夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した   作:ルシエド

20 / 63
4

 踏み込み、打つ。

 しっかりと体重が乗せられた正拳突きが、EXゴモラの腹を打った。

 今までティガダークの拳に怯みもしなかった強化ゴモラが、悶絶する。

 腹には相変わらず太いトゲがあったが、ティガトルネードの拳は硬く、EXゴモラのトゲをその上から殴れる強度を備えていた。剛力形態は伊達ではない。

 

『せいっ!』

 

 右パンチ、左パンチ、右ローキックと流れるような三連打、対角線のコンビネーション。

 一発一発の威力が重く、EXゴモラですら苦悶の声を上げる威力があった。

 体重のしっかり乗った、空手技の連撃。

 

 まるで、これが完成形なんじゃないか、と思わされるレベルの完成度だ。

 速度を下げて剛腕豪脚の一撃を叩き込むティガトルネードの身体特性が、どっしりと構えて重い一撃を打ち込むこのタイプの空手スタイルに、しっくりときている。

 赤と黒のティガトルネードが、重く放つ空手の技が美しい。

 

 EXゴモラは鋭い爪を豪腕で突き出すが、ティガは掴んで受け止める。

 ティガトルネードであれば、もはやこのゴモラ相手でも力負けはしない。

 

 グレートが生来使うのは、極真空手に類似する巨人の武術。

 ボブもまた独学ながらも極真空手の使い手。

 極真空手は伝統空手の対極、実戦的な空手を目指したもの。

 すなわち竜胆に伝えられた空手は実践空手……いわゆるフルコンタクト空手の流れを汲んでいるのである。

 

 この空手と戦った他格闘技の選手達にその強さを聞いてみた時、ある程度その方向性が固まっていることがある。

 すなわち、重い、硬い、厚い、である。

 重心を安定させ、重い一撃を連撃で叩き込むこの空手は強い。

 使い手のフィジカルが強いのもあって、軽い一撃を叩き込んでもビクともしない。

 この空手は連打であっても十分に重く、単打であれば必殺である。

 

 だからこそ、速度が下がりパワーが上がるティガトルネードと、噛み合うのだ。

 

『おらッ!』

 

 ガン、と右の掌底がゴモラの顎を打ち上げる。

 ダメージを叩き込み脳を揺らしつつ、目を無理矢理上に上げさせ左のローキック。

 ゴモラの足を潰しつつ、足で逃げられなくなったゴモラの胸に、左右の拳が四連打。

 拳からスパークした雷撃がゴモラの内に浸透し、その生命活動を停止させた。

 

 体の表面が硬い敵にも、電撃ならば効く可能性は高い。

 千景を通してティガに継承された電撃能力は、とんでもない防御力を持つEXゴモラに対し、十分な破壊力を発揮可能な強能力だった。

 

『ちーちゃんがちょっと最高の友達過ぎる……』

 

「え? え? 何? 何なの!? なんで突然そういうこと言うの!?」

 

 千景が照れ、何を言われているのかよく分からないまま疑問の声を上げる。

 ゴモラを倒すまでの連携は、ほんの一息の間の連打であり、遠くから見ていた千景の目にも、とても綺麗な連打に映った。

 実質秒殺。

 つまり、他の敵はまだ接近しきれていない。

 

 手から放つ光の手裏剣、ハンドスラッシュを撃つ。

 八つ裂き光輪の進化系、燃える旋刃盤を撃つ。

 ハンドスラッシュがキリエロイド、旋刃盤がゼルガノイドに当たり、その一瞬でティガは強く練り上げた力で強力な旋刃盤を作り上げた。

 

 ティガの背中を狙い、ザンボラーの体が赤く発光する。

 ティガが振り返り旋刃盤を投げ込んだのと、ザンボラーが熱線を放ったのはほぼ同時。

 燃える旋刃盤と、十万度規模の熱線が正面から衝突する。

 そして、旋刃盤が熱線を突っ切り、ザンボラーを真っ二つにしていった。

 

『タマちゃんの武器は流石だな』

 

 残り、キリエロイド、ゼルガノイド、EXゴモラ一体、そして星屑が20。

 

 ゼルガノイドが正面から光線を放ち、キリエロイドが右、ゴモラが左、そして星屑が頭上から、ティガへと一斉に襲いかかった。

 重い光線を、ティガが右手の分厚く作った旋刃盤で受け止める。

 左手で頭上に旋刃盤を投げ、雷撃を纏わせた左拳と右足で、ゴモラとキリエロイドを打ち据えるという妙技を見せる。

 後ろ回し蹴り後のような姿勢のティガの打撃が、ゴモラとキリエロイドにたたらを踏ませた。

 ティガ本人ですら冷や汗ものの動きであったが、実戦的に鍛えた体は、良い感じに敵の動きに合わせて動いてくれた様子。

 

 ティガトルネードの身体特性は、重い一撃を叩き込む空手に向く。

 ボブが遺してくれた空手が、友奈が色んなものを混ぜ込んだ空手が、若葉との特訓で実戦的に鍛えた空手が、千景と球子の光によって最高の形で結実している。

 今ここに。

 彼が継承したものは、『ティガトルネード』という完成形へと至ったのである。

 

(今、俺、ちょっとはボブみたいに動けてるかな)

 

 始まりである千景の力を借り。

 球子の勇気と力を受け取り。

 ボブの技を身に着け、今ようやく。

 彼はボブに追いついたのだ。

 

 黒い体が暴走を始めそうになって、その体を赤き光が拘束・制御し、思うように動く体を、竜胆の格闘技が動かしていく。

 

「……もう私の介錯に期待する必要などないはずだ、竜胆。

 お前が暴走しそうな時止めるのは……もう私の剣じゃない」

 

 成長した力、成長した技、成長した心。

 いつの日か、竜胆は憧れた大人の背中を追い越して、ボブが勝てなかった相手に勝ち、ボブが守れなかったものも守っていける。

 そんな未来を思わせる、強い巨人の背中があった。

 

 腕で流し、撃つ。

 足で蹴り流し、打つ。

 攻防一体の旋刃盤、防御主体のティガ・ホールド光波。

 ティガトルネードは敵の攻撃に的確なカウンターを適宜返し、攻撃だけでなく、攻防に優れる剛力形態の強さを見せつける。

 

『っしゃぁっ!!』

 

 EXゴモラが破れかぶれに放ったEX超振動波を、ティガ・ホールド光波で根性の反射。

 弾ける光波。

 跳ね返される超振動波。

 ティガトルネードを消し飛ばすだけの威力を込めた超振動波が、180°方向を変え、最後のゴモラと星屑を飲み込んでいった。

 これで残るは、キリエロイドにゼルガノイドのみ。

 

 だがティガトルネードはこれで、全ての技を見せてしまった。

 初見では通じた技も、じっくりとその動きを見られている。

 ティガバーニングダッシュのような、名前の付いた技で奥の手はもう一つしかない。

 明らかに知性を感じさせるキリエロイドとゼルガノイドの動きは、どこか不気味で、どこか合理を感じさせるものだった。

 

『!』

 

 キリエロイドが俊敏な飛行形態へと変わる。

 ゼルガノイドはキリエロイドが空に飛び上がる隙を埋めるように、右手からクサビのような形の光の刃を連射する。

 旋刃盤を盾にしてそれを防いでいたティガを、空からキリエロイドが急襲した。

 

『くっ』

 

 防御の姿勢が崩れたティガへ、ゼルガノイドの光の刃が次々当たる。

 そうして連撃を受けているティガの胸に、旋回したキリエロイドの飛び蹴りが刺さった。

 

『ぐあっ!』

 

 キリエロイドは、もはや手足の届く距離でティガと格闘戦をしようだなんて思わない。

 高速で飛翔可能な飛行形態の翼を用いて、死角になりやすい上方を四方八方から狙うつもりなのだ。この形態なら、それができる。

 ティガトルネードに剛力形態で対抗するのではなく、速度で対抗する策を選んでいた。

 

(正解だよ、くそっ)

 

 ティガトルネードは、パワーも耐久力も上がるが、スピードとテクニックが低下する。

 速度勝負、空中戦勝負、といった土俵は苦手なのだ。

 キリエロイドはティガに俊敏な飛行形態が無いことを見抜き、自分の土俵での勝負を挑んできたのである。三つの形態を持つキリエロイドIIの利点を、モロにぶつけてきた。

 二つの形態しか持たないティガの弱点を、モロに突いてきた。

 

(キリエロイドだけならともかく……!)

