夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した   作:ルシエド

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 未来の話を、友達としてきた。

 竜胆はずっと、未来に希望を見てきた。

 未来を明るく語り、未来を守るために戦ってきた。

 

 それは、喪失の果ての結論でもある。

 想い出の中でしか会えない人がいて、過去に死んでしまった人がいた。

 それらの過去をひたすら悲嘆することもできたが、竜胆はそれを幸福な未来と、誰も死なずに済む過程に繋げることを決意していた。

 

 その結果がこれだ。

 未来を語る竜胆が愚かしく見えるほどに、決定的に突きつけられた未来。

 未来が見えていることに疑いの余地はない。

 そして、旋刃盤の有無で球子の死亡日時が一日も変わらないというのなら、並大抵のことでは未来は微塵も動かないということなのだろう。

 

 竜胆はまだ何一つとして諦めてはいない。

 が。

 そんな彼でも内心穏やかではいられない、超弩級の情報だった。

 

「……」

 

 竜胆は丸亀城の教室の後ろ隅っこで、考え事をしながら空を見上げている。

 教室の前の方では、上里ひなた先生が、空いた時間で若葉と友奈に講義をしていた。

 

「若葉ちゃんが宿す予定の『大天狗』は、定義によっては日本三大妖怪でもあります。

 また、どの定義においても『酒呑童子』は日本三大妖怪と言われますね。

 大天狗は神性と邪性を持つ化生(けしょう)です。

 また、堕ちた人が成り果てるものでもある、とも言われています。

 堕ちた僧は天狗になる、と信じられていた時代があるからです。

 堕ちた人であり、神であり、魔であり、妖怪。それが若葉ちゃんの新しい精霊です」

 

 精霊とは何か。

 神樹から引き出した概念記録である。

 これには、"精霊のイメージを強く掴んでおくことで精霊の力を体に宿しやすくなる"という特性があるということが、最近大社の調査で分かった。

 

 友奈が保有する『酒呑童子』。

 そして、若葉が新たに得るという『大天狗』。

 そのどちらも、明確で強いイメージを持てれば、更にその力が宿しやすくなる。

 よってひなたが、かなり踏み込んだところまで、二人の精霊についての講義をしているというわけだ。

 

 これは通常カリキュラムとはまた別のものであり、使う教材も恐ろしく古い古書が多い。

 大社が派遣した教員でも解読に難儀するというレベルの古書だ。

 あんまりにも昔の本過ぎて、手に持つと千切れてしまいそうですらある。

 

 ひなたが講義するという形ではあるが、正確にはひなたが空いた時間で分かりやすく噛み砕いて講義という形に再構築した精霊の情報を、若葉と友奈が受け取り、イメージとして構築するような形である。

 

 竜胆は話を聞くだけの参加をしていたが、若葉の次の精霊が『大天狗』と聞き、背中にうすら寒いものが走るのを止められなかった。

 

(……あの子の予言どおり、若ちゃんが『大天狗』の精霊を手にし始めている……)

 

 翼持つ天魔、大天狗。空の者(スカイタイプ)の代表例のような、その精霊。

 

「また、若葉ちゃんの精霊が、『義経』の次が『大天狗』であることにも意味はあります。

 義経が精霊として引き出されたのは、それが怨霊の一側面を持つからです。

 怨霊として兄・頼朝に扱われた義経。

 それと同じく、"人ならざる恐ろしき者"として扱われた者がいます。

 死後、怨念で天狗になったと語られた者がいます。

 ―――崇徳天皇です。怨霊、天狗、と言われた、唯一の天皇、魔縁たる大天狗」

 

 怨霊として扱われた人間、源義経。

 怨霊として扱われた天皇、崇徳天皇。

 

「政の世界の敗者となり、陥れられた天皇……崇徳天皇。

 崇徳天皇は、讃岐の国へ流され、『讃岐院』と呼ばれていました。

 はい、香川のことですね。

 ここ香川で崇徳天皇は失意と絶望の内に死に至り、『大天狗』となったとされます。

 なので丸亀城からさほど離れていない場所に、崇徳天皇ゆかりの場所は多くあるんですよ」

 

 そう、ここだ。

 

 死した後大天狗となったと言われる崇徳天皇が死んだ土地は、ここなのだ。

 

「若葉ちゃんはここをちゃんと理解しておかなければなりません。

 崇徳天皇は、天たる朝廷を祟り、四国の守護神となった怨霊でもあるということを」

 

 あまり知られていない話だが、崇徳天皇は香川で没した者であると同時に、四国の守り神としての伝説や、四国を統べる者の守護神となったという伝承も持っている。

 

「崇徳天皇であり、日本三大怨霊・崇徳上皇でもあり。

 天狗という神性であり、天狗という魔性でもあり。

 人が成った怨霊であり、人が成った祟りの神霊でもあり。

 祟り神であり、守護神でもある、それがあなたの『大天狗』の一側面なのですから」

 

 若葉の新精霊・大天狗。

 それは酒呑童子に比肩する強大な精霊であると同時に、天上を焼き払い天に反抗する大魔性としての伝説を持ち、四国の守護神としての伝承を持つ精霊でもあるのだ。

 友奈の精霊が神性に寄っているのとは逆に、若葉の精霊は人に寄っている。

 

 若葉と大天狗が引き合ったのは、運命であり、必然でもある。

 

「ひなた、感謝するぞ。

 古い文献に触れれば、精霊は降ろしやすいと言われたものの……

 このレベルの文献は本当に、解読すら一苦労だったからな……」

 

「今はかなり厳しい状況ですから。

 若葉ちゃんや友奈さんの負担も減らしたかったんです。

 とは言っても、古い文献を理解しやすく噛み砕いただけですけど」

 

「ううん、助かるよヒナちゃん! ありがとう!

 そもそも本が難しくてイメージを掴むところまで行けてなかったから」

 

 ひなたのおかげで、若葉や友奈の精霊イメージは掴みやすくなっていく。

 若葉は横目に竜胆の方を見た。

 未来のことを深く考えている竜胆。

 竜胆はひなたの話を聞いているようにも、真面目に講義について考えているようにも見えるが、見る者が見れば上の空であることはひと目で分かった。

 

「どうした、竜胆」

 

「ん? 若ちゃん、どうしたって何が?」

 

「様子が変にもほどがある。

 気付いていない者などいないぞ。

 最初にお前に声をかけようとしたのが私だっただけだ」

 

 最初に声をかけたのは若葉。

 これは若葉が竜胆を最も理解していたから、ではなく。

 竜胆を理解する者の中で、最も"自ら率先して動く者"であったのが、若葉であったというだけの話である。

 友奈が苦笑しながら頬を掻く。

 

「うん、いつものリュウくんならここで

 『日本のこと話してるのに日本語に聞こえないどうしよう』

 『友奈解説頼む』

 とか言い出してくるはずだよ、絶対。だってこんなに難しい話なんだもん」

 

「おい」

 

 若葉も友奈も脳筋寄りのタイプだが、流石に竜胆ほどバカではないし、そこにはのび太くんとしずかちゃん並みの学力差があったりする。

 

 ひなたの講義を聞きに来たくせに、竜胆が上の空で話をまともに聞いていなかったことは、ひなた自身にも分かっていた。

 

「御守さん、私の話で寝てなかったみたいですからね」

 

「いいことだろ。人の話を聞いて寝るのは失礼だし……」

 

「はい、それはそうですね。

 でも御守さんがとても難しい話でウトウトするのは……

 相手の話を真面目に聞こうとするからです。

 分からない話を分かろうとして、真面目に聞こうとしちゃうからですよ。

 それと、毎日色んなことを頑張っているからですね」

 

「む」

 

「御守さんがウトウトしていないのは、今日は難しい話を聞いていなかったからです」

 

「……」

 

「ああ、今日は私の話を真面目に聞いてないんだな、ってすぐ分かりました」

 

「……ごめんな」

 

「いえ、いいんです。何があったんですか?」

 

 微笑むひなた。

 全て分かった上で許し、優しく抱擁するようなその接し方に、優しく声をかけられた竜胆の方が大変申し訳ない気持ちになった。

 

 竜胆は話すのを迷っていた。

 アナスタシアは、竜胆以外の誰にも未来のことを話していない。でなければ、こんなにも皆平然としていられるわけがない。

 

