夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した   作:ルシエド

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絆 -ネクサス-

 竜胆は、ケンの部屋に居た。

 街も、丸亀城も、死を悼む悲しみに包まれている。

 ケン・シェパードもまた、皆を大切にし、皆に大切にされる者だった。

 今回のことでまた、"ティガのせいで死んだ"派閥の一般人が増えるかもしれない。

 デモもまた、増えるかもしれない。

 

 状況は悪化する一方だ。

 皆が皆、限界を超えて奇跡を掴み取っているというのに、それでも未来は変わらない。

 この虚無感、この徒労感が、きっとアナスタシアがずっと感じていたものなのだろう。

 何をやっても無駄、という気持ちになっていたアナスタシアの気持ちを、今は皆が大なり小なり感じていた。

 そんな中、竜胆はケンの私物を整理していた。

 

 家族の写真が飾ってあったが、その数は少ない。

 ……それも当然のことだろう。

 ケンの妻子の写真など、家族との想い出のほとんどは、故郷と共に燃やされたに違いない。

 スマホなどからサルベージした写真が、ケンの持っていた写真の全てであるはずだ。

 死んだ家族の写真を撮ることも、できようはずがない。

 

(そういえば……

 タマちゃんが可愛い服を着て来た時、ケンはタマちゃんの写真を撮ってたな)

 

 あれは()()()()()()()()()()()のだと、竜胆は今更に気付いた。

 

 ケンは血が繋がっていなくても、勇者達を本当の娘のように扱ってくれていた。

 竜胆を、息子のように扱ってくれていた。

 竜胆の前でふざけて。

 竜胆を見下ろして笑って。

 竜胆を肩車して、駆け回って。

 時には優しい言葉をかけてくれて……本当に、父親のように、接してくれていた。

 

 両親を既に亡くしている竜胆にとって、これは二度目の親の死に近い。

 竜胆の中にも、ケンを血の繋がっていない親のように思う気持ちはあった。

 実の娘を亡くした後、血の繋がっていない娘を得て、それを失ったケンの気持ちに近いものを、今の竜胆は感じている。

 

「凄い人だったよ……ケン」

 

 パワードは、拳ではなく掌底を選ぶ、独特な戦い方をするウルトラマン。

 殺さない"手の平押し"を主に使いながらも、敵を殺すこともちゃんと選べるウルトラマン。

 そのパワードが選んだのは、警察官のケンだった。

 

 兵士は敵を信じない。敵を殺して、敵の未来を奪うのが仕事だ。

 だが警察官は違う。犯罪者という敵の更生を時に信じ、敵を殺さず捕まえねばならない。

 そして、時には平和と命のために、殺さなければならない。

 パワードがケンを選んだのは、あるいは必然だったのだろうか。

 

 ケンは最後までケンで、パワードは最後までパワードだった。

 優しいけれど、甘くはなく。

 殺すよりも、更生を求める。

 

 ……だからこそ、きっと、"竜胆の過去の罪は償える"と思っていたことだろう。

 ケン・シェパードの在り方を見ていれば分かる。

 彼はずっと、竜胆が過去の罪を償い、竜胆が過去の罪を責められない未来が来ることを、望んでいた。

 

「……え?」

 

 ケンはそういった自分の考えの多くを、手記に残していて。

 

 ケンの手記を見つけた竜胆は、そこからケンの想いをいくつも受け取っていた。

 

 ケンの手記は、やや拙く下手な日本語で書かれていたが、日本人であれば問題なく読めるように書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――からこそ、僕は思う。

 リンドウはきっと、償えると。

 償うということは、罪があるということ。

 彼に罪があるということだ。

 

 だが僕は、彼の過去を聞いても、彼が絶対的に悪かったと一言で断じることができない。

 だからこの場合の「償い」というのは、「彼が自分を許せるか」というところに終始する。

 最大の問題は、これが彼が自分で思い込んでいるだけの罪というものではない、ということ。

 法的には、彼は今でも犯罪者である。

 そこの扱いをどうするのか、が難しい。

 だが、やはり一番の問題は彼の心にある。

 

 許されようとしない人間は許されない。

 救われようとしない人間は救われない。

 やはり、問題は彼の心に根づいている。

 

 明日、僕が死ぬと予言された日が来る。

 

 これを誰かが読んでいるなら、その時もしも僕がもう死んでいるなら、これを御守竜胆に渡してほしい。

 

 リンドウ。

 すまないが、頼んだ。

 僕が死んだ後のことを、君に任せる。

 これ以上君に重荷を背負わせたくなかったが、君を信じる。

 重荷を降ろせるところまで、君が皆を連れて行ってくれると信じる。

 一人の男として、信じる。

 

 僕は君にとても大きなものを任せようとしている。

 世界、それもある。

 勇者、それもある。

 戦い、それもある。

 だがそれ以上に重い物……未来、というものだ。

 

 世界を救った後のことを、君は考えているかな。

 この四国の外に生き残っている人はいない、と現在は見込まれているらしい。

 世界を救った後は復興だ。

 バーテックスに殺された70億人分を再興する日常が始まる。

 本当にすまない。

 僕はそれも、君達に任せようとしている。

 

 大人は結局、子供より先に死ぬものだ。

 だから僕らは、いつかどこかで君達に、世界の復興を託さないといけない。

 その辛さを考えれば、どれだけ残酷なことを言っているのかも分かる。

 それでも僕らは君達に言わないといけないんだ。

 死ぬな。

 生きろ。

 讃えられる英霊なんかになるな。

 崇められる死者になんかなるな。

 生きて、世界を立て直してくれ。

 

 厳しいことばかり残すようですまない。

 君達に重荷を背負わせるようですまない。

 できることなら、こんな言葉を君達に伝えたくはない。

 だが、もし明日の戦いで僕が死に、世界の状況が何も変わっていなかったとしたら、僕はこの言葉を君達に残さないといけない。

 

 未来は、良いものばかりじゃない。

 バーテックス達が消えても、元の世界の厳しさが戻って来るだけだ。

 未来には辛いもの、厳しいもの、醜いものもたくさん待っている。

 

 だからリンドウ、頼んだ。

 僕の代わりに、皆を色んなものから守ってくれ。

 勇者の皆も、君自身も、色んなものから守ってくれ。

 僕が守りたかった物を、君に託す。

 

 僕が君に託す理由が分からなくて、君は戸惑うかもしれない。

 でも、深く考えなくていいんだよ。

 男が、信頼する男に、自分の一番大切なものを託す。

 それだけのことなんだ。

 

 君には弱さがある。

 君には強さがある。

 だからあえて、僕は君の強さを見た言葉を残す。

 君は強い。どうかその強さを信じて、頑張ってくれ。

 

 でも、強くなりすぎてもいけない。

 君の中にある弱さもちゃんと大切に。

 世の中には色んな方向性がある。右翼だとか左翼だとか。法治だとか自由だとか。善だとか悪だとか。積極的だとか消極的だとか。

 でも、どんなものでも、極端なものは不幸を招くものだ。

 

 強すぎる心も、大きすぎる力も、不幸を招くことはある。

 どうかその弱さを忘れないように。

 君が弱さを持ち、その弱さを支えてくれる誰かがいる限り、君は一人にはならない。

 

 それと、覚えておいてくれ。

 

 無理をして幸せになる必要はない。

 私達が君の幸せを望んだからといって、君は無理に幸せになる必要はないんだ。

 幸せは、自然に訪れるものだよ。

 自分が幸せになることを忘れずに。

 自然に、幸せを得られる場所を大切に。

 何気ない日常の中で、君を幸せにしてくれる人を大切に。

 僕は君の幸せを望んでいるけど、どうか無理だけはしないように。

 

 君が幸せになるために。

 君の周りの人を、君の周りの世界を守るんだ。

 無理はしないように、でもしなければならない時は、無理をきっちり終わらせること。

 無理をし続けることだけは、絶対にしないようにね。

 

 君はもう、いくつもの答えを得ている。

 戦う理由も、十分揃っている。

 大切なものはもう見えているだろう。それをいつまでも、見失わないように。

 

 この文章を、君が読まずに済むことを、願っている。

 

 

 

 

 

 泣きはしなかった。

 流れそうになった涙を、竜胆は必死でこらえていた。

 

 ケンは父のように竜胆に接していた。最後の最後まで。

 彼が残したことは嬉しいものだけではなく、優しいものだけではなく、あれはいけない、これも駄目だ、という言葉も混じっている。

 それでいて、竜胆を一人の男と認め、新たな責任を託す言葉も入っていた。

 竜胆は、それがなんだか嬉しい。

 