 

 更に、ゼルガノイドが光の刃、必殺光線を放ってくる。

 ティガに防げないわけでもない直接的な光線だが、これを防いだりかわしたりしようとすると、そこにキリエロイドが突っ込んでくる。

 光線を避けた直後では、キリエロイドの空からの突撃は受けきれない。

 

『っ』

 

 ゼルガノイドの光線をかわし、キリエロイドの飛翔ラリアットを腕で受け、衝撃でティガトルネードの巨体が樹海の上を滑っていく。

 とても綺麗なコンビネーションだ。

 無限のエネルギーを持つゼルガノイドという砲台。

 三形態をバランスよく使い分けられるキリエロイドという前衛。

 亜型十二星座との融合でただでさえ高くなっている戦闘力を、役割分担と連携でより高度に高めている。

 

(やはり強い……!)

 

 超巨大な異形とは違う強さ。

 どこかウルトラマン達にも似た強さ。

 人型である強み、人型であるからこその戦い方、人型同士の連携という強さを、キリエロイドとゼルガノイドは叩きつけてくる。

 

 ゼルガノイドのソルジェント光線を旋刃盤で受け止めたティガの後頭部を、キリエロイドの飛び膝蹴りが強烈に蹴り込む。

 旋刃盤の防御が崩れ、ソルジェント光線がティガの肩へと直撃した。

 

『ぐあああっ!?』

 

 ゼルガノイドがキリエロイドの強さを引き立て、キリエロイドがゼルガノイドの強さを引き立てる。二対一体の異質な強さ。

 人間達が一人でないのと同様に、バーテックスもまた、一体では戦っていない。

 容易ならざる敵であることは、明白であった。

 

 敵に与えられた痛み、高まる闘争心が、ティガの闇を膨らませていく。

 だが竜胆が何かする前に、ティガトルネードの赤色が光り輝いた。

 なだめるように、赤い光が闇を抑える。

 落ち着け、とでも言わんばかりに。

 

(……落ち着け。よく見ろ)

 

 暴走はせず、暴走の対極たる冷静さをもって敵を見つめる竜胆。

 まず、敵を見る。分析に使っていい時間は一瞬だ。

 

 キリエロイド。

 飛び道具は光線を凝縮したような炎のみ。

 それもあまり使わない。メインの戦闘スタイルは格闘。

 形態はバランス型、パワー型、スピード型の三種。

 つまりバランスの良い格闘と、パワー格闘と、スピード格闘の三種。

 今はティガの弱点を突くため、スピードに偏重させている。

 

 冷静に、冷静に、敵を見る。

 

 ゼルガノイド。

 特筆すべきは無限のエネルギー、光線、バリア。

 光線は腕を十字に組んでの必殺光線か、腕から光の刃の類を撃つかのおおまかに二種。

 攻撃が単調でも、攻撃が途切れないがために脅威足り得る。

 

(この状況で、俺がこいつらを倒すためには―――)

 

 ボブならどうしたか。

 タマちゃんならどうしたか。

 俺ならどうするか。

 一瞬で、三つの思考を終える。

 

 ティガの胸を狙い、真正面からゼルガノイドが必殺光線を撃つ。

 ティガのうなじを狙い、ティガの後方斜め上からキリエロイドが飛びかかる。

 前後から襲うバーテックスの挟み撃ち。

 

 竜胆は自然体で構え、幾度となくそうしてきたように、旋刃盤で真正面からソルジェント光線を受け止め―――る、ふりをして。

 旋刃盤を斜めにして光線を受け、光線を後方斜め上に受け流し、キリエロイドに直撃させた。

 

『よし』

 

 竜胆は今日の戦いで、何度もこの光線を旋刃盤で受け止めてきた。

 その動きは全て同じ。

 今も同じ動きであったが、それが突如別の動きへと変わり、光線を受け流したのだ。

 

 ティガの動きを見て、"また同じように光線を受け止めるのだろう"と無意識下で考えたキリエロイドに、最小限の動きで奇襲を仕掛けた形になる。

 別に、竜胆はこのフェイントに使うために同じ動きで光線を受け止めていたわけではない。

 ただ戦いの中で敵と自分がした行動の一つ一つを綿密に覚えていて、「じゃあこれ使うか」と、これまでの自分の何気ない動きを罠に昇華させる発想をしただけだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()を、咄嗟の発想で罠に使う発想力。

 後付けの伏線行動。

 後付けのミスディレクション。

 流石にこのフェイントを、バーテックスの知性で見抜けるはずもない。

 

 ゼルガノイドが、同士打ちに動揺し光線を止める。

 光線に穿たれたキリエロイドが落ちていく。

 ティガが振り向きざまに投げた旋刃盤が、落下中のキリエロイドの翼を切り裂いた。

 肉体よりは脆い翼が、すぱっと切れてどこかへとすっ飛んでいく。

 

『これでもうお前は飛べない。さあ、行くぞ!』

 

 着地した瞬間のやや無防備なキリエロイドに、ティガの抜き手が迫る。

 キリエロイドは剛力形態で強引に殴り弾き、瞬時に俊敏形態で後ろに跳んで距離を取った。

 翼を失えど、この飛行形態が俊敏形態であることに変わりはない。

 ティガの正面には立たず、常に跳び回り、ゼルガノイドの光線援護を受け、パンチを一発当てては離れるようなヒットアンドアウェイを仕掛けてきた。

 

『……楽勝、ってわけにはいかないか』

 

 やはり、器用だ。

 三つの形態を使い分けるという強みのせいで、攻めきれない。

 

(三つの強みを押し付けられるの強いな。あれちょっと欲しい)

 

 羨ましがるのも程々にして、ティガもまた立ち回りを考える。

 ゼルガノイドの光線が当たらないよう、攻撃でキリエロイドの動きを制限・誘導し、足捌きでゼルガノイドの射線を塞ぐ。

 キリエロイドを盾にするような形で、ゼルガノイドの飛び道具を封じた。

 

 ティガトルネードの右ローキック、左ローキック。

 キリエロイドの両太腿を、ローキックが強烈に打った。

 これで何度目かのローキックかも分からないローキック。

 何度も何度も、ティガのローキックはキリエロイドの足を打った。

 

 そのたびに、俊敏形態のキリエロイドの速度は死んでいく。

 フットワークは死んでいく。

 スピードは死に、足が震えていく。

 足が上がらなくなっていく。

 

『友奈曰く。色んな格闘技で有効なんだとさ、これ』

 

 ローキックとパンチの間合いはほぼ同じ、と言われている。

 パンチによるヒットアンドアウェイを仕掛けてきたキリエロイド相手に、ボブが教えてくれた空手が、何度も的確なローキックをカウンターで当て続けてくれたのだ。

 その結果、キリエロイドから完全に足の力を奪うことに成功した。

 

 これでもう、キリエロイドは足を使ってのスピード勝負に持ち込めない。

 いや、もはや蹴り技さえもまともには使えないだろう。

 震える足で止まるキリエロイド。

 そこに飛んで来たティガの豪腕を、キリエロイドは剛力形態で受け止めるしかなかった。

 

 ゼルガノイドの光線も、キリエロイドが足を止めてしまった以上、もはやキリエロイドを盾とするティガに当てることは叶わない。

 後衛のゼルガノイドがキリエロイドを助けるため、前に出てくるまで、あと十秒。

 その十秒で、キリエロイドを倒し切る。

 

『足を止めたな』

 

 ティガの両腕は剛力無双。

 とてつもなく重い拳を、信じられない連射速度で叩き込む。

 キリエロイドは剛力形態の肉体を活かし、堅固なガードでゼルガノイドが助けに来てくれるのを待つ姿勢に移行した。

 

 キリエロイドのガードを見て、ティガが見つけた攻め方は四つ。

 一つ。ガードを崩すこと。

 ガードの構えを崩す一手と、その後叩き込む一手を別に考えること。

 二つ。ガードを抜くこと。

 ガードの隙間をよく狙って、一撃でそこをすり抜けること。

 三つ。ガードを利用すること。

 ガードに使っている腕を掴み、投げ飛ばすこと。

 そして。

 

『おらぁぁぁぁッ!!』

 

 ガードしている()()()()()を、無理矢理に弱点に仕立て上げること。

 

 ボブはティガダークと戦っていた時、攻撃を徹底して受け流していた。

 弱い力で強い攻撃を受け流した方が効率が良かったから?

