すっぽりと鋭い剣で切られた断面のような屋上に二人の男女がいた。
一人は短いブレザーのスカートを風になびかせていた。その右手にはおもちゃのようなものが握られており、それをこめかみにピタリとつけている。
「本当に行ってしまうのか」
ええ。止めても無駄よ。
そう言うなり、わたしは右手のトリガーをひく。目はつぶらない。全てを真正面から俯瞰して、全てを盗み出してやる。
そして、わたしの体はこの世界から跡形もなく消え去ってしまった。わたしの手からこぼれ落ちたおもちゃのようなものがコンクリートに叩きつけられて、プラスチックのような軽い音を立てる。
「本当に行ってしまうとはな」
男は溜息を吐いて空を見上げた。水色の淡い色調のキャンパスには芸術的なまでに美味しそうな白い綿菓子が浮いている。そして、男は前を見る。
「俺も実験をしなくちゃな」
男は私の落としていったおもちゃのようなものを拾って手に取る。
「TSTをあまり乱暴に使わないで欲しいな」
男はわたしと同じようにこめかみにTSTを当て、トリガーをひく。
「さらば、世界。さらば、ビアンカ」
男がいた場所には何も残されはしなかった。だが、唯一残されたものが、時間をおいて、地面に音を立てて落ちる。赤い色のおもちゃ。トリガーのついた装置。TST。
そしてわたしは過去に跳ぶ。
1 叡智のスペルマ
「ねぇ、あなた。聞いているかしら」
そんな声が聞こえた。
ああ。聞こえているけど。
「そう。じゃあ、今からわたしの言うことを忘れずにいて」
続きを待つが声は何も言わなかった。答えを待っているのだと気が付く。
忘れない。約束はできないけど、善処する。
「絶対に覚えて居なさい。これは命令よ!」
強い語調だった。
はい!決して忘れません!
つい、命令を聞くような反応をしてしまう。
「よろしい。それでこそあなたよ。じゃあ、きちんと聞いていなさいね」
声は調子を取り戻そうとしているように一呼吸置いた。
「今からわたしの大切な人があなたに迷惑をかけるわ。でも、その子を大切にしてあげて。あの子はわたしに似て、凄く破天荒だから」
柔らかなベールに包まれているような、優しさに満ちた言葉だった。
俺は急速に目を覚ました。
目を覚まして一発目。
「やっちまった」
俺は己のせりあがった息子を見て、下着の中を覗いた。すると息子は赤ん坊のように白い涎を垂らして笑っていた。
「ガキじゃねえんだからさ」
俺は仕方なく、ティッシュで息子の小さな口を拭いてやる。俺が息子に触れるたびに息子は嫌がるような、それでいて喜ぶような様子を見せる。右に左に春先の土筆が揺れていた。
「もうすぐ春ですね」
頭の中にキャンディーズの歌声が響いてくる。まだあの頃のあどけない歌声だ。窓を見ると春らしい、陽気な光が差し込んできていた。柔らかな黄色い光を見た瞬間、脳内の歌声がヴァイオリンの奏でるイントロへと変化する。俺は息子の頭を撫でながら、新たな世界の行く末を気にした。俺は学校に入学したばかりなのだ。
俺の息子は再び白い吐息を吐いた後、ぐったりを俺の膝枕に倒れ込む。
「いい夢見ろよ」
俺は息子にそう言って、ふと、何かを忘れていて、それは決して忘れてはいけないと言われていたことを思い出す。だが、それが何であるのか思い出せない。なので、ほったらかしにした。
今には家族の姿はない。何故なら、みんな俺を置いてどこかに行ってしまった。だから、俺は独り暮らしになった。朝ご飯なんて作れないから、学校に行くついでのコンビニで朝飯と弁当代わりのパンを買うことにする。
俺はそそくさと着替えて学校へと向かった。
誰も学校へと続く道を歩いてはいない。何故ならば、俺一人だけが登校しているからだ。それは何故。ただ単に俺が登校するのが早いだけ。どうして早く登校するのか。俺は他の誰かに居場所を取られる前に居場所を確保しておかなければならない。