 アナスタシアは、竜胆にだけ未来の話をした。

 それは、彼女にとって竜胆が一番、どうでもいい仲間だったからだ。

 大切な仲間は絶望させたくない。

 だけど未来の話を自分一人で抱え込んでいるのに耐えられない。

 誰かに話したい。

 誰かに打ち明けたい。

 そういう気持ちが、仲間ではあるが、アナスタシアにとって一番どうでもいい仲間であり……『未来を見た結果、信頼しようと思えた』仲間である竜胆に、未来の秘密を打ち明けさせたのだ。

 

 竜胆が話さなければ、皆は未来のことを知ることもない。

 竜胆は迷う。

 だが、迷いを振り切り、仲間に打ち明け、仲間を頼ることを決めた。

 

「実は……」

 

 仲間と共に歩んでいくことが、竜胆の選択だった。

 

 

 

 

 

 全滅の未来。

 300年後の決着の運命。

 それだけならただの妄言と一笑に付すことができたかもしれない。

 それを言ったのがアナスタシアである、というのが問題だった。

 

 若葉も、友奈も、ひなたも、深刻な顔で受け止めている。

 その表情は竜胆以上に深刻だ。

 今ここにいない千景や杏などにも、彼女らから未来の話は伝わっていくだろうが、千景達の表情も同様に、竜胆以上に深刻なものになるだろう。

 表情の差は、イコールで理解度の差であるからだ。

 

「……」

 

 『神と一体化した巫女』であるアナスタシアの言葉が、どれほど『真実』や『運命』というものに近いものであるかを、竜胆以外の者達はよく知っていた。

 

 竜胆はアナスタシアのことをよくは知らない。

 ゆえにこそ、彼は周りの皆ほど、絶望的になっていなかった。

 アナスタシアのことをよく知るがために、竜胆の周りの皆は、竜胆の予想以上に絶望的な心持ちになってしまっていた。

 

「……それは本当か?」

 

「ああ。若ちゃんだって俺が嘘言ってないのは分かるだろ」

 

「分かるが……だが、だとしたら……なんということだ……」

 

 各々の反応は違えど、アナスタシアが言った"変えられない悲劇の未来"の話を、三者三様に受け入れかかっている。

 

 竜胆はそれに少し驚くが、すぐに目つきが鋭くなった。

 彼はアナスタシアの過去の実績を知らない。

 その無知が、この未来を断固として盲信させず、この運命を受け入れさせなかった。

 

「俺は、未来を変えたい」

 

 竜胆の言葉に、三人が竜胆を見る。

 未来を受け入れない。

 運命を変える。

 言うは易く、行うは難し。

 

 それは容易ならざる道であったが、必ず成すという決意にも満ちた、強いものであった。

 

「俺はこんな運命、受け入れられない」

 

 無知ゆえにアナスタシアの予知を真っ向から否定する竜胆につられ、いつだって前向きな友奈が声を上げる。

 

「そうだよ、諦めちゃ駄目だよ!」

 

 心揺れこそしたものの、若葉もひなたも同様に、この程度で未来を諦めはしない。

 

「誰も諦めてなどいない。少し驚いただけだな」

 

「そうです、ここからですよ! 若葉ちゃん!」

 

 意志の統一ができたなら、次に話すことは一つだ。

 その未来をどう変えるか、である。

 ああだ、こうだと、アナスタシアの言葉を四人で話し合い、別解釈を出し合っていく。

 

「幸い、俺達には一つ言えることがある」

 

「なんだ?」

 

「この危機は、基本的に『敵が強い』ということにまとめられるってことだ」

 

「それは……そうかもしれないな。

 聞く限りではやはり敵の強さが戦死の原因になっているように思える。

 だが、そんな当たり前のことを再確認したからといって、何に……」

 

「つまり俺達がその未来より強くなっていれば、未来は変わるってことだな」

 

「!」

 

「分かりやすいだろ、これ。未来を変えるやり方が最初から提示されてるんだからさ」

 

 竜胆の発言に、若葉はなるほどと頷き、友奈はポンと手を叩き、ひなたはもにょった。

 

「確かにそうだな。良い指摘だ、竜胆」

 

「うん、確かにそうだよ! ……そうだよね?」

 

「あれ、この理屈に"知能指数半減しそう"って思うのは私が勇者じゃないからでしょうか」

 

 確かに、竜胆の主張は正しいと言えば正しい。

 "いつか来るゼットに対抗するため強くなる"よりは、"次の次の戦いまでに特訓を詰め込む"といった思考や、"5月17日のひなたの死亡を回避する"といった思考の方が、短期間の成長率は高くなるだろう。

 問題は、これが最適解だったとしても、この主張の知能指数がやや低いということだが。

 

「それなら一つ、私が前から考えていたものがある。竜胆、できるか?」

 

「詳しく聞かせてくれ、若ちゃん」

 

 若葉が語った提案は、既存の発想のどれにも合致しないものだった。

 若葉の主張に、竜胆は驚き、「……できる」と言った。

 友奈は驚き、若葉の身を心配した。

 ひなたは若葉の身を案じ、反対したが、若葉は引かなかった。

 

「若ちゃんの体も心配だが、これちょっと時間もかかるな……」

 

「今すぐには無理か?」

 

「若ちゃんの体のことを考えるなら、できるかぎり時間をかけたいところだよ」

 

「むぅ……」

 

 『若葉の提案』は、時間もかかるし、できれば多用はしたくないのでやるとすれば一回、実行者に危険まであるが―――『奇跡に繋がる発想』だった。

 

「でも、もしかしたらこれなら、俺もゼットだって倒せるかもしれない……!」

 

「それは言いすぎじゃないか?」

 

「ごめん調子乗った。やってみないと分からん。

 でも信じてもらってる限り、俺は絶対に勝つ気持ちでぶつかっていくだけだ」

 

「その意気だ。黒い巨人が黒いゼットンに勝利する瞬間を、存分に見せてくれ」

 

 若葉がふざけて拳を突き出し、竜胆がにっと笑って拳を打ち合わせる。

 うーん、とひなたは首を傾げた。

 頭の良い作戦が練れるほど情報が出揃っていない、というのはひなたにも分かるのだが。

 

「……友奈さん、これ大丈夫なんでしょうか……?」

 

「……うーん、若葉ちゃんが危険かもしれないし、皆で相談して決めよっか」

 

 若葉の提案が採用されるかどうかは、皆との話し合いの結果次第になりそうだ。

 

 四人で話していると、教室の扉が開く。

 

「アナちゃん?」

 

 開いた扉の向こうには、アナスタシアがいた。

 アナスタシアは一直線にひなたの下に駆け寄って、ひなたをぎゅっと抱きしめる。

 身長差で、ひなたの足が抱きしめられる形になり、ひなたは逃げられない形になった。

 少女の小さな手が、ひなたのスカートを掴んでいる。

 

「ごはん」

 

 ひなたは微笑み、アナスタシアの頭を優しく撫でた。

 

「ああ、もうそんな時間でしたか。

 ごめんなさい若葉ちゃん、午前の授業はここまでです。

 アナちゃんと一緒にご飯を食べる約束をしていたんですよ」

 

「そうか。なら、私達も一緒に行っていいか? アナスタシア」

 

「……若葉おねーちゃんと友奈おねーちゃんはいいよ」

 

「俺は?」

 

「……あたしのニンジン食べてくれたらいいよ」

 

「こら! アナちゃん! 好き嫌いは駄目だって前にも言ったでしょう!」

 

「びょ、病院じゃ大社の人はあたしにムリヤリ食べさせなかったもん!」

 

「また大社の人はアナちゃんを甘やかして……」

 

 竜胆は、ひなたとアナスタシアの間に、他の人とは違う絆の形を見た。

 

「ひーちゃんがアナちゃんの母親みたいだな」

 

「あの、私、中学生ですよ?」

 

「褒めてるんだよ。ひーちゃんは優しくて厳しい母親になれそうだ」

 

「ああ、ひなたは確かに母親感あるな」

「ヒナちゃんはなんと言っても包容力だよね!」

 

「まだ中学生です!」

 

 ひなたに対し、母親に甘えるように甘えるアナスタシアが、ひなたの胸を見る。

 

「いやこのおっぱいで中学生は無理でしょ。やっぱりあたしに年齢詐称してない?」

 

「!? あ、アナちゃん!」

 

