夏空の下、ウルトラマンは、友をいじめた子供達を虐殺した 作:ルシエド
翌日、早朝。
千景はある目的で、村に向かって出立しようとしていた。
実家がある村。かつて住んでいた村。そして、かつて惨劇が行われた村だ。
あの村はティガダークの暴走によって破壊されたが、その後村の人間が一致団結して村の立て直しを図り一気に復興したとして、ニュースや雑誌でも何度も好意的に取り上げられていた。
まあ、あの村の村人同士に強い繋がりがあることや、一つの目的のために村全員で一致団結できることは、千景も竜胆もよく知っている。
三年前当時は復興ボランティアで来た村の外部の人間にも村人はよく感謝し、ボランティアに好意的に接するという点でも村で意見を統一していたため、そういう意味でも外部の評価は全体的に高かった。
村に関して否定的な報道がなされたことが皆無、というわけではなかったが。
世間の人々はかの村を基本的にティガに攻撃された被害者だと思っていたし、村の人間は基本的に自分が悪行をしていたと思っていなかったし、村の人間は全員が犯罪者というわけでもなく、村という閉鎖空間の中で弱者をいじめるという『ありふれた普通の人間』でしかなかった。
それに、何より。
実際に何の罪も無い人間を大量に殺し、子供まで殺し、家族まで殺したティガダークが、世間的にあまりにも強烈な『悪』だった。
人間には、敵の敵を擁護する心理があり。
人間には、悪の敵を正当化する習性がある。
人間には、気に入らないものの敵の味方をついしてしまう精神の機能を持っている。
これらは"人間は敵と味方をレッテル貼りで分けたがる"という心理的効果等と同様に、心理学や脳科学の世界で盛んに研究されている、普通の人間が持つ当たり前の機能なのだ。
しからばとても分かりやすい。
ティガダークが巨悪ならば、
多くの人間の思考は、この当たり前の心理的効果によって、多少のバイアスをかけられている。
歴史的事実から例を挙げると、ナチス・ドイツによってユダヤ人の
なんであれ、虐殺は悪であり。
虐殺を受けたものは同情され、善性のものに見られやすい。そういうものだ。
三年間、ティガは悪、村は可哀想な被害者……そういう常識が世間に定着してきた。
これが社会心理学で言うところの『正常性バイアス理論』に基づき、世間における『常識』となり、四国内部のティガに対する悪意は、不動のものとなった。
高度に情報化した社会であればあるほど、こうして定着した当たり前はなくならない。
なくならないのだ。
正常性バイアス効果という観点から見れば、今の世間のティガへの認識と、かつての村での千景の認識は、同じものであると言える。
人間の脳には、"当たり前"から逸脱した認識をある程度弾くようにできている。
小さな変化で一々常識を変化させては、脳が疲れてしまうからだ。
だからある程度の異常は受け入れない。
"こいつは悪だ"という常識の変化も、脳はある程度弾いてしまうのだ。
これが『正常性バイアス』である。
無数の大災害の記録の中にも、人々が「日常は変わらない」「いつものように自分は大丈夫」と思い込み、日常の変化を脳が弾いてしまい、異常な災害に飲み込まれたものが沢山ある。
これもまた正常性バイアスである。
ティガへの認識。
三年前までの千景への認識。
それは正常であり、常識だった。
だが、今は違う。
正常性バイアスは、脳の処理の限界以上の情報量で、超越される。
あの日、千景はティガダークという暴君を倒した。
皆に英雄、勇者、と讃えられた。
だから竜胆と違い千景は、あの村に一人で行っても何も問題は無いのだ。
問題は無いはずなのに、丸亀城から出て行こうとする千景の足は重い。
「あ、チカゲ」
「ケン」
「オデカケ?」
「ええ。遅くても昼過ぎに……二時か三時には帰ってくるから」
そんな千景を、門前で掃除していたケンが呼び止めた。
千景は自覚していなかったが、千景は俯き、視線は下を向き、体は強張っていた。
ケンはからからと、柔和な笑みを浮かべた。
でっかい体で、千景の肩を優しく叩く。
「カタノチカラ、オヌキ」
「ケン……」
「クライカオシテルト、セッカクノビジン、ダイナシダゾ。ワラッテワラッテ」
千景はいつも陰気だ。
今日はいつも以上に陰気だ。
それを笑顔にできるのは、今はきっと竜胆か友奈だけで、されど千景は今その二人へどう接していいか分からなくなっていて。
「ごめんなさい。今はちょっと、笑えないの」
笑顔を求めたケンに、"わかっていない"千景は、頭を下げて応えた。
ケンは寂しそうに苦笑する。
そして、門の横に置いていた自分用らしきお弁当を千景に渡した。
「オベント、モッテオイキ」
「ありがとう、ケン」
「イッテラッシャイ」
「行ってきます」
少し、千景の心が晴れる。
ケンは"いってらっしゃい"と言ってくれた。
"いってらっしゃい"という言葉には、言外に"ここに帰って来い"という意図が含まれる。
『ここに帰って来ていい』という想いが含まれる。
千景はその言葉が、なんだか嬉しかった。
『精霊』。
それは、勇者の『切り札』。
この精霊には、使用することで使用者に悪影響を与える効果がある。
まだ影響が発覚しているものは肉体面のみで、誰も精神面への悪影響を発症していないせいで、精神面への悪影響はまだ発覚していない。
だが、影響自体は確かに勇者達の中に蓄積されていた。
勇者達の持つ精霊は、義経、一目連、輪入道、雪女郎、七人御先。
どれもが怨霊・妖怪としての側面を持ち、これらの使用は人間の体に穢れを蓄積させ、人ならざる悪性との境界を曖昧にしてしまう。
この時代における精霊の使用は、勇者と精霊との一体化を意味するため、穢れの海に魂を浸しているようなものなのだ。
短期間に精霊を何度も連続で使用した千景は、本人が負の感情を溜め込みやすい人間だったのもあって、他の勇者とは段違いの速度で、精霊の負の側面を発現させてしまった。
不安感。
不信感。
攻撃性の増加。
自制心の低下。
マイナス思考や破滅的な思考への傾倒。
その他諸々のマイナス効果が、千景の心には発生している。
まるで、竜胆のように。
