夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した   作:ルシエド

35 / 63
 祝いと呪いという字は似ておりますが、『呪願』は呪いの字が入っているのに「他人の幸福を祈る」という意味を持つ、とても珍しい言葉です


呪願 -ラブ・ブレイク・ラブ-

 カミーラが与えた『闇の祝福』が、ティガを追い詰めている。

 人には光と闇の側面がある。

 正義を掲げる者が、光であったり、闇であったりするのと同じように。

 宇宙に光と闇があるのと同じように。

 光のウルトラマンと、闇のウルトラマンがいるのと同じように。

 愛に、光と闇があるのと同じように。

 

 カミーラは闇こそが人間の本質であると考えている。

 人間の醜悪を煽り、巨人の闇を増幅させる。

 カミーラは"ウルトラマンと人間の繋がり"というものをよく知っているからだ。

 

 カミーラは大昔、ティガの恋人だった。

 闇の巨人ティガダークと共に、人を虐殺し、世界の多くを滅ぼし。

 光の巨人ウルトラマンティガに裏切られ、倒され、地上からその姿を消した。

 ティガダークは人を殺し、ウルトラマンティガは人を愛した。

 憎悪より始まり、愛に終わったティガを、カミーラはずっと見ていた。

 

 カミーラは最初のティガのことをよく知っている。

 最初のティガが人間の心の闇によってティガダークと成ったことも、人間の心の光に惹かれてウルトラマンティガと成っていったことも知っている。

 "ウルトラマンと人間の繋がり"は強い。

 『ウルトラマン』は人の心に呼応して、人の世界を滅ぼす闇にも、人の世界を救う光にもなる可能性を持つ。

 ティガはその体現者だ。

 

 だから、人間の醜悪を煽った。

 人々が希望を捨てず、光を目指して歩き、隣人に優しくし続ける世界なら、ティガはどんな道を歩もうと光に帰る。

 『皆』が光輝く者ではいけない。

 『皆』が他人の闇を引き出す者でなければならなかった。

 カミーラ一人では四国全域など見ていられないだろうが、シビトゾイガーをばら撒き、カミーラが指示を出し、大事件が起きた時以外はシビトゾイガーの独断に任せておけば、自然と四国には闇が生まれやすい土壌ができる。

 

 周りに流されるだけの者がいた。

 熱狂に熱狂を重ねても、竜胆達を殴れず躊躇う者がいた。

 竜胆を排除する気持ちはあっても、大怪我させるつもりはない者がいた。

 死にたくないから、無能な勇者に交代してもらいたくて必死な者がいた。

 

 怪我をさせることに躊躇いがある者がいた。

 ティガという悪なら怪我をさせても罪悪感のない者がいた。

 小学校低学年の頃からずっと、ティガは悪だと親に教えられて育ってきた中学生がいた。

 小学校高学年の頃からずっと、ティガは悪だと皆で話しながら育ってきた高校生がいた。

 その中に、シビトゾイガーが混じっていた。

 

 そんな皆が今、一つの生き物になっているような一体感で、シビトゾイガーが煽る一つの気持ちに沿って、"流されながらも自分の意志でそうしている"。

 

 竜胆を明確に殺そうとする者は、熱狂の中でもせいぜい三割程度で。

 杏を殺そうしている人間は、明確に一人もいなくて。

 けれどシビトゾイガーに煽られ、シビトゾイガーに煽られた他の人にも煽られて、皆は全力で武器を振り下ろしていく。

 自分が振り下ろした金属バットに、人を殺す威力が込められている自覚がない。

 "最悪怪我をさせるだけ"くらいの認識で、それらを振り下ろしているのだ。

 

 殺人事件で"殺すつもりはなかった"と言う人間は多い。

 それは事実だ。

 興奮状態にある人間は、力の加減が効かなくなる。

 自分の体が人を殺せるだけの筋力を込めてる自覚がなくなってしまうのだ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうやって人を殺した人は、後になってこう言うのだ。

 

 「殺すつもりはなかったんだ」と。

 

 例えば杏を誰かが殴って殺したとしよう。

 殺した者によっては

「死んでしまうだなんて思わなかったんだ」

 と言うかもしれないし、

「肩を狙ったのに頭に当たってしまった」

 と言うかもしれないし、

「竜胆を狙ったはずなのに、勇者を傷つけるつもりなんてなかったのに」

 と言うかもしれない、

「僕は先輩に無理矢理連れて来られただけなんです、信じてください!」

 といった風に、罪悪感に潰されそうになりながらも、被害者ヅラする学生もいるだろう。

 

 杏を殺しておいて、

「周りの人に強要されて……僕は本当はやりたくなかったのに……!」

 と嘘をついて話を誇張して、集団の罪を重くし、四国に人間の醜悪を大々的に広めようとするシビトゾイガーもいるかもしれない。

 その場合、もちろんシビトゾイガーに強要した人間なんていないだろうし、シビトゾイガーはこっそり笑って杏を殴り殺していただろう。

 

 杏に対して殺意を持ってるのは、シビトゾイガーだけだ。

 人間の誰にも明確な殺意はない。

 だが、殺意が無いなら誰も杏を殺さない、なんてわけもない。

 殺意なんてなくても人は人を殺してしまえるものなのだから、集団の熱意と狂気を煽るだけのシビトゾイガーは楽なものである。

 隙を見てシビトゾイガーが杏を殺し、さっさと逃げてしまってもいいのだから。

 

 そうやって、竜胆の心の闇を煽ればいい。

 この暴走に乗り気な人間も、乗り気でない人間も、乗り気じゃなくてもバットを振っている者もいる。

 隣で仲間がしていることと、同じことをしよう。

 仲間と心を一つにしよう。

 人間の手で、少しでも現状をよくしよう。

 強い者に頼り切りでなく、人間の手で現状を少しでも改善しよう。

 人は皆、心を一つにできるのだ。

 

 だからカミーラは、人間を嘲笑った。

 

「ああ、この愚かしさには、愛する価値も無いわ。そうでしょう、ティガ」

 

 今竜胆と杏を攻撃している者達の多くは、これで現状が良くなると認識している。

 当たり前だ。

 現状を悪くしようとするなんて、そんな者がシビトゾイガー以外にいるわけもない。

 その意志は、人間が自分達の意志で自分達の世界を守ろうとする意志の負の側面。

 

 "悪"を排除し、"役立たず"を排除し、そうやって自分達の世界を守ろうとし……けれども、四国の外に出て行ってバーテックスを倒そうとはしない。

 絶対に倒せないバーテックスには立ち向かわないが、変身する前の巨人と勇者ならば倒せるので立ち向かえる、という至極当たり前の打算が込みの、自分達の世界を守る意志だ。

 

 勇者とは何か。

 それは強き者ではなく、自分よりも強き者に立ち向かう勇気を持つ者だ。

 なら、勇者に絶対に選ばれない、勇気なき者とは何か。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 普通の人間は、勇気がなければ、自分よりも強い者になど挑めない。

 

 今ここに集まっている者達は、端末やブラックスパークレンスを出せばすぐに叩き落とせば大丈夫だぞ、とシビトゾイガーが提案した作戦に乗っている。

 ゆえに巨人のことも勇者のことも一時的に、"自分よりも強い者"と見ていない。

 シビトゾイガーの仕込みは完璧だった。

 

 だから―――抜き放たれたブラックスパークレンスは、"待ってました"とばかりに、市民の木刀で叩き落とされる。

 ブラックスパークレンスを叩き落とした瞬間に、竜胆の手の骨を折ったことに、木刀を振った人は気付いてもいないようだ。

 熱狂が、それを気付かせない。

 

「いいのよ、それで」

 

 カミーラが微笑む。

 

「仲間が殺される前に変身させては駄目よ。

 万が一にも、彼の仲間が助かる可能性を残しては駄目。

 仲間が人間に殺され、人間に絶望し、怒りと憎悪のまま人間を殺す……そういう演出なのよ」

 