「ひなたおねーちゃんはやーらかいからすきー」

 

 ぎゅーっと、アナスタシアがひなたに抱きつく。

 竜胆の居心地が猛烈に悪くなった。ひなたの視線が痛い。

 五人でわいわいと話しながら食堂へと向かう。

 

 食堂に辿り着き、若葉達が何を頼むか決めている間、竜胆は膝を折ってアナスタシアと同じ高さの視点で彼女にささやく。

 

「アナちゃん」

 

 竜胆の声にはしっかりとした意志があり、アナスタシアの目には一抹の諦めがあった。

 

「俺達が未来を変えてみせる。もう誰も、死なせたくないんだ」

 

 アナスタシアは、諦めてほしかった。

 だから悲しい顔をする。

 

「そういうこと言ってるみんなの前で、仲間が死ぬから、悲劇になるんだよ……」

 

 どうせ終わりが変わらないのであれば。

 

 余計に苦しむこともなく、無駄な努力を積み重ねることもなく、安らかに終わってほしかった。

 

 "皆が精一杯頑張ったけど結局負けて皆死にました"なんて終わりに、なってほしくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アナスタシアが、初めてウルトラマンとなったその日。

 世界は燃えていた。

 いつも雪に覆われたロシアの街は、雪でも消えない炎によって燃やされていた。

 

 空から降り注ぐ豪雪。

 それを一つ残らず蒸発させる地上の業火。

 天と地の間には白い怪物が居て、アナスタシアの眼の前には無数に転がる、両親や友達の死体の数々。

 

 その時、空から光が降ってきた。

 一も二もなく、"子供を助けないと"という一心で飛んで来たかのように、その光は一直線に飛んで来て、アナスタシアと一体化する。

 

 その光は『宇宙を渡り命を助け続けるもの』だった。

 あまりにも他の生命を助けようとしすぎたために、力の大半を使い果たし、アナスタシアと一体化するのがやっと、というレベルに弱りきっていた。

 その光の名は、ウルトラマン。

 ウルトラマンネクサス。

 弱りきった神の成れの果て。

 

「あああああああっ!」

 

 そしてその日、アナスタシアは初めてウルトラマンとなり、怪物を薙ぎ払った。

 

 その日、彼女はその光を手にしていなければ、死んでいただろう。

 光を手にしたその日から、少女の旅路は始まった。

 一人で雪原を歩き続け、泣いた日もあった。

 他の国で人を守ろうとし、守れなくて、泣いた日もあった。

 ボブと球子の死を病室で聞き、何もできなかったことに泣いた日もあった。

 

 彼女は稀代の天才である。

 竜胆が戦闘面で地球一の天才なら、彼女は巫女としての天才。

 純粋な巫女としてはひなたに劣るが、"神の力を引き出す"という意味で、アナスタシアに比肩する地球人は存在しない。

 

 だが、才能に心が追いついていなかった。

 まだ心が育ちきるまでの時間が足りていなかった。

 ウルトラマンの神の力を大人以上に引き出せるのに、大人ほど心が成熟していなかった。

 

 その絶望は深く、濃く、大きい。

 

 アナスタシアが竜胆に言う「諦めろ」は、介錯をするような優しさだ。

 苦しみが続くくらいならいっそ楽に終わらせてやりたい、という優しさ。

 優しい諦め。

 結末がもし本当に決まりきっているのだとしたら、仲間達が全力で頑張って、全て無駄に終わるだなんていう結末を、優しい人が受け入れられるだろうか。

 幼い優しさは、それなら足掻かない方がマシだと、そう考える。

 

 大人よりも未来を夢見る子供が。

 大人よりも未来を純粋に欲しがる子供が。

 誰よりも明確に、未来を諦めていた。

 

 

 

 

 

 今のアナスタシアは、歩けないわけではない。

 だができれば歩くなと医者に言われている。

 

 アナスタシアの負傷は、ゼットの一撃で腹に空いた大穴だ。

 この傷はゼットの一撃の恐ろしさゆえか、治りが遅く、今現在もいつ開いてもおかしくない傷跡をそこに残している。

 戦闘なんてもってのほか、運動さえも厳重に禁止だ。

 腹の傷が開いたら緊急手術をしても死ぬかもしれない、とすら言われている。

 

 そんなアナスタシアだからこそ、お世話役にはひなたが付けられた。

 ひなたがこの役を自ら請け負ったというのものあるが、アナスタシアはひなたを母親のように慕っていて、ひなたはアナスタシアを妹のように大切にしている。

 体を洗うことも一人ではできない状態なので、ひなたは毎日、アナスタシアの傷を悪化させないよう気を使って、その体を洗ってやっていた。

 

「頭流しますよ、目を瞑って」

 

「んー」

 

 食堂で早めの晩御飯を食べて、二人で体を洗って、風呂上がりにまだ夕日が沈みきっていない彼方の空を見て、二人で手を繋いで歩く。

 

「今日の晩御飯の後のデザートは、フレンチクルーラーです!」

 

「わぁ……!」

 

「皆には秘密で、ね?」

 

「うんうん!」

 

 食堂とは別の、道場の冷蔵庫に隠された"女の子のおやつ"を二人でつまんで、風呂上がりに気持ちよく春風を感じ、笑い合い、フレンチクルーラーを食む。

 

「テレビを見たら、歯を磨いて寝るんですよ」

 

「うんっ」

 

 夜空と夕日が同時に見える空の下で、二人は丸亀城の敷地内を走り込んでいる少年を見た。

 コツコツ、コツコツと、誰かが見ている時も、見ていない時も、コツコツ努力を積み重ねている少年。

 今は脇目も振らず、自分自身を鍛えている。

 それは未来に向かう懸命さ。

 ひなたは暖かな微笑みを自然と浮かべ、アナスタシアは辛そうに目を逸らす。

 

 竜胆の方が二人に気付き、夕日を背に歩み寄ってきた。

 

「よう、お二人さん」

 

「あ、御守さん。こんな時間までトレーニングですか?」

 

「やれるだけのことはやっておきたくてな」

 

 今日はかなり暖かい。

 風呂上がりなのもあって、ひなたは結構薄着だった。

 髪や肌もしっとりしていて、ひなたの中学生離れした胸や尻など、フェティッシュな部分が普段より少し目立つ。

 相対しているだけで、竜胆はちょっと変な気持ちになりそうだった。

 アナスタシアがムッとして、ひなたを庇うように二人の間に割って入る。

 

「ひなたおねえちゃんがとんだハレンチクルーラーだからってそういう目で見るなー!」

 

「ハレンチクルーラー!?」

「ハレンチクルーラー!?」

 

 ひなたがさっと胸の辺りを腕で隠す。

 

「……あまり見ないでくれると嬉しいです。お風呂上がりなので」

 

「悪い、不快な思いをさせたな」

 

「気にしてませんよ。謝らないでください」

 

 またなんだかちょっと変な空気に。

 竜胆は頭を下げて、丸亀城内部の自動販売機を指差す。

 実質勇者達専用の、飲み物を買うと電子パネルでルーレットが始まり、当たるともう一本貰えるというタイプの自動販売機であった。

 

「お詫びになんかジュース奢るよ。何が良い?」

 

「コーラ! あたしコーラで!」

 

「では、お言葉に甘えて、お茶を一本お願いします」

 

 竜胆が"さっき失礼したからちょっと距離取った方がいいかな"と、体二つ分の距離を空けたひなたの隣で歩く。

 "大丈夫ですってば"と言わんばかりに、ひなたが体一つ分の距離まで詰める。

 見られるのは恥ずかしいし嫌だが、距離を取られるのも申し訳ないし嫌という心理。

 ふーむ、とアナスタシアは唸った。

 自動販売機に竜胆がお金を入れると、アナスタシアがボタン押しに待ったをかける。

 

「ちょっと待って、あたしがボタン押すから」

 

「?」

 

 アナスタシアが小さな体で懸命に背伸びし、自販機のボタンを押す。

 アナスタシアが欲しがっていたコーラが出てきて、パネルのルーレットが大当たり。

 もう一本選べるよ、という表示が出る。

 

「もういっかい」

 

「……?」

 

 もう一度背伸びし、コーラのボタンを押す。

 コーラがもう一本出て、ルーレットが回り、また大当たり。

 

「もういっかい」

 