 それもそうだろう。

 だが他にも理由はある。

 "腕は弱点にもなる"ということを、熟練の空手使いであるボブは知っていたからだ。

 

 腕は体の前に出し、盾として使う。

 だが、腕は叩かれれば壊れる。掴まれれば投げられる。ナイフ等が相手なら盾にもならない。

 格闘者にとって、腕は一番危険に晒される、弱点に成り得るものなのだ。

 だからこそボブは、自分の腕に過剰な負荷をかけないよう戦っていた。

 その戦い方を、考え方を、竜胆にも伝授していた。

 

 腹や顔は腕で守れるが、腕を守るための腕は無い。

 

 キリエロイドの腕が、だらりと垂れる。

 ティガトルネードの猛攻を前に、キリエロイドの腕はあっという間に使い物にならなくなってしまっていた。

 腕と足が壊れたキリエロイドを、ティガの回し蹴りが吹っ飛ばす。

 

『気を落とすなよ、バーテックス。多分個人としてはお前の方が強い』

 

 ティガトルネードは、やはり強い。

 

『これは、師匠の差だ』

 

 膨大な闇の力を光で弱めるのではなく、赤き光で拘束して制御しているからこそ、膨大な力を理性をもって制御できるという、この強さ。

 

 キリエロイドを突如吹っ飛ばし、両腕両足を無力化したキリエロイドではなく、五体満足で今最も危険なゼルガノイドに奇襲を仕掛けるティガトルネード。

 十字に組まれる、ゼルガノイドの手。

 飛びかかるティガトルネード。

 

 その瞬間、ゼルガノイドは行動選択を一瞬迷った。

 バリアを貼るか、光線を撃つか。

 攻めるか、守るか。

 そしてティガの気迫を受け……光線を撃たず、バリアを張った。

 攻めではなく、守りに入った。

 

『俺達を!』

 

 対し、竜胆は本気の本気で直球勝負。

 

『舐めるなああああああっ!!!』

 

 右手に渾身の旋刃盤を作り上げ、バリアに叩きつけた。

 

 全力の渾身。

 フルパワーでの旋刃盤が、回転する炎の刃が、馬鹿みたいに直球勝負で叩きつけられる。

 敵にも、仲間にも、本気でぶつかって行った球子のように。

 竜胆もまた、全力でゼルガノイドにぶつかっていく。

 ボブらしくではなく、球子らしく。

 

 ガリガリガリ、と旋刃盤がバリアに食い込み、バリアが嫌な音を立てていく。

 

 そして、ゼルガノイドの背中にあったバリア発生器官があまりの負荷にショートした。

 驚愕するゼルガノイド。

 敵は目の前、バリアはもうなく、光線を撃つ暇もない。

 ゼルガノイドが頼れるのは、もはや己が肉体のみ。

 

 ティガトルネードが顔面に突き出してきた右拳を、体ごと頭を横に動かし回避する。

 なんとかかわせた、とゼルガノイドがカウンターの拳を放とうとした、その瞬間。

 ティガの右拳に突如生えた"光の鎌"が、パンチの後に腕が引き戻される過程で、ゼルガノイドの後頭部を深く切り裂いた。

 

『知らないんだろうな、バーテックス。人間じゃないお前らは』

 

 ティガトルネードの手に、突如として生えた光の鎌。

 

『空手の源流、沖縄空手。

 あるいは琉球空手、手、なんて呼ばれるそれには武器術もあり……

 それの代表的な武器術の一つは、"鎌"なんだよ。俺の今の赤色は、郡千景の赤色だ!』

 

 遠くで、千景が感極まって、息を飲む。

 

『これが! お前達が滅ぼし、無かったことにしようとした、人間の歴史と強さの一つだ!』

 

 ボブの死後のキャンサーの戦いで、竜胆はボブ直伝の夫婦手を使った。

 これもまた、普通の空手ではあまり習わない、沖縄空手の技の一つ。

 ゆえにボブの残したものの中には、同源流の、鎌術に類するものもあったのだ。

 

 空手の源流における鎌術は、唐手術から空手道へと変化していく過程、日本の本土で流行してく過程でオミットされた武器術の一つ。

 武道が弱者が強者に勝つための技術である以上、農民誰もが持っているような鎌の術理が、武術の中に組み込まれていることは何らおかしなことではない。

 現代に至っても、ごく一部の道場では空手の稽古に鎌を用いるという話だ。

 

 これは何度も使っていくような技ではない、一発芸のような技だが、ボブと球子と千景から継承した力を一体にした、究極の奇襲でもあった。

 

 竜胆は力をただ貰ったのではない。

 受け継いだのだ。

 受け継いだ力を、元から一つの技術体系であったかのように混ぜ合わせ、ぶっつけ本番で一つの武技として昇華させる。

 一発勝負で成功させ、かなり高いレベルで行使できる。

 ゆえにこその、戦いの天才。

 

 鎌で作った隙を突き、巨大な旋刃盤が、ゼルガノイドを真っ二つにした。

 

 空手に、炎に、鎌。

 ティガトルネードの強さは、一人の強さではない。

 仲間に頼りきりな強さでもない。

 "俺にはこんな最高の仲間がいるんだぞ"と少年が叫ぶような、そんな強さ。

 

 フラフラと立ち上がる彼方のキリエロイドに、ティガは指を突きつける。

 

『お前で……最後だ』

 

 ティガダークの得意とする、暴力による一方的な蹂躙ではない。

 まるでボブのように、大きな力を正しい理で扱い、技にて圧倒する人の強さがある。

 そう、これは暴走する野獣の強さではない。

 今日バーテックスは、"人の強さ"に負けるのだ。

 

 次の一撃が、最後の一撃。互いが全力を滾らせ構える。

 

 キリエロイドが、全身のエネルギーを一滴残らず右腕に集める。

 これはキリエロイドの主体キリエルが"聖なる炎"と呼ぶものの一種・『獄炎弾』。

 物質を砕波する炎の一撃だ。

 キリエロイドの異名は()()()()

 ならば、最強の一撃は炎以外にはありえない。

 

 ティガトルネードの全身から、光輝く炎の粒子が吹き出す。

 両手を円を描くが如く動かし、炎の粒子を集めると、両手の間に圧縮された炎球ができる。

 圧縮された、光にして炎の球。

 球、だからだろうか。

 見ていると"球子"という名前が自然に頭に浮かんでしまって、竜胆は自然と微笑んでいた。

 炎の球を右手に持って、振りかぶるティガ。

 炎の赤きティガだからこそ、最強の一撃は炎以外にはありえない。

 

 右腕を突き出し、全身全霊の獄炎弾を発射するキリエロイド。

 そして、ティガもまた、圧縮した光の炎を投げつける。

 圧縮された光の炎は、炎球にして光流となり、大気を焼き潰しながら放たれた。

 

 

 

『―――デラシウム光流ッ!!』

 

 

 

 獄炎弾と、デラシウム光流が衝突する。

 闇より生まれ、聖性を語る邪悪なる炎。

 闇より生まれた光を集め、絆で束ねた炎の光流。

 二つの炎がぶつかり合い、拮抗する。

 

 キリエロイドIIには、四体の亜型十二星座が融合している。

 出力だけなら、そうそう負けない。負けるはずがないのだ。

 ただのウルトラマン一人に負けるはずがない。

 獄炎弾を更なる炎で押し込み、デラシウム光流を押し込んでいく。

 

『滅びてたまるか……!』

 

 魚座、双子座、蟹座、水瓶座、キリエロイドII。五体分の力が光を押し込んでいく。

 

『人間は、お前達なんかに負けない』

 

 竜胆、球子、ボブ、千景。四人分の力で、それに必死に抗う。

 

『必ず、人間の世界を取り戻す……お前らに、誰も殺されない世界を取り戻すんだ!』

 

 闇はいつも、醜悪に集まり、変容し、力を強める。

 光は絆だ。仲間に受け継がれ、再び輝き、強くなる。

 押し切られる最後の最後の一線で、光は踏ん張る。

 

『俺達は! 負けないッ!』

 

 ティガのピンチ。

 杏の手の中には端末がある。

 変身すればその負荷で死ぬ、そう確信できる杏には、二つの選択肢があった。

 変身し、彼を助けて死に、球子の後を追うという選択肢。

 変身せず、彼の勝利を信じて任せ、これからも球子の居ない世界で生きていくという選択肢。

 二つの選択肢があり。

 杏は一つの選択と、一つの未来を選んだ。

 

 端末を使わず、ポケットの中にしまう。

 

 伊予島杏は、まるで神に祈るように、されど神には祈らず、ティガの勝利を祈った。

 

 

 

「―――負けないで」

 

 

 