 シビトゾイガーがブラックスパークレンスを拾い、離れる。

 その手には杏の端末とブラックスパークレンスの両方が握られていた。

 もう杏には何もできない。

 ボロボロの竜胆にも何もできない。

 杏の名を呼び、袋叩きにされながら絶叫することしか、竜胆にはできない。

 

 何もできないまま目の前で大事な人がリンチ死していく絶望を、竜胆に味わわせる。

 それを想像し、カミーラは暗い喜びに身を震わせた。

 シビトゾイガーが杏を確実に殺すだろう。シビトゾイガーが竜胆を的確に叩いて自由に動かすことはないだろう。シビトゾイガーが、緻密に結末を確定させる。

 

「何もできない絶望と悲しみの果てに、闇の祝福は、黒き花を咲かせる」

 

 後は、杏が民衆に殺された後、竜胆の目の前にブラックスパークレンスを転がすだけだ。

 

 それで、全ては完結する。

 

「ティガに裏切られてから三千万年……長かったわ」

 

 うっとりとした表情で、カミーラは三千万年前の愛しき日々を思い出す。

 闇に堕ち、光を全て喪失したティガとの蜜月が始まる未来を想う。

 あの日、人間達の心の光によって奪われた恋人を、意趣返しとばかりに人間達の心の闇を利用して、今日取り戻すのだ。

 

 夏空の下、闇に呑まれるウルトラマン、いじめる子供達、傷付けられる立場にある少女。

 歴史は繰り返される。

 そう、歴史は、繰り返される。

 

「―――チッ」

 

 カミーラは、飛び込んで来たその少女の姿を見て、舌打ちした。

 三千万年前、闇の中にいたティガを、カミーラの手の中から奪い取ったのは、光に生きる一人の女性だった。

 歴史は繰り返される。

 

 勇気とは立ち向かうため、救うため、守るために振り絞られる。

 其は、人間を滅ぼすもの、人間を見下すものに突き立てられる銀の剣。

 心の中で輝いた。

 魂より抜き放たれ輝いた。

 誰の目にも映る形で輝いた。

 

 勇者の勇気は、絶大な悪と絶望の闇に突き立てられる剣となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放り込まれた煙幕とガスが、一気に広がっていく。

 

「な、なんだ!?」

「げほっ、げほっ、なんだこれ!?」

「な、涙が、うえっ」

「俺知ってる、これ催涙弾と煙幕ってやつ……ごほっ、め、目が!」

 

 催涙ガス筒S型。

 Sはスモークの略で、催涙ガスを吹き出す、日本の機動隊の装備として名が知られたものの一つだ。それが、素人の学生達をガスで飲み込む。

 むせ返る学生達の合間に、この程度のガスなど効かない勇者が飛び込んだ。

 

 郡千景の赤色は、ガスの中でも鮮烈に見える。

 竜胆の記憶に残って消えなくなりそうなほどに、凛とした勇者の姿であった。

 

 七人に分身した千景は密集していた人間達を、七人分の力であっという間に押しのけ、自分が通る道を作っていく。

 若葉や友奈の勇者の力であれば、力が強すぎて人々に怪我をさせていたかもしれない。

 杏の勇者の力では、手と力が足りていなかったかもしれない。

 だが、一般人を怪我させない程度に力強い体を七つ用意できる千景は、こういった暴徒を力づくで押し退けるのに向いている。

 

「竜胆君! 伊予島さん!」

 

 催涙ガスが竜胆と杏に届く前に、勇者の脚力で駆け抜けた千景二人が竜胆と杏を奪取し、千景一人が人間に化けたシビトゾイガーを殴って端末とブラックスパークレンスを取り返し、残り四人が人を突き飛ばし&殴り飛ばして道を作って、全員揃って逃走した。

 逃走の過程でやけに集団の子供達の顔を殴っている気がしたが、はてさて、意図的にやっているのかやっていないのか、謎である。

 完璧な連携による、完璧な救出。

 この"七つの体に七つの思考と一つの意思"という特性こそが、彼女の強み。

 

 竜胆達の救出を確認し、催涙ガスをぶち込んだ男達が動き始める。

 現役警官や元自衛隊に大社の人間を加えた、一般人が"警察"と呼ぶ、この時代のこの四国を守る治安維持組織の者達である。

 以前竜胆と二回顔を合わせていた(ばん)もいた。

 

「真っ直ぐ丸亀城に向かって帰れ。頼んだぞ」

 

「はい。ここはよろしくお願いします。竜胆君と伊予島さんは、私が」

 

「ああ、全員傷害で引っ張ってやる。直接の暴力行為にまで出るなら法の管轄だ」

 

 万は正樹から、全員捕まえろと言われていた。

 正樹はカンカンである(万主観)。

 大社の権力をガンガン使って、竜胆のリンチに参加した者を全員捕まえてやると言わんばかりの力の入れようであった。

 

 正樹曰く、全員捕まえて厳しく処断し、四国内の空気を引き締め、今起こってる混乱を抑える見せしめにしてやるのだとのことだ。

 だが、催涙ガスで無力化された百を超える参加者を次々捕まえていく内に、万は驚愕と困惑で表情を歪めていた。

 

(……!? 大半が未成年……?)

 

 中学生、高校生が大半。

 こういったデモや暴動に"いい歳したプロ市民"が中核になっているイメージを持っていた万は、一瞬対応に戸惑った。

 大人なら、全員厳しく処断してしまえばいい。

 だが『未成年』は、"少年法に守られた存在"は、マズい。

 

(そもそも刑事責任を問えないような年齢の子供が……こんなに……!?)

 

 今日の一件をそのまま報道に乗せたらどうなるか。

 子供達を暴挙に走らせたティガダークの恐怖と脅威、などと解釈されるか。

 未成年の短慮と暴挙、と解釈されるか。

 大規模な暴動になるレベルにティガは嫌われてるんだ、と"自分が多数派だという確信"を持つ者もいるかもしれない。

 こんなことをするなんてやっぱりティガをいつまでも嫌ってる奴は駄目だな、と嬉々としてティガが嫌いな人にマウントを取りに行く人もいるかもしれない。

 

(……暴動の見せしめにするとして、こんな子供を処罰?

 できるのか? 見せしめに? そうした場合、四国の人間の反発はどのくらい来る?)

 

 報道管制、処罰判決、情報操作。

 どれか一つミスしてもマズい。

 この加害者の子供の親が「うちの子は巻き込まれただけなのに理不尽に処罰されたんです!」などと涙ながらに民衆に訴え始めたら最悪だ。

 そこから「彼は普段は虫も殺さない子だったようです」なんて、加害者の子供の日常を取材したニュースでも流れればどうなるだろうか。

 

 事実がどうだったのか、ということに関わらず。

 加害者の子供は被害者で、厳しい処罰を決定した者達が全員悪と見られ、俗に言う"未成年への同情"が認識上の真実を歪める可能性がある。

 

 厳しい処罰がし辛い。

 正樹が狙っていた、厳しい処罰をして四国の空気を引き締めるということが難しい。

 最悪、ティガのへの集団暴行が曲解され、ティガが悪で集団の方が正しかったというデマまで広がれば最悪だ。

 ティガが悪、大社がその味方、という認識がされれば最悪だ。

 子供を厳しく処罰したことが、暴動や、ティガへの攻撃を加熱させかねない。

 かといって、やらかしたことがあまりにも大きすぎる。

 

 事実は一つだ。

 だが真実は、信じる人の数だけある。

 そして正義は、主張を掲げる人の数だけある。

 

 ティガが悪であり、ティガが悪いことをしたから集団がリンチしただけだ、という真実を誰かが信じたなら、それはその人にとっての真実になる。

 ティガを排除するのがその人にとっての正義なら、その人はその正義を掲げ続ける。

 事実は一つしか無いのに。

 真実や正義は、時に事実からかけ離れていく。

 

 万は―――()()()()()()()()()()()()()()()()()の存在を、想像した。

 

(黒幕でもいるのか……? 子供を煽ってぶつけた黒幕が……?