「……!?」

 

 三度目のコーラのボタン押し。

 三本目のコーラが出て、当然のようにルーレットがまた当たる。

 

「もういっかい」

 

「なっ、なっ」

 

 ひなたの分のお茶のボタンが押され、お茶が出て、ルーレットがまた回る。

 そして当然のように大当たり。

 最後に、竜胆の分のソーダが出たところで、ルーレットはようやく外れた。

 

「もういっか」

 

「え、何これ」

 

 アナスタシアが嬉しそうにコーラ三本を抱え、ひなたにお茶、竜胆にソーダを渡す。

 ぺこり、と少女は竜胆に丁寧に頭を下げた。

 

「あたしとひなたおねーちゃんにジュースをくれて、ありがとう」

 

「え……い、今のなんだ!?」

 

「予知。51分55秒に押して当たらない、56秒も当たらない、57秒に押せば当たるよ、みたいな」

 

「つか、なんで俺がソーダ飲もうと思ってたことが分かったんだ……?」

 

「未来でソーダ頼んでたじゃん。あたしには見えてるもん」

 

「……」

 

 開いた口が塞がらない、とはこういうことを言うのだろうか。

 無邪気な超越者。

 神と繋がる巫女たるがゆえに、人の領域から自然と一歩分踏み出している。

 

「アナちゃんは昔から不思議なことがいくつもできるんです」

 

 ひなたは良いことのように言っているが、竜胆は肝が冷えている。

 

 逆に言えば。

 『ここまでできる人間』が、"未来は変わらないと確信している"ということでもある。

 強さでない部分を皆が信頼していた理由が分かった。

 アナスタシアの予言を竜胆から聞き、あんなにも深刻な表情をしていた理由が分かった。

 

 ここまで未来が見えていて、未来を自由自在に取捨選択できる者が、未来を諦めている。

 いや、そもそも。

 このレベルで人間離れした"ウルトラマン"を、ゼットは体すら未完成な状態で、一方的に倒したというのか。だとしたら、アレはどれだけ化物なのか。

 

「ねえ、諦めてよ」

 

 アナスタシアは懇願するように、諦めを勧める。

 

「杏おねーちゃんとあなたの最後の会話、先に教えておいてあげる」

 

「最後って、お前……」

 

「前置きなしに聞くと、あなたの心、壊れかけちゃうから。今の内に、心構えだけしておいて」

 

 アナスタシアは、竜胆と杏の"その時"の台詞を、一言一句変えず口にする。

 

 

 

 

 

 それは、定められた運命の道筋。

 

■■■■■■■■

 

「伊予島!」

 

「みもり……さ……」

 

「喋るな! クソ、腹の傷が……!」

 

「くやまないで……ください……」

 

「喋るなって言ってるだろ! お前を守ると、タマちゃんに誓ったんだ」

 

「……あはは」

 

「おい、何笑って……」

 

「御守さん、は……タマっち先輩の……代わりに頑張るって言ってたけど……

 私は……少しは……タマっち先輩の代わりとして……御守さんの仲間、できたかな……」

 

「―――」

 

「御守さんと……こうして仲良くなれたの……

 御守さんが……命懸けて守ってくれる、関係になれたの……

 タマっち先輩が死なないと……そうはなれなかっただろうな、って思って……」

 

「馬鹿野郎! 何……何変な事考えてんだ!」

 

「だって、名前で、呼ばれたこと……なくて」

 

「―――あ」

 

「友達は……皆……御守さん……名前のあだ名で呼んでて……

 ちょっと羨ましくて……寂しくて……私は友達とは『違う』んだな、って……」

 

「バカ……お前、俺よりバカか! そんなわけないだろ!」

 

「あはは……御守さんより、バカでした……」

 

「ちゃんと友達で、仲間で、大切な人に決まってんだろ!

 タマちゃんのこととかも関係なく! 俺はお前って個人が大好きだったんだ!」

 

「……ありがと……うれしい……」

 

「『杏』!」

 

「……」

 

「……杏?」

 

「……」

 

「おい、杏! 起きろ! 死ぬな! ……脈が……死ぬな! バカ、死ぬな!」

 

「……」

 

「生きろ! 生きて聞け! 死んでから名前呼ばれたって、嬉しくないだろ! お前も!」

 

「……」

 

「―――ああああああああああああッ!!!」

 

■■■■■■■■

 

 命を運ぶと書いて、運命。

 

 世界を救うティガという闇に、生贄として捧げられる、そんな運命の命がある。

 

 

 

 

 

 竜胆の胸の奥で、闇が蠢いた。

 仲間の死二つ分で膨らんだ闇は、絶望を初めとする負の感情を求めている。

 それを押し込み、竜胆は平静を保った。

 

「心の闇が増えるのは、運命だから、変わらないけど。

 少しでも……少しでも、心の痛みが減ることに、こしたことはないから」

 

 これは残酷だが、優しさだ。

 "その時"が来た時に心構えが出来ていなければ、竜胆の心に走る痛みと苦しみはどれほどのものとなるだろうか、想像に難くない。

 ワンクッションを置くという優しさ。

 トータルで心に与えられる痛みを減らそうという試み。

 

 あまり上手い優しさとは言えないかもしれないが、竜胆はその気持ちを察している。

 

「気遣ってくれてサンキューな」

 

 ポン、と竜胆はアナスタシアの頭に手を置き、撫でる。

 同年代の女子と見ている者には、あまりこういうことはしない彼だが、幼いアナスタシア相手にはやはり"兄としての感情"が揺り起こされてしまうのかもしれない。

 

「だけど、()()()()()俺が死んでも受け入れられない。

 その未来だけは、その死だけは、絶対に駄目だ。俺はそれを姫百合に誓ってる」

 

 怯え、期待、信用、不安。

 複雑な感情がアナスタシアの表情に浮かぶ。

 アナスタシアは竜胆を信じていて、信じていない。

 その人格は信じられると思いながらも、未来を変えられるとは全く信じていない。

 

 これまで竜胆は、その心を信じられながらも、暴走するがゆえにその強大な闇の力を信じられていなかった。

 だが、これは違う。

 逆だ。

 強いが暴走する力を信じられていない、のではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()から信じられていない。

 

 ゼットの言葉と、アナスタシアの言葉を総合して考えるのであれば―――竜胆は仲間が死ぬことで強くなり、そうして初めて最後まで生き残ることができる。

 西暦を神世紀に繋げることができる。

 それゆえ、仲間が死ぬまで、仲間を守れず、無力であることを未来に保証されているのだ。

 

「……なによ」

 

「君を絶対に泣かせない結末にしないとな、って思って」

 

「泣かないもん。あたしは泣かない」

 

「ああ、そりゃいい。君は強い子だな。じゃあ俺は、君が心でも泣かないように頑張るよ」

 

 竜胆は微笑むひなたの前で、強く、強く、アナスタシアに強く言い切る。

 

「俺の師匠が。俺の友達が。

 命をかけて守ったのは、君の未来もなんだ。

 絶対にバッドエンドなんかでは終わらせない。君の幸せを、あの二人も願ってるはずだから」

 

 アナスタシアは、強さを感じる。

 仲間の死を軽く見ることなく、仲間の死に慣れることもなく、仲間の死にきちんと悲しみ、ちゃんと絶望し、その全てを糧とし、必ず立ち上がる強さを。

 何があっても諦めない強さを。

 竜胆が最後まで生き残る理由を、アナスタシアは骨身に染みて理解する。

 誰かを庇って死にでもしない限り、この少年は最後まで死なない。そういうタイプだ。

 

 だから、分かる。分かってしまう。

 

 アナスタシアが嫌がっている、"死ぬほど頑張ったのに何も報われず無念と絶望に終わる地獄"へと―――一番落ちやすいのが、誰であるのかが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いの日はやって来る。

 竜胆と杏は、海を見ていた。

 高所から街と海を見渡せる、丸亀城の塀。

 皆が集まるまで、二人は益体もない話を続ける。

 

「なあ伊予島、お前留年してるって本当か?

 頭の良いお前がそんなことになるとか、何やったんだ?

