ランス(9.5 IF)   作:ぐろり

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影響と変化

 

 

 

 それはぱくぱくというよりもガツガツと、まるで流し込むように飯を食らって。

 

「うし、ごっそさんっ!」

「はい。お粗末様でした、ランス様」

 

 きれいに平らげたどんぶりをテーブルに戻すと、笑顔のシィルが挨拶を返す。

 朝ごはんを食べ終わったランスは席から立ち上がって、近くにあった窓を全開にする。

 

「あぁ、今日はなんていい天気だ!」

 

 そこから覗ける魔物界の空。

 今日の空は一面に血をぶち撒けたかのように毒々しい真っ赤な色。

 

「いい天気……ですかね?」

「そうだとも! 見るからに素晴らしい天気じゃないか、シィル君!」

「は、はぁ……」

 

 思わずシィルが首を傾げてしまった通り、とても良い天気とは思えない空模様なのだが、それもランスから見れば晴れやかな天気となる。

 それは何故か。それは今のランスの心の中がこんなにも晴れ渡っているから。

 

 

「ふんふんふふ~ん~~♪」

 

 朝食を終えたランスは食後の散歩に興じる。

 その足取りはステップを踏むかのように軽やか、思わず鼻歌を歌いだす程に陽気で。

 

「お、かなみ君、おはよう!」

「お、おはよ……何だか今日は元気ね、ランス」

 

 そして道すがら出会う相手、その機嫌の良さに少し面食らった様子のかなみや、

 

「お、ウルザちゃん、おはよう!」

「おはようございます、ランスさん。……あぁ、その様子を見る限り昨日のあれは……」

 

 何かを察した様子のウルザに向けて、ランスは活き活きとした声で挨拶を交わす。

 

 今日のランスはとてもテンションが高かった。

 それは何故か。それは今日という日が昨日の次の日、つまりあの一件があった翌日だから。

 その余韻はあれから数時間経った今でも続き、おかげで今のランスはとてもグッドな気分。

 そんな朝っぱらからのハイテンションはその後昼過ぎまで変わらず続いて。

 

 

「ようガルティア! 元気か!」

「おぉランス、上機嫌じゃないか。というかあんたから名前を呼ばれたのって初めてかも……」

 

「ムシ野郎」というあだ名では無く、ちゃんとした名前で呼ばれた事に驚く魔人ガルティアや、

 

「ようメガラス! お前は相変わらず無口だな!」

「……っ!」

 

 まさか声を掛けられるとは思ってなかったのか、ビクッと肩を揺らす魔人メガラスなど。

 普段であればシカト間違い無し、そんな男魔人達にすら自ら声を掛けてしまう程で。

 

 今日のランスはとても浮かれていた。

 それは何故か。それはランスが遂に前人未到の偉業を成し遂げたから。

 その達成感、自分はスゴい事をやってやったんだという充実感は一向に途切れる事無く、遂には夕方頃まで変わらず続いて。

 

 

「ようサテラ! 今日もお前は相変わらずの敏感肌だなぁ! すりすりー!」

「わぁ! い、いきなり尻を撫でるな!」

 

 出会い頭のセクハラにその魔人──サテラは真っ赤な顔でぷんすかと怒って。

 

「ようハウゼルちゃん! 君は相変わらずの美人さんだなぁ!」

「ふふっ、ランスさん。今日は一段と元気ですね。何か良い事でもあったのですか?」

 

 挨拶代わりの褒め言葉にその魔人──ハウゼルは照れ笑いを浮かべて。

 

「ようシルキィちゃん! 今日の俺が何故こんなに上機嫌なのか、その理由を知りたいか!?」

「そうね、聞いてみたいかも。ランスさん、見るからに喋りたいなーって顔をしているし」

 

 そんな問い掛けにその魔人──シルキィは小さく頷きを返して。

 

 そして。

 

 

「それはな! 俺様は遂にホーネットの事を抱いてやったのだ! どーだ、凄いだろ!!」

「……それをこの私に向かって話す事に、一体どのような意図があるのですか」

 

 遂に打ち明けたそのハイテンションの理由。

 それを聞く羽目になったその魔人──ホーネットは頭痛を堪えるかのように顔を顰めた。

 

 

 