他人に嫌な悪口を言われた場合の心への影響を1とするなら、千景の心に発生している悪影響は10や100どころの話ではなく、暴走時の竜胆の心への悪影響であればそれは時に億に届く。
更に最悪なことに、精神が不安定になって当たり前の勇者という役職が、勇者の心を常に精神不安定でもおかしくない状況に置いてしまうがために、精霊の精神への影響というのは非常に見分けにくいのだ。
なのでまだ精霊の精神への影響は発覚すらしていない。
心は目に見えない。
その人の心が壊れているか壊れていないかすらも、外野には分からなくて当然だ。
心は、目には見えないがために、気を遣って大切にしないといけないものなのだから。
千景の精神は今、とてつもなく不安定な状態にあった。
ティガダークのカバーをするために常時七人御先を使うくらいの気概でいたために、必要以上に精霊を連発してしまい、精神に悪影響を溜め込んでしまったのである。
かくして、精神が不安定な状態の千景は、故郷の村に降り立った。
(ここは、変わったようで、変わっていない)
一度壊れて、直された村。
沢山死んだ村。
竜胆が破壊した街からここに越してきた者も、逆に街の方に引っ越した者もいるという。
破壊と復興により、この三年で村は相当様変わりしたと言えるだろう。
だが、千景は"変わっていない"と思う。
空気が、変わっていなかった。
この村は何も変わっていない。
少なくとも、千景はそう思った。
(あ……ここ、竜胆君と一緒に登校してた道だ……)
この村に良い想い出はない。
どこを歩いても嫌な想い出が蘇って、千景の胸は苦しくなる。
精霊の悪影響が、それを増幅していく。
そんな中、通学路を初めとした、竜胆との想い出がいくつか村にも見えて、それがささくれ立つ千景の心を癒やしてくれていた。
闇の中で一粒の光を見つけたような、そんな気持ち。
「あなた……郡さん?」
その気持ちも、声をかけられて霧散した。
声をかけてきたのは、千景が六年生だった時の、隣のクラスの担任だった。
生徒からの人気が高い教師だったことを覚えている。
思わず千景は身構えたが、教師は構わず千景に話しかけ続けた。
「あら、やっぱり郡さんじゃない! 皆、来ると知っていたら歓迎したわよ?」
「え、あの」
「ほら、こちらにいらっしゃい」
有無を言わさず、笑顔の教師は千景を連れて行く。
教師が口を開くと、現実の教師の声と、千景の想い出の中の教師の声が、重なって聞こえた。
「あなたは皆の誇りなのよ」
―――アバズレの子はアバズレの子ね。なんでまだ学校に来てるのかしら
教師に連れられ、千景は街を歩いていく。
歩く千景に、商店街の中年男性店主が呼びかけて、それが想い出の中の店主の声と重なった。
「お、勇者様じゃねえか。うちの店寄ってってくれよなー!」
―――まともな親じゃねえんだ、どうせまともに育てないだろうよ、はっはっは
頭の中がチカチカして苦しい、と、千景の心が言っている。
街を歩いていた主婦の声と、想い出の中のその主婦の声が、重なる。
「あら、千景ちゃん。帰ってたのね。元気にしてた?」
―――本当に陰気な顔で、何を考えてるか分からない子。気持ち悪いわ、犯罪もしそう
息をしているのに、息ができている気がしない。苦しい。千景の中に苦しみが増える。
通りがかったサラリーマンの言葉と、想い出の中のその男の言葉が、重なる。
「我らの英雄のご帰還だな。ゆっくり休んでいけよ」
―――泥でも投げてやれよ。ちょっと汚れてた方があのガキには相応しいだろうさ
明るい空気の中、皆の笑顔を向けられて、優しい言葉をかけられて、千景は歩いていく。
明るい空気の中、皆の笑顔を向けられて、優しい言葉をかけられて、千景は笑わない。
笑えない。
媚びるような声が、過去を忘れたような声が、千景の耳に入ってくる。
その内、同級生だった三人の少女が並んで歩いているのを見つけ、三人と千景の目が合った。
「あ」
反応は、三者三様だった。
「っ」
―――ちょっと、何もしないから近寄らないでよ。あんたの近くにいたら巻き込まれる
一人は一目散に逃げた。
「あ、あー、郡さん。久しぶり? 私達友達だったよね?
落とし物とか拾ってあげたことあったよね? 恨んでないよね?」
―――あはは、反応おもしろーい。ほら、トイレで拾ってあげたんだから、感謝しなさい
一人は、聞いてもいない話をし始めた。
「あ、千景ちゃんじゃん。ちょっと、最近ピンチみたいな話も聞くけど大丈夫?」
―――うっわー、階段から蹴り落としても立ち上がれるんだ。へー、頑丈なんだなあ
一人は、何も思うところがないかのように、友達のように、気軽に話しかけてきた。
この一瞬の言動だけを見れば、一見、最初に逃げた者が最も悪いことをした者であるようにも見える。
だがその実、それは全くの逆だ。
最初に逃げた人間は、千景に何をされても文句は言えないと思って逃げた。
つまり、最もまともに罪悪感を持っていた。
二番目の少女は、千景に媚びるような声色を作っている。
千景に対し罪悪感を抱きつつ、千景に許してもらえることを期待していて、千景が許してくれれば自分は悪くない、ということにできると、そう思っている少女だ。
そして最後の少女に至っては、千景に対し罪悪感すら抱いていない。
皆がしていることをしていただけ、皆で一緒に同じことをしていただけ、そうとしか思っていない。千景に悪いことをしたと思っていない。千景がまだ過去を気にしていると思っていない。
もしもの話だが、千景が、この少女らに剥き出しの気持ちを、ぶつけたなら。
最初の少女は、泣きながら謝るだろう。
二人目の少女は、自己弁護しながら謝り、「許して」と言うだろう
最後の少女は「あんたまだそんなこと気にしてんの!?」「そうやって過去のことグチグチ引きずってるから駄目なのよ」「だから友達もいなかったんでしょ」と千景に怒るだろう。
三者三様。
千景のクラスメイトの三人ですら、ここまで分かれる。
三者三様の反応全てが、違う形で、千景の心を傷付けた。
(なんで……なんで……こんな声が聞こえるんだろう……幻聴……トラウマ……?)