 未成年犯罪者の法的な扱いの難しさと、四国の窮地にある市民感情をよく知る奴が……

 ……いや。

 それだけできる頭脳を持ってる奴が、四国のことを分かってないはずがない。

 人類の仲間割れを誘発すれば滅びると分かってるはずだ。……考え過ぎか)

 

 人間にはそんなことをする理由がなく、四国全てと心中しようとするイカレキチガイでもなければ、そんな人間はありえない。

 人間にはそんなことをする合理がない。

 万は頭の中に浮かんだ嫌な想像を振り払った。

 

(正樹さんに報告しておこう。あの人ならまた別のことを考えるかもしれない)

 

 警察らしい手際の良さを横目に見ながら、万は余計なことを考えるのをやめ、暴徒と化し催涙ガスにむせこむ子供達を制圧していった。

 

 ここは四国。人類に残された最後の方舟。

 

 密閉された四国に詰め込まれ、日々バーテックスのせいで人が死んでいく、広大な死刑台。

 

 大衆の心の扱いを間違えれば、一気に全員を巻き込んで潰れる、地獄の一歩手前の大地だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千景は竜胆と杏を抱え、近くの建物屋上まで逃げ切った。

 追手の姿はない。

 勇者のこの機動を追える一般人がいるはずもない。

 千景は一旦休憩を入れ、すぐに丸亀城に向かうという過程を選択した。

 勇者になっている千景はともかく、普通の人間は雑に抱えられたまま運ばれ続けると、体のどこかを痛めかねない。

 

「伊予島さん、大丈夫?」

 

「だ、大丈夫、です……」

 

「竜胆君は……」

 

 千景は杏の体を気遣って、杏に端末を、竜胆にブラックスパークレンスを渡した。

 彼らの持ち物なのだから、それは当然のことだろう。

 竜胆はブラックスパークレンスをじっと見つめる。

 

これで終わりになんかしない。さあ、やるか

 

 建物の屋上から見える街。

 そこを行き交う人々。

 そして、少し離れた場所に見える、先程まで竜胆と杏を狙っていた集団。

 竜胆の思考と、脳/心の歪/闇は、溶け合うように一つになっていた。

 ブラックスパークレンスを握る力が増す。

 

 その手に、何もかも見透かしたような目をした千景が、小さな手を添えた。

 

 

 

「駄目よ」

 

 

 

 千景の手が添えられて、千景が大して手に力も入れていないのに、竜胆の手は動かず、ブラックスパークレンスは起動しない。

 ブラックスパークレンスは科学を超えた神器だ。

 竜胆の心に応じて起動する。

 それが動かないということは、千景の心が竜胆の心に優しく触れ、その心を押し留めているということを意味していた。

 

「……ちーちゃん」

 

「私を止めてくれたのは、竜胆君だったはず」

 

 そう、最初は竜胆だった。

 憎悪に駆られて殺人をしてしまいそうになった千景を、竜胆が止めたのだ。

 あの村で竜胆が千景を止め、そして今は千景が竜胆を止めている。

 

―――"それ"は、駄目だ。俺は"それ"で後悔した。

―――自分の意志でやるならともかく……『闇』に流されてちゃ、駄目だ

 

―――殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと

 

 あの日の言葉は、とても強い戒めとなって、千景を止めた。

 殺してはいけない。

 闇に突き動かされて、その大きな力をぶつけてはいけない。

 人殺しの実感がこもった竜胆の言葉は、あの日の千景を止めてくれたものだ。

 

 千景は竜胆の目を覗き込む。

 同じ目をしていた。あの日、千景のために誰も許せなかった竜胆と、同じ目をしていた。

 悲しそうで、辛そうで、何かを心底憎む竜胆の目。

 とても竜胆らしくない、優しさの欠片もない目だった。

 

「殺したら絶対に後悔するって……あなたが私を止めてくれた」

 

 竜胆があそこで変身して攻撃を開始しても、確実に過剰防衛扱いだっただろう。

 殺した数次第では、殺人罪の前科が増えていた。

 今こうして、危機を脱した後に変身して殺しに行けば、もうほとんど言い訳もきかない。

 今日まで頑張ってティガが回復した分の名誉は、消滅する。

 

 信頼というものは、築き上げていくことは難しいけれど、それが崩れてしまうことは怖いくらい簡単なものだからだ。

 

 だが、そういう話ではない。

 それも竜胆の未来を考えれば大事な話だが、千景がしているのは、そういう話ではない。

 "殺したら後悔する"という話だ。

 竜胆が幸福になるために、してはならない行為の話だ。

 

「私はあの時、殺さなくて良かったと思う。

 あの人達を殺しても、私は何も幸せになれなかった。

 殺していたら……きっと後悔して、ずっと引きずっていた。

 その後悔で、自分の過去に、決着がつけられなくなっていたと思う。

 殺さなかったから……今、私は……少しは、幸せを持ててるんだと思うから」

 

 千景は、何が竜胆を不幸にしたのか知っている。

 彼は周りに責められたからではなく。

 正義を失ったからではなく。

 法に罪人とされたからではなく。

 優しさが報われなかったからではなく。

 

 自分の手で人を殺したから、不幸になったのだ。

 

 だから千景は絶対に止める。

 竜胆が闇に突き動かされて人を殺しそうになれば、絶対に止める。

 殺した人間を全て夢に見るような少年に、人を殺させたりはしない。

 後悔からも、不幸からも、友達を守ると決めているから。

 

「私より優しいあなたが、私が思い留まれた過ちを、犯さないで」

 

「―――」

 

 竜胆に今、変身させないようにしていたのも。

 何故か暴動集団に対し、意味もなく顔面をぶん殴っていったのも。

 竜胆と杏を助けることを何よりも優先していたのも。

 千景の分かりやすい意思表示であり、決意の表れである。

 

 竜胆の心から溢れた黒い気持ちが、半分引っ込む。

 体の主導権を半ば握りつつあった心の闇と新脳が、抑え込まれていく。

 竜胆がブラックスパークレンスを持つ力が、すっと緩んだ。

 

「ちーちゃんが俺より優しくないなんて、冗談よせよ」

 

 あの村で、竜胆は千景にとってずっと光だった。

 今、この瞬間は違う。

 この瞬間は、千景こそが竜胆の光だった。

 

 人間は誰もが、自分自身の力で光になれるのだ。

 誰かにとっての光になれるのだ。

 少しずつ、少しずつ成長していく千景は、今や他人を照らせる人間になっていた。

 照らされるだけの人間のままではいられない。

 救われるだけの人間のままではいられない。

 郡千景は勇者である。

 

「りっくん先輩っ……!」

 

「うおっと、杏?」

 

 杏が泣きそうな顔で、竜胆に抱きついた。

 守れた、という実感が少年の体の内に湧いてくる。

 竜胆が心底安心した顔を見て、千景は"彼らしいなあ"と思うのだった。

 

 杏の体には目に見えるところに傷がない。

 竜胆は杏を守りきれたのだ、と言える。

 竜胆の想い出の中で、球子が笑ってくれた気がした。

 杏を守るのは、竜胆の意志であると同時に、球子に誓ったことでもある。

 

「よかった……よくないけど、よかった。無事でよかった……!」

 

「……心配かけて悪かった。

 あの状況で見てるだけなのは、辛かったろ。

 ごめんな……心までは守れなかった。

 でも、杏が無事で良かった。怪我とかないか?」

 

「ないけど……!」

 

 杏の瞳から涙がほろほろとこぼれ落ちる。

 

 竜胆はよしよしと、妹にそうしてやったように、杏の頭を撫でてやる。

 竜胆の心から溢れた黒い気持ちの残り半分が、引っ込んでくれた。

 

 四年前のあの日の惨劇は、二度と繰り返さないと誓った。

 だが、竜胆は自覚する。

 あの日の惨劇を繰り返しかねない気持ちが、心が、想いが……今も自分の中にあることを。

 もう首輪は無い。

 そして、竜胆は友のためなら変身を躊躇わない。

 

 自分の中に、いつ爆発するか分からない爆弾があるような気持ちを、竜胆は感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人ですぐさま丸亀城に戻り、城を警備している大社の人達を見やる。

