夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した 作:ルシエド
光となる力は再び求められている
けれどあなたは一人ではない
人間達が力を合わせなくては次の時代へ進むことはできない
私達の種族が、絶えてしまったように
【ウルトラマンティガ20話 ユザレ】
ふざけないで、やめて―――天の神は、何度もそう叫んだ。
ティガが燃え尽き、もう二度と転生することができないほどに念入りに魂まで焼滅して、アマテラスは去っていった。
それから数分後、全てが灰になった領域から、永遠に咲き続ける桜が現れる。
桜と分離した牛の鬼が、その場で膝をついた。
牛の鬼は桜の木を周辺の空間ごと飲み込み、不可視の領域にその身を変化させ、アマテラスから守りきったのである。
それでも、守れたのは木一本。
本当に守りたかったものは守れなかった。
先程までティガが居たはずの場所に足を運び、牛の鬼は地面に触れる。
そこにはもう何も残っていなかった。
"二度と転生すらしないように"徹底的に焼き尽くされたティガ・ゲンティアは、灰の分子一つ残さず消滅していた。
そこには何もない。
彼が生きていた痕跡は何も残っていない。
何も、何も、何も。その神には、ただ、悲しみだけが残っているように感じられた。
牛の鬼の姿をした神、その名は『スサノオ』。
後の時代に
日本神話における破壊神。
仏教における釈迦の伝説の森の木を守る守護神。
天に
スサノオは桜の木に触れ、永遠の桜を己の内なる世界に格納する。
もう二度と、ティガ・ゲンティアが愛したものが奪われないように。
ティガが大切に思っていたものの最後の一つが、この世界から失われないように。
スサノオは人を愛するものの象徴を樹とし、地に足を着け歩き出す。
人を焼く天には成るまいと誓って。
人を愛し許せる地に成ろうと誓って。
人から遠く離れた天の炎ではなく、地に足を着け人に寄り添う樹に成るのだと誓う。
遠い未来に、スサノオはその心を認めた地の神の王に『生太刀』という神刀を委ね、地の神の王はその神刀を『光の勇者』であると認めた少女に託したという。
スサノオは強く、雄々しく振る舞った。
かつてのティガダークのように荒々しく在れるように。
かつてのウルトラマンティガのように正しく強く在れるように。
ティガが優しく善良なだけの人間だったと、後の神が勘違いしてしまわないように。
ティガが残酷で邪悪なだけの人間だったと、後の神が勘違いしてしまわないように。
破壊神であり守護神でもあるスサノオが、新興の神にウルトラマンティガを語る時、誰もが正しくティガ・ゲンティアのことを理解していった。
天神の意向によりティガ・ゲンティアの神話は西暦の人間の誰からも忘れられ、けれどスサノオがそう望んだ通りに、スサノオの神話に取り込まれ、誰もがティガを忘れることはなくなった。
黒き暴君。
少女を怪物から救う者。
天の岩戸の向こうに天照大神を逃げ込ませた強者。
それは、神の倫理における慈悲。
人の倫理とは違う神の倫理における友情。
神話の永遠の中に、スサノオの物語の中に、ティガは宝物のようにひっそりと飾られている。
彼は今でも待っている。
運命が覆されることを。神話のなぞりが終わることを。未来が過去を超えることを。
地に満ちる人間の心が、天の神の炎すらも越え、いつか光り輝く未来を掴むことを。
神樹の内に秘められた奥の奥の世界、神樹の最奥に咲き続ける永遠の桜の下で、スサノオは今もずっと待っている。
カリ、カリ、と擦れる音がしている。
男が一人、煙を吹いて動かなくなった機械の横で、紙にペンで計算式を書き綴っていた。
その計算式を、後ろからユザレが覗き込む。
男は大して気にしていない様子でペンを動かすのを止めた。
「ヌーク、最近ずっと何か研究しているみたいだけど何してるの?
ほとんどの技術が失われて蘇らせる見込みもないのに、意味ないと思うけど」
「そうでもない」
男の名はヌーク。
娘のテラと共に地球外に脱出することで人類を存続させようとした者であり、使おうとしていた宇宙船をティガに破壊されたことで地上に残された男である。
ユザレとは全ての戦いが終わってから初めて知り合った仲だったが、ユザレが生き残りの総指揮を執っているのもあり、多少の交流を持っていた。
彼は機械神学に精通しており、機械と神の力の融合に精通していた。
地母神ギジェラのエキスとサイボーグ手術による不老不死の実現は、彼の研究で最も有名なものであり、何事もなければ人類に不老不死をもたらした偉人になっていただろうと言われている。
しかし、それも昔の話。
機械のほとんどが滅びた現在、彼ができることはあまりない。
紙にペンを走らせているのも、パソコンによる計算ができなくなったからだろう。
なのに、ヌークは熱心に紙にペンを走らせている。
まるで、自分が最後に果たすべき責任がそれであると言わんばかりに。
「記録は無理だろう。
研究を後の時代に残る媒体も残っていない。
しかしだね、ユザレ。
後の時代に何かを伝える方法はいくらでもある。
たとえば地の神に技術を覚えていてもらい、後の時代に渡してもらうなどができる」
「……なるほど」
「最後にこれだけは効率化した基幹技術を残しておきたい。
神の力と機械の制御は最も優れたる組み合わせだ。
ギジェラという神から不老不死を実現する方法は見つけた。
ならばそれの変形があればいい。
どんな神の力でも、機械的に制御する……
それまで一般人だった者でも、戦えるくらいに強化する……
ユザレのように、精霊を装備することを前提に……
完成には程遠いだろう。
あくまで基幹技術を残すに過ぎん。
しかし、だ。
人類が人類であるならば。
進歩する心を持ち続けたならば。
未来には独自の技術ができるだろう。
それがこの技術を取り込んでくれればいい。
小さな端末で大きな神の力を総べ、いつか世界すらも救ってくれるはずだ」
ユザレは少し、曖昧な表情を浮かべる。
ヌークは、未来に凄惨な戦いが起こるであろうことを、揺るぎなく信じていた。
「それは……必要なものなのかな」
「いつか必要になるさ。
機械と神の力を合わせたものが必要になる時が。
勇者の役目はまだまだ終わるまいよ。
我ら人間は、倒さねばならない海の邪神を倒してはいないのだから」
「……」
「最後の最後まで死なない勇者が必要なのだ、きっとな」
"終わった"と思っている者が居る。
"終わっていない"と思っている者が居る。
人は皆、人それぞれの考えの元、未来に対する備えを行っていた。
ティガやユザレ、地球星警備団の皆が寿命を迎えた頃。
天の神の心が悲痛な声を上げ、天の神は再び地に降りた。
そこはシノクニ。ティガとカミーラが出会った地。
アマテラスは光神であり、光を信じていた。
神の光と人の光を知る神だった。
されどティガを信じ、ティガに裏切られ、心のどこかが折れていた。
神は神の倫理で生きている。
神の人を愛する義務、人の神に愛される人で居続ける義務、人と神の誓約を裏切られたことは人が想像している以上の傷をアマテラスの心に残していた。
アマテラスはもう地上に降りる気はなかった。
人に干渉するにしても、何らかの使徒を通して干渉するつもりだった。
つもりだった、のに。
激情に駆られ、アマテラスは我を忘れて地上に降りた。
「ほらもっとしっかり働けー」
「今日の飯やらないぞ」
「お前達は機械から生まれた賤民なんだ、奉仕することで生きることを許されている」
「人の肚から生まれていないお前達は、人間じゃない。忘れるなよ」
「人間様の役に立って初めてお前達は生きられるんだ」
アマテラスが降りたそこには、奴隷が居た。
大いに見覚えのある、けれど少しだけ見覚えのない顔の、似た顔の奴隷達が居た。
世界は崩壊し、人々はかつての生活を失った。
旧時代の生活を続けることはできない。
まともな人間達は、歯を食いしばって原始人のような原初の文明からの再スタートをした。
しかし、そうでない人間もいた。
僅かに残った資源を食い潰しつつ、原始時代への回帰に僅かでも抵抗し、かつてのような楽な生活を続けたいと願う人間もいた。
人は一度利便性を覚えれば、原始への回帰を拒絶する。それは普通のことだから。
人類史は、その過程で必然的に奴隷制を生み出す。