校舎はひたすらに静かに灰色のかんばせを俺に向けていた。来るものを拒んでいるような気がして、俺は一歩後じさる。でも、学校には行かなければならないから、少し辺りを警戒しながら入って行った。
県立南学園の朝は何もなかった。校門が空いているのだから誰かいるのだろう。でもきっと、生徒は俺だけ。授業が始まる一時間も前に登校する。どうしてこんなに早く学校に来るのか。確かに、大勢の人間が渦巻いている中の教室に入ることに抵抗があるというのもある。でも、それ以上に俺は家にいたくなかった。いたら嫌でも嫌なことを思い出さずにはいられない。
だが、教室にいてずっと本を読むのにも飽きていた頃だった。本を読む場所は何もない場所よりも何かある場所の方が良い。喧騒の中の方が何故か俺は読書がはかどった。よっぽどひどいときは除くのだが、でも、物凄く静かな図書室よりは教室の方が本は読みやすい。俺はしばらく独りぼっちの教室にいて本を読みながら、左手の感触を確かめる。本の厚さが薄い。それは本の残りのページ数が少ないということで、俺は本がないと少しパニックになってしまう。人がごった返す教室の中、ただひたすらにぼーっと窓の外を眺めるなんてできない。
俺が今の時間図書室は空いているのかを確かめようと時計を見た時、教室の戸を引いて、誰かが入って来た。
「ひっ」
化け物を見たみたいに、教室に入ろうとした少女は顔を引き攣らせていた。俺はそれほどに気持ちが悪いか。なんだ、人の姿を見て悲鳴など上げて。
少女はしばらく俺の姿を教室の戸で姿を隠しながら見ていた。そして、決心が付いたようにさっと少女自身の机に向かって行く。それがなんと俺の横の席だったのだ。残念ながら俺は隣の少女の姿を覚えてはいないし、そもそもに名前さえ知らない。自己紹介の時名前を名乗りあったはずだが、俺はクラスメイトの名前を誰一人覚えてはいないのだ。
気さくな高校生なら、互いに挨拶をしたのだろう。だが、俺は気さくでもなんでもなく、あいさつなどあまりしたくはなかった。学園という閉鎖空間の中、妙に人と親しくなるのは良い事ではない。中学生に上る時、この中高一貫の学園に来て、俺は誰一人友達を作らずに過ごしてきた。それ故、今はとても気まずいのである。隣の少女は怯えているように体を震わせ、俺はその姿が気になって読書どころではなかった。仕方がなく、俺は教室を出ることにした。
廊下の空気は静かだった。まだ図書委員は登校していないだろうから、俺は手持ち無沙汰だった。このまま図書室の前で図書室の開室を座りながら待つのはみっともなくてできない。アキバじゃないのだからそこまで根性を見せつける必要もない。
なので、俺はがらにもないお散歩をすることにした。入学して間もないので、教室の場所などを知るのにはちょうどよいだろう。邪魔な先輩たちはいない。ゆっくりと校舎を回っていける。
課外活動のための校舎は奥にあった。
俺は校舎の一階を歩く。運動場に面した、清潔な朝の廊下を俺は歩く。
俺は二階への階段をあがる。
二階には生物学教室とその隣に小さな実験室があった。その実験室を誰かが使っているところを俺は見たことがない。きっと、先生たちが実験の練習でもするのだろうと考えていると、がらり、と実験室の扉が開いた。
中から出てきたのは、日に灼けてたくましく、浅黒い顔に白い歯の笑顔が素晴らしい男の子だ。実験室とは全く相性がよさそうには見えない。そして、その腕には一匹の蛇が巻き付いている。
「うわっ」
「ぷぎゃあぁあああ!」
前者が実験室から出てきた少年のもので、後者が俺のものである。だって、驚くではないか。急に目の前に可愛い小さな舌をチャーミングに出した爬虫類の代表格がいたりしたら。