 どうやら今四国が不安定なのは事実なようで、丸亀城周辺に何人か不審な人物が見えた。

 

「お疲れ様です。いつも警備、ありがとうございます」

 

 竜胆が丁寧に頭を下げ、感謝の言葉を述べると、警備をしていた大社の中年男が笑顔になる。

 物腰柔らかで、竜胆にも好意的なように見えた。

 丸亀城は竜胆の家のようなもの。

 そこを警備している者達は、竜胆がどういう人間かをちゃんと知っている。

 ゆえに、いつも竜胆のことを応援している。

 

「御守君、君にお客さんだ」

 

「お客さん?」

 

「ああ」

 

 警備の人に連れられ、竜胆が丸亀城敷地内の警備員小屋に足を運ぶ。

 千景と杏は、今日のことの報告をしに丸亀城の方へと向かった。

 そこで竜胆を待っていたのは、一組の母子。

 母親のそばにいた男の子の方には、竜胆も見覚えがあった。

 

「君は……避難指示が出てた時に、抜け出して、お礼をくれた子か」

 

「ティガー!」

 

「どうもすみません、突然お邪魔してしまって」

 

 オコリンボールが市街地に突入したあの大きな戦いの後、"僕らのウルトラマン"と言ってくれた小さな子供達の一人だった。

 隣の女性はおそらくこの子の母親だろう。

 子供は飛びつくように抱きついてきて、竜胆が柔軟に受け止める。

 

「どうかしたのかな? 俺に何か用?」

 

「手紙!」

 

「……手紙?」

 

「休み時間で、みんなで書いたんだよ! ティガにありがとうと、頑張って、って!」

 

「―――」

 

「ぼくの学校だと、みんなティガが大好きだよ! ぼくたちも、先生も!」

 

「……ありがとう」

 

「? ぼくらがありがとうって言いにきたんだよ?」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 母親に連れられてきたその子がくれたものは三つ。

 大きな袋に入れられた、たくさんの応援の手紙。

 応援する人がくれた、たくさんの想い。

 そして、ありがとうという言葉。

 その子がティガに向ける笑顔は、竜胆が守った笑顔だった。

 

 たくさんの応援の手紙を、竜胆は袋ごと抱きしめる。

 人間には、十人の内一人が応援してくれればポジティブになれる人も、十人の内一人に批判されると折れてしまうネガティブな人もいる。

 何を見るかは、人の自由だ。

 一人に褒められれば"皆に褒められている"気分になる人も、一人に非難されれば"皆に嫌われた"気分になる人もいる。

 人は、何を見てもいい。

 

 竜胆にも、何を見るか、選ぶ権利があった。

 善き人々を見て、『皆』を守ろうと思う権利。

 愚かな人々を見て、『皆』を守りたくないと思う権利。

 自分を応援してくれる人々を見て、心を奮い立たせる権利。

 自分を非難する人々を見て、守りたいという気持ちを萎えさせる権利。

 彼は、何を見ても良かった。

 

「竜胆」

 

「……え、若ちゃん?」

 

「撫でてやれ」

 

 最初から居たのか、途中から来たのか。

 そこにいた若葉の助言に従い、子供の頭を撫でてやる。

 子供は竜胆の優しい手付きに心地良さそうにして、竜胆に撫でられたことが誇らしいとばかりに胸を張っている。

 

「竜胆、お前を嫌いな者は多いな」

 

「……ん、まあ、そうだね」

 

「そんな中、お前を応援することを選んだ人達だ。

 "当たり前じゃないこと"を選んで、お前を選んだ人達の声だ」

 

 若葉の手が、ぽんとたくさんの手紙の入った袋を叩く。

 

「周りに流されたわけじゃない。

 他の誰でもない自分の意志でお前を応援したいと思った皆だ」

 

「……正直言うとさ、俺めっちゃ嬉しい」

 

「お前が嬉しいと、私も嬉しい」

 

「なんだよそれ、ははっ」

 

「いや、それだけじゃないな。

 お前が周りに認められているのを見るのが嬉しい」

 

「……若ちゃん」

 

 「あの」、と小声で、ちょこんと手を上げる母親らしき女性。

 他人のデートを邪魔して申し訳ない、みたいな表情をして、その女性は話に割り込んだ。

 

「あの、覚えていますか?」

 

「え……えーと、すみません、何がですか?」

 

「やっぱり覚えてませんか……私もこの子も、ビルから守ってもらったんです」

 

 そう言われて、竜胆は思い出した。

 レオが吐き出す火球。

 崩れるビル。

 ビルを止めて母子を守るティガ。

 『今度は守れた』と思ったことを、竜胆は思い出した。

 あれはもう、二ヶ月近く前のことだっただろうか。

 

「ああ、あの時の!」

 

「私はずっと忘れません。本当にありがとうございました」

 

 母親は、竜胆にぺこりと頭を下げる。

 

「うちの職場の人は皆、ティガを応援してます。

 体を張って守ってくれているあなたに、文句なんてありません。

 いつもどこかで、私達は感謝しています。

 あなたのことを何も分かってない人の声なんかに、負けないでください」

 

「……はい!」

 

 この母親は、ティガの擁護、ティガへの攻撃、その全てを分かった上で、竜胆を応援してくれているようだ。

 その言葉はどこか熱く、優しい暖かさに包まれていた。

 

 ただ、ここは丸亀城だ。

 正確には違うが、国防の軍事拠点に近いものである。

 部外者はあまり長居していられない。

 警備の人がやってきて、これ以上は話せないことを告げてきた。

 

「犬吠埼さん、御守君、そろそろ」

 

「……犬吠埼? 犬吠埼さんっていうんですか」

 

 竜胆がこの時初めて二人の名字を知り、母親はうっかり名を名乗ってなかったことに気付き、はっとする。

 

「あっ……す、すみません、名前も名乗らずに! 犬吠埼です、どうもすみません!」

 

「ああ、いいですよ、犬吠埼さん。改めて、御守竜胆。ティガやってます」

 

 竜胆は、拳を胸にこつんと当てて、頼りがいのある笑みを浮かべた。

 

「必ず、守ります。あなた達の平和を。何からでも……絶対に」

 

 母親も、息子も、笑って竜胆に頭を下げ、別れの言葉を口にする。

 何も疑っていなかった。

 母子はティガを、竜胆を、信じていた。

 人の心がウルトラマンに光を与え、ウルトラマンが人の心に光を与える、そんな関係。

 

「ありがとうございました、ウルトラマンティガさん」

 

「またねー!」

 

 犬吠埼親子を見送り、竜胆と若葉は、二人きりで敷地内を歩き始める。

 

「竜胆」

 

「何?」

 

「お前はもっと報われるべきだと思う」

 

「……ああ、今日の俺達の話、聞いたのか」

 

「守れなくてすまない」

 

「謝る必要なんてないって、しょうがないことだ。

 でもまあ確かに、若ちゃんがあそこにいたら、俺傷一つ付いてなかったかも。

 疑いもなくそう信じられるって、凄いことじゃないかと思うわけなんだよな」

 

「……」

 

「そういうこと考えると、俺はとても友人に恵まれてんじゃないかと思う」

 

 ティガを嫌い闇の巨人と見る子供もいれば、ティガを信じ光の巨人と見る子供もいる。

 大人だってそうだ。

 子供だから正しい、間違っている、光だ、悪だ、と語ることに意味はない。

 どんなものにも光と闇の側面はある。それだけだ。

 竜胆を傷付けたのも子供なら、竜胆の心に光をくれたのも子供だった。

 

「お前は何を選んでもいい。

 人間に失望したっていいし、人間に希望を持ってもいい。

 お前が何を選んでも、私はお前を信じている。お前の友で居続ける」

 

「若ちゃん……」

 

 "お前は何を選んでもいい"という優しさと、"お前自身が選ばなければならない"という厳しさの両方が詰まった、若葉らしい言葉だった。

 人間に希望を持つか。

 人間に失望するか。

 どちらでもいいと、若葉は言う。

 