「どう、郡さん。皆あなたを応援してるのよ」
―――ああ、郡さん早く学校に来ないようにならないかしら。面倒なのよね
「……はい」
「三年前からずっと、あなたは私達の勇者なのよ」
―――あの子がいると仕事が増えるから、本当に厄介だわ。親の悪性の遺伝かしら
千景は教師や周りの人達に向けて、歪んだ笑みを浮かべた。
嬉しいから浮かんだ笑みでもなく。
敵を威嚇する笑みでもない。
あの日、竜胆の喉をかき切った時に浮かべた笑みに近い笑み。
正の感情と負の感情が喰らい合う笑み。
人々に肯定される喜びと、人々への憎悪が混ざりきった笑みだった。
(ああ、嫌だ)
「千景さんじゃない。今日は里帰りかしら?」
―――ああ、臭い。臭いものが来たわ! 淫売のくっさい臭いよ! あははっ
「おかえりなさい。ずいぶん帰ってきませんでしたね、郡さん」
―――これ真剣に忠告なんですけど。あなたの居場所この村に無いので、出てった方が
「次の里帰りはいつかと皆待ってたぞ、郡」
―――お前本当に気持ち悪いよな。なんで朝挨拶されても返さねえの? キモい
(ここに、居たくない。高嶋さん……竜胆君……)
思い出したくもない記憶が、どんどん噴出してくる。
本来人間の脳は、思い出せないだけで、人生の全ての過去を記録しているとも言われる。
千景の脳では本来思い出せない記憶さえ、精霊の穢れが蘇らせる。
蘇らせて、千景を追い詰める。
―――なんであなたは簡単なことすら、言ったことすらできないの、千景!
―――愛してるわ、千景
フラッシュバックのように、母の言葉が蘇る。
要領の悪い千景を大声で叱った母の言葉が。
勇者になった後の千景に、ベッドの上から、数年ぶりに褒め言葉をくれた母の言葉が。
母の言葉が蘇る。
―――お前なんて、生まれてなければ
―――愛してるぞ、千景
フラッシュバックのように、父の言葉が蘇る。
村八分で追い込まれた末に、娘に殺意すら向けた父の言葉が。
千景が勇者となったことで、全てが解決した後の父の言葉が。
父の言葉が蘇る。
要らない、要らない、とまるでゴミを押し付け合うように、千景を押し付けあっていた両親の姿を、千景は今でも覚えている。
勇者になるまで、親ですら愛してくれなかった。
勇者になったら、親が愛してくれた。
千景を笑顔で迎え、暖かな空気で包み、優しい声をくれる村の皆の前で、千景は卑屈な笑みを浮かべる。
「私は……価値のある存在ですか……? 皆に必要とされていますか……?」
「ええ、もちろんよ。だってあなたは、勇者だもの」
「―――」
その言葉を。
千景は、そう受け取った。
彼女はみんなに否定されて生きてきた。
だからみんなに肯定されないと生きていけない。
それが彼女の心の根底にある歪み。
千景ですらよく分かっていない『みんな』という枠からの肯定こそが、彼女の生きようとする気持ちの根幹全て。
皆に否定されたら生きていけない。
三年前と同じ環境に逆戻りしたら、生きていけない。
だって、今が幸せだから。
幸せじゃないこともあるけど、幸せが全く無かった三年前と比べれば、雲泥だから。
三年前に逆戻りするようなことは言えない。逆戻りしかねないことはできない。
たった一人大切な人がいればいい、なんて割り切りを、千景はすることができない。
だってそうだ。
友奈は千景以外にも大切な友達がいっぱいいる。
竜胆も千景以外に多くの友達がいたし、丸亀城の中でどんどん友を増やしている。
千景にとって友奈が一番になることはあっても、竜胆が一番になることはあっても、友奈と竜胆の中で千景が一番になることはない。千景は、そう思っている。
そもそも千景は、誰かの中で一番に愛される人間に、自分がなれるとすら思っていない。
『夫と妻』ですら、互いを憎み合うほどに愛を失ってしまうことも、千景は知っている。
愛が脆いことも。
愛が無力なことも。
勇者でない自分が愛されないことも。
千景は確信している。
竜胆が自分を信じていない少年なら、千景は心のどこかで人の愛を信じていない少女。
竜胆は自分が自分を裏切ると思っていて、千景は人の愛が容易に手の平を返すと思っている。
竜胆は信じる心を足掻きながら取り戻す過程にあり、千景は愛されたい気持ちで乾く。
竜胆は千景が裏切らないと信じていて、千景は竜胆が裏切らないと信じている。
そんな関係。
千景にとっての"自分の価値"は、"自分以外"が決めるもの。
勇者だから自分には価値がある。勇者だから自分は必要とされている。勇者だから居場所を与えられている。勇者だから愛される可能性がある。
そう考えているから、周囲の反応こそが自己価値を決定させるものになっている。
千景は周囲の声を無視できない。
ぽろりと、千景の口から彼の名が出る。
「ティガダーク、は……」
それは、千景なりに、竜胆の名誉を回復する何かの言葉を、皆に言おうとしたがゆえの言葉であったが……千景が二の句を継ぐ前に、周りがその言葉に反応してしまった。
「ありがとう、郡さん!
