夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した 作:ルシエド
負傷詳細簡易報告。
乃木若葉、負傷詳細。
右肩脱臼、両足骨折、数箇所の出血。呼吸器系に軽度の損傷の可能性あり。
高嶋友奈、負傷詳細。
内臓全般に大小様々なダメージ。循環器系に損傷の疑いあり。
土居球子、負傷詳細。
出血多量、乏血性ショック、武器破壊による勇者の戦闘力の喪失。
伊予島杏、負傷詳細。
頭部出血、脳震盪。しばらくは要脳検査。
ケン・シェパード、負傷詳細。
骨折三箇所だが、胸の火傷が特に重傷。一兆度の負傷は予断を許さない。
御守竜胆、負傷詳細。
頭蓋骨骨折。肋骨六本骨折。
右腕、複雑骨折一箇所、粉砕骨折一箇所。
左腕、複合骨折一箇所、完全骨折一箇所(再検査要す)。
右足、単独骨折一箇所、複雑骨折一箇所。
左足、圧迫骨折による複雑骨折二箇所。
骨盤、背骨、複雑骨折二箇所ずつ。
筋組織部分は再生能力のため検査時点では損傷を確認できず。
出血多量、神経障害、皮膚喪失率六割。
背中に肉と骨が抉れたような大火傷。
内臓破裂六箇所。
異常癒着三十六箇所。異常置換部位四十九箇所。異常変化二十八箇所。
新造内臓三種、新造脳一種確認。
上記の負傷に致命傷となるものは無し。後遺症は要観察。
各人、打撲等の軽傷は省略する。その詳細は別紙にて。
最速完治と最速復帰は御守竜胆と推測される。
御守竜胆と郡千景の二人のみで戦線を構築する作戦立案が求められる。
結局俺は、殺すことしかできないのか。
どうやっても俺は、壊すことしかできないのか。
守ることなんてできないのか。
俺が、ウルトラマンでないから?
俺が、光ではないから?
それとも……俺が弱いから?
何故俺が生きてるんだろう。
何故俺じゃなくてボブが、グレートが、死んでるんだろう。
誰にだって分かる。
俺よりも、あの人の方が生きる価値があった。
誰が考えたって明白だ。
俺があの人に勝っている点が、どこにある?
生きてちゃいけない奴が生きてる。
生きるべき人間が死んでる。
何の冗談だ。
何だこの世界は。
少しは因果応報に沿え。
ふざけてるのか?
ちゃんとした人達が頑張ってるのに報われない世界で、人殺しのクソ野郎の方が生き残ってる世界で、誰が頑張って生きていくっていうんだ。
優しい人が生き残りやすいようにしてくれよ。
悪党の方が先に死ぬような世界にしてくれよ。
善悪が結果に少しは反映されるような世界じゃないと、誰も頑張らないだろ。誰も正しく生きようとしてくれないだろ。皆ズルや悪行ばっかして真面目に生きなくなるだろ。
分かれよ、馬鹿野郎。
優しい人が報われて、悪党に報いが訪れる、そんな世界であってくれよ。
何やってんだよ神様。
真面目に世界見てんのかよ。
……ああ、そうか、そういや……神様は、そうだったな。
だから世界は、こんななのか?
ああ、嫌な話だ、本当に。
俺が、あの地下から出されたのは。
人を守るためじゃなかったのか。
誰かを守る役目を果たすために、出してもらったんじゃなかったのか。
結局死んでしまうなら俺が出たことに何の意味がある。
俺は本当に償えてるのか?
俺は本当に贖罪できてるのか?
罪を増やしてるだけなんじゃないのか?
なんだろう。
分からない。俺が分からない。俺は何を考えてるんだ。
物騒な考えと穏当な考えのどっちが俺の本当の本音か分からない。
殺したい。殺したいんだ。
ボブとグレートを殺したあいつを殺したかった。殺せなかった。
守りたかった。守りたかった。
俺は……仲間を守りたかった。
殺せなかった後悔と、殺させてしまった後悔の、どっちが大きいのか分からない。
悲しくて、憎むことに集中できない。
憎くて、悲しむことに集中できない。
もっと単純な自分であってほしかった。
憎んでるせいで悲しみに集中しきれてない俺も、悲しんでるせいで憎しみに全てを傾けられない俺も、嫌いだ。死ねばいいのに。
悪夢を見る。
悪夢を見る。
悪夢を見る。
夢の中で俺を責める人が、一人増えた。
御守竜胆はそうして、目覚めた。
縛られた状態で、目覚めた意識が暴走する。
柔らかな言い方をすれば"寝ぼけている"。
露骨な言い方をするなら"衝動的に自殺しようとしている"。
寝る前から技術的に脳の活動を律したりしない限り、人は夢を理性で制御できない。
寝起きの時に自分の脳活動を理性で制御できないのと同じ事だ。
そしてある程度技術や投薬で緩和できるとはいえ、深いトラウマ・重傷な心の傷・忘れられない嫌な記憶の根治に、確実な方法は無い。
一生消えない心の傷というものはある。
普段は理性で抑え込んでいたものも、寝起きの時には表に出てしまいがちだ。
「うっ、ううううっ、ウウウッ、ギギギギッ……!」
人間には、本音を吐露する権利がある。
弱く在る権利がある。
大切な人が死んだ時、感情のままに振る舞う権利がある。
だが、竜胆にその権利はあるのだろうか。
ボブのために泣けば、そのまま暴走してしまいかねない彼に、大切な人が死んだ時涙を流す権利はあるのだろうか?
無い、と竜胆だけは言い切れる。
少年は落ち着いてきた頃、寝る前に体に付けていた拘束を外し始める。
何故か、手が血に汚れて見えた。
何故か、これまで殺してきた人の血に見える。
幻覚だ。
闇が見せる幻覚だ。
幻覚だと自覚しても消えない。
心の闇が、竜胆の手を、人の血に汚れたそれに見せる。
次第に手に血の暖かさ、血のぬるぬるとした感触、血の生臭い香りが感じられてきて、何故かその血がボブの血であるように感じられてきた。
竜胆は何かに急き立てられるように、手錠の付いた手を洗面所で必死に洗う。
幻覚の血が洗ったところで落ちるものか。
罪は水に流せない。
「……っ」
心が落ち着くにつれ、竜胆は気付く。
今、自分の手に付いているのは幻覚の血ではない。
現実の血だ。
自分の血だ。
幻覚の血を拭おうと必死に手をこすって洗ったせいで、こすりすぎで手の皮がすりむけ、そこから血が流れていた。
皮がずる剥けた手を拳の形に握り締め、竜胆は自分を戒める。
こんな不安定な状態では、また椅子に自分を固定でもしておかないと、自分が何かしてしまいそうで怖い。不安で不安でしょうがない。
「しっかりしろ……しっかりしろ、馬鹿野郎」
竜胆は懸命に、自分の心を律した。
グレートは死に、パワードの傷も深い。勇者もほとんどが重傷だ。
常人よりは早く治るだろうが、竜胆ほど早く治るわけもない。
竜胆を縛り付けて幽閉しておく余裕など、人類から完全に消えてなくなった。
「今! 戦える巨人は! 俺しかいないんだ!