 視界一杯に広がる開放的な空間、薄い湯けむりが立ちのぼる石造りの湯船。

 そこはこの魔王城に設置された特別な場所、この世界の支配者たる魔王専用の浴室。

 

「やっぱ一日の終わりは風呂だよなー!」

「………………」

 

 ランスは今日、一日をとてもハッピーな気分で過ごしていた。

 するといつの間にかこの風呂場に来ていて、そしていつの間にかホーネットと混浴をしていた。

 

「にしてもいい湯だなー!」

「………………」

「本当にここの風呂は最高だなーっ!」

「……そうですね」

 

 両手をぐぐっと上に伸ばし、心地良さそうに湯加減を味わうその顔はとても晴れやかで。

 そんなハッピーテンションなランスと同様、彼女にとってもそれはつい昨日の出来事で。

 

「……しかし、貴方はもう当然のようにこの浴室に入ってきますね。それもあえてこの私が入っている頃合いを見計らって」

 

 入浴中に勝手に入ってくる、もしくは先回りをしている、それはもはや様式美のような流れ。

 とはいえ今日は昨日の翌日。昨日のあの出来事は未だ心に残るものが多く、正直今は顔を合わせ辛いというか、率直に言ってとても恥ずかしい。

 そんなホーネットはまともに目を合わせる事が出来ず、少し横を向いたままの姿でいたのだが、

 

「なんだぁホーネット、お前照れてんのか? 随分と可愛らしくなったじゃねーか、がははは!」

 

 その仕草の意味を正しく理解出来たのか、ランスはより上機嫌となって大仰に笑う。

 

「昨日あんなに何度もセックスしたのだ、今更こんな風呂ぐらいで照れる必要など無いだろうに」

「……別に、照れている訳では……」

「いーや照れてる。その顔は間違いなく照れてる」

「………………」

 

 どうやらランスも自分の表情を読み取るのに大分慣れてきた様子で。

 それ程に距離が近付いた事を喜ぶべきか、感情を隠せていない自らを嘆くべきか。ホーネットとしてはとても複雑な心境である。

 

「……にしても、貴方は相変わらずですね。昨日のような一件があっても何ら変わった様子が無いと言うか……」

「そりゃまぁな。それともなんだ、何か変わってて欲しかったのか?」

「いえ。むしろ変に変わっていない事に安心感を覚えました。良くも悪くも、貴方は貴方のままでいる方が魅力的に思えます」

 

 するとその口から聞こえた言葉。少しくすぐったさを感じるその言葉にランスは「……おぉ?」と軽く目を見開く。

 それは今までの彼女なら言いそうにない言葉、思わず耳を疑ってしまうような言葉で。

 

「ホーネット。お前はなんか……少し変わったような気もするぞ」

「……そうですか? 殊更に何かを変えたつもりは無いのですが……」

 

 その指摘に彼女自身は自覚的で無かったのか、不意を突かれたような表情になる。

 

「……ですが、そうですね」

 

 するとそれまで横に逸らしていた視線、その金色の瞳をようやく正面に居る相手と合わせた。

 

「………………」

「ん? どした?」

 

 そうして見つめていると感じるもの。自然とそうなっていく自らの変化。

 それが少し前まではトクトクと鼓動が速くなるような感じだったのだが、今ではじんわりと暖かくなるような感じで。

 こうして浸かっている湯船の熱とは別物、何か暖かいものが胸の内にあるのが分かる。

 

「……確かにそうですね。こういう部分に関しては変わったのかもしれません」

「こういう部分?」

「えぇ。……それに、これで必要以上にそういった事を悩む必要も無くなりました。このような心境になれただけでも貴方と夜を共にした意味はあったのだと思います」

「そういった事? おいホーネット、お前もうちょっと分かりやすいように喋れよ」

 

 一体何の事を指しているのか。発言の要点が掴めず首を傾げるランスの一方。

 ホーネットは自己完結しただけで分かりやすく説明してくれる事は無かったのだが。

 

「……そういえば……」

 

 そこで何かを思い出したらしく、その表情が形容し難い複雑なものへと変わっていく。

 

「……今になって振り返ると、その……あの時の事で少し気になった点があるのですが……」

「あの時って、昨日のセックスの事か?」

「……えぇ、その事です」

 