「分かった……任せてくれ、ケン。お前の願いは、ちゃんと俺が形にするよ」

 

 ボブが竜胆に残したものは、ボブの想い、前に進む心、空手という戦う力。

 球子が竜胆に残したものは、球子の想い、希望、未来、そして光。

 ならばケンは、竜胆に何を残したのか。

 

 それは、『大人』と『ウルトラマン』だ。

 

 今の竜胆を見れば分かる。

 ボブが死んだ時、球子が死んだ時、ケンは泣かなかった。

 泣きたかったが、子供達のことを想って泣かなかった。

 泣かない強さが彼にはあった。

 そして今、竜胆もケンの死に泣いていない。

 

 ケンと触れ合った日々の中で、ケンの心と強さは、確かに竜胆に継承されていた。

 

 子供の頃は、大切な人が死ねば泣くだろう。

 だが、大人になるにつれて泣かなくなっていく。

 悲しみの量は変わらなくても、悲しみに耐え、涙をぐっとこらえられるようになっていく。

 竜胆が貰ったものは、『大人の強さ』。

 大切な人が死に、悲しんでも、涙で足を止めない強さ。

 

 あの時のケンのように、竜胆は涙をこらえた。

 涙を流す他の仲間を、一人の男として守り抜くために。

 

 格好つけなくてもカッコいい大人の背中は、十分に見た。

 最高のウルトラマンのカッコいい背中も、十分に見た。

 人として、ウルトラマンとして、目指すべき目標を貰えた。

 とても大きな物を、竜胆は貰ったのだ。

 

 "罪を犯した人間の幸福を願う同類"という意味で、ケンと竜胆の二人の方向性は、かなり近いところもある。

 ボブや球子は生前の繋がり、死の衝撃、死後に見つかった言葉で竜胆に影響を与えたが、ケンはどちらかといえば生前の会話と、死の瞬間の生き様で竜胆に影響を与えたと言える。

 死に様ではない。

 死の瞬間の生き様だ。

 あの瞬間、死体だったはずのパワードの生き様を見て受けた衝撃を、竜胆が忘れることはないだろう。

 

 ケンとパワードは、文字通りに"死んでも守る"という言葉を、体現してみせたのだ。

 あの姿が、『ウルトラマン』を竜胆に教えた。

 そして残された手記が竜胆に無茶をしない生き方と、『大人』を教える。

 

 それが今、数々の変化と成長を遂げてきた竜胆を、次のステップへと進めようとしていた。

 

「……俺は頑張らないとな。よし、頑張れ、御守竜胆。お前がきっと、最後の希望だ」

 

 気付けば、もう男は竜胆しかいない。

 気付けば、竜胆はもう最年長。

 丸亀城の戦力は、もう竜胆より年下の女の子しかいないのだ。

 

「諦めるな、俺。

 前を見ろ、まだ終わってない。

 限界を超えろ……ゼットに勝って、仲間を守れ。俺は、託されたんだ」

 

 仲間達がどんどん死に、加速度的に脱落しても、竜胆の目に宿る光は強い。

 

 負けるものか。折れるものか。まだ何も、諦めはしない。

 

 彼は、四国に残された最後の『戦えるウルトラマン』なのだから。

 

 

 

 

 

 ケンの部屋で決意を固める竜胆。

 そんな彼に、部屋の外から千景が声をかける。

 いつからそこにいたのか、竜胆は気付きもしなかった。

 それほどまでに、ケンに思いを馳せていたとも言う。

 

「泣かなくていいの? 竜胆君」

 

「……人前で泣くと恥ずかしいから、後で一人で泣くさ」

 

「……そう」

 

 千景は無愛想な表情で、じっと竜胆を見ていた。

 色んなことが見透かされていそうで、竜胆は頬を掻く。

 千景はケンの部屋に入り、無愛想な表情に一瞬悲しみを浮かべ、ケンの部屋のベッドに座った。

 少女は無言で自分の横をぽんぽん叩く。

 座れ、と言いたいらしい。

 竜胆は大人しく従い、千景の横に座った。

 

「ケンは……私達に、父のように振る舞ってくれた」

 

「……そうだな」

 

「竜胆君にとっても、父のような人だったはず」

 

「……」

 

「私は……私は、悲しいわ」

 

「―――」

 

 千景の家庭環境を、竜胆はよく知っている。

 千景にとって、父のように接してくれるケンは、どれほど救いだったのだろうか。

 ケンがしてくれる愛娘扱いは、どれほど嬉しいものだったのだろうか。

 竜胆は、一度もそれを聞いたことがない。

 千景は、恥ずかしいからか、一度もそれを話したことがない。

 

 だがベッドに座り、スカートを握って俯く千景を見れば、その心情は窺える。

 "愛してくれる父親の死"と言っても過言ではない、千景の胸の内の痛み。

 本物の父ではなかったのだろう。

 父娘ごっこ、と言われれば否定もできない。

 だが、ケン・シェパードは確かに、千景を実の娘のように愛してくれていたのだ。

 

「血が繋がっていなくても、父の死を悲しむように……悲しんでいいと思う」

 

「……ちーちゃん」

 

「血は繋がっている方がいいのかもしれないけど、血だけ繋がっていても、良いことはないわ」

 

 言葉が重い。

 千景は『血が繋がっている』ということの無意味さも、醜悪さも知っている。

 『血が繋がっていない愛』の価値も、暖かさも知っている。

 

「……結局、それは、"愛があれば良い"ってことなんだと思う」

 

「ケンは、愛に溢れた人だったな」

 

「愛が大きい人だったのよ」

 

「良い人だった、本当に。本当に……」

 

「ケンは……その人が死んだら泣いてもおかしくない、って人だから。

 竜胆君だって、涙を我慢しなくたって良い、そういう人だから……」

 

「悪い」

 

「……」

 

「今は泣かない。こいつは、男としてケンに後を託された、俺のつまらない意地なんだ」

 

 竜胆は泣かない。

 もしかしたら、もう辛いことでは泣かないかもしれない。

 千景は、そう思った。

 竜胆の手が、隣に座る小さな千景の手を握る。

 

「竜胆君……?」

 

「ちょっと、こっち見ないでくれ。一分でいいから」

 

「……」

 

「一分、甘えさせてくれ」

 

「……好きなだけ、どうぞ」

 

「次にちーちゃんが見た時……俺は最強のハートな男になってるから」

 

 千景は竜胆の方を見ない。

 

「ならなくてもいいのに」

 

「俺がなりたいんだ。皆を、助けるために」

 

 千景は竜胆に強くなってほしいと思ったことはない。

 初めて出会った時から、千景にとっての竜胆はずっと強い友達で、そのままの彼であれば、強くなる必要なんてないと思っていた。

 そのままの彼が一番だと思っていた。

 今は、変わった後の竜胆も好ましく思っているが、初心を忘れたわけでもない。

 

 一分が経って、竜胆が千景に微笑んだ。

 

「ちーちゃんが次は、俺に遠慮なく寄りかかれるように」

 

 千景は竜胆が幸せになったなら嬉しい。

 竜胆が強くなったことは特に嬉しくない。

 けれど、強さが足りなくて守れなくて、うなだれている竜胆は見たくない。

 

 結局、幸せになるには強くなるしかないのだろうか、と千景は考える。

 心を強く成長させられなければ幸せになれない、そんな人生と境遇だった千景は自分を棚に上げて、ずっと竜胆の心配をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケンは未来の死を知り、半ばそれを受け入れていた。

 自分の死と引き換えに全ての戦いを終わらせる方法を考えていたし、竜胆に生きろと願われて生きることも考えたものの、子供達を守ってその命を散らした。

 だが、これは彼が特別であったからだ。

 

 普通の人は、自分の死を宣告されれば取り乱す。

 その未来が不可避であるという実感が積み重なれば、自暴自棄になって暴走する。

 末期病患者がやけっぱちになって大勢の人を巻き込んで自殺、などというパターンは、かなり警戒されているものの一つだ。

 

 ケンは自分の死を理性で受け止めた。

 なら、ひなたは?

 根本的に普通の女の子であるひなたは、どうなのか?

