朧げな過去の出来事。昔を回顧して使う言葉。
湿地帯付近に位置するその集落は、立ち並ぶ木造建築が特徴的な村だった。
組み合わされた焦げ茶色の木材は、日の光を充分に吸収して。その建物に沿うように大地を縫った大河には、いくつもの船が浮かんでいて。船の上を彩る様々な果実や野菜、魚介類。そんな水上マーケットを前に、ミューは感嘆の声を上げた。
「……凄い。船がお店になってる」
「面白いだろ、この村。巨大な河が恵みになってな、色んなものが集まってくるんだ」
俺が少し補足するも、ミューはそれには耳をくれず、ただひたすらこの村の姿を凝視している。
人々は、魚を釣ったり、もしくは潜り漁で獲ったり。岸に寄った船から果実を買う若い女性もいれば、たらいのようなものに乗って河を裂く子どももいた。そんな活気づいた村の様子に、ミューは釘付けになっているようだ。
「ローグ、子どもがたらいに乗ってる」
「ここの子たちはさ、みんなたらいを持っててな。それで河を行ったり来たりするんだ。大人は重くて乗れないから、子どもの時限定の乗り物ってことで、この村では親しまれてるんだぜ」
「……凄い。王都とは、全然違う……」
「まぁ良くも悪くも田舎っていうか何というか。さ、宿探そうか。明日のためにも、俺は早く寝ときたい」
「明日も仕事……だったよね。うん、いこ」
その村の様子をもっと眺めていたい。そう言いたげなミューだったが、その思いを押し込めては、俺の横にとてとてと歩み寄ってくる。
まだ、ミューが竜機兵として選ばれたばかりだった。季節は夏の始まりを感じさせるもので、からっとした日差しが肌を照り付ける。夕方だというのに、日差しは収まることを知らないのだろうか。湿地特有のじめじめとした湿度もあってか、肌触りも悪い。早く宿に行って休みたいものだ。
「ローグ、明日はどんなことするの?」
「この村には潜り漁の達人がいてな。その人と交渉しに行くのさ」
「交渉?」
「ミューが竜機兵になるための訓練に、な。重力訓練のために色々と手を借りたいんだ」
「ふーん……」
「……あんましよく分かってないだろ」
「うん、よく分かんない」
こてんと首を傾げる彼女の頭をわしゃわしゃと撫でながら、この舗装していない路地を歩き続けて。
宿が見えたのはものの数分後のことだったが、これがまぁ随分と趣きのある宿だった。
「……オンボロ」
「違う。こういうのは、風情あると表現するんだ」
「ふぜー」
「うぜーみたいに言うな」
◆ ◆ ◆
宿に荷を置いて。村を散策して。
夕暮れの光を吸い込む大河は、何とも美しい。細かな宝石が我先にと光を漏らすかのように、水面は眩しい光を撒き散らしている。夕陽の穏やかな緋色を差して、波打つ影を幾重にも描く。
時折跳ねる魚が、優美な音を奏でた。時間があったら、ここで釣りをしたいなぁ。なんて思うほど、美しい景色だった。
そうして適当に店を決めて、夕飯としゃれこんで。
折角河がトレードマークの村に来たんだ。ここは一つ、魚料理を食べたいなって。そう思いながら、俺たちはこの村一番の食事処の暖簾をくぐった。そうして店の顔をあれこれと頼んで、その一つ一つにフォークを伸ばす。一方のミューは、簡素なサンドイッチを注文し、それを小さな口で頬張って。
――――異変が起きたのは、その時だった。
「……ごほっ、けふっ」
「……大丈夫かよ。ほれ、水」
「あうぅ……えうぅぅ……」
突然えずいては、口に含んだものを吐き出したミュー。店から飛び出して、栄養素をそのまま河へと垂れ流しにしてしまう。苦しそうに息を途切れ途切れに吐き出すその姿は、何だかとても痛ましかった。
一体どうしたのかは分からないが、とりあえず水を持ってきて。それを何とか口に含んだミューは、絶え絶えの息で深呼吸する。
「どうしたんだよ……。もっと水いるか?」
「いら……ない……」
水を詰めたビンを差し出すと、ミューはそっとそれを押し返してきた。どうやらもう水はいらないようだが、相変わらず顔色は悪い。サンドイッチであたったのだろうか。
「もしかして、中身腐ってたか? 文句言ってやるぞあのハゲ……」
食べた途端に猛烈な吐き気が襲ってきたのなら、それはきっと腐っていたに違いない。そんなものを提供するなんて、ここの店主は腐ってやがる。
文句を言ってやろうと自らの腰を上げると、突然服がぐっと引っ張られた。そちらの方を見れば、ミューが俯きながらもか細い腕を伸ばしている。その腕の一体どこに、そんな力があるのかと。そう感じてしまうほど強い力が、俺を引き止めていた。