あなたがあいつを倒してくれたおかげで、私達は今日も生きてられるわ!」
「流石俺達の勇者だ!」
「アイツ生きてたんだってな……しぶとい奴だ」
「あそこで死んでれば良かったのに」
「大丈夫よ、何かあっても今度こそちゃんと、千景ちゃんが私達のために殺してくれるわ」
「―――」
その瞬間。千景は、自分の心が二つに分かれたような感覚を覚えた。
いつも通りの自分の心と、闇の中で嗤う自分の心。
二つが分かれて、離れて、別々の気持ちを湧き上がらせた。
皆に愛されたい。
―――皆が殺したいくらい憎い。
竜胆君だって悪いことをした。
―――竜胆君は何も悪いことしてないよね。
高嶋さんみたいに、私もなりたい。
―――私は高嶋さんのようにはなれない。誰も許せない。
今は幸せだ。
―――皆のせいで、ずっと幸せじゃなかった。
皆に褒められたい。好かれたい。認められたい。
―――願いも欲しいものも全部諦めて、全部滅茶苦茶にしたい。
仲間は信じたい。
―――誰も信じられない。
でも、仲間の、竜胆君が苦しい想いをしたのは、私のせい。
―――違う、私のせいじゃない。私は悪くない。
竜胆君がああなってしまったのは、私が悪い。
―――私は悪くない。私は悪くない。私は悪くない。
竜胆君は、幸せになるべきだから。
―――なんで幸せになろうとしないの。なんで自分を嫌ってるの。本当に嫌い。
私は、竜胆君を信じて、助けて、支えないと。
―――彼を見るだけで辛い記憶が蘇る。ああ、いなくなってほしい。消えて欲しい。
ここにいてほしい。
―――幸せになれない竜胆君なんて見たくない。
私は、勇者だ。
―――私は、勇者だ。
敵は倒す。
―――敵は倒す。
私は友達を切り裂く罪を犯して、勇者になることで褒め称えられ、許された。
―――私は友達を切り裂く罪を犯して、勇者になることで褒め称えられ、許された。
また許される。
―――また許される。
さあ、武器を持って。
―――さあ、武器を持って。
心の中で光と闇が別々の思考を吐き出して、別々の感情を混ぜ合わせて、別々だったはずの気持ちがいつの間にか一つになってしまう。
人の心が、精霊の影響で発生した、心の闇に呑まれていく。
千景の左手が端末に伸びる。
千景の右手が包袋の中の鎌に伸びる。
民衆は誰も気付いていない。
誰もが、"皆を守ってくれる勇者"を暖かに褒め称えている。
この流れなら、誰一人として逃げられない。
不可避の鎌がまたたく間に全員の首を刎ねるだろう。
千景の両手が、殺意で動いて――
「"それ"は、駄目だ。俺は"それ"で後悔した。
自分の意志でやるならともかく……『闇』に流されてちゃ、駄目だ」
――少年の手が、それを止めた。
この瞬間に失われるはずだった千景の未来と幸福を、少年は守った。
少年は、未だ小さな変化だけれど、千景の運命を変えた。
千景が殺人犯になるのを止めた少年を見て、千景は目を見開く。
「竜胆、君? どうして……」
「ちーちゃんと同じ理由だと思う。同じ報せを見たんだよな、きっと。大社からのあの報せ」
竜胆は千景の端末と鎌抜きを押さえた。
これで変身と攻撃は封じられる。
周囲の人々は千景が蛮行を行おうとしたことに気付きもせず、一人、また一人とその少年が竜胆であることに気付き、気付いた者からざわめき始めた。
「俺の妹の遺品。取りに来てくれたんだよな」
「……ぅ」
「ちーちゃんは優しいな、ありがとう。俺もそれを取りに来てたんだ。乃木に付き添い頼んで」
竜胆に抑え込まれる千景の視界の端に、若葉が映る。
若葉は神の刀が収められた袋に手をかけていた。
民衆は、刀の先がティガダークに向けられていると思った。
竜胆は、若葉なら自分に刀を向けてくれているはずだと思った。
千景は、その刀が村の者達に向けられていると感じた。
「だ……ティガダークだ」
「どの面下げてここに来たんだ!」
「な、なんでお前みたいなのが自由に外を出歩いてるんだよ!」
「自由じゃない。一応付き添いはある。大社は俺をそんなに自由にできるほど甘くもない」
竜胆は手錠を付けられた状態で、不自由な手で何とか千景を抑え込んでいる。
その首には爆発する首輪。耳には穴を開けて付けられた発信機のピアス。
そして民衆視点、悪の巨人が暴走しそうになったなら、止めてくれそうな勇者も二人いる。
何より、勇者が巨人を倒した三年前の光景が、神話の一幕のようなあの光景が、皆の記憶の中に残っているから。
勇者千景がくれた勇気が、悪に絶対に屈しないという気持ちが、村の皆を立ち向かわさせる。
民衆は、石に、野菜に、木の枝にと、近くにあった何かを、勇気をもって竜胆に投げつけた。
皆で心を一つにして、村の仲間を殺した悪魔に立ち向かっていった。
「出てけ!」
「力をふりかざせばまた皆が怯えて、頭下げるとでも思ったのか!」
「お前に何人殺されたと思ってる! お前に家族を殺された人もいるんだぞここに!」
「殺されたってお前を恐れるか!」
「勇者が教えてくれたんだ……怖くても、恐ろしく強大な悪者には、立ち向かうべきだって!」
「私達が嫌なことをしたのに、私達を守ってくれた千景さんのように、私達だって!」
竜胆に様々なものが投げつけられていく。
それは、悪に立ち向かう千景の真似。
三年前の千景の真似。
悪の巨人ティガから、自分達を守ってくれた、勇者千景の勇気の模倣。
千景の中に、筆舌に尽くし難い感情が湧く。
精霊が残した穢れが、千景の中に湧き上がった感情を、殺意と憎悪に転換した。
だが、殺しに行きたくとも、竜胆がその手を離さない。
鎌に触れた時点で、千景には大なり小なり神の力が流れ込んでおり、普通の人間には抑え込めるような筋力ではなくなっている。
なのに竜胆は抑え込める。
彼はもうまともな人間ではなくて、そうなったのは千景視点"自分のせい"で、それが途方もなく悲しくて。
竜胆のために悲しんだ気持ちすら、精霊の穢れが勝手に憎悪に変換してしまい、千景は竜胆のために悲しむことすら許されない。憎悪することしか許されていない。
だから殺意は止まらない。
「っ……! 離して、竜胆君!」
「駄目だ。離さない。ちーちゃんの中……俺の中にある
民衆が千景を応援し、竜胆を罵倒し。
千景が竜胆を想い、民衆を攻撃しようとして。
竜胆が千景を止めて、民衆を守る。
そんな構図。
民衆が竜胆を攻撃すれば、千景が憎悪を募らせる。
千景が憎悪を募らせれば、民衆の危険が増す。
民衆は誰も千景の内心に気付いていないから終わらない、そんな悪循環。
竜胆は民衆のためだけに、人々の石投げなどを止めようとした。
「すみません! 一旦止まってください!