 

 未だ何一つとして覆されていない予言で、明日死ぬことを宣告されているひなたは、自分が死ぬであろう明日を想い、どんな感情を抱いているのか。

 

「……っ!」

 

 その無数の感情の混沌を一言でまとめるのなら、『絶望』こそが相応しい。

 

 ひなたは一人、丸亀城の誰の目にもつかない場所で、一人震えていた。

 

「は、はは……何を怖がってるんでしょうか……」

 

 ボブは死んだ。

 球子は死んだ。

 ケンは死んだ。

 昨日まで生きていた人達が、今日には死んでいる。

 一秒前まで生きていた人達が、時間が止まった一瞬で、突然に死んでいる。

 

 死は悲しみでもあり、恐怖でもある。

 人は他人の死を見ることで悲しみ、死を明確に想像できるようになり、自らの死をも正確に想像できるようになってしまう。

 ひなたは一人、震えていた。

 

「いつも、ずっと……

 巫女なんて立ち位置で、安全な場所にいて……

 若葉ちゃん達を、危険な場所に送り出して……

 死ぬかもしれないと分かって……送り出していた、私が……」

 

 怯えちゃいけない、とひなたは必死に自分に言い聞かせる。

 皆みたいに勇気を持たないと、と震える唇で自分に言い聞かせる。

 皆をいつも死地に送り出していただけの私が、皆と同じように死ぬかもしれないという話になっただけで恐れちゃいけない、と自分に言い聞かせる。

 

 それでも、体の震えは消えてくれない。

 恐怖は理屈で消えてくれない。

 

 上里ひなたは神樹の巫女。

 勇者ではない。勇気ある者ではない。

 間近に迫る死の恐怖を、勇気一つでは乗り越えられない。

 これがもし"友達のため"といった理由でもあれば、優しく他人想いなひなたは、死を受け入れる勇気を振り絞れたかもしれない。

 

 だが、『そんな価値のある結末』はひなたには用意されていなかった。

 

「……球子さんも、こんな気持ちだったのかな」

 

 球子を想う。

 死人を想う。

 震えが、少し小さくなった。

 友達が、仲間が、もう死んでいるのに、自分だけ死をこんなに恐れているわけにはいかない、と無理矢理に自分を奮起させる。

 

「しっかり、しっかりしないと」

 

 それは、弱者の勇気。弱者の強がり。弱者の決意。

 

 仲間を想うがために、ひなたは仲間の前では、いつもの自分の微笑みを浮かべようとする。

 

「……せめて、若葉ちゃんの前でくらいは、いつも通りの私でいないと……いないと……」

 

 なんで、どうして。

 なんで自分が。

 どうして死ななければならないのか。

 頭の中で絶え間なくマイナスの思考が回り、自分の不幸と不運を嘆く。

 

 けれども、どの嘆きも長くは続かない。

 ひなたは聡明で、自己中心的から程遠い人間であるからだ。

 

 私は初襲来の日に生き延びられただけ幸運だ。

 死んでしまった人の方が不運だ。

 いつも最前線にいる勇者や巨人の方がずっと危険な毎日を送っている。

 私はいつも安全な場所で守ってもらっていただけだ。

 だから、自分は不幸を嘆くべき立場の人間ではない……そう、自分に言い聞かせていく。

 

 なまじ頭が良く、良心と自制心を持ちながらも自由に生きる人間であったがために、ひなたは絶望のループにハマってしまっていた。

 精霊の穢れがなくとも、人の心は絶望によって蝕まれるものである。

 

「……人は死んだら、どうなるのか、なんて話が本やTVにはいっぱいありましたね……」

 

 死んだ後は無だ、とか。

 死んだ後は天国と地獄に行くんだ、とか。

 死んだ後にはまたこの世界に生まれ変わるんだ、とか。

 そんな話が、平和だった頃の地球には山ほどあった。

 

 ひなたはどれかを信じていたわけではない。

 生まれ変わりにはちょっとロマンがある、と考えていた程度のもの。

 死んだ後のことなど、世界が平和だった頃は深く考えたこともなかった。

 それを今は、深く、深く考えている。

 

「……そういうの、よく考えてる人がいて。

 私みたいに、めったに考えない人もいて……

 だとしたら……その違いは……

 自分が死ぬ日のことを明確に想像したことがあるか、なんでしょうね……」

 

 平和な世界の中で、死後どうなるかを深く考える人達がいた。

 何故なら、平和だったから。

 そういうことを考えていられる余裕があったから。

 

 ひなたのように、死後どうなるかを真剣に考えていない人達がいた。

 何故なら、平和だったから。

 死について深く考えなくてもいい世界があったから。

 

 平和は死を遠ざける。

 その辺の路上で人間が死んでいても平然としている、そんな時代は、どこの国にもある。

 日本でそういう時代が終わったのは、いつだっただろうか。

 死が珍しいものになったのは、いつからだろうか。

 

 死を身近に感じ、それを想像できるようになり、未来に死を予言された者は、絶望以外のどんな感情を抱けるというのか。

 

(怖い)

 

 忘れてはならない。

 誰もがまだ、子供なのだ。

 十代半ばも過ぎていない、中学生程度の子供。

 死は恐れて当然のものであり、人前でそれらの気持ちを見せないひなたは気丈とすら言える。

 

 だが、普通の人間の心にはその強さに限界がある。

 耐えられないものがある。

 ひなたの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。

 

(私はアナちゃんを信じてる。

 その心も、その能力も。

 あの子が言い切った未来なら、それは必ず起こること。

 現に、若葉ちゃんも、御守さんも、何も覆せていない……)

 

 信じるからこそ、生まれる恐怖。

 仲間を信じ、生まれる絶望。

 アナスタシアが有能であるがために、覆されない未来の結末。

 

(私は、死ぬ?)

 

 上里ひなたは死ぬ。そう、未来に約束されている。

 

(まだしたいことが、たくさんあって。

 若葉ちゃんとしたいことが、たくさんあって。

 生きて……生きてしたいことが、たくさん、たくさん―――)

 

 震えて、膝を抱えて、膝に頭を埋めるひなた。

 

 

 

「―――死にたく、ない」

 

 その声を、少年は聞き届けた。

 

「分かってる。だから、死なせない」

 

 

 

 ひなたが顔を上げる。

 

 仲間が死ぬたびに強くなる少年が、そこに居た。

 後悔し、継承し、想いを繋ぎ、仲間が死ぬたびに成長する少年がそこに居た。

 彼が強くなるのは、"今度こそ仲間を守る"ためであると、ひなたはよく知っている。

 

 酷い顔だと、ひなたを見て竜胆は思った。

 涙をこらえ、必死にいつもの自分を保とうとして、保てない顔。

 弱く、儚く、されど心の美しさと醜さが混ぜこぜになって表出している表情。

 気丈に振る舞う美しさと、みっともなく死を恐れる醜さの両方が、少女の表情にはある。

 

「一人で辛い気持ちに潰されそうになってるなよ」

 

 竜胆が手を差し伸べる。

 

「不安にさせてゴメンな。

 頼りない仲間でゴメンな。

 お前をこんなに不安にさせた時点で、ダチ失格だ」

 

 ひなたは思わず、その手を取っていた。

 何故反射的にその手を取ったのか、ひなたは自分で自分が分からなくなる。

 その行動が"助けを求めるひなたの心の動き"であるとひなたが自覚したのは、これから少し時間が経ってからのことだった。

 

「死にたくない……死にたくないって、思っちゃうんです……私は……弱くて……」

 

 竜胆の手を取り、ひなたはすがるように握る。

 ひなたは恐れている。自分の死を。自分の死が若葉にもたらす影響を。自分が終わってしまう恐怖と……最悪、自分の次に若葉が終わってしまう恐怖。

 友達を思う気持ちが、更に強く死を恐れさせる。

 竜胆の手が、不安に駆られるひなたの手を優しく包んだ。

 

 

 

「君は悪くない。君が苦しむ理由なんてない。だから、助ける」

 

 

 

 何故ひなたが竜胆を前にして、自分の表情と感情を取り繕うという選択ではなく、感情的に弱さを見せるという選択をしてしまったのか。

 それは、竜胆の雰囲気が、また変わっていたから。

 ケンやボブのような……いや、"ケンの持っていたもの"を取り込んだような、そんな雰囲気。

 一言で言えば、『大人の雰囲気』。

 

 辛い時に子供が寄りかかりたくなるような、穏やかで余裕のある、ケンのような優しい雰囲気が今の竜胆にはあった。

 

「なんで……ここが……」

 

「本当はそれ、俺の台詞だったんだけどな。

 俺に痛み止めと精神安定剤くれた日のこと、覚えてるか?