奴隷制が廃止されたのは社会的に廃止が合理的かつ人道的であったからであり、奴隷制が生まれたのもまた合理的であったからであり、時代によっては人道的目的から奴隷制が生まれたという奇妙なこともあった。
奴隷とは、常に合理によって存在の可否が決定される。
何もかもが壊れたこの時代で、旧世代の人間達が昔の生活を少しでも取り戻そうとするならば、奴隷という手段は悪くないものであった。
奴隷に食料を作らせる。
奴隷に食事を作らせる。
奴隷に衣服を作らせる。
奴隷に住居を作らせる。
奴隷に崩壊した地の資源回収、瓦礫の撤去、開拓を命じる。
奴隷に危険な動物、大型動物、変異した動物の狩猟を命じる。
その他諸々。
奴隷を最高効率で使いこなせば、原始時代に回帰した生活の中で苦労せずとも、少しばかりは"これまで通り"の生活を送ることができる。
しかし問題があった。
奴隷の質、量、そして根幹的問題である。
奴隷のレベルが低ければ、奴隷を使う人間の生活レベルは上がらない。
奴隷の量が足りなければ、何もかも手が回らない。
そして根幹的問題として、誰もが奴隷などやりたがらない。
初期段階であればある程度教育などでどうにかできるかもしれないが、どこからか人を定期的にさらって教育的な洗脳を施しても、人はいつか反乱する。
奴隷は、いつか必ず主に逆らうのだ。
特殊な手段が必要だった。
生活の礎とするための、質が高く安定した量を確保でき、従順で反乱を起こす可能性も低い、そして
皆が気持ちよく使える人間が。
古代ローマのそれよりも遥かに高効率の奴隷が。
皆の幸せのために、必要だった。
ごく普通の生活を、ささやかな幸せを彼らが得るために、必要だった。
そして、彼らはかの機械を発見し。
『ティガの遺伝子から無数の奴隷を作成』した。
反対者は、居なかった。
ティガの遺伝子から作られた人間は、赤ん坊同然の頭に機械から不動の忠誠心を植え付けられ、生み出した者に忠実な奴隷となる。
ティガは誰よりも有能だった。
作られた奴隷もまた、そうである。
元々が自分の幸せより他人の幸せを優先する男だ。
作られた奴隷にもそういった気質は受け継がれている。
男女どちらの個体も作れる。
大量生産も問題ない。
質が高く決して裏切らない奴隷を、機械が動く限り作り続けることは難しくなかった。
世界中の全てから憎まれていたティガ・ゲンティアは、死してなお許されることはない。
遺伝子の悪性が駆逐されていない、普通の人間ばかりのこの地であればなおさらに。
しかも、素材は地球史全体で見ても最悪の虐殺者の遺伝子である。
償っても償いきれない罪人から生み出されたものである。
罪悪感は限りなく薄かった。
ティガへの怒りが冷めやらぬ者は、ティガの名を呼びながら奴隷を殴った。
性的な欲求が満たされていない者は、ティガの遺伝子から作られた女性個体が何を要求されても拒まないことに気付き、"そう"することを始めた。
ティガという英雄が褒められるたびに劣等感を覚えていた小市民は、ティガという雲上人の複製を自由に使えることに愉悦を覚え、何体も過労で死ぬまで使い潰した。
ティガに似た顔を見るだけで恐怖で身が竦む者は、シノクニの方針についていけず、遠く離れた地に引っ越していった。
無論同じ人間として見て、ティガの複製個体に優しく接する者も居たが、ティガへの怒りや憎しみに支配される者、奴隷で生活を維持したい者が主流である今、それに何の意味も無かった。
全てが悪でもなく、全てが善でもなかったが、遺恨と困窮は善悪の割合を偏らせる。
人類史において、罪人の子孫は差別されてきた。
三千万年後も、三千万年前もそうだった。
遺伝子の悪性は、罪人の血族への差別を人類にごく自然に行わさせる。
罪人には罰を。罪人の血族にも罰を。罪人の家族の開き直りは許さない。
罪人の家族は身の程を知り、頭を下げ、遺族に謝り、責める周りに反論してはならず、贖罪を求められたら応えなければならない、でなければ反省の色が無い……そう、人間は考えるもの。
だから、
過去、現在、未来、どの時代の奴隷と比べても、これ以上に人道的な奴隷は存在しないのだと……そう、解釈されていた。
だが、神はそれを許さない。
アマテラスが降りた地上には、奴隷が居た。
大いに見覚えのある、けれど少しだけ見覚えのない顔の、似た顔の奴隷達が居た。
アマテラスがかつて愛した人間の
『ふざけるな』
"壊れた切れ端"を意味する、スプリンターという言葉がある。
元は木の切れ端を意味する言葉であったが、西暦の軍事用語においては戦闘で発生する金属片を指す言葉として使われている。
目標にぶつかった銃弾の破片や、仲間を守るために砕け散った装甲の破片、それらをスプリンターと呼ぶのである。
戦いの後には、スプリンターが残る。
それが闘争の理だ。
今、この時代のこの地上には、神の目を盗んで量産された、ティガのスプリンターたる奴隷が無数に存在していた。
ティガを憎み、償わせたいと願い、永遠に許さない人々の意思表明だった。
ティガという存在が安らかに眠ることを認めない人々の選択があった。
生まれた時から幸せになれない存在として生み出され、幸せになれないまま一生を過ごし、幸せを知らないまま一生を終える、ティガ・スプリンター達の群れ。
それを見て、アマテラスはもう、止まれなかった。
もうアマテラスを慈悲で導くティガ・ゲンティアは、どこにもいない。
残骸だけが在り、それがずっと貪られている。
『ふざけるな 人間』
炎が、降った。
全てを灼き尽くす炎が降った。
シノクニに由来する遺伝子は、この日、一つ残らず焼滅した。
元よりアマテラスは善良なる者達こそを愛し、守りたいと思ってきた神だ。
シノクニの人間にいい顔をしたことはなく、ティガに愛されるカミーラに対してもしばらくいい感情は持っていなかった。
シノクニの人間達は自覚がなかったが、シノクニの人々の価値と可能性を信じていたのがティガであり、アマテラスはそれを尊重していたに過ぎない。
ティガが死んだ後、アマテラスが彼らを生かしておく理由は一つもなく、邪神を呼ぶなどという蛮行まで行ってしまった彼らは、すぐ地上から消されていてもおかしくなかった。
なのに、彼らは今日まで誰も神に消されていなかった。
なぜならアマテラスには、神らしくない執着がまだ僅かに残されていたからだ。
シノクニの人間の可能性を信じた
無意識の内に、アマテラスは人類の汚点と呼ばれたものの浄化を避けていたのである。
ティガが、人間は誰もが光になれると言っていた時の表情が、アマテラスは好きだったから。
無意識の内に、それらを消すことを避けていた。
そんな過去の自分を、アマテラスは後悔し、嫌い、激しく自省する。
アマテラスの中には、何もかもが憎くて憎くてたまらなくなってしまったティガがくれたもの、そのほんの一部が残されていて、アマテラスはそれを無自覚なまま大切にしていた。
それを今日この日、捨てたのだ。
何度も何度も繰り返し、運命はアマテラスに教え込む。
人は、光になどなれないのだと。
ティガの言葉の全ては、間違っていたのだと。
『私の 私の光は
太陽よりも優しい彼の光は
私が未来を託し 私を裏切った あの人は
ティガは お前達を 人間を 欠陥のある人間でも
愛があったから 彼は 正しく 間違えて
違う こんなのは こんなものは
ティガが信じたものは 彼が諦めるしかなかったものは
こんな こんな こんな こんなものが こんな未来は―――』
炎は加速度的に勢いを増し、シノクニの善良な人間も邪悪なる人間もまとめて燃やし、思い上がった人間を全て灰に変え、灰さえ残さぬほどに加熱していく。
一つの大きな島が、文字通りの死の国に変わっていく。
"旧時代の普通の人間が生きていた最後の土地"から、人間が消えていく。
"許さない神"―――あるいは、"許せない神"としての神の側面が、天照大神の中に育ち、確かな神性の一面として確立していく。
神の倫理における正しさを突き詰めれば突き詰めるほど、アマテラスは人間の倫理からかけ離れたものになっていき、純粋な神の光になっていく。
慈悲を失えば失うほど、神としては正しくても、人間から見たアマテラスという神性は、邪神のそれと同じく見えるようになっていく。
燃え尽きた四国から全ての人間が消え……ては、いなかった。
奴隷以外の人間は全て燃え尽きた。
