魔物界中部の西端。
魔界都市ビューティーツリーと魔界都市キトゥイツリーの丁度中間点にある地点。
その森林地帯を駆け抜けていく影が一つ。
「………………」
周囲に浮かぶ6つの魔法球が特徴的な姿、それは魔人ホーネット。
先程強敵との戦いを終えたばかりになるが、彼女の表情に疲労の色はまるで見えない。
「……くっ」
ただその代わりに焦りの色が見て取れる。
「……レッドアイ」
そうして呟くのは先程まで戦っていた敵の名。
先程の戦闘の結果を受けて、今のホーネットの胸中には強い焦燥の念が渦巻いていた。
(……レッドアイは何処に……!)
長年苦慮させられてきた宿敵との決戦。その戦いは最終的にレッドアイの寄生体の破壊に成功し、遂に勝敗が決したかのように思えた。
しかしその寄生体が大爆発を起こした最中、いつの間にかレッドアイは戦場から逃亡していた。あの戦場跡にレッドアイの魔血魂が残されていなかった以上そう考えるしか無い。
(……何という失態。決着をあの二人に任せなければ……という問題でもありませんね)
この不始末はハウゼルとサイゼルが仕損じた結果だと、そう責める気にはならない。仮にあの二人が「仲良しビーム」なる魔法を放たずとも、やがて似たような事が起きていたはずだからだ。
これは最後の一撃どうこうでは無く、むしろその後に逃亡を許してしまった事が問題。つまり自分を含むあの場に揃っていたホーネット派魔人全員にその責任がある。
故に今こうして周囲を注視しながら森を駆けるホーネットに限らず、あの場で戦っていたサテラ、シルキィ、ハウゼルとサイゼルまでもがレッドアイの行方を必死に捜索している最中であった。
(……何にせよ、ここでレッドアイを取り逃がす訳にはいきません)
先程の戦闘、あれは魔人レッドアイを討ち取る絶好の機会だった。寄生体である闘神Γの破壊に成功した事からもそれは明らかな事。
こんな好機は恐らく次と無い。入念な罠を仕込んで圧倒的優位な状況に誘い込んだというのに、ここでレッドアイを取り逃すような事があってはまさに画竜点睛を欠くというもの。
(何としてもレッドアイを見つけなければ……!)
魔人レッドアイはこれまでホーネット派に一番被害を与えてきた存在。その好戦的で残虐な性格も加味すると一番厄介な相手と言ってもいい。
そんな宿敵をこの場で打ち取れるかどうか、それはこの先の派閥戦争の趨勢にも大きく関わってくる事柄となる。
そしてなにより。ここでレッドアイを打ち損じたとしたら自分は彼に何と言えばいいのか。
レッドアイが探していたロナという少女を救い出し、今回の罠を考えてくれた彼に、「ヤツとの戦いはお前達に任せる」と全てを託してくれたランスに合わせる顔が無いではないか。
「……はっ、はぁ……!」
息も上がる速度で駆けながら、ホーネットは胸の焼けるような焦燥感にその表情を歪ませる。
レッドアイは何処に逃げたのか。
まだ時間的にそう遠くには行けないはず、必ずこの付近に居るはずだ。
しかしあの魔人の魔法LV3という驚異的な才能を加味すると、とっくに何らかの魔法でこの場から離脱している可能性も否定はし難い。
だとしたらもう時既に遅し。自分達は致命的な失敗を犯してしまったのか。
そんな悲観的な心境のまま付近を探し回っていたその時、ホーネットの耳が遠くの方から聞こえた何かの音を捉えた。
「今のは……」
それはドスンと地面を打ち付けるような衝撃音。
あるいは何か硬いものが壊れるような破砕音。
「……っ」
半ば直感のようなものだが、ホーネットはそれが目的の相手だと判断した。
すぐにその方向へ向き直ると、道行く障害物を蹴散らす勢いで一直線に走っていく。
そうして進む事しばらくして、魔人筆頭の瞳にその光景が飛び込んできた。
「あれは……」
◇ ◇ ◇
「ウケケケケケケケーー!!」
狂ったように嗤う耳障りな声。
それと共に振るわれる巨木のように太い二の腕、鉄の塊のような拳。