 あの時の俺は本当にびっくりしたよ。

 俺の内にある闇が暴れた時、俺は人目につかない場所で隠れてたつもりだった。

 なのにひーちゃんには見つかってたんだもんな。だから、分かったんだ」

 

「……あ」

 

「ひーちゃんは"人目につかない場所"をよく分かってんじゃないかって。

 だから、俺が過去に苦しい時に隠れてた物陰とか、虱潰しに当たってみたんだ」

 

―――すみません。一度、偶然見てしまったことがあったんです。あなたが苦しんでいるのを

 

―――……うっわ、こういうのは誰にも見られてないと思ってると、恥ずかしいな……

 

 あの時の会話が活きた。

 竜胆は誰にも見られていないと思った、と言っていた。

 必然、彼は発作を起こした時、できるなら人目につかない場所に移動していたということであり、。

 "人目につかない場所"で共通の認識を持っている、二人なら。

 否、この二人だからこそ、見つけられるお互いがいる。

 

 竜胆は"見つけてくれた"のだ。ひなたが胸の奥に押し込んでいた悲しみを。

 

「ごめんな、不安にさせて」

 

「謝らないで……謝らないでくださいっ……」

 

「よしよし」

 

 竜胆は妹にそうするように、ひなたを抱きしめてやった。

 よしよし、と頭を撫でてやる。

 身長180cmの竜胆と150cmのひなたでは、そうと意識しなくても、涙を流すひなたの顔が竜胆の胸に押し付けられ、泣き顔が隠される形になる。

 遠目に見ると、本当に兄妹か何かに見える二人だった。

 

「よーしよし、泣くなよ、ひーちゃん」

 

「……恥ずかしいです」

 

「泣き顔晒したまんまなのも恥ずかしいっちゃ恥ずかしいだろ。

 でも、他人に弱さを見せることは恥ずかしいことじゃない。

 死ぬことを恐れることも、恥ずかしいことなんかじゃないんだ」

 

「っ」

 

「俺はお前の涙を止めるのにどうすりゃいいのかな。守るって、約束すればいいのかな」

 

「……御守さんは」

 

 竜胆が守ると約束しようとするのを、涙ながらにひなたが止める。

 

「守ると言ったものを、守れなかったはずです」

 

「―――」

 

「だから約束は要りません。それで私が死んでしまえば、あなたはまた傷付きます……」

 

 それは、刃で刺すような優しさだった。

 守ると誓ったのに守れなかった仲間の顔が竜胆の脳裏に浮かび、胸が痛む。

 ひなたもまた、"言ってはいけないこと"を言ってしまったことに胸が痛む。

 

 それでも、ひなたはそれを受け入れられない。

 ひなたを守る、と竜胆が約束し。

 その果てに、アナスタシアの予言通りひなたが死ねばどうなる?

 御守竜胆は、どれだけの傷を心に刻む?

 

 竜胆を思えばこそ、ひなたはその約束だけは、絶対に結ばせたくなかった。

 

「妹さんの、代わりですか……? 代わりに私を守ろうとしているんですか……?」

 

―――俺の妹が結構そういうタイプだったんだよ!

 

 ひなたは、自分を兄妹のように抱きしめる竜胆が、過去にひなたと妹・花梨が似ている部分があることを指摘したことを、ちゃんと覚えていた。

 妹を抱きしめるように、竜胆はひなたを抱きしめている。

 

 ひなたは、竜胆が"上里ひなたを守れなかった後悔"を抱いてしまうことも恐れている。

 だから竜胆を言葉で突き放そうとしている。

 ひなた自身ですら、自分の生存を信じてはいなかった。

 

「……そんなに、約束で自分を追い込もうとしないでください。

 私は大丈夫です。大丈夫なんです。だから、御守さんは……」

 

「このバカ」

 

 ゴン、と結構強く、竜胆のアゴがひなたの脳天を叩く。

 ひなたの言葉を遮って、竜胆の優しい声が囁かれた。

 

「辛いんだろ、怖いんだろ、苦しいんだろ」

 

「―――」

 

「ならお前の台詞は『助けて』でいいんだ。

 ……諦めるかよ。絶対に諦めるか。

 君は悪くない。君が苦しむ理由なんてない。だから、助けるんだ」

 

 ぎゅっと、ひなたの小さな手が、竜胆の服の胸元を掴んだ。

 

「本当は……ボブの死の報から……不安で不安で、仕方なかったんです……」

 

「うん」

 

「もう誰も死んでほしくない、死んでしまったら悲しい、そう思っても何もできなくて……」

 

「うん」

 

「みんなとの楽しい時間があったのに……楽しかったのに……!

 気付いたら、球子さんが亡くなられていて、怖くて……!

 楽しい時間も、"次の瞬間に誰かが死んでいるかも"って思ってしまうようになって……!」

 

「うん」

 

「それだけじゃないんです、私は、私はっ」

 

「ゆっくりでいい、落ち着いて話しな」

 

「……私は、最低です……」

 

「何が?」

 

「ケンが亡くなられて……

 とても悲しくて、辛くて、苦しくて……なのに……

 "誰かが死んだ"という報を聞き、報の中身を聞いた、その時……

 "死んだのが若葉ちゃんじゃなくてよかった"なんて、思って……!

 "やっぱり未来は変わらないんだ"なんて、思ってしまったんです……」

 

「……ひーちゃん」

 

「最低です。

 若葉ちゃんじゃなくて、よかった、なんて……

 ……ケンなら死んでいいと、言っているようなものです。

 『やっぱり』なんて思ってしまうのは……信じきれてなかったと言うようなもので……!」

 

「そりゃ、人間なら普通の思考だ、ひーちゃん」

 

「ですけど!」

 

「今までずっと人に言えなかったんだな。

 今までずっと溜め込んでたんだな。

 うん、よく頑張った。

 大変だったろ、辛かったろ、偉いぞ。

 でもな、それでお前を悪いって言うやつなんていないんだ」

 

「私は……私は……!」

 

「お前の中のケンは、そんなことも許さないような狭量なやつだったのか?」

 

「―――それ、は」

 

「ケンはお前のそんなことくらい、もう天国で許してくれてるよ。

 俺や若ちゃん、仲間達だって、気にすんなって声を揃えて言うさ。

 俺達を支えてくれてるひーちゃんを、たまには俺達も支えてやらないと」

 

「……御守さん」

 

 ぽつり、ぽつりと、ひなたはまた、心の内を語っていく。

 

 ひなたが最も信頼し、心を開いているのは若葉である。

 若葉にだけ言っていることがあり、若葉にだけ見せている顔がある。

 竜胆はそれらを何一つとして知らない。

 だが、だからこそ。

 誰よりも信頼し合う関係があるからこそ、見せられない弱み、語れない本音というものもある。

 

 若葉が真に追い込まれたその時、最後に頼るのはひなただ。

 ひなたはそれをよく分かっている。

 若葉が、後がないくらいに心追い込まれたその時に、ひなたは若葉が遠慮なく寄りかかり、素直に甘えられる相手でなければならない。

 ひなたは、それをよく自覚していた。

 若葉とひなたの支え合う関係は、最適なバランスでこそ何よりも強い。

 

 だからこそ、ひなたが若葉にも漏らしたことがない言葉を、心の奥に押し込んでいた感情を、竜胆は吐き出させていた。

 それがひなたの心を、潰れそうな気持ちの圧力から救い出す。

 明日、竜胆はひなたを守る戦いに赴く。

 明日、竜胆はひなたの命を預かり、ひなたの命を懸けた戦いに挑む。

 なればこそ、必要な対話であった。

 

 けれど結局、話の最後の最後まで。

 ひなたは竜胆を気遣う最後の一線を守り、「助けて」とは言わなかった。

 竜胆に、ひなたを守る約束をさせなかった。

 ひなたが死んでも竜胆が罪悪感を抱かないよう、最大限の布石を打っていった。

 

 だからこそ、竜胆は強く決意する。

 

(必ず守る)

 

 涙を流すほどの悲嘆に暮れても、仲間を、友を傷付けないための選択ができる少女を。

 

 上里ひなたを―――絶対に、守り切ることを。

 

 「助けて」と言わない彼女を、全力で助けることを、自分自身へと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼過ぎ。

 

「俺がノックしないで入ったのは確かに悪かったと思う、杏」

 

「……」

 

「でも杏がそのタイミングで着替え中だったのは完璧に不慮の事故だったと思うんだ、杏」

 

「……」

 

「先程から繰り返し謝ってるように、確かに俺が悪かった」

 

「……」

 

「でもな杏、許してもらえないでガン無視っていうのは中々辛いんだ」

 

「……」

 

「ごめん、本当ごめん」

 

「……」

 