シノクニの人間が盾にした奴隷、アマテラスが来た時点で衰弱しきっていた奴隷を始めとして、ほとんどの奴隷も燃え尽きていた。
なのにまだ、少しばかり生き残りがいる。
ふと手控えてしまったアマテラスの炎が届かなかった奴隷の子供達が居た。
誰も彼もが、大なり小なりティガに似ている。
これは、あまり望ましいことではなかった。
ティガに似た顔の子供達を見て、アマテラスの胸の奥に湧き上がる最も大きな気持ちは、人には理解できない永遠の憎悪だ。
空に太陽が輝く限り、永遠に消えることのない憎悪だ。
ティガの
あの最強が子孫からまた生まれる可能性など最悪だ。
闇に堕ちた子孫がまた現れれば世界が今度こそ終わりかねない。
ティガの子孫は根絶すべきだ。
世に残っていてはいけない。
醜い人間も、光の神々も、ティガの子孫が後世に残って幸せになっていくことを許していないという点では、意見が合致していた。
アマテラスの手に、また炎が宿る。
光の勇者が消え、黒き神が消え、邪神も消えた今、アマテラスの一撃を防げる者はいない。
放てば消せる。
撃てば殺せる。
それだけのことで後顧の憂いは消えてくれる。
アマテラスは何故か何も考えないようにしている自分の頭を無理矢理に動かし、炎を圧縮し、目標の子供達を見て、そして。
子供達は"自分を救ってくれた優しい神様"を、純粋な感謝と尊敬の目で見て、神様に向けてありったけの『ありがとう』と『だいすき』がこもった言葉を、口にした。
「ありがとう、かみさま!」
『 ――― 』
そうして。
アマテラスは、ティガの遺伝子を引き継いだ子供達を、殺せなかった。
他の神々が気付かぬ内に彼らは生まれ、アマテラスに見逃されて生き延び、世界のどこかで命を繋いでいき―――三千万年後の、子孫に繋がる。
『ああ』
人に対して徹底して無慈悲な神のままで居られたら、どんなによかったか。
人を決して認めない神のままで居られたら、どんなによかったか。
人を受け入れられる神のままで居られたら、どんなによかったか。
何も許せないなら前に進めない。
何も忘れられないなら前に進めない。
何もやり直せないなら、何も蘇らせられないなら、後戻りして大切だったあの人達にもう一度出会うこともできない。
どうすればいいのか。
どこへ行けばいいのか。
何を選べばいいのか。
アマテラスには分からない。
『ティガ あの日のままの 私で居られたら よかったのに 私は』
慈悲と残酷の合間を、太陽神は常に揺れている。
誰よりも残酷な人類の敵でありながら、誰よりも光り輝く人間を、待っている。
三千万年近くの間、『人間』が生まれることはなかった。
猿ばかりが跋扈し、『人』が生まれる気配はずっと無い。
アマテラスはぼんやりと、そんな世界を見守り続けていた。
ティガの子孫がいることは分かっていた。
あの機械によるものか、結婚したのかは分からないが、ユザレの子孫がいることも。
奇跡的に残っていた壊れかけのコールドスリープ装置などで、次世代の知的生命体が超古代文明の技術水準に追いつき、旧世代の人類を復活させられる時代になるまで個体を残そうと話していたのも見ていた。
普通に地に足つけて未来まで種を残そう、と言っている人間も見えていた。
ぼんやりとアマテラスはそれを見守り、長い長い時間が流れていく。
『まだ』
自然から生まれた神の多くは、邪神の汚染とティガの破壊によって自然を失い、自分を生み出した自然の消失によって消滅を迎え、世界を循環するエネルギーに還っていった。
また、人の想念や概念に根付き、そこから生まれた神々もまた、人類が1億分の1以下まで減少したことで存在を保てなくなり、世界を循環するエネルギーに還っていった。
神が還ったエネルギーで星はある程度活力を取り戻したが、それでも傷は深く、星が元の生命力を取り戻すまでにはまだ相当な時間がかかるだろう。
猿にすら神として崇められる太陽の化身たるアマテラスの存在は、揺らぎもしない。
『まだ』
そんな中、神の一部の存在を支えるものがあった。
ティガが各地を回って再生させた自然や、彼が撒いた種が芽吹いた緑地である。
文明の滅亡を迎えた後の世界で、自然に根付く神々のことを考えてくれていた人間は、ティガ・ゲンティア以外誰もいなかった。
ティガが撒いた種が芽吹く。
ティガが整えた自然環境から、衰退した自然が蘇る。
ティガが生き残った神一柱一柱に、微力ながら信仰を捧げる。
ティガがしていたことを無垢な子供達が真似して、自然を整え、神を崇める。
そこから力を得ていった神の一部は、それでなんとか消滅を免れていた。
アマテラスは、全て燃やしてやりたかった。
見るだけでティガを思い出す。
ティガに感謝してしまいたくなる。
許せないのに、許してしまいたくなる。
全て燃やしてしまいたかった。
けれど、今の神々はティガが生み出したそれに救われている。
アマテラスはそれを燃やしたくても燃やすわけにはいかなかった。
天体に神性の基盤を持つ天の神々にそこまでの影響はなかったが、地に満ちる自然に神性の基盤を持つ神々の多くは、ティガに感謝した。
同情もあり、ティガを許す地の神々も多かったという。
『まだ』
邪神に滅ぼされた神がいて、ティガに滅ぼされた神がいて、その後の虚無の三千万年に呑み込まれて滅びた神がいた。
しかしそれ以外にも、どうにもならない神はいた。
ギジェラなどを初めとする、狂った神、壊れた神、侵された神である。
元の形を保てず、かといって消滅することができない荒御魂と化した彼らを、アマテラスは一つ一つ丁寧に砕き、その身に取り込むことで穏便に消化していった。
アマテラスほどの神ともなれば、取り込んだ神の汚染をそのまま取り込むことはない。
神の力を細かく最小単位まで分解し、太陽神としての特性で全てを光に変換し、己に取り込み消化することで力の循環に還元していく。
そうしてアマテラスは力を高め、神としての純度を高め、誰も敵わない最高神として……いつか来るであろう邪神の決戦に備える。
邪神は封印されただけ。
決戦は先送りになっただけ。
次の戦いにはもうウルトラマンも居ない。
アマテラスがやるしかないのだ。たとえ、最後の一人になっても。
『まだ』
もうティガは居ない。
そう思うだけで神の手は震える。
ティガは一人で世界を滅ぼした。
そう思うだけで憎悪が手の震えを止める。
ティガは一人で世界を救った。
そう思うだけで神は勇気が湧いてくる。
たった一人でもやり遂げて見せると、少女の神は決意する。
何度も、何度も。
たった一柱でも邪神を倒し、世界を救う。それが己の責務であると思うから。
そして壊れた神々を吸収し、天体からの力を受け、自らの格を上げていく。
忘れたいことがあった。
忘れられないことがあった。
神は何も忘れられない。
忘れられないまま、変わっていく。
天照大神という神格が、現代では名も残っていない他の神格を取り込むたび、かつてアマテラスであった部分の純度は下がっていき、神としての純度は上がっていった。
『まだ』
善良なる者達の生き残りが増えるかもしれない。
新しくもっと善良な人間が生まれてくるかもしれない。
予想を超えてもっと素敵な知的生命体が生まれてくるかもしれない。
そう思って、アマテラスは待つ。
待ち続ける。
神の時間感覚で待ち続ける。
ティガを殺して、一年待った。
十年待った。
狂おしいほどに百年待った。
何も期待に応えてもらえないまま千年が経った。
神の心が不安になる頃、一万年が経った。
全ての命が相争う原始的な世界にしかならないまま、十万年が経った。
"まだなのかな"と弱音を吐いてしまい、弱音を吐いてしまった自分に嫌悪してもなお、百万年は経っていなかった。
一千万が年経ってもなお、猿しか地上を跋扈しない。
二千万年が経った頃、類人猿のヒトとゴリラが分かれ、ほんの少しの希望が湧いた。
三千万年が経った頃、現在のヒトの祖先であるホモ・サピエンスが隆盛した。
少しずつ、少しずつ、気の遠くなるような長い年月の中で、本当に少しずつ、アマテラスは希望を手にしていく。
そして。
出来上がった人類は。
アマテラスの目に映る人類は。
どちらかと言えば、
人間であれば、百年を超えたところで絶対に壊れるだけの年月、神は待った。待ってしまった。待ててしまうから神なのだ。
『天照 諦めろ 諦めるべきだ そうでなければ 君は―――』