誰にも頼れないし、誰にも無茶はさせられない……俺しかいないんだ!」
竜胆本人には聞こえない音が、竜胆の肉体の内側で、ギチギチと鳴っていた。
ボブの死は、皆に悲しまれていた。
彼は人々に愛される英雄だったと言える。
日本語が使えないくせに、街に出て日本人に好意的に接していた日常の一幕も多く、ボブの言っていることは分からないけれど、ボブが良い人だということは分かっていた人は多かった。
言語の壁も、人種の壁も関係ない。
ボブは皆に愛されていて、ボブは皆に信じられていて、ボブは皆に尊敬されていた。
人々は、自分達を守ってくれた彼を、愛すべき同胞として受け入れていたのだ。
街は悲しみに包まれていた。
ボブの死を悲しむ人々で溢れていた。
これからどうなるんだろうという不安がなかったわけではない。
市民感情は最悪で、グレートの死により「もうダメだ」と思った者は数え切れない。
それでも、街は恐怖や絶望ではなく、悲しみに包まれていた。
皆が皆、どんな恐怖や絶望よりも大きな気持ちで、ボブの死を悲しみ悼んでいた。
泣いている子供がいる。
千景は悲しみにくれる街の中で、その子供の姿を見た。
耳を澄ませば、ボブを慕う子供の声が痛いくらいに胸に響く。
人は、人のことを完全に知ることが難しい。
千景はボブのことを何でもかんでも知っているわけではない。
街に出たボブが何をしていたかなんて、千景は知らない。
それでも、千景にはなんとなく想像できる。
街に出たボブが、子供達を大切にして、子供達に慕われる、そんな姿が頭に浮かぶ。
勇者の中では一番ボブと親しくなかった千景ですらそうなのだ。
他の勇者なら、もっと明確にボブの日常を想像できることだろう。
街を歩きつつ、千景はボブのことを想う。
「……」
ボブが死んでから、他の人ほどボブのことを知らなかったことに気付いて、千景は"もっと仲良くしていれば"と思ってしまう。
ボブが死んでから、ボブに聞きたかったことが多かったことを思い出す。
なんで音楽にハマったのか、とか。
どんな食べ物が好きなのか、とか。
人生で一番楽しかったことや、人生で一番辛かったことも聞いたことがない。
日本に来て何を思ったのか、なども聞いたことがない。
聞きたいことがたくさんあった。
でももう聞けない。
彼は、もう死んでしまったから。
彼が千景をどう思っていたかも、もう聞けない。
死人に口はないからだ。
それが、人が死ぬということ。
その喪失感が、その悲しみが、人を殺してはならないという禁忌の理由である。
ボブと一番親しくない千景ですら、これなのだ。
ボブと仲が良かった球子と杏……特に仲が良かった球子の悲しみは、どれほどの悲しみを抱えているかも分からない。
千景は"生きている内に仲良くしていれば良かった"と思う自分を恥じ、生前に仲良くしようとしなかったことを後悔した。
生きていた時のボブは、千景に歩み寄ってくれていたのに。
他人との間に見えない壁を作っていたことを、千景は心底恥じて、悔いていた。
「……何よ」
千景の心には、皆いつ死んでもおかしくないという恐怖があった。
だが同時に、"この人達は死なない"という根拠のない考えや、"誰も死なないで"という願望もあったのだろう。
ボブが死ぬかもしれない、という想像が足りていなかった。
だから生前、"いつ死ぬか分からないから"という理由でボブと深く交流することもなかった。
ゆえに今、後悔している。
戦場での兵士は、いつ死ぬか分からないために、戦場で戦友に普通話せないようなこともペラペラと話すという。
何故なら、明日に自分か仲間が死ぬ可能性を見ているからだ。
仲間のことを知る前に仲間が死に、それを悔いたくないからだ。
自分が死ぬ前に、せめて仲間に自分のことを覚えていてもらいたいからだ。
千景はボブのことを知らなかったこと、ボブに自分のことを教えられなかったこと、そしてそのまま死別してしまったことを悔いる。
「馬鹿じゃないの、私は……本当に……今更、こんな風になってから……」
仲間が死ぬかもしれないと、もっと思うべきだった。
自分も死ぬかもしれないと、もっと思うべきだった。
ガイアとアグルが生死不明になった時に、その確信は揺らいでいたはずだったのに。
確信の隙間に、不安は差し込まれていたはずだったのに。
ボブの死に関する後悔の上に、死を恐れる気持ちが乗って、千景の小さな体が震えた。
(死にたくない……死にたくない……だけど……)
怖いことは沢山ある。
みじめに死ぬこと。無価値に終わること。人に忘れられること。戦うこと。死ぬこと。得た暖かさを失うこと。何もかもが怖い。
だが、怖くても逃げられない。
逃げて失われてしまうものがあるから。
千景の周りには、困難から絶対に逃げない、大切な人達がいるから。
死にたくないなら逃げればいい。失いたくないなら戦うしかない。
千景は、戦うことを選んだ。
(今、勇者は、私しかいない)
七人御先の生存能力は本当に高い。
先の戦いを無傷でくぐり抜けられたのは千景だけだ。
体を一つ安全圏に置くことを意識すれば実質無敵なのだから、本当に使い手次第でいくらでも強みを見せられる能力である。
今の千景には、七人御先の特性が本当にありがたく感じられた。
自分の精霊がこれでなければ、今頃竜胆は"最善でも"、たった一人で戦わないといけないハメになっていただろうから。
(『友情を、どうか大切に』だったわよね、グレート。大丈夫。ちゃんと、覚えてるから)
千景は成長した。
今の彼女が他の勇者皆より心が強いかと言えばそうでもない。
過去を乗り越えたかと言えばそうでもない。
だが、確かな成長がそこにはあった。
街を歩いている途中、海辺の海岸線にて、千景は見慣れた髪を見た。
見慣れた髪色、髪型、髪飾り。
高嶋友奈のそれを、千景が見間違えるはずがない。
「高嶋さん」
「あ……ぐんちゃん」
泣きそうな表情を浮かべていた友奈が、千景の方に振り返り、無理して笑顔を作る。
友奈は、いつもこうだ。
仲間の死に悲しまないわけではない。
でも、頑張って笑顔を作って、暗い空気を作らないようにする。
辛い時でも笑っているから、心がとても強く見える。
けれど心の底では悲しんでいる……そんな少女だった。
海を見て、泣きそうな表情になっていた友奈は、何を思っていたのだろうか。
「大丈夫? 泣ける時に泣いた? あなたは笑うだけじゃなく、泣いたっていいのよ」
千景がそう言うと、友奈は目を見開く。
そして、なんだか嬉しそうに笑った。
少し千景らしくなくて、結構竜胆っぽくて、けれど何故か千景らしく感じられる、励ましの意思が感じられる気遣いの言葉だった。
幼い子供は、他人に優しくするやり方を親や友達から学んでいくという。
他人に優しくすること、他人を気遣うこと、それらに慣れていない千景が、誰の優しさや気遣いの仕方を学んだかなんて、言うまでもない。
笑う友奈に、千景は怪訝そうな顔をした。
「……何? その反応」
「あ、ええと、ぐんちゃんに励まされるって思ってなかったから」
「……確かに……私は高嶋さんを気遣う方じゃなくて、気遣われる方よね。基本的に」
「ご、ごめんね! 深い意味は無いんだよ深い意味は!」
千景はちょっとヘコんだ。
友奈は千景の成長を心底喜んでいた。
慌てて千景にフォローを入れようとする友奈の姿が微笑ましい。
友奈はあまり成長していない自分と、確かに成長している千景を比べて、何の嫌味もない純粋な感嘆の息を吐いた。
「すごいな……ぐんちゃんはちゃんと、前に進んでるんだね」
「私は……性格が悪いだけよ。
ボブと生前、仲間としてちゃんと話し合うことすらしなかった。
だから彼が死んでも、他の人ほど悲しくないだけ。
仲間が死んでも悲しみが少ないなんて……むしろ、責められて然るべきだと思う……」
「仲間をちゃんと大切に想ってる人が、性格悪いわけないよ」