「大丈夫かい?」
「ちか、よらない、でェ!」
「うわぁ!」
少年は俺が最後だけ声を張り上げたので驚いているようだった。だが、その顔の輝かしいばかりの笑顔は変わりはしない。
「ああ。こいつは別に人を襲ったりしない。アオダイショウって言って、この辺りでもみかける代表的な蛇なんだ。毒はもちろんないよ」
「そういうことではなくて」
たしか、学園内は盲導犬以外の動物の持ち込みは禁止なはずである。と、そういうことでもなくて。
「あなたは何をしているんですか」
「えーっと、俺は生物研究部の千原信忠って言うんだけど」
それだけで、なるほど、と俺は納得した。生物の研究をしているから、ヘビを持っている。うん?あまりイコールでつながらない気もするが、それはそれでいいか。深く考えると余計な面倒が増える気がする。
「一人しかいない生物研究部員でね。この時間から学園にいるのは俺くらいなものだから、君に会うとビックリしてしまってね。どうも俺は君を俺以上にびっくりさせてしまったようだけど」
「ええ。とても心臓に悪うござんした」
ようやく心臓の鼓動が戻り始めて入るものの、目の前のつぶらな瞳はずっと俺を見つめ続けていて、やっぱり、心臓の鼓動は収まらない。あれか。これが恋の衝動というやつか!
「どうもビアンカも君のことを気に入ったようだよ」
「名前なんて付けているんですか」
実験する動物に名前を付けると、情が映って実験に使えなくなってしまうと聞いたことがあったので、俺は不思議だった。
「ああ。でも、俺とこの子はもうお別れだ。彼女は行かなければならない。だから、俺は今から裏山に帰しに行くところだったんだ」
「そうですか」
千原信忠は俺に別れを告げ、廊下を歩いていった。俺はその後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
あの滑らかな鱗模様は
時に怪しくうねる鱗模様は
どんなにあまやかな香りに満ち
どんな安らぎの匂いに満ちていることか
ゴマ粒ほどのつぶらな黒い瞳が
ほんの一瞬こちらを向くと
心臓は熱く泡立ち
気が付けばその恐ろしさに涙しているのだ
ああ ああ
この学園にただ一人の
爬虫類の血を持つその人こそは
わが天使 わが女神
頭に浮かんで来た詩を一蹴して、俺は校舎を巡ることにした。この校舎の四階に図書室はあった。
図書室の前まで来て、やはりまだ開いてはいないのかと踵を返したところに、俺は声をかけられた。
「塩崎?」
後ろから聞こえたので図書室の方から聞こえたのだろう。俺は面倒に思いながら、またも踵を返す。そこには一人の少女がいた。名前は思い出せない。
「図書室、今開けたから、入っていいわよ」
「あの……どこかでお会いしましたっけ」
会ったことは覚えている。だけど、いつ、どこで会ったのかは覚えていない。誰なのかも分からない。そんな人間が俺の名前を知っているということが、何とも不気味であった。
「私よ。神代爪身。同じ文芸部でしょう?」
その時、俺は文芸部に所属していることを思い出した。入ってから一度も顔を見せてはいない。となると、この神代と会ったのは歓迎会の一時間だけであり、俺のことを覚えているのはどうにも妙であった。
「塩崎さ。文芸部に入って一度も顔見せてないからどうしたのかなって」
「別に毎日行かなくてもいいだろう。作品ができた時、持っていけばいいだけなんだから」
俺は神代にムッとしていた。それほど知った仲でもないのに呼び捨てしてきて、妙に馴れ馴れしい。こいつは嫌いだ、と俺は思った。
「でも、みんな毎日来てるよ。誰も書きものをしてないけど。塩崎は真面目ね」