三千万年という途方も無い時間に飲まれて消えていく神々がいた。
彼らはこぞってアマテラスに忠告した。
しかし、聞かない。
アマテラスがそんな言葉に耳を貸すことは一度もなかった。
神は忘れない。
世代交代すれば忘れる人間とは違う。
闇に飲まれれば忘れる人間とは違う。
幸せになるため忘れる人間とは違う。
アマテラスは忘れない。
何もかもを忘れない。
『まだ』
何も来ない。
相応のものが現れない。
価値のあるものが登場しない。
世界の輝きが最上を超えてくれない。
ただただ、価値の低い世界と、価値の低い人間が、アマテラスの前に現れ続ける。
三千万年前"よりも"と言えるものが、何も生まれてくれないまま、時間だけが流れ、悪性を孕んだままの人間が、環境や他の生物を食い物にして伸長していく。
それは当然だ。
三千万年前の人間達も、かつては皆シノクニの人間と同じだったのだから。
その中から遺伝子的に善良なものを集めたにすぎない。
アマテラスが誕生した頃には古代文明は既に悪性や反社会性の卒業に入っており、次の世代に移りつつあったが、そこに至るまでにかかった時間は相当に長かったと言える。
自然発生の人間がシノクニの人間に近くなるのは当然のことだ。
だからアマテラスも気長に待った。
愛した人間達が戻ってくるのを千年、万年、千万年と待った。
新人類の文明が成熟していくのも待った。
だが、新世代の人間は三千万年前と比べて見ると、やはり見劣って見えてしまう。
愚かさを払拭できず、醜悪もまだ色濃く残る。
カミーラやティガを追い詰めたものがそのままあるように見える。
科学の発展に従い、徐々に文明単位での傲慢と自信を得ていっている。
海の底に在るものが目覚めればすぐに終わることにも気付いていない。
神への畏敬を忘れ、神と人の間にあった信頼を忘れ、神の実在そのものを忘れていく。
"光になれなくてもいいじゃないか"という妥協の進化の文明。
"人間は誰もが光になれる"とティガが声を張り上げていた、人が真に次の世代に移るあの時代の文明をなぞる気配がまるでない。
『人間は少しずつでも改善し良いものになっていこう』という思考は当然のものにならず。
『人間はそういうものなんだからいいじゃないか』という人類の自己弁護のような自己肯定が蔓延していく。
それは人にとっては許しの言葉。
しかし神には、悪性をそのまま持ち続けようとする開き直りにしか聞こえなかった。
アマテラスの脳裏に、「自分さえよければ他人が不幸になってもいい」という思考から動いて全てを終わらせた、あの時代の邪神カルトの姿がチラついてくる。
アマテラスの思考は、徐々に許容の限界に近付いていった。
まだ、生まれてこない。
あの日大好きだった人と同じ人が、生まれてこない。
あの日心の底から信じられたティガのような人が生まれてこない。
誰も彼もがティガ・ゲンティアのようになれる気がしない。
違う。
何もかもが違う。
文明も、善悪の天秤も、生まれてくる人間の傾向も、何もかもが違う。
ユザレのような一片の曇りもない光になれる人間が、全く生まれてこない。
光と闇が混ざった半端な人間しか生まれてこなくて、誰もが強い闇にも強い光にもなれないままぼんやりと時代が進んでいく。
『まだ』
思い上がり傲慢に神を忘れた進歩をしていく人類を見て、天の神群から少しずつ、現行人類を滅ぼすべきではないかという意見が出始めた。
賛同する神が居た。
反対する神が居た。
アマテラスは、無言を貫く。
全て消し去ってしまえば、何度も何度も新しい人類の誕生と発展を迎えれば、いつかは同じ文明が誕生するかもしれない。
いつかはあの時代のような人類が来るかもしれない。
似たような誰かでも、会えるかもしれないなら、そうしたいという気持ちがあった。
大いなる赦しを受け入れないティガを許し、ティガに一片の救いを与えるため、二度と転生できないほどに魂を焼滅させたアマテラスには、もう転生したティガに会う道筋すらなかったから。
それはもはや、人間には理解不能な規模と規格の思考だった。
人間であれば狂っていて、神であれば至極まっとうな思考だった。
その思考は、インド神話体系において神々が生み出した世界観であり、誕生・発展・破滅を繰り返す世界観、"大いなるユガ"のそれに近い。
数万年だろうと数億年だろうと
とても、とても、神らしい思考だった。
神が人類に対する許容値を超えたその時、バーテックスは人類を滅ぼしにかかるだろう。
『まだ』
何もかもが、相応ではなかった。
アマテラスの脳裏で、数多くの思考が混ざっていく。
まだ終わっていない。
まだ始まっていない。
まだ報われていない。
まだ出会えていない。
まだ見合っていない。
『まだ』
いい未来が来ると信じていた。
来てくれなければ困ると、アマテラスは切実に願っていた。
あんなにも沢山のものが失われた。
あんなにも価値あるものが奪われた。
あんなにも辛かった。
あんなにも悲しかった。
だから、それが見合うだけの素晴らしい未来があるはずだと思っていた。
神ですら、そう信じたかった。そう信じなければ、三千万年もの間、希望を持ち続けて世界を守り続けることなど、できなかった。
全てが終わった後の地球という墓標を見守る墓守りなど、誰がしたいと思うものか。
『まだ』
犠牲に見合った未来が来るはずだ。
悲劇に見合った未来が来るはずだ。
ティガの犠牲に見合った未来が来るはずだ。
そう信じて見守る世界は、いつまで経っても悪性を乗り越えることがなく、いつまで経ってもカミーラと似たような地獄をどこかで再生産していく。
ティガが犠牲になった甲斐があった世界が来るはずだ。
カミーラの絶望が無価値ではなかったことを証明する世界ができるはずだ。
ユザレの献身が繋がる希望の世界が現れるはずだ。
ヒュドラが、ダーラムが、アマテラスを愛してくれた神々が、アマテラスが愛した人間達が、希望をもって信じた輝ける世界が来るはずだ。
そう信じるアマテラスの見守る世界が、環境破壊で自然を壊し、人に恩恵を与える神を忘れ、人がこんなにも多く居るのに、神々がまた消え始める。
『まだ』
アマテラスの『希望』は消え去らない。あるはずだ。この先に。これまでの犠牲に見合うだけの結末が。あの過去に見合うだけの未来が。納得できる結末があるはずだ。
ティガの最期に納得できる未来が来るはずだと。
カミーラの最期に納得できる未来が来るはずだと。
ユザレの最期に納得できる未来が来るはずだと。
ヒュドラの最期に納得できる未来が来るはずだと。
ダーラムの最期に納得できる未来が来るはずだと。
信じて、信じて、信じ続ける。
ティガが人を信じることを教えてくれたから、人を信じて、人の成長を待って。
そして、ティガとアマテラスが笑い合った夏空と同じ空の下、笑ういじめっ子と、泣きながら自殺するいじめられっ子を見た。
何も変わらず、人の世界は繰り返す。
戦争すらなくならない世界に、アマテラスの失望は日々絶えずに積み上がっていく。
『まだ』
自覚のないその想いに従い、ずっと未来に向き合い続けている。
神の責任感とは、何億年をも続く、神の生き方に嵌る枷だ。
こんな未来は、報いにならない。
こんな世界は、納得できない。
アマテラスはもう耐えられなかった。
人間の醜さに。
思い上がりに。
傲慢に。
この結末に。
この未来に。
この世界に。
アマテラスが待ち続けた果てに、"ティガが夢見た悲しみなどない世界"を、この人類が実現することはないと、分かってしまった。
『もう もう 私は 私は』
―――かくして、終わる。
それは人間が持つ、暖かな絆への親しみではない。
神のみが持つ、絆という神への信仰だった。
神が信仰する神、その名は絆。
神は絆を信仰した。
人が人として生きていこうとする意思の源泉、神に頼らずとも人と人が助け合って生きていこうとする心の証、他者の存在を前提とするがゆえに人の増長と傲慢を防ぐもの。
神の言葉を聞く人間の時代を終わらせ、絆を結んだ大切な人の言葉を聞く時代を始める、新時代の人間の証明と言えるもの。
それが絆。
誰よりも強くいと高き嵩天は、自分を導いてくれるたった一人の少年が闇に堕ちたあの日から、『自分だけの太陽』を―――ずっと、見失っていた。
三千万年もの間、カミーラはずっとずっと海の底で、一人だった。