 本音では、人を信じてほしいと、自分と一緒に同じものを目指して戦ってほしいと、そう思っているくせに。

 

「俺は人を守る。人を信じる」

 

「……竜胆」

 

「人から人を守って、バーテックスから人を守る。

 うん、それだ。それでいい。

 バーテックスだけからじゃなく、人からも人を守る。

 ……そうだ。警察官だったケンは、そう生きてたんだったな」

 

「人を嫌いにはならないか?」

 

「ああ、ならない」

 

 竜胆が、元警察のケン・シェパードから受け継いだものは、力だけではない。

 ケンの生き方は、ちゃんと竜胆に伝わっていた。

 

 人は殺さず。

 人を殺させず。

 悪いことをした人は、法に則って裁かせて。

 更生できるのであれば、悪に見える者にも反省と更生を促す。

 人でないものから人を守り、人からも人を守る。

 元警察官のケンは、そういう生き方を貫いていた。

 

 死してなお、あの頼りになる大人達は、竜胆を導いてくれている。

 

「よし、特訓するか」

 

「……だな。私達は、もっと強くならなければならない」

 

 竜胆と若葉の足が、道場に向かっていく。

 

 結局のところ、"正義の味方"というやつは、『人が愚かでいる権利』も守らないといけないのかもしれない。

 醜い人間を排除し、善良な人間を残し、善良を純粋培養しようとするような人間は、正義の味方とは認められないのかもしれない。

 それは正義の味方というよりは、管理社会(ディストピア)の管理者だ。

 

 何故、そういう人間が正義の味方としては認められ難く、醜悪な人間にも寛容な人間が正義の味方として認められ易いのか?

 なぜだろうか?

 それはおそらく、多くの人間は、自分がそんなに綺麗じゃないことを知っているからだ。

 本能的に、人間を選別して"いいもの"だけを残そうとする人間に、嫌悪感を覚えるということがある。

 ゆえに多くの創作物の場合、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、といった主張は―――正義の味方ではなく、悪が掲げる主張なのである。

 

 愚かで居てもいい権利を守ってくれる。

 間違っても生きていていい権利を守ってくれる。

 弱いままでいてもいい権利を守ってくれる。

 人の弱さや醜さを分かった上で、受け入れてくれる。

 だからこそ、大半の弱い人にとって、"寛容な正義の味方"は好ましいものなのだ。

 

 それゆえに、「正義の味方は嫌いじゃない」が、「裁いてほしいクズにも寛容な正義の味方は好きじゃない」という人種が発生することもある。

 「嫌いなやつの味方するやつは嫌い」という思考だ。

 そういう風に嫌われることもあるので、とにかく正義の味方は生き辛い。

 

 だが、どんな形であれ、力ある者が『寛容』『許し』を忘れれば、そこには地獄が出来る。

 

 法で罪を裁き贖罪に導くことと、気に入らない者を力で叩き潰し排除することは違う。

 

 『皆で善い人になっていこう』は良い。

 だが『悪い人はどんどん殺せ』は絶対に駄目だ。

 『望ましいものの推奨』は世界を良くするが、『望ましくないものの排除』を繰り返した先にあるのは、絶対的に地獄のような世界である。

 それは心に闇をもたらす、獣の理だ。

 

 そこに堕ちそうになっていた竜胆を、仲間が何度も引き止めてくれた。

 今日、決定的にそこに堕ちそうになっていた竜胆を、千景が踏み留まらせてくれた。

 

 ウルトラマンは、人が愚かでも弱くてもいい世界を守り、その成長を信じ。

 ウルトラマンの敵は、人の愚かさや弱さを利用し、邪悪な企みを成し。

 勇者は人間としてその勇気で、もたらされた闇を打ち砕く。

 

「若ちゃん」

 

「どうした?」

 

「俺は、ウルトラマンにはなれない。

 どこまでいっても闇の巨人だ。

 だけど、それでも。

 俺は……死んでいったウルトラマン達が果たせなかったことを、やり遂げると決めたんだ」

 

 闇の者は気に入らない人間を殺し、光の者は人々を導く輝きを魅せる。

 

 ずっと昔から、そうだった。

 

「タマちゃんを、滅びた種族の中の、無駄に抗って死んだ内の一人になんてしないと――」

 

 竜胆のその在り方は、闇ではなく光のもの。

 

「――決めたんだ、あの時に。この世界も、人々も、絶対に滅ぼさせたりはしない」

 

「ああ、戦おう。滅びてたまるか、滅ぼさせてたまるか」

 

 人間に対する愛もある。憎悪もある。

 竜胆の対人間感情は、まさしく光と闇が入り混じったそれ。

 人の美しさと醜さを知る竜胆が出した結論は変わらず、『守る』。

 

 カミーラの予想に反し、人間があれだけのことをしても、ティガは光の側に踏み留まったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 竜胆は一通りの鍛錬を終わらせて、文献とインターネットから現状の打開策を探そうとしていたが、そこで大地に呼び出されていた。

 大社が何も見つけられていない以上、竜胆がにわか知識で打開策を見つけられる可能性は低かったため、"邪魔された"感はない。

 

 とはいえ、夜中の呼び出しとはなんなのだろうか。

 そう思って大地の部屋に赴いた竜胆が見たのは、安っぽい酒を浴びるように飲んでいる、ヤンキーというか飲んだくれ状態の大地であった。

 当然ながら、三ノ輪大地は未成年である。

 

「なっ……何やってんですか! 人呼び出しておいて!」

 

「酒は良い。

 飲んでる間は色んなことを忘れられる。

 結局、何も忘れられんし、悩みは明日に丸投げじゃが」

 

「俺達の年齢忘れてません?」

 

「ワシが一つ、良い事を教えてやろう」

 

「?」

 

「今の司法立法行政は全部大社じゃ」

 

「おい! おいコラ!」

 

 真面目、誠実、違法に厳しい。

 竜胆は根底にそういうところがあり、ひなたはたびたび若葉と似た部分を指摘している。

 当然ながら大地の飲酒を認めるわけがない。

 未成年者飲酒禁止法で殴りに来た竜胆を、大地はのんべんだらりといなした。

 

「気にすんな後輩」

 

「気にするわ先輩ッ!」

 

「知ってるか?

 未成年でも酒を飲んじゃいけないのは日本の話じゃ。

 日本人の未成年がフランスなどで酒を飲むなら、16歳飲酒でも合法なのだぜ」

 

「えっ、そうな……ってここは日本だ! よく考えたら何の言い訳にもなってない!」

 

「日本国は既に滅び、今残るは、四国という国のみよ……外国と言えなくもない」

 

「詭弁弄してるとこ悪いですけど、法律そんな変わってねーですからね、四国」

 

 はぁ、と竜胆が溜め息を吐く。

 

「なんで酒飲んでる不良さんもウルトラマンに選ばれるんでしょうね」

 

「ウルトラマンに選ばれた理由なんて、ワシもお前も知りたいが知らん、そんなもんだろ」

 

「まったくもっておっしゃる通りです」

 

 ガイアの光は、何故こういう男を選んだのか。

 竜胆にはちょっと判定基準が分からなかった。

 真面目で責任感があるのが若葉なら、不真面目で責任感があるのが大地である。

 言い方を変えれば、人を守るしルールや法律も守るのが若葉なら、人や街は守るがその他のどうでもいいものは一切守らないのが大地なのである。

 

「それにしても……」

 

 竜胆は大地の部屋の中を見回す。

 やけに大きな冷蔵庫、勉強机、トレーニング器材……そして、壁に立てかけられた無数の日本刀と銃器の数々。

 部屋の装飾品の七割が、日本刀と銃器という、とんでもない部屋であった。

 

「凄い部屋ですね」

 

「ワシが一つ良い事を教えてやろう」

 

「……今度は何ですか?」

 

「日本刀と銃器はかっこいい」

 

「知ってますよ!」

 

 がっはっはっは、と大地は笑った。

 いつもながら、豪快に笑う人である。

 酒が入っていても、いなくても、いつも大地は陽気で豪快な人だった。

 

「ほれ、お前も飲め」

 

