意志を固くもち、どんな困難にも耐えること。
体が引き千切られる。
あの鋭い牙が俺を裂いて、そのまま呑み込んでしまう。
竜機兵のあの装甲ですら、易々と噛み砕いてしまうあの顎だ。俺なんて、簡単に引き千切ることができるだろう。
――だけれども、何故その牙が振り下ろされない?
俺は、少しずつ瞼を持ち上げた。もう死ぬかもしれないと、心がそれを止めようとするけれど。疑問に思ったらそれを何とかせずにはいられない、科学者の性質が心を押し潰している。
そうして光を取り戻した俺の視界。そこに映っていた光景は。
揺らめく炎を映した、銀色の体。漆黒の体にも染まらない、力強い輝き。シュレイドを覆う炎よりもさらに濃い、澄んだ緋色の炎。
その姿は。俺が会いたくて仕方がなかった、その姿は。
「――ミュー……?」
随分とか細い声が出たものだ、なんて我ながら呆れてしまう。しかし、今はそんなことに気を回してはいられなかった。
翼を鋭い槍に変えて黒龍の首を逸らした彼女が、健気に返事をしてくれたから。
絞るような声で、俺に応えてくれたのだから。
「……ミュー、お前……どうしてここに」
そう問いかけ始める俺を、彼女は突然抱え込んだ。その鋭い前脚が俺を優しく包み込んで、そうかと思えば視界が激しく暴れ出す。
流動する線を描き出したことと、耳の奥がぐらぐらと軋み始めたこと。それらを感じて、ようやく俺はミューに抱きかかえられながら飛んでいることに気付いた。
「……っうおっぇッ! おまっ、は、速すぎ……っ」
ようやく止まったその体に、俺の内臓は肋骨に叩き付けられる。慣性が働き過ぎて、頭も腹もスープの如く掻き回されたかのような。そんな気さえした。
吐きながら悪態をつく俺を、ミューは地面へと下ろす。どころか地面に空いた地下へと続く階段へ、そっと俺を横にした。
「……おま、え……まさかっ、戦う気か……ッ!?」
くるる、なんて心配そうな声を上げていた彼女だが、キッとその目を凄ませる。そうして、随分と距離が空いた黒龍に体を向けた。
並々ならぬ気迫だ。龍を睨む彼女の瞳は、いつも以上に鋭く見える。ここまで敵意を剥き出しにした彼女は、初めて見た。それとも、そうせざるを得ないほど危険な敵だという事実の表れだろうか。
――けれど。
第二世代とはいえ竜機兵たちが束になってかかってもまるで傷を負わせられなかったのだ。ミュー一人で何とかなるなんて、到底思えない。
「ダメだッ、ミュー! 逃げろ! そいつと戦っちゃダメだッ!」
思わずそう叫ぶけれど、その声はまるで彼女に届かない。
飛び立った彼女の軌跡を見ながらも。龍と機竜の揉み合いが始まってからも。それでも俺は、叫び続けた。
「ミューッ!! 頼むっ、逃げてくれ……っ!」
首を
四肢を折り畳み、翼を大きく開いた後に、勢いよく炎を噴射する。それによってさらにスピードを上げた彼女は、瞬く間に黒龍へと接近した。奴の吐く火球など、掠りもしない。俺の背後にあるシュレイドの街に――いや、街だった場所にいくつもの火柱が立ち昇る。
「ぐっ……ッ!」
爆音と、同時に響く衝突音。彼女は、その鋭角体を利用しては黒龍へ突撃したようだった。あの速度をそのまま衝撃に変えたのだ。その威力は、あの爆裂槍にも迫るほどかもしれない。
しかし、それが有効打と言えたかどうかは、判断がつかなかった。あの黒き龍は若干仰け反ったものの、大きなダメージを受けたようには見えなかったのである。まるで強靭な四肢が衝撃を受け止めたかのように、下半身は微動だにしていない。そうして、憎々し気に喉を震わせて。そのままカウンターの如く、牙を振りかざした。
ミューはすかさず飛んで、黒龍の上をとる。舞い上がっては、宙を喰らった奴の頭に向けて、空中からの急襲攻撃へと器用に繋げた。それを言葉にするならば、翼から噴射する炎の勢いに乗った、ムーンサルトといったところか。
「うおッ……!?」
黒龍も負けじと、前脚を振りかざす。その鋭い爪と大気を薙ぐ尾が擦れ合い、猛烈な衝撃波が生まれた。それがこの崩壊した城を弾き飛ばす。燃え上がる炎が、大きく揺らめいた。
その炎と競うように、さらに炎を噴出させたミュー。今度はその翼を、先程のような槍型へと変貌させる。両翼のそれらが射抜くような音を立てて、黒龍の両肩を鋭く穿った。
「……おっ、おぉっ! ミュー、お前……ッ!」