 あの時。それは魔人ホーネットにとって初体験となった夜。

 その時はまるで心に余裕が無く、そちらにまで目を向ける事が出来なかった。

 しかし一日経った今、あの初体験の中で起きていた事を冷静に振り返ってみると、あの時のランスについて、ひいては自分自身の事について、彼女には少し気になってしまう事があった。

 

 なのだが。

 

「……ランス。……あの時、貴方は、その……」

「おう、俺様がどうした」

「……いえ。何でもありません」

 

 しかしやっぱりこういう話は尋ね辛い。

 尋ねるべきかどうか少し悩んだ後、結局その口を閉じてしまった。

 

「何だホーネット、何か気になった事があったんじゃねーのか?」

「えぇ、ですが些細な事ですから。それによくよく考えると貴方に尋ねるような事でもありません。今度シルキィにでも聞いておきます」

「あー、確かにエロの事ならシルキィちゃんに聞けば間違い無しだな」

 

 こくこくと頷きながらランスが太鼓判を押せば、ホーネットも「シルキィは本当に物事をよく知っていますからね」と腹心たるあの魔人四天王に大いなる信頼を置く。

 こうしてホーネットが抱いた悩みはランスに打ち明けられる事は無く、結果シルキィにお鉢が回る事となってしまったのだが、それはともかく。

 

「あの時の事……か。そういや俺も今になって振り返ると思った事があるぞ」

 

 お次はランスがそんな事を言い始める。

 その顔は一応真面目なものだったのだが、しかしどこか企みを感じさせるような表情で。

 

「貴方も? 一体何が気になったのですか?」

「いやな、あの夜は最高だった。お前とのセックスは本当に気持ちよかったなーと思ってよ」

「………………」

 

 すると聞こえてきたのはそんな話、自分を抱いた事に対しての明け透けな感想。

 そんな話をわざわざ促した事に数秒で後悔したくなったホーネットは、はぁ、と嘆息する。

 

「……ランス。それはもうあの時に聞きました。今更ここで言うような話では無いでしょう」

「いやいや。こうして後から振り返ってこそ思う事もあるもんだぞ。現に俺様は一日経った今でもあの時の興奮が忘れられん」

「……そうですか」

「あぁそうなのだ。それこそこうしている今でも鮮明に思い出してしまうのだよ」

 

 言いながらランスはその横に回り、その華奢な肩に片腕を回す。

 

「なにを……」

「よっと」

 

 そして身動ぐホーネットに抵抗させじと、もう片方の手で相手の腕を掴む。

 あたかも身動きを封じるような、その行為の意図が嫌でも分かってしまったのか、その魔人の金色の瞳が僅かに揺らいだ。

 

「……何のつもりですか?」

「なぁホーネット。俺は今でも興奮しているぞ。それこそ今すぐにでもお前を味わいたいのだが、この気持ちをどうすればいいもんかな」

「……ラン、ス──」

 

 ──そのような事など私は知りません。

 とそう言いたいのだが、しかし言えない。それを言うには相手の顔の位置が近すぎる。

 すぐそばで聞こえる言葉、そこまで接近を許してしまった事。そしてなによりも心の距離がもう近付きすぎてしまっていた。

 

「……ですが、そんな、まだ……まだ昨日の今日ではないですか」

「んな事はなーんも関係無い。俺は今お前が抱きたいのだ。抱かせろ」

「……っ」

 

 するとその真っ直ぐな誘い文句同様、真っ直ぐな目付きが自分に刺さる。

 この目が危険だとホーネットは思った。この目で見つめられてしまうと、同じようにこの目をしていたあの時の事を否が応にでも思い出してしまう。

 あの時の触れ合いを、あの時の快楽を、そしてそれを上回る圧倒的な心地も。

 

「俺様の事が知りたいっつってたろ? なら昨日のアレだけじゃ全然足りないはずだ、もっと色々な事を教えてやる」

「……これは別に……あの時のように何かを理由にしている訳ではありませんよね?」

「あぁそうだな。ヤラせてくれないならケイブリス派に寝返るなどとはもう言わん。だからホーネット、イエスかノーで答えりゃいい」

「……私、は」

 

 あれからまだたった一日、たった十数時間前の出来事の余韻を忘れる事など出来ない。

 そんな自分自身の思いを否定する事、そしてなにより相手の思いを拒む事はとても難しく。

 

「………………」

 

 暫し返答に窮していたが、やがて何かやましい事をしたかのようにその表情を曇らせると、

 