「……ちゃんと、思っていたのかしら」
「だってぐんちゃん、泣いてたよ」
「……泣いてたのは、高嶋さんじゃない……」
「うん。だから私達の気持ちは、一緒だと思う」
グレートが肉体を消滅させながらゼットを追い返した、最後の攻撃のあの瞬間。
若葉は強く在り、悲しみを噛み潰す表情を浮かべた。
ケンは瞳を閉じ、湧き上がる感情を飲み込んだ。
球子は大粒の涙を流して拳を握り締め、杏はへたり込んで涙を流し、嗚咽を漏らした。
友奈は号泣し、叫んだ。
千景は泣かなかった。ただ、悲しみの表情を浮かべていた。
そして竜胆は、両手足が砕けているのに、もう変身が一度解除されているのに、敵に向かって走って行ってもう一度変身し、叩き潰そうとしていた。
涙を流しながら、憎悪していた。
それを千景が羽交い締めにして、取り押さえていた。
千景は泣いていなかったが、友奈は泣いていたと言う。
彼女がそう言うならそうなんだろうかと、千景は思った。
きっと、友奈にしか見えない涙が、悲しみが、そこにはあったのだ。
千景は自分で思っている以上に、ボブに対して親しみと好意を持っていた。
「大丈夫だよぐんちゃん。私、ちゃんと泣いたから。だから私は、笑うんだ」
「高嶋さん……」
「辛くても、苦しくても、笑うよ。
ボブが『ないすすまいる』って褒めてくれたの、思い出したから。
褒めてもらった笑顔は……絶やしたくないんだ。あの人のためにも」
友奈は無理して笑っている。
だがそれは、否定されるようなものではない。
これは彼女が彼女なりに死者に手向けた、葬送の花だ。
"私は今も笑えてるよ"というメッセージ。
"褒められた笑顔はまだここにあるよ"というメッセージ。
"あなたが守ってくれたからまだここで笑えてるよ"というメッセージ。
花咲く笑顔を、死者に花を手向けるように、友奈は手向ける。
暗い顔をしていたら、あの世でボブがいい気持ちになれないだろうと、友奈は思うから。
あの世のボブが"守ってよかった"と思えるような笑顔を、頑張って浮かべるのだ。
その笑顔につられて、千景も微笑む。
「ええ、お願い。高嶋さんの笑顔は、とても素敵だから」
千景は自分の笑顔に、他人を笑顔にする力は無いと思っている。
だから他人も笑顔にできる友奈の笑顔を、心底尊敬していた。
「高嶋さんの笑顔は、皆の元気の源よ。
きっと……竜胆君を笑顔にするなら、私の笑顔よりも、ずっと効果的だと思う」
「ええっ、そうかな?」
「ふふっ、そうよ」
花は、人と違って鏡を見られないから、自分の美しさを知らない。
花咲く笑顔が他人を救うことを、その当人だけが知らない。
自らが花咲くことで、それを見た人の心を癒せることを、その花だけが知らない。
千景も、友奈も、そうだった。
どちらの笑顔にも、特定の少年によく効く力があった。
「高嶋さん。一つ、残酷なお願いを聞いてほしいの」
「……残酷なお願い?」
「私が死んだら……その時は、竜胆君をお願い。高嶋さん、私の代わりを、お願いします」
「!」
真面目な表情の千景を見て、友奈は驚きながらも、それが冗談でないことを察した。
「え……な、何言ってるのぐんちゃん!」
「私は死ぬ気は無い。死にたくもない。でも……怖い。
ボブが居なくなって、思ったのよ。
私も死ぬかもしれない。いつか死んでしまうかもしれない。
怖くて、とても怖くて……
それで、気付いたの。
私が死んだ後……彼は、竜胆君は……どうなってしまうのかって……」
「っ」
「多分……今だと、私が一番……正確にそれを想像できてる気がするわ」
千景の中には、明確な想像が浮かべられている。
千景が死んだ後、ズブズブとバッドエンドまで行き着いてしまう竜胆の姿の想像が。
友奈は、真面目な声色で問いかけた。
「なんで私なの? 若葉ちゃんとかじゃ駄目なの?」
「高嶋さんは……不思議と、困難をどうにかしてくれそうな気がするから。
高嶋さんは、辛い思いをしている人にとっては救いだと思うから。
それと、竜胆君の心の一番弱いところには、高嶋さんが一番効くと思うから」
「そうかな……?」
「うん。竜胆君はそういう人で、高嶋さんはそういう人」
千景は強い口調で言い切っていく。その予想に、よほどの自信があるようだ。
「あと、高嶋さんよりしぶとく生き残りそうでも、乃木さんに頼むのは、心底嫌だから」
「ええっ!? なんで!?」
「乃木さんに竜胆君を任せるくらいなら野良犬に頼むわ……」
「ぐんちゃん、ぐんちゃん、なんてこと言うの」
「高嶋さんに任せるのならギリギリ許せる……そういう話なの」
千景は自分の死後に竜胆に慕われる若葉の姿を想像するととてもイラっとする。
自分の死後に友奈に優しくされている竜胆を想像すると悲しみとほんわかした気持ちを覚える。
つまりはそういう話だ。
物凄く雑で俗な言い換えをしよう。
友奈なら良いが、若葉だと寝取られ感がする、だから嫌。そんな気持ちが千景の中にはある。
千景は死ぬつもりも無いし、死にたくもないけれど、自分の死んだ後のことを考えると、色々な理由で心穏やかでいられない。
心穏やかでいられないということは、戦場で不覚を取りやすくなるということだ。
千景は死なないために、友奈に"自分の死後の友達のこと"を託そうとしている。
「お願い、高嶋さん。
私はこの問題で安心できないと、心穏やかに戦えそうにないの」
友奈は本音を言えばこんな頼まれ事、受けるどころか友達の口から聞きたくもなかったが、この頼みを聞くことで千景の精神が安定し、千景が死ににくくなることも分かっていた。
悩んで、悩んで。
悩んだ果てに、千景の頼みを聞くことを決める。
「分かった。分かったけど……ぐんちゃんも、どうか死なないで。
泣くのは私だけじゃないよ。皆悲しむよ。リュウくんなんて、どうなるか……」
「分かってるわ」
ボブは死んだ。
だから誰もが思うのだ。
次は自分が死ぬかもしれない。次は別の仲間が死ぬかもしれない。明日は誰が死ぬだろう。
改めて、誰もが死を想う。
「私は死なない。死ねない。死にたくない。だから……大丈夫よ」
生きる決意を固めて、千景は友奈に微笑んでいた。
誰もが悲しみの中に居た。
悲しみへの向き合い方は人それぞれ。
その内心を覗いて初めて、その悲しみは測れるだろう。
友奈は頑張って笑った。
千景は心で泣いた。
球子は、ボブの部屋を訪れていた。
「案外、綺麗な部屋だったんだよな」
楽器や音楽雑誌が並んでいるのが目立つが、こざっぱりした部屋だった。
「なっつかしいなー。どの楽器もボブが一回は演奏してるの見たことあったっけ」
想い出があった。
「おもしれー、ってなって。タマとかが、お遊びで演奏習って。ボブは教えるのも上手くて」
想い出があった。
「ボブや杏と音が合うと気持ちよくて、タマはヘタクソでも合奏は楽しくて……」
想い出があった。
「ボブはいつも、音楽で人は繋がれるって言ってて……それで、それで……」
想い出があった。
「皆と音が合うと気持ちいいの感じて……"ああこれか"って感覚で分かるようになって……」
想い出があった。
「ボブは……人間皆分かり合える可能性はあるって……信じてて……
竜胆先輩だって……聞いてないボブの曲たくさんあって……
タマだって……聞きたいことも……教えてほしいこともまだ……
……ありえないだろ……
ウルトラマンは無敵で、カッコよくて、優しくて頼れる、みんなの、みんなの……」
こぼれ落ちる涙があった。
「……なんだよ、タマってば、こんなに女々しい奴だったのかよ」
ボブの部屋には、ボブの想い出がたくさんあった。
ボブ本人はいなかった。
球子の心は、今は亡き仲間に会うために、球子をここに向かわせた。
この部屋に来ても、会えるのはボブとの想い出だけなのに。
「ボブだったら、今のタマになんて言うかな……」
球子の涙が、ボブのギターに落ちる。