「──くっ!!」
その一撃を、喰らえば必殺の一撃となる拳をランスは低くしゃがみ込む事で回避する。
その背後にあった樹木が2,3本まとめてへし折られていく中、転がるようにして避難し相手と十分な距離を保つ。
それは史上類を見ない程に強力な魔物。
魔界において災害と称される程の魔物、その名はトッポス。
そして宝石の魔人レッドアイ。
魔法LV3という才能を持つ相手、寄生能力を有するケイブリス派屈指の強敵。
そして今、そんなレッドアイがそんなトッポスに寄生して自らの手足としている。
つまり今、ランスが対峙しているのはそんな驚異的な組み合わせの相手となる。
「つーかコイツはさっきホーネット達と戦ってたんちゃうんかい!! なんで俺様が戦う羽目になってんだっつーの!!」
見覚えのある魔物にくっ付く見覚えのある目玉、嫌な記憶が思い起こされてしまうその姿。
トッポスに寄生した魔人レッドアイを前にして、さすがのランスもこの運命の悪戯のような展開に文句を付けたい気分で一杯である。
「ランスよ、こりゃさすがに相手が悪すぎる!! ここは一旦下がれ!!」
そして普段なら魔人との遭遇にテンションを上げる魔剣カオスとて、この時は持ち主に対し即急な戦略的撤退を提案していた。
トッポスについて詳しく知らないカオスでもその驚異は一目見れば分かるもので、ならばレッドアイとの組み合わせが危険な事も言うに及ばず。
「いくら心の友でもこりゃキツい、魔人との一対一はさすがに無謀だ!!」
「チィ……!」
そしてなにより今ここにはランスの味方が誰も居らず、魔人との完全なるタイマン状態。
ランスはこれまで何体もの魔人を討伐してきた。とはいえさすがに一対一の状況下で勝利した事は無く、どんな時にも必ずその周囲に数名から多い時には数十名の心強い味方が揃っていた。
すでに人類の中ではトップクラスの実力を誇るランスとて、依然として魔人との間には厳然たる力の隔たりが存在する。基本的に魔人とは人間が一対一で戦えるような相手では無い。
そう理解しているが故にカオスは逃げろと叫び、ランスも内心そうしたいのは山々、というかすでに背を向けて逃げ出してはいたのだが。
「ステ~~イ!! そこなヒューマン、ド~ントムーブ!!」
しかし襲い掛かる相手がそうさせてはくれない。
その3mを越す巨体も相まって一見すると鈍重そうなトッポスだが、軽々と跳躍したりと見かけによらない敏捷性を有しており、逃げようとしても中々振り切れるような相手では無い。
「こ、こりゃマズい……ならとにかく時間を、時間を稼ぐんじゃ心の友! 近くには仲間の魔人達も来ているはずだ!」
「……ぐぬぬ、この俺様が時間稼ぎとは……!」
やがて逃げ切るのは無理だと判断したのか、ランスは足を止めてその魔人と対峙する。
逃げ切れない以上もはや戦うのみ。勝ち目があるかどうかはともかく、時間さえ稼げばその内にホーネット達も駆け付けてくる。そしたらまた四方を囲んで袋叩きにしてやればいい。
とそんな覚悟を決めたランスの耳に、レッドアイの不気味な程に優しい声が響く。
「……あ~、ヒューマン。ユーはラッキーよ。今日のユーはベリーベリーラッキーね」
「あぁ!? なんの事だ!」
「ユーはなんと一人目よ。ミーのおニューなボディのお披露目、闘神ボディを超えるハイパーエクセレントなこのボディのパワーを誰よりも早くルック出来る。これハッピーちゅうヤツちゃうか?」
先程寄生したばかりの魔物、トッポスの頭部に絡み付いている赤い目玉。
自身こそがその新しい寄生体の強さを心底楽しみにしているのか、たまたま見つけた人間に語り掛けながらレッドアイはにこりと笑って。
「だ~か~ら~ヒューマン、ユーの命でミーの新しいボディのテストさせるよろし。そしてユーの悲鳴をプリーズッ!!!」
そんな死刑宣告と共に再びその巨体が動き出す。
大地が捲れる程に強く足を蹴り出して突進、その勢いのまま突き出される巨木のような二の腕。
