果てなき旅路 作:わっふる
月海原学園 その1
さて、無事保健室から離脱することに成功した俺が今何をしているかというと――
「He has been to Kyoto twice. この英文の和訳を......そうだな、岸波にしよう。座ったままでいいから答えてくれ」
英語教師である。
♦ ♦ ♦ ♦
突然だがここで、現在行われている月の聖杯戦争の予選について触れたいと思う。
まず予選は二段階に分かれており、第一段階ではふとしたことから異常に気付くことのできる能力、第二段階では自身のパートナーに対して適切な指示を送る能力が試される。
まぁ二段階に分かれるとはいったが、ここでは第二段階についてはひとまず置いておいて第一段階について詳しく述べることにする。
ここから次の段階に進むために必要になるのは、これから月海原学園で送られることになる何一つ変わらないまま繰り返される
まぁ、全てが同じかというとそうでもないのだが。ここ月海原学園においてはNPCとプレイヤーのアバターが入り混じった学園生活が行われており、異常に気付いたプレイヤーたちによってNPCや他のプレイヤーが異なるルーティンを組み始めることも、開始から数十日も経てば必ずといって良いほど起こる事態だからだ。
それと合格を判定する方法はいたって簡単で、異常に気が付くことをトリガーとして学園の一階の端にある行き止まりの壁が通路の入り口へ見えるようになるので、そこへ足を進めれば良い。
さて、なぜ俺がわざわざこんな前置きをしたかというと、実はちょうどカレンと会話している時に俺自身のパーソナルデータやこの仮初の学園生活で今回何をルーティンとして設定されているかなどの情報が頭に入ってきたためだ。まぁ、これ自体は毎回多少タイミングは違えども割と目覚めてからしばらくすれば起こることで、特別気にするようなことではない。
何度もやり直している俺にとっては初めからこの学園生活が異常だとわかっているので、予選の第一段階はこの通り問題にさえならない。
しかしここで少し困るのは、それによると俺は今回教師の役割を与えられているらしいということである。
ムーンセルが俺に与える役割は様々だ。ほとんどの場合俺は生徒として過ごすことになるが、これまでにもいくつかの例外が存在した。たまにあるもので言えば教師や清掃員などがこれに該当し、特に珍しい一回きりのパターンとしては学園長や牧師などがあった。
なお、学園長の役割を与えられた聖杯戦争では学園生活をできる限り長引かせた上で最高にエンジョイしていたが、牧師の時にはその裏返しと言わんばかりの散々な目に合った。
具体的に言うと、本来なら保険医しか担当しないはずのカレンがその時に限ってシスターとして教会に常駐していた。当然俺は最速で例の壁に突っ込んで予選突破したが、本戦において与えられたマイルームは教会の一室だった上に相変わらずシスターはカレンであった。ムーンセル絶許。
あの時は仕方がなかったとはいえ、常に最速で予選を突破するわけにはいかない。予選通過の方法はいつも同じだが、毎回毎回一人だけすぐに予選突破するやつがいるなんて事態はどう好意的に捉えても怪しいからだ。
そのためしばらくの間は教師としての役割をきちんとこなすつもりであり、そんな俺にとって今は過去を振り返るよりも岸波という生徒から答えが返ってこないことの方が重要である。
とりあえず出席簿から顔を上げて教室を見渡してみるが、座席表のついていない出席簿では適当に指名した岸波がどの生徒なのかは案の定分からなかった。
「おーい、岸波。岸波白野はどうした」
まさか、初日にしてもう予選突破したやつがいるのか...?などと戦慄しながらも顔には出さずに呼びかけを続けていると、いかにも元気そうな見た目をした一人の女子生徒が手を挙げた。
「せんせー、岸波さん寝てます!」
その女子生徒の目線をたどってみると、確かに俺の目の前という最前列にも関わらずに幸せそうな寝顔を晒している女子生徒がいた。こいつが岸波白野か。
さすがに指名した以上起こさないわけにもいかないので、俺は岸波の机の前まで歩いていくと、コンコンと机を軽くノックする。...お、起きたな。
「...んぅ?.........お父さん?」
「誰がお父さんだ、おい。いいから起きろー、岸波。今はまだ授業中だ」
俺がため息をこぼしつつも声をかけて現実を認識させてやると、今まで完全に停止していたとみられる彼女の脳も流石に回転を始めたようで体勢を徐々に戻すとともに顔を赤くし始めた。
「.........あの、すみませんでした。...いろいろと」
「お、おう。まぁ、とりあえず問題には答えなくていいから、一旦教室出て水道で顔洗ってこい」
「...はい、いってきます」
そのまま耳まで赤くした岸波が早歩きで教室を出ていくのをなんとなく全員で見送った後、俺はなんともいえない空気に包まれている教室の雰囲気を変えるために気持ち大きめに声を出した。
「よし、授業続けるぞー」
これ、もしかして予選が終わるまで毎日あの子を起こさなくちゃいけない感じか...?