俺は放課後を無意味に過ごすつもりはなかった。そうやって意味のない会話をするよりも、一人で読書をしている方がまだマシなのではないのか。
でも、俺は一つの現実を実しやかに隠ぺいしていた。俺には有意義に時間を過ごすための目標がないということを。それが故に、文芸部に所属し、詩を書いているということを。
適当に本を選んで借りる。そのまま教室に帰ろうかと思ったが、久々に舞い降りてきた詩を書き留めておこうと思った。あのビアンカという蛇に刺激されて思い浮かんだ詩だ。神代に紙とメモ帳を借りて書きとめた。
「どう?いい詩ができた?」
俺は無視をして教室に戻った。
なだらかな丘陵のように日々は過ぎていく。なんの代わり映えもしない、退屈な日々。そんな中で人は退屈を紛らわそうとフィクションを創り出した。今ではそのフィクションに世界は征服されていた。アニメやラノベの女の子に萌える男たち。かく言う私もその一員でね。
俺は学校で女子生徒から恋を打ち明けられたことも、ほんのちょっとしたちょっかいをかけられたことすらない。
まあ、あるわけないのだ。そんなこと。そして、あるはずがないからホッとしている自分もいる。面倒ごとなど、空想の中だけで十分なのだ。
昼休みの次の授業は体育だった。なので、体育館の中にある更衣室に急ぎ、着替えをした。
男子更衣室からは女子の声が聞こえてきている。別にアニメみたいに胸がどうのこうのとか、官能的な叫び声が聞こえたりはしない。だが、それでも俺たち男子の顔は赤くなり、丹精込めて育ててきた息子たちは敏感になっているようだった。
「どこか、覗ける場所はないものか」
俺は呟いた。そして、女子更衣室の方の壁をじろじろと検査する。そう。声は物凄く聞こえてくる。つまり、壁は思いのほか薄い。だが、どこにも、穴は、空いていない!
「おい。アイツ、バカだぜ」
初め男子は俺のことをバカにしていたが、俺があまりにも真剣なものだから、次第に口数が減り、ついにはつばを飲み込む音が聞こえた。
「この部屋と向こうの更衣室は構造的に同じではないか」
「お、おい。お前、塩崎だろ?何をしようと考えているんだ」
「そこに更衣室がある。それだけで、男が命を懸けるには十分ではないか?」
俺の言葉に男たちは猿のような声を上げる。
「塩崎。お前は草食系かと思っていたぜ」
「俺たちはお前についていく!」
そんなこと、どうでもよかった。俺は俺の望みをかなえるまでなのだから。
男子更衣室の窓を調べる。カーテンはない。窓は曇りガラスで、外の様子はおぼろげにしか分かりはしない。内側から鍵がかかっている。つまりは窓からのぞくのは無謀ということだ。だが、あと入り込めそうな場所と言えば、出入り口しかない。命を懸けるに値すると豪語しながらも、社会的に死にながら生きて行くつもりはない。
「勝利の方程式は決まった!」
俺は更衣室を出て、外から女子更衣室の方へと回り込む。男子更衣室の窓を越え、女子更衣室の窓を越え、そして、角を曲がる。すると、そこは校舎の壁であり、その壁の向こうには女子更衣室がある。
「塩崎。どうかしたのか?」
追いかけてきた男子生徒たちは心配して俺に声をかけてきた。俺は思わず漏れてしまった笑みを堪え切れないでいたのだ。
「諸君、我々は偉大なる先輩方に敬意を払わなくてはいけない。彼らの尊い犠牲により、俺たちの勝利は決まった」
校舎の壁はコンクリートである。だから、それを壊して女子更衣室を覗くのは難しい。しかし、その校舎の壁には小さな亀裂があった。それは自然にできたものではない。壁には仄かに削った痕がついている。俺たちはその隙間から女子更衣室を垣間見る。
だが、やはり、その先は真っ暗だった。つまりは、この夢のノゾキアナはまだ未完成なのである。では、どうすればいいのか。簡単だ。開けてしまえばいい。