「おっと!」
真っ直ぐ飛んできたそれをランスは真横に軽くステップ、若干の余裕をもって回避する。
だが振り向いたのちにすぐ飛んでくる反対の腕、トッポスの岩をも粉砕する剛拳。
「くっ!」
再度ランスはステップで躱す。際どいコースだったが紙一重の差で回避に成功する。
だがトッポスの猛攻は続く。高々と真上に掲げた拳、それは5mの高さを越え、超高速でランスに向かって振り下ろさせる。
「──ぐぬっ!」
今度は紙一重の差で躱せないコースだったが、ランスは魔剣の刀身を当ててその攻撃軌道を無理やり逸らす。二の腕に途轍もない衝撃が襲うが、際どい所で直撃を避ける事には成功する。
「危ねぇ、死ぬかと思った……!」
「んっんー。ヒューマン、そう粘る必要はナッシンよ。ユーは早くダイするだけでオッケーね」
命からがらといったランスの一方、それはまるで駄々をこねる子供を諭すかのような声色で。
この時はまだレッドアイも余裕綽々、さも悠然と構えていたのだが。
「この……舐めんなよキチガイヤローが!!」
次第にその余裕には変化が訪れていく事になる。
その理由はこうして今対峙している相手、レッドアイにとってはトッポスの力試しをする為の単なる的のようにしか見えていないその相手、ランスという男が秘める真価にあった。
「けーけけけけけけ!!」
そして再び振るわれる巨拳。ごう、と風が唸りを上げる程の一撃。
それをランスはぎりぎりまで引き付け、身体を大きく反らして寸での所で躱してみせる。
「お~、ファンタスティーック!」
その見切りの技にレッドアイは率直な称賛を述べたものの、しかしその猛攻は止まらない。
ならばと繰り出されたのは両の拳でのラッシュ。二度、三度と続けざまに迫る大砲のような拳。
だがランスはそれをも躱してみせる。その都度バックステップで後退し、ほんの僅かな回避の隙間を見つけては身体を上手に逃がしていく。
「……ヌー、ならこっちはどうか!?」
横への攻撃では手応えが無いと感じたのか、そこでトッポスは強く地を蹴った。その巨体には似合わない程に高々と、かつ身軽な跳躍でもって標的を踏み潰さんと迫る。
そして落下してくるトッポスの両足スタンプ。大地が揺れたと錯覚する程の衝撃が伝うが、落下地点を瞬時に読み切って飛び退いたランスを潰すには至らない。
「……グヌヌー!!」
遂には苛立ちを隠さず唸り声を上げて、その勢いは更に増していく。
だがそうして幾度と振るわれる巨木のような二の腕も、大砲のようなその拳も。
どれだけ放っても全てがランスには命中せず、虚しく空を切るのみで。
「ファーック!! なーぜヒットしな~い!! 早くキル・あなたしたいのにー!!」
猛る宝石の魔人の赤き瞳に映るもの、謎の人間が披露する華麗な回避の技の数々。
一見するとランスらしくないその戦い方、それはレッドアイ以外の者も目を疑うような光景で。
「うおぉ!? どしたん心の友!? あんた今日キレッキレじゃないのよ!!」
思わず魔剣カオスも望外の驚きと共にその持ち主を称賛する。
今日のランスの動きはまさに神懸かっていた。まるで戦いを極めた達人かのようにギリギリでの回避の連発、相手の攻撃を完全に読み切っているとしか思えないような身のこなし。
そもそもランスはもっと攻撃に比重を置いた戦い方を好んでおり、このように回避に専念した動きをする事自体がカオスからすれば驚きであった。
「けっ! 俺様を誰だと思ってやがる!! この程度なんて事ないわ!!」
そんないつもとは一味も二味も違うランス。
今も繰り出されるトッポスの拳に対して見事なステップ、見事な回避を披露しながら、常と変わらない不遜な態度で言い返す。
「……つーかな!! 三度目ともなりゃあさすがに慣れるっつーの!!」
それは前回の第二次魔人戦争で、今はやり直しとなってしまったあの戦争で手に入れたもの。
あの過酷な戦争の中で魔人討伐隊を指揮し、その先頭に立ち激戦を乗り越えてきた事によってランスの身に蓄積していた知識と経験。