後からならいくらでも、皆さんの声を甘んじて受け止めます! けど、今は―――」
「私のお母さんを返してよ!」
「―――!」
だが、竜胆のその言葉は民衆には"情けない命乞い"の類にしか聞こえず、その言葉も、小さな女の子が上げた声に遮られてしまった。
「俺の親父もだ!」
「私の親友も!」
「お前と話したことすらなかった僕の娘も! お前が殺したんだ! なんで……なんでだ!」
いじめに対して虐殺で応えたこの少年以上の悪は、ここには一人も居ない。
居ないのだ。
ここに居る者達が傷付けていたのは千景一人で、竜胆を入れたとしても二人でしかなくて、竜胆は数百人を殺害した極悪人なのだから。
法律は。
人の心を傷付けた罪を、人を殺した罪より、重くは扱わない。
千景の心をズタズタにした者を、千景の敵を殺した者より、重くは裁かない。
結局のところ、村の者達は、殺害という一線は越えていなかったのだ。
いじめや村八分は軽い気持ちでできても、殺人を軽い気持ちでできるような、本物の悪性の人間ではなかったのである。
最終的に俯瞰すれば、皆は母親が淫売で父親がその原因のクズだったから千景をいじめていたので、千景が勇者になった程度で、千景を褒め称える人間になったことからも、それは窺える。
誰も、殺しなどしていなかった。
竜胆はした。
それが全て。
だからこそ。
そんな過去があったからこそ。
精霊の穢れで心が暴走している今の千景は、何があっても竜胆を傷付けないし、何が何でも村の人間を皆殺しにしようとしている。
それが、今の千景の全て。
千景は竜胆を傷付けたくない。
だから自分を抑え込んでいる竜胆に乱暴な抵抗ができない。
そんな千景では竜胆に抑え込まれるしかなく、千景が民衆に攻撃しようとしていることに民衆の誰もが気付かないまま、民衆は竜胆に攻撃を続けた。
「ちーちゃん、落ち着いて」
「落ち着けるわけが……ないでしょうっ……」
「殺した人は、夢に出るよ。ずっと、ずっと」
「―――」
千景の身体の力が少し抜けて、竜胆は千景の端末を隙を見て奪い取り、抱きしめるようにして千景を止めた。
竜胆は千景を抱きしめた。
だから、民衆が投げている石などは、これで千景にも当たらなくなる。
竜胆は千景から人々を守るため、人々から千景を守るため、千景を抱きしめたのだ。
それが、千景の心に砕けそうなくらいの痛みを与える。
千景は衝動的に、竜胆を傷付けてでも、端末と鎌の勇者の力で人々を攻撃しようとして……トラウマが、甦った。
三年前の、"男に媚びて……やっぱりあの阿婆擦れの子なのね"と言われた時の記憶。
石を投げている子供達。
子供達から千景を守る小学生の竜胆。
そんな竜胆に石を投げた千景。
薄れていた、トラウマの記憶。
竜胆に石を投げた過去の自分と、竜胆を傷付けそうになった今の自分が重なって、千景の全身は恐怖と自己嫌悪で強張り、こみ上げる吐き気が彼女を少し正気に戻した。
(……あ……三年前にも……こんなことが……あって……)
トラウマからきた憎悪で民衆を攻撃しようとし、トラウマによる恐怖で動きが止まり、トラウマからくる自己嫌悪が千景を少し正気に戻す。
一から十までトラウマで、今の千景の内心は、見るに堪えないものになっていた。
(―――私は―――とても―――後悔を―――)
竜胆は千景を抱きしめる。
少し正気に戻った千景に、竜胆の体温が伝わる。
民衆には見えない角度で、千景の瞳から涙が溢れた。
千景が零した涙が竜胆の服の胸に染み込み、少女の手から鎌が落ち、カランと音が鳴る。
民衆の攻撃は止まらず、竜胆は泣いてしまった女の子が穏やかに涙を流せるよう、千景を優しく抱きしめて、投げられているものから守る。
若葉は、竜胆にあまり前に出るなと言われていた。
短慮には走るなと竜胆に言われていた。
自分が暴走した時は首を落としてくれと、竜胆に頼まれていた。
だがもう我慢の限界だった。
竜胆の発言からも分かるが、竜胆は若葉の内心を全く分かっていない。竜胆は、若葉が怒るとすれば、千景の危険か民衆の危険によるものでしかないと思っている。
そうではない。
そうではないのだ。
若葉は今、竜胆のために怒っていた。
竜胆に対する仕打ちと状況にこそ、憤っていた。
―――今、力で脅して石を投げるのを止めさせても!
―――……別の時に、別の人が、別の石を、もっと大きな嫌悪感で彼に投げるだけです!
―――こらえてください千景さん……
―――暴力で生まれた感情は、暴力で押さえつけてはいけないんです!