「俺、折り畳みナイフ持ってます」
男子生徒の一人が俺にナイフを差し出した。どうして折り畳みナイフなど持っているのか不思議ではあったが、コルク開けとかいろいろついている七つ道具タイプのものなので、使い勝手が良いのかもしれない。
俺は最後の一撃を、栄光への架け橋を渡そうと、壁にナイフを突き立てた。その時である。
「お前ら、何してるんだ?」
芯の通った女の子の声。俺は恐る恐る声のした方を見る。そして、間違いないと思っていた回答とその答えが一緒であるので満足しつつ、俺はあと数秒の命だと知れた。
俺たちを睨むように少女が立っていた。
その少女は俺の一つ上の学年で、背が高くて美しく、その美しさといったらまるで悪魔みたいで、この高校で一番美しいとさえ言われている。
それだけじゃない。この少女は中学時代に暴走族の仲間だったという噂もあり、今でもヤンキーみたいな言葉を使ったりするので、男子生徒でさえ恐れていて、誰も彼女にあまり口を聞かず、近づこうともしない。
そんな彼女が眼をいからせて俺に詰め寄ってきたんだから恐ろしい。
「えーっ。本日はお日柄もよく――」
そんな口上を述べた瞬間、俺の頬は景気よくはたかれた。
「何やってんだ?哲也ァ?」
少女は笑っているのだろう。だが、その表情は般若の面そのものであった。背後から禍々しい何かが立ち上っている。
「耀子。これには深い事情があるんだ」
俺は必死に弁解する。ちなみに、先の言葉は考えてさえいない。ちなみに、俺以外の壁の前にいた男子は耀子によって既に倒されている。
俺は再びはたかれる。
「これは生物の実験なんだ。どれほどの刺激で精子の精製が活発になるのか、というね――」
「そうか。実験の邪魔をして悪かったな」
二度と実験をできないようにしてやるよ、と言わんばかりに、俺の股間に鎮座するDARKER THAN BLACK――留精の双子――は耀子の華麗な足によってこの世から葬り去られた。
その後、耀子からの告げ口によってクラスの男子全員が晒し者しされた。そして、その日のうちに壁の亀裂は埋められてしまった。
ちょっとしたハプニングがあった後の放課後。別に何かが起きることもない。
俺は久々に文芸部に顔を出そうと考えた。例え駄作であろうとも、詩を残しておきたかったのである。
俺は校舎の一階の廊下を歩く。運動場に面した、放課後の廊下を俺は歩く。運動場への出口には男子生徒たちがたむろしている。コンクリートの段や木の廊下の床にべったりと座ったり、壁や柱にもたれかかったりして、運動場からは廊下との境の窓越しに、歩いていく俺の姿を見てはいない。行く先ざきでそれまでの話し声が続く。時おりごく、と唾を飲み込む喉の音と、「唯ちゃん」「あずにゃん」と名をささやき交わす声が聞こえる。
俺は二階への階段をあがる。
ふと、今朝の千原という少年が気になって、俺は二階の、生物学教室の隣の、教材置き場を兼ねた小さな実験室へ俺は行く。実験室の中を扉の小さな窓から覗こうとした時、ガラリ、と実験室の扉が開いた。
そこから出てきた人物を見て、俺は思わず、
「シュワちゃん!」
と叫んでいてしまっていた。
「こら。先生をあだ名で呼ぶんじゃありません」
アメリカの元カリフォルニア州知事の俳優にそっくりな30代の男性教師が笑顔で俺に言った。俺はこの先生が怒っているところを見たことがない。
「すいません。工藤先生」
俺は素直に謝った。謝ったけど、残念ながら、思い浮かんで来たのは苗字だけで、名前は思い出せない。
「どうした、塩崎。実験室に何か用か?」
「いえ。用というわけではありませんが……」
ただ、俺の担任の先生がどうして実験室にいたのかは気になった。
「どうして先生が実験室にいるのかな……と」