トッポスに寄生した魔人レッドアイ。ランスはこの相手と過去に二度程戦った経験がある。
ランスにとっての戦いというのは基本的に生か死かという実戦であり、全てが真剣勝負。そして真剣勝負である以上、決着が付いた時にはどちらかが死んでいるはずであり、前回の時の初戦はランスがそうなっていてもおかしく無い程の敗戦だった。
その一度目の敗戦。そしてその敗戦を受けての二度目の戦いでの勝利。
それらを経て今、過去の世界に戻ったが故の一度倒した相手との三度目の衝突。
三度目となればそこに新鮮さや目新しさは無く、今更気後れするような事など何も無い。
こうして襲い掛かってくるトッポスが繰り出す強力無比な攻撃、そのどれもがランスにとっては何度も見た事があるものでしかないのだ。
「レッドアイッ! テメェの攻撃なんざぁとっくに見切ってんだ!! そう何度も何度も俺様の前でデカい顔が出来ると思うな!!」
どうでもいい事はポンポンと忘れていくランスでもさすがに歴戦の戦士だけあって、戦闘に関する事は身体に染み付いていて忘れようが無い。
その貴重な知識と経験の蓄積、そして何よりもランスという男が秘める高い戦闘センス。その2つが合わさる事で綱渡りのようなぎりぎりの攻防ではあるものの、それでも人間と魔人のタイマンという無謀な戦いを何とか成立させていた。
「ファーック! クソッたれヒューマン、ドントムーブね!!」
「アホが! 動くなっつってバカ正直に動かねーヤツがあるか!!」
例えばトッポスが繰り出すこの攻撃。巨木のように太い二の腕での全てを粉砕するパンチ。
この攻撃は防げない。仮に自分よりも防御力の高いガード職の者が防いだとしても、そのガードごと貫いてダウン状態に──一時的な戦闘不能状態に追い込まれてしまう程の一撃である。
前回での初戦ではこれを防ごうとしてしまったが最後、ガード職の者は倒れてパーティは半壊状態となり、結果敗北を喫する事となってしまった。
そうと理解しているが故に今のランスは決してその拳を受けようとはせず、先程からのように全てを躱し切る事に心血を注いでいた。
「無駄に逃げるのはノー!! ユーに勝ち目なんてナッシンなのだからとっととダーイッ!」
「……だから舐めんなっつってんだろ……!」
そして例えばトッポスの耐久性。それを知るランスは無駄な攻撃を繰り出す事も控えていた。
このトッポスという魔物はその攻撃力もさる事ながら、なによりもその耐久力が並外れている。
前回の二度目の戦いでレッドアイを倒した際、魔人討伐隊の面々で散々攻撃を与えていたにもかかわらず、正気に戻ったトッポスは平然とした様子で去っていったという出来事からも明らかな事で。
元より魔人でも倒す事を諦めるような魔物、前回のアニスや先の闘神Γ以上にこのトッポスという寄生体の撃破は不可能。
そうと理解しているランスは一先ず攻撃より回避に専念し、狙うはトッポスではなくその顔の上、この手で直接叩き潰してやりたかったその相手。
「──でりゃッ!!」
その掛け声とほぼ同時、「ギャ!」と甲高い声が聞こえて赤い目玉が苦痛に歪む。
下からすくい上げるような一撃、その大振りな攻撃を回避してのすれ違いざまの袈裟斬りが的確に命中し、レッドアイに残されている触手の一本を見事に断ち切っていた。
「ホワァァット!? なぜヒューマンが魔人のミーにダメージをォォオオオ!?」
「クカカカ! そりゃあ儂が魔人をたたっ斬る魔剣だからだ! ランスよ、なぜこんなイケイケなのかはよう分からんけどこのままやるんか!?」
「やるに決まってんだろ! もうコイツを見るのも飽き飽きだ、二度と視界に入れないで済むようここで確実にぶっ殺す!!」
「……グググゥ~!」
憎々しげに唸りを上げるレッドアイ。彼にとってこの戦闘は単なるテスト、新たな寄生体の性能を試してみようじゃないかと考えただけのもの。