 その祈りは光となりて、ティガという巨人に力をくれる。

 竜胆、球子、ボブ、千景、杏。五人分の力が、闇を一気に押し返していく。

 若葉の声が届く。千景の声が届く。ケンの声が届く。杏の声が届く。

 獄炎弾が一気に押し返されていく。

 

『ぶち抜けええええッ!!』

 

 そして、デラシウム光流が獄炎弾を打ち破り、キリエロイドを撃ち貫く。

 

 爆散するキリエロイド。

 それは竜胆が初めて、自爆でない形で敵を爆散させた一撃であった。

 決着は自分を責めぬもの、自分を傷付けぬもの。

 ……この決着の形に、球子の影響が無いわけがない。

 

 デラシウム光流の光炎で輝くキリエロイドの残骸が、まるで朝焼けのように輝いて、樹海の大地を朝焼けが包んでいるかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜が咲く季節になった。

 卒業式の時期が三月で、卒業式もどきをやったのがその時期で、それから日時が経った今はちょうど四国の桜開花時期である。

 病院の周りにも、優しいピンクの桜が咲き始めた。

 高嶋友奈は山桜の意匠を纏う、桜の勇者。

 変身できない体でも、友奈には桜がよく似合う。

 

「もう病室を出ても大丈夫なのか?」

 

「うん、車椅子ならね。まだ一人で車椅子を登り降りするのも四苦八苦してるけど。たはは」

 

「そうか。友奈、無理はすんなよ」

 

「うん。リュウくんもいつもお見舞いに来てくれてありがとう」

 

 病院の中を、車椅子に乗った友奈と、車椅子を押す御守(みもり)が進む。

 

「桜、咲いたね」

 

「ああ。冬も終わりだ」

 

 友奈はまだ退院できない。

 他の勇者達は皆戦線に復帰したが、友奈はまだ傷が重い。

 この後遺症から見るに、酒呑童子はやはり今後も気楽には使わない方がいいだろう。

 

「前に伝えた花見の日は参加できそうか?」

 

「するする! でも車椅子からは降りられないから、助けてくれると嬉しいな」

 

「任せろ。何だってするぞ。退院はいつになりそうだ?」

 

「四月中になりそうだって、お医者さんは言ってたね」

 

「ゆっくり治してこい。世界は俺達がちゃんと守る」

 

「大丈夫? 暴走しない?

 リュウくんはちょっとつついたら猛烈に怒るスズメバチみたいだもん」

 

「否定はしないけど! 否定はできないけど! 言い方!」

 

「あはは、冗談冗談! 信じてるよ! ちゃんと守ってくれるって!」

 

 今は友奈も戦えない。守られる側だ。

 自分が戦えない間に世界が滅んだらどうしよう、といった不安もあるに違いない。

 だが友奈は、若葉を、千景を、仲間を信じている。

 世界も自分も守ってくれるはずだと、竜胆を信じている。

 

「友奈の笑顔は、皆の心を救えるし、空気を明るくできる。それは凄いと思う」

 

「わ、突然何? 照れちゃうよ」

 

「でもな、お前に笑う義務も、空気を明るくする義務も、無理する義務もないんだぞ」

 

「……うん」

 

 明るく振る舞う友奈が、ほんの一瞬、静かで嬉しそうな表情を見せた。

 車椅子の車輪が回る。

 二人はいつしか、病院の庭を歩いていた。

 歩く道の横に沿って、桜並木が立ち並んでいる。

 

「義務とかじゃないよ。私はしたいからそうしてるんだ」

 

「……そうか」

 

「大好きだからしてあげたいことがあって、大好きだから守りたいものがあるんだ」

 

 友奈が手の平を開くと、そこにひらひらと桜の花びらが舞い落ちる。

 せっかちなつぼみは、もうとっくに花開いているらしい。

 微笑む友奈に、桜がとても似合っていた。

 

「立派な志なんてないよ。これが、私の全部。

 怖いことも、恐ろしいこともたくさんあって……

 私は臆病だから、勇気に憧れるんだ。

 勇気ある自分になりたいって、いつも思ってるだけなんだよ」

 

「お前は勇気あるよ。それは俺が断言する」

 

「そうかなあ」

 

 恐れを感じられない者は勇気があると言えるのか。

 それとも、恐れがあるなら勇気ある者ではないのか。

 あるいは、恐怖を越える勇気だからこそ価値があるのか。

 

「私は、大好きな人達だから守りたいと思うんだ」

 

 友奈の勇気の理由は、ここにある。

 

「でも、ほら。

 若葉ちゃんやリュウくんは、好きじゃない人でも守ろうとするじゃない?」

 

「好き嫌いで人の生き死に決めたり、選り好みすんのが苦手なだけだよ。

 友奈の方がよっぽど真っ当で、強くて、熱い感情だ。俺は結構そういうの好きだし」

 

「……ん、ありがとう。

 でもね、私だったら、リュウくん達みたいに振る舞うには別に勇気がいると思うんだ」

 

「勇気?」

 

「そう。嫌いな人を助ける勇気と、助けた人に嫌われる怖さを乗り越える勇気」

 

「ああ……それは確かに、怖いな」

 

 そして、友奈の勇気とは違う勇気が、竜胆の中にはある。

 戦えば戦うだけ民衆に感謝される友奈。

 戦っても戦っても民衆に嫌われている竜胆。

 友奈の視点では、この二つがまるで違って見えるのは当然のことだ。

 戦い続けるために必要な勇気が違う種類に見えるのも、当然のことだ。

 

 それは嫌い合ったり言い争ったりするのが嫌な友奈と、誰かに決定的に嫌われてもいいから目的を果たそうとする竜胆の違いでもある。

 杏に嫌われてもきっとすぐにまた仲良くなれる友奈と、杏に嫌われたなら「それでいい」と言いつつ杏を守ろうとする竜胆の違いでもある。

 

「助けた人に嫌われる、か。

 体験談として言うと、クソ辛かったけど何とかはなったな。

 耐えられないほどのもんじゃないが、できればもう二度感じたくないところだ」

 

「え? 何の話?」

 

「退院したら笑い話にして話すからちょっと待っててくれ」

 

―――片方だけ残されることが一番残酷で辛いって―――なんでそれが分からないんですか!?

 

 杏のあの言葉に、竜胆は何の返答も返せなかった。

 今でも、"二人守れていたら"と思う時もある。

 だが、思うだけだ。

 友奈に話せる程度には、その痛みも乗り越えている。

 それでも、最後に笑って話せたなら、そこに辛い想い出や大きな罪悪感があったとしても、その人はそれをきっと乗り越えたということだ。

 

 竜胆を嫌っているから悪、竜胆を排斥しようとしているから助けなくていい、なんてことになるわけもなく。

 

「色んな人がいるからな。

 俺のせいで死んだ人の中に……

 良い人、実は良い人、良い人になれるはずだった人が混じってることが一番怖い」

 

 竜胆が殺した中に、良い人は何人いたか。

 悪い人は何人いたか。

 殺した村人の中に、反省して更生する可能性があったのは何人いたのか。

 分からないから、罪悪感が消えることはないのだ。

 

「色んな人がいるもんね」

 

 友奈にも、竜胆が言いたいことは伝わっている。

 

 そして、友奈もまた、竜胆や若葉の近似の信念を持っている少女ではあった。

 

「俺はな、友奈。お前は大好きな人達を守りたいって言ってるが……」

 

「?」

 

「『皆を大好きになれる』って一種の才能だと思うぞ。お前を見てると特にそう思う」

 

「才能? うーん、才能……?」

 

「ああ、才能だ。他に持ってるやつを見たことがない才能だな」

 

 友奈は、友奈を大切にしてくれる人々を全力で守ることに慣れていて。

 竜胆は、竜胆を大切にしてくれない人々を全力で守ることに慣れている。

 だがこれは、違いに繋がらないこともある。

 好きな人も嫌いな人も助ける人間と、『みんな』を大好きになっていける人間が、助ける人間の数に差が出るだろうか?

