分かりかねるのは、この問題全体に対するあなたの
態度なんです」と、ペチスが言った。「ところで、この私は
ただの作り話を研究しているだけです。決して起こったこ
とのない幽霊話だけをですよ。それでもある意味では、私
は幽霊というものを信じている。ところがあなたは、証明
された出来事__われれが反証をあげないかぎり、事実
であると言わざるを得ない出来事についての権威てあるわ
けです。それなのにあなたは自分の人生でもっとも重要なもの
としたことについて、一言も信じておられない。それはまる
で、ブラッドショーが蒸気機関車などあり得ないということ
を証明する論文を書いたり、ブリタニカ百科辞典の編集者が、
全巻中に信頼できる項目など一つとしてないとおう、序文をの
せているようなものじゃあなおですか」
「だけど、それがなぜいけないのかね?」グリモーは、ほとんど口
を開かないような喋り方、例の早口のガラガラ声でがなりたて
た。「そこには教訓(モラル)が見られる、のではないかな?
「"学び過ぎたるが、狂気のもと"っていうわけですか?」と、バー
ナビィが口を出した。
(The three coffins by john Dickson carr/三谷村裕⚫訳)
零崎虚識と自殺志願
零崎鬼識と自殺志願
.
「人が死ぬときにはね____そこには何らかの『悪』が必然であると、『悪』に類する存在が必然であると、この私はそんなことを思うんだよ。」
「私はそれは屁理屈だと思うな。ねぇ、どう思う?」
.....その車両の中には、たった三人しか人間が居なかった。しかしそれは、別段特別特殊な状況というわけでもなくて、片田舎、平日昼間の電車事情は、大抵のところそんなものである。こんな時間に、同じ車両に三人も乗っている方が珍しい、とまで言えば少々言い過ぎではあるだろうけど。
一人は学生服を着た少年だった。髪の毛を薄く脱色していて、少なくとも本人は、本人だけは格好いいつもりで装着しているのだろう銀のアクセサリーで、耳や手首や指などを派手派手しく飾っている。
一人は__随分と日本人離れして背の高い男だった。しかしその痩せた身体は見る者に大柄という印象は与えず、その手足の異常な長さも相俟って、まるで中学校の美術室に飾ってある針金細工のようなシルエットである。背広にネクタイ、オールバックに銀縁眼鏡というごく当たり前の、極々当たり前過ぎるファッションが、驚くくらいに似合わない。
そしてもう一人、針金細工の隣に座って、窓の外を眺めながら会話に参加している少女は、針金細工よりも第一印象が強かった。針金細工よりもやや小さめの背丈で、恐らく自ら望んで染めたのであろうシーグリーン系の色の髪を肩に毛先がつくくらいのポニーテールにしていた。服はデニム生地の袖無しジャケット、それにデニム生地のミニスカートで____、いや、何と言うか__超超ミニのスカートだった。
少年と針金細工と少女は、他に誰もいない車両内で、特に声を潜める風もなく会話を交わしていた_____というより、どうやら針金細工と少女が一方的に少年を挟んで会話をしているようで、少年の表情にはかなりうんざりした色が窺える。対して、針金細工の方は楽しそうに、少女は、口をとがらせているような表情だった。
「たとえばここに一人の殺人鬼がいたとしよう。彼は殺人鬼なのでその存在理由にのっとって人を殺す。」
「おう犯罪やんけ」
「殺された人は当然のことながら死んでしまうよね。この場合殺人鬼が『悪』いことはいうまでもない、彼がいなければその人は死なずにすんだのだから。」
「でも彼がいなくてもいつかは死ぬよね」
「はぁ。そんなことを話しているんじゃないよ、姉さん。」
「それで、話を戻すけど、その殺人鬼が官憲の手によって捕らえられ、取り調べと裁判の結果、死刑を宣告された場合。これは勿論その殺人鬼本人の行いが『悪』かった、というべきだろう。」
「そうだねぇ」
「ではしかし、それが冤罪立った場合には? 殺人鬼が本当は人など殺していなかったのに、彼はただ殺人鬼というだけで人など殺していなかったというのに、それなのに死刑を執行された場合はどうなのか、どうなるのか?」
「《殺人》鬼なんだから人殺してるだろそれ」
「言葉の綾ってやつさ。まぁ、その場合は法律のシステムが『悪』、あるいは捜査官や裁判官の頭が『悪』かったのだろう、うん。で、その捜査官が、こととは全く関係のないところで、空から降ってきた隕石に潰されて死んだとする。こりゃもう疑いようのないくらいにまさしく_____捜査官の運が『悪』かったのだ」