その為に叩き潰そうと見つけた人間にここまで粘られるとは想定外、そして無敵結界まで貫かれて痛手を負うとは全くの想定外である。
そんな混乱と怒りに猛り狂い、レッドアイは更に激しく寄生体を動かす。だが激している分更に考えなしの攻撃となり、やっぱりランスには全て躱されてしまう。
「ファック! ファァック!! ファアアーーック!!!」
「当たんねぇっつってんだろが! テメェの攻撃は単調なんだよ!!」
特にレッドアイは肉体を持たぬ魔人。だからこそ強力な個体に寄生して戦うのだが、その動きの指示の出す肝心のレッドアイは近接戦闘に関する才能を何一つ有していない。
故にその戦法は手に入れた強大な力を闇雲に振り回すだけのもの。接近戦のエキスパートであるランスからすれば素人同然の動きで。
加えてそのブレインたるレッドアイの思考が壊滅的な所為か、判断力もお粗末なもの。ランスが回避の為にあえて隙を晒してみせれば、レッドアイは素直にそこに食いついてしまう。
罠と疑わず突っ込んでくるだけの戦い方、それもランスの回避行動を容易にさせている一因で。
仮にこの時、基本的に必中となる魔法を使ってみればランスとて手の打ちようが無かった。
しかし今のレッドアイはその事に気付ける程に冷静では無く、だからこそ乱雑に振るわれるトッポスの攻撃は回避の隙を与えてしまう。
「ガッデーーームゥ!! たかがヒューマン如きがァァアアア!!!」
「たかがじゃねぇ、俺様はランス様だッ!!」
とはいえそれは一つ間違えれば即致命傷、一撃一撃で神経をすり減らすような極限下の戦い。
だがランスは臆しない。一発食らうだけでミンチになりかねない巨拳が迫る中、そこに攻撃のチャンスがあると見たなら躊躇なく動く、足を前に踏み出す事が出来るのは英雄たる所以か。
「くたばれ、雑魚がッ!」
「ギャウッ! み、ミーの身体が……!!」
そうして踏み込んだ分より深く、魔剣の一閃が更に追加で2本の触手を両断する。
レッドアイの身体から伸びる触手は魔法の行使に不可欠なもので、このまま全ての触手を失えば寄生能力の維持すら危うくなってしまう。
「グ、グ、グググゥ……!!」
ここに来てレッドアイにもようやくの焦りが。
自分は単なる寄生体の実力テストをしているのでは無く、れっきとした殺し合いの中にいる。
下手すれば自分はここで死ぬ事となる可能性だってあるのだと、宝石の魔人が現状を正しく認識し直した、その時──
「──レッドアイッ!!」
戦いに転機が訪れた。
「オー?」
「あん?」
聞き覚えのある声が聞こえ、レッドアイとランスは自然とそちらに顔を向ける。
それはランスの背後、道の脇にある木々の合間から姿を現した相手、レッドアイにとっては今この状況で一番会いたくなかった相手。
「……オォー!? ユーはなんとホーネット!!」
それは先程まで戦っていた相手の一人、魔人ホーネット。
遠くの方で鳴る戦闘音を聞き付け、彼女は遂にこの場所まで辿り着いた。
「オーノォーッ! そういやユー達の事忘れてた、そもそもミーは今エスケープ中ね!」
最強の寄生体と奇跡の遭遇を果たした事ですっかり忘れていたが、先程自分は九死に一生を得て、そして今必死の逃亡をしている最中ではないか。
そんな我が身の置かれている危機的状況、それをようやく思い出したレッドアイをよそに、
「おぉっ! グッドなタイミングで来たなホーネット!! 今まさに俺様がヤツをぶっ殺す所だ、トドメの瞬間をそこで見ているがいい!!」
背後に現れたホーネットに対し、ランスはそんな台詞を投げ掛ける。
そしてトドメとなる必殺の一撃、それを放つ気力を全身に目一杯溜め込んで、そして。
「とぉーーーーうッ!!」
思いっきり高くジャンプ。
だがそれは先程までの合理的な思考では無く、見栄えを重視した思考から取った行動で。
言い換えるならば付け入る隙を──あってはいけない慢心を挟んだ攻撃で。
「……ニィ」