「は? 俺は今も大地先輩の飲酒を止める気満々ですけど?」

 

「かーっ、ちっちゃい男じゃな」

 

「人間形態でも巨人形態でもあんたよりデカいわ、誤差レベルだけど」

 

「そういうこと言っとるんじゃないわ、真面目ちゃんめ、がっはっは」

 

「不良ロードに後輩を巻き込まないでください……」

 

「デカいに越したことはない。男のハートも、女のバストもな、うはは」

 

「あーもう息が酒臭い!」

 

 酒を勧めてくる大地。

 めんどくせーな! と声を上げる竜胆。

 大地は無理矢理に酒は勧めないが、ひたすら朗らかに笑っていた。

 

「忘れろ忘れろ。

 辛いことはパッと忘れろ。

 今日だけはお前も不良だ。

 悪い子だ。

 良い子でいる必要はない。

 現実から逃げるのはいかんが、一晩の間何もかも忘れる権利は、男の誰にもある」

 

「辛いこと忘れろ、って……」

 

「くくっ、これ、ワシが近所のジジイに言われた受け売り。

 良い子でいる必要はない、って言われて、すっごく救われた気になってなぁ……」

 

「……」

 

「ワシの生き方や喋り方は、大体近所の柔術のジジイと、不良の先輩由来じゃ。

 お前くらい変に真面目だと、テキトーに生きられんから生き苦しいこともあるじゃろ」

 

 真面目な人間は自殺しやすい。

 不真面目な人間は自殺しにくい。

 シンプルに竜胆と大地の性格の違いを言い表すなら、そういうことだ。

 

「一日くらい悪い子になってもええんじゃないかと、ワシは思うな」

 

「悪い子になったら何があるんです?」

 

「なーんもない。

 背負う者も、するべき役目も、正しくある責任も、笑って生きる義務もな。

 つまり楽、楽オブ楽ってわけだ。さあ、さあ、アルコールに浸るがいい」

 

 悪い不良が、良い子認定をされた真面目君を悪い道に誘う。

 真面目君は、きっぱり断った。

 

「じゃあ、いいです」

 

「む」

 

「悪い子にはなりません。そういうのいいです。好きでやってるんですよ、俺は」

 

 大地が手に持っている酒を断固突っぱね、竜胆は大地が最初に出してくれたジュースをグビッと飲む。

 

「まあお前のジュースには既にたっぷり酒が混ぜてあるわけだが」

 

「ぶふぉっ」

 

「結構飲んだなあ。いやあ、これでお前も悪い子ってわけじゃ」

 

「あ、あんたは……!」

 

「へっへっへ、毎日毎日良い子で居る御守も、ちょっとは肩の力抜いたらどうじゃ」

 

 仲間に対して脇が甘いなあ、と大地は微笑ましくなった。

 何してくれんだこの人、と竜胆は頭が痛くなる。

 心底呆れたと言わんばかりの表情を、竜胆は浮かべた。

 

「まったく、先輩はもう」

 

 世界が崩壊しても法を絶対に遵守させようとしている竜胆と、世界の崩壊に相応に自由に生きている大地と、この世界"らしい"十代の少年は、はたしてどちらの少年なのか。

 

 ただ、大地が竜胆に酒を飲ませようとした理由が、竜胆と杏に対する集団暴行のあの一件であることは間違いない。

 この一晩くらいは忘れちまえ、と言っているわけだ、この不良は。

 酒を入れて、大地は色んな話を始めた。

 

「御守お前好きな子とかいる?」

 

「いきなり恋バナですか」

 

「そーじゃそーじゃ。ワシはいるぞ。丸亀城にはいないが」

 

「え、そうなんですか!?」

 

「聞いてるのはワシなわけなんだが、好きな女の子いるん?」

 

「そういうのは特にいないですねえ。恋愛感情抜きというなら、たくさん」

 

「ふーむ。じゃあ好きな女の子のタイプは?」

 

「えー……じゃあ農業やってる人で」

 

「適当なこと言ってればワシを誤魔化せると思ったら大間違いだぞ」

 

「む、即バレ。

 まあなんというか、俺の婆ちゃんが農業やってたらしいので。

 あながち適当なこと言ってるってわけでもないんですけどねー……」

 

「ほほう……ん? いやそれは女性の好みじゃねえだろ」

 

「ぶっちゃけると笑顔が素敵な女性なら誰でも好きですよ」

 

「男版ビッチみたいな発言を……!」

 

「ん……? ああ、言い方間違えました。

 女性の好みは、笑顔が素敵な女性です、って言い変えさせてください」

 

「おお、竜胆っぽい言い回しになった……というか酔っとるなお前」

 

「そうでもないです」

 

 大地と話していると楽しい。

 良い子でいなくていいと言ってくれる。

 肩の力を抜いて話せる。

 一晩くらい何もかも考えなくていいだろ、と心に休息をくれる。

 そうして話していると、竜胆は気付いた。

 

(俺、この人のこと、男友達だと思ってるのかな)

 

 三ノ輪大地が、丸亀城で唯一の、男友達であることに。

 

「がっはっはっは、正直に言え! ひなたの胸とかつい見てしまうことあるだろ?」

 

「そりゃまあ、無いとは言いませんが」

 

「女の前じゃ言えんことでも、酒入った男同士! 心を暴露するのに何の憂いもない!」

 

「そりゃーそうですけどー」

 

「それと比べ千景や友奈の胸の小さなこと。

 触ってみて柔らかければサイズの不利は補えると言えるんじゃが」

 

「ぶっ殺すぞ」

 

「うおっ、言葉の切れ味」

 

 最後に男友達が出来たのはいつだったっけ、と、竜胆は思った。

 

 友達を自由に作る権利など、竜胆にはずっと許されていなかったから。

 

「ワシのコレクションの中ではの模造虎徹が一番美しい日本刀なんじゃ」

 

「おお……波紋が綺麗ですけど、俺が殴ったら折れそうですね」

 

「お前が殴って折れない日本刀なんてねえよ」

 

「俺が見た中で一番美しいのは若ちゃんの生太刀ですね。あれとっても綺麗です」

 

「あれはいいな。ワシから見てもかっこいい。お前が殴っても折れなそうだ」

 

「強度だけじゃなくて切れ味も凄いですよ。

 俺の首もかぼちゃの皮もスパスパ切れてましたし」

 

「その二つ並べてるお前頭おかしいわ」

 

 信頼できる男友達。

 それは、肩を並べて共に戦っていく仲間としては、最高の人種であるものの一つである。

 

「勇者の精霊ってエロ漫画とか、アニメみたいなもんだとワシ思う」

 

「……ん? え?」

 

「エロ漫画を読んでる奴は性犯罪をする。

 アニメ見てる人は犯罪者予備軍。

 声高にそう言ってる人がたくさん居たなあ、と思い出してな。

 つまりエロ漫画やアニメには人間の心に穢れを溜める効果があるんじゃろ」

 

「それそういうもんじゃないと俺思うなー!