「……自分が堕落していくのを感じます」

 

 ホーネットはそんな台詞をぽそりと呟いて。

 

「……ランス、この場所は……ここは本来なら魔王様だけが使う事を許された浴室です」

「で?」

「ですから……如何なる理由があろうとも、この場所を汚す事は許されません」

「……ほう?」

 

 その遠回しな返事、その裏にある意図を正確に読み切ったランスはニヤリと笑う。

 

「なーるほどね、おっけおっけー! そういう事なら……こうだー!」

「あっ……」

 

 バシャンと跳ねる水飛沫。ランスはホーネットをお姫様抱っこで抱えて湯船から立ち上がる。

 そのままダッシュで浴室を後にして、脱衣所の床をベッド代わりに彼女を押し倒した。

 

「さぁホーネットちゃん! ここでなら構わないっつー事でいいんだよな!?」

「………………」

 

 ホーネットは顔を真横に背けたまま答えない。

 しかしその沈黙が、その羞恥を堪える表情が意味する所は誰の目にも明らかで。

 

「ぐふふ~……! 回答無しは肯定と受け取るぞ。いいのか? いいんだな?」

「………………」

「まー駄目だと言っても無駄だがな! ここまで来て止まる事など出来ないのだ、うりゃー!!」

 

 湯船に浸かり十分に温まった身体。水滴の浮かぶその身体が大いに興奮を誘う。

 抵抗をしない獲物を前に待ちきれないといった感じで、ランスの手がその柔肌へと伸びていく。 

 

「がははははーー!!」

「……んっ」

 

 やがてその脱衣場から──この城でランスとホーネットしか使用しないその脱衣所から、楽しそうな笑い声と抑えるような嬌声が聞こえてくる。

 

 

 それは魔人レッドアイの討伐後。

 念願だった魔人筆頭との初夜を迎えた後。

 遂にホーネットとも「そういう関係」になれたランスはとても上機嫌であった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ところでその一方。

 ランスがとても上機嫌だったその頃、宿敵たるあの魔人の機嫌はどうだったか。

 

 その答えが分かるのは魔物界の南西部、ベズドグ山の中腹辺りに建てられている堅城。

 

 そしてその玉座の間──

 

 

「………………」

「………………」

 

 両者の沈黙は重苦しさを帯びたもの。

 まるであの男の機嫌と反比例するかのように、今その魔人──ケイブリスは不機嫌そのもので。

 

「……おい。あの話は本当なのか」

 

 その牙の生えた口が重々しく開かれる。

 するとその不機嫌さに影響を受けているのか、その身体から漏れ出す恐瘴気の量も増す。

 より重苦しく、より暗い雰囲気となった玉座の間にて、魔人ケイブリスの前に立つ魔物大元帥──ストロガノフは一度だけ大きく頷く。

 

「……はい。真に残念ながら……レッドアイ様は討伐されてしまった模様です」

 

 その報告を聞いた途端、ケイブリスは「……ぐ」と憎々しげに呻く。

 

 それは数日前の出来事、ランスという人間の男が成した大戦果、魔人レッドアイの討伐。

 それは派閥戦争に大きな影響を与え、ホーネットの者が大いに沸き立つ一方、その事実はケイブリス派全体に暗い影を落としていた。

 特にそれはここに居る両者、ケイブリス派の主とその大元帥にとってはより顕著な事で。

 

「……何かの間違いって事はねぇのか」

「……レッドアイ様が少し前に本拠地タンザモンザツリーを出発されて以降、その足取りを追ってはいたのですが……ホーネット派勢力圏内に侵攻を開始して以降、行方不明となったままです」

「だったらまだ……ホーネット派の奴らと戦っている最中だって事もありえるだろ」

「しかし……レッドアイ様の配下の魔物隊長の一人には定期的な報告を上げさせていたのですが、その報告も二週間程前から途切れています。そして何よりホーネット派の者共がこれ見よがしに喧伝している事から考えても、恐らくは……」

 

 レッドアイがタンザモンザツリーを出発する際、その時にストロガノフは一度顔を会わせている。そして身勝手な行動は謹んで欲しいと直訴したが、結局は聞き届けて貰えなかった。

 その時に何か手の打ちようがあったのではないかと、そんな悔いが残っているのか、大元帥は暗然たる表情で自らの予見を語る。

 