 丸亀城バスト二位の伊予島杏は、丸亀城デリカシーワースト一位の竜胆のうっかり行動とラッキースケベにより、竜胆との国交を完全に断絶していた。

 ベッドで布団をかぶって引きこもっている。

 羞恥心。

 怒り。

 照れ。

 あと自分の着替えを見た異性男子に対し距離を取ろうとするあれこれ等々。

 それらが、竜胆に顔も声も見せたくないという、杏のベッド引きこもりスタイルを成立させてしまった。

 

 今杏が布団から顔を出したら、赤い顔で声は上ずってしまうだろうから、ある意味妥当な対応だったとも言える。

 竜胆は明日に決戦が迫った状態でこんなになってしまったことに、頭を抱えた。

 

(『アレ』の準備で、杏も相当に心が不安定になってるな……しまった、行動が迂闊だった)

 

 とりあえず時間を置くしかないか、と、竜胆は伝言を残して病室を出て行こうとする。

 すると、ベッドの布団の城の下から、にゅっと弁当箱が出て来た。

 杏の腕は弁当箱を差し出すと、また亀の手足のように布団の中に戻っていった。

 

「貰って良いのか?」

 

 杏は沈黙で応える。

 沈黙は、肯定である。

 

「ありがとう。丸亀城で、またな」

 

 弁当を貰って、病室を出て、屋上で食べる。

 杏が作ってくれた弁当だと分かると、途端に嬉しくなった。

 杏の料理の味付けがケンのそれと似ているのが分かると、途端に切なくなった。

 食べ終わった頃には、気合いが何倍にも膨らんでいた。

 

「よし!」

 

 次に向かうは、若葉の病室。

 

「よっ、元気? 元気じゃあ……なさそうだな」

 

「流石に竜胆には分かるか。

 『あれ』の準備中の勇者ということで、少し気を使ってくれると嬉しい」

 

「若ちゃんがそこまでの状態になってるのは、初めて見たかもな」

 

 大天狗の穢れがしっかり残ってしまっている状態の若葉は、少し弱って見えた。

 若葉がベッドの片側に寄って、竜胆がベッドの端に座る。

 

「……竜胆、どこかケンらしくなったな」

 

「そうか?」

 

「ケンはいつも自然体だったからな。

 自分自身を取り繕わないという意味で自然体なのではなく……

 心の奥底で感情が煮え滾っても、周囲に自然体に見える自分を見せられる男だった」

 

「それは……うん、そうだな。ケンはそういう表情が多かった気がする」

 

 二人揃ってくすりと笑い、若葉が真面目な顔をする。

 

「勝てるのか? 正直に言おう、私は……

 ……お前に勝ち目がないと、そう思っている。ゼットはあまりにも強大だ」

 

 若葉らしい現実的で直球な指摘にも聞こえるが、その実あまり若葉らしくないネガティブな発言だった。

 ともすれば、竜胆の強さへの侮辱や、ひなたを諦めていると受け取られかねない。

 次の戦いで勝てないことは、ひなたの死を意味するからだ。

 だが実際は、若葉の発言がネガティブに寄っているだけで、その本質は変わっていない。

 

「だから、私も行く。この体でもまだ少しは戦えるはずだ」

 

 精霊の穢れは、若葉をネガティブに寄せた。

 

 ネガティブになった若葉は不安になり、仲間への不信を得て、"ならば無理をしてでも自分が助けに行く"という結論を出していた。

 

(ああ、本当に……かっこいいなこいつ)

 

 若葉は今、何も信じられていない。

 仲間のことも信じられず、ひなたの生存も信じていない。

 信じていないから、無理をしてでも自らが出撃し、自らの手で仲間とひなたの命運を守ろうとしている。

 心に悪影響が出ているのに男前な若葉を見て、竜胆は心底、若葉のことを好ましく思っている自分を再確認した。

 

「心配は要らない、若ちゃん」

 

「だが」

 

「俺は皆で生きるために戦う。たとえ、明日がないと言われてもだ」

 

 明日がなくとも、生きるために戦う。

 そう在れないものに、運命の女神は微笑まない。

 強く言い切る竜胆に、若葉は今までにない"光"を感じた。

 

「……助力を申し出た私の言葉は、無粋だったか」

 

「いや、嬉しい。若ちゃんのことはいつも頼りにしてるからな」

 

「よく言う」

 

「そんなによく言ってるか?」

 

「今の"よく言う"はそういう意図ではなかったが……ふふっ、確かによく言っているな」

 

 若葉は刀も持つべきでないと言われ、今は生太刀も病院に取り上げられている。

 だからか、二人は子供同士がじゃれつくようなおふざけをした。

 二人の手が手刀を作って、二人の間でコツンと打ち合わされる。

 まるで、騎士の誓いのように。

 

「修行の成果、見せてやるさ」

 

「私の方は大天狗を見せて打ち止めか。少し口惜しいな」

 

 決戦は明日。

 

「丸亀城で待ってる」

 

 最後に、友奈の病室へ。

 

「よう、友……顔色悪っ」

 

「そ、そんなに悪い!?」

 

「寝てろ寝てろ。今のお前は可愛さ二割減ってレベルに顔色悪いぞ」

 

「ええ、そんなに……?

 若葉ちゃんの作戦だと私は役に立たないけど、短時間なら戦えると思ったのに」

 

「お前、ナターシャの次に死にそうな顔してるぞ。

 ナターシャほど瀕死じゃないが……本当に危険だな、酒呑童子」

 

「……体動かしたいなぁ。

 病室で一人でじっとしてると、変なことばかり考えちゃう……」

 

「俺はまだすること多いけど、ちーちゃんは暇だろ?

 休養さえできてれば何でも良いだろうから、ちーちゃん呼んだらどうだ」

 

「ぐんちゃんを? わぁ、何しようかな」

 

「オススメのゲームとか聞けばいいんじゃないかな。

 そうしたらすぐにでも色々持って来てくれるさ。ちーちゃんだし」

 

「ぐんちゃんと一緒にゲームかぁ、楽しそうだなぁ」

 

 友奈のための提案に見せかけた、千景のための提案……に見せかけた、友奈と千景のための提案であった。

 千景がこの話を聞いたなら、"竜胆君にまた気を使われた"などと思ったりするかもしれない。

 

「俺は明日、皆と一緒に戦うつもりだ。友奈の笑顔があると、心強い」

 

「えへへ、そうかな?」

 

「そうだよ」

 

 友奈は自然に微笑んだ。

 竜胆の口にした言葉の、そのニュアンスに、友奈は暖かなものを感じる。

 

「リュウくんの言う『皆』がさ。

 生きてる仲間も、死んでしまった仲間も、全部含めた『皆』って感じで……

 私、とっても好きなんだよね。ただ『皆』って言ってるだけなのに、ぐっとくる」

 

「……友奈は変わってんなあ」

 

 竜胆は明日、『皆』と一緒に戦うつもりだ。

 一人で戦うとしても、一緒に戦う。

 未来を変えられるものは"それ"であってほしいと、友奈は思った。

 

「また明日、丸亀城で」

 

 友奈の病室を出て、いつもの付き添いの人――今日は大社から派遣された安芸真鈴――と合流して、一人では出歩きが許可されていない竜胆は、また自由に出歩けるようになる。

 

「おっけー?」

 

「おっけー」

 

「御守くん先輩は売店で何か買いたいものとかある?」

 

「んー……」

 

 真鈴らしい提案に、竜胆はちょっと考えて、財布に手を伸ばす。

 

「……ナターシャにアイス買っていってやるかな」

 

 誰も知らない。

 ナターシャも知らない。

 仲間の一人一人に声をかけていく彼の"いつもの姿勢"が、何を結実させるのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて日は沈み、日が昇り、日が地平線に沈み始めて。

 

 ゼットが指定した、その時がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が綺麗に輝いている。

 非常事態宣言が継続されている街に、人影はない。

 肌触りの良い、気持ちの良い風が吹いていた。

 

 戦いの準備を整える竜胆と千景。

 顔色悪くしつつも丸亀城には集結した若葉、友奈、杏。

 そして救急車からストレッチャーで降ろされて来るアナスタシア。

 重傷人を城から病院に運ぶためではなく、重傷人を病院から城へと運び、いつでもすぐにでも城から病院へと人を運ぶ状態で待機するという、異端の指令でこの救急車は動いている。

 

 戦えるのが二人。戦闘不能が四人。

 その上、アナスタシアがこんな状態であるということは――

 

「ナターシャ」

 

「変身も、無理」

 

「……そうか。無理して張るとか言い出さなくて安心した」

 

 ――メタフィールドの展開も、不可能であるということでもある。

 

「ナターシャの予知だと、ひーちゃん以外に、町の人間は何人死んだんだ?」

 

「……知らない方が、まともに戦えると思う」

 

「そっか」

 

 今日、死ぬ運命にある人は、ひなただけではない。

 思えば、アナスタシアは共に戦う仲間の死者だけに言及していた。

 だが、メタフィールドも樹海化も無い以上、戦いの過程で他に死者が出てもおかしくはない。

 街がゼットの攻撃に巻き込まれれば、何人死ぬ?