 100点だけじゃ満足できなくて120点取るためにカンニングしたとか……?」

 

「してません! 体が弱くて、学校に行けなかったんです」

 

「ああ、そういうことだったのか。

 頭が良くて素行も良いお前が留年とか、悪人の陰謀以外にありえないと思ってたら……」

 

「120点取るためのカンニングは悪い素行に入ってないんですか……?」

 

「よく考えたら120点取るためのカンニングってなんだ。

 習ってないところまで勉強して答案用紙に書いたら取れるのか?」

 

「えっ……ど、どうなんでしょう。取ったことないので分かりません」

 

「決められた未来が100点だとすると改善には120点取るくらいじゃなきゃいけないのかな」

 

 原級留置、と言うのだそうだ。伊予島杏は、小学生で一度同じ学年をやり直している。

 

「留年は嫌な想い出か?

 あんまり話したくないことなら、俺は今後一切話題に出さないと約束する」

 

「……そう、ですね。あんまり話したくないことなのは確かです。

 でも、友達なら知ってもらいたいな、なんて思うことでもあります。私の弱さのお話を」

 

「伊予島」

 

「あれは小学三年生の時でした。

 その年の私は特に体調を崩しやすくて、ほとんど学校に行けなくて、進級できませんでした」

 

 杏だけ小学三年生のまま、同級生は皆小学四年生になってしまった。

 始まるのは、これまで友達だった人達が一人もいない教室での授業。

 一つ年下の、遠巻きに見守るクラスメイト達。

 腫れ物に触るように気を使う親、気を使う教師達。

 誰も、杏をいじめなかった。

 誰も、杏に近寄らなかった。

 皆が皆、かわいそうなものを見る目で杏を見て、迂闊に触れないように距離を取り、腫れ物に触るように優しく扱った。

 "気を使わない明け透けな関係"は、留年した杏の回りから一つ残らず消失する。

 

 "一年のズレ"が、クラスで杏に常に疎外感を突きつける。

 このままずっと"一年のズレ"を感じながら、孤独に皆に遠巻きに見られながら生きていかなければならないのか。そう思うたび、当時の杏は泣いていた。

 それで泣いてしまうくらい、彼女の心は"普通の女の子"だった。

 

 そんな日々が一変したのは、バーテックス襲来の日、球子と出会ったあの時から。

 

「タマっち先輩を……恥ずかしい話ですけど、私は救いの王子様みたいに思ってたんです」

 

「いいじゃないか、王子様。俺もその王子様に救われた一人だ」

 

「……そうでしたね」

 

「かっこよかったよ、タマちゃんは。

 かわいかったけどそれだけじゃない。ちゃんとかっこよかったんだ」

 

 死んでも、離れた気はしない。

 二人は共に、二人の間にもう一人の存在を感じている。

 いつでも、近くに感じている。

 想い出を語るたび、そこにいると思えるのだ。

 

 杏の過去を聞き、竜胆は納得した様子だった。

 

「そうか。だから伊予島は、俺達の卒業式を提案してくれたのか」

 

 あの卒業式と卒業証書は、杏が提案してくれたものだ。

 "進級できず次に進めなかった者"が、"卒業し次に進むことを祝う儀式"を企画してくれた。

 そう思えば、合点もいく。

 杏の優しさの一つは、彼女の過去にそのルーツを持っていたのだ。

 

 皆と一緒に同じ未来に進んでいけない苦しみ、一人残される疎外感、"かわいそうな人"にされてしまった後の絶望を、杏はよく知っている。

 

「私達、六月に御守さんを残して全員死ぬと聞きました。

 でも……私は嫌です。一人残された御守さんがどんなに苦しいか、分かりますから」

 

「お前……」

 

「御守さんを残して、私達だけでどこかに行ったりしません」

 

 その時竜胆は、気付いた。

 自分が、"仲間が皆死んで自分一人残される未来"を、本当に恐れ、それに怯えていたことに。

 竜胆自身ですら気付いていなかった竜胆の恐怖を、杏は察して、気遣ってくれたのだ。

 

 杏だから分かった恐怖。

 杏にしか分からない恐怖。

 彼女にしか救えなかった、彼の心の一部分。

 

「……ありがとうな。

 ああ、そうだ、誰も死なせてたまるか。

 六月には若ちゃんの誕生日だってあるんだ、六月に全滅なんてさせてたまるか」

 

「……あ。そ、そういえば、確かに若葉さんの誕生日も近いですね」

 

「おう。その三ヶ月後には伊予島の誕生日もあるし、負けられないな」

 

 未来を語る竜胆の姿に、杏は勇気と希望を貰う。

 

 竜胆も、杏も、言わなかった。

 三ヶ月後には球子の誕生日もあるということを、言わなかった。

 その日にまた弔おう、という意思表示をしなかった。

 する必要すらなかった。

 "言わなくても通じ合っている実感"があって、"言わなくても分かってもらえている実感"があって、それがとても心地良かった。

 

「伊予島にも、生まれてきてありがとうー! って感じに、色々言いたいからさ」

 

 困った人だと、杏は思う。

 そんなこと、誕生日に言わなくても、周りの皆は分かっているのに。

 竜胆が"生まれてきてくれてありがとう"という気持ちを皆に対して抱いていることなんて、言われなくたって、皆分かっているというのに。

 胸の奥を暖かくさせてくる困った人だと、杏は思う。

 

 伊予島、と竜胆はまた彼女の名を呼ぼうとして。

 

―――友達は……皆……御守さん……名前のあだ名で呼んでて……

―――ちょっと羨ましくて……寂しくて……私は友達とは『違う』んだな、って……

 

 その呼び方を、改める。

 

「なあ、杏って呼んでいいか?」

 

「! ど、どうぞどうぞ!」

 

「お、おう、そこまで良い反応されるとは思ってなかった」

 

 それは、ほんの小さなことなのかもしれない。

 

「驚かせてごめんなさい。でも、実は、私……ずっとその呼び方のこと気にしてて」

 

 アナスタシアの見た悲劇の未来を、何も変えないものなのかもしれない。

 

「伊予島、って呼ばれるのが気になってて。"皆と同じ"がいいな、って思ってて」

 

 だが、この瞬間に、竜胆は。

 

「……嬉しいです。ちゃんと友達扱いにしてもらえたみたいで」

 

「俺はそんな考えて呼び方に違いつけてないよ」

 

「分かってます。分かってたんですけど、心は頭じゃどうにもできなくて……ごめんなさい」

 

「謝るなよ。むしろ、気付かなかった俺の方が謝るべきなんだ」

 

 きっと、未来を変えたのだ。

 

 "皆と違う"という疎外感と孤独感が、その過去の思いがトラウマとなっていた杏の心。

 皆と違う、という想いがあっても、球子がいないから誰にも打ち明けられずにいた杏の心。

 皆と違う呼び方をされているだけで気にしてしまう、自分の矮小さを恥じる杏の心。

 それが今、ほんの少しだが、救われた気持ちになっていた。

 

「俺があだ名で呼ばないで、名前呼び捨てにしたことある女子とか五人いないからな。特別だ」

 

「特別……」

 

「これからも改めてよろしく頼むぜ。マイフレンド杏」

 

「はいっ」

 

 特別な友達、と言われると、杏の胸の奥がほんわかする。

 対し竜胆は、アナスタシアから聞いた杏の未来の末路を想起し、鋼鉄の意志をもって彼女を守らんとする。

 

「杏」

 

 竜胆はずっと、自分の大切な人を、自分の手で殺してしまうことを何よりも恐れていた。

 その恐怖は、もう乗り越えている。

 ゆえにこそ、その胸に湧くは"敵に大切な人を殺される恐怖"。

 恐怖を振り切り、竜胆は固く決意を固める。

 

 アナスタシアが"仲間も自分も皆死ぬ恐怖"に負けて、皆が努力も頑張りもせずに終わる結末を目指した者であるのと対極に、竜胆はその恐怖をねじ伏せ、運命に立ち向かおうとしているのだ。

 アナスタシアと竜胆の違いは、勇気の大小でもある。

 

「杏は絶対に死なせない。

 いや、できるなら傷一つ付けさせない。

 お前のことを、俺の命より大切に思ってるからだ。だから、絶対に守る」

 

 守ると、少年は誓った。

 

「あの日から、疑ったことなんて一度もありません。私も、あなたの背中を守ります」

 

 頬を緩めて、喜色を浮かべた少女も、守ると言った。

 

「戦う理由は、ここにありますから」

 

 制服を下から押し上げる胸の膨らみに手を添え、その奥の想いに触れるように、杏は言い切る。

 