前に竜胆が石を投げられていた時、ひなたが言っていたことを思い出す。
若葉はひなたを信頼している。
ひなたの判断力を信頼している。
"ひなたの言うことは正しい"と、いつでも若葉は信じている。
ひなたの懸念は、勇者と民衆の対立。
大量虐殺者を露骨に勇者が全面的に擁護してしまうことで、ウルトラマンが三人も脱落し不安になっている市民感情が、勇者への敵意として結実してしまうこと。
そして、勇者が局所的に竜胆を守ったところで、結局のところ『全体』からティガダークが嫌われている以上、何も変わらないということだ。
ここで若葉が行っても、何も良い方向には変わらない。
どんな道筋を辿っても、虐殺者は肯定されない。
むしろ勇者までもがその地位を落として、人に罵倒されかねない。
それでも、若葉は黙って見ていることなどできなかった。
こいつを守ってやらなければならない。こいつを守ってやりたい。若葉は、そう決意した。
民衆と竜胆の間に、若葉が割って入り、白刃が宙を舞う。
竜胆に向かって飛んでいた石や太い木の枝が、一つ残らず切り落とされる。
神速の抜刀。
放り投げた糸を切って細い二本の糸にするような精密な斬撃。
"仲間を傷付けさせない"という意志を形にした隙間無き守り。
若葉の介入に、民衆が困惑のまま動きを止め、若葉の刀が地面を刺した。
「皆様、ご清聴を……ご静聴を、お願いします」
民衆が竜胆を罵倒する言葉を止めて、若葉の言葉を聞く姿勢に入る。
若葉の凛とした声には、不思議と黙って話を聞きたくなるような、背筋を正してその言葉を聞きたくなるような、そんな力があった。
演説に向いている少女である、ということなのだろう。
ご清聴は"話を聞いてください"という敬意と感謝の意味の言葉。
ご静聴は"話を静かに聞いてください"という意味の言葉。
読みは同じだ。
だから若葉の言い換えの意図に、他の誰もが気付かなかった。
若葉は"黙ってろ"という意図で、清聴を静聴と言い換えた。
それは、民衆を直接的に罵倒しないまま、民衆に怒りをぶつけるような言葉選びだった。
「皆さん、御守竜胆は未だ不安定な状態にあります。
皆さんの行動により、不安定になり、予想外の事態を招くこともあるでしょう。
彼を見かけても、皆さんは無反応でお願いします。
こういう形での反応は特にしないようお願いします。
私達も極力尽力しますが、それでも守りきれないことはあります。どうかご自愛を」
若葉の声に感情は見えない。
だが言葉には強いメリハリがあり、重みがあり、熱さがあった。
人の胸の内に響く、演説のような語り口。
「彼への対応は勇者が担当します。
彼の暴走、蛮行は、行われる前に私が止めましょう。
私が殺してでも止めます。彼を殺すとすれば、私のこの刃です」
「ゆ、勇者様……」
そう、だから。
彼が死ぬ時は、彼がどうしようもなく自分を失った時で。
彼がそうなった時、自分が殺してでも止めると、約束したから。
自分が殺してやると、そう約束したから。
バーテックスにも、民衆にも、彼は殺させない。そんな結末は迎えさせない。
絶対に彼を死なせない。彼に残酷な結末など迎えさせない。
若葉はどこまでもまっすぐに、仲間である竜胆の心に向き合ってくれていた。
その言葉を、凛とした在り方を、竜胆は心の底から信じられる。
「繰り返します。
彼に石を投げるなど、刺激する行為は今後一切しないでください。
私が彼を見張っています。どうか、私を信じて、私に任せてください」
「勇者様……余計なことをして、すみませんでした」
「後日、大社から正式発表もあるでしょう。
皆さんからも知人の方に、彼へ石を投げたりしないよう、言い聞かせてあげてください」
しゃりん、と刀が地面から抜かれ、大気を綺麗に切り裂き、鞘に収められる。
美しさと怖さと強さを感じさせる納刀。
凡夫に対してならばそれだけで有無を言わせない威圧ができそうな、そんな刀捌きだった。
「―――市民の皆様、ご協力をお願いします」
人々が攻撃を止め、捨て台詞で竜胆を罵ったりしながら、散っていく。
若葉は竜胆と千景を連れ、この場を離れていく。
奇跡だ、と若葉は思った。
自分がとっさにこんな名案を出せたのも。
ここまでこじれた状況が、こんな言葉で収まったのも。
自分が……乃木若葉の刃が、民衆に向けられなかったことも。
この怒りを抑え込めたことも。
全てが奇跡のようだと、若葉は思った。そのくらいに大きな怒りが、彼女の内にあった。
大社から後日正式発表があるというのは嘘だ。
だが若葉は、大社と交渉してこの嘘を本当にさせようとしていた。
大社にも損はないだろう。
竜胆への攻撃的な接触を禁止しておいた方が、竜胆の暴走の可能性は低くなる。
竜胆を暴走させないため、とちゃんと理屈も付けておけば、民衆は竜胆を無視し敬遠する対応を抵抗なく導入してくれるはずだ。
これで、竜胆は守られる。
若葉は竜胆を先導し、帰り道を歩いていた。
まだ朝と言っていい時間帯だが、彼と彼女らの心は暗い。
竜胆は千景を背負って歩いていたが、若葉は千景が起きているのか眠っているのか、千景が無表情なのか泣いているのか、それすらも分からなかった。
「竜胆、大丈夫か」
「ああ、まあ……三年間想像してたのよりは、マシな対応だったかな。うん、マシだった」
「マシなことと平気なことは違うのではないか」
「じゃあ、平気。俺は平気だけど、ちーちゃんの方が心配だな」
「……妹の遺品は、ちゃんと持っているか?」
「うん、ちゃんと回収できた。
大社からの報せをちーちゃんも見てたなんてな。
それで俺達に黙って取りに来てくれたとか……本当、いい子だ」
「そう、だな……」
「さ、帰って武道の鍛錬始めないと。
昨日友奈やボブに頼んだけど、初日から遅刻とかたまらないからな」
若葉は振り返り、竜胆と千景の故郷を見て、湧いてくる義憤を一瞬抑えられなくなりそうになった。……精霊のケガレの影響が出始めているのは、千景だけではない。
この村には共通の常識と共通の正義があって、それを主観にすれば、三年前の千景を守っていた竜胆こそが村の全てに喧嘩を売る悪であると言えた。
一般的な倫理で見れば、この村の人間全員が悪で、竜胆と千景は被害者であると言えた。
そして、村八分のいじめと悪に虐げられる被害者という構図が、虐殺という過剰攻撃で反撃した瞬間、逆転し、竜胆が村を虐げる悪となったこともまた事実。
辛い過去があれば虐殺が許される、なんてことには、ならない。
たとえば、学校でのいじめ。
これは法的に対処した場合、いじめに加担した全員ではなく、中心人物数人を処罰して事件を収束に向かわせる。
たとえば、村ぐるみでのいじめ、村八分。
これは法的に対処した場合、過去の実例を参考にして考えると、中心人物数人を処罰して事件を収束に向かわせるものである。
そういうものだ。
いじめに対して殺人で返してはいけない。
"流されてるだけの人がいるかもしれない"ので、問答無用で全員処罰もNG。
関係ない人を巻き込んで処罰したりするのはもっての外。
法の視点で見たならば、竜胆は擁護のしようもないほどの極悪なのだ。
だが、個人の視点で見た場合、竜胆は称賛されるダークヒーローと見ることすら出来る。
「悔しくないのか竜胆。怒りは、恨みは、憎しみは、無いのか」
「無いと言えば嘘になる。だけど、あるだけだ。俺はもう、それに身を任せたくない」
「仕返しをしても良かったんだ、お前は。少しくらいなら……」
「しないよ。もう誰も人を殺したくない。
殴った相手が苦しんで楽しいか? 殺した相手の死体を見てスッキリするか?