一人ぼっちで、怨念と憎悪を膨らませ続けた。
誰も居ない。
光もない。
光の届かない海の底で、ずっと一人。
粉微塵に砕かれた状態で、物質的な肉体の全てを失ってなお死を拒絶し、ティガのことだけを想い続けた。
「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」
憎い。
憎い。
憎い。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
ティガだけを想い、思いを積み重ねること三千万年。
その恋も愛も、憎悪も怨念も、増すことはあっても減ることはなかった。
長い長い時間が流れ、カーミラという個人は擦り切れていく。
忘れていったことがあった。
決して忘れないことがあった。
薄れた恋があった。
消えない愛があった。
色んなことがどうでもよくなって。
絶対に譲れないものが心と想いの中にあった。
それこそが、愛憎戦士カミーラという存在の骨格となった。
「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」
存在を保つため、周囲の全てを喰らっていく。
邪神の闇を。
ダーラムを。
ヒュドラを。
怪獣の肉を。
何もかもを喰らっていき、闇を膨らませていく。
肉体さえ失った状態で、カミーラという闇は膨張し、脳すら欠損した状態でなお、ティガとの思い出を忘れないよう、必死に魂に刻み続ける。
カミーラが死んで忘れてしまえば、その時本当に、ティガとカミーラの愛は消えて無くなってしまう―――そんな初志の想いすら忘れながら、カミーラは生にしがみつく。
「ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ、ティガ……」
それは、カミーラと言えるものなのか。
カミーラの残骸と言うべきものなのか。
ティガ・ゲンティアが愛したものを何一つ持たない彼女を、そう呼んでいいのか。
カミーラ・チィグリス自身にすら、もう分からなくなっていた。
「ティガ。あなたが憎い。
憎い、憎い、憎い。
でも、憎いのと同じくらい……あなたのことを愛してる」
根底まで狂いきった女を、邪神は次の『司祭』として認めた。
封印の中で、闇が踊る。
いあ、いあ、いあ、と音が鳴る。
声にも聞こえるそれが、いあ、いあ、いあ、と響く。
闇の中、カミーラは邪神の巫女として選ばれた。
地の神が最たる巫女として選んだ、上里ひなたのように。
そして、邪神の代行者として大きな力を与えられた。
地の神が勇者として選んだ、乃木若葉達のように。
海の神は、天の神が選んだ人間に力を与えて『勇者』としたのを模倣し、巫女にして勇者である存在として、カミーラの残骸をカミーラに成形したのである。
後の時代に生まれる、ハイブリッド―――『救世主』と呼ばれる者達の、対存在として。
「ふふふ」
そして、人が邪神を呼び込んだように、邪神もまた獣を呼び込んだ。
魔王獣の祖、『マガタノオロチ』は"クトゥルフの呼び声"により、地球に飛来する。
そして邪神の封印に衝突し、その内部で邪神と魔王は溶け合った。
その影響は、救世主の対存在たる闇の勇者にして闇の巫女、カミーラにも波及する。
「私は海の神の巫女。
邪神に選ばれた勇者の対存在。
闇の神の勇者、その名は魔王の名を冠する獣―――『魔王獣』」
この地上で最強だったのは、間違いなくティガダークだ。
相性問題で絶対有利であったはずの邪神さえ、魔王たるマガタノオロチとの融合前の状態では、ティガダークに勝てる確証はなかった。
そんなティガダークを、力によるものでないとはいえ、唯一倒した……あるいは、唯一止められたのが、ユザレ・ナイトリーブである。
誰もが、その輝きの強さを認めていたと言っていい。
精霊にカテゴライズされる神魔を身に纏う少女は強く、儚く、されど眩しく、オーバーラッピングを次の技能段階に進めたものの強さがあった。
当然ながら、勇者達の対存在として成形されたマガカミーラもまた、それを身に纏うことを望まれていた。
かくして、紆余曲折を経て『星辰の魔王獣』は誕生したのだ。
『神魔の勇者』の対存在、『星辰の魔王獣』。
天神に選ばれし勇者の対として用意され、地神に選ばれし勇者の敵となる者。
魔王を倒して世界を救うのであれば、勇者以外にはありえない。
勇者を倒して世界を壊すのであれば、魔王以外にはありえない。
それは神話的運命。
存在的宿命の帰結。
神の使徒たる彼らは皆、運命の道筋、神話のなぞりに縛られている。
それを覆すことは、神自身にすら困難なことだった。
ティガの結界は強力だから恐ろしいのではなく、緻密だから恐ろしい。
西暦に突入して2000年以上が経ってなお、そこに綻びは表れなかった。
しかし、ティガはカミーラが生存していることを知らなかった。
生存と言えるほどまともでない形で、邪神がカミーラを使徒として復活させ、マガカミーラとして使うことを想定していなかった。
邪神を閉じ込める結界を、カミーラは這い出るように抜け出していく。
邪神が望んだ通りの役割をカミーラはそうして果たし、『邪神が憎かった気持ちすら程よく忘れ』、邪神復活に向けて動き始める。
ティガの結界は強固だが、21世紀のピラミッドの隠蔽機能にはもう揺らぎが生じており、ティガと同族のウルトラマンだったカミーラであれば、『ピラミッドの力を引き出せるところで竜胆を追い詰める』ということは難しくもなかった。
自分の愛のためだけに動いているカミーラは、自覚なく邪神復活のために動き、邪神のためだけにかつての愛を利用され続ける。
その生は既に操り人形。
邪神の糸で吊られたマリオネットだ。
そして、天より見下ろす天の神の視線と、海から見上げるカミーラの視線が合った。
『今のカミーラ』を見て、天の神の筆頭たる天照大神が、何故泣きそうな顔をしていたのか……カミーラにはもう、分からなかった。
天の神が居た。
地の神が居た。
天の神は人を滅ぼすことを決めた。
地の神は人を守ることを決めた。
神と神は対立する。
そんな中、海にも神が居た。
西暦の人間には、いつからいたのかも分からない。
西暦の人間には、何故そこに居たのかも分からない。
もしかしたら、対応次第ではいつまでも目覚めなかったかもしれない。
それは海の底に眠る邪神。
邪悪にして神なる者。
海の底にて眠っていた闇の権化。
名状しがたきその邪神こそが、ルルイエに眠る闇の支配者である。
心弱き者が見れば一瞬で正気を失いかねないほどに、おぞましい邪神が、海底で蠢く。
心強き者でも、存在を知覚するだけで徐々に絶望するおぞましき邪神が、海底で眠る。
『それ』を見た天の神は、その影響を受けはしなかった。
だが、『それ』を見たことが、天の神の戦略という歯車に僅かな変化をもたらした。
ティガが復活するその時代に、天の神とカミーラが再会してはならなかったのに。
互いが互いに"思い出したくないこと"を思い出させ合うことが、盤面を狂わせていく。
神が邪神を見ても心が狂うことはない。
だが神が邪神を見て得たものはあった。
邪の神が天の神に与えた影響があった。
この世界は、狂っていく。
あるいは、三千万年前から狂っていたのかもしれない。
結ばれた約束があった。
信じられた約束があった。
疑われることすらなかった約束があった。
破られた約束があった。
守られなかった約束があった。
裏切りたくなかった気持ちを裏切らせてしまった、約束の残骸があった。
"いつだって君を助けに行く"という約束を信じて、待って、待って、待って……いつまでも来てくれないティガに『失望』した時、カミーラの心に大きな罅が入った。
ティガが約束を破ったから、カミーラの心は狂い始めたのではない。
ティガに失望した自分に絶望し、カミーラの心は狂い始めたのだ。
絶望の仕打ちを繰り返し受けさせられる中、心の支えに罅が入ったことで、カミーラは何もかもが耐えられなくなってしまった。
カミーラは、ずっとティガを信じていたかった。
ずっとティガを大好きでいたかった。
ずっとティガを傷付けない自分でいたかった。
ティガに約束を破られたと思い、一瞬でもティガに失望し、ティガを信じられなくなってしまった果てに、何気ない言葉でティガを傷付けてしまったことで、カミーラのどこかが折れた。
折れてしまった。
約束があった。