 想像するだけで、背筋が凍りそうだ。

 

 今日のこの日が初めての、そしてもしかしたら最後の、市街地戦になるかもしれない。

 

「ちーちゃん、街の防衛は任せた。俺は出来る限り、海か海岸線でゼットと戦う」

 

「流れ弾を迎撃すればいいのよね」

 

「ああ、頼む。流れ弾の処理をやってる余裕は、多分無い」

 

「やれるだけやってみる。だからあなたは、目の前の敵に集中して」

 

「おう」

 

 竜胆は不安を深呼吸で消し、結界の壁を見る。

 まだゼットは来ていない。

 ティガトルネードの制御を離れつつある闇は今現在も肥大と強化を繰り返しており、油断するとこの程度の不安で理性を吹っ飛ばそうとする。

 この闇に身を委ねれば、ゼットにも勝てるのだろうか、と少年は一瞬思う。

 されど"それではいけない"と自らを戒める。

 

勝てるわけがない。

 もう絶望しかない。

 本当は、仲間の死をもっと声に出して悲しみたい。

 立ち上がりたくなんてない。

 だと、しても。

 だとしてもだ。

 こんな自分の心の闇に、弱さに、醜さに……負けてなんてられるか)

 

 ティガには無数の選択権があった。

 闇でゼットに挑むか、光でゼットに挑むか。

 未来を変えずに自分の命を保証するか、不確定な未来へと変える、不可能に挑むか。

 諦めるか、諦めないか。

 

 城郭に立つ竜胆の目に、ひなたが城の教室で、祈っているのが見えた。

 誰にも見られない場所で一人、皆の勝利と、皆の無事、笑って終われる未来を願っている。

 

死なせてたまるかよ。

 死なせてたまるかよ。)

 

 竜胆の内にある、ありとあらゆる心が、ひなたの生存を望んでいた。

 

 と、正しく戦意を高めていた竜胆の下半身をガシッと掴む人影一つ。

 伊予島杏だ。

 だが、様子がどこかおかしかった。

 

「御守さんって私のこと嫌いですか……?」

 

「は? 嫌いなわけないだろ、どっちかっていったら大好きだよ」

 

「嘘ですね」

 

「えっ」

 

「だって私が着替えてるの見て、『うわっ』って言いました」

 

「いやただの驚いた声だぞ」

 

「『うわっ』ってなんですか『うわっ』って。

 見られるのは嫌でしたけど……もうちょっと言い方、何かあったんじゃないんですか?」

 

「……お前もしかして、布団に潜ってたの恥ずかしさだけじゃなくて、拗ねてもいたのか」

 

 杏の表情や、様子がおかしい。

 どこか、"変な何か"に動かされている印象を受ける。

 

「『うわっ』って嫌なものとか変なものを見た時に出すこえじゃないですか……それって」

 

「違う違う、嫌なものも変なものも見てないって」

 

「じゃあ好きなものだったんですか」

 

「……」

 

「ああ、やっぱり私の着替え見て、吐き気をもよおしたりしたんですね……」

 

「してないしてない!」

 

「じゃあ何を思ったんですか」

 

「……ど、ドキドキはした。胸大きいなあとか、大変失礼なことも思った。ごめん」

 

「……ちょ、ちょっと、そういう目で見るのやめてください」

 

「どうしろってんだよテメー!」

 

 やや支離滅裂、ネガティブ思考、相手の発言の曲解、内向的で煮詰まり気味な思考。

 そのくせ、顔を赤くして体を隠そうとする今の杏の挙動を見る限り、杏らしい性格がベースにあることもまた間違いない。

 杏の性格を残したまま、それを捻じ曲げる。

 この面倒臭さ、間違いなく重度の精霊の穢れの影響だ。

 

「……私の方もあだ名呼びしたりすること、許してくれますか?

 着替えを見た引け目があるなら、イエスと答えてください。許してくれますよね?」

 

「お前頭が良い分、こういう時は相手の罪悪感利用した話し方とかするんだな……いいけどさ」

 

「ありがとうございます。じゃ、りっくん先輩で……そういうことで」

 

「精霊に煽られてる時の勇者の思考は本当読めねえ……りっくん、りっくんか」

 

「精霊の影響なんて関係ないです。

 普段からこういうこと考えてるだけですよ。

 リンドウのリンの間に"っく"を挟む感じがハイセンスな気がして……」

 

「杏の発想は女の子的というかちょくちょく可愛いな」

 

 杏をなだめ、竜胆は駆け寄ってきた若葉にも声をかける。

 

「若ちゃんの方は大丈夫か?」

 

「杏のような醜態を晒す心配はない」

 

「そっか、よかった」

 

「正直言って、体がボロボロなおかげだな。

 動き回る元気が私の体に残っていないからだ。

 体がピンピンしていたらこうはならなかっただろう。

 今にも、お前や丸亀城を、壊したくて壊したくて仕方がない……!」

 

「……若ちゃんが理性でそういうのコントロールできる人で、本当に良かったよ」

 

 若葉も杏同様、精霊の穢れ特有の症状が顔に出ており、体調もかなり悪そうだ。

 ストレッチャーに寝かせられたままのナターシャが、杏と若葉を交互に見て、表情に疑問符を浮かべながら竜胆に呼びかける。

 

「竜胆おにーちゃん、これ、何……?」

 

「杏と若ちゃんに、日常の中でも精霊使って精神に穢れを溜めてもらった。

 今二人の中には、ちょっと俺が心配になるくらいの心の闇が蓄積されている」

 

「―――!?」

 

「若ちゃんの発案だ。

 すげえ案だよ、本当に。

 でもとんでもなく危険だったからな。

 精霊は身に宿しても、力は行使せず、体に負担はかけず心に闇を溜めた。

 杏と若ちゃんが自傷とかしないように、大社に見張りの人を付けて貰って……ってやってた」

 

「え、え、え?」

 

 そう、これが、若葉の思いついたという秘策。

 勇者の力、精霊の力は、日常の中でも使える。

 なので敵が来ない数日を使って、精霊で自らの内に穢れを能動的に蓄積、それが心の闇として形になったところを、ティガの力で光に変える。

 そうやって、"意図的にティガの形態を一つ増やす"という作戦。

 ティガトルネード獲得を意識的に再現しよう、ということだ。

 

 大社からは精神面に危険過ぎると注意され、その点での竜胆と大社の合意もあり、『一度だけ』という条件付きで実行を許された。

 酒呑童子の反動が大きすぎた友奈は除外されたが、若葉と杏の中にはたっぷりと闇が蓄積されている。それこそ、正気が揺らぎかけてしまうくらいには。

 

「あと……ナターシャが望むなら、お前の内側からもその絶望、持っていくぞ」

 

「えっ―――?」

 

 ウルトラマンネクサスの光は、本質的に高純度の神の力である。

 あまりにも純度が高いために、この光をそのまま喰って、自らの力とできる怪獣や闇の巨人も存在する。

 更には負の感情が過剰に蓄積され、光がそれとシンクロしてしまった場合、光が負の感情に引っ張られて闇に変換されかけてしまうこともある。

 

 アナスタシアの中に蓄積された絶望(やみ)は、竜胆が変換して受け取れるラインを超えている。

 それを渡せば、希望を持ちたいのに希望を持てないアナスタシアの心の状態も、改善できる可能性がある。

 

「ば……ばっかじゃないの!

 三人分の闇なんて、一気に変換できるわけがないよ!」

 

「ああ、そこはちょっと心配だな」

 

 だが、この危険性の指摘もまた事実だ。

 竜胆は前回、球子の闇を受け取っただけで連鎖的に自分の闇を暴走させかけて、二人分の闇のコントロールにも四苦八苦し、その果てになんとかティガトルネードを獲得した。

 

 今回は若葉、杏、ナターシャ、そして竜胆でおそらく四人分。

 単純計算で負荷は倍だ。

 どう考えても、無茶が過ぎる。ナターシャには不可能にしか見えない。

 

「でも、成功すりゃ俺が得られる力も大きいよな」

 

「無理だもん、そんなの!