 そういう意図で言われてたことじゃないと思うなー!」

 

 いつしか、集団暴行によって闇に寄っていた竜胆の精神状態は、かなりフラットに近い状態にまで戻っていた。

 

 翌朝、酒瓶に囲まれてグースカ寝ている竜胆と大地を、来訪した正樹圭吾が蹴り起こした。

 

「あぐっ」

「おふっ」

 

「最悪な不良共が……せめてお前らは法律を守れ……」

 

「あっ、おはようございます。酒の件は申し開きのしようもないです、すみません」

 

「飲酒の一回や二回でぐだぐだ言わないでくれい、先輩。

 どうせ正樹先輩の結婚祝いの席に便乗してワシも飲むんじゃ、多分」

 

 ピクッ、と、正樹圭吾の肩が動いた。

 

「え? 大地先輩、なんですかそれ」

 

「昨日ワシは聞いたんじゃ。正樹先輩が……結婚秒読みであることを!」

 

「チッ、どこから漏れた? 鷲尾さんか、楠さんか……」

 

「結婚!? おめでとうございます! 相手はどんな人なんですか!?」

 

「……まあ、隠すようなものでもないか。

 大社の同僚の三好という人の娘が相手だ。

 婿入りする形になるため、来月から私の名前は三好圭吾になる」

 

 三ノ輪がからからと笑って、三好になる男が眉間を揉んだ。

 

「半分は政略結婚のようなものだ。

 これで私の権力基盤は更に強くなる。

 多少の要望なら私を通せば通るだろうな」

 

「正樹さんと三好という人が繋がる、みたいな感じでしょうか……?」

 

「その認識で間違いはない」

 

 大社もまた、その上層で様々な思惑が動いているようだ。

 

 大侵攻が終わり、一通りの後始末が終わった頃には、正樹は三好になっている。

 

「こっちは戦いのことしか考えないから、後頼むぞ、正樹先輩。いや、三好先輩」

 

「ああ。後を頼まれた」

 

 三ノ輪が三好に後を任せる。

 竜胆と三ノ輪は、目の前の戦いに集中する。

 最後の戦いを前にして、男達三人は、それぞれの戦場で全力を費やす約束を交わしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七月某日。

 来たるその日に、皆が備える。

 敵も味方も、その日が来るのを一日千秋の思いで待っていた。

 

 天の神も。

 地の神も。

 バーテックスも。

 勇者も。

 ウルトラマンも。

 カミーラも。

 その日が決戦であると知らされた、四国の力なき人々も。

 

 その日を恐怖、期待、緊張、希望、絶望、様々な想いで待ち続ける。

 

 そして、神に予知された決戦のその日がやって来た。

 

 神が見守る世界に、異様な空気が張り詰める。

 樹海化がカットされ、メタフィールドの強化効果が残された結界の中で、四国市民の避難誘導が完了する。

 大社が見守る中、勇者と巨人達が丸亀城を出立した。

 四国の周りを囲む壁に皆が辿り着き、壁の上――四国結界の境界線――に立ち、結界の外を揃って見据える。

 

 出雲より出立した大侵攻の大軍勢が、四国北方の海の向こうの、陸地に見えた。

 バーテックス達が海を越えて来る。

 サジタリウス・スノーゴンが海をことごとく凍らせてしまったことで、四国北部の海は全て氷の大地と化している。

 その上を堂々と進んで来るバーテックスは、心胆寒からしめる恐ろしさを持っていた。

 

 可能であれば、結界外で敵を止める。

 それが不可能であると判断された時点で、結界内での戦闘に移行する。

 これが、街に犠牲を出したくない竜胆の意見と、結界内で少しでも勝率を高めたい正樹圭吾の意見の折衝案だった。

 

 迫る敵。

 迫る死の予感。

 空も、大地も、海も、バーテックスに遮られて何も見えなくなっていく。

 

 戦いが、始まる。

 

 

 

 

 

 敵を睨み、変身を終えた千景が、鎌を握って深呼吸した。

 ここから千景は少し大きな賭けに出る。

 入念な準備はしてきた。

 それでも不安になる。

 小さな不安も命取りになると分かっているのに、不安を拭い去ることができない。

 

 心臓が破裂しそうなくらい脈打っている。

 緊張で心が穏やかにならない。

 頭の中を、不安がぐるぐると回っている。

 千景は、ちょっとだけヘタれた。

 

「高嶋さん、竜胆君、お願いがあるの」

 

「いいぞ」

「どうしたの、ぐんちゃん?」

 

「竜胆君は話の中身聞く前に即答するのはどうかと思う……」

 

「こんな戦いの直前だ、ちーちゃんの不安が消えるなら何でも言うこと聞いてやるよ」

 

「……ん」

 

 こほん、と千景は咳払い一つ。そして頼み事を口にした。

 

「私の手を、二人に握っていてほしいの」

 

「手を? どうして?」

 

「お願い。私の心は……その時が、一番強いと思うから」

 

「ああ、分かった。いいぞ」

 

 千景の右手を竜胆が、千景の左手を友奈が握った。

 握った手から伝わる体温が、千景の心に強さをくれる。

 近くに友達がいてくれれば、千景は何だってできそうな気がした。

 

(大丈夫、私はやれる、私はできる)

 

 心の中で、自分に言い聞かせるように、自分を信じる言葉を繰り返す。

 

(私はそれが、とても苦手だけれど―――自分を、信じよう)

 

 そうして千景は、()()()()()()をその身に宿した。

 

「ぐっ……うっ……!」

 

 二体目の精霊は、千景の体に宿りきらない。

 凡人の肉体の中には収まりきらない、あまりにも大きなスケールの精霊であるがために、千景の体にも完全に入りきってはいなかった。

 そのスケールは、酒呑童子や大天狗のそれに匹敵している。

 

 精霊が負荷をかけるのは、肉体と精神。

 その両方が負荷に耐えきれなければ、精霊を完全に宿すことは叶わない。

 体が痛む。

 心が痛む。

 体の各所に異常な圧力がかかり、心が急速に不安定になっていく。

 

「ぐんちゃん!」

 

 友奈がその名を呼んだ。

 心が少し、安定を取り戻す。

 だが足りない。

 

「ちーちゃん!」

 

 竜胆がその名を呼んだ。

 心が少し、安定を取り戻す。

 だが足りない。

 

 精霊の侵食で、加速度的に心の安定と形質を失っていく千景。

 千景が千景でなくなっていく。

 恐るべき精霊が、千景の体と心を乗っ取っていく。

 それを見ていた竜胆が、千景の心そのものに呼びかけるように、叫んだ。

 

「―――千景っ!!」

 

 呼び捨ての名呼び。

 

(そう、だ)

 

 それが、小さくない心の震えと、千景の自意識を呼び覚ます。

 

(私は千景、郡千景。勇者、郡千景。

 親がその名前をくれたことに感謝はないけど。

 ……仲間がその名前を呼んでくれることは……嫌いじゃない。ずっと、そうだった)

 

 千景は『自分』を確立し、制御を離れつつあった精霊の手綱を握る。

 精霊よりも確固たる自分。

 精霊の干渉を跳ね除ける程の強い心。

 精霊に耐えられる肉体。

 それこそが強力な精霊の行使に必要なものである。

 千景は心も体も、友奈や若葉ほど強くなく、ゆえにこそ危険性が高かった。

 

 だからこそ、言える。

 千景が"この精霊"を宿すことに成功したことは、もはや奇跡であり、偉業であると。

 

 

 

 

 

「恕すれ―――『玉藻前』!」

 

 

 

 

 

 日本三大妖怪、というものがある。

 20世紀に生まれた概念であり、一つは鬼・河童・天狗であるとされ、一つは酒呑童子・玉藻前・大獄丸であるとされる。

 前者は日本では知らない者がいないほどに有名な妖怪三種であり、後者は日本の中世京都において最も恐れられた妖怪三種であるとされる。

 

 ただし、現代の日本においては、日本三大妖怪と言えば酒呑童子・玉藻前・崇徳天皇(大天狗)である、とされることが度々ある。

 一言で言えば、これはデマだ。

 21世紀になってから、Wikipediaの玉藻前や酒呑童子のページに『日本三大悪妖怪』としてこの三つがセットであると記載した者がいた。

 そして、Wikipediaを参考にした商業書籍などが、この三つを日本三大悪妖怪であると書いて出版してしまった。

 そのため、日本三大悪妖怪などというものがあるという誤解が、急速に広まってしまった……という解釈が、現代では最有力である。

 削除されたWikipediaの該当部分以外にソースが無い、と言えばよく分かるだろう。

 

 だが、神樹にとって"明確なソース"など必要ない。

 全ては神樹に蓄積された概念記録……それが全てだ。

 人類史にそういう概念が存在した、それが全てだ。

 ゆえにこそ、この日本三大悪妖怪の概念は強く世界に発現する。

 

 三つの三大妖怪にまたがる概念、『酒呑童子』。

 二つの三大妖怪にまたがる概念であり、日本三大怨霊も内包する、『大天狗』。

 そして……大天狗と同じく、二つの概念に跨がる大妖怪、『玉藻前』。

 