 いや、出ない。

 

 風が吹く。

 先走って花開いた桜の花びらが、風に舞う。

 友奈は目の前を横切った花びらを見て、桜を見上げ、自然に微笑んでいた。

 

 高嶋友奈は桜の勇者。山桜の勇者だ。花言葉は『あなたに微笑む』。

 

 桜は、"花の総体"である。

 若葉は桔梗、千景は彼岸花、球子は姫百合、杏は紫羅欄花の勇者。

 だがそのどれもが、地面に一輪咲き、一輪で成り立つ花である。

 桜は違う。

 桜は一般的に、桜の木に咲く、無数の桜の花の美しい集合体のことを指す。

 "桜を見たい"と言った人に、花一つ見せても納得してもらえないのは、この中では桜だけだ。

 

「桜って、人間みたいだよね」

 

「人間?」

 

「綺麗にパーって咲いて、パーって散って」

 

「人生は短いって言うしな」

 

「本当は、桜の花にも綺麗に咲く花と咲けない花ってあるんだよ。

 でも、皆そんなの気にしない。

 桜っていう花の集合を見て、綺麗だな、って思うんだ。

 中に醜い花があっても、その全体を愛するんだ。

 私の、みんなが大好きって気持ちは、桜っていう花の集まりが好きなのと同じなのかも」

 

「美しく咲く花に、醜く咲いてしまった花、か」

 

 そう、それは。まるで、美麗と醜悪の個人個人が混在する人類のようで。

 

「分かるよ。俺もその気持ち、分かる。

 醜い花を桜の中に見つけたって、桜の木を切り倒そうとは思わないもんな」

 

「うん」

 

 醜い人の存在は、人類全体の否定などという結論には、繋がらない。繋げてはいけない。

 

「『人間』って集団の形は、本当は私にもよく分かってない。

 バーテックスは『人間は何か』って分かってるみたいだけど、本当に分かってるのかな。

 ……それも、桜みたいだよね。

 桜っていうのは、小さな花がいっぱい集まって。

 それがふわっとした全体の形を作って、それが綺麗で、決まった形なんかなくて……」

 

「ああ、言いたいことは分かるぞ。

 『桜という総体の形』も、一つの固定の正解なんてない。

 『人間って何か』っていう問いにも、一つの固定の正解なんてない。

 ふわっとしてるんだよな、花の集まりも、人間の集まりも」

 

「うん。色んなものが集まって出来てるってことは、そういうことなんじゃないかな」

 

 個人が集まり、作る『人類』という総体。

 個人という花が集まり出来た、人類という桜の木。

 それを愛せる者もいるし、憎む者もいる。

 汚い個人を見ても人類に絶望しない者と、綺麗な個人を見ても人類を滅ぼそうとする者は、そうして対極に分かれていくのだ。

 

 桜を愛するように、人々という総体を愛する心。

 それを、心の光とも言うのだろう。

 光の巨人に備わっていて、きっと友奈にも備わっているその心。

 友奈は聖人でもなんでもなく、何もかも許せる心など持ってはいないが、誰とでも仲良くできる人懐っこさと、暖かな優しさ、皆を大好きと思う気持ちは持っていた。

 

(ああ、だから……だからなのか)

 

 だから彼女は、山桜の勇者なのだ。

 

 地に咲く一輪の花ではなく、集合体である花の勇者。

 "花が一つでは在れない"ことを示す勇者。

 皆が集まり、繋がることで、全員で一つの形になる花を与えられた勇者。

 "みんなで"という言葉がこんなにも似合う者はいない。

 

 最初に会った時、二人の会話は全くまともと言えないものだった。

 

―――私、高嶋友奈っていうんだ。よろしくね、御守さん!

―――僕に触ろうとするな。僕に近付くな。僕に関わるな。叩き潰されても知らないぞ

 

 友奈の最初の言葉は、友好を求めるもの。

 竜胆の最初の言葉は、殺さないことを求めるもの、友奈の死を忌避するもの。

 友奈は近寄り、竜胆は離れようとした。

 互いの意図は対極で、ファーストコンタクトからしばらくは変な距離があったと言える。

 そこから、よくここまでの関係になれたものだ。

 

 竜胆が四国防衛戦線に参戦してから三ヶ月。

 長いようで短い。

 竜胆は友奈を理解して、友奈は竜胆を理解した。

 これからまた時を重ねていけば、もっと互いを理解できるだろう。

 まだまだ二人は、互いのことを全部は知らない。

 

 未来さえ守れれば、二人はまだまだいくらでも、仲良くなっていくことができる。

 

「友奈、ありがとうな」

 

 車椅子を優しく押す御守(みもり)が、車椅子の友奈に優しい声を投げた。

 

「えっ……ど、どれに対して? リュウくんは生真面目にお礼言うからどれのことだか……」

 

「暴走してた俺を止めてくれたことに対して! こんなことで困惑しないでくれよ、ったく」

 

 友奈は竜胆を助けるためだけに酒呑童子を使った。

 命も、心も、肉体も、削るような苦行だっただろう。地獄の苦痛があったはずだ。

 全身いたるところに包帯が巻かれているのは、その部分が内から裂けたからである。

 この入院は、竜胆のせいとも、竜胆のためとも言えるだろう。

 

 謝りたい気持ちも、感謝する気持ちもあり、ゆえにこその『ありがとう』。

 友奈のためなら何とだって戦えるような強い気持ちが、彼の中に根付いていた。

 

「皆にも改めてお礼は言った。

 俺がここにいられるのは、皆のおかげだからな。

 でも友奈には改めてお礼を言ってなかったし、お前はもっとチヤホヤされていいと思った」

 

「……リュウくんらしいなあ。うん、リュウくんらしい」

 

「お前は頑張ってんだからもっとチヤホヤされていいんだ。何してほしい?」

 

「いいよそういうのは!」

 

 友奈が照れて、ちょっと話逸らせないかなと目を走らせる。

 その目が、竜胆のバッグから少し飛び出していた新聞のところで止まった。

 

「新聞? なんでこんなもの持ち歩いてるの?」

 

「……あー」

 

 竜胆がバッグから取り出したるは、あの日の新聞。

 樹海へのダメージにより、現実に災害が起き、罪の無い子供が巻き込まれたことが、勇者や巨人には分かるようになっている。

 悔やむ竜胆の前で、友奈がその新聞にじっと目を凝らした。

 

「戦いの中でさ。意図的に、俺が樹海を破壊したんだ。

 結果はこの有り様だ……俺の選択が、何の罪も無い子供を殺した……」

 

 それは罪の告白。仲間に隠し事をしない姿勢。罪悪感の吐露である。

 

「罪の無い人を俺が殺した。

 償うにはどうしたらいいのか。

 いつも考えてるけど、いつも"これだ"っていう完全な正解は出なくてな……」

 

 悔やんでも悔やみきれない、といった顔の竜胆の前で。

 

「俺は変わってねえのかよ、なんて思って、同じこと繰り返す自分が嫌いでッ―――」

 

「日付同じだけどこれ去年の新聞だよ」

 

「―――ううううおおおッ―――!? は!? は?! は!?」

 

 友奈はすぱっと真実を叩きつけた。

 

「はははっいくら俺があの時精神的に最悪の状態だったからってそんなことあるわけマジだ……」

 

「世界も運命も敵もリュウくんに意地悪してないのに自爆だったね……」

 

「俺の得意技は自爆なのか……? そうなのか……? こんな自爆をするレベルで……?」

 

「笑っちゃいけないのに笑っちゃいそうなんだけど!」

 

「笑え! 俺が許す!」

 

 友奈は笑わなかった、が。

 日付だけ見て年号を見ていなかったとはなんとも竜胆らしいというか、らしくないというか。

 メンタル最悪時の竜胆らしいと言うべきか。

 去年の三月なら竜胆はまだ地下に幽閉中だ。

 当然、この子供の死が竜胆のせいであるはずもない。

 

 調べてみたところ、竜胆が樹海を爆発させたウルトラヒートハッグによって発生した災害が、現実で誰かを傷付けたということはなかったらしい。

 竜胆は人を誰も傷付けていなかったし、殺してもいなかったということだ。

 竜胆が心底安心した、とばかりに深く息を吐く。

 

「リュウくんのそういうところ時々好きだよ」

 

「なんで時々?」

 

「九割は呆れた気持ちになるから、かな……」

 

「だっよなー! 俺でもそう思うわ!」

 

 竜胆が羞恥心で顔を覆い、戒めるように髪をくしゃくしゃかき混ぜる。

 

(運が良かった)

 

 今回は運が良かった。

 樹海の破壊で発生する災害は、誰も巻き込まなかった。

 誰が巻き込まれていてもおかしくなかったし、死人が出た可能性は十分にあった。

 だから、完全に竜胆が何もかも悪くはなかった、と言い切れるものでもない。

 

 また同じことをしようとするなら、よく考えなければならないだろう。

 反省は必要だ。

 ただ、後悔する必要はない。

 

(これは運が良かっただけだ。でも、本当に良かった……)

 

 子供一人分の後悔が、なくなってくれていた。

 となると、何故こんな新聞があそこにあったのかという話になる。

 