 第一、その"青いティガ"が手に入るのはもっと先!

 未来は決まってるんだから、ここで手に入るわけない! 絶対に失敗する!」

 

「じゃあ、認めるんだな。これが成功したら、お前が見た未来は変わったと」

 

「―――!」

 

「お前が見た未来よりも遥かに早く、そいつを手に入れてみせる」

 

 アナスタシアが見た未来に居た、青いティガ。

 それは、杏と若葉の死によって手に入るはずのもの。

 

「こいつを成功させて、お前にまず希望を一つやるよ。俺はお前のおにーちゃんだからな」

 

 しからばそれは、『未来を変えた証明』にもなる。

 

「ナターシャがその絶望を捨てたいのに、捨てられないってんなら、俺が持っていくよ」

 

「……おにーちゃん」

 

 アナスタシアのうちには、拭い去れない絶望がある。

 それを捨てたい気持ちは、確かにアナスタシアの中にあった。

 ……本当は、アナスタシアだって、皆が生きる可能性に賭けたい。

 でも、そんな可能性は0にしか見えないから、賭けられない。

 絶望が、心をへし折っていく。

 

「諦めるな」

 

 竜胆の手が、伸ばされて。

 

「諦めるなよ、ナターシャ」

 

 ナターシャの小さな手を、強く握った。

 

「心配ってのは、その人の無茶を気遣うこと。

 信頼ってのは、その人に無茶をさせることだ。

 仲良い人にはどっちも思っちゃうけどな。今は、俺を信頼してくれ」

 

「無茶……」

 

「今俺が無茶をして、奇跡を起こす可能性を信じてみてくれ」

 

 心配ではなく、信頼を求める。

 

「全部無駄、なんかじゃない。

 全部意味のあることだったんだ。

 ボブ、タマちゃん、ケン、そして他の人達も。

 生きて頑張った人達も、死んでしまった人達の死も、全部無駄なんかじゃない。

 未来が変わらなかったからあの人達の頑張りは無駄だった、なんて言わせない」

 

「……あ」

 

「ボブも、タマちゃんも、ケンも……

 君が未来を変えたくて、やってきたことも、その想いも。

 全部無駄になんかしない。

 俺がこれから、無駄じゃなかったものに変えてみせる」

 

 アナスタシアは、未来は変わらないから頑張っても無駄だと言う。

 今この瞬間には、過去の竜胆達の頑張りは、確かに無駄に見えるかもしれない。

 

 だが、今この瞬間に無駄に見えるとしても、『未来』ではどうなるか分からない。

 これからは、どうなるか分からない。

 「あそこでケンが奇跡の勝利を掴んでくれたから未来は変わったんだ」と言うことができるかもしれない。

 

 未だ来ていない明日のこと。それを、未来という。

 

 そう、竜胆が頑張れば、「あそこで皆が頑張ってくれたから」「あそこでケンが頑張ってくれたから」「俺が成長して」「未来は変わったんだ」と言うことだってできる。

 『ケンは命懸けで奇跡を起こしたが未来は変わらなかった』という事実はある。

 けれどもそれは、"ケンのおかげで成長できた"竜胆の起こす奇跡次第で、『ケンのおかげで未来は変わった』という事実で塗り替えることができる。

 

 アナスタシアの心が揺れる。

 四国結界の端が揺れる。

 揺らぐ夕焼け空の天井が、ゼットが結界へと接近したことを教えてくれる。

 

「希望ってのはすぐ折れる。

 最強でも無敵でもない。

 そのくせ、俺達の希望を折りに来るのは最強や無敵と言っていい奴らばっかだ」

 

 竜胆はアナスタシアだけでなく、皆に呼びかける。

 

「でもな、希望は、苦しい人の傍に居てくれるから。

 辛い思いをしてる人に、前を向かせてくれるから。

 この希望が、どんな最強にも無敵にも、負けないでいてほしいと思う」

 

 杏、若葉、友奈、千景。仲間達が、信頼を込めた目で竜胆を見る。

 

「皆の希望、俺にくれ。俺に、未来を変える力をくれ」

 

 そして、四人が頷いて。

 

「ナターシャ。……ひなたを、助けたいんだろ?」

 

 アナスタシアの中にあった―――『絶対にその未来を受け入れたくない理由』が、アナスタシアを縛っていた絶望の枷を、粉砕した。

 

「……うん」

 

 アナスタシアも、頷いた。

 

 杏、若葉、アナスタシアから、竜胆へと闇が譲渡される。

 膨大な闇。

 竜胆の中で膨らんでいた闇と混ざり合い、相乗効果を生み出し、竜胆の体から変換しきれなかった闇が吹き出した。

 青いティガに至る力は、生まれない。

 失敗だ。

 闇の量がいくらなんでも多すぎる。

 杏の分と若葉の分だけですら、キャパオーバーであった。

 

「ぐっ、くっ……!」

 

「やっぱり無茶が……!」

 

 竜胆は吹き出す闇を巻き込みながら、ブラックスパークレンスを掲げた。

 闇を神器へと巻き込み、叫ぶ。

 

「うおおおおおおおああああああああああッッッ!!!」

 

 闇が弾けて、そこからティガダークが現れた。

 そして結界の向こうから、ゼットが一人で現れる。

 避難所の方で悲鳴が上がったが、ティガもゼットも気にする様子はない。

 海を焼く美しい夕日を背景に、ティガとゼットは対峙する。

 

 

 

「待たせたな、ウルトラマン」

 

『待ってねえよ、ゼットン』

 

 

 

 ゼットは皮肉たっぷりに、ティガをウルトラマンと呼んだ。

 竜胆は皮肉たっぷりに、ゼットをゼットンと呼んだ。

 何も変わっていないティガダークを見て、若葉は歯噛みする。

 

「ティガの姿は変わっていない……くそ、失敗か!

 竜胆……勝てるか……? 私は信じるが……お前は……」

 

 千景は新しい力が得られた得られないにかかわらず、竜胆を信じている。

 なので揺らがず、竜胆に頼まれた通り、流れ弾から皆と街を守る姿勢に移行する。

 

「皆、下がって。街と、皆を守ることは……私が竜胆君に託されたことで……高嶋さん?」

 

 そんな中、友奈は気付いた。

 街に吹いていたいい風が、止んでいる。

 ティガダークが現れたその瞬間から、不自然な凪が訪れていた。

 

「風が……止んだ?」

 

 ティガダークの周囲に、青と紫の光の粒子が現れていく。

 発生した光の粒子は無秩序にばら撒かれることなく、まるで染模様の小紋(こもん)のような美しい模様を作り、凪の世界を光で満たしていく。

 最も、それを小紋という正式名称で呼べたものは、伊予島杏ただ一人であったが。

 

「小紋……?」

 

 やがて、凪の世界に発生する、強烈な風。

 

 (なぎ)から小紋(こもん)へ。

 小紋(こもん)から突風(ブラスト)へ。

 風と一体化した光が、ティガダークの周囲を吹き荒ぶ。

 

 巫女にして巨人たるアナスタシアは、この現象の意味を理解した。

 

「そっか……

 ティガの本質は、力の継承、他者から光を集めること……

 そして光の者としての、竜胆おにーちゃんの力の本質は……」

 

 黒という共通色を除けば、銀の巨人は赤銀の巨人へ変わり、今また青銀の巨人へと変わる。

 

「絆―――」

 

 それは、成された奇跡のカタチ。

 

「―――ネクサス」

 

 アナスタシアの目に映る、未来の形が、明確に変わった。

 

 

 

 

 

 アナスタシアが見た未来のティガは、"青いティガ"だった。

 杏と若葉の力を受け継いだ、黒と銀と青のティガだった。

 だが、これは違う。

 

 そこにアナスタシアの紫が加わり、青色が『青紫』へと変わる。

 アナスタシアが見た未来のティガとは明確に違う、青に非ざる青紫。

 青い光と紫の光が入り混じり、暴走せんとする黒色を抑え込んでいる。

 

 青色に、紫を混ぜる。乃木の青に、紫が混ざる。乃木の青が、乃木の青紫へと変わる。

 

 その青紫を―――人間は、『竜胆色』と言う。

 

 氷雪を纏いて、青と紫の光を放ち、混ざった光が竜胆色の輝きを作り上げるウルトラマン。

 

 

 

 

 

 伊予島杏に加護を与えた神は、支佐加比売(キサカヒメ)