 少年少女は守り合うことを誓い、また一つ思いを通じ合わせた。

 

 そして、仲間達全員が、やがてこの場所に集まってくる。

 

「今日この日で間違いないのか? アナちゃん」

 

「間違いないよ。私は未来を見間違えないもん。この日、この時間に、"次"が来る」

 

 竜胆が問い、アナスタシアが答える。

 アナスタシアは全てを諦めている。

 ここで全滅するなら、その分だけ楽に死ねるからいい、とすら思っているようだ。

 敵の襲撃日時は教えてくれたが、結局それだけ。

 悲嘆に暮れたアナスタシアが、言葉を呟き、車椅子で呻く。

 

「何も……何も……変わらないよ……諦めない気持ちは、要らないくらいなんだよ……」

 

 四国結界が僅かに揺れる。

 

「来たか」

 

 時間が止まり、世界の風景が樹海に変わり、結界の外からバーテックスが侵入を始め―――入って来たEXゴモラが、樹海を踏んだ、その瞬間。

 樹海が消え、世界の時間が動き始めた。

 

「? 時間が動き出した……?」

 

 四国結界の端、結界の『壁』がほどけて消えていく。

 そこから海を割り、海を進んで来る無数のバーテックス達。

 異変に気付いた一般市民達が、疑問の声を上げ、状況を理解できず、スマホでバーテックス達が侵入してきた方向を撮影し始める。

 

「お、おい」

 

 竜胆が戸惑いの声を上げた。

 勘の良い人間が、絶望の声を上げた。

 バーテックス初襲来の日、星屑の姿を見たことのある天空恐怖症の患者が、発狂しながら絶叫した。パニックが、海岸線沿いに広まり始める。

 

「敵が来てるんだぞ! 樹海化がないと街が……」

 

 だが、樹海化はこない。

 樹海が展開されない。

 今まで守られていた日常が、日常から隔離されていた戦いの場と、接触する。

 接触してしまう。

 アナスタシアはうなだれたまま、涙を零した。

 

「ごめんね……ごめんなさい……私の力じゃ、もう結界を後付けで強化できないから……」

 

 世界はもう、取り繕えるラインを越えてしまった。

 

「もう、私が外からいくら弄っても、ブルトンからの干渉に対抗することもできない……」

 

「それって、まさか!」

 

 四次元怪獣ブルトン。

 時間を空間を滅茶苦茶にする異常な怪獣。

 その干渉があっても、四国結界と樹海化を保てていたのは、アナスタシアが腹に穴が空いた状態で必死にアップデートを繰り返していたからだ。

 だが、それも、もうない。

 

 アナスタシアが退院した理由の一つには……『もうブルトンに対抗できないことが確定した』からでもある。

 病院で厳重に管理されながら、結界をアップデートする意味が、なくなったということだ。

 時間と空間。

 樹海化と四国結界。

 その片方、時間を操る主導権を、人類と神樹は完全に剥奪された。

 

「だから……諦めて。ここで、皆死んじゃった方が、きっと楽だから」

 

 何人死ぬか、と一人は嫌な想像をした。

 何万人死ぬか、と一人は嫌な想像をした。

 今日人類は滅びるのでは、と一人は嫌な想像をした。

 

 2019年5月10日、午前10時23分。

 

 四国結界内、樹海化現象、完全消失完了。

 

 以前見られたあの結界が見られることは、永遠になくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵側には、新顔が大量に並んでいた。

 結界の壁は崩壊し、その向こうに無数のバーテックスが並んでいる。

 大型はおそらく30~40。

 だが、それ以外に見えるバーテックスも多すぎる。

 見たことのないバーテックスが多く、敵の総数を判別することさえ困難だった。

 

 ザンボラーが何体も、樹海化が起こらなかったことでそのままの形で残った海を高体温で蒸発させながら、海だった場所を進んでくる。

 海がそのままの形でそこにあることすら許さない、絶対の十万度。

 海は次から次へと流れ込んでくるが、ザンボラーに触れるだけで連鎖的に蒸発する。

 そうして急激に発生した地獄のような蒸気の中を、バーテックスが進んでいく。

 十二星座。

 EXゴモラ。

 その他諸々、恐るべき怪物達が、海さえも消滅させながら、四国へと歩み寄って来る。

 

 それは、この世ならざる光景。

 まさしく、地獄の具現であった。

 

「四国結界がブルトンに消されるまで、あと何週間……いや、何日だろうね、若葉おねーちゃん」

 

 世界の終わりが見えるようだ。

 だが、悲観するアナスタシアとは対照的に、乃木若葉は毅然としたまま。

 

「そんな日は来ない。その前に、私達が敵を全て殲滅するからだ」

 

 しかと立つ若葉の横には、同じように心揺らがぬ少年の姿。

 

「だよな若ちゃん。それしか皆を守る道がないなら、そうするだけだ」

 

 状況は戦う前から絶体絶命の一言だが、千景や杏、友奈の胸にすら浮かんだ不安を、竜胆と若葉の勇気の背中が払拭してくれる。

 皆を引っ張るという分野において、やはりこの二人は強い。

 

 ケンは胸を抑える。

 痛みがあった。一兆度に抉られた深い傷が、まだ痛む。

 だがその痛みを知る者はいない。

 ケンは痛みをこらえて、この場における最適解を選択していた。

 

「ワカバ。

 ボクガマエニデル。

 ノコリゼンインデ、ボウエイセンヲ、コウチク。ソレデイイネ」

 

「ケン……」

 

 以前使ったフォーメーションだ。

 巨人が一人前に出て、敵の戦力の総足止めを試みる。

 そして残り全員で、後方の防衛戦を構築する。

 あの時と違うのは、"信頼できない駒"として前に出されたティガの代わりにパワードが出るということ。"信頼できる巨人"が配置される位置に、ティガが配置されることだ。

 そうなると、竜胆の方が反対してくる。

 

「何言ってんだケン! あの数が見えてないのか! 単独で突出するな!」

 

「アノカズヲ、トメルニハ、トニカクアタマカズガイル」

 

「だったら俺が一人で前に出る!」

 

「ボクノ、コウセンハ、マチナカデツカウニハチョットネ」

 

「……う」

 

 もうこうなった以上、市街地戦は確実に発生する。

 パワードの光線は市街地でも撃てなくはないが、その場合威力をかなり考えないといけない。

 ウルトラ兄弟長兄・ゾフィーは、光の国最強のM87光線を地球で撃つ時、星を壊さないよう威力を1/10にしているという。

 パワードの光線は一億度だ。

 市街地でフルパワーを放つには、多大に問題があるだろう。

 

 パワードが街から離れ、海上で敵主力に光線連打しつつ、敵の侵攻遅延。

 格闘に優れる竜胆が勇者達と最終防衛線を構築。

 これしかない。

 この数を仕留め切るには、パワードが全力で火力を叩き込まなければ不可能で、しかもそれだけでも全然足りない。

 全員が危険な領域に足を踏み入れでもしなければ、到底どうにもなりはしないのだ。

 

 ケンがニッコリ笑って、何の心配もしていないとでも言いたげに、竜胆の肩に手を置く。

 

「ミンナヲタノム、『ウルトラマンティガ』」

 

「―――」

 

 この時が、初めてだった。

 

 御守竜胆が、正しく『ウルトラマン』として扱われたのは。

 

「任せろ、ウルトラマンパワード」

 

「ゼンブ、マモロウ」

 

「ああ」

 

 光輝けるフラッシュプリズム。

 闇犇めくブラックスパークレンス。

 二つが掲げられ、光と闇が吹き出した。

 

「ULTRAMAN――」

「ウルトラマン――」

 

「――POWERED」

「『ティガ』ァァァァァッ!!」

 

 光の中から飛び出したパワードが、空よりバーテックスを猛襲する。

 海へと舞い降りたティガダークが、水飛沫を上げて敵を待ち受ける。

 四国を守るように立ったティガの肩に、千景が飛び乗る。

 

『何一つとして終わらせてやるもんか。

 意味なく死んだやつなんていない!