「それで人の死には悪が付き物って?違うなぁ。私から言わせれば、例えば幸せな死だってあるさ。宗教の信仰による死、とかね。
信仰による死には、悪は付き物ではないだろう?」
「いいや、姉さん、その場合は、その宗教そのものが『悪』なのさ。」
「なるほど。」
「ねぇ?少年。」
「はあ.....そうっすか」
それがどうしたという風に、気のない返事をする少年。かなり迷惑そうだが、単純な背丈では自分の倍くらいもありそうに見える針金細工に対して無視を決め込むほどの度胸もないらしく、適当な相槌を打っている。しかし、針金細工は少年の反応など意に介する様子もなく、言葉を続ける。
「私が何を言いたいか分かるかな?つまりだね、『人の死』とはとことんをとことんまで突き詰めて『悪』につきまとわれた概念であり、そこには善意や良識の入り込む間隙はほんの1ミリだって存在しないということさ。人の死の理論には隙がない。人が死ぬ物語にはどうしようもないような悪人しか登場しないし、またするべきではないのだよ。正義を説く聖人も理論を説く善人も、それからついでに謎を解く何とやらも、登場人物表に名前を連ねる資格がないし、彼らにしたってあえて登場なんかしたくないだろう。そういうものなんだよ。人の死で愛やら情やら?心理やらを表現しようなんて、そんなことは不可能さ。人の死にあるのは『悪』だけだ。」
「『悪』だけ?」
「『悪』だけ。他には何もない」
「『悪』だけじゃないんじゃないの?」
「.....え??」
少年は困惑した。
この人達は、何故会話を正しくしないのだろう、___と。
「.....けどさ、おっさん____」あまりといえばあまりの極論にさすがに思うところがあったのか、少年が如何にも精一杯の勇気を振り絞った感じの声で、針金細工に対して反論を試みる。「___そこのおねーさんの言う通り、『死んだ方がマシ』って状況だって、世の中にはあるんじゃねーのか? 『死んだ方が救われる』、つまりは『死んだ方がいい』って状況だって、やっばりあるんじゃねーのか?」
「だよねぇ。でもさ、私の弟頑固だからさぁ。」
「.....姉さん?? 私はまだまだおっさんと呼ばれるほどに年を食っちゃいないつもりなんだがねぇ」
と、針金細工は苦笑する。「きみのその反駁に答えるならば、『死んだ方がいい』というような状況、そのものが既に『悪』なのさ。いやいや、きみくらいの年頃の人間からしてみれば、こいつはただの言葉遊びにしか聞こえないだろう」
「実際言葉遊びじゃね?」
姉の反論には一切反応することなく針金細工は続ける。
「気持ちは分かる、気持ちは分かるよ。だが私には言葉で遊ぶ趣味なんかはないし、私はおっさんでこそないがきみよりも長く人生を生きている身だから、そのくらいの説教はできるつもりでいるんだよ」
この時少女は、自由奔放で生きてる私にはレンより年食ってても分かんないなぁ、とただただ思ったが、黙っていた。
「だからきみ.....ええと、名前はなんと言ったっけな?」
「柘植慈恩(つげ じおん).....だけど。」
「へぇ!」
恐る恐ると名を名乗る少年に、ぽんと手を打つ少女。
「慈恩!慈恩かぁ。いい名前じゃん!念流の開祖とおんなじ名前だよね?あぁ!慈恩クンの名付け親の人格がよぉくわかるねぇ!」
「うんうん、そうだねぇ、実に素晴らしい。」
急にテンションが上がる二人を余所に、少年は「はあ.....」と声を漏らす。
それは誰だよそんな奴は知らないと言いたげな顔であった。だがそんな少年のことなど気にも留めず、針金細工は「慈恩くん」と呼びかけて、少年に向く。
「いいかい、世界はそもそも『悪』というもの、」
「レン、その話まだ続くの!?」
「続くさ。『悪』と表現しうる存在に満ちている。人生というのは地雷をあちこちに埋め込んだ部屋の中で閉じこもって生活しているようなものなんだよ。」
「私学校で『人生とは、空っぽの大きなうつわの中に精一杯生きた一瞬一瞬を詰め込んでいくイメージ』って習った気がするけど。」
「何時の事だい、それ。よく覚えてるね、姉さん。」
「.....、命がけの引きこもり、それが人生だ。特に何もしなかったところで、信号に引っ掛かるくらいの確率で人間は『悪いもの』に出会ってしまうのだよ。だったら何も自身がその『悪』になって、死に至る確率を更に倍増させる必要などどこにもないだろう____そうは思わないかい? こんなことは喜訊くまでもないことだろうが、慈恩くんは勿論、死にたくなんかないだろう?」