あの人ならなんて言うだろう、と思うのは自由だ。
だが、それは何にもならない。
ボブが何を言うかなんて、本当のところは誰にも分からないからだ。
球子のこの台詞は、"ボブが何を言うか"を想像する言葉ではない。
"ボブの声が聞きたい"という願望の発露。
兄のように頼りにしていた大切な仲間が死んでしまったことで、中学二年生の女の子の口からぽろりと漏れた、悲しみの弱音なのだ。
部屋のドアが、静かに開く。
「タマっち先輩……?」
「あんず……」
二人は同じ気持ちで、けれど違う考えで、視線を合わせた。
「どうした、あんず」
「誰かがボブの部屋に入ったのが見えたのに、一時間経っても、誰も出てこなかったから……」
「……」
いつの間にか、球子がボブの部屋に入ってから一時間以上経ってしまっていたらしい。
一時間程度で全部思い返せるほど、ボブとの想い出は少なくない。
それもまた、当然のことだった。
「今日検査だったろ、あんず。頭の怪我は大丈夫だったか?」
「うん。来週また再検査だけど、戦闘はまだダメだって。
あと血圧が上がるのも危険だから、お風呂もシャワーだけにしろって。タマっち先輩は?」
「タマも似たような感じだな。
激しく体動かしたら、腹がまた裂けるって。
……タマにとっては、ぶっ壊れた旋刃盤の方がネックになってるけどな」
「……」
「変身は何とかできるようになったみたいだけど、実質タマはリタイアかもしれない」
杏と球子の、互いの怪我を心配するような台詞。
声色が相手を気遣うような、腫れ物に触るようなものであるのは、互いの心が悲しみと傷で満たされていることを理解しているからだろうか。
二人ともダメージが大きい。
特に球子は、勇者の武器を破壊されている。
勇者システムで変身自体はできるようになったらしいが、旋刃盤が割れている以上、ちょっとやそっとの補修作業でタマの戦力は戻らない。
大社はよくやった。
だが、もう無理だ。
土居球子はまともに勇者として戦う力を失ってしまった。
だと、いうのに。
「タマっち先輩、次の戦い……」
「あー、聞いた聞いた。全員、戦闘開始時点では樹海待機だってな」
「御守さんと千景さん以外は、全員まだ絶対安静と言われてるのに……」
「……しょうがないだろ。あんず」
「それは……分かってる。
でもこれは、露骨だよ。
大社は口に出して言ってないだけ。
御守さんと千景さんが負けたら、重傷でも戦えなんて、こんな……」
「もう他に、誰もいないんだ。しょうがないだろ……だって……」
"ボブとグレートが死んでしまったから"。
その台詞だけは、球子も杏も、努めて言わないようにしていた。
次の襲撃はいつだろうか。一日後か。一週間後か。一ヶ月後ということはないだろう。
敵はそんなに、待ってはくれない。
そして、彼女らの傷はすぐには治らない。
バーテックスは死んでもすぐ補充されるが、人間は少しの損壊で長い休養を必要とする。
もはや人類は、ズタボロの少女に壊れた使えない盾を持たせて、予備戦力として戦場に配置せざるを得ない段階に突入していた。
「どうして……こんな風になっちゃったんだろうね」
「あんず……」
「あの頃は……みんな居たのに……
みんな元気で、一緒に居たのに……
今はみんなボロボロで、何人も居なくなって、死んで、しまって……」
杏の瞳から、涙がこぼれる。
中学一年生の女の子でしかない彼女は、湧き上がる悲しみを抑えきれない。
球子もつられて泣きそうになって、こらえようとして、けれど溢れる涙を抑えることができず。
二人は静かに、声を押し殺して涙を流した。
ボブの居ないボブの部屋に、二人分の涙が落ちた。
(タマは、男っぽくってガサツで、女っぽくないっていつも言われてた。
だけど、杏は女の子っぽくて……弱くて……本当に女の子らしい。
タマは決めたんだ。
自分自身に誓ったんだ。
タマが絶対になれないようなこの子を、タマが守るって……そう決めてたのに……)
強く在ろうとする球子。
強く在ろうとする球子に憧れる杏。
されど二人は、今涙と共に、弱さを見せていた。
(タマは、こんなに弱かったか……杏の前で弱さを見せちゃうくらい、弱かったか……?)
涙が抑えきれない。
大切な人が死んだという事実を前にしたなら、少女にとっては当然の反応。
泣くのも当然だ。
悲しむのも当然だ。
それは、人間ならば当然の感情で、当然の落涙である。
悲嘆を、不安を、憎悪を、球子も杏も少しずつ制御できなくなっている。
球子も、杏も、自分の内側に蓄積した精霊の穢れを、自覚していなかった。
もしも、絶望の中でも自らの力で生き残る者が居るとすれば。
それは、強い者だろう。
心のどこかに鋼の強さを持つ者だろう。
心の強さだけで生き残れる、というわけではない。
だが個々人の力に極端な差がないと仮定した場合、集団の中で最後まで生き残るのは大抵、周囲よりも心が遥かに強いものである。
ボブの死に確かな悲しみを抱き、けれど揺らがず現実に相対し、心の強さを見せた者もいた。
若葉やひなたが、それだった。
若葉は確かに悲しんだが、泣かなかった。
ひなたは泣いたが、次の日には引きずらなかった。
若葉は悲しみに膝をつかない心の足腰があり、ひなたは悲しみに暮れても立ち上がる心の足腰があった。
「私は、何も分かっていなかったのかもしれない」
ひなたの部屋にて、車椅子の上で目を瞑り、若葉はひなたに悔恨を語る。
「恐ろしい敵が現れること。
敵に仲間が殺されること。
バーテックスの悍ましさ。
……本当は、何も分かっていなかったのかもしれない」
「若葉ちゃんは、ちゃんと分かっていましたよ」
「なら、何故ボブとグレートは死んだ」
「……若葉ちゃん。どうか、自分を責めないで」
「竜胆じゃあるまいし、そこまで私は自罰的でもない。
悪いのは敵だ。あいつと違って、私はちゃんと弁えている」
「あら……」
「ただな、分かるだろう?
友奈や竜胆のような者は、特にそうだが……
仲間が死ねば、心の奥で自分を責めてしまうような優しい者は……
仲間を誰も死なせず物事を乗り切る以外に、その心を守ってやる方法がないんだ」
若葉は悲しまないわけでもないし、俯かないわけでもない。
ただ、とことんくじけない。
友奈が普通の心を奮い立たせる勇気の少女なら、彼女は全く折れない鋼鉄の少女だ。
折れぬからこそ、誰よりも強い希望になる可能性を秘めている。
「友奈は朝に海に行くと言っていたな。竜胆はどうしている?」
「今日も特訓しているようですね」
「特訓?」
「毎日のように特訓していますよ。
ボブを初めとした皆さんの戦闘訓練のビデオも穴が空くほど見ているみたいです。
私も動画集めをお手伝いしました。若葉ちゃんの訓練風景など色々と……」
「おい、ひなた」
「汗で服が張り付いている若葉ちゃんの訓練動画で顔を赤くされていましたが、編集で……」
「おい、ひなた!」
「大丈夫です! 彼も立派な若葉ちゃんのファンですからね!」
「ひなっ……ああ、もういい」
なんなんだもう、と若葉は溜め息を吐いた。
だが、竜胆が特訓をしていると聞き、若葉の胸の内は熱くなる。
あの男はやはり折れていなかった、と思うと、湧き上がる嬉しさがあった。
若葉は人の心の強さを喜ぶ、そういう人間である。
ライバルが不屈であることもまた、若葉にとっては喜ばしいことだった。
「特訓か。よし、私もまた手伝って……」
「だーめ、です!」
「あいだだだだ!」
ひなたがちょこっと若葉の肩をつついた。
若葉は車椅子で外をうろつくこともあったが、本来なら病院のベッドで寝かされているべき状態である。
戦いの中で腕が抜け、両足の骨がヒビが入っていたのに、最後まで気絶に抵抗して動こうとしていた勇者は流石にものが違う。
ただ、平時でこういう無茶をするのは、ただのバカだとも言える。
「車椅子がなければ移動もできない人が何を言ってるんですか!