 魔人レッドアイは討伐された。

 数日前より、主にホーネット派飛行魔物兵達によって吹聴されているその噂。

 向こうの狙い通りなのだろうが、その噂は今ケイブリス派陣内で病魔のように蔓延している。魔物兵達の士気も大きく低下し、逃げ出すような者まで現れる始末。その深刻さはこうして派閥の主が緊急で大元帥を呼び出す事からも明らかであった。

 

「……チッ、本当に……どいつも、こいつも……役立たずが……!」

 

 配下たる魔人の死。また一つ重要な手駒を失ってしまった事実。

 沸き立つ怒りのあまりにその身を震わせるケイブリスだったが、しかしその激情を体外に発出させて暴れ回るような事はしない。

 何故ならそれはもうとっくに──レッドアイが自分の命令に従わずに勝手な行動を始めた際、すでに二度三度と吠えて消化した後だから。

 

「ぐ、ぐぐ、ぐ……!」

 

 そして何より──今のケイブリスの心にあるのは怒りだけでは無いから。

 その心は焦りが、不安や怯えといった感情がはっきりと生じてきている。それが証拠にケイブリスの表情は怒りに歪むだけではなく、焦燥に駆られて固く強張っていた。

 

「……ストロガノフ。率直に聞くが……これはあんまり良くねぇ状況だよな?」

「……はい。率直に申し上げてその通りです」

 

 狂気の魔人レッドアイ。その言動は理解不能、気分次第で命令違反をしでかす事も多々あり、ケイブリスにとってもストロガノフにとっても扱いやすい駒とは言えない存在ではあった。

 とはいえその実力は本物であり、殺戮を好む性格も戦争事においては利点とさえ言える。これまでホーネット派に対し一番損害を与えてきたのは間違いなくレッドアイであり、そんな魔人が討たれた事はケイブリス派にとって大きな痛手となる。

 

「レッドアイ様が討伐された事で我が軍に属する魔人は残り6体。ホーネット派も残り6体なので、これで同数となってしまいました」

「……同数、か」

「はい。……ですが問題はそれだけでは無く、メディウサ様の件もあります」

 

 そしてストロガノフの声色をより重くさせる事、それは魔人メディウサの事。

 数年前からメディウサは魔王捜索の任で人間世界に向かっており、彼女が魔王を発見して連れてきさえすればそれでほぼ勝利が決まる。そんなとても大事な役目を担っている魔人なのだが。

 

「あれから何度も連絡を取ろうと試みてはいるのですが、メディウサ様からの返事はありません」

「………………」

「そしてメディウサ様の館にアレフガルドが戻った形跡も依然としてありません。あの使徒がここまで主の館を放置する事など初めての事ですし、こうなると魔王の捜索中にメディウサ様の身に何かがあったとしか……」

 

 こちらも行方知れずとなった魔人メディウサ。怠惰な彼女の事、報告や連絡などそっちのけで自堕落な日々を過ごしている可能性はあり得る。向こうから連絡が無い限りそれを確かめる術は無い。

 しかし仮に大元帥の想像が的中していた場合、それだと残るケイブリス派魔人は5体。すでにホーネット派を下回っている事となる。

 

「……つまりレッドアイは死んだ。んでメディウサも生きているかどうか分からねぇって訳か」

「……はい、そうなります」

「……チッ」

 

 もし仮にメディウサが死んでいる場合、それだと派閥の現方針の根幹が崩れてしまう。

 現在全軍を押して守備を固めているのはメディウサの帰還を待っているから。彼女がいつか魔王を連れ帰ってくる事を見越しての専守防衛である為、あの魔人が存命でなければ何ら意味が無い。

 

「レッドアイも……メディウサも……」

 

 魔人レッドアイ──攻めの戦力としては最重要であった魔人の死。

 そして魔人メディウサ──頼みの綱もすでに断たれているかもしれない状況。

 

 果たしてこのまま待っているだけで、それだけで勝利が転がってくるのか。

 あるいはそれとも。ただ無為に時間を浪費しているだけなのか。それどころかホーネット派に戦力を整える時間を与えているだけという可能性も。

 そんな疑念は次々と浮かんできて、するとそんな焦りに押されてしまったのか、

 

「……なぁストロガノフ。ケイブリス派は……俺様は勝てるんだよな?」

 