ずっとそれを信じていたかった。
すっとそれを守ってほしかった。
約束を守ってくれたティガに「ありがとう」と言いたかった。
けれど、そうはならなかったから、今のカミーラがある。
歪んだ人間の悪行によって、人の綺麗な想いは簡単に壊されてしまうこともある。
約束が破られたことで、連鎖的に砕けてしまう想いもある。
よく見えない夢をカミーラは見ていた、ような気がした。
覚えていない覚えている記憶を思い出すように忘れている、ような気がした。
大切なことを思い出しながら大切じゃない記憶にしている、ような気がした。
気がした。気がした。気がした、だけで終わる思案。
カミーラは術式を組み、結界内部のシビトゾイガーと一時的に視界を共有し、結界内のある光景を見つめていた。
『それ』を見つめながら、意識が飛び飛びになり、夢見るような心地になり、現実と夢想の区別がつかなくなり、思い出したり忘れたりしながら、カミーラは『それ』を見つめ続ける。
その横には、この時期にはティガとの最終決戦もまだずっと先であり、まだリ・ルーツに倒されていない宇宙恐魔人ゼットが居た。
「おい。おい……聞こえているのか? 愛憎戦士カミーラ、貴様に問いかけている」
話しかけても中々反応しないカミーラに、ゼットは繰り返し呼びかける。
カミーラは反応せず、少し経ってから、壊れたブリキの人形のような非人間的で滑らかさの欠片もない挙動で、ゼットに振り向く。
「……私、今、何か言っていた?」
「……」
ゼットはカミーラの全てに、途方も無い嫌悪感を抱いていた。
「『幸せそうでよかった』……では、ないのか?」
その言葉が、カミーラの中の何かのスイッチを入れ、何かのスイッチを切った。
まるで、フリーズした電子機器を再起動するような挙動だった。
入力されたコマンドを処理しないためにフリーズし、再起動して、入力された内容と発生した思考全てをリセットする挙動。
カミーラは自分の中に生まれた感情を見ないため、認めないため、それについて考えないため、一瞬生んだ思考を消した。
そして、邪神の巫女に相応しい思考で頭の中を塗り潰す。
そうすることで、カミーラは魔王獣マガカミーラとして在り続けることができるのだ。
「今のティガを見てそんなことを私が言うわけないでしょう。愚かね」
「……フン」
愚かなのはどっちだろうな、という言葉をゼットは口にしなかった
今のカミーラはきっと、愚かしさを歪んだ目でしか見分けられないだろうから。
「お前のような者を、私は最も軽蔑する。愛の残骸、愛憎戦士カミーラよ」
「その自己矛盾に気付いている? 闇に生まれ、闇に生き、光に焦がれる宇宙恐魔人」
「気付いている。私は多くの光に挑み、今ようやくにそんな自分と向き合っている」
「……」
胸を張り言い切るゼット。
卑屈な笑みを妖艶な笑みで隠すカミーラ。
会話の一瞬一瞬に、この二人の全てがある。
カミーラの事情を何も知らないまま、カミーラの本質迫るゼットは、威風堂々たる振る舞いでカミーラへと言い放つ。
「欲しい物が永遠に手に入らないまま永劫を生きる醜悪よ。貴様は私が終わらせてやる」
ゼットは終わりをもたらすもの。終焉の化身。
美しい終わりにこそこだわる魔人である。
敵も自分もその終わりが美しく在ることを望み、そのために戦っている。
全てを滅ぼす終焉にこそ宿る美しさがあると信じ、ゼットは全てを殺さんとする。
しからばカミーラは、そのゼットと運命のように対極だった。
彼女は、『美しい終焉を逃した者』であったから。
どこかの戦いでティガと一緒に戦死していれば、彼女の物語はそれはそれで美しい終焉で終わっていたはずだ。
ティガに殺されたところで終わっていても、辛い悲劇で終わっていたはずだ。
極論、ティガに救われずにシノクニの人間にいじめ殺されていても、カミーラはここまでの地獄を味わうことはなかっただろう。
カミーラが邪神の走狗として延々と醜態を晒し続けているのは、多少はマシな終わりをことごとく逃し、終焉を迎えることができなかったところに要因がある。
綺麗に終われなかった。
美しい終焉に辿り着けなかった。
誰よりも強かったせいで最後まで残ってしまい、最後まで最大の地獄を味わわされたティガと同じ道を、カミーラは変則的に辿っているのである。
なまじ生き残ってしまったがために苦しんだのは、ティガもカミーラも同様だった。
終わることが許されず延々と醜悪と苦痛に浸され続けているカミーラは、ゼットが本能的にもっとも嫌悪する存在である。
それはカミーラ個人にのみ向けられているものではない。
マガカミーラというものを生み出した世界の全て、運命の全て、巡り合わせの全てに対しゼットが感じるも、その全てに付随する嫌悪感と敵意であった。
カミーラに"
「楽しみに待っていてあげるわ。終焉」
信念で悪になったことなど一度もないカミーラが、信念によって悪で在り続けるゼットと繋がりを持ったことで、そこには不思議な交流が生まれていた。
好意など欠片もない交流であったが、そこには特別な何かがあった。
約束を交わした時、カミーラがどこか救いを感じていたのも間違いないだろう。
そして、ゼットも帰っては来なかった。
誰も彼もがカミーラとの約束を守らない。
カミーラが自覚している希望、自覚していなかった期待を、踏み躙っていく。
破られた約束はカミーラの内に無自覚の昏い
カミーラ・チィグリスがかつてどんな人間であったかなど、本人ですら覚えていない。
誰も、カミーラを覚えていない。
誰も、カミーラを救えない。
誰も、カミーラとの約束を守らない。
カミーラの居場所はもう闇の中にしかない。
闇の中にしか安息がない。
闇の中で微睡んで、カミーラは夢を見る。
死んでしまった人達が会いに来てくれる夢だった。
ダーラムが居た。
ヒュドラが居た。
ティガが居た。
ユザレが居た。
「……あ」
カミーラはまた触れ合いたくて手を伸ばす。
されどその手は何にも触れず、皆は先に行ってしまう。
必死に追いつこうとカミーラはもがくが、体が先に進むことはなく、やがて闇の中で転んでしまい、皆を見失ってしまう。
皆にまた触れ合いたかったのに、また一人ぼっちの暗闇に引き戻されて、カミーラの心の奥がきゅっと締め付けられるように痛む。
目覚めて、夢を見て、目覚めて、夢を見て。
夢と現実の区別がつかなくなっていく。
過去と現在の区別がつかなくなっていく。
過去のティガと今のティガの区別がついているつもりで、過去と今のティガが頭の中で混線し始める。
"あの頃に戻りたい"という願望が、"闇のティガを取り戻すことができればあの頃に戻れる"という妄想へとすり替わっていく。
もう取り戻せない愛したティガを"取り戻せる"と、狂気の錯覚に飲まれていく。
「あ……あ……あ……」
そして気付くと、現実で悪行を働いている。
間違いなく自分の意志で、自身の全能力をもって全力で、御守竜胆とその仲間を絶望に落とすべく、手加減なしの悪辣によって彼らを追い込んでいく。
自身が邪悪に成り果てている自覚くらいは、カミーラにもあった。
しかし、本人は覚えていない。
自覚すら持てていない。
カミーラは過去に自分が憎悪し、恨み、この世から消し去ろうとしたものを……無自覚に、無意識に、この世に再現していっている。
郡千景への加虐。
彼女を守ろうとする竜胆に与える絶望。
人間の悪性の煽動。
大切なものを奪われたティガの闇堕ちの進行。
全てが再現。
全てが再演。
皮肉にもそれは、親に虐待された子供が親になった時、高確率で子供を虐待していく光景に、少し似ていた。
「ああ……ああ……ティガ……ティガ……」
カミーラはなぞる。
天の神と神樹が神話の時代をなぞるように、三千万年前の神話をなぞる。
そして、狂気の笑みに喜びを浮かべ、破綻した憎悪に苛立ちを混ぜる。
今の彼女の本質は『愛憎』。
一つの事柄に愛おしさと憎悪の両方を感じてしまう、狂気の闇の巨人。
カミーラは繰り返す都度歓喜する。
だって、
カミーラは繰り返す都度絶望する。
だって、
カミーラの絶望は何度も弾ける。
カミーラの心の闇は膨らんでいく。
『ああ、ティガ、そうよ、それでいいの』と思い。
『なんでそうなるの、ティガ』と思いながら。
『それでこそティガ』と感じ。
『やめて、私以外を愛さないで』となる。