血飛沫が上がる。炎のように澄んだ色ではない。血液特有の重く濁った鈍い色。それが、その漆黒の体から飛び出した。第二世代たちがいくら戦ってもつけられなかった傷を、彼女はたった一人でつけたのである。少しばかりの希望が、俺の胸の中で芽を出した。
――しかし、黒龍は激しく咆哮する。
激昂したかのように吠えては、その体を城へと擦り付けた。翼を突き刺したミューごと、奴は乱回転をし始める。
悲鳴を上げる前に、振り飛ばされた彼女。刺突が抜け、それによってさらに血飛沫が飛ぶものの、龍は構わず顎を開く。
それが、一閃。先程と同様の小振りな火球を吐き出して、横転するミューを撃ち抜いた。あの巨大な火柱が、今度こそ彼女を包み込む。
「ぐっ……やっぱり、あいつは……」
普段の速度では当てられないと考えたのか。故に、受け身がとれず隙を晒したところを狙って吐息を吐き付ける。奴は学習しているとでも、いうのだろうか。
再び嫌な予感が顔を出し始める俺を余所に、ミューは勢いよく飛び出した。炎の渦を切り裂いて、翼から激しく炎を噴出して。ところどころ焼け焦げた鱗を剥がしながら、彼女も負けじと乱回転する。
伸ばした翼は、まるで一対の剣のようだった。あの滅龍剣を振るうかのように、彼女は翼を走らせる。それが激しく城を掘削し、黒龍の肌を切り裂いて。
それにも怯まずに、ぐんと伸びた龍の首。それが後足を掴んでは、振り回すように彼女を大地へと叩き付けた。
翼を剣のように振るうあまりに、体勢を立て直し切れなかったミュー。そんな彼女は、倒壊した城をさらに砕いた。
そこへ追い打ちをかけるように、龍は尾を振るう。上から打ち付け、そのまま薙ぎ払う鋭い打撃。彼女は、悲痛な声を上げた。
「やめろ……やめろッ! ミュー! ダメだっ、逃げろ!」
悲鳴を上げる彼女だったが、それでもなお龍に食いつく。今度は翼の向きを変えて、掌の如き
それによって奴は仰け反り、勢いよく首を振り回す。大きなダメージが入ったかのようにさえ見えた。状況は、一進一退なのかもしれない。
なんて、浅はかな期待をする俺を嘲笑うかのように。奴は口元を燻らせる。そこから溢れ出す、淡い色をした火の粉。それが、翼を振り被ったミューをゆっくりと包み込んで――――。
直後、凄まじい光が目を焼いた。粉塵のように舞ったそれらが、連鎖しては激しくその身を破裂させる。小さな衝撃の塊は、波打つように広がっていって。瞬く間に、ミューをも包み込む巨大な炎へと変貌した。
炸裂音。響く、彼女の悲鳴。
「頼む……逃げてくれ……ッ!」
――どうしようもできない。
俺なんかじゃ、彼女のために何もしてやれない。
ただ彼女が逃げるように、懇願することしかできなかった。
なんて情けない。
ミューが必死に戦ってくれているのに、俺は何も出来ないなんて。
何が、家族だ。何が、整備士だ。
あの爆破は、流石にミューも堪えたのだろう。彼女はよろよろと、足取りが不安定になっていた。それでも必死に立ち上がり、忌まわしき龍に相対する。
一方で、未だに余裕そうに佇む黒き龍。次はどうやって
「ミューッ! 俺のことはいいからっ! お願いだっ、逃げてくれよ! 頼む……っ!」
空に向けて、吠えた。もうこれ以上、彼女が苦しむ姿を見たくない。もう役目も何も放りだしていいから、彼女には逃げてほしかった。
だけれど、それは彼女には届かないかもしれない。だとしても、俺は叫ばずにいられなかった。
その声を聞いたからだろうか。それは俺には分からないけれど、彼女は小さく唸り声を上げる。まるで何かを決意したかのように。俺に返事をするかのように。
と思いきや、再び翼から炎を吐き出して。初速から全速力で、彼女は飛び出した。
「っ!? 何を……っ」
黒龍の顔の前に飛び出して、その翼の向きを瞬時に変えて。掌のようなそれを、まるで龍の目を覆うように広げる。
直後、閃光。今まで動力として使っていたその炎を、今度は奴の目に向けて吐き出したのだった。
今までにない攻撃方法に、目という急所を狙ったその一閃。それには流石の黒龍も悲鳴を上げた。両目が焼かれたためか、身体を激しく仰け反らしては鳴き叫ぶ。今までの落ち着いた様子とは一転し、彼は激しく暴れ始めた。
その苛烈な動きには、流石にミューも近づけないだろう。暴れ回る尾は瓦礫を乱雑に薙ぎ払い、大地を搔く爪は深い痕を刻んでいく。あんな巨体が暴れ回っていては、手の出しようがない。