俺はしない。
ああ、あの人達はあんま好きじゃないよ。嫌いかもしれない。
でもなんていうか、あの人達が幸せになるなら、まあそれはそれで良いんじゃないかなって」
「……怖い思いをして怪物と戦い、痛みに耐え、あの者達すら守るというのか?」
「ああ」
「あいつらはお前と千景の尊厳を、誇りを、踏み躙ったんじゃないのか」
「……大社から詳細でも聞いたか?」
「詳細まで聞いたのは昨日の夜のことだ。
奴らは、お前をきっと、奴隷にした凶暴な猛獣程度にしか思っていない」
「そうだろうね」
「それでも、守るのか……?」
「守るっていうか。もう誰にも死んでほしくない。化物に理不尽に殺されてほしくないんだ」
「……」
「この世界から全ての化物を一掃し。
俺のように人を脅かす邪悪な化物を消し去り。
かつてあった、平和な人間の世界を取り戻す。
俺と乃木の目的って、多分ほとんど同じというか、違いはあんま無いと思うんだよな」
若葉が、強く歯を噛み締めた。
「竜胆。
誇りを奪い踏み躙るものに従うこと、それを何と言うか知ってるか? 隷属だ。
誇りを踏み躙るものに良いように使われることを何と言うか知ってるか? 奴隷だ。
だからこそ、人は……誇りを汚した相手には、いつの時代も報復を返してきたんだ!」
若葉は、世界の話ではなく、竜胆の心の話をしている。
世界を救うために言葉を重ねているのではなく、竜胆の心を救うために言葉を重ねていた。
「殴り返して良かったんだ、お前は!
あんな罵倒を受け入れなくてよかったんだ、お前は!
……そうしたら私は、お前が皆に袋叩きに合いそうになっても、お前を―――」
竜胆は首を横に振った。
「俺は殴られる人をなくしたかったんだよ。
強い側が弱い側を一方的に攻撃するのが嫌だった。
人が暴力で傷付くのが嫌だった。
人が死ぬのが嫌だった。
俺みたいな奴に殺される人間を、俺みたいな奴から守りたかったんだ」
「……っ!」
「"それ"を、俺は許さない。だから俺は俺も許さない。同じ事を繰り返すつもりもない」
多数の人間が徒党を組み、擬似的に大きく力のある存在になり、小さく弱い者をいじめる。
いじめられた小さく弱い者が大きな力を得て、反撃する。
いじめられていた者が、いじめていた者達をいじめる。
創作の物語であれば、よくあることだ。
そして、まともな人間の心の動きを考えれば、当然のことでもある。
だがこれは、
『強い者が弱い者をいじめている構図』は何も変わっていない。
強弱が逆転しただけで、何も変わっていないのだ。
竜胆と千景の物語を最初から見ていれば分かる。
千景は竜胆に何もしておらず、竜胆は千景に何の恩義も感じていなかったが、それでも千景を助けようとした。
千景個人には、竜胆に助けられる理由がなかったのにだ。
それでも竜胆が千景を助けたのは、何も悪いことをしていない子がいじめられているという理不尽と、村全体にあった醜悪な構図の全てを、竜胆が許せなかったからに他ならない。
そう、竜胆は、強者が理不尽に弱者をいじめるその構造こそを、否定したのだ。
竜胆や千景が手にした大きな力が、村人を逆襲していじめようとしたならば、竜胆はそこにも忌避感を覚えるだろう。
彼は優しい。優しいのだ。
千景がそう感じたとおりに。
強者が弱者をいじめない世界を。
強者と弱者が助け合えるような構図を。
皆が皆、隣人に優しくできる、そんな場所を。
彼は願い、求めていた。
それこそが彼の願い。
人の願いは、それが世界全てを蹂躙することになったとしても、その願いを掴むために全力で走る権利は、誰にもある。
いじめられたから世界を滅ぼす、と考える権利は誰にもであるし。
人間が醜いから滅ぼす、と決意する権利だけなら誰にでもある。
願いは、強い。
個人の願いは時に多数派の祈りよりも優先される。
世界中の人々が「思うまま村人に復讐すればいいだろ」と竜胆に言ったとしても、暴走していない状態では、竜胆が復讐に走ることはないだろう。
"もう誰も、理不尽に殺されませんように"。
竜胆の願いは誰に否定されても無くなることのない、彼の魂の根底にある願い。
人の愚かさ、醜さを知っても、竜胆のその願いが絶えることはない。
あの村人達に対してすら、彼のその想いは向けられている。
それは奇しくも、"人間は愚かで増長している、ゆえに滅ぼすべき"という天の神の全否定。
御守竜胆は理性でそう考えているからではなく、魂の根底、理性の中心部分の思考からして、天の神とバーテックスの全てを否定している。
人の持つ美しさをいくら見ても人を滅ぼそうとする天の神。
人の持つ醜さをいくら見ても人を見捨てることはない少年。
御守竜胆、ティガダーク。
人間の愚かさを知らずに、人間を守ろうとする者でもなく。
人間の愚かさを知り、人間を見限った者でもなく。
人間の善性に喜び、人間の悪性に憤り、人間を愛し、人間を憎み、手にした闇は人間を殺そうとし、内に秘められた光は人間を守ろうとする。
光と闇の矛盾。
慈悲と憎悪の矛盾。
人の部分は闇の侵食にて加速度的に人間でなくなっていき、巨人の闇の部分は心の光で弱体化していく、そんな光と闇の混成存在。
(……竜胆)
若葉が拳を握り締める。
何故こんな人生を、こんな男が送っているのか。