「……なんだよ?」
そう問いかけてみても、彼女はふりふりと首を振って。しかし下を向いているから、今どんな顔をしているかが全然分からなくて。
「離せ、文句言ってくるから。ちょい待っててくれ」
言葉を重ねてみても、彼女はまるで手を放そうとしない。ただその手の力が強すぎて、無理に引き剥がすと俺の服が破れてしまいそうだった。
だから、俺は仕方なく腰を下ろす。彼女が何を言いたいのかは全く分からないが、とりあえず彼女の隣に座り込んだ。
「…………」
それから、無言。
俺を引き止めた癖に何か言い出す訳でもなく、ただただ彼女は無言を貫き通した。一体何をしたいのかが分からず、俺はほとほと困ってしまう。
「……まぁ、なんだ。あのサンドイッチは腐ってても、俺が頼んだ奴は旨かったぞ」
「…………」
「カルパッチョとか、ソースが凄く爽やかでなぁ。串焼きもあれだ、炭火の匂いがして香ばしかったし」
「…………」
「スープもほら、魚介の香りがうっすら溶け込んでるっていうか。なんかほっこりする味だった」
「…………」
「いやー、そんな魚の村で食べる竜肉。これがまた旨いんだ。魚を餌に育てるのかなぁ。風味がいい。うん」
「…………りゅう、にく」
「うん?」
ようやく、彼女から言葉が返ってきた。と思ったら、それは何ともか細い呟きで。竜肉と言った彼女の瞳は、焦点が合わさらないままに水面を眺めている。
「……竜肉が、どうしたんだ?」
「…………ハム」
「……はむ?」
「……入ってた」
「入ってた? 何が?」
「……ハム」
「ハム……あぁ、サンドイッチにか。……それで?」
「……お肉、食べれない……」
「……はぁ?」
ようやく喋り出した彼女が語るのは、あの嘔吐の真相で。それも、腐っていたとか、食材じゃなかったとか、そんな理由じゃない。
肉が食べれない。ただそれだけだった。
「……好き嫌いか? 確かに、ずっとこれまで肉避けてたけどさ。けど、そんな理由で?」
そう聞くと、彼女は哀しそうに眉を歪ませる。そうして、折り畳んだ足を抱きかかえる腕に顔を埋め始めた。
「……アレルギーか何か?」
「……違う」
「じゃあ……なんか嫌な思い出でも、あるのか?」
そう尋ねると、彼女はピクリと耳を動かして。その長い耳が月明かりに照らされて、柔らかい光を映す。
そのまま、彼女は組んでいた腕を解いた。と思うや否や、彼女はすがりつくように俺の裾を握る。頭を俺の胸へと預け、どうしようもなさそうにもたれかかってきた。
「……食べたく、ない」
「……いやいやいや。そんな、そんな肉ダメだったのか? 昔腹壊したとか?」
「…………」
露骨に眉間に皺を寄せるミュー。失言したか。これは、思ったより深刻そうだ。
彼女と暮らし始めて長いことになるが、確かに彼女は頑なに肉を食べようとしなかった。いつも野菜や果物をかじり、魚にすらも手をつけようとしない。料理する分にはいいみたいだが、自分で食べることはしなかった。いや、以前は料理することもままならなかったが。
俺のため、とか言って何とか肉を焼くことはできるようになった彼女。だが、依然として食べることはできなくて。俺の前で、ハムの欠片とはいえ肉を口にした姿を見せたのは、今日が初めてかもしれない。この通り、リバースしてしまったが。
「……嫌なことが、あったのか?」
「…………」
「いや、悪い。話さなくていいんだよ。ちょっと、休もうか」
そう言いながらミューの頭を撫で続ける。彼女は抵抗する素振りも見せず、ただされるがままに俺に体を預けていた。掌に触れる銀の髪がとても柔らかくて、妙にくすぐったい気分だった。
それから、数分。互いに何も発さずに、ただ穏やかなに水面を眺めていた頃。夕陽はとうに山に呑まれ、月明かりが大河を照らしていた頃。
「……ローグ」
「うん?」
「……私は、道具?」
唐突に、ミューがそう尋ねてくる。じっと、その碧い瞳を俺に向けながら。
「馬鹿、道具な訳あるか。竜人で、俺の家族で……とっても大切な存在だよ」
「……私を私にしてくれたのは、ローグだもんね。……でも、その前の私は、確かに道具だったよ」
少し俺から体を離して、しかし寂しそうな瞳で彼女はそう切り出した。
その前の私。つまり、俺が匿う前のミュー。ミューという名前が与えられる、ずっとずっと前のこと。