この時すでに頭の冷えていたレッドアイはその隙を見逃さなかった。
対峙していた男が地を蹴って高く跳躍した直後、その狂気を宿す赤い目玉が酷薄に歪む。
(──あ、まずい)
その表情の変化を見て、これは相当な危機的状況だとランスは率直に感じた。
いざ必殺の一撃を喰らえッ!! とカッコよくジャンプをしてみた。このままジャンピングランスアタックでキメればそりゃもうカッコいいシーンとなるのだが、しかし如何せん空中に飛んでしまうともう回避行動が取る事が出来ない。
この敵との戦闘は回避が命、その選択肢を自ら捨ててしまった事はまさに痛恨の極みである。
そして、そこからの数秒間に起きた出来事。
その間に各々の取った行動、それが結果的に戦いの勝敗を分ける事となった。
「けけけ! これはミーのビッグなチャーンス!」
大きく笑いながらレッドアイは迅速に動く。
それは近接戦闘に関する才能無き故か、ここでその目玉が選んだ選択肢──それは魔法だった。
まるで当たらないトッポスの攻撃はパス。性能のテストをするのは一旦置いておき、撃てば必中必殺となる自分自身の莫大な魔力で以てケリをつけようと考えた。
なにせ近接戦闘はからきしでも魔法なら得意中の得意。その事実を示すかのように、その赤い眼球の先に驚異的な速度で魔力が収束していく中、
「ランスッ!」
その光景を見て同じ判断をしたのか、ホーネットの切羽詰まった叫びが聞こえて。
同時にその周囲にある魔法球全てが輝き始める。6つの魔法球全てを使用して放つ大技、それは魔人筆頭の必殺魔法、六色破壊光線ただ一つ。
このままではランスが死ぬ。もはや後の事を考えている状況じゃない。今はただこの危機を打開し彼の命を守る為にと、ホーネットはこれまで封じてきた必殺魔法の使用を決意する。
しかし奇しくもこの時、レッドアイの方も同様の選択をしていて。
この時レッドアイが撃とうとしていたのは自身の必殺魔法、ミラクルストレートフラッシュ。
「──くッ!」
その魔力の収束、ホーネットにとっては疼痛を感じるような赤き光の輝き。
それによってこの地が死の大地となってしまう危険性などよりも、魔法の才で劣る分自分の魔法よりレッドアイの魔法が先に完成してしまう事。その事にホーネットは途方も無い絶望感を覚える。
「ぐぐぐっ、ヤバい……けどッ!!」
そして宙を翔ぶランスもその魔力の収束を目にしていたのだが、もはや下がる事も叶わず。
「っ、死ねーーー!!」
ならば先にトドメを刺したる! とそんな破れかぶれのようなノリで。
落下と共に必殺の一撃──ランスアタックを振り下ろす。
だがその魔剣の刃から衝撃波が発生するより、相手の魔法の完成の方が僅かに先だった。
「これがミーのヴィクトリーーッ!!」
赤い眼球の先から放たれた赤き光、必殺魔法ミラクルストレートフラッシュ。
そしてレッドアイは勝利を確信する。今まさに魔剣を振り下ろうとする人間を焼き殺さんと、白色破壊光線を優に超える殺傷力を持つ赤き光が迫る。
「──ヌゥッ!?」
瞬間、その男の前に現れた薄い光の膜。
赤き光はそれに包まれて、だがレッドアイの必殺魔法はそれをも貫いて。
「ぐ、げっ──」
そしてランスに直撃した。
赤き光がその鎧を、その服を、その肉体を容赦なく焼き焦がしていく。
「がぁ、あ──ッ!!」
視界が赤く染まって明滅する。
身体が掻き毟られるように痛み、血の味が喉の奥から逆流してくる。
そのダメージは計り知れず、ここで死んでもなんらおかしくはなかったのだが。
「──ッ、こんな、もん……!」
掠れた声だが、それでもしっかりと聞こえる声。
その直撃を受けても尚ランスは生きていた。まだその意識を手放してはいなかった。
(こんな、所で……!)
こんな見ず知らずの森の中で、こんな道半ばにして死ぬ訳にはいかない。
大体すぐそこにいるホーネットの事だってまだ抱いてもいないのに、それなのにこんな所でくたばってしまう訳にはいかない。
(こんな、雑魚に……!)