♦ ♦ ♦ ♦
それからは特筆するべきことも起こらず、いくつかのクラスで授業を終えた現在は待ちに待った放課後の時間である。
放課後が楽しみな理由は実のところ簡単で、異常に気付いたプレイヤーにとってこの時間はかなりの自由が許される時間となっているからだ。この時間帯はNPCもプレイヤーも決められたルーティンが存在しない。そのためNPCはAI、プレイヤーは本来の性格に沿った自由な活動を開始することになる。例え部活に所属している生徒でもサボることがあったりなど行動が毎日バラバラになるので、異常に気付くプレイヤーが最も増えやすいのもこの時間だ。
もちろんこの学園の敷地から出ようとするなどのあからさまに予選のルールに反することは不可能だが、学園内では教師や学生といった役割に反しない範囲でなら好きに動くことができる。
この日に俺が訪れることにしたのは屋上だ。ここは涼しいし、学園の敷地内を一望できるので暇をつぶすにはもってこいだ。その上自由に活動できるといっても屋上に来るという選択肢をもった生徒など皆無といって良いので、好きなだけ羽を伸ばすことができる。学生の立場であれば図書室で読書しているのがベストなのだが、教師となると目立つのでそうはいかない。なので専らここで一人でのんびりしたり、藤村先生を筆頭とする他の教師たちと職員室で話し込んでいるのが最もリラックスできる時間の過ごし方になる。
だがどうやらこの日は違ったらしく、屋上には先客がいた。
「あら、
「ああ、ごきげんよう。遠坂...で合ってるよな?」
このような挨拶を投げかけてきたのは、午前中最後の授業で担当したクラスに所属している女子生徒だ。他の学生とは隔絶したオーラを持っている子であり、俺のこれまでに培った経験からしても相当な実力を持った霊子ハッカーだろうという判断を下していた生徒でもある。
「ええ、合ってるわよ。それで、先生はここに何しに来たの?」
いかにも興味津々といった顔で訊ねてくる彼女の表情は、その判断を確信へと変えてもいいと思えるほど人間味にあふれていた。異常に気付いてない生徒たちは、総じて表情が薄っぺらいものになりやすい。優秀なプレイヤーたちはその優秀さゆえに異常には気付きやすいとはいえ、まだ初日にして彼女は異常に気付きかけている。これはあまりにも早すぎる事態だ。
まぁ、彼女がどれだけ早く異常に気付いたとしても俺に不利益はないのだが。
「これといった理由はないが、なんとなくな。しいて言えば、ここは風が涼しくて気持ちいいからだな」
「......ふーん、そうなのね。私も似たような理由でここに来たから、気持ちは分かるわ」
そんな会話から始まりしばらく彼女と雑談していたが、30分ほど経ったあたりで彼女はこう告げてきた。
「あ、私はそろそろお暇するわ。まだこれからすることがあるの」
「そうか、俺ももう少し風にあたったら職員室に戻ることにするよ。それじゃ、また明日授業でな」
「ええ、お先に失礼するわね。また明日会いましょう」
そう言って去っていった彼女は、あと何日こちらで過ごすことになるのだろうか。そんなことを考えていると、ふと気が付いた。
「さっきから何かおかしいと思ったら、あの子の話し方か。確か授業中は敬語だったよな...?」
・オリ主
今回の苗字は古崎。ちなみに牧師の時は言峰。
・遠坂凛
授業中だろうと放課後だろうと一切関係なく、他の教師には常に敬語。