「しっかしなんで一年前の新聞があんなところに……」

 

「これ、ボブの遺品だよ」

 

「遺品? ……あ」

 

 竜胆は思い出す。

 この新聞を見つけた時、そこに本も積まれていたことを。

 新聞は単独で置かれていたのではなく、他の物と共に置かれていた。

 

 そして、安芸真鈴が言っていた、あの言葉。

 

―――上里ちゃんさ、凄いよね

―――球子のご両親に真実を伝えて、球子の遺品を集めて届けて。

 

 そう、()()()()()()()()()だったのだ。ひなたが。

 だからこそ、ボブの遺品があそこにあった。

 球子の遺品整理とボブの遺品整理が同時期なことには何ら不思議がない。

 それをひなたが皆に言っていたとしても、丸一日寝ていた竜胆に伝わっているわけがない。

 必然の誤解だったのだ。

 

「この新聞……ボブはずっと、これを後悔していたんだよ」

 

「後悔? ボブが……?」

 

「守れなかったって。自分のせいだって、そう言ってた。英語でだけどね」

 

「ボブが……」

 

「自分を責めてたけど、自分なりに立ち上がって、また戦ってくれたんだ」

 

 これが一年前のものだとするならば、これは一年前のウルトラマン達と勇者達が守れなかったものだ。

 その時の戦いで、グレートが樹海を守れそうだったのに守れなかった、そのせいで現実に災厄が溢れた、なんてこともあったのだろう。

 

 "子供を守る"が行動原理のボブにとっては、さぞ地獄であったはずだ。

 その日の新聞を一年経った今でも大切にとっておいたことからも、ボブがこの一件をどれだけ後悔していたかが窺える。

 竜胆同様、"俺のせい"という気持ちを抱いていたことが、新聞一つから伝わってくる。

 

「ボブが言ってたよ。

 "自分のせい"だって思って、あの時ああしてればって思うのはいいけど……

 それで喜ぶ死人は一人もいないし、それで助けられる人も一人もいないって」

 

「!」

 

「誰かが死んでしまったら……

 大切な人が死んじゃったら……

 自分にその時できることがあったなら……自分のせいだって、思っちゃうよね」

 

 ボブも。

 竜胆も。

 友奈も。

 誰かの死を前にして、「もう少し何かができていれば」「あの時ああしていれば」「自分のせいで死んでしまった」と思ったことがある。

 だが人は、そう思っても死人を蘇生することはできない。

 前に、進むしかないのだ。

 

「私も……ううん、なんでもない」

 

 友奈が、何かの感情を飲み下した。

 "私に何かができていればタマちゃんだって"といった感情。

 酒呑童子の後遺症はまだ彼女の心に闇を残し、時折友奈の心に負の思考を植え付ける。

 今の一言も、普段の友奈なら漏らしはしなかっただろう。

 

 だが、その一言として発した時点で、竜胆は友奈の内心をいくらか察した。

 この三ヶ月で深め合った理解は、きっと無駄ではない。

 

「多分、俺達の中には、違う気持ちもあるけど、同じ気持ちも沢山あるんだ」

 

「え?」

 

「俺と友奈の中には、同じ人への同じ想いも、きっとある」

 

 あの日、球子を守れなかった後悔。悲しみ。辛さ。絶望。二人の胸中に共通する想い。

 

「だから、一人で泣くな。悲しいなら悲しいって言ってくれ。俺が傍にいる」

 

「―――!」

 

「一緒に泣いてくれるんだろ? 俺と一緒に、泣いてくれ」

 

 二人の胸に浮かぶ気持ちは、ほとんど同じだ。

 球子を守れなかった、救えなかったがゆえの想い。

 だが、失念してはならない。

 友奈は救ったのだ。

 守ったのだ。

 球子は救えなかったが、球子が死んだ日、竜胆をその心と言葉で救ってくれたのだ。

 

―――悲しいなら……泣いてるだけじゃなくて……ちゃんと、悲しいって……言ってほしいよ

―――泣かないで、なんて言わない

―――友達が死んじゃったら、悲しくて泣くのは、当然のことだから

―――泣かないでなんて言わないから……一人で、泣かないで

―――私が、一緒に泣くから

―――同じ友達を想って……隣で……一緒に、泣くから……! 一人にならないで……!

 

 友奈の言葉が、竜胆の暴走を止めてくれた。

 決定的な終わりを回避し、竜胆を闇から救ってくれた。

 あの時闇に呑まれた竜胆に、友奈が救いの手を差し伸べてくれたのと同じように、今、精霊に心を闇に浸された友奈の心へと、竜胆が救いの手を差し伸べる。

 

 仲間であり、友であり、ゆえに助け合う。救い合う。手を差し伸べ合う。

 竜胆は約束を果たそうとしていた。

 友奈がくれた言葉と約束で、友奈の心に巣食う闇を祓おうとしていた。

 

「私、泣いて、いいのかな。こんな風に」

 

「泣いていいんだ。俺にそう言ってくれたのは、友奈だぞ」

 

 桜の下で、二人は泣いた。

 友奈は目一杯泣いて、竜胆は静かに無言で泣いた。

 悲しみは終わり、彼らは次へと進む。

 

 二人は一緒に、土居球子へと、別れと涙を捧げていた。

 

 

 

 

 

 一通り泣き終わり、竜胆は友奈を病室に戻し、ここまで連れて来てくれた少女と合流した。

 竜胆は、誰かの同行なしの外出を禁止されている。

 勇者など、有事に巨人変身者にすぐ対応できる人間は必須だ。

 でなければ市民感情が納得しない。

 今日その役割を果たしてくれていたのは、千景だった。

 

「大泣きしてたわね」

 

「見てたのか、ちーちゃん」

 

「高嶋さんにばかりあんなに大きく泣かせて、静かに泣いて……

 男の自覚があるなら、高嶋さんに恥をかかせないように泣きなさい」

 

「ああそりゃ確かにそうか。

 悪いな、そういうとこまで気が使えない、情けなくてみっともない泣き顔見せて」

 

「……別に、みっともないとは思わなかったけど」

 

「え?」

 

「あなたはそれでいいのよ。

 いえ、そのままじゃ、いけないのかもしれないけれど。

 あなたの周りは……涙を流す弱さとか、弱さが許されているようで、心地良い」

 

 千景が黙って見ていてくれたのは、友奈を思ってか、竜胆を思ってか。それとも両方か。

 

「高嶋さんにも……必要なことだったと、思うから」

 

「……ちーちゃんにそう言われると、そういう確信が持てそうだよ」

 

 病院の手洗い場で顔を軽く流す竜胆を、千景がじっと見る。

 何か言おうとして口を開いて、何も言わずに口を閉じる。

 "また悲しみがあれば次は私が一緒に泣いてあげる"と言おうとして、言わない。

 "高嶋さんを気遣ってあげて"と言おうとして、言わない。

 "高嶋さんと随分仲が良いみたいね"と言おうとして、言わない。

 "二人が泣いて、元気になれたみたいで、良かった"と言おうとして、言わない。

 

 言おうとしていることがあんまりまとまっていない上に、そもそも言えていなかった。

 第一声が決まらず、言葉を選んでいる内に、言おうとしていたことが言えなくなってしまう、そんな心の動き。

 郡千景はそもそも、精霊の穢れが心に溜まっていると超問題児になるだけで、そういうのが無くてもコミュ障の問題児タイプである。

 優しく、寂しがり屋で、かまってもらいたがりの、言葉足らずで仲間想いの問題児。

 

「ちーちゃん、どうした?」

 

「……なんでもないわ」

 

 第一声が決まらない内に、竜胆の方が千景の様子に気付き、逆に声をかけてきてしまった。

 結局、何も言えずじまい。

 竜胆は正確に千景の思考を読み取れないが、まあこうだろうな、と察する。

 

「ちーちゃんは優しいな」

 

「何も言ってないわ」

 

「何考えてたとしても、どうせ優しい事考えてたんだろうから良いんだよ」

 

「何よ、それ」

 

 少女はくすりと笑う。

 柔らかで、優しい、そんな微笑みを、千景は浮かべた。

 

「ちーちゃんの笑顔は、時々とても優しいんだ。だから分かるんだよ」

 

 面倒臭いところも、良いところも、どちらも分かってやらなければ、理解者とは言えない。

 相手の欠点を受け入れられる度量がなければ、友達にはなれない。

 そういうものだ。

 

 竜胆が初めて闇を光に変えた勇者の少女・千景は、無愛想で愛想のない彼女らしくもなく、今日も穏やかに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて。