ギプスと包帯が全部取れるまでは絶対安静です! 修行なんてもっての外ですよ!」
「まあ待て、左腕だけならなんとか動かせるから……」
「ライバルの修行にそんな情けない姿を見せながら付き合うつもりですか?」
「……むぅ」
若葉は一発で黙らされ、渋々納得した。
流石はひなたといったところか。
若葉がよく聞く言葉、若葉によく効く言葉をよく分かっている。
「無茶するなとは言いません。
でも、する無茶は選んでください。
前回の戦いで、皆がボロボロで帰って来たのを見て、どんなに心配したことか……」
「……すまない」
ひなたは、ボブの死だけを重く扱わない。
ボブの死も重くは扱うが、それだけでなく、今を生きている若葉達のことも気にする。
ほぼ全員が重い怪我を抱えて帰って来たあの戦いの結末は、一歩間違えれば全員があの戦いで死んでいたことを示唆しており、ひなたはそれをちゃんと分かっていた。
ひなたが望むのは、死者の蘇生のような無茶苦茶でもなく、戦士達が全員戦いから離れるという夢物語でもなく、いつまでも死者を想うことでもない。
今を生きる生者が死なず、殺されず、生き残ることだ。
「すまなかった。友が傷付いて辛い想いをしているのは、ひなたも同じだったのにな……」
「私は……今は、皆が無事で帰って来てくれれば、それ以上のことは何も望みません」
「そうだな。私もそれを望んでいる」
ひなたは戦いに向かう若葉に、全てを託す。
若葉は守るべき日常の中にひなたがいることを常に認識し、戦いに臨む。
戦う勇者と、帰りを待つ巫女。
二人は同様に、もうこれ以上誰も死なない未来を願った。
「もう二度と、こんな気持ちを味わいたくはない」
自然と会話が途切れ、二人はどちらかともなく、ボブの死を悼んだ。
「……」
「……」
"死を悼もう"とどちらかが言い出す必要すらない、言葉なくとも互いの考えが伝わる関係。
それが仲の良い幼馴染というやつである。
しばし、無言の時間が流れた。
二人の黙祷が途切れたのは、部屋のチャイムが鳴った時である。
「若葉ちゃん、ちょっと失礼しますね」
ここはひなたの部屋だ。
ひなたに用がある人間しか、基本的に来ない。
部屋の外に出たひなたの予想通り、部屋を訪れたのは大社の使いであった。
なんだろう、と思うひなたに大きめの封筒が渡される。
書類などがしっかりと入っているタイプの封筒だ。
ひなたは封筒の封蝋が"かなり重要な案件用"のものであるのを見て確認し、嫌な予感を覚える。
誰にも見られないよう――若葉にすら見られないよう――部屋に入ってドアを閉め、若葉の下にすぐには戻らず、その場で封筒の中身を確認した。
入っていたのは、竜胆のカルテと、医者の所見、そして大社の見解。
そして、この封筒の中身を、勇者にも、巨人にも、竜胆にも秘密にしろという指令だった。
カルテを見て、ひなたは自分の目を疑う。
竜胆のレントゲン写真を見て、ひなたは自分の正気を疑った。
(レントゲンに映ってるこれは……一体……
いや、そもそも、これは本当に人間のレントゲン写真……? これが……?)
夢ならどうか覚めてほしい―――ひなたは、そう思わずにはいられなかった。
ボブの遺したものに真っ先に手を伸ばしたのは、おそらく竜胆だった。
彼はボブの格闘の動きが記録されたDVD等を、ひなたの手を借りるなどして確保し、ボブの部屋からも資料になりそうなものを漁っていった。
そして見つけたものを使って、ひたすら特訓。
ひとりきりでボブの動きを練習していく。
「はぁ……はぁっ……ハァッ……!」
その竜胆の姿を、鬼気迫る憎悪の姿と見るか、死したボブに向き合おうとする悲しみの姿と見るかは、人によって意見が別れるところだろう。
ボブも最初は、子供の頃、自分一人で空手を練習していた。
今の竜胆のように、先人が遺した資料を使ってひとりきりで自分を鍛えていたのだ。
普段は仲間と助け合っても良い。
だがどうしようもなくなった、最後の最後の時、一人で戦わねばならない時もある。
そんな時、男は一人で戦うのだ。
自分自身と戦うのだ。
ボブのその魂は、在り方は、竜胆の魂に確かに継承されていた。
『故郷のない男』ボブのように、守るべきものを守るため、竜胆は自らを鍛えていく。
イメージするのは、竜胆にとって最強の格闘家、ボブの動き。
先を行く彼の後を追うように――先に逝ってしまった彼を弔うように――動きをなぞる。
技を学ぶ。
ボブの動きが記録された映像媒体と空手の本を頼りに、竜胆は自らの技の習熟度を、ただひたすらに一人で引き上げていった。
強くならねば。
その想いが、竜胆に特訓を重ねさせる。
もう誰も死なせたくない。
その想いが、竜胆に汗を流させる。
ボブが守ろうとしたものを、これからは俺が守るんだ。
その想いが、竜胆を強くする。
「ん?」
そんな特訓の中、竜胆は集めた資料の中に、ボブの書き残しを見つけた。
日記というほどのものでもなく。
遺書というほどのものでもなく。
戦いの中で死ぬことを覚悟していたボブが、仲間への想いを一枚の紙に走り書きしていた、その程度のものだった。
それを見た竜胆の胸が痛む。
宛先に自分の名前があったのを見て、竜胆は驚愕する。
かくして、特訓の休憩時間に、竜胆は辞書と参考書を引っ張り出して、紙に書かれた英文を翻訳し始めた。
遺書ですらない、短めの文。
難しい言葉がなかったこともあって、竜胆は文章を一つ一つ翻訳していくことができた。
『俺もいつかは死ぬだろう。
前はガイア、アグル、ネクサスが、犠牲になった。
子供達に大きな負担をかけてしまった。
次があるとしたら俺になるだろう。生きて皆を守りたいが、どうなることか』
一つ一つ、翻訳していく。
『もし俺が死んだなら、誰かがこれを読んでいるだろうか。
だとしたら、俺の死は悲しまないでほしい。
俺はもう十分に生きた。
だが十分には守れなかった。
俺が死ぬ時は、何かを守り、笑って死ぬだろう。だから悲しむ必要はない』
一つ一つ、翻訳していく。
『先に死んでしまってすまない。
生きてお前達を守れなくてすまない。
だが、あえて言わせてくれ。
勝て。
勝つんだ。
世界は優しくできていない。
力強き者こそが正義で、勝者こそが正義。それはどこの世界でもそうだ』
一つ一つ、翻訳していく。
『分かるか? 勝者こそが正義だ。
バーテックスが勝てば、奴らこそが正義となるだろう。
優しい者も、罪なき者も、子供も殺した奴らが、正義となるだろう』
一つ一つ、翻訳していく。
『優しき者が勝て。
負けてはいけない。
俺達の戦いは、絶対に勝たなければならない戦いなんだ。
でなければ、優しさ無き者が正義となってしまう。
勝利は、強く優しい者の義務なんだ。