意識と思考はティガを闇に落とすために全力を尽くしながら、感覚と恋慕は闇に落ちそうなティガがそれを跳ね除けることを期待している。
「愛してる……憎い……愛してる……憎い……許せない……許したい……」
それは矛盾だ。
ぶつかり合わない矛盾。
邪神が自身に都合よく成形した結果生まれてしまった、愛情と憎悪が矛盾しながら矛盾しない、とても人間らしい二律背反。
相反する光と闇を持つがゆえの力の究極に辿り着いたのが竜胆のティガなら、相反する愛と憎しみが闇の究極に迫りつつあるのがマガカミーラであった。
闇の巨人の歪んだ心の闇は、全て邪神を強化する。
御守竜胆の物語の全てを通して、カミーラは邪神に栄養を送り続けた。
御守竜胆の幸福も、不幸も、希望も、絶望も、光も、闇も、全てがカミーラを愉悦混じりの苦痛と絶望に落ち込ませ―――その全てが、邪神を際限なく強くする。
ティガダークの闇もまた、邪神を上限なく強くする。
二人の闇の巨人の全てが、邪神を強くする強化要素として利用されていた。
だから西暦の現在において、天照大神はどうあがいても海の底の邪神には勝てない。
アマテラスが三千万年前かけて積み上げてきた強化を、邪神は竜胆とカミーラが生み出す心の闇をたった数年喰らうだけで、あっという間に凌駕してしまっていた。
天神と邪神の力の差は、三千万年前より遥かに大きく開いている。
アマテラスがそれを身をもって知れば、その絶望すらも邪神を強くするだろう。
カミーラ・チィグリスは、ティガ・ゲンティアを知っている。
最高のヒーローを知っているということは、ヒーローがくぐり抜けた最大の窮地を知っているということだ。
至高の善人を知っているということは、至高の善人しか許せなかったものを知っているということだ。
ティガを知っているということは。
ティガが何を愛し、何を守り、何のために強くなれるかを知っているということだ。
ティガをどう闇に落とせばいいかを知っているということだ。
だから、カミーラには再現できる。
邪神の意向を九割以上叶えて、ほんの少しだけ自分の中の微かな願望を混じえて、三千万年前と似て非なる路線を引くことができる。
村八分が嫌だった。
だから、再現した。
一人泣いている少女がどんな気持ちか知っていた。
だから、再現した。
ティガの遺伝子を引く者が、どう動くかを分かっていた。
だから、再現した。
恐るべき闇を前にして、ウルトラマンティガが素晴らしき英雄であることを理解していた。
だから、再現した。
カミーラは全力でティガを闇に落とそうとしている。
手加減などない。
ティガが光を得れば苛立ち、闇に染まれば歓喜した。
そこに嘘はない。
邪神の意向に無自覚に従順で、自らの愛の証明を行うべく、ティガを闇に落とすことだけを考えていた。
それもまた事実。
ただ、全力で闇に落とそうとしたティガが『光』を見せる度、カミーラが単純な敵意や憎悪ではない感情を見せてきたこともまた事実だった。
カミーラは邪神がそう望む通りに、光のティガの全てを否定する。
「ティガ……ティガ……ティガ……ティガ……」
かくして、カミーラはティガを闇に落とし続けたいという邪神の願いを叶えようとした。
今もなお邪神は光のティガ・ゲンティアの脅威を覚えていて、避けようとしていたから。
光のティガを愛した気持ちはほとんど消えて失せている。
闇のティガを愛した記憶だけは何も消えずに、むしろ増幅されて残っている。
自分の中の光の記憶が不自然なほど消され、闇の感情が不自然なほどに増幅されていても、カミーラはそれを自覚できない。
アマテラスは邪神の所業にも似た70億虐殺を行い、カミーラは邪神の利のために目を覆うような悪行を繰り返す。
カミーラもアマテラスも、人間の命をかけがえの無い無二の価値と見るならば、それを最悪な思考で奪い続ける絶対の邪悪である。
カミーラとアマテラスに奪われた罪無き命は多すぎる。
老若男女区別なく、数え切れないほどの善人を含んだ70億の虐殺を二人は導いた。
最悪も最悪だ。
まともな人間であれば真似しようと思うことすらないだろう。
アマテラスとカミーラのせいで大切な人を奪われた人間は、きっと死ぬまでこの二者を許すことはない。
世界最大クラスの悪に数えられてもおかしくない存在だ。
だから。
それに立ち向かう『ウルトラマンティガ』は、どこまでも強く光り輝いていく。
間違えたはずの二人が間違え続けているのに。
どこかが歪んだ女神と女が、歪んだまま殺し続けているのに。
人類の敵となった女神と、人類の敵となったウルトラマンが、全力で潰しに行っているのに。
そのティガに、容赦などしていないのに。
ティガが、負けない。
人の世界を終わらせないよう、たった一人でも歯を食いしばって立っている。
そんなティガこそが、三千万年前、アマテラスとカミーラが何より愛した輝きだった。
ティガが闇に堕ち切らない。
ずっとずっと踏み留まっている。
絶望しても。
喪失しても。
何度折れかけても、決して諦めない。
アマテラスとカミーラの見る竜胆のティガは、二人の心のどこかを刺激する。
三千万年前と比べれば見る影もないほどに変わり果てた二人に、何かが響く。
神の倫理で冷たく裁きを下していたアマテラスも、壊れた心で全てを冷笑していたカミーラも、加速度的に冷静さを失い、無自覚に熱くなっていく。
闇に落ちてすぐに悪人になったティガ・ゲンティアが居た。
闇に落ちても決して心の光を手放さず、悪人に成り果てることなく、全ての光を守るティガダークになった御守竜胆が居た。
アマテラスもカミーラも知らない
三千万年待った二人の前に現れた光は、いつも傷だらけで、他人をいたわっていた。
「ティガ。ああ、ティガ。ティガ」
天の神の計画も、邪神の計画も、カミーラの計画も、全ての歯車を御守竜胆が狂わせていく。
いや、その表現ですら的確ではないだろう。
狂った計画を狂わせていったのは、出会いだ。
竜胆が出会った全ての人々が竜胆に与えた影響が、竜胆を通して計画を狂わせ、竜胆が仲間に与えた影響もまた、計画を破綻に近付けていく。
運命か、宿命か、必然か。
竜胆が出会った者達の光が、悪辣なる企みを壊していくのを、カミーラは見ていた。
グレートとパワード。
善良なる光の国の住人、たった二十数万年前に生まれたばかりのウルトラ族。
この星の地球人が到達できなかった悪性の克服を成し遂げ、ウルトラマンベリアルを除けば40万年間無犯罪で警察が廃止されたという驚異の星のウルトラマン達。
"間違えなかった三千万年の人達のIF"を、見せつけてくるようなウルトラマンが来た。
グレートとパワードは、どんな仕打ちを受けたとしても、闇に堕ちる気配さえも無い。
ガイアとアグル。
この星の光そのものが形になったウルトラマン。
星のエレメントを素材に創られた怪獣である魔王獣へのカウンター。
星そのものの化身であるそれは、人を愛し、人を守り、人の未来を作るため、人の敵となったアマテラスとカミーラを討つ使命を受けていた。
ガイアとアグルとティガが並び立つ姿は、三千万年前のティガとダーラムとヒュドラが共に戦っていた時の姿と、否応なしに重なった。
ウルトラマンノア。今はウルトラマンネクサス。
ウルトラマンにとっての神。絆をそのまま力にする特異なウルトラマン。
人にとっての神であるアマテラス、かつては絆のウルトラマンであったカミーラから人々を守るべく、遠い宇宙から駆けつけた神の中の神。
ネクサスとティガが並び立つ姿は、三千万年前の神とティガが共闘していた時の光景と、どこか似たものがあった。
三千万年前の約束を知らずして果たし、紋章を届けに来た秋原雪花がいる。
いきなり三体の精霊を同時に引き出し身に纏うのは、あの日ユザレが起こした、ユザレくらいにしかできないはずの奇跡だった。
先輩の精神的負担を減らすために意識的におちゃらけた言い回しを多用しているのを見ると、どうしてもユザレが頭にちらついてしまう。
カミーラの友でありダーラムの親戚だったあの女性が行った諏訪で、白鳥歌野と藤森水都が、ティガを友達だとまだ思ってくれている神様と共に待っていた。
歌野の喋り方がカミーラの友とダーラムのことを思い出させる。水都の容姿はカミーラの友だった女性にそっくりだった。
聖剣を相応しい勇者に渡し、歌野はカミーラを理解する精霊・覚の力を手に入れていく。
土居球子はいつだって篝火だった。