「砂漠を流浪してた私たちは、竜人狩りの人たちに捕まっちゃった。それで、私は道具としてあるお家に売られたの」
「……家族の人とは?」
「ばらばら。もう、お母さんもお父さんも、どこにいるのか分からないもん」
哀しげに彼女が目を伏せるから。俺はもう一度、その小さな頭を優しく抱き寄せて。
腕の中から、彼女の語りが繋げられる。声がくぐもってはいたけれど、その言葉は確かに耳に届いた。
「でもね、そこにはあるモンスターがいたの。モンスターって言っても、飛竜みたいなのじゃない、よ。草を食べる、おっきな子。私、その子の世話係になったの」
「もしかして、草食竜か?」
「うん、そう。丘にたくさんいる、あの竜だよ」
「ふーん……要はペット係みたいなもんか。それで?」
「私ね、大事に大事に世話したの。ご飯とか、寝床とかみんな、頑張った。そしたら、ミーヌも……あ、その子の名前ね。ミーヌも、私のことを慕ってくれたの」
「仲良しに、なれた?」
「うん、とっても」
そう尋ねてみると、ミューは少し嬉しそうに微笑んだ。けれど、それもほんの少しだけ。思い出したかのように、その表情に影を差していく。
「……でも、ミーヌはペットじゃなかったの」
「……食用だったんだな?」
「…………うん。ご主人が、一から育てたお肉を食べたいとか、で……」
ぎゅっと。彼女の手に力がこもった。それが、俺の服に皺を描く。
「私は、食べたくなかったよ……っ。ミーヌを、食べたくなんて……でも、奥様が無理矢理……食べないと、凄く怒って……私、私……」
「……辛かったな」
「私は、大切な友達を……食べちゃったの。もう、それ以来――――」
――肉を食べれない。
彼女はそう締め括っては、ポロポロと涙を流し始める。許しを乞うように。謝罪するかのように。
ミューが肉を食べれない理由。それを聞いたのは、今日が初めてだ。けれど、その内容は俺の思いもしなかったものだった。知らなかったとはいえ、無神経な言葉を彼女に浴びせ続けてしまったと、今更ながら実感させられる。
「……ミュー」
「え――――ひゃっ」
とりあえず、彼女を抱き上げて。涙ぐむ彼女に、ハンカチを押し付けて。
小さくて軽いその体を抱えては、さっさと店に会計を済ます。その足で、露店の方へと踵を返した。
「ろ、ローグ……ど、どうしたの……?」
「ミュー、悪かったな。今まで無神経なことばっか言っちまった」
「そ、そんなこと……」
「俺は馬鹿だからさ、あんまり人の気持ちとか、考えなくて……ごめんな」
腕の中の彼女にそう語りかけると、彼女はそんなことないと頭をぶんぶん振ってくれる。銀の髪が舞い、それが柔らかく俺の頬を撫でた。
「ミューは、好きだったんだろ? ミーヌのことが」
「う、うん……」
「で、大事に大事に接したんだろ? ずっと一緒に、過ごそうとしてたのかな」
「うん……私、あの子の友達だもん。……ううん、友達だった……」
「だった、なのか?」
「だって、私……裏切っちゃったんだよ。ミーヌのこと、裏切って……」
「ミューが、自分から食べようとした訳じゃないんだろ? 押し付けられて、強制されたんだ。それはまた違うよ」
「でも……でも……っ」
「俺はそのミーヌって子のことを知らないけど、不幸な話だと思う。もちろん、ミューにとっても」
「……私も?」
「うん。お前は自分のことを加害者みたいに言ってるけど、被害者だよそれ。お前は悪くないと、俺は思うぜ」
「…………」
「もちろん、だから気にするなとか、そんなことをは言わないさ。忘れちゃいけないことだし、ちゃんと背負っていかなきゃいけないことだ。それは、ミューがゆっくり折り合いをつけるべきだな」
「……折り、合い……」
「それに、無理に肉を食べる必要もない。ただ、ただな」
「……ただ?」
じっと見上げる、青い両目。潤んだそれが、俺の瞳を映し出す。
「ただ、少しでも、自分のことを許してやっていいと思うよ。仕方のないことだったんだって。それでも、今も忘れずちゃんと背負ってるんだって」
「……許す、なんて……私……」
「……まぁ、すぐにはいかないかも、しれないけど。でも俺は、ミューが納得できるまで傍にいる。お前を導けるようにな」
そう言っては、彼女を露店の前に下ろす。煌びやかな装飾品が並び立つ、エキゾチックな雑貨屋に。
危うい足取りで地に降り立ったミューは、未だ俺の裾を掴みながらも何とか両足を伸ばした。そうして戸惑った様子で俺を見る。一方の俺は、そんな彼女を横目に雑貨に手を伸ばした。