しかし、彼女は踏み込もうとはしなかった。むしろ、翼から弱く炎を噴かしては、ふわりと宙に舞い上がる。そうして、俺の横へと着地した。瓦礫と誇りが舞い上がり、目の前を銀色の巨体が包み込む。
「……ミュー」
くるる、と彼女は喉を鳴らしながら俺に擦り寄ってきた。
どこもかしこも傷だらけだ。鱗は剥がれ、内部の部品も見え隠れしてしまっている。焦げ付いた体は非常に痛々しく、俺は涙が溢れ出そうな目元を何とか留めながら必死にその頭を擦っていた。
そこへ、カシャンと機械音が響く。慌ててそちらの方を見れば、機竜の胸が開いていた。その奥の肉からは、ミューが静かに顔を出す。
汗ばんで、息苦しそうで。それでも俺を見て、彼女はふっと頬を綻ばせた。儚げながらも強く、そして優しい表情だった。
「ローグ……ごめんね。私、あの子に勝てない、かも」
「……馬鹿、馬鹿野郎っ、勝てなくていい! 戦わなくていい! 頼む、頼むから逃げてくれ! 早く、アイツの目が治る前にっ」
肉に埋もれた彼女の手を握りながら俺はそう言うけれど、彼女は小さく首を振る。
「だめ、だよ。それじゃ、ローグが……。それだけは、やだ」
「俺なんかいいだろ! 別に俺が死んだって、造竜計画に支障はねぇさ! でも、でもお前が死ぬのは駄目だ! お前はこの国の希望なんだから――」
なんて言う俺の頬を、彼女は唐突にはたいた。不機嫌な時によく見せるあの顔で。小さな頬を、少しばかり膨らましたあの顔で。
「……ばか」
俺を罵倒する彼女の瞳。あの澄んだ青い瞳は、今は潤んだような光を帯びていて。
「私は……この国なんてどうでもいい。滅んでも、いいと思ってる」
「……は?」
突然、何を言い出すんだ。何を言ってるんだ、この子は。
そんな思いが溢れ出すけれど、彼女の瞳を見ては俺は何も言えなかった。
「でも、でもね。ローグが酷い目に遭うのだけは、絶対いや。私は、ローグさえ守れたら、それで……いいの」
「な……んだ、そりゃ……」
「あなたが、私の手を握ってくれたあの時から……たぶんこうなんだと思う」
若干細めた瞳を少し逸らしながらも、彼女は俺の右手を両手で包む。
「……城の下……この下に、生き残ってる人はたくさんいる。音がする」
「生存者は……まだいるんだな」
「……ローグ。ローグは、その人たちと一緒に逃げて。ここから、逃げてね」
「あ? 何を……」
包まれた右手を胸の押し当てながら、ミューはそう言った。
柔らかくて温かいその感触を通して、彼女の思考が俺の頭へと流れ込んでくる――。
「……んっ、くぅ……っ」
「ッ!? おい……まさか。まさか、ミュー……っ!?」
それはきっと錯覚なのだろう。
目の前で突然起こった現状が、そう思わせた。そうに決まっている。
苦し気に目元を歪ませるミュー。
耐えるように体を強張らせて。
俺の右手を、ぎゅっと握り締めて。
――そんな彼女の、その背中に。より太い肉の腕が絡みついていた。より太い血管のようなチューブが、その肉を通して彼女に突き刺さっていた。
「……んな。駄目だ……駄目だっ、ミュー! シンクロ率をそれ以上上げるな! そんなっ、そんなことをしたら……ッ!」
八十パーセント。俺が定めたその壁を、彼女は自らの手で破壊した。
それはつまり、バルクの性能を最大限発揮できるようになるということで。
――それはつまり、彼女とバルクは完全に『結合』してしまうということで。
「やめろっ、やめろ! それだけは……やめてくれ……ッ!」
絞り出すようにそう懇願する。それでも、彼女は首を振ることもしない。ただ、その両手をきゅっと握り締めていて。
「……こうしたら、私は龍になっちゃうのかな」
小さく、言葉を溢す。
「……龍になったら、私も解体されちゃうのかな」
それはまるで、自問自答のような。
「……私も資源、なのかな」
俺の返事も待たないで、彼女はそう呟きを重ねて。
「……でも、竜人も元々資源みたいなもんだもんね」
そう自嘲気味に笑う彼女の肩を、俺は勢いよく掴んだ。
「そんな、そんな訳ないだろ!? ミューは、竜人は! 竜とは違うッ、人と変わらない! 資源なんかじゃない……ッ!」
後半は、もう言葉にもなってなかったと思う。