何故こんな心を持つ者に、心を闇に誘う闇の力が与えられてしまったのか。
世の理不尽を、若葉は感じずには居られなかった。
竜胆は振り返り、自分を傷付けた者達が住まう村を見て、苦笑する。
「笑顔、幸せ、日常、平穏。
ここにあるそれらを壊すようなことはしたくない。これは俺の、確かな願い」
確かに、竜胆がその気になっていれば、若葉を騙して変身するなり何なりして、あの手この手を尽くして、この村を無茶苦茶にできただろう。
だが、それで失われる『笑顔』『幸せ』『日常』『平穏』の価値を、竜胆は語る。
竜胆という人間を想って、若葉の心が痛む。
あの日、バーテックスという化物が若葉の目の前で奪った『それら』を思い出し、ティガダークという化物がこんなことを語っているのを見て、優しい怪物の苦笑を見て、胸は更に痛んだ。
「だから、話はここで終わりだ。帰ろう、乃木」
三人は帰路につく。
「あの村の奴らに……千景が復讐を望んだら止めるのか」
「止めないよ。
止められない。
それはちーちゃんの権利だ。俺はそこに何を思っても、止める権利はない」
「……」
「でも、悲しくは思う。
ちーちゃんには何の罪もなく、幸せのある方向に、歩いて行ってほしいから」
話を聞けば聞くほどに、竜胆の内心に踏み込めば踏み込むほどに、若葉の心は痛む。
そして、思った。
彼はいつでも、どんな時でも、人の幸せを願うことが大好きで、人の不幸を願うことが大の苦手なのだ、と。
その時、追いかけてきた子供が居た。
「あ、あの」
「君は……」
竜胆はその子のことを覚えている。
千景と竜胆へのいじめを、見ていた子だ。
いじめに直接的に参加せず、かといって止めることもなく、いつもいじめを見ているだけで、本当に何もしなかった千景と竜胆のクラスメイトの少女。
少女はどこか申し訳なさそうに、そして恐ろしそうに、竜胆に向き合う。
そして竜胆に、二つのお守りを手渡した。
「頑張って」
手錠を付けた状態で後ろ手に千景を背負っていた竜胆の代わりは、背を向けてお守りを受け取った。
三年。
長い時間だ。
変わった者もいる。
変わっていない者もいる。
三年前の時点で罪悪感は持っていた者も。
三年間で罪悪感を得た者も。
全く罪悪感を抱いていない者もいる。
「うん、ありがとう。車に気を付けて帰るんだよ」
「……う、うんっ!」
竜胆は微笑みかけ、かつてのクラスメイトだった少女は、駆けて行った。
「殺してしまえば、反省の機会も得られない。変わっていく機会も得られない」
竜胆のつぶやきが、大気に溶けていく。
「だからバーテックスは許されないし、俺も許されない。そうあるべきだと思う」
殺人が重い罪であることに理由はあるのだと、竜胆は語る。
それは彼の中で、揺るぎのない認識。
「ああいう人を見ると……
悪いだけの人間はいないって思える。
人間は悪だけじゃないって思える。
人は滅びるべきものじゃないって、言い続けられる」
竜胆は何も考えていない能天気でもなく、他人に悪意を抱かない聖人でもない。
苦痛を感じ、憎悪を漏らし、激怒を抑え、この言葉を言っている。
あのクラスメイトの少女の幸も願っている。
自らを制御し、心の闇を抑え、願う方向へと向かっていく。
ティガダークに変身した後と、同じことを今もしている。それだけだ。
汚れた場所から、綺麗なものを探して、一つ一つ掬い上げる。
それは、泥の中から小さな花を拾い上げ、泥のない綺麗な場所に移すような行程でもあった。
「それに、ほら。
悪いことした奴が死ぬの見るより、その後反省していくのを見る方が、楽しいじゃん」
「それは……人によるだろうな」
「無残に死んでほしいとか願うとしたら、そいつのことどんだけ嫌いなんだって話だよな」
「竜胆」
「何?」
「お前は、自分のことが、どのくらい嫌いなんだ?」
その時、大きな風が吹き、竜胆は若葉の言葉が聞こえなかったフリをした。
若葉はその沈黙から、竜胆が口にしなかった返答を理解した。
「……許さない権利は、本当は誰にでもあると、私は思う」
「誰も許してないよ。ただ、誰も死んでほしくないし、皆に幸せになってほしいだけ」
「……」
「だから、俺も許さない」
若葉は昨日と今日で、竜胆のことを深く知った。
バカもやる。
優しくもある。
闇もある。
過去は凄惨で、今をとても懸命に生きていて。
そうしてようやく、若葉は大社ですら実はまだ本質的に理解していなかった、『三年前の竜胆が闇に堕ちた本質的な理由・暴走し虐殺した本質的な理由』を理解した。
「お前は"他人は許せる"が、"自分は許せず"。"人は許せる"が、"怪物は許せず"。そして」
竜胆は、自分に対しての攻撃なら、きっと許してやれた。
自分が攻撃されいじめられただけなら、闇に堕ちることなどなかった。
そんなことはありえなかった。
「『自分への攻撃』は許せても、『千景への攻撃』は許せなかったのだな」
千景が居たから。千景の心が泣いていたから。
だからこそ彼は、闇に堕ちたのだ。
そんな会話を聞きながら。
汚染された千景の心は、『若葉に竜胆を取られてしまう』と、そう思考していた。
バーテックスが来ないと誰も死なず、誰も危険に晒されず、比較的平和な日常になりますね