 そう呟いた派閥の主の口調は実に弱気なもので。

 

 その弱腰を改めさせる意図もあったのか、

 

「はい、勿論です。ケイブリス様は勝ちます。それは間違いありません」

 

 大元帥たるストロガノフは即座にそう答えた。

 

 だがこの時、ストロガノフは勝てると口にしただけでその具体的な方法を告げなかった。

 この状況下からケイブリス派が勝利する方法。それは大元帥に思い付かない訳では無く、むしろとっくの昔から分かりきっていた単純な話。

 

(……ケイブリス様自らが戦場に立たれる事。勝利の一手はそれしかあるまい)

 

 それは魔人ケイブリスが出撃する事。

 派閥戦争が勃発して以降、一度も戦場に立った事の無い派閥の主がその最強の力を振るう事。

 

 魔人の数といい魔物兵の数といい、元々は戦力的に大きく上回っていたケイブリス派。それなのにここまでホーネット派と拮抗している理由。

 それはホーネット派の主であり派閥最強の戦力、魔人ホーネットが開戦当初からその力を惜しみなく振るってきた事が何よりも大きい。

 ならばケイブリス派も同じ手を、と誰しもが考えるのはある意味当然の話であって。

 

(今ここでケイブリス様が戦ってくれれば……と、そのように考えた事はこれまで何度あったか。……無論、ケイブリス様が仰る事も理解出来る話ではあるのだが)

 

 派閥の主自らが戦場に立つ事。それには勿論大きなリスクも存在している。

 実際そのリスクを突いて一度は魔人ホーネットの捕縛に成功した。そうした事もあった以上、ケイブリスがその身を危険に晒したくないという心情はより強まったのかもしれない。

 

(……しかし、もはや我が軍に最強の戦力を温存しておけるような余裕は無い。……そう、ケイブリス様はこの魔物界で最強の存在、ケイブリス様に敵う相手などいないのだ。だから……)

 

 ケイブリスさえ動けばここからでも勝利は確実。ストロガノフは本気でそう信じている。

 だが先程そうと告げなかった理由、それはケイブリスの癇癪を恐れたから、では無い。

 もはやそのような事、言わずとも当然に理解している事だと思ったからだ。

 

 

「……そうか、そうだよな。俺様が負けるなんてありえねぇよな」

 

 そして自分自身を納得させるかのように、何度も大きく頷く魔人ケイブリス。

 その心の中で渦巻いていた思考、それはまさしく大元帥の読み通りで。

 

(……ここから勝つ方法。んなの俺様が戦う事だ。もうそれしかねぇ)

 

 その事はケイブリスもとっくに理解していた。

 たとえレッドアイが死のうが、そしてメディウサが死んでいようともそれが何だと言うのか。

 ここで自分が戦場に出て、そしてホーネット派の奴らを尽く蹴散らしてしまえばいい。メディウサが魔王を連れ帰ってこずとも、ホーネットを倒しさえすればそこで派閥戦争は終了なのだから。

 

(……俺様は最強の魔人だ。俺様は戦えば絶対に勝てる。そうに決まっている)

 

 自分は最強最古の魔人ケイブリス。

 自分に敵う存在など魔王を除いていない以上、自分が戦えば勝利は約束されたようなもの。

 

(俺様は最強、最強だ。……けれど、戦うとなると奴らが、ホーネット達が……!)

 

 自分は最強。それは間違いない。

 しかし戦いに絶対という言葉は無い。自分が必ずあの魔人筆頭に勝てるかどうかは分からない。仮に100回戦ったとして、100回全てに勝てると言える保証がどこにあると言うのか。

 過去にはこの世界で最強の存在、魔王ですら敗れる瞬間だって見てきた。そんなケイブリスにはたかだが魔人である自分が絶対の存在などと過信する事は出来ない。どうしても出来ない。

 

(……どうする、どうすりゃいい……! 俺様が戦えば勝てる……けど……!!)

 

 自らが戦うべきか、あるいはこのまま守備を固めているべきか。

 未だその決断を下す事は出来ず、未だ悩みの中にいる魔人ケイブリス。

 

 幸いにしてまだ悩む時間はある。しかしいずれは否応なく決断しなければならない時が訪れる。

 今こうしている間にも刻一刻と、ケイブリスが決断せねばならぬ時は確実に迫ってきていた。

 

 

 

 


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