ただ、母親にすがる子どものように俺は泣いた。もうどうしようもできなくて、ひたすら泣いた。その細い胸に頭を押し付けて、半ば自暴自棄になって。
そんな俺の頭を、彼女はそっと撫でてくれる。藍色の髪を、優しく梳いてくれた。
「……私、解体されたくない。怖い……怖いよ」
ぽたぽたと、何かが零れ落ちる。彼女の瞳から溢れ出す、涙。
「だったら、やめてくれよ……お願いだ……っ!」
俺は必死に、そう言うけれど。でも、俺の言葉は彼女に届かなくて。
「どうせ解体されるのなら……ローグにされたい、な」
「……何言ってんだよ。本当に、やめてくれ……頼むよ……っ!」
子どものように、俺はそう泣きじゃくるけど。きっと、彼女は覚悟を決めている。俺が何を言っても、彼女はその決意を曲げないだろう。
その決意をなおさら補強するかの如く、咆哮が鳴り響く。ようやくあの目の痛みが治まったのか。それとも完全に回復したのだろうか。黒龍は目に見える怒気を撒き散らしながら、天高く吠えていた。
「……今、下から誰かが上がってくる音がする。多分、近衛兵さんたちだと思う」
「……ミュー……」
「私は、いくね。もう、時間がないから……」
苦しそうに、しかし強がるように。彼女は必死に笑顔を浮かべた。しかし伸びた肉の腕はいよいよ彼女の体のほとんどを覆い尽くしてしまう。
増えたチューブに痛みが伴うのか、それとも龍となることへの恐怖か。彼女の笑顔はとても弱々しくて、とても儚かった。
「嫌だ……駄目だ……行くな……行かないでくれ……」
溢れ出る言葉。締め付けられる心。
どうしようもなくなった俺はひたすらに涙を流すけれど。
目の前の彼女は、辛そうに。それでも、必死に笑顔を浮かべ続けた。いつも微笑しか浮かべなかった彼女の、精一杯の笑顔。花が咲くような、とはとても言えないけれど。それでも、とても綺麗な笑顔だった。
「ローグ。私……私ね、あなたのことが、あなたのことが――――」
その先の言葉は、全て奴の声にかき消されて。切なげにそう言う彼女の声は、全てあの甲高い咆哮に呑み込まれてしまって。
その先を求めて、俺は必死に手を伸ばす。
けれど、彼女の両腕は既にバルクに呑まれていた。何かを伝えようと瞳を見開いているものの、それが何かを伝えてくれることはない。
俺は何もできなかった。バルクに呑み込まれる彼女を見ることしかできなかった。
「ミュー……ミューッ!」
俺を庇うように、彼女は再び飛び出して。そうして、その四肢を大地に縫い付けてはあの黒龍と再び相対する。
今度は、全身から赤い炎が噴き出した。翼だけでなく、頭や四肢、甲殻の隙間から。
バルクの本領発揮。シンクロ率が完全なものとなった状態。藍色を帯びた銀の体躯が、鮮やかな緋色へと反転する。
――――竜機兵が、龍に成り果てた。
そんな彼女に必死に伸ばした右手。もう届かない彼女に向けて、それでも何とか引き戻そうと。どうしようもなく、ただ願望に身を任せたその行為。
それごと、俺は取り押さえられる。背後からきた何かに、俺は無理矢理押さえつけられた。
「ローグさん! 危険ですっ、何してるんですか!」
「エンデ殿、ローグ殿の無事を確認しました! ただいまより連れ戻します!」
「ローグさん、落ち着いてください! 退避しますよ、分かりますか! 退避しますよ!」
矢継ぎ早に言葉を並べる男たち。あの青い団服に身を包んだ男たち。
近衛兵たちだ。ミューの言っていた通り、近衛兵が来たようだった。
「くそッ……離せ! 離せよクソ! ミューッ! ミュ――――ッ!!」
必死に悪態をついて、必死に彼女のことを呼ぶけれど。
彗星のように飛んだ彼女の姿を最後に、俺は城の下へと引き連れられた。数人の男に押さえられては抜け出すこともできず、エンデの指示の下に強制的に退却させられる。
――もう、彼女に会うことはできないのかもしれない。
俺と彼女の間に、分厚い壁が生まれてしまったかのような。成層圏の如く、交わらない壁ができてしまったと。
離れゆく燃える世界を眺めながら、俺はそう感じざるを得なかった。
さよならローさん。どうか死なないで。
結局文字数が嵩み過ぎて彗星アタックが書き切れなかった。無念……!
このシーンもかなり書きたかった瞬間なのですが、こう会話を色々と考えすぎてしまってね。文字数気にしながら書くとなかなか難しかったです。むむむ、執筆って難しいなぁ。
閲覧有り難うございました~。