バーテックスには愛もない。優しさもない。あんなものに、絶対に負けるな』
一つ一つ、翻訳していく。
『天の神は全知全能ではない。
愛も優しさも無い。
あるのは、力の差だけだ。
人と神の間にあるのが力の差だけなら、神の裁きなど受け入れる義理はない』
一つ一つ、翻訳していく。
『神が勝てば、最後に残るのは強いだけの者だ。
だから、頑張れ。
勝て。
お前達が勝て。
最後に世界に残るのが優しい者であるような、そんな結末を勝ち取るんだ』
一つ一つ、翻訳していく。
『これを見つけた人に頼む。
俺がもし、伝えるべき言葉をあいつに伝える前に死んだなら……
この紙の言葉を、どうか、御守竜胆という頼れる男に、伝えてやってくれ』
翻訳の手が、止まった。
『幸福になることを恐れるな。自分を許すことを恐れるな』
翻訳する手の上に、透明な雫が落ちていく。
『お前が恐れているのは、自分の罪を忘れ、自分の罪を軽んじること。
自分が殺してしまった人達の存在が軽くなってしまうこと。
自分が殺した人を忘れ、自分の罪深さを忘れてしまうことを、お前は恐れている』
一つ一つ、翻訳していく。紙に、透明な雫が落ちていく。
『その勇気はきっと正義ではないのだろう。
だが、それでいいと俺は思う。繰り返す。幸せになることを恐れるな』
一つ一つ、翻訳していく。口から、嗚咽が漏れていく。
『お前がその勇気を掴み取れる未来を、俺は望んでいる』
翻訳していく。彼の想いを、遺した言葉を。
『どうか、掴み取ってほしい。幸せになる勇気を』
それが―――死したボブの、最後の願いだった。
「う……あっ……うああああああっ……」
涙が溢れる。
幸せになれという、大人のありったけの想いが、そこには込められていた。
罪の意識で雁字搦めになり、まともとは言い難い精神の状態に成り果てた子供の心に、ボブの遺した言葉はよく染みる。
『幸せになる勇気を持つ者』に―――勇者になれという、一人の男の後押し。
それは竜胆の心に小さな変化をもたらし、同時に、ボブの死に対する竜胆の感情を、再燃させてしまった。
憎む。
悲しむ。
ボブを殺したゼットが憎い自分と、ボブの死を悲しむ自分の境界が分からず、純粋に涙を流すことすらできない。
悲しみに憎しみが混じる。
心に闇が混じる。
彼には、純粋に仲間を死を悲しむ権利すらない。
あの日の罪は未だ、少年から多くのものを奪ったままだった。
当然のように、次の襲撃が訪れて。
当然のように、皆の治療は間に合わなかった。
丸亀城でブラックスパークレンスを握る竜胆。
振り返って仲間達を見るが、千景を除いた全員が怪我人という目を覆いたくなる状態だった。
球子は腹に塞がりかけの大傷、杏は脳のダメージの経過観察中、友奈は内臓にちょっと洒落にならないダメージがあり、ケンとパワードは胸が一兆度火球で深く抉れている上骨折もあり、若葉に至っては車椅子から降りられない。
戦えるのは竜胆と千景のみ。
竜胆は再度状況を確認し、竜胆は若葉の車椅子の前まで行って、体を屈めて首を寄せた。
若葉が自分の顔の近くに寄った竜胆の首に触れ、認証を行う。
一回分の変身が認可される。
少年と少女の顔の距離が近くなった一幕で、見ていた友奈は意味もなくドキドキしていた。
「なんか映画のキスシーンみたいだね」
「「 真面目にやれ、友奈 」」
「ハモった!」
最近気付いたけど若葉ちゃんとリュウくんの声がハモると聞いてて気持ち良い声になるよね、とかなんとか千景に話しかけたりしている友奈を無視して、竜胆と若葉は向き合った。
「竜胆、精神状態は大丈夫か?」
「……ちょっと、大丈夫じゃないな。
大変申し訳無いが、自己申告する。
今の俺はかなり暴走しやすい状態だ。精神安定剤でどのくらい抑えられるかな……」
ひなたのくれた薬が、気休め程度の希望だろうか。
今の竜胆は表面上は平気そうに見える。
だが彼らの戦場において、強がりで"大丈夫"などと虚飾を口にすることは許されない。
竜胆は申し訳なさそうに自分の状態を口にして、勇者達は同情・共感・痛ましさなど各々別の感情を顔に浮かべ、ケンは眉間に皺を寄せる。
「ヤハリボクガ」
「ケンは心臓までダメージ行ってる疑いがあって要検査待ちじゃないか。
そこで大人しく待っててくれよ。俺が行くから、パワードは最後の手段だ」
下手したらこの戦いで前回の戦傷が悪化し、そのまま死にかねない者までいるのだ。
怪我人の投入などという最終手段を、竜胆は許容したくない。
「若ちゃん、ちーちゃんは前に出さないでくれ。
下手したら俺の暴走に巻き込まれるぞ。
俺は一気に突っ込んで、できるだけ壁近くで交戦する。
ちーちゃんは丸亀城に待機させて……後の判断は、任せる」
「分かった」
「……悪いな。若ちゃんが刀振れない時に暴走しちまいそうで」
「構わん。足が折れていようと約束は守る。
お前がお前でなくなった時、お前を殺すのは私だ」
「良い感じに安心させてくれる言葉をありがとよ。信じる」
若葉は有言実行の女だ。
こう言ったなら本当に、二度と足が動かなくなるとしても無茶して走り、竜胆をぶった切ってでも止めようとするだろう。
そうはさせたくないと、竜胆は思った。
ブラックスパークレンスを構える彼の背中に、若葉の言葉が投げかけられる。
「死ぬなよ。死んでも、死そのものが償いにはならないんだ」
今まであった罪悪感に、ボブの死の罪悪感も加わった竜胆に、釘を刺すような言葉だった。
「―――お前の正論は、痛いけど、痛い分そうそう忘れねーんだよな」
少年は、時計回りに腕を振り、ブラックスパークレンスを掲げる。
「ねえ、乃木さん」
「なんだ? 千景」
「気のせいなら良いんだけど……竜胆君、最近少しずつ、口が悪くなってない?」
竜胆が巨人になる中で、千景が何気なく口にした疑問は、変身時に闇が立てた大きな音にかき消されていった。
パン、とティガの両手が、祈るように打ち合わされた。
祈りの手が左右に開かれ、離れる二つの手の平の間に無数の八つ裂き光輪が発生する。
最低限まで威力を下げて数を増やした八つ裂き光輪が、無数に飛翔する星屑を狙い発射され、消しゴムで落書きを消すようにその大半を一気に消し飛ばした。
『今日の星屑は多くないか……面倒が、無くて、いいっ……』
ボブの死で闇は一気にその力と大きさを増し、竜胆の制御を離れかけている。
正気がどのくらい持つか、竜胆自身にも分からない。
接近してくるゴモラの頭を、ティガはパンチ一発で弾けさせた。
『っ』
攻撃力の上昇から"ヤバい"と自覚しつつも、自分自身の手綱を握りきれない。
今日の大型はゴモラ5、ソドム5、亜型十二星座が3。
人類側の戦力が復帰する前に潰す目論見で派遣したからなのだろうか?