 意味なく生きているやつもいない! ここは―――俺達の世界だッ!』

 

 勇者も散開し、陣形を組み、バーテックスを待ち受ける。

 海をかき分け、前へ進み、バーテックスの集合へと突撃していくティガ。

 街から上がる人々の悲鳴が、まだ一人の死者も出ていないのに、酷く凄惨だった。

 

 

 

 

 

 敵の侵攻は、いつものように小型と大型の二種侵攻。

 だが今回は、パワードの活躍により、大型の侵攻が遅れている。

 海を飛んで越えてきた星屑達が、メインの敵だ。

 メインの敵、のはずだった。

 

「竜胆君、あれ……なに?」

 

『あれって?』

 

「あの……ボールみたいなの」

 

 星屑の中にもっと小さな奴が混じっている、と言い出したのは千景だった。

 誰よりもティガの近くに寄り添い、彼をサポートしている千景は、星屑の合間に球技のボールのようなものが混じっていることに気が付いた。

 遠くからだと見辛いくらいに小さく、野球ボールサイズに見える。

 それも空を飛んでいる。

 ならばそれは、バーテックスなのだろうか。

 

『牽制してみるか』

 

 八つ裂き光輪を試しに投げ込んでみる。

 星屑も、そのボールも、まとめて千切れ、切り裂かれた。

 耐久力は大したことがなさそうだ。

 

 だが、数が多い。

 とにかく多い。

 星屑だけでも数千はいるが、ボール型バーテックスはその小ささもあり、十万や二十万といったレベルでないほどの数にて、群れを成していた。

 八つ裂き光輪で全滅させられるわけもなく、残った個体の数と小ささに、ティガは思わず攻めあぐねる。

 

『ち、小さっ……くそっ!』

 

 バーテックスの津波?

 いや、もはや、バーテックスの台風だ。

 天と地の間にあるもの全てを飲み込めそうな数の、バーテックスの群れの直進。

 それがティガの肩に乗っていた千景にも接近し、ボール型バーテックスの触手が、千景の首筋を貫いた。

 

「うッ!?」

 

『ちーちゃん!?』

 

 すうっ、と千景の姿が消え、七人御先の衣装を纏った千景がティガの右肩に現れる。

 残り六体は若葉達が居る場所の近辺に出現していた。

 どうやら、攻撃の瞬間に精霊を発動し、敵の攻撃を無効化したらしい。

 

『大丈夫か!? 怪我はないか!? 痛いとこないか!?』

 

「だ、大丈夫……」

 

『こいつら……このサイズで、勇者を殺せるパワーがあるのか!?』

 

 七人御先が死をトリガーに発動したということは、そういうことだ。

 

 勇者の衣装は既存の人類科学を超越した強度を持っており、一目見ると可憐な衣装であるようにも見えるが、よく見ると首筋の急所までかなりきっちり防護されている。

 首周りに指がねじ込める程度の隙間がある者も、千景・杏・友奈しかいない。

 最初から安全を保証されていない近接でのガチンコを想定されている若葉や球子であれば、このボール型バーテックスの触手をねじ込む首周りの隙間すらない。

 

 つまり、このボール型の攻撃力は星屑以下だ。

 勇者衣装の上からでも勇者を骨折させられる星屑ほどには、攻撃力がない。

 おそらく脆いティガの皮膚すら貫けない。

 勇者衣装の隙間を狙ったのを見るに、勇者衣装も貫けないのだろう。

 

(まさか)

 

 だとすれば、このボール型バーテックスの、想定殺害対象は。

 

(こいつが、樹海化の崩壊タイミングで投入された新型なのは)

 

 『一般人』以外に、ありえないだろう。

 

(マズい、だとしたら、一匹も通せない!

 だがこいつら、何十万体……いや、何百万体いる!?)

 

 流石に53mのティガでは、人間の手の平に乗るサイズのボール型バーテックスは対処し辛い。

 星屑ですら、数が多ければ、巨人はその対応に苦労するのだ。小さいから。

 その厄介さが、とことんまで極められている。

 "星屑より小さければ巨人は対応しにくいのではないか"という発想と、進化の解答。

 小さくなるという進化の形。

 

 だがここで、奇跡のような幸運が重なった。

 竜胆は戦闘の天才である。

 人間離れした天才である。

 そんな彼だからこそ、星屑とボール型バーテックスが、ある一方向に向かって飛翔していることに気が付いた。

 

 普通の人間は、このボール型が一般人虐殺用だということにも、この短時間では気付けやしないだろう。

 察しのいい者なら、一般人虐殺用であることには気付くだろう。

 そして竜胆は、敵の本当の狙いを見抜いた。

 

 パワードは以前ケンに言った。

 彼は地球一の天才かもしれないが、地球一の天才程度が、才能だけでどうにかなるような戦いではないと。

 

『ちーちゃん、スマホあるだろ! 連絡してくれ! こいつら―――』

 

 その通りだ。どうにもならない。

 

()()()()()()()()()()()()、ゆっくり四国を全滅させるつもりだ!』

 

 避難誘導をしているのも大社。

 四国の全物流を担っているのも大社。

 四国を運営しているのも大社だ。

 大社は"とても滅ぼしやすく"、かつ、滅ぼせば即人類は詰む。

 星屑とボール型バーテックスは、一直線に大社を目指していた。

 

 千景は頷き、ティガの肩から飛び降りながら、スマホを取り出し、開いていたレーダーを閉じて電話しようとする。

 そして、レーダーマップを見た千景の、思考が停止した。

 

「―――え」

 

 ズームアウトで、直径10kmほどの範囲を映した、勇者システムのレーダーの画面は。

 

 バーテックスを示す赤い点で埋め尽くされ、赤い点以外の何も見えない。

 

 新型のボール型バーテックスの総数は、ゆうに()()()()を超えていた。

 

 四国に生存する四百万人の四国住民を殺し尽くすには、十分過ぎるほどの数が居た。

 

『……お前』

 

 そしてそれを止めようとする竜胆の前に現れる、大型バーテックスが一体。

 パワードが取り逃してしまった一体が、小型を一掃しようとするティガの前に立ちはだかり、ゆらゆらと浮いている。

 30から40という大型を全て一人で足止めしてくれているパワードが、たった一体を逃してしまったからといって、パワードを責められるはずもない。

 

 それは、なんと言えば良いのか。

 大きなハサミ……いや、大アゴは、クワガタムシのよう。

 黒く一色に染まった体は、下半分がアリジゴクのようにも見える。

 だが全体的なシルエットとしては、間違いなく、レオ・バーテックスだった。

 

『レオ・バーテックスの亜型か、こんな時にっ……!』

 

 小型を心おきなく進軍させるため、ティガの足止めと打倒のために、亜型レオ・バーテックスがティガの前に立ちふさがる。

 

『どけっ! 人が―――死ぬだろうがぁッ!!』

 

 "六月末には全員死んでいるなんて信じられない"という気持ちを消失させ、"六月まで人類が保つだなんて信じられない"という気持ちを湧き立たせるほどの、圧倒的な侵略だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このボール型バーテックスの名は『オコリンボール』。

 コブ怪獣・オコリンボール。

 星屑との連携、星屑のサポートを想定された新型バーテックスだ。

 

 このバーテックスは、合体した場合巨大なボールの塊の怪獣になる。

 そうでない場合、本体のボールと、端末のボールに分かれて人を襲う。

 そういう、ボール型の生物なのだ。

 

 この怪獣の端末個体は、野球ボールなどのボールとあまり区別がつかない。

 仮に、ここから端末個体の重量を、野球ボールより少し重い200gと仮定する。

 合体怪獣オコリンボールの総重量は2万t。gに直すと、20000000000g。

 

 一つの合体怪獣から分裂したオコリンボールの総数は……()()()になる計算だ。

 

 たった二千万体で幸運だったと言えるだろう。

 ただしそれは今現在のこと。

 オコリンボールは、人を襲い、ミイラになるまで血を吸って、増殖する。

 一億体にだって、なれないわけではない。

 

 2000万体のオコリンボールが何の妨害もなく四国住民を襲えば、四国人口は一瞬で蒸発する。

 90%を勇者達が打ち倒しても、200万体が残る。四国人口の半数が一瞬で蒸発する。

 80%を完封し、神速の迎撃で1600万体を死体に変えても、四国総人口400万は一瞬で溶ける。

 

 オコリンボールは、無数の小型個体の群れによって構築されるボールの群れ。

 小型であり、浮遊して移動し、人を襲うがために、オコリンボールは星屑と同様の運用・セットの運用が可能で、互いの強みを引き立て合う関係にある。

 