 与えられし武器は金弓箭(きんきゅうせん)

 杏はこれをクロスボウに改造したものを装備している。

 

 キサカヒメは出産の際のエピソードにおいて、この金弓箭を岸壁に撃っている。

 放たれた金の矢は岸壁を撃ち抜き、岸壁を洞窟に変え、そこに光をもたらした。

 洞窟は輝き、この加賀(かが)やきこそがこの洞窟の名の由来となったという。

 "加賀の潜戸"と呼ばれるそこは、現代になっても観光名所として残っている。

 

 キサカヒメの金弓箭は、目の前に立ちはだかる壁を壊し、光をもたらすもの。

 杏の手にはそれがあり、杏の想いが、それをティガへと継承させた。

 球子の旋刃盤と同じように、杏の武器もまた、ティガを導く。

 

 竜胆の前に立ちはだかる壁を壊し、彼に光をもたらすのは、杏の純なる想い。

 

 

 

 

 

 自身に向けて放たれた光の矢を、ゼットは渾身の槍の一振りで弾いた。

 光の中から現れたるは、極寒の吹雪と、黒銀に青紫を加えた巨人。

 吹雪をその身に受けつつも、微塵も体を揺らさないゼットは、ティガの新たなる形態を見て愉悦の感情を覚える。

 

「氷雪の突風(ブラスト)……この吹雪は……そうか」

 

 バランスのティガダーク、パワーのティガトルネードに続く、ティガ第三の形態。

 

「―――『ティガブラスト』!」

 

 ティガブラスト。それがこの、黒に映える青紫を身に纏う、闇の巨人の名であった。

 

「未来が……変わった!?」

 

 アナスタシアが声を上げ、ゼットが全てを理解した様子で笑い声を上げる。

 

「くっ……ははははっ!

 そうか、そういうことか!

 未来を見ていたのか、お前達は! そして、今それが変わった! 理由は分かるぞ!」

 

 未来が変わった。

 今まで微塵も揺らがなかった未来が、変化した。

 ゼットはその、最たる理由を見抜いていた。

 

「この強化には、誰の死も関わっていない!

 お前は今、誰も死なせずに新たなる力を手に入れた!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、丸ごとひっくり返したのだ!」

 

 運命を覆した。ゆえに未来も変わった。

 

 竜胆はティガブラストへと至るも、若葉も杏も死んではいない。

 

「それほどまでに、大きく強固な運命だったというわけだ!

 お前の『仲間が死ぬことで強くなっていく』という運命は!」

 

 ゼットは笑う。

 滅びの運命を覆した、竜胆色の光を放つ新形態。

 胸震えるような想いを、ゼットンは抱く。

 

「『運命』を引っくり返し、『未来』を丸ごと粉砕したな! ティガよッ!!」

 

 未来を見れる人間と、未来を変えられる人間は違う。

 前者はアナスタシアで、後者は竜胆と若葉が該当する。

 人には見えない未来を見る規格外と、人には変えられない未来を変える規格外。

 この二つは決定的に違う。

 だが、この二つが合わさってこそ、未来というものは変えられる。

 

 若葉は人を引っ張っていくことに長けるが、友奈のように仲間達を円滑な関係にできない。

 友奈は仲間達の関係を改善できるが、若葉のように人を引っ張っていけない。

 竜胆はこの二人の中間で、二人のどちらと肩を並べているかで、先導か円滑かの属性がどちらかに寄る。

 

 若葉がとんでもない奇策を提案し、竜胆が形にし、ティガブラストが未来を変えた。

 この二人が肩を並べて進む時、未来は変えられるものへと変わる。

 未来を変える、希望のコンビ。

 

『だとしたら、俺は感謝しなくちゃな』

 

 ティガブラストが、右の手刀を左腰に添え、右の手刀に左手を添える。

 

『俺に未来を変える機会をくれたのは……生死問わず、俺の仲間達だ!』

 

 左手を鞘のようにして、踏み込むと同時に右手の手刀を抜刀する。

 ティガブラストの踏み込みは、かなりあったはずの両者の距離を、一息で詰めていた。

 

「!」

 

 ティガブラストは、飛行とスピードに特化した俊敏形態。

 パワーと防御力こそ下がるが、とてつもないスピードにて機敏かつテクニカルな戦闘を可能としている。

 左手という鞘から抜いた右の手刀は、光を纏ってゼットを斬った。

 ゼットの槍がそれを受け止め、今、ティガブラストが放った技の正体を見切る。

 

「抜刀術……いや、居合術か」

 

 ティガブラストの両手が手刀の形に揃えられ、嵐のようにゼットを襲う。

 二刀手刀の二刀流。

 その斬撃はどこか若葉の剣筋を感じさせるが、若葉のそれとは決定的に違うもの。

 若葉に剣を教わったのではなく、若葉の剣と戦う内に、竜胆の内に自然と芽生えたものだった。

 

『俺はウルトラマンじゃない』

 

 力でゼットと勝負せず、ひたすら技と手数で勝負。

 槍をいなして、掌底を叩き込んだ。

 ゼットの体が、僅かに下がる。

 

『ウルトラマンにもきっとなれない。

 だが、それでいい。

 俺をウルトラマンと呼んでくれた人がいる。

 その人達の期待を裏切らないなら、それでいい』

 

 槍を流して、一兆度を回避して、すれ違いざまに手刀一閃。

 

 若葉を思わせる抜き打ちの斬撃が、ゼットの脇に小さな傷を付けた。

 

『ウルトラマンらしくなくても、必ずお前を倒す。

 光の力だけじゃ倒せないお前を倒す。

 ……それがきっと、俺がこの力を得た意味―――果たすべき使命の一つなんだ!』

 

 ティガの右手に、極大の冷気が集まる。

 ティガの冷気技『ティガフリーザー』だ。

 杏の冷気を右手に添えて、ティガは手刀と共に叩き込まんとする。

 

『俺を見ろ、ゼット。お前を倒すのは"ウルトラマン"なんて漠然としたものじゃない、俺だ』

 

 ゼットもまた、槍を構えて受けに回る。

 

『俺を―――御守(みもり)竜胆(りんどう)を、見ろ』

 

 ティガの目が。

 ゼットの目が。

 真正面から、互いの目を見た。

 

「我が名はゼット、終焉の名を持つ者」

 

『ティガ。ウルトラマンでもなんでもない、ただのティガだ』

 

 心を与えられた終焉、ゼット。

 

 魂を受け継いだ光輝、ティガ。

 

「『 ―――ここで終われッ!! 』」

 

 圧倒的な強さのゼットンへと挑む、ゼットンに強さが及ばぬ巨人。

 

 巨人の勝利を信じ、見守る人間達。

 

 それは、始まりのウルトラマンが最後に挑んだ戦いという、一つの神話の再現だった。

 

 

 




 千景、球子でティガトルネード。杏、若葉でティガブラスト。これで三形態揃いました

●ティガブラスト
 『ティガダーク』が『ウルトラマンティガ』に向かう過程の一つ。
 ティガが持つ、闇を光に変えて取り込む力の一端。
 体色はティガダークの黒銀から打って変わって、黒銀紫に変色している。
 竜胆が変身したこのパターンでのティガブラストに赤色は含まれない。
 ティガダークに速度と器用さを後付けした、青紫のスカイタイプ。
 ティガトルネードとは逆に、ティガダークと比べて剛力と耐久力が低下しているが、逆にスピードとテクニックが上昇した空中戦でも強力な形態。

 若葉の青、ジュネッスパーピュアの紫、足すがために青紫。
 平安時代から使われていると言われる『竜胆色』は、青紫のことである。
 若葉由来の空戦能力、杏由来の凍結能力を備え、戦闘スタイルは"ジュネッスブルー"にも近く、ティガトルネードの赤い光と同様に、青の光が黒い闇を抑えつける。

※余談
 『ウルトラマンティガ』は、とても手刀技が多い。
 怪獣の皮膚を切り裂くという設定の手刀"ティガマルチチョップ"。
 それを加速化させ連撃技にした手刀"ティガ・スカイチョップ"。
 手刀に大きな光のエネルギーを込めて放つ"ウルトラ・パワーチョップ"。
 切断光線を手刀に纏わせて叩き込む"スラップショット"。
 ウルトラマンに対しても必殺技となる、助走跳躍手刀"ウルトラブレーンチョップ"。
 手刀やキックなどを連続技として叩き込む"スカイ・サンダーダッシュ"。
 多い。
 タイプチェンジを考慮しても、とても多い。

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