澄んだ麗水を思わせる爽やかな青。透明度の高いそれを、まるで結晶のように固めたその姿。そんな、青水晶のような硝子細工を俺は手に取った。三つの水晶を果実のように並べたそれは、どうやら髪飾りのようだ。持ち上げれば、しゃらしゃらと涼し気な音が鳴る。
「……ミューは、頑張ってるよ。いつも一緒にいる俺が言うんだ、間違いない。だから、俺はそんなミューに、少しでも。少しでも、もっと笑っていてほしいと思う」
「……あぅ」
「だから、そんなに自分を責めないでくれ」
絹のように美しい彼女の髪に、俺はそっとその髪飾りを結び付けて。銀の海に、青い月明かりが差したような。その光景は、物語の挿絵のようにとても綺麗で、神々しかった。
「……うん、よく似合ってる」
しゃらら、と音を立てながら、恥ずかしそうに俺を見上げるミュー。その頭を撫でながら、俺はもう一度彼女に向けて微笑んだ。
すると、彼女も困ったように、でも少し落ち着いたかのように微笑みを見せてくれる。決して、幸せそうな微笑みではなかったけれど。でも、少しだけ気持ちの整理が始まったかのような、どこか柔らかな笑顔だった。
風に乗っては音を立てる髪飾りの音色が、妙に耳に残っていた。
◆ ◆ ◆
「……ん」
しゃらら、という音が耳を撫でる。目を覚ませば、司令部の机。竜機兵やらゲイボルギアの資料が散乱した、自分の机だった。
「……畜生、今になってこんな夢……」
窓が開いて、夜風が部屋を撫でる。手に持っていたのは彼女の形見。
出撃する前に受け取ったあの髪飾りが、俺の掌で優しく
「……ミュー」
傍にいる、なんて言ったのに。いつの間にかそれは果たせずにいて。
何だか、昔に戻ったような気分だ。母親を失った時の喪失感にも、よく似ている。何だか胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのような――そんな気がした。
父親の時は俺が小さすぎて覚えてはないけれど、その時もこんな感じだったのかも、なんて。どこか他人のようにそう思った。
「……俺は……」
あの時、俺はどういうつもりで彼女にあんな言葉をかけたんだろう。
どうして、彼女を支えるはずだったのに、今俺はこうももやもやとしてるんだろう。
傍にいると、言ったのに。気付けば彼女はいなくなっていて。
ただ馬鹿みたいに、外でも家でも煙草を吹かす俺がいる。
いつの間にか部屋の壁が黄ばんできた、なんて。こんな感覚、今までなかったというのに。
――支えられていたのは、俺の方だったんだろうか。
不意に、扉を叩く音が響く。
慌てて身を起こせば、扉の前に人影が二つ。丸みを帯びた影に、見慣れない姿がもう一つあった。
「……いいかね、ローグ君」
そう口を開いたのは、この西シュレイドのトップとなったエンデ兵団長。開いた扉に当てていた拳をそっと下ろしつつ、その眼鏡を薄く光らせる。
「……はい、どうぞ。どうされましたか」
手にしていた髪飾りをそっとポケットにしまいつつ、腰を上げては彼に体を向けた。そうすることで次第に見えてくるのは、エンデの奥に立つもう一人の人物。
長い耳が見えた。ミューやラムダのように、長く鋭い耳だった。
「決まったよ。彼が、新しい竜機兵だ」
「それって……もしや……」
「はじめまして、ローグ君」
俺が言葉を繋げる前に、彼が唐突に口を開いた。まるで遮るかのようなその口調に思わず言葉を失うと、彼はずんずんと前に躍り出始める。
黒い髪を、襟足でまとめた長身の男だった。切れ長の瞳に、少しばかり口角を上げる形の良い唇。男前な顔立ちだが、その雰囲気は少し気味が悪い。何だか、蛇のような男だと、何ともなしに思った。
そんな彼は俺と向かい合って、その四本の指を差し出してくる。握手を求めるかのようなその素振りに、俺は戸惑いながらも応じるが――――。
薄く笑うその表情は、何とも不愉快だった。
「エスカドラの適応者として、君の世話を受けることになった。リアだ、よろしく頼むよ。……くれぐれも、バルクのような失敗作にならぬように、ね」
本当に、不愉快だ。
ミーヌはタミル語で魚です。だからどうしただけど。
ちょっとした過去編。ミューがつけてる髪飾りと、彼女がお肉を食べれない話でした。
めちゃくちゃ主人公いじめが捗るこの小説……楽しい!!
あと新キャラ登場です。たぶんめっちゃヘイト集める系のキャラです。私はこういうの好きだけど。
それではでは。