そしてなにより自分は世界を救った男。
過去に一度、ケイブリス派に属する全ての魔人を討伐し尽くした英雄。
そんな自分が、そんな英雄が、たかが魔人レッドアイ如きに殺されるなどあってはならない。
その意志と矜持の強さ。魔人レッドアイのそれを遥かに上回る精神力の強靭さが勝負を分けた。
ランスはぐっと歯を食いしばり、感覚の薄れた左手が持つ魔剣を気合で握り直して。
「──俺様が、負けるかぁぁあああッ!!!」
そうして振り下ろされた必殺技。あらゆる敵を倒してきた渾身のランスアタック。
赤き光を割って衝撃波が走り、トッポスの頭上で無防備に晒されている赤い眼球まで届く。
「……ぴっ」
そして衝撃波がその巨体の上を一直線に走り抜けた後、パリン、と軽快な音が聞こえて。
「ゲ……ゲ……ゲゲゲ……!」
魔人レッドアイの本体たる宝石部分、それがものの見事に真っ二つに割れていた。
「ぐ、ゲゲ……み、ミーが、ヒューマン、に……」
自分を砕いたのは魔人筆頭では無く、たまたま見つけたよく分からない謎の人間。
レッドアイがその敗北の事実を認識した瞬間、身体が陽炎のように大きく揺らいで。
「──メ、メイクドラ~~マァァアアア~~!!」
その相変わらずな叫びが最後の言葉。
消滅の間際まで耳障りな雑音を残して、魔人レッドアイは物言わぬ魔血魂となった。
「……ぐへ」
そしてランスももはや限界。
すたっと着地したものの足に力がまるで入らず、そのまま崩れるように背後へ倒れた。
「ランスっ!」
その姿を見たホーネットは血相を変えた様子で駆け寄り、ランスのすぐそばにしゃがみ込む。
「……ホーネット、お前ちょうどいい所に……は、早くヒーリングを……」
「えぇ、分かっています。本当に酷い怪我……」
そして目に入ったランスの様態、その怪我の痛ましさに彼女は表情を歪める。
ミラクルストレートフラッシュの直撃を受けた鎧は見事に溶解し、皮膚は真っ赤に爛れている。胸骨や肋骨なども折れているだろうと思える程、ランスの怪我は酷いものであった。
だが。
「けどまぁほれ、生きとる生きとる。……うむ、さっすが俺様だな」
他人事のようなセリフを呟きながら、ランスは鈍い動きでその左手を閉じたり開いてみたり。
それでもランスは生きていた。
呼吸もしっかりしているし、こうして喋れる程に意識もはっきりしている。
ランスが魔人レッドアイの必殺魔法を受けても死ななかった理由。
それはこの日までに高めてきたレベル、更には念の為にと準備してきた魔法耐性を高めた装備、そして何よりも一番の要因。
「……ホーネット、あれはお前の魔法か?」
「……えぇ、そうです」
紙一重でランスの生命を守ったもの。それは魔人ホーネットが展開した魔法バリア。
あの時、寸前で六色破壊光線の発動が間に合わないと判断した彼女は瞬時に詠唱を切り替え、レッドアイの魔法攻撃からその身を守る為の障壁、魔法バリアをランスに使用した。
呪文の詠唱に時間を要する必殺魔法では無く、防御の魔法を選択したからこそ、レッドアイの必殺魔法に先んじての発動に成功した。
そうして張られた薄い光の膜。それは本来なら魔法攻撃一発を完全に無効化する代物なのだが、それをも突き破ってみせたのはさすがに魔人レッドアイの必殺魔法、ミラクルストレートフラッシュと言った所か。
とはいえその赤き閃光は魔法バリアを突き破る際にその威力を大幅に減衰してしまい、結果それを食らったランスは首の皮一枚の所で死を免れた。
そして振り下ろされた必殺技、ランスアタックによって魔人レッドアイは討伐されたのだった。
「ふふん、見てたかホーネットよ。この俺様があの目玉を見事にたたっ斬る瞬間を」
「……勿論見ていましたよ。また貴方に助けられてしまいましたね」
ランスの胸に添えた手のひら、そこからヒーリングの柔らかな光を発しながら、ホーネットは殊更に穏やかな声、穏やかな表情で答える。
「その通り。またホーネット派を救う大活躍をしてしまったぜ。どうだホーネット、俺様はちょースゴいだろう。びっくりしたか?」
