事を返す。

「身体が慣れる前にぶっ倒れるのがオチだ」とそんなサテラの呟きが聞こえたような気もしたが、一切聞こえないフリをしてランスはきょろきょろと辺りの景色に目を向ける。

 

「……しっかし、なんかここはボロボロだな。見たところだーれも住んでないし」

「ペンゲラツリーは肝心の世界樹が枯れちゃったからね。そうなるともう食料が取れないの、それで魔物達は全員ここから移動しちゃったのよ」

 

 散歩に興じる彼等の周囲一帯、枯れた魔界都市は見るも無残な姿。

 大小様々な大きさの薄汚れたテントの残骸や、世界樹から剥がれ落ちたと思わしき幹の破片や枯れた葉など転がっている。

 特にここで起きた魔人達の大激戦、その戦闘の余波で更に荒廃が進んでおり、その景色はもはやゴミが多いだけの荒野と然程の違いが無い。

 

「魔界都市ってのはどこもあんましオモロイもんが無いが、ここは輪をかけて酷いな」

「……そうね。……けどそれよりもランスさん」

「なんじゃい」

「いい加減ビューティーツリーに戻りましょう? 死の灰は本当に、本当に危険なのよ。命を落としてからじゃ遅いでしょう?」

 

 いつにも増して真摯な表情の魔人四天王。その悲痛な訴えを受けて、

 

「……ぬぅ」

 

 一度その歩みを止めたランスだったが、

 

「……いや、もうちょっと進む」

 

 しかしすぐにその歩みを再開する。

 勿論ランスとて死にたい訳では無い。そして何も死の灰の効力を軽視している訳でもない。シルキィ達がここまで言うからには本当に危険なのだろうと理解はしている。

 それでも引く気分にならない理由。それはこちらも駄目となると、あのカスケード・バウを越えねばならないからである。

 

 片方は大量の雑魚と待ち受ける魔人四天王。そしてもう片方は生物を殺すという死の灰。

 どちらの攻略が楽かは悩ましい所であるが、どちらも同等に困難な事には変わり無い。

 故にランスは昨日の荒野踏破の際と同じく、ぎりぎりまで撤退はしないと決めていたのだった。

 

 

 

 そしてその後小一時間程。

 一行は枯れた都市内の散歩を続けていたのだが。

 

 

「……おやん?」

 

 唐突にそんな声を上げたのは、ランスの腰に下げられている剣。

 今まで昼寝でもしていたのか、一言も発していなかった魔剣カオスである。

 

「……あれれれ? うぬぬぬ~ん?」

「なんだカオス。急に不気味な声を出すな」

「いやね、何かさぁ……うん? うぅぅ~ん??」

 

 その魔剣は何か腑に落ちない事があるのか、鍔にあるその両目を意味深に歪ませる。

 

「……なぁ心の友よ。ちょいと聞きたいんだけどもさ、3人でいいんだっけかね?」

「3人? って何がだよ」

「あんたがここに連れてきた魔人の数さ。確か3人だったよな?」

「あぁ、それなら3人……じゃねぇな。ハウゼルちゃんは抜けちまったから、今は後ろに居るサテラとシルキィちゃんの2人だけだ」

 

 ランスのそんな返答を受けて、その魔剣は「え、二人なん?」と驚いたように呟いて、

 

「だとするとおかしい。近くにもう一体おるぞ」

 

 そして急に真面目な声色になってそう告げた。

 彼は魔剣としての特殊能力により、他の者達には気付けないその事実をいち早く察知していた。

 

「もう一体だ? 何処のどいつだよそれは」

「そりゃあ……どっかの誰かさん?」

「なんだそりゃ。お前の勘違いかなんかだろ。あ、それともハウゼルちゃんが戻ってきたかな」

 

 カオスの指摘を受けても気にした様子は無く、ランスは変わらない調子で歩を進める。

 

 しかしその歩みが止まったのはすぐ直後の事。

 それは元々デカントが使用していたのだろうか、視界を遮る程に巨大なテントの残骸。

 その横を通り過ぎた事で、それまで遮られていた視界が一気に開ける。

 

 するとそこに何かがあった。

 

 

「んあ? なんじゃこれ?」

 

 最初ランスはそこにあるものの正体に、その存在に気付く事が出来なかった。

 

 

「……オォーウ?」

 

 何度か聞いた事のあるそんな声を聞いてもまだ、何かを思い出す事は無かった。

 

 だが。

 

 

「ランスッ!! そいつから離れろッ!!!」

 

 血相を変えたサテラの声。

 

 

「ッ!」

 

 その隣では、息を飲んだシルキィが瞬時に魔法具の装甲を展開する。

 

 

 そこにあるもの。3メートル程の金属の巨体。

 そこにあるもの。それは闘神Γ《ガンマ》。

 そこにあるものに寄生しているもの、それは無数の触手を生やす紫色の眼球。

 

「……オォーーウ!! サ~テラ~!! シィ~ルキィ~~!!」

 

 予期していなかった突然の出会いに、その名の通りの赤い瞳が歓喜の声を上げる。

 それと同時に爆発的な魔力の高まりが生じ、すぐに具体的な脅威の形へと変わっていく。

 

 そこにいた魔人、レッドアイ。

 

 こうして遭遇してしまった以上、言うまでも無く戦闘となった。

 

 

 

 

 


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