「そりゃまあ、そうだけどさ____」
「そうそう。自殺志願なんてのは生きている人間としちゃ最低最悪の思想さ」
「私は自殺志願、いいと思うんだけどねぇ」
「その行為は逃避ですらないんだからね?姉さん。」
「良いじゃない。本能、とか、若さゆえの苦しみ、絶望。最高だね!」
「良くないよ? .....よし、では慈恩くん」
針金細工は、そこで一度切り、口調を改めて、少年に言った。
「学校をサボるというのは実に『悪いこと』だ。今からでも遅くないから、次の駅で電車を乗り換え、君の通う学校へ向かいなさい。」
「.....」
「.....」
____どうやら今のこの状況は、学校をサボってどこかに遊びにいこうとしていた少年に対して、針金細工が考えを改めるように説得している___というものらしい。
あまりのあまりさに、姉らしき少女も、口を開けていた。
それもそのはず。その結論に辿り着くまでに針金細工が使ったルートはあまりにも変哲だった。たかだか学校の出欠の話に人死にを引き合いに出すような人間はなかなかいるものではない。
少年はうんざりを通り越して呆れるも通り過ぎ、ついにはおかしくなったらしく、噴き出すように笑い声を漏らした。
「ったく____おっさん。あんた、なんつーか、すっげえ変な奴だな、おい」
「だから私はおっさんと呼ばれるような年齢ではないよ」
「お、おっさんww何回もっwおっさ.....w」
先程までのぽかんとした表情はどこへやら。
少女は、沸点が低いのか、おっさんという単語に爆笑していた。
「まったく..。そうだなあ。慈恩くん、私にはね、君くらいの年頃の弟がいるのだよ」
「.....あはは。弟、ねぇ.....」
「へえ。じゃあ俺はあんたのこと、お兄さん、とでも呼べばいいってのかい?」
「ん___ああ、いや、それはやめておいた方が賢明だろうね。」
「あぁ.....うん、そうだねぇ。でもでも!こぉんなかわいぃい弟なら、大歓迎!!家族になりたかったら、
いつでも言ってね!」針金細工と少女は、ここで、どうしてか、歯切れが悪かったが、それを隠すように少女は、声を張り上げた。
「.....慈恩くん、慈恩くんだって、自分の命は惜しいよね?だったらそういったじゃらじゃらした.....えっと、イヤリング?とか外しときなよ?」
「そうだね、あまりお勧めはできない。他人との区別がつきすぎてしまうし。」
「どうして?こんなのただのお洒落じゃん。それにそこのお姉さんも髪染めてるし....」
「あー、毎回言っているのだけどねぇ...」
「私は良いのよ!なんて言葉は横暴になってしまうような気がするけど、それでもあえて言うならば...、私とか、その他数十人の、頭のネジが吹っ飛んだ人間、そういう人は良いんだよ。ホラ、お姉さんはねぇ、剣道一段ですしっ!襲うような人がいても返り討ちだぁー!やぁあー!!」
「.....」
「.....」
「.....、ははは。なんだいなんだい君たちノリ悪ぃ.....」
「.....」
「.....」
非常に重たい沈黙だった。
が、その沈黙を突き破るようにそこで車内放送が鳴り響き、次の駅への到着を知らせる。
「さてさて、慈恩くん?」
「わぁってるよ」
そういいながら少年は席を立つ。
「うん、うん。良かった。どうやら君は合格だ。」
「え?」
嬉しそうにそんな言葉を言う針金細工に、怪訝そうに眉をひそめる少年。それに対して針金細工は誤魔化すように、大袈裟な動作で手を振った。
「いやいや、今のはこっちの話だよ」
「「それでは世界に気を付けて?」」
最後は姉弟が二人で息を揃えて言うと、まるでタイミングでも見計らったように速度を落としていた電車は停止した。
少年は、「そんじゃ」と軽く頭を下げて駅のホームに降り立ったが、そこで思い付いたように振り向いて、「ところでさ」と、未だ電車に残っている二人を見た。
「あんた達の名前.....まだ、聞いてなかったけど。」
「私は、零崎双識という」
「私は、零崎虚識だよ。」
二人が何でもないことのようにそう名乗ったところで、電車のドアが閉まった。こうして、ごく普通で当たり前のつまらない少年、柘植慈恩と、ごく普通でなく当たり前でなく行き詰まっている零崎姉弟、零崎双識と零崎虚識の接触は、終わった。
◆ ◆