あの日のユザレの炎に一番近い色合いの炎を身に纏い、最初に竜胆を光に導いた。
ユザレと球子の炎が、ティガダークの闇の中でも竜胆/ティガを導くことを、アマテラスもカミーラもよく知っている。
伊予島杏は奇跡の結晶、ユザレの子孫。
三千万年経とうとも、ユザレの子孫はティガの子孫の隣りにいて、少しだけ色彩が変わった『善良なる光の者の証』である髪をなびかせていた。
文学少女であるユザレ/杏が、ティガ/竜胆が安心してすやすやと寝ている横で、音を立てないように静かに本を読んでいる姿を、何度もカミーラは見た覚えがあった。
それはアマテラスには郷愁を、カミーラには絶望と狂気を呼び起こす。
上里ひなたは、ウルトラマンになる前のカミーラの役割を思い出させる。
戦う力がなく、皆の帰りを待っていて、皆の好きなご飯を作ってあげて、いつだって日常の中で皆の帰る場所で在り続けた。
そういう普通の人間にしかできないことで、普通の人間であるカミーラが見せる価値を、ティガが愛していたことを、アマテラスもカミーラも覚えている。
戦いと闇に傾倒してカミーラが失い、アマテラスが忘れていたティガが愛した"それ"を、そのままの形で持っていたのがひなただった。
乃木若葉は、ユザレの聖剣に選ばれた。
血筋ではなくその心を見て、聖剣は今代の使い手を選んだのだ。
その心の光は、あの頃のユザレに最も近く、"ティガ"から向けられる信頼もまたあの頃のユザレに最も近い。
若葉に憧れる千景を見ていると、カミーラはかつてユザレの凛々しさと強さに憧れていた頃を思い出してしまう。
若葉に嫉妬しながら若葉に好感を抱く千景を見ると、カミーラはユザレに嫉妬してユザレが好きだったことも思い出しかけてしまい、必死に自分を憎悪で塗り潰すしかなくなってしまう。
高嶋友奈の愛は、堕ちる前のカミーラをなぞるようで、どこかが決定的に違っていた。
皆を繋ぐ優しさ。絆をティガに届ける絆の勇者。"ティガ"から本当の光であると見られていて、"ティガ"が戦い以外の何かに光を見た少女。
カミーラがティガに愛された理由を丸々持ちながら、カミーラがティガと共に在れなかった理由を持たず、カミーラがティガを救うのに必要だったものを全て持ち合わせている少女。
普通の女の子だったカミーラを誰もが甘く見ていたのと同じように、カミーラもまた普通の女の子に見えた高嶋友奈を甘く見て、その愛に最後の奇跡を起こされてしまった。
千景は、カミーラとは何の関係もない少女だった。
何の繋がりも無い少女だった。
それでいて、もう一人のカミーラにも思えるような少女だった。
千景の失敗は、かつてカミーラがした失敗。
千景が抱く心の闇は、かつてカミーラが抱いた心の闇。
なのに行く道は違う。
千景が幸せだとカミーラはそれを自分のことにように嬉しく感じ、すぐさま嫉妬に塗り潰されてしまい、カミーラはかつて自分が欲しかったものを千景から奪おうとする。
千景が不幸だとカミーラは愉悦に笑い、すぐに自分でも分からない不快感に襲われ、ティガに救ってもらう千景を見て嫉妬に狂う。
愛おしくも憎らしい分身として、千景は数え切れないほどの数の複雑な感情を、カミーラの内側に呼び起こしていった。
カミーラはずっと見ていた。
時には自分の目で、時にはシビトゾイガーの目で、時には術式の視界で、ずっと見ていた。
仲間に囲まれるティガ、御守竜胆の姿を、その苦悩を、その笑顔を、ずっと見ていた。
仲間達の全てを継承していくティガは、一人ではなかった。
三千万年前のティガと違って、ずっと一人ではなかった。
一人で頑張ることはあっても、気付けば誰かが隣にいた。
誰もがティガを一人ぼっちにしなかった。
誰もがティガ一人に背負わせることをしなかった。
全てを見つめ、カミーラは喜び、妬み、安心し、怒り、泣き、反吐を吐き、祝福し、呪い、そんなティガが存在することが、許せなかった/喜んでいた。
「ティガ? ティガ……? ティガ……ティガ……ティガの……『光』……」
四国に春が訪れていた。
桜が爛漫に咲いている。
あの日ティガとカミーラが眺めていた永遠の桜とは色合いが少しだけ違う、されど刹那に咲いて散るがゆえに美しい、刹那の桜がめいっぱいに咲いていた。
眩しいものを見たかのように、覗き見をするカミーラの目が細まる。
桜の中に、少年と少女が居るのが見える。
御守竜胆と郡千景が二人で楽しげに話している。
とりとめのないことを語り合いながら、笑い合っている。
竜胆が笑って、驚いて、考え込んで、何かを言って。
千景が何かを言って、無愛想な顔を動かして、慌てて、笑って。
とても幸せそうに、いつまでもいつまでも、二人きりで話している。
ずっと、ずっと、ずっと。
頭蓋の裏で、何かが重なる。
竜胆と千景が語り合うその光景が、頭の中で何かと重なる。
今目に映る現実が、ずっと昔の、忘れきった何かと重なる。
ずっと。
笑い合う竜胆と千景の姿が。
無いはずの記憶と、有ったはずの記憶と、重なる。
何と何が重なっているのかカミーラは自覚できないまま、それを見つめ続ける。
「よかったね」と、「なんで」と、「許さない」が、喉の奥で重なって、潰れた。
何故千景が救われると自分が絶望しているのか。
何故千景が救われると自分もどこか救われているのか。
カミーラはもう、何も思い出せない。
もう忘れてしまったから。
思い出すことを邪神が許していないから。
「ティガ、が、幸せそう、で、よかった」
またゼットが話しかけて来るまで、カミーラは自分の口が何か言葉を発していることさえ、自覚することはなかった。
誰よりも強い力で、ウルトラマンの光と闇を行き来したのがティガ・ゲンティアならば。
誰よりも数奇な運命で、人間の光と闇を行き来したのがカミーラ・チィグリスである。
ティガは光の力と闇の力の極致に辿り着き、カミーラは人間の愛情と憎悪の極致に到達した。
何よりも強い光とは、何よりも暗き物語と凄惨な闇の環境から生まれ出で、強き闇を生み出す環境とは、同時に強き光を生み出す環境である。
歴史に名を残す英雄も、犯罪史に名を連ねる最悪の犯罪者も、『どうしようもない窮地』から生まれる―――光と闇とは、表裏一体なのだ。
ティガとカミーラのように。
ティガ・ゲンティアの光闇がカミーラの愛憎を産み、カミーラの闇の愛憎が御守竜胆を強き光へと回帰させた。
ゆえに、カミーラは必然の帰結として、光の英雄戦士か闇の最強戦士を生み出す
"その少女を救うため"、ティガは強い光となり、また強い闇へと落ちる。
カミーラはそういう女として生まれ、そういう女になるよう育ってきた。
郡千景も大なり小なりその属性を持っている。
おそらくは、誰も知らぬまま、誰も望まぬままに。
「あ、あ、あ」
カミーラは自覚的な行動、無自覚的な選択、その両方によって三千万年前の
「あ……あああああああああ! 愛してる! 愛してる! 愛してる!」
カミーラが誰からも憎まれる敵として振る舞い、千景が追い詰められて涙を流し、それを竜胆が救いに来た時、そこにはカミーラが愛したティガ・ゲンティアが居る。
居なくても居る。
竜胆の中にいつだって、ティガ・ゲンティアは居てくれている。
そう、カミーラには見えている。
それは
「だから愛して……ティガ……もう一度……もう一度でいいから……」
―――俺に愛してほしいわけじゃないだろう。あなたは
―――ごめん。俺に、あなたは救えない
「あああああああああああああああああああああ!!!!!!」
女は叫ぶ。砕け散った魂をかき集めながら、バラバラになった心と記憶を繋ぎ合わせながら。
女の名はカミーラ。ウルトラマンティガの神話が残した
もう咲けず、身を成せず、種も残せぬ、永遠の徒花。散華の後の花の残骸。
かくして、御守竜胆は原初に還り、運命を塗り替える最新最高の光と成った。
「俺はティガ。『ウルトラマンティガ』! ―――闇を照らして、悪を撃つ!」
三千万年前から生きる者で、そこに何も思わなかった者は、一人も居なかった。
神話は最後のページに向かう。
全ての運命を覆した光が、誰も彼もに未知を与え、未来を全て不確定なものに変えながら。
光も闇も、善も悪も、人も神も、全てを一つに巻き込みながら。
物語は、最後の章へ。
1クール分の話数お疲れ様でした。次から現代に戻ります
挿絵はめりっと様からいただきました。ありがとうございます