 友奈退院を祝って皆で花見をしよう、と言い出したのは誰だったか。

 友奈の退院予定日を大社から聞いた人間であることだけは確かだろう。

 

 真面目なくせにこういうのに意外とノリノリな若葉だったか。

 気遣いの子なひなただったか。

 卒業式の企画などもした思いやりの杏だったか。

 のんびりしたケンだったか。

 友達の友奈に何かしてやりたいといつも考えている千景だったか。

 案の定の竜胆だったか。

 

 ぶっちゃけると、ほぼ全員が同時に言い出した。

 全員が同時に言い出し、全員が賛成して、満場一致で花見が企画されたのである。

 丸亀城の周りには、とても綺麗で立派な桜が七百本近く咲き誇っている。

 遠くに行く必要すらない。

 準備をして、丸亀城勢だけでなく真鈴なども誘って、友奈を待てばそれでいい。

 それだけで用意は十分なのだ。

 

 楽しいことは必要だ。

 仲間が死んだから、という理由で楽しいことを遠ざけていては、いつまで経っても誰も前を向いていけない。

 こうした楽しいイベントは、一種の儀式なのだ。

 仲間が死んだ後も、前を向いて生きていこうと改めて誓う、そんな儀式。

 

 ボブにタマ、樹海へのダメージにより起こった災害で死んでしまった人、多くの者達の命が失われてしまった。

 だが世界は続く。

 日々は続いていくのだ。

 人の死を越え、また明日は来る。

 

 ただ生きるだけの家畜のような未来ではなく、皆で笑っていける未来を望んで戦ってきた。

 丸亀城の皆は、そのために戦ってきた。

 なら、辛くてもどうにかして笑っていこう。

 そう心に決めて、各々が隣の仲間のために笑っていけるなら、それはもはや強さである。

 

「桜、か……散るのはいつかな」

 

 散らない花はない。

 桜も、姫百合も。

 

 死なない人間はいない。

 ボブも、球子も。

 

 永遠はない。永遠でないから美しいものもある。

 この世界では、神ですら永遠ではない。

 天の神に負けた地の神は、神樹と化して最後の足掻きをしているだけで、敗北と消滅の運命のレールに乗っている。神ですらそうなのだ。

 

 人も花も、精一杯生きて、後に何かを残して散っていく。

 それが世界の条理だ。

 だが、いつか散るという運命に抗い、精一杯生きようとするのは命の本能。

 命が死ぬことは当たり前。

 命が死に抗うも当たり前。

 

 抗った後には何かが残る。

 何かが残れば救いにはなる。

 天の神は、人が抗った後に何かが残ることを許さない。

 

 竜胆には、丸亀城の周りに咲き誇り風に揺れる桜達が、精一杯咲いてやると、散ってたまるかと叫んでいるように見えた。

 人間(じぶんたち)と似たようなものに見えた。

 神樹の作った空の朝焼けが、静かに大地を包んでいく。

 だが、朝焼けが主役になることはない。

 咲き誇る桜の前では、大地を包む朝焼けですら、脇役だった。

 

 早朝の桜の下、竜胆は近寄る足音を察知する。

 

「伊予島、散歩気持ちよかったろ」

 

「はい。早朝だと気持ちいいですね」

 

 楽な格好をして、杏は微笑んでいた。

 竜胆の部屋は内側からは絶対に開けられないので、彼をこの早朝の時間帯に外に出してくれたのは、杏ということなのだろう。

 

 勇者の中で一番早起きなのは若葉だ。

 若葉ほど真面目に、規則正しい生活を送っている人間はいない。

 となれば、杏がこの時間に起きているのは少し違和感が出て来る。

 

 そこには、彼女が早起きしてきた理由があるはずだ。

 他の人がまだ起きていないこの時間帯に、何かをしようとした理由があるはずだ。

 たとえば。

 球子の死後に竜胆に言ってしまったことを、二人きりで改めて謝りたい、とか。

 

「その……改めて、ごめんなさい」

 

 ぺこりと、杏が頭を下げる。

 

「そんなに昨日の晩御飯で俺の分のからあげまでレモンかけたこと気にしなくてもいいんだぞ」

 

「ち、違います! そっちじゃなくて!」

 

「分かってるよ。でもな、もうそりゃからあげ以下のことなんだ。謝らなくていい」

 

「!」

 

「伊予島が俺をまた仲間として、友人として認めてくれたことが嬉しい。それでいいんだ」

 

 この会話を通して二人は、自分達の間にあったわだかまりの全てが、消えてなくなったことを再確認した。

 

「俺も最近は勉強を教えてもらえてるからよく分かる」

 

「え?」

 

「俺の内に沢山溜まってた、マイナスの感情に……

 伊予島がマイナスの感情をぶつけてくれたからプラスになったんだ。サンキューな」

 

「ば、爆発的に頭の悪い考え方……!」

 

 こういう発想は、天然のバカでもなければ出てこない。

 杏を気遣った話し方をしているのも確かだが、彼がバカなのも事実だった。

 

 杏はあくびを噛み殺す。

 何故こんな朝早くなんだろう? と、ごく自然の疑問を持った。

 杏はこの早朝に起き、竜胆の頼み通り彼を外に出したわけだが、その理由までは聞いていなかった。

 

「ところで、こんな早い時間に何を?」

 

「掃除。ま、綺麗な方が気分良いだろ」

 

 竜胆は花見の予定場所を綺麗に掃除していく。

 土、砂を寄せ、昨晩の内に風で飛ばされて来たらしい落ち葉を除けて、ビニールなどのゴミをゴミ袋に放り込んでいく。

 

「それならこんな早い時間でなくても……」

 

「若ちゃんは早起きだな」

 

「え? はい、そうですね」

 

「あいつは早起きして教室のチョークを補充したり、教室の掃除してたりする。真面目だ」

 

「あ、確かに……」

 

「ケンも早起きだ。城の中を大体掃除してるのはあの人だな」

 

「そうですね。掃除だけでなく家事全般ですけど……」

 

「つまり俺が掃除してたら、あの二人は確実に手伝いを申し出るってことだ」

 

「……ああー」

 

「今日くらいは、あの二人は休暇でいいだろ。

 二人が起きてくる前に掃除終わらせれば、俺が掃除してたことは気付かれないってことさ」

 

 本当に真面目な人間は、人が見ている時も見ていない時も真面目で、人が見ている時も見ていない時も頑張っている。

 

「あの二人の……じゃなくて、花見に参加する皆のためですか?」

 

「そんなご立派なもんじゃなくてさ。

 ほら、俺も花見を楽しみにしてるんだよ。

 めっちゃ楽しみにしてるし、楽しみたい。

 そう考えてたらじっとしてるのもなんか嫌でさ。何かできることをしたくなったんだ」

 

「それで、掃除を?」

 

「そういうこと。昔から遠足とかの前日は眠れない奴だったんだ、俺」

 

「あははっ、子供みたいですね」

 

「お前より年上だ! お前よりちょっとは大人だからな!?」

 

「分かってます、分かってますよ」

 

 仲間への思いやりと、時折見せる子供っぽさが混じり合っている。

 三年間地下に封印されていた竜胆の最後の想い出は、小学六年生の時の遠足だ。

 杏が子供っぽいと少し思ってしまったのも、しょうがないことである。

 

「御守さん、夢野久作の『懐中時計』という短編小説をご存知ですか?」

 

「知らん。自慢じゃないが俺は勉強もできないし知識もない。

 料理とかの家事もできないし、肉体労働が基本のノータリンだぞ」

 

「そ、そこまで言わなくても……」

 

「本とか小説とか基本縁遠いんだ。申し訳ない。」

 

 とても短い、こんな話だ。

 

――― 懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。

――― 鼠が見つけて笑いました。

―――「馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ」

―――「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」

――― と懐中時計は答えました。

―――「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」

――― 鼠は恥かしくなってコソコソと逃げて行きました。

 

「難しい本は読めない俺に、分かりやすく教えてくれ」

 

「懐中時計は誰も見ていない時にも動いています。

 人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのだと時計は言いました。

 人も時計も同じで、人が見ている時も見ていない時も頑張っているから、尊いのです。

 おしまい。おしまいです」

 

「すげえ分かりやすい! 天才かよ伊予島!」

 

「元が短いんですよ! 読了時間一分とかそのくらいに! 読んでみませんか?」

 

「読書ってだけで頭良い奴の趣味って感じでちょっと拒絶感出るじゃん……」

 