すると、シュワちゃん、もとい、工藤先生は暑苦しいほどの笑顔で笑った。
「HAHAHA!俺は生物の教師だぞ。来てもおかしくない。今日はその用事で来たのではないがな」
アメリカ風に笑われると、在りし日の、ターミネーターで敵として出てきた時のシュワちゃんにしか見えない。体も鍛えているのか、生物学教師にはみえないほどの肉体である。
「俺は生物研究部の顧問だから、部員の様子を見に来たんだ。部員が一人だから、塩崎が入ってくれると助かるがな」
「遠慮しときます」
俺は廊下をスケートするようにシュワちゃんから逃げ出した。
文芸部の部室は図書館の横にある倉庫の一室にあった。
「こんにちは。塩崎くん」
先輩の一人が俺に言ったが、俺は挨拶をしない。今日書いた詩を無言で渡して去っていこうとした。
「あ!塩崎じゃん!」
今朝の少女、神代が俺を見つけて、顔を輝かせる。面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりだ。俺は神代から目を逸らして逃げようとする。
「待てよ。塩崎。ちょっとくらい楽しんでいけよ」
何を楽しんでいけと言うのか!
俺の血管はストレスで浮き出ている。そろそろヒステリックに叫びだすところだ。
と、そんな時、部室の隅で本を読んでいる少女を見つけた。その少女は俺の隣の席の、俺を極端に怖がった少女だ。
「秘愛と知り合い?」
神代はしつこく俺に話しかける。
「教室で隣の席なだけだ」
「へえ。彼女は千代女秘愛。あまり話さない子だから、仲良くしてあげてくれるとうれしいな。」
「それはお節介じゃないのか?」
苛立った俺は神代にそう言ってしまっていた。
「千代女が友達を欲しいとも言っていないのにお前はどうして友達を作ってやろうと思っている。そういうのをお節介と言うんだ」
神代は一瞬泣きそうな顔になったが、もとより気丈な性格なのか、すぐに俺に食ってかかる。
「友達は多い方がいいじゃない!塩崎のバカ!嫌いだ!この童顔野郎!」
「誰が童顔だ!」
俺は自分が童顔だと思っていなかったが、辺りが急にしんと静まりおかしな雰囲気になるので困ってしまった。とにかく、この場に長くいるつもりはないので、俺は早々に逃げ帰った。
俺は帰って己の顔を鏡で見た。色の白さや睫毛の長さや黒眼ばっちりなど、まるで女の子みたいだが、顔立ちそのものはやっぱり男の子で、さわやかで涼しげな細おもての少年だ。スマートフォンで童顔の特徴を検索すると、ばっちりと俺の顔の特徴とあってしまっていた。
つまり、俺は童顔なのだ。まだまだガキであるのだ。
そう気が付いた瞬間、女子が俺に馴れ馴れしく話しかけてくることへの理由がついた。つまり、俺は男として見られてはいないのだ。俺はただの可愛いマスコットキャラなのだ。可愛い顔なのかどうかは分からないが、女にとって俺は侮っていい存在であることに気が付き、深く傷ついた。
さて。私は今、恐怖に駆られている。このような作品を世に出していいかである。いや、別に傑作がどうのとかそう言っているのではなくて、世の中、二次創作が違法だと言われていたりする。そして、今回あの生ける文豪、筒井康隆と生ける鬼才、筒城灯士郎の作品をパクって、新しい物語を、それもネタバレかもしれないものを書いたわけである。
これは、男たちの物語。
ビアンカシリーズというのは未だ明かされていない謎が多く、きっと筒井康隆はそれを明かさないということが文学だと心得ているに違いない。つまり、私のしたことは文学界に対する侮辱のほかにならないのだけれど、書いてしまったものは仕方ないのである。私は生れ出た赤ん坊をミイラのままにしておきたくはない。だから、ネット小説にアップし始めたのだ。
ごめんなさい。皆々様。