 3mサイズの星屑が入れない、小さな隙間に逃げ込んだ人間を、野球ボールサイズのオコリンボールは食い殺せる。

 オコリンボールが食い殺せない分厚い戦車の中の人間、金属の箱の中の人間を、星屑は強靭な歯で食い殺すことができる。

 互いが互いを引き立て合う、星屑のベストパートナー。

 

 繰り返そう。

 コブ怪獣・オコリンボール。

 これは星屑との連携、星屑のサポートを想定され投入された新型バーテックスだ。

 

 総数、現在、二千万超。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄が来る、予感がした。

 空を埋め尽くす星屑とオコリンボールの混成群体。

 鎌を握る千景の手が震える。

 分身は杏に二体、友奈に一体、若葉に一体付け、ここでは千景三人で死角を補い合う。

 千景は死なない。

 この敵を前にしても死ぬことはない。

 だが、仲間は死ぬ。

 ……これだけの敵を前にすれば、生き残る可能性の方が低い。

 

 "自分が仲間を守れるか"が大事だと、七体の千景全てが、緊張と決意で身を震わせた。

 

「乃木さんが、高嶋さんが……竜胆君が、未来を諦めていないから……!」

 

 七つの体全てが大鎌を振るい、星屑とオコリンボールを切り裂いていく。

 

「……私だって、死にたくないから!」

 

 街を飛び交う赤き影。

 単純にカバー範囲だけで言うならば、七つに体を偏在させられる千景以上に、広範囲を丁寧にカバーできる存在はいない。

 友奈は大威力の一撃を敵の群れに打ち込める。

 若葉は誰よりも速く動き、無数の敵を切り刻める。

 杏はカバー範囲こそ広いが、人間を巻き込まないという力の使い方ができない。

 

 千景は仲間達の背中を守りながら、街の人々を守り、怪物を切り裂いていった。

 

「切り刻んであげるっ……!」

 

 敵は一直線に大社に向かっている。

 そのおかげか、千景はまだ避難中の一般市民の死体を一つも見ていなかった。

 見ていないだけかもしれない。

 一般市民を襲うオコリンボールと星屑を両断しながら、千景は死体を見ないことを願った。

 

「あ、ありがとうございます勇者様!」

「勇者様が助けてくれた……」

「郡様だ! 雑誌で見たことあるぞ!」

 

 守るものが多すぎる。

 守るものが四百万。敵の数が二千万超。

 仲間だけ守って、他のものを切り捨てたい気分になってくる。

 精霊の穢れがちまちまと溜まってきているのが、自分を顧みるとよく分かった。

 

(私は勇者、勇者なんだから……!)

 

 切って、切って、切って、切って、その果てに。

 

 千景は、襲われている一人の市民を見つける。

 

「……ああ」

 

 それが『自分をいじめていた子供達の一人』だと理解した瞬間、千景の鎌は上がらなくなった。

 鎌が上がらない。

 助けようという気にならない。

 自分でもコントロールできないくらいに、自分自身が分からなくなる。

 

「……なんで、こんな……私は……」

 

 あの村から引っ越した者がいるという話は聞いていた。

 あれから四年。

 この近辺にまで引っ越していた子が居たとしても不思議ではない。

 

 千景の心に、魔が差すような声がした。

 どうせ今日はいっぱい死体が出る。

 死体が一つ増えた程度じゃ変わらない。

 自分が殺すわけじゃない。

 殺すのはバーテックスだから。

 自分にはこんな人間を守ってやる義務だってないはず。

 だから、見捨てて死なせよう。

 

 "とにかく何でもいいから理屈をつけて"、"その元いじめっ子を殺させようとしている"、千景の殺意のこもった心の声。

 これはきっと、精霊の穢れが無かったとしても、発生した感情だろう。

 

「―――私、は」

 

 鎌は上がらない。

 

 千景はその少女を、とにかく見捨てたかった。

 

 後で後悔するとしても……ここで、自分に見捨てられた彼女に、食われて死んでほしかった。

 

 

 




 二部(仮称)の開幕を告げるジャブ

【原典とか混じえた解説】

●コブ怪獣 オコリンボール
 「お前可愛いのは名前と異名だけだよな」と言われる最悪の凶悪怪獣。
 ウルトラシリーズで最悪の怪獣は? という話になると、必ず名前が上がる存在。

 本体のサッカーボールサイズの個体、端末の野球ボールサイズの個体の二種類が存在する。
 これらは触手の生えたボールのような形をしており、動くもの(人間)に飛びつき触手を突き刺し、脳と心臓に触手を突き刺して吸血を行う。
 血を吸われた人間は死ぬ。
 そして吸った血でオコリンボールは成長・増殖し、また人間を襲う。
 触手を急所に刺すせいで、通常の手段によるオコリンボールの分離は不可能、とされている。

 原作ウルトラマン80では防衛隊が本気で抵抗したが、どうにもならず無限に増殖していく怪獣の猛威と、逃げ惑い襲われていく人々と、恐ろしい数で空に浮かぶボールの群れが描かれた。
 被害範囲は日本全国に拡大。
 後には、対策会議のため国際会議場に集まった世界各国の要人も襲撃され全滅。
 世界レベルの大被害が発生した。
 端末のパワーは宇宙船をも容易に貫くほど。
 本体ボールは単体でも戦闘機群程度であれば壊滅させる光線も持ち、合体することでこれはウルトラマンにも大ダメージを与える光線にまで強化される。

 もしもオコリンボールの増殖を許し、その後の合体も許してしまえば、合体したオコリンボール達は巨大で醜悪な怪獣になってしまい、暴れ出す。
 格闘の基本は打・投・極ともいうが、この怪獣は柔軟でブヨブヨとした滑る体で、打撃・投げ・関節技をほぼ全て無効化してしまう。
 格闘と光線というウルトラマンの強みの二本柱の片方が、非常に相性が悪い。

 ちなみに一定のダメージを与えると、無数の小型ボールに戻った後街中に拡散、街中で大爆発を起こして大破壊を撒き散らし、本体は逃げてまた増殖を始める。ふざけんな。



●磁力怪獣 アントラー
 恐ろしい耐久力、馬力、特殊能力を併せ持つアリジゴクの怪獣。
 個体によって能力に差は出るが、全個体が共通して持つ、強力な磁力操作能力。
 ウルトラマンの必殺光線すら効かない頑強な耐久力。
 凄まじいパワーの大顎など、強力な能力を備える。
 また、磁力操作能力を持つため、ロボット怪獣等が相手ならばほぼ無敵。
 金属と電子機器を使わないと兵器が作れない人類にとっては、まさしく天敵。

 磁力操作は応用で、ウルトラマンの溜めた光を強制的に散らす、隕石を引き寄せて敵にピンポイントで当てる、果ては血中鉄分への干渉すら可能。
 血中鉄分を持つ生物を磁力で強制的に動かせる上、その磁力射程は100kmにも到達する。
 ひたすらに強力な能力を持つ獅子座(レオ)と、ひらすらに強力な個性を持つ怪獣の中間体。
 亜型レオ・バーテックス。

※補足
 海外ではアリジゴクは『アント"ライオン"』と呼ばれる。
 それはヨーロッパの怪物、『ミルメコレオ』に由来する。
 ミルメコレオは、アリ(アント)とライオンの混ざった怪物だと言われるものだ。
 一説には悪魔に創られた生物であるとも語られた。
 ミルメコレオ(アントライオン)はやがて砂の中に隠れてアリを食らう怪物であるとされ、やがてアリジゴクと同一視され、アリジゴクもアントライオンと呼ばれるようになった……というわけである。
 そのため、一部のウスバカゲロウには『Myrmeleon(ミルメレオン)』という、ミルメコレオと獅子(レオン)を由来とする学名が付けられている。

 余談だが、当時はアリは草食と考えられていた。
 そのため、ミルメコレオはライオンの部分のせいで植物を食べることができず、アリの部分のせいで肉を食べることもできず、滅ぶべくして滅ぶ存在であると語られた。
 キリスト教系列ではこれを、神にも悪魔にも傾倒し得る人間の性質、善にも悪にも転び得る人間の性質を象徴的に表しているとも語っており、闇に揺らぎ二心を持った人間は安らぎを得られないという教訓に用いている。

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