「その発言に滲み出る頭の悪い感じ凄いですね……御守さん頭の回転悪くないはずなのに……」

 

 杏は偏りがあるが読書家である。

 竜胆は頭が悪い。竜胆は頭が悪い。

 今まで深く絡んでいなかったからこそ発覚しなかったが、この二人の趣味のジャンルと得意分野はビックリするほど対照的だ。

 本一つとっても、目を剥くほどに対極である。

 こほん、と杏は一つ咳払い。

 

「時計は、誰も見ていなくても、真面目に頑張ってるんですよ。御守さん」

 

 竜胆が持っている箒を見ながら、杏は微笑みそんなことを言う。

 少年は頬を掻いた。

 杏の言わんとするところが分からない彼ではない。

 

「素敵なことだと、私は思います」

 

「……こういうのなんて言うんだろうな。

 遠回しとか、詩的とか、慎ましやかとか、女の子らしいとか言うのか。新鮮な気持ちだ」

 

「タマっち先輩ならこう言うと思いますよ」

 

「「 めんどくさいことしてないで直球で言えー! 」」

 

「……ふふっ」

「……くくっ」

 

 球子ならこう言うだろう、という予想がピッタリと合い、声まで重なった二人。

 まるで、二人で悲しみを和らげ合っているかのようだ。

 球子の死を悲しみ。

 球子の想い出を忘れず。

 二人の会話が、それを大切な記憶にしていく。

 

「俺は本に詳しくないから、困った時は伊予島に聞くさ。頼りにしてる」

 

「……しょうがないですね。その時は、微力を尽くします」

 

「その代わり、俺は伊予島の苦手なことやできないことを助ける。頼りにしてくれ」

 

「はいっ」

 

 竜胆が頼んだわけでもないのに、杏は自然と掃除を手伝いだす。

 ちょっと、竜胆が嬉しそうにしていた。

 

「そういえば、タマっち先輩ともしたことがありますよ。得意分野の話」

 

「俺と伊予島とはまた別ジャンルに、タマちゃんと伊予島は対極だったからな……」

 

「タマっち先輩、女子力をタマが身に着けられないと思うなー! って言ってて」

 

「女子力? 女子力か……難しいな。

 タマちゃんだと良い母親になる以上に難しい気がする」

 

「ず、ズバッと言いますね……でも確かに、そんな気もしますけど。

 私もタマっち先輩も、料理は軽くできるものなら、レベルでしたしね」

 

「へー、二人共料理できるのか。俺はさっぱりだから尊敬するわ」

 

「ちょっと、ちょっとだけです。

 今日もみんなで食べるお弁当のおかずは、私はちょっとしか作ってませんし……」

 

「楽しみだなぁ」

 

「ハードルを上げないでください!」

 

「バカだな伊予島は。

 男子はバカだから女子の料理ってだけで五割増しに上手く感じるんだよ。

 まして結構舌バカのケがある俺は大抵のもの美味いって言うから、妹にバカにされたもんだ」

 

「ぜ、全方位をバカ扱いしていくスタイル……!?」

 

「いやー、楽しみだな!」

 

「……もしかして、からかってます?」

 

「半分はな。でも、半分は本気で楽しみにしてる」

 

 二人で掃除をしながら、楽しげに語り合う。

 

 それはとても楽しい時間で、時が過ぎるのが速く感じられるほどだった。

 

「ああ、伊予島はハーモニカ上手かったな。ボブは伊予島の中に生きてるのか」

 

「ボブの空手の方は、御守さんの中に生きてます。私、それが嬉しいです」

 

「伊予島は進路とかその辺考慮に入れてたりするのか?」

 

「音楽……音楽ですか……うーん……」

 

「歌手とかミュージシャンとか音楽の道に行ってみるとかさ」

 

「あんまり、考えたことはないです。

 世界がこうなってるから、というのもありますけど……

 小学五年生の時に勇者になったので、あまり将来のことを考えたことがなくて」

 

「あー、そういうのもあるのか。将来の夢とか探してる余裕無いもんな」

 

「そういう御守さんは何かあるんですか?」

 

「えっ……ゆーちゅーばー、とか?」

 

「覚えたての言葉適当に使った時の御守さんって一瞬で分かるんですね……」

 

「ごめん適当言った」

 

「はい。謝ったから、許してあげます」

 

 やがて、球子が姉、杏が妹、みたいな話もして。

 

「外見だけなら伊予島の方が姉っぽいのにな」

 

「ふふふっ、私もそう言いました」

 

「で、タマちゃんが意地張るのが目に見えるな」

 

「ええ、そうなりました。タマっち先輩らしいです」

 

「90年後あたりに、タマちゃんと一緒に姉妹にでも生まれ変わればいいさ」

 

「……え?」

 

「タマちゃんが守ってきた命、百年超えも生きれば十分だろ。

 ちゃんと生きて、タマちゃんのしてくれたことを有意義にして。

 90年くらいは見守って待っててくれそうなタマちゃんに、死んでから会いに行けばいい」

 

「……私……。私、会えるでしょうか、タマっち先輩に」

 

「会える。会えるさ。もしかしたら、タマちゃんの方から迎えに来るかもしれない」

 

「……」

 

「長生きして、幸せになって、その命を走り切れ。伊予島杏」

 

 生まれ変わりなんてものはあるのだろうか。

 ある、という確証はない。

 あったらいいな、程度のものでしかない。

 人類史において生まれ変わりなど、その程度のものだ。

 証明なんて実は一度もされていないけど、それでも人は、それを信じる。

 

「……はい。そんなに長生きできるかは、分かりませんけど」

 

 球子とまた会える日を、もう会えない彼女とまた会えるいつかの未来を、信じる。

 

「御守さん。生まれ変わったら、また私達の先輩になって、様子でも見に来てくださいね」

 

「今から死後の約束か?」

 

「はい、気が向いたらでいいので。ずっと未来の約束です」

 

「ずっと未来、か」

 

 掃除が終わる。

 人の声が聞こえてきた。

 皆の足音が遠くに聞こえる。

 

「夢を見るような話だ。

 現実感なんて何も無い。

 何の確証もない、遠い未来を、夢見るようで……

 でもいいよな。こういうの、俺は好きだ。語るだけならタダだし、何より希望がある」

 

 竜胆と杏は、顔を突き合わせて笑う。

 

「冬が終わって、春が来るように。

 暗い時が終わって、明るい時が来るように。

 時は巡って、色んなものが変わっていくんですよ。御守さんも、私も、皆も」

 

 時が経つ度、色んなものが変わっていく。

 良い意味でも、悪い意味でも。

 竜胆が来て、仲間が増えたように。球子が死んで、仲間が減ったように。

 この先に何が待っているかは、誰にも分からない。

 天地に坐す神ですら、未来は知らない。

 

 風が吹き、桜の花びらが杏の周囲を舞っていく。

 

「俺達の未来(あす)は、いったいどうなることやら……」

 

 杏のクリーム色の髪に、桜の花びらが乗っている。

 杏はそれにも気付かずに、手の平に乗った桜の花の綺麗さに、無邪気に喜んでいた。

 桜並木と、舞う花びらと、桜を乗せて魅力的な笑顔を浮かべる杏。

 それらを見つめていた竜胆が、素直な感想を胸に抱く。

 

(綺麗だな)

 

 桜舞う中、竜胆は素直にそう思った。

 春は終わりと始まりの季節。

 一年の中の、一つの区切りだ。

 

(タマちゃん。君の頑張りが守った世界と、守った命は、今この未来を生きている)

 

 遠くに仲間達が見える。

 勇者も、巨人も、巫女も。

 皆が皆、悲しみを越える笑顔(つよさ)を持っていた。

 竜胆を見つけた皆が、手を振ってくる。

 

(君に貰った勇気と光で。君が大切にしていたものを、俺が守る)

 

 竜胆は手を振り返し、笑顔を浮かべた。

 

(俺のこの胸の内に―――君に救われた心が、ある限り)

 

 花は咲き、満開し、散華する。

 花の命は短いからこそ儚くそして美しく、その短命は運命に近い。

 されど"押し花"のように、"花が散る運命"に反逆するのも、また人であり。

 

 散った花がそこに種を残すように、何も残らぬ花散る様など、ありはしない。

 

 その種を拾い、次に繋げようとする者がいる限り。

 

 

 




 真鈴さんは竜胆と杏のW慰めでまた泣いたが立ち直ったという

 2018年の現実の桜開花予想では、四国の南端が3/15、四国の北端が3/25、香川は大体3/20ってところだったそうです

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。