随分と数は少なく見えた。
だが竜胆は今の自分の状態からして、5体倒す前に自分が暴走しかねない、と判断する。
亜型十二星座は
乙女座がここに混じっていたら、攻撃無効のあの能力の仕様上、人類は今日滅びていた。
竜胆はほっと息を吐く。
だが、次の戦いには混じって来るかもしれない。
人類は本当に、毎日のように綱渡りを続けている。
『全員……ここでくたばり、死にさらせッ!!』
八つ裂き光輪を腕に出し、攻撃力の高いアクエリウスに向けて投げつける。
自分の心と光輪を同時に制御しようとするが、あまりにも大暴れする心の闇と光輪の闇は、どちらも制御しきれなかった。
光輪はアクエリウスを袈裟懸けにぶち抜くのみならず、着弾の衝撃でその体を一気に爆発四散させ、貫通して突き抜けていった。
突き抜けた光輪が、四国を守る壁の上端を粉砕しながら、結界の外にぶっ飛んでいく。
ヤバい、とやらかした感覚に、竜胆の背筋が寒くなる。
近寄るゴモラの首を掴んで投げ飛ばそうとするが、増加した力は竜胆の主観認識を遥かに超えていて、以前の暴走時のようにゴモラの首を引きちぎってしまう。
他のゴモラがティガに爪を振り下ろし、爪は容易にティガの右肩を切り抉った。
闇の増加が、攻撃力を上昇させる。
光の増加が、防御力を低下させる。
ティガは加速度的に、敵を殺しやすいものに、かつ敵に殺されやすいものになっていく。
『ぐっ、づっ』
振り回した腕が、ゴモラの胴に命中し、肉を粉砕する。
これでゴモラが残り2、ソドムが残り3、十二星座が残り2。
正気と狂気の合間で心が揺れる。
そんな中、タウラスがドギューの変身能力を使った。
前は、竜胆の妹の姿になった。
そして、今度は……"ウルトラマングレートの姿"になった。
偽物のグレートが構える。
グレートのような技術に裏打ちされた構えではない、素人がするような無様な構え。
空手の達人の姿を真似て、無様な構えを取るバーテックスを見て、怒りが湧き上がる。
『―――』
グレートとボブを殺したバーテックス達の一種が。
死人の姿を勝手に使い、真似て。
優しい正義のヒーローの姿を、人を殺すために使用して。
無様な構えを取っている。
バーテックスがそう意図しているか、していないかなど、もはや関係ない。
それは、殺意すらかき立てる挑発であり、侮辱だった。
『―――なあ』
人は皆死ねば仏、という言葉がある。
死者に鞭打つような真似はするな、という言葉がある。
死への侮辱を、人は本能的に嫌悪し、許したくないと思うもの。
『死人でッ―――遊ぶんじゃねえッ―――!!』
衝動的に突き出されたティガの拳が、
その瞬間の竜胆は完全に、感情に理性が追いついていなかった。
感情が理性を置き去りにしていた。
グレートを殺した後に、「たとえ偽物でもボブとグレートを傷付けたくない」という思考が追いついて、竜胆の心に荷重をかける。
完全な暴走が、始まった。
『返せ』
暴走が始まったが、ティガから漏れるいつものテレパシーに、雑音が混じらない。
非常に純度の高い感情が、ティガから漏れ出していく。
悲しみだ。
悲しみだけが垂れ流されている。
憎悪もあるはずなのに……それが感じられないほどに、大きな悲しみ。
『返せ、返せ、返せ、返せ、返せ! 返してくれよ! 返せ、俺の仲間を!』
走るティガ。
ソドムを殴り、蹴り、片っ端から怪獣を絶命させていく。
子供が駄々を捏ねて親にパンチをするような、"叶わないことを無理矢理に要求する"幼稚さが、暴走によって表出する。
憎い敵を殺しながら、仲間を返せと叫ぶ姿が、痛ましい。
『暖かかったんだ! 優しかったんだ! 嬉しかったんだ! 楽しかったんだ!』
その行為には意味も価値もない。
一人殺せば一人蘇る、などということはなく。
一人救えば一人殺した罪が許される、などということもない。
竜胆はただ、死んだ仲間を想い、泣く。
『―――あの人は、俺なんかの幸せを、願ってくれていたんだっ……!』
泣きながら、敵を殴る。殴る。殴る。殴る。
『ああああああああああああっ!!』
死体になっても、まだ殴る。
『あああああっ!! ああああああっ! ああああああっ!!』
グレートの死を辱めた敵に怒り暴走したくせに、敵の死体を攻撃し続ける醜悪を見せ、されど悲しみでその醜悪に気付いてもいない。
涙で、何も見えていない。
この攻撃に込められたものは、憎しみなのか、悲しみなのか。
『ううっ……ああああっ! うあああああっ! ああああっ!!』
心の光が、悲しんでいた。
心の闇が、悲しんでいた。
光が泣いていた。
闇が泣いていた。
光は悲しみを経て竜胆を強くしようとし、闇は悲しみを経て竜胆を魔道に落とそうとする。
御守竜胆は、泣いていた。
「やめろよ」
それを遠くから見ていた球子の瞳から、涙がこぼれる。
「そういうのやめろよ、先輩……励ましてやれない所で、泣くなよ……」
暴走が、竜胆の本音を垂れ流している。
この手の暴走がなければ、竜胆はこんな本音を絶対に口にしなかっただろう。
悲嘆は仲間達に伝わり、皆の中のボブへの気持ちを思い出させる。
竜胆の涙が、皆に涙を流させる。
人の死で成長する者もいる。
だがそれは、人の死が過程であった場合、結果として成長することがあるだけだ。
大切な人の死そのものが、人の心に光をもたらすことはありえない。
人の死は悲しく、それそのものは絶望である。
「リュウくん……」
友奈は笑顔を浮かべていられなくなり。
「……」
ケンは変身の負荷で死んでもいいとさえ思い、
「タマっち先輩、落ち着いて」
「だけど……!」
飛び出そうとする球子を、杏が抑え。
「乃木さん……私、行くわ」
「待て千景。竜胆は今、暴走を……」
「私の精霊が『七人御先』な理由、考えたことはある?」
「……? いや、考えたこともない。私の義経と同じで、そういうものだと……」
千景の鎌の柄が、地を叩く。
「私は……一人が嫌だった。だから『一人じゃなくなる精霊』になったんだと思うわ」
「―――」
「今の私は、こうも思ってる。『一人にさせたくない』って」
「……千景」
「泣いている友達に寄り添うくらいは、良いでしょう?」
若葉は少し驚いていた。
千景が、若葉に対し、心の深いところをさらけ出してくれたことに。
そして、千景がこんなことを言い出したことに。
驚きつつも……それが千景の欲するものなのだと思い、納得した。
「分かった。行ってこい、千景」
「ありがとう」
千景は無理にでも竜胆の下へ駆けつけようとする重傷人達を諌める。
「彼が特別な想いを見せたからじゃない。
彼が……私達皆の中にあるものと同じ想いを見せたから。
同じ仲間への、同じ想いを見せたから。
だから今……皆、助けに行きたがってるんでしょう?」
死んだ仲間に対する気持ちで、皆の心は今、一つになっている。
千景は七人に分身し、一体につき一つ、戦いに行けない仲間達の想いを背負った。
千景の想い、若葉の想い、友奈の想い、球子の想い、杏の想い、ケンの想い……そして、ボブの想い。今あそこで泣いている少年に手を伸ばそうとする想いを、全て千景が背負う。
「任せて。私があなた達"六人"の想いも……ちゃんと持っていく」
私のキャラじゃないな、なんて、千景は少し想いながら跳び上がる。
ボブを想って自分が泣いていることに――仲間のために、自分が泣けていることに――随分と遅れて今、千景は気付いていた。
千景が呼びかける。
それが、感情の暴走に飲み込まれた竜胆の心に届く。
最後の一体、キャンサーの亜型十二星座と戦うティガの内に届く。
「竜胆君。それでいいの?」
悲しい。
憎い。
自分を見失っている竜胆の心に、千景の声が届く。
闇に沈んだ竜胆を引き戻すのは、同じく一度は闇に沈んだ千景の声。
「死んでいったボブに見せるあなたの姿は……それでいいの?」
それでいいのか、と千景は問いかける。
これでいいわけがない、と竜胆の心が叫ぶ。
暴走して、こんな情けない姿だけを見せて、ボブの墓前で何を言えばいいというのか。
「ボブがあなたの中に残していったのは、悲しみだけ?」
違う、と竜胆の心が叫ぶ。
悲しみだけじゃない。
悲しみ以外のものの方が多かった。
幸せだったから、嬉しかったから、楽しかったから、悲しいのだ。
「あなたがボブに貰ったものは、悲しい想い出だけだった?」
違う、と竜胆の心が奮い立つ。
貰ったものは悲しみではなく、もっと尊く強いもの。
貰ったものは、いつも彼の胸の中にある。
ボブの死で膨れ上がった闇を、竜胆の心が無理をしてでもねじ伏せた。
心の中身を制御する。
心、技、体。短い付き合いだったけれども、大切なことはちゃんと教わった。
ボブの背中は、
『明日に希望を! 未来に夢を! 友に優しさを!