 その『玉藻前』こそが、千景がその身に宿した新たなる精霊だった。

 

 玉藻前は、天の神の子孫とも言われる天皇家、鳥羽上皇の寵愛を受けた寵姫である。

 されどその正体は、いくつもの国を滅亡に導いた九尾の妖狐である、と語られた。

 人の心を操り、玉藻前を愛するよう魅了の呪いをかけ。

 毒の呪いを司り、周囲の者を死に至らしめるとされた。

 九尾の妖狐であることが判明した玉藻前は朝廷の討伐軍と交戦し、「生きたい」という気持ち一つでこれを撃退するものの、後に軍によって討ち取られたという。

 

 寵愛を得る呪術を操っていたとも語られた大妖怪。

 ゆえに、「愛されたい」化生である。

 呪いに関する伝承を多く持つ大妖怪。

 ゆえに、「他者を呪う」化生である。

 死にたくないがために、足掻きに足掻いた。

 ゆえに、「死を恐れる」化生である。

 

 だからこそ―――()()()()()()()()()()()()

 

 愛されたいという強烈な想いを持ち、嫉妬や不幸から他人を呪う気性を持ち、死を恐れる気持ちが勇者の中で一番強い千景と、玉藻前は強くシンクロする精霊なのだ。

 

 そして、もう一つ。

 日本に玉藻前として来る前、玉藻前は中国において、幽王の后・『褒姒』という傾国の美女であったとされる。

 

 褒姒は笑わない美女であったとされる。

 まるで、千景のように。

 幽王は、彼女を笑わせるためになんでもしたそうだ。

 まるで、出会った頃の友奈や竜胆のように。

 幽王は褒姒の笑顔を見て、その笑顔の虜になった、と言われている。

 まるで、かけがえのない友人となった、友奈や竜胆のように。

 

 そして褒姒の笑顔のために何でもして、加減を知らなくなった幽王の愚かさによって、国は滅びた。

 褒姒は日本に渡り、その後紆余曲折を経て玉藻前と名乗るようになった、と言われている。

 

 だからこそ本当に、千景との親和性が高いのだ。高すぎるほどに。

 

 酒呑童子が"最強の精霊"、大天狗が"天に仇なす精霊"であるならば、これは"愛憎の精霊"。

 愛を呪術で求め、憎しみのままに呪術で多くを呪った、九尾の妖狐。

 そして、この精霊は。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 愛憎戦士カミーラが居ない世界線においては、絶対に千景の手には渡らない。

 カミーラの愛憎が千景の人生に最悪の試練を課し、千景が相応の成長を遂げてそれを乗り越えた後でなければ、千景はこの精霊を制御できない。

 

 カミーラの愛憎、玉藻前の愛憎、そして千景の胸の奥にある愛憎。

 

―――この人のためなら、死んでもいいって、そう思えるのが……『愛』なんじゃないかな

 

 幾多の愛憎の中を生きている千景の脳裏に蘇るのは、アナスタシアが死の直前に残した言葉。

 とても小さな女の子の、とても純な愛。

 彼女が語った愛の形は、千景の心に小さくない影響を与えていた。

 

「私は」

 

 『七人御先』から。

 『九尾の狐』へと。

 彼女の宿す力の形が、変わっていく。

 

「私は、死にたくなかった。でも……

 私のために死んでくれそうな人が、私の近くにいてくれた」

 

 千景の服が、赤色の十二単(じゅうにひとえ)に変わる。

 千景の綺麗な黒髪がさらりと流れて服装に映え、純和風の日本美人を作り上げる。

 ちょこん、と、千景の頭に"狐の耳"が生えた。

 十二単の服の下から、生える尻尾は狐の九尾。

 

「それが『愛』なら―――私のこれも、きっと『愛』」

 

 カミーラの歪んだ愛は、絶望を生む環境を作り上げた。

 歪んだ愛は、竜胆をとことん追い込み、今も彼を闇に堕とそうとしている。

 計算外がなければ、全てはカミーラの計画通りに行っていたはずだった。

 歪んだ愛が、勝利していたはずだった。

 なればこそ、この『計算外』はカミーラの計画の全てを打ち砕く。

 

 歪んだ闇の愛は、真っ直ぐな光の愛には敵わない。

 

 不幸を与える女の闇の祝福は、幸福を願う女の光の呪願に打ち砕かれる。

 

 

 

 

 

 精霊・玉藻前の能力は、『呪力操作』。

 雑魚は瞬時に呪って殺す。

 強者も呪いでじわりと殺す。

 そして―――神の祟りにさえも、その力は届き得る。

 

 九尾の狐は、中国においては天界の神獣。

 その身には神通力が宿っている。

 天の神の絶大な力に真っ向から対抗できるほどのものではないが、強い力と強い意思にて祟りに抵抗している者ならば、その祟りから一時的に解放することは可能であった。

 

 現在の大侵攻の軍勢の中で、天の神の支配に明確に逆らう意思を持つ者は二体のみ。

 

 コダラー、シラリー。この二体である。

 

 その二体が、神の祟りより解放された。

 

「……なんてことだ」

 

 解放されたコダラーとシラリーは、大侵攻の軍勢に雷撃とレーザーを一発かまし、四国と人間達を守るように、四国結界を背にしてバーテックスに相対する。

 これ以上無いほどに明確な、竜胆達の味方に付いたという意思表示。

 

「味方が、増えた……!」

 

 変身したティガとガイアが、コダラーとシラリーと並び立つ。

 コダラーはティガを見て頷き、シラリーはガイアを見て頷いた。

 共に戦おう、と言わんばかりに。

 

『勝ち目、出てきたんじゃないですか、大地先輩』

 

『がっはっは、まだまだ劣勢! だが、希望は見えてきたな』

 

 ティガダーク。

 ウルトラマンガイア。

 コダラー。

 シラリー。

 星と人々を守る二人と二体。

 

 そして勇者達も彼らと並び立ち、四つの巨体と四人の勇者が勢揃いする。

 

『―――行くぞ、皆っ!!』

 

 これが現状の最大戦力。人の最後の方舟を守る、最終最後の防衛戦力。

 

 大侵攻を打ち砕くため、この星を守るため、皆で共にこの星の上で生きるため―――地球を守らんとする八の戦士が、その手に強く拳を握った。

 

 

 




 玉藻前。時拳時花世界線では引かなかった精霊ですね

【原典とか混じえた解説】

●玉藻前
 日本三大悪妖怪……という、ネット上の作られた定義において、酒呑童子と崇徳院(大天狗)に並び称される存在。
 日本三大妖怪という古い定義、日本三大悪妖怪という最新の定義、どちらにおいても名が挙がる最新にして最古の存在。
 その逸話にはとても呪いに関するものが多い、九尾の狐の大妖である。
 発現する能力は呪力干渉。
 神獣・九尾の狐と同一視されるがために、神通力としての側面も持つ。

 以下、乃木若葉が勇者であるの著者朱白あおい氏と原案タカヒロ氏特別対談より引用

「そうですね、もし千景が勇者として最終決戦まで生きていたなら、
 玉藻前を宿していたんじゃないかな、と思います。
 性格的にもピッタリ適合するでしょうし。
 僕自身としても、いつかその千景の勇姿を見てみたいですね」

 待ってても来ない、一年経ったぞ、しゃあねえ書くか! ができるのが二次創作のいいところ

●余談
 日本三大悪妖怪のページが出来たのが2009年8月1日で、日本三大妖怪のページが出来たのが2009年7月25日ってくらいなんですよね、Wikipedia。
 Wikipediaの玉藻前や酒呑童子のページに『日本三大悪妖怪』が記載されたのが2005年で、それより以前の書籍で『日本三大悪妖怪』の記載は発見されず、当時の研究によれば実在の書籍で『日本三大悪妖怪』と記載されたものは、最古でも2008年のものだったとか。
 当時の人達はよく研究して検証したなあ、って感嘆してしまいます。

 現代における"人間という集団"が生み出した幻想にして最新のファンタジー、って感じがして自分は好きです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。