「そうですね……けれど、それ程びっくりはしていません。貴方が凄い人だという事はもう分かっていましたから」
「ほう、そーかそーか。お前も分かってきたじゃねーか、がーっはっは、あ、痛でででで……!」
高笑いをしたら傷に響いたのか、ランスは痛そうにその顔を顰める。
するとヒーリング中のホーネットから「ランス、今は安静に……」と真剣な声で窘められる。
魔人レッドアイとの激戦が終わった後。
先程までの喧騒が嘘のように過ぎ去った後。
地面に横たわるランスは暫くその格好のまま、魔人筆頭のヒーリングを受けていたのが。
「……おいホーネット」
ふいに半眼に開いた視線を向けながら、大層不満げにその口を開く。
「どうしました?」
「どうしました? じゃない。お前はさっきから何故そこに座っているのだ」
「……え?」
その言葉の意味が分からなかったのか、そこでホーネットは──横たわるランスの真横に座っている彼女は素の表情となる。
「あのな。地べたに寝そべる俺様の姿を見て何とも思わんのかお前は。普通こういう時はひざ枕をするに決まってんだろーが」
「……そう、なのですか?」
「そうなのだ。分かったら早くやれ。早くやらねーと俺様死ぬぞ」
「……ランス。そのような言い分で急かすのは止めてください」
こういう状況においてはひざ枕。魔人筆頭はそういう作法は知らなかったらしい。
ランスに急かされた彼女はヒーリングを持続したまま横たわるその頭を持ち上げて、その下に自分の太ももを滑らせる。
「……これで良いのですか?」
「うむ。苦しゅうない。やっぱ怪我した時には女の太ももに限るな」
頭の裏には先程までの硬い地面では無く、十分なハリがあってかつ柔らかな感触が。
普段は中々味わえない貴重な感覚、それに身を委ねているとランスはふと思う事があって。
「……うーむ」
現在、魔人筆頭の太ももを枕にして身体を寝かせているランス。
そのまま真上を向いた場合、その視界に映るのは目の前にあるふくよかな稜線。
「……ホーネット」
「なんですか?」
「お前、おっぱいデカいな」
「………………」
そんな明け透けな感想に対し、彼女は沈黙ののち「……ふぅ」と息を吐いて。
「……ランス、怪我は傷まないのですか?」
「ん? いやそりゃ痛むが。というかめちゃくちゃ痛くて死にそうだが」
「……死にそうな怪我を負っている今、よくそのような軽口が叩けますね」
「別に軽口じゃないぞ。俺様は本気でデカいなぁと思ったのだ。いよっと……」
すぐ目の前で大きな膨らみが待っている。ならばここで手を出さないのは男が廃るというもの。
故にランスはその左手をゆっくりと持ち上げてみたのだが。
「……あー駄目だ。腕を動かすのがキツいー」
「ランス、今は身体を動かすべきではありません」
「くそー、ホーネットのおっぱいがこんな近くにあるのにー」
どうしても諦めきれないのか、ランスは必死の形相になって腕を持ち上げる。
ぐぐぐーっと手を伸ばし、後20cm, 後10cmと近づいていって。
「………………」
だがその膨らみに届く直前、ホーネットの手に掴まってしまう。
そして一切の情け容赦無く、すすすーっと元の位置へ戻されてしまった。
「……おいホーネットよ。こんな時くらいおっぱい触ったっていいだろ」
「……ランス。お願いですからこんな時くらい安静にしてください」
「いやいや違うんだって。お前のおっぱいを揉めば怪我が治るような気がするのだ」
「まさか。私の胸を揉むだけでこの怪我が治るなら苦労はしません」
「ちゃうちゃう、俺様の場合マジで治るから。だからちょっと触らせてみろって」
目の前にある大きなおっぱい目指して、ランスはぐぐぐーっと手を伸ばす。
だがやっぱりホーネットの手に捕まり、すすすーっと元の位置に戻されてしまう。
それは魔人レッドアイとの激戦の後。
他の者達が駆け付けてくるまで、ランスとホーネットはしばらくそんな事を繰り返していた。