それぞれ持って―――生きていけ! 子供達よっ!』
彼が遺した最後の言葉が、竜胆の内に巣食う闇を打ち破る。
竜胆は心の中で内なる闇を、現実世界で飛んで来たキャンサーの爪を、殴り飛ばした。
『はぁっ!』
暴走は止まり、意識は正常な状態へと戻る。
眼前のキャンサーと、暴走で防御がおろそかになっていたティガをキャンサーから守ってくれていた千景の七つの背中が、目に見えた。
『ボブ……ありがとう。それと……さようなら……』
キャンサーの腕とハサミは先日の戦いとは違い、六本にまで増量されていた。
どうやらこの短期間でまた改良されたらしい。
怪獣ザニカの力も加わって、六本のハサミがティガへと迫る。
ティガはかつてのグレートのように、受け止めるのではなくいなして流し、六本のハサミ全てを防御しきった。
『受け止めるのではなく、力の向きを意識して流せ』というボブの教えが、脳裏に蘇る。
続いて突き出す竜胆の前蹴り。
前蹴りで腹を蹴られたキャンサーが、押されるようにして後退する。
『威力は低いが、敵を突き放せる。距離調整に使え』というボブの教えが、脳裏に蘇る。
更に放たれる、竜胆の追撃・足刀打ち。
キャンサーの喉に蹴りが当たり、キャンサーは苦しそうに呻いた。
『前蹴りが"押し"なら、これは"突き"だ。急所を狙え』というボブの教えが、脳裏に蘇る。
キャンサーは六本のハサミで、多角的にティガを攻める。
ティガは沖縄空手の構え・夫婦手で、攻防の流れを極めてスムーズにしつつ、隙を極限まで減らしてハサミを殴り弾いていった。
『防御中心に教えていることを忘れるな』と、ボブは言っていた。
『お前は何よりも生きるすべを学ぶのだ』と、英語しか喋れないボブは言っていた。
『俺がお前に教える技は、殺すためじゃなく、生きるためのものだ』と言っていた。
ボブが言って、他の人が翻訳してくれて、竜胆はその教えを受け止めて。
そんな毎日は、もうどこにもなくて。
されど教わった技の全ては、竜胆の内に残されている。
六本のハサミが同時に迫る。
竜胆の拳から六連撃が放たれる。
ボブに貰ったこの拳は絶対に負けない、と言わんばかりに、ティガの拳がハサミに打ち勝つ。
子供を守りたいというボブの祈りは、今、少年の拳に握り締められている。
少年の拳を強く、強固にしてくれている。
『ボブ・ザ・グレートの全ては……無価値なんかじゃない! 無意味なんかじゃない!』
竜胆の叫びは、ゼットの言葉の全否定。
―――お前達は、無価値ゆえに滅ぼされるのだ。
―――侵略者に狙われるほどの価値など、この星と人類には存在しない
ボブの存在が、その人生が無価値だなんて、絶対に言わせるものか。
『彼は生きた! 生き抜いたんだ! その人生という光を走り切ったんだ!』
ボブの全てを、"悲劇"の一言だけで終わらせない。"無価値"だなんて言わせない。
『そして今は―――俺の中に生きている! 俺の中で……俺と共に!』
三年前のあの日、竜胆の殺戮は何も後に残さなかった。
残したものといえば、後悔と罪くらいのもの。
闇は価値を破壊し、無価値を残した。
竜胆は今日この日、三年前のように"悪に殺された命"を無価値のまま終わらせなかった。
悪に殺されたボブの命を、無価値になんてしたくなかった。
それは、人の死を無価値にしないという意志。
死した誰かから何かを受け継ぎ、次に繋げていこうとする信念。
先人が遺した技術を自分が継承し、次の誰かに継承するというそれは、人類が文明を発展させていく中で、ありとあらゆる分野で行われきた事柄。
天の神が否定した、人類の進化と継承の歴史、そのものだ。
『ボブはここに居たんだ! ここに生きてたんだ!』
子供はいつだって、周りの大人の真似をする。
大人を見習って、成長していく。
大人から何かを学んで、今よりも大きくなっていく。
そしていつか、目標とした大人を超えていく。
『俺が生きている限り……彼がここに居たことを、俺が証明し続ける!』
飛び込むティガ。同時に、飛び込む千景。
男はいつも、誰かのために強くなる。そして女も、きっと見ているだけじゃない。
六体の千景の鎌が六つのハサミの動きを阻害し、振り下ろされたティガの手刀と七つ目の鎌が、キャンサーの額に炸裂し、ヒビを入れていた。
「『ティガ』っ!」
千景が彼の巨人としての名を呼んで、ティガと千景の視線が交わる。
ティガはゆっくりと頷き、千景は彼の意を察した。
六つの体をサポートに残し、一つの体を全速力で遠ざからせる。
そして、ティガはキャンサー・ザニカにしかと抱きつく。
『うおおおおおおおおおっ!!!』
そして、全身を赤熱化させ、敵の体に大量のエネルギーを送り込んで、自分すら巻き込んで敵を爆発させる技―――ウルトラヒートハッグを発動。
敵の体を、内側から爆発させ、バラバラにした。
ボブから習った歩法。
ボブから習った敵の懐に入るやり方。
ボブから習った敵の攻撃を封じながら敵に組み付く方法。
それらを噛み締めながら、爆焔の中でティガは佇む。
樹海化が解けていく世界の中で、竜胆は"彼に恥じない戦いができただろうか"と思い、握り締めた己の拳を見つめていた。
千景を抱えたティガが丸亀城に帰還し、ティガの変身も解除された。
樹海化も終わり、いつもの世界が戻ってくる。
「おかえり! ぐんちゃん! リュウくん! やったねっ!」
「よくやってくれた、二人共」
竜胆は強化された闇を――現段階では、と頭に付くが――ある程度理性で制御してみせた。
おそらくは、ゼットや大社の一部が期待した通りに。
暴走することで最強となること。
闇の力を理性的に行使すること。
"ティガダークに強さを求める者達"は、きっとその両方を竜胆に求めている。
実際、仲間の勇者達から見ても、ティガの戦いっぷりは褒めるに値するものだった。
「ごめん、皆」
「え……竜胆君、なんで謝ってるの? 頭でも打ったの?」
なのに竜胆が突然頭を下げてくるものだから、千景は盛大にうろたえる。
「俺、皆が辛い想いをしてたこと、本当は分かってた。
皆を励ましに行くべきだった。
気を遣って行動することすらしてなかった。
いっぱいいっぱいになっちゃってたんだ。
皆の辛さを和らげる言葉をかけに行かずに、俺はずっと修行だけしてた」
ああ、と、友奈や球子が納得して。
ああ、と、若葉や千景が呆れていて。
杏は苦笑していて、ケンは微笑みを浮かべていた。
「本当にごめん。そこは、皆の仲間として、失格だった」
竜胆の目は真っ赤で、顔は泣き腫らした跡が誰の目にも見えていて。
そんな竜胆を責めるものなど、この場には一人も居るはずがない。
「気にすんなよ。かっこよかったぞ、ティガ。めっちゃ男らしかった!」
「タマちゃん……」
「腹減ったし、良い時間だしな。
タマがおいしーうどん屋さんに連れてってやるぞ!」
「……ありがとう」
闇の中、竜胆を最初に導いてくれた
球子と話していた竜胆を、背後からケンの巨体がぐわっと持ち上げた。
「ヘーイ! ナイスファイトー!」
「うおおおおおおっ!?」
「すげえ! ケンが竜胆先輩を肩車した! 二人の身長のせいでめっちゃ高い!」
「ハッハッハッ! ヨーヤッタヨーヤッタ!」
身長180手前の竜胆を子供扱いして、軽々肩車して、褒めてやるケン・シェパード。
ケンに肩車されあたふたしている姿を見ると、竜胆は年相応の子供にしか見えなかった。
「本当に良くやってくれた、千景」
「……別に、乃木さんを喜ばせたくてやったわけじゃないわ」
「構わない。私が勝手に喜ぶだけだからな」
「……そういうところよ、乃木さん」
「もー二人とも変な喧嘩しないの! アンちゃんも止めてあげて!」
「え、ええっ? 友奈さんじゃないんですから、そんな上手くは無理ですって!」
彼らは生きている。
たとえ、昨日までの現実を失い、恐ろしい現実に直面しても。
大切な物を失くし、心引き裂かれても。
思いも寄らぬ悪意に、立ち竦んだとしても。
彼らは生きる。
何度も傷付き、何度も立ち上がり、彼らは生きる。
彼らは一人じゃないから。
ウルトラマンも、勇者も、一人じゃないから。
この先に、何が待っていようとも。
彼らは歯を食いしばり、地獄の向こうに何かがあると信じ、諦めを越えて進み続ける。
神に奪われた